ACT.4  非常戦線

 翌朝、あたしは爽やかな冬の朝を迎えた。
 昨夜は興奮気味で良く眠れなかった。
 あたしはまだ、あかねの中に居た。そこに居ると言う事実だけで幸せな気分になれた。
 約束の二十四時間まで、まだ十二時間、たっぷり半日あるからだ。日は昇ったばかり。これから存分に動き回る。夕方には乱馬とデニーランド。そう思っただけで浮かれ気分。
 階段を下りると乱馬と鉢合わせた。
「おはよー。」
 あたしはにこっと笑いかけた。
「お、おう・・・。」
 なんとなくそわそわしている彼。こういう生活もいいもんだと思った。好きな人と同じ屋根の下に居られるなんて。それに今日のことは誰にも内緒。ちょっとウキウキするじゃない。
「早く支度しないと、遅れるわよ・・。」
 なびき姉さんがひょいっと顔を出した。
「けっ!なあにが、冬休みの特別授業だよ・・・。」
 乱馬はぶつくさ言いながら茶の間へ入る。そう、冬休みというのに、風林館高校は午前中は補講がある。
「仕方ないでしょ?あんだけ成績がボロボロだったんだから・・・。あかねに付き合って貰ってて贅沢言うんじゃないのっ!」
 なびき姉さんが言った。
「そうじゃのう・・・。乱馬は幸せもんだ。わっはっは・・・。」
(このおじさんは誰だろう・・・。昨日は居なかったなあ・・・。)
 あたしは手ぬぐいのおじさんがそこに座っているのを不思議そうに眺めた。この家は本当に謎が多い。あの少女も今朝は姿を見せていなかった。だが、この家の人々は誰も何とも思っていないようだ。今朝はパンダも居ない。
「うるせーっ!」
 乱馬はぶうっとふくれたまま朝ご飯にがっついていた。
「まあ、今日はクリスマスイブだから・・・。せいぜいあの連中に捕まらないように上手くやんなさいよぉ・・・。あんたたちっ。」
 なびき姉さんはにやっと笑った。
(あの連中・・・?)
 引っかかる言葉だったが、あたしは気にせずご飯を食べた。

