ACT.6 水も滴る・・・

 ジェットマウンテンは最高だった。
 生まれて初めて乗ったアトラクション。それも「心臓の弱い方はお断り」なんて文字を気にせずに乗れたんだもの。あたしはそれだけで有頂天になっていた。
 きっと、乱馬に変に思われるくらいきゃっきゃとはしゃいでいただろう。
「おめえ・・・。今日はやけに機嫌良くって元気がいいな・・・。」
 隣でそんなことを話し掛けてくる。
「そお?いつもと変わらないと思うんだけど・・・。」
 あたしはちょっとドキッとしながらもとり繕ってみる。
「ねえ・・。次は、あっちへ行こうよ・・・。」
 乱馬の手をくいっと引っ張ってみる。

「まあ・・・手なんぞ繋いで・・・。悔しいったらありゃしない。」
「ホンマに、これは急がないと・・・。」
「必ず邪魔して乱馬奪うね・・・。」
「男に二言はない。」

 あたしたちの後ろをこっそりとつけてきていた輩がそんなことをこそこそやっているなんて、思いもしなかった。第一、こんな広いテーマパークでぱったり、なんていうことも有り得ないと思っていたから。
 彼らの射るような視線なんて、あたしには関係なかった。
 今を、この時を、この一瞬を大切にしたかった。
 あと、数時間で魔法は解けてしまう。それまでの間の時間を、こうやって最後の現世を楽しんでいたかった。
「ねえ、乱馬・・・。知ってる?」
 あたしは悪戯っぽく彼を見上げた。
「あのね・・・。ここのテーマパークにはね、『恋人たちの森』っていう場所があるのよ。」
「あん?」
 乱馬は待ち時間を持て余しながらあたしを見返した。
「結構有名な場所なの・・・。知らない?」
 あたしはちらっと彼を見た。
「さあ・・・。第一、興味ねえもん・・・。」
 彼はすらっと言い放つ。その割には繋ぐ手が固まってる。
 『恋人たちの森』とはこのパークの中央にあるこんもりと茂った森のエリア。周りに取り囲むようにいろんなアトラクションがあるのだけれど、この森には小さな道がついていて、休憩所代わりのベンチがちょこんと置いてあるだけ。昼間は子供たちの憩いの場所で、ジャングルジムやら滑り台といった、基本的な遊具がちょっと洒落て作ってある。夕方になると、子供たちは散ってしまい、代わりにカップルたちの憩いの場所になるというのだ。何故あたしがそんなことを知っていたかというと、勿論、雑誌などの情報からだ。
 いつも、病室で読む夢のような雑誌には、遊園地や行楽地の案内が載っている。それを読むだけで行ったような気になる。そうやって報われない好奇心を満たしていた。『恋人たちの森』。前から行ってみたいと思っていたスポットだった。こうやって素敵な男の子と。
 乱馬は良く見ると、結構かっこいい。顔立ちだって悪くない。並以上だと思う。
 おさげを結っているのが個性的だとは思うけれど、体格は抜群だ。武道を嗜んでいるだけあって、野性的で精悍で。筋肉に無駄がない。手足だって長い。はっと振り返るほど均等がとれたいい体をしている。
 ちょっとだけ熱っぽい目を投げてみる。
「熱でもあるか?」
 乱馬は無愛想を装って答えた。
 本当はあかねのこと気になるクセに。
 あたしは小悪魔的な笑みを浮かべた。
「だって、今日はイブでしょ?」
 などと誘ってみた。
「・・・・・・。」
 彼は何も答えないで複雑な表情を浮かべていた。
「ま、後でもいいわ。今度はあっちの方へ行こうよ・・・。」
 あたしはそれ以上乱馬を困らせることはしなかった。折角のチャンスは後数時間。
 すっかり日も落ちて、辺りは煌くようなイルミネーションが点灯する。
「ねえ・・・。今度は見晴らしがいい所へ行こうよ・・・。」
「あ、ああ・・・。」
 彼はあたしに誘導されるまま、付き合ってくれる。本当に不器用なんだ。
「あれ、乗ってみようよ・・・。」
「また混みそうな奴を・・・。たく、好きだなあ・・・。」
「だって、折角ここまで出て来たんだから。」
 あたしは子供に戻っていた。無邪気。
 彼を引っ張って行ったのは急流滑り。
「こ、これは・・ちょっと。」
 彼は怪訝な顔をした。
「ひょっとしてこういうの嫌い?」
 あたしあ透かした目で彼を見上げる。
「いや・・・。嫌いというわけじゃねーけど・・・。やばいかな・・・。」
「もう、訳わからないこと言わないで、行こうっ!」
 くいっと引っ張ると彼はもそもそと付いて来る。仕方がない奴だなあという表情。
 ザッポン、ザッポン、音が聞こえる。
「ま・・・いいか。ばれても・・・。」
「へ?」
 あたしは何か彼が囁いたのを聞いたような気がする。
「ばれても?」
 ちょっとドキッとした。だってそうじゃない。あたしの方がばれると困る秘密を背負っているから。
 思ったよりもすいていたのは、パレードのせい。みんな蜘蛛の子を散すように、パレードを見に駆けてゆく。遠くを通り過ぎるイルミネーションの輪を眺めながら、あたしたちは位置に付いた。
 ボートが岸を離れて滑り出す。
 巡るめくファンタジーの世界へ。精巧に作られた小動物たちや森のレプリカたち。歌声や叫び声が入り混じる。
「わくわくするわ・・・。」
 あたしの心臓は高鳴る。
「ああ・・・。」
 と気のない返事。多分これで大きなアトラクションは最後になるだろう。時計の針は午後七時を回っていた。夢のような時間はもうすぐ終わりを告げる。
 ちょっと寂しい気がしたが、終わりまで楽しもう。そう心に決めた。

「さあ、最後の急流よ・・・。」
 あたしは乱馬の手を握った。
 彼もそっと握り返してくる。
(怖いのかな?)
 最高潮に達したボートは高い山の上に差し掛かる。ここから向こうは急斜面を滑り落ちる滝壷。
 一瞬時が止まったような気がした。
 そこから一気にボートは下界を目指して落ちてゆく。そう、真っ直ぐに。
「きゃあっ!!」
 あたしは目を閉じた。
 頬を渡る風と水飛沫と。

 バッシャッ!!

