ACT.7 信じてっ!

「乱馬っ!どくねっ!これはあかねと私たちの問題ねっ!」
 シャンプーは鋭い眼光を投げつけてくる。この三人の中ではダントツの闘気を孕んでいる。かなりの使い手なのだろう。
「乱ちゃんっ!どいたり・・・。女同士の戦いに手を出すつもりかっ!!」
 右京はコテを握り締める。彼女もまた常人ならぬ闘気を背負っていた。
「あなたがどういうおつもりかは存じませんが、邪魔立てするなら容赦しませんわよっ!!」
 小太刀は金切り声を上げる。この寒空にそぐわないレオタード姿。
 ざわっと周りの木が揺らめいた。
 鬱蒼と生い茂ったこの場所までは、流石に人ごみもない。いや、とっくにパークの小道からは外れた場所だ。こんなところまで人は来ないだろう。
 シャンプー、右京、小太刀、そしておさげの女の子。
 四つ巴、いや、あたしを入れると五つ巴の闘いが始まろうとしている。
 あたしの足はがくがくと震え出した。
「怖がるなっ!己を見失うと闘いに負ける。守ってやる。俺は・・・おまえを・・・。あかねの身体を傷つけるわけにはいかねえからなっ!!」
 おさげの女の子の闘気が変わった。
「え・・・?」
 あたしは彼女の中に、他の女の子たちとは違う「気」を感じていた。
 そう、それは、居なくなった乱馬と同じ大きな気だった。

「来るぞっ!」

 彼女の声を合図に、闘いの幕は切って落とされた。
 シャンプーと右京、そして小太刀が一斉にあたしに向かって突進してくる。
「いやっ!!」
 あたしの身体は恐怖で竦んだ。
 当たり前だ。依り代のあかねがどんなに強いかしらないかれど、あたしはつい昨日まで病人をやっていた。こんな場合どう対処していいかなんてわかるわけがない。
「動けっ!!どんな体制でもいいからっ!おめえの中に眠るあかねは一流の女武道家のセンスを持ってんだ。それを信じて逃げ回れっ!!」
 遥かにあたしへの攻撃を、一人で受けながらおさげの女の子は叫んだ。
(ええいっ!ままよっ!!)
 あたしは動いた。
(逃げたらいい。何処へでも動き回って。)
 そう思うと急に身体が軽くなったような気がした。
 三人の攻撃はあたしに集中してくる。それを辛くも避けて回る。
「乱馬っ!どういうつもりねっ!女同士の闘いに首を突っ込んでくるなんてっ!」
 おさげの女の子に向かってシャンプーが叫ぶ。
「潔くないやんかっ!乱ちゃんっ!!」
 右京も同調する。
「うるせえっ!てめえらだって三人であかねに突っかかってくるんだ。汚いのは一緒だっ!!」
 おさげの女の子と二人の会話の意味が図りかねながらもあたしは夢中で逃げ回る。
 だが、所詮は付け焼刃な身体の動き。ぎこちなさが残る。
「覚悟おしっ!天道あかねっ!!」
 シャンプーと右京の睨み合いに乗じて、小太刀がすかさず打ち込んできた。

(やられるっ!!)

