ACT.8 ふわり・・・(終章)

「どうでしたか?現世は・・・。残った時間を楽しめましたか?」

 気がついたらあたしはぽつんと空へと浮き出していた。
 もう依り代の中ではなく、一つの浮遊霊として。
「その分だと、充分残りの時間は満足行くものだったご様子で。」
 あたしの前に死神銀次郎がひょっこりと現れた。
 そう、もう行かなければならない時間。
 あたしはこくんと一つだけ頷いた。
「本当に楽しかった。デートも出来た。男の子と初めて手も繋いだ。思いっきり走った。ずっと行ってみたかったデニーランドにも遊びに来れたもの・・・。」
 あたしは遥か下に広がるパークのイルミネーションを見下ろして一つ溜息を吐き出す。そのまま涙が一筋流れる。
「未練ですか?」
 死神銀次郎はあたしにくすっと笑って問い掛けてくる。
「もう少し居たいって思っても、もう時間です。冷たいようですが、規則ですから。」
 あくまでも事務的に伝えようとする死神。
「わかってるわ・・・。未練なんてない。あたし・・・。本当の愛を知ることが出来た。それがとっても嬉しかっただけ。嬉しい時にも涙は出るものでしょ?」
 精一杯微笑んで彼を見返した。
「そりゃあ良かった。人間、死に際が肝心ですからね。変に現世に想いを残すと、後の世にもロクなことがありませんから。」
 飄々と言い放つ。
「ねえ・・・。これからあたし、何処へ行くの?死後の世界?」
 あたしは涙を拭いながら彼に聴いてみた。
「さて・・・。それはお話しかねます。」
 秘密主義なのだろうか。
「ケチ臭いわね・・・。」
 あたしは口を尖がらせる。
「規則ですから・・・。」
 彼はそう言うと無機質に笑った。
「もう少しだけ、幕間まで居させてくれないかな・・・。」
 あたしは懇願するように死神銀次郎を見詰めた。
「しょうがないですね・・・。どのくらいですか?」
 銀次郎は鎖時計をチラッと見てあたしに問い掛けてきた。
「ほんの数分でいいわ・・・。あの二人の光景をもう少しだけ見たいの・・・。ううん・・二人の行く末をちょっとだけ知りたいの。・・・ダメ?」
 絶対断られて、そのまま空へと連れ去られると思ってあたしは身構えた。
「ちょっとだけですよ・・・。その、僕も実は少しだけ覗いてみたくて・・・。あは、あはは。」
 死神銀次郎はそう言って笑った。
「ひょっとして・・・あんた・・・。」
「ええ、ずっと見てました。それも私の義務責任ですから。」
 だそうだ。ずっとこいつに見られていた訳ね、あたし。
 そうしてあたしと死神銀次郎は、こそっと上から離れたばかりの二人を上から覗き込んだ。傍耳をたてて。

 大きなもみの木の枝元に二人はそっと身を寄せ合っていた。
 

「あかね?」
 乱馬は大きく息を吸い込むと、吐き出しながら言った。そしてゆっくりとじっとあかねの方へ視線をずらした。
 彼女の中に「あたし」はもう、存在していなかった。そう、沈んでいた彼女の意識が浮上したのだ。抜け出た身体は元のあかねへ返された。その僅かな間、あかねは放心していた。
 あかねの気が変わった気配を察知したのだろうか。
 乱馬は動かなくなったあかねを心配げに覗き込む。
「あかね・・・。」
 また様子を伺うように問い掛ける。

「乱馬・・・。」 

 あかねはようやく口を開いた。そして続けた。
「あの子は、もう、ここには、あたしの体の中には居ない・・・。」
「え?・・・じゃあ、彼女は・・・。」
「帰ったわ・・・宙(そら)へ・・・。」
 そう言いながらあたしと死神銀次郎が浮いている空へと目を向けた。
 あかねにつられて、乱馬もまた空を見上げた。
「そっか・・・。帰ったのか・・・。」
 白い息と共に言葉を紡ぐ。

 暫く見詰めた後、あかねが先に口を開いた。
「ありがとう・・乱馬。助けてくれて・・・。」
 はにかむように言って、乱馬に向けた彼女の笑顔。素敵だった。あたしが彼女の中に居たときも、あんな輝く笑顔は見せられなかったろう。
「あ・・・。いや・・・、べ、別に・・たいしたことじゃねえ・・・。」
 消え入りそうな声で乱馬はその笑顔に答えてるのがその証拠。
「あたし・・・。ずっと聴いてた。乱馬の言葉・・・。」
「え・・・?う、嘘・・・。」
 乱馬はドキッとしたのか顔が真っ赤に発熱している。お見合いしているように黙ったまま固まる二人。

 ホントに揃いも揃って不器用なんだから。ああ、もう、じれったい。

「少し演出してみますかね・・・。」
 隣で死神銀次郎があたしを見詰めた。
「このままじゃあ、帰りたくても帰れないじゃないですか・・・。」
 独りごちのように呟くと、山高帽を脱いだ。そして手品師宜しく、ひっくり返すと、右手を突っ込んで一掻きした。と、煙がもこもこと上がってゆく。
 それはやがて空全体へと広がり、厚い雲となった。
「さて、これくらいでいいですかね・・・。」
 死神銀次郎がパンっと手を叩くと、不思議にもその雲の塊から何かが舞い降り始める。