 水が弾けた。物凄い音とともに・・・。
「あー、怖かったっ!!」
 あたしはふっと見上げて驚いた。
「え・・・?」
 確かにそこに座っていた筈の乱馬がいない。代わりにちょこんと女の子が座っていた。
「あ、あれ?ら、乱馬?」
 あたしは何が起こったのかわからなかった。キツネにつままれたような目をぱちくりさせて、少女を見た。暗がりを凝らしてよく見ると、見覚えがあるその顔立ち。
「あ、あなた・・・。昨日道場で会った・・・。」
 そう。道場であたしのことを見破った鋭い少女だった。
「なんで?彼は?乱馬は?」
 あたしは気が動転していた。
「ご、ごめん・・・。驚かすつもりはなかったんだ・・・。」
 少女はあたしを見詰めて寂しそうに笑っていた。
 そのままボートは降り場へと滑り込む。そして、短い急流を堪能した人々が次々と降り出す。
 あたしとその子はずっと無言のままだった。
 さっきまでいた乱馬。糸も簡単に摩り替わった少女。もしかして同一人物?まさか!自分のことはともかく、非現実的すぎるじゃない。
「あかね・・・。いや、あかねに取り付いた茜。ごめん、ずっと隠してて・・・。」
 少女が重い口を開いた時、何かがひゅんと飛んできた。
「あぶねえっ!」
 少女は咄嗟にあたしを庇う。
 彼女の横を掠ったのは、鋭敏なナイフのようなものだった。
 振り返ると、イルミネーションに照らされた変な少女三人と剣道着姿の少年。
「あなたたち・・・。」
 あたしが声を出すと、小太刀が言った。
「おのれ・・・。もう少しでこの毒矢が刺さったものをっ!」
「毒矢ですって?何?」
 思わず驚きの声がでた。
「そうね・・・。乱馬誑かす、それ、反則。だからあたしらも本気出すねっ!!」
 中国娘のシャンプーがその後ろに居る。そして右京が口を開く。
「こうなったら、乱ちゃんを取り戻すために、あかねを倒さんとあかんみたいやからな。尋常に勝負しいっ!!」
 冗談じゃない。あたしに勝負なんて出来る筈ないじゃない。
「そうだ・・・。あかねくん。三人組におとなしく負けて、この僕が介抱してあげよう!」
 剣道着の男が言った。
「馬鹿なこと言うなっ!!」
 乱馬と摩り替わった少女が慌てて言い放つ。
「おお、おさげの女ではないか・・・。さては早乙女の奴・・・。」
 剣道着男は目を輝かせて少女に言った。
(おさげ・・・。)
 あたしは敏感にその言葉に反応した。そう、乱馬にもこの少女にもおさげがある。
 あたしは思わず少女を見返した。
 似ている。乱馬に。顔立ちが薄っすらと。兄弟か血縁者か・・・。それとも同一人物なのか。
「問答無用ねっ!乱馬に邪魔立てはさせないねっ!!」
「勝負あるのみやっ!乱ちゃんはどいときっ!」
「女の決め所ですっ!!」
 一斉に飛び掛る少女たち。

「馬鹿言うなっ!今のあかねは戦えねえっ!来いっ!逃げるぞっ!」

 少女はやおらあたしの手を掴むと、ごった返す人ごみへと飛び出した。
「待ってっ!そんなに早く走れないっ!」
「うるせえっ!乗っ取った身体の主は運動神経が並以上なんだ。そいつを信じて駆け抜けろっ!じゃねえと、あかねがっ!!」
 少女は叫ぶ。
 そうなのだ。依り代に怪我など負わせられない。
 あたしは必死で彼女に付いて走った。
 連中も人ごみを物だにしないで追い縋る
 あたしたちの足は自然と『恋人たちの森』へと向かっていた。
 息を切らしながらもあたしは懸命におさげの少女に付いて走った。

「もう逃げ場はないですわよっ!」
 小太刀の声にはっとして前を見た。
 そこは行き止まり。下は絶壁が作ってある。見晴らしは最高で、パークが一望できる。だが、そんな景色に見惚れている余裕はあたしたちにはなかった。
 勝ち誇ったように小太刀があたしたちに言った。
「乱ちゃん・・・。大人しくあかねを渡しっ!!」
「あかねっ!勝負ねっ!」
 三人は不敵に笑いながらゆっくりとにじり寄る。一人剣道着男だけはあたしたちを見失ったのか、そこには現れなかった。
「いいかっ!絶対に俺の傍から離れるなよっ!!」
 少女はあたしにそう言った。彼女の視線は三人を捕えている。
 あたしは彼女を見てはっとした。物凄い鋭気が彼女を取り巻いている。あたしは霊だからそれがわかった。蒼白い冷気。何もかも凍ってしまいそうな研ぎ澄まされた気配。

 何かが始まる。
 あたしは思わずぞくっと全身の毛が弥立った。


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