 と思ったときだった。
「あかねさんっ!!」
 叫び声とともに地面が打ち割れた。そして黄色いバンダナの男の子、良牙とかいった少年が現れた。
「あかねさんには手出しさせないっ!!」
 よく分からなかったがあたしは彼に助けられたようだった。
「良牙っ!サンキューっ!!」
「乱馬っ!てめえ、どういうつもりだ?あかねさんをこんなことに巻き込みやがって。」
「うるせえっ!俺だって苦労してんだ。それよか良牙、今のあかねは訳があっていつものように動けねえっ!頼むっ!俺が気を溜め込んで居る間、連中の相手しててくれねえか?後生だっ!」
 おさげの女の子は現れた良牙に懸命に頼んでいた。
 良牙はあたしの方を向き直ると、よしっと一言吐き出した。
「良く事情はわからねえが・・・。あかねさんのピンチなら今回だけは見逃してやる・・・。」
 そう言うと、良牙は三人娘の相手をし始めた。
「いいかっ!あかねっ!俺の傍から離れるなっ!俺は・・・俺はどんなことがあってもおまえを守る。守らなきゃならねえ・・・。おまえの身体の中に居る本当のあいつのためにも・・・。」
 あたしはこくんと頷いた。
 と同時に、あたしの中の本当のあかねが微かに波打ったのがわかった。
『信じてあげてっ!』
 あかねはイメージの中であたしにそう語りかけてくる。
 余程このおさげの女の子のことを信用しきっているのだろう。
 おさげの女の子は、一気に気を高め始めた。脈打つ全身の気を丹田へと集中させてゆく。彼女の全身から蒼白い冷気が立ち上がり始める。そして彼女の懐へと居るあたしへの攻撃の手を緩めない三人娘たちを巻き込みながら誘い込むように柔らかな螺旋を描き出す。
「良牙、地面を割れっ!!」
 お下げの子が叫ぶと、
「おうっ!爆砕点穴っ!!」
 と呼応して、防御していた良牙が地面を殴った。
 どおっ!!と地面が割れる轟音がした。と同時に、おさげの女の子の突き上げた拳の先から物凄い冷気が渦を描いて立ち昇った。まるで飛竜を打ち上げるように。

「乱馬っ!何故あかねを庇った!!」
「乱ちゃんっ!なんでやっ!!」
「無念っ!!」
 
 少女たちの声が虚空へと消えてゆく。お下げの女の子から打ち上げられた冷気が彼女たちを飛ばしたのだった。

「終わった・・・か。」
 おさげの女の子は呆然と見送るあたしを見てそう呟くように言った。
「大丈夫か?」
 彼女がそう言いながらあたしに手を差し出した時だった。地面が一瞬、唸りを上げた。そして足元から崩れ落ちた。
「きゃーっ!!」
 あたしの悲鳴と共に、ばっくりと地面が割れて、そこから崖面に向かって崩れ落ちた。
 埋立地のこの土地はもともと地盤も緩かったのだろうか。
 そのまま地面の割れ目に引き込まれてしまうと思って目を閉じた時、あたしの手はしっかりと彼女によって落下を防がれていた。
 見上げるとお下げの女の子が傍に伸びていた大きなもみの木の枝へとぶら下がっていた。思ったより根が張っていたのか、辛うじてこのもみの木は地面の崩落から逃れたようだ。だが、ピンチなのは変わりがなかった。
 下を見ると、地面は遥か下の方だ。このまま落ちれば無事では済まされない高さがあった。
 あたしは辛うじておさげの子と宙でぶら下がって難を逃れている。でも、いつ一緒に落ちても構わないという格好だった。

「ちくしょーっ!せめて男の身体に戻れたら・・・。」
 上でお下げの子が唸った。
「あきらめて手を離すなよっ!あかねっ!何があっても俺は・・・。おめえだけは守りきってやるから・・・。」
 片手で木の枝に捕まって女の子は懸命に上へと上がろうともがいていた。
「なんで・・・。なんでそんなに一所懸命になれるの?」
 あたしは涙声で彼女に問い掛けていた。
「バカッ!そんなの・・・。わかりきってるじゃねえかっ!おめえを・・・、あかねを見殺しになんてできねえ・・・。誰に身体を乗っ取られていようが、おめえは・・・、あかねは俺の許婚だっ!」
『乱馬・・・。』
 あたしの中の本当の心がドクンと反応した。
「乱馬?」
『大丈夫・・・。乱馬がきっと助けてくれる。乱馬は強いもの・・・。』
 あかねがあたしに語りかけて来た。
『だから、乱馬を信じて・・・。掴んだその手を離さないでっ!』
「乱馬な・・・。」
 あたしが怪訝に見上げた時、上からやかんが降ってきた。

