ACT.5 デートは楽し・・・

 あたしは懸命に駆けて、天道家の門の前へと来た。
 夢中で駆けてきた訳だけど・・・。あたしはここへ来てまだ半日しか経っていない。けれど、帰巣本能が働いたのか、町中を駆けずり回った割りには早く道場へと辿れたと思う。
 息があがった。
 はあはあと漏れる。
 でも、平気。この子の心臓はとっても強く波打ってる。健康な身体。なんて素敵なんだろう。
 その時、さっきの乱馬の言った言葉が脳裏をちらりと過ぎった。
『あかねっ!先、帰れっ!家の場所はわかるな?』
 確かに彼はそう口走ったような・・・。もしかして、あたしが見えてる?憑依しているのがわかってる?
 まさかね・・・。
 あたしが会ったのは女の子一人だし・・・。昨夜から彼女には会っていない。あかねや乱馬の学校にも居なかった。気配もない。だから、あの子が乱馬に告げ口するとは考え難いし・・・。じゃあ、なんで乱馬はあんなことを口走ったのかしら・・・。
(考えすぎよね・・・。きっと空耳だったのよ。)
 あたしは結構脳天気なところがある。だから、「空耳」だった。そう思うことにした。
 
 あたしは、息を整えながら、引き戸を開けて玄関へ入る。

「ただいまぁ・・・。」

「お帰りなさい・・・。」
 奥で女の人の声がした。
 乱馬の母ののどかさんだ。柱時計を見たらもう二時を越えていた。
「お帰り・・・。心配したぜ・・・。」
 ふと横を見ると乱馬だった。
「え?もう帰ってたの?」
「おめえがドン臭いだけだよ・・・。」
「あの男の子は?」
「まいてきた。」
「ここへ襲ってこないの?」
「あいつは方向音痴だから平気だ・・・。それより、早く支度しろよな・・・。」
 そういうとふいっと奥へと消えていった。
 ご飯を食べて一息吐いていると、のどかさんがあたしの所へ何か持ってきた。
「あかねちゃん・・・。これ・・・。」
 と言って差し出す紙袋。
「え?」
 あたしが素っ頓狂な声を出すとのどかさんはにこにこしながら続けた。
「クリスマスのプレゼント。おばさまから。これから乱馬と出かけるんでしょ?これに着替えて出かけなさいな・・・。」
 あたしはガサガサと紙包みを開けてみた。
「うわ・・・。」
 中からボルドーのカシミア風な柔らかいタートルネックセーターが出てきた。
「おばさま・・・。」
「ほら・・・。着替えていらっしゃいな・・・。そしたら出掛けましょうか・・・。」
 怪訝な顔をして見返すと、のどかさんが笑った。
「あの子に頼まれたのよ・・・。いろいろ周りが煩いから、待ち合わせ場所までオフクロがあかねと来てくれねえかって・・・。」
「乱馬が?」
 意外な気がした。

 外へ出てみてわかったのだけれど、乱馬はあたしに気を遣ってくれたらしい。
 外には例の三人が張り付くようにして見張っていたから。グンと迫る厳しい視線。
「さ、行きましょう・・・あかねちゃん。」
 のどかさんは知ってか知らずか、その視線の中をすいすいと泳ぎながらしずしずと歩き始める。

『あかねは乱馬のお母さんと一緒ね・・・。』
『ということは、暫くは乱ちゃんとは別行動って訳か・・・。』
『では、先に乱馬様を落としたものが勝ちですわね。』
『そういうこっちゃ・・・。負けへんでっ!』
『望むところねっ!』

 そんなひそひそ会話があたしの耳元に聞こえた。あたしは浮遊霊だから、少し離れたところの会話は聞こえてくる。
(そっか・・・。乱馬、あたしからあの子たちの視線を反らせるために・・・。)
 ちょっとそんな心遣いが嬉しくなった。


 練馬の駅に午後三時。
 待ち合わせ場所と時間だ。
「じゃ、ここに居たら、乱馬も出て来辛いでしょうから、おばさまはこれで退散するわ・・・。楽しんでいらっしゃいね・・・。」
 そう言うと、のどかさんはニコニコと笑いながら遠ざかっていった。何て素敵な母親なのだろう。あたしは身体の持ち主のこの子が羨ましくなった。許婚といえば、将来の旦那さま。その母親といえば世間では「姑」。でも、そんなこと微塵も感じさせない、のほほんとした雰囲気がのどかさんからは伺える。どんな娘でも、あの人となら「嫁と姑」という対立は生まれないかもしれないな・・・なんて思ってしまった。

「おう・・・。待ったか?」
 背後で声がした。乱馬だ。
「乱馬・・・。」
 あたしは振り返って驚いた。完全に照れながらそこに立つ少年。良く見ると、あたしとペアルック・・・。さあっとあたしの顔が自然に火照り始める。
「じゃ・・・。行こう。ぐずぐずしてて、またあいつらに見つかったら煩(うる)せえからな・・・。」
 彼の笑顔もぎこちない。
 あたしはそっと彼に寄り添って、さて、出発。
 
 これからは楽しい二人きりの時間だもの・・・。

 憑依媒体のあかねさんにはちょっと後ろめたかったけれど、今はあたしが天道あかね。乱馬の許婚。
 折角、手に入れた極上の身体と楽しい時間。あと五時間ばかりの夢物語だけれど、それでもあたしは彼と居たかった。
 この時点であたしは、彼のことをちょっとだけ好きになっていたのかもしれない。