「雪?」
 ふわふわと舞い降りる粉に、あかねは見上げて囁いた。
「どおりで冷えると思ったぜ・・・。寒くねえか?」
 乱馬は遥か空を見上げるあかねに声を掛けた。
「うん・・・。大丈夫。」
 あかねはまた、微笑を返す。
「雪で良かった・・・。」
 そう聞こえた。
「なんでだ?」
 乱馬はきょとんとあかねを見た。
「だって・・・。雨だったら女に変身しちゃうじゃない・・・。今夜くらいは男のままで居て欲しいもの・・・。」
「何でだよ・・・。」
「鈍感っ!」
「あんだと?」
 また、喧嘩っぽくなってる。この二人って心から喧嘩が好きなのね。ううん、それで心の均衡を保っているのかもしれないわね。

 あたしと死神銀次郎は目を合わせてやれやれと溜息を吐いた。

「ねえ、閉演までもう少し時間があるわ・・・。あたしも、何か一つくらい乗って帰りたいな・・・。」
 あかねが白い息を吐きながら乱馬に言った。
「そうだな・・・。いつまでもここに居る訳にもいかねえし・・・。ホントはもう少しここに二人でいたいけど・・・。」
 遥か見下ろすパークのイルミネーションは白い雪の向こうに幻想的な世界を作り出していた。
「行こう・・・。」
 あかねはそっと乱馬の手を取った。
「その前に・・・。あかね・・・。一つだけ、俺に・・・。」
 ふわっと乱馬があかねに近づいた。軽く頬に手を当ててた。
 時が止まる。白い雪と遥かなイルミネーションの光の渦の中で。重なり合う二人の影。



「ありがとう・・・。死神さん。行きましょう・・・。」
 あたしはふっと微笑んで死神銀次郎を促した。
「もう気が済みましたか?」
 死神銀次郎はまた山高帽を深々と被った。
「ええ・・・。素敵な時間をありがとう・・・。」
「それはあのお二人に言ってあげるべきですね・・・。でも、聞こえないでしょうけどね・・・。」
 死神銀次郎は笑った。
「でも、その分だと、きっといい御霊に生まれ変われるでしょう。百パーセント人間に生まれ変われる訳ではありませんが・・・。今度の世も人間を望みますか?それとも人間はもうこりごりですか?」
 あたしは真っ直ぐに死神銀次郎を見詰めた。そして言った。
「こりごりだなんて・・・。ううん、できれば又、人間として生まれ変わりたい。そして、今度は自分の力で笑って泣いて走って・・・それから、いい恋をしてみたい。あの二人のような・・・。」
 あたしは真下で静かに身を寄せ合う、少年と少女へ視線を落としながら答えた。
 
 もし、願いが叶うのなら、今度はあたしだって本当の恋がしてみたい。素敵な人に巡りあって、そしてあんな恋がしてみたい・・・。純粋で暖かくて・・・。
 燃えるような激しいものでなくてもいい。小さな幸せに心時めかすような。喩えそれがどんなに不器用な愛でも、地味なものでもいい。真剣にお互いを想い、守り、求め合うような、恋。

「じゃあ・・・。帰天しましょう・・・。次に宿る生命がきっとあなたの帰天を待ち焦がれているでしょうから・・・。真っ白の雪のようにまた無に戻って、次の生へ。」
 死神銀次郎の身体が発光し始めた。彼の背中に美しい翼が煌いていた。あたしを導く天使、それが彼の本当の姿だったのかもしれない。
 あたしは返事の代わりに微笑んだ。そして、遠ざかる二人へと最後のメッセージを送った。声にならない言葉で。



『乱馬、あかね・・・。ありがとう。二人とも幸せに・・・。さよなら・・・。』



「ねえ、乱馬・・・。」
「ん?」
「今、声がしたわ・・・。あの子の・・・。」
「ああ・・・。俺にも聞こえたような気がする・・・。」
「生まれ変わる時は、あたしみたいになりたいって・・・。」
「じゃあ、女に再び生まれ変わるなら、思い切り不器用で可愛げねえ奴になるってことか?」
「バカッ!!」
「さあ、行こうぜ。折角のイブなんだからな・・・。ここのチケット苦労して手に入れてもらったんだから。」
「あー・・・。恩着せがましいわね。」
「いいだろ?本当の話なんだから。」
 顔を見合わせてにっこり笑うと二人はタンっともみの木から飛び降りた。そして、パークの喧騒の中へと溶け込んで行った。
 
 降りしきる雪はいつまでも舞い降り続ける。辺りを真白い銀世界へ染め続けながら。
 二人の姿を見送りながら、ふわりと浮かんだあたしの身体を美しい光が包み込んでいった。
 柔らかな愛に包まれてあたしは無へ帰る。
 そう、また、新しい人生を歩み出すために。







(c)2003 Ichinose Keiko