「乱馬っ!男に戻してやるっ!あかねさんをちゃんと助けろよっ!!後はてめえに任せて俺は・・・。俺はあかりちゃんとの待ち合わせ場所へ急ぐから!」
 良牙の声だった。

 ばっしゃと音がしてあたしと女の子はやかんの湯を浴びることになった。それがどんな意味を成すのか当然あたしは知らなかった。
(え?)
 あたしを掴む腕が伸びる。繋いだ手は大きく懐かしい男の人へと変化する。
(え?ええええーっ?)
 あたしを懸命に支えていた手の持ち主だったおさげの子は、みるみる男へと、いや、乱馬へと変身を遂げた。
「ありがてえ・・・。男に戻れた・・・。あかね・・。いや、おめえに依り付いてる茜。俺は乱馬だ。訳あって時々女体へと変化するがなっ!!」
 そう言うと、彼はぐっとあたしを引き上げる。女の時のそれとは違い、男の乱馬は逞しかった。その分、軽々とあたしの身体を上へと誘う。
 
 あたしの頭の真ん中で、今までの疑問が全て繋がった。
 乱馬はおさげの女の子で、おさげの女の子が乱馬だった。
 だからお下げの子は懸命にあたしを、ううん、あたしの中の本当のあかねを必死で守ってたんだ。
 そう、あたしがあかねに憑依していることを全て知った上で、彼は・・・、乱馬は・・・。
 じゃあ、あたしの中のあかねは・・・。変身する彼でも好きなの?
 
『勿論、大好きよ・・・。』
 あたしのイメージの中で彼女はそう言ってにっこりと笑った。曇りのない澄んだ答えだった。
 その声の中に、あたしは「強い絆」を感じた。
『彼はね・・呪泉郷で呪いの泉に漬かってから、水を被ると女に変化するの。そして、湯を被ると元へ戻るの。変な体質を引きずっているけど・・・。でも、乱馬は乱馬。いつも直向に生きてる。良き喧嘩相手であると同時に無二の存在。そう、彼はあたしの大切な許婚。だから・・・。』
 あかねの心が流れ込んできた。
 人を愛するということはこんなにも健気で暖かいことなのか。あたしは少しだけわかったような気がした。懸命にあかねを助けるために上へ上がろうとする乱馬。彼もまた、多分、おそらく・・・。
 繋がる手の先に、彼の心が見えた。

 どれくらい時間が経ったのか。やっとのことで彼はあたしを上まで引き上げた。
 大きなもみの木。
 崩れた山肌から伸び上がるしっかりとしたもみの木。あたしたちを助けてくれた。
 彼は木を伝って、安全な場所へとあたしを導く。もみの木の太い枝葉の上。ここまでくれば、後は枝を伝って崖の向こうへと降り立てばいい。
 渾身の力を混めた乱馬は息遣いが荒かった。滴る汗がその激しさを物語っている。
 まだ息が荒い彼にあたしはたっと抱きついた。

「お・・・。おいっ!あんまり無茶するなっ!折角助かったのに・・・お、落ちたら大変だぞっ!!」
 乱馬は慌ててあたしを受け止める。その太くて逞しい腕の中に。
「怖かった・・・。あたし・・・。」
 あたしはそう言って彼の胸にしがみ付いた。
 自然と涙が零れ落ちる。
「馬鹿・・・。なっ、泣くなっ!」
 おろおろしながらも乱馬はあたしをしっかりと抱きとめる。
 柔らかい暖かさ。
 彼の想いが痛いほど伝わる。愛する者を助けた安堵感。
 人を愛し愛される、本当の充実感が、あたしを通り過ぎて互いに行き交う。それだけであたしもまた、言葉に出来ない充実感を見出せたような気がした。

 次の瞬間、ふわりとあたしの身体は宙へと浮き上がった。


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(c)2003 Ichinose Keiko