 電車がホームを滑り出す。目的地は東京湾ベイエリア。干拓地の真ん中にあるテーマパーク。
 生まれて初めての遊園地。それも素敵な少年と一緒。
 彼はずっと無言であたしの傍に居た。混みあってくる電車の中でじっと身を寄せ合う。
 あたしの依り代、本当のあかねも同じ気持ちなのだろうか。違和感は全くなかった。彼女もドキドキしている。それが身体を通じて伝わってくるのだ。
(あなたの分も一緒に楽しませてね・・・。)
 あたしは心の奥に沈んでいる彼女の意識の中へとそう話し掛けていた。
 道中の一時間ほどはあっという間に通り過ぎた。
 高架線から真っ直ぐと夢の空間が開ける。天高く聳える夢の城やアトラクション。思っていたよりも広いそのテーマパーク。
 見えてくると心がわくわくと高まった。目を輝かせるあたしは、好奇心旺盛なただの少女。ずっと白い部屋の硬いベットの上で夢見ていた空間。
 ドア越しに眺める景色に、、高鳴る好奇心と目の輝き。
 思えば彼はそんなあたしを複雑な瞳で見詰めていたに違いない。
 乱馬はずっと黙っていた。
 いちいち声を上げてしまいそうになるあたしをそっと見守っていた。
 あたしは、懸命にあかねを演じていたつもりだ。
 電車を降りるときにふと目があった。
「ほら・・・。はぐれるといけねえから・・・。」
 そう言って差し出された左手。
 あたしの中のあかねの心臓がドクンと唸った。
「え?」
 あたしは精一杯背伸びして彼を見詰めた。はにかむ表情がとても柔らかかった。
「今夜だけだからな・・・。」
 そう付け足すように慌てて呟く。
「うん。」
 あたしは心から嬉しそうな声を上げた。だって、こうやって男の人とふれ合えるなんて。初めての経験だし、とてもわくわくしちゃうじゃない。階段を降りながら、差し出された手に触れた。
 彼の手は大きくて暖かい。あたしの倍くらいありそうなごつごつした手。触って見て気がついたけれど、彼の手は意外に硬かった。日々激しい修業で身体を鍛えているというだけあって、頑強で見た目よりもずっと硬い。でも、その暖かさは逸品だった。
 あたしの手が触れたとき、ふっと彼の体が緊張したのを感じた。
 許婚って言ってたけれど、この二人って本当に純情で純愛を貫いてる。そんな柔らかな気があたしを包み込む。
 幸せな感じ。
 ほっと息を吐き出して、そっと言った。
「行こっ!乱馬・・・。今夜は楽しもう・・・。」
「あ、ああ・・・。」
 照れてる。顔が真っ赤になってた。
 あたしは精一杯の笑顔を彼に返すと、ゲートに向かって足を早めた。
 
 ゲートの前には花壇があって、ここのテーマパークのアイドルキャラクターの形を彩っていた。
 チケットを見せて中へ入ると、凄い人。
 確かにはぐれたら大変だ。
 あたしはぎゅっと彼の手を握り返した。
 見渡す限り、人、人、人。家族連れよりも圧倒的に男女のペアが多かった。
 みんな考えることは一緒なのだろうか。恋人同士、クリスマスイブを楽しもうというのだろう。
 
「うへ・・・。思ったより混んでるな・・・。」
 傍らで乱馬が面倒臭そうに言った。
「仕方ないよ・・・。みんな、等しくクリスマスイブを楽しみたいんだろうから・・・。」
「そんなもんかな・・・。」
「そんなもんよ・・・。だって、好きな人と一緒に居たいのは誰だって同じよ・・・。現にこの子だって・・・。」
 そう言いかけて言葉を止めた。
 あたしがあかねを依り代にしていることは彼は知らないということに気がついたから。
(しまった。変に勘ぐられなかったかな?)
 あたしはちらっと乱馬を見上げた。
「そっか・・・。そんなもんか・・・。ま、いいか。折角来たんだから楽しんで帰ろうぜ・・・。」
 乱馬はそう言って笑った。
「そうよ、そうよ・・・。ね、混んでてもいいから、あたし・・・。コースター類乗ってみたいな。」
「あん?一時間くらい待たねえといけねえぞ?」
「いいから・・・。一度乗ってみたかったの。お願い。」
 媚びるように見上げた。
 当然だ。
 あたしはずっと病棟の中にいたんだもの。ジェットコースターやスクリューコースターなんか当然知らない。乗ってみたいってずっと思ってた。
 雑誌やテレビの中の夢物語がこうして現実になろうとしているんですもの。
 ジェットコースターに乗れたら死んでもいいなんて、死人のクセに思ってしまった。
「けっ!ガキっぽいなあ・・・。おめえは。わかった、付き合ってやるよ。」
 乱馬はやれやれというような目をあたしに向けてにっこり笑った。

 天にも昇る気分というのはきっとこんなのを言うのだろう。

「そうと決まったら、ね、早く行こっ!」
 あたしはルンルン気分で先に立って歩き始めた。

「見つけたで・・・。やっぱり二人きりでデートなんかしてるやん。あの二人。」
「くやしいったらありゃしない。乱馬さま、あかねに騙されて。」
「手まで握ってるね。」
「ゆ、許せんっ!早乙女の奴。あかねくんを・・・。」
「あかねさん・・・。」
 そんなあたしたちを不穏に見詰める影があることをあたしは感じていなかった。
 右京と小太刀とシャンプーと九能。その四人だった。良牙は迷っているのかそこには居ない。
「こうなったら断固、二人のデートを阻止しな・・・。」
「そうですわね・・・。」
「任せるね。絶対二人引き離すね。」
「あかねくんの貞操を守らねば・・・。」

 このあと、とんでもない出来事に巻き込まれるなんて、二人とも予期だにしていなかった。


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(c)2003 Ichinose Keiko