 天気は上々。冬の淡い太陽が、朝の光を讃えていた。吐き出す息は白い。
 あたしは玄関を出ると、すうっと思いっきり息を吸ってみた。なんて新鮮な空気。生まれて初めて味わう朝の幸せ。
「ぐずぐずしてっと、遅刻すっぞ!」
 先で乱馬が叫んだ。
「あ・・・。ごめん!」
 あたしは朝の光の中に駆け出した。なんて素晴らしい世界。
 きらきらと霜が光る。ピンと張り詰める朝の空気。水を撒くお婆さんにまで幸せを感じる。乱馬はお婆さんの水をかろうじて避けると、たっとフェンスの上に上がった。病室の窓からいつも見ていた風景。あたしは今、その彼と一緒に光の中を歩いている。
(本当に運動神経がいいんだ・・・。)
 あたしは感心せずには居られなかった。はっとするほどいい身体をしている。
「何じろじろ見てんだよ・・・。」
 乱馬は怪訝な顔であたしを見下ろしてる。
「別に・・・。」
 そう思ったところで邪魔が入った。
「乱馬ぁ〜。今日はクリスマスね・・・。あたしとデートするね。」
 いきなり変な日本語を喋る女の子が彼に抱きついてきた。
「わたっ!シャンプー・・・。や、やめいっ!!」
 フェンスの上から落下する乱馬。
「何さらしてんねんっ!乱ちゃん、離さんかいっ!シャンプーっ!!」
 と、今度は後ろからも声。ドヒュンと頭を何か鉄のものが掠った。
「う・・・うっちゃん・・・。」
「乱ちゃんはうちとイブを過ごすんやさかい・・・!」
 乱馬はさっとそれを避けた。そしたら今度は後ろから変な笑い声が響いてきた。
「ほーほっほっほっ!何をたわけたことをっ!ねえっ!乱馬さま。」
 この寒空にレオタード姿の女性が花吹雪と共に現れた。
「小太刀まで・・・。」
 一体全体、この異様な雰囲気は何なのだろう。
 皆女の子だけど、どこか変。一人は乱馬と同じチャイナテーストな服を着て、変なイントネーションの日本語喋ってるし、一人は学ラン着て特大なヘラなんか背負ってるし、一人はレオタードに新体操のリボンなんか持ってる。
 あたしは目が点になったまま、その場に立ち尽くす。
 と、
「ぼさっとしてねえでっ!走るぜっ!!」
 乱馬はあたしの腕をやおら引っ掴んで走り出した。
「乱馬待つねっ!」「乱ちゃん、待ちいっ!」「乱馬さまっ!お待ちをっ!!」
 一斉に追いかけてくる。
「一体全体、何なのよーっ!あの人たちっ!!」
「いいからっ!走れっ!」
 あたしは懸命に手足を動かし続ける。乱馬はぐいぐいっと引っ張る。手が抜けるかと思ったわ。
 校門が目の前に見えてきた。
 あたしは乱馬に手を引かれたままで滑り込む。
「帰りこそは絶対に捕まえるねっ!」
「悔しいですわっ!!」
 他校の生徒なのだろうか。チャイナ服とレオタードが地団駄を踏んで校門脇で悔しがっていた。
「乱ちゃん・・・。相変らず早いなあ・・・。うちかて帰りはマケへんで、あかねっ!」
 もう一人の学ランはここの生徒のようで、もしかして同じクラスのようだ。きっとあたしを睨んできた。
「ひょーっ!夫婦揃って登校か?」
「いつからそんなに仲良くなったの?」
 好奇心の目があたしたちを囲む。
「ねえ・・。いい加減その手離してよ・・・。」
 あたしは息を切らせながら乱馬に言った。
「あ・・。ごめん。」
 乱馬は真っ赤になって手を離した。
(案外ウブなんだ。こいつ。)
 あたしはくすっと笑って見せた。
「何だよ・・・。その目は・・・。」
 乱馬は笑われたのが頭に来たのか、つんとふくれた。
 彼の息はすぐに平静になったのに、あたしの息はなかなか収まらない。必死で走ったのは生まれて初めての経験。こんなに心臓がバクンバクンと波打ってたら、とっくに死んじゃっていただろうな・・・。あ、もう死んでるんだっけ。
 身体を使って思いっきり走るのが、こんなに気持ちが良いなんて。冬でも汗は流れるのね。
 あたしは一人で浸っていた。

 学校の補講は一時間目が数学で、二時間目と三時間目が英語だった。だけど、悪いけど、あたしは借主のあかねより学年は一つ下。その上、病院にずっと入っていたからロクに勉強なんてしていない。だから、気の毒だけど・・・。仕上げテストは全然分からなかった。後でこの子、苦労するかもしれないな・・・。
 三時間目が終わったら、今日の補講はおしまい。
 みんなこぞって帰り支度。
 乱馬は隣の席で考え込んでいる感じだった。さっきの女の子たちを牽制する手立てでも考えているのかしら?
 クラスメイト達はみんな、こぞって浮き足立っている。
 だって、今日はクリスマスイブ。一年に一回の特別な夜ですもの。
 誰だって好きな人と一緒に居たいもの。あたしも・・・。
 あたしも?
 あれ?・・あたしは別に誰も・・・。
 そう思ったとき、心臓がまたドクンとなった。彼女は誰と一緒にイブを過ごしたいのかしら?
 ふうっと乱馬があたしに近寄ってきた。
「いいか・・・。何があっても、俺から離れるんじゃねえぞ・・・。」
 目が真剣だった。
「う・・・うん。」
 あたしはこくっと頷いて見せた。
 
 昇校口で靴に履き替えて、そして鞄を持って外へでた。
 冬の太陽が上からあたしたちを見下ろしている。
「ぼんやりするなっ!!」
 傍で声がする。乱馬だ。
 あたしはぎゅっと鞄を握り締めると、彼に付いて歩き出した。
「またなーっ!」「二人でデートか?」「いいわね・・・。」
 クラスメイトたちの言葉を軽く受け流しながら、校門へ。
 と、目の前にまた変な奴。
 女の子たちじゃなくって、今度は剣道着姿で木刀を持って現れた変な男。
「早乙女・・・。あかねくんを置いていって貰おうか・・・。」
 何こいつ。また可笑しな奴が。
「へっ!やだね・・・。九能先輩っ!」
 乱馬はポッケに手を突っ込んで言い放った。
「あかねくん・・・。そんな奴放っておいて、僕と楽しいクリスマスイブを過ごそうではないか?」
 剣道着の男は熱っぽい眼差しをあたしに向けてくる。この子じゃなくても気色の悪い視線だ。
「え、遠慮します。」
 あたしは小声だけどきっぱりと答えた。
「なんと奥ゆかしい・・・。あかねくんっ!クリスマスは僕たちのためにーっ!」
 何を血迷ったのか男は両手を広げてあたしに向かって突進してくる。
「きゃーっ!!」
 身体がすくんで目を瞑っていた。逃げ出すことも反撃もかなわない。
 
 どごん、と鈍い音がして、怖々目を開けると、剣道着男は空を飛んでいた。あたしの傍で乱馬が握り拳を振り上げていた。
「たく・・・。懲りねえ野郎だぜ・・・。」

「天道さあ・・・。おまえどっか具合でも悪いのか?」
「んだ、んだ。いつもなら鮮やかに九能先輩なんて打ち上げるのに・・・。」
 後ろのギャラリーの声がした。
(え?・・・。この子ってそんなに強いの?)
 きょとんとしていると
「たく・・・。世話が焼けるぜ・・・。気にすんな。帰るぞ・・・。」
 乱馬はぶっすとした表情であたしに言って、また先を歩き出した。

 校門から先は別天地。
 あたしは先を行く乱馬を急ぎ足で追いかけながら歩いた。
「とにかく・・・。約束の場所に三時だぜ・・・。練馬駅の改札。」
 乱馬は表情一つ変えないで、あたしにぼそぼそと話し掛けた。
(なんだか素っ気ない言い方。もう少し気の利いた言葉が使えないのかな・・・。)
 何か言い返してやろうかと彼を顧みたとき、いきなり何かが頭を掠めた。
「あぶねえっ!!」
 咄嗟に乱馬があたしを庇って覆い被さる。

 ストンっ!トストスッ!

 地面に何か突き刺さってる。
 何って覗き込もうとしたら、また乱馬があたしを抱え上げて飛んだ。

 今度はピシュッと目の前を何かが勢い良く通り過ぎた。

「いい加減にしろっ!危ねえじゃねえかっ!!」
 乱馬は思わず怒鳴りつける。

「乱馬、あかね庇うか?」
「天道あかねっ!今日は一段とお弱いですわね・・・。」
「力ずくでも乱ちゃんとのイブを奪ったる・・・。」

 出た。またあの変な三人組。
「だからってあかねを狙うことはねえだろっ!!」
 苛立つ彼の声が傍で聞こえる。
「何言うかっ!あかねも武道家なら正々堂々と乱馬のデート権巡って争うべきね。」
「そうやっ!無差別格闘流の跡取を歌ってるんやろ?」
「それとも、何ですか。あたしに敵わないと尻尾を巻いて逃げるおつもりで?」

「たく・・・。んなこと言ったって、今のあかねは力がねえんだっ!おめえらに敵うはずないじゃねーかっ!」

 傍で乱馬の囁くような独りごとが聴こえたような気がした。
「今何て・・・。」
 確認しようとする間もなく、次の攻撃があたしたちに飛んでくる。

「ちくしょーっ!しつこい奴らだ・・・。」
 乱馬はきっと三人を睨み上げると、あたしをひょいっと担ぎ上げた。
「たく・・・。この手だけは使いたくなかったが・・・。」
 そう言うと襲い来る三人へと向き直る。そして叫んだ。
「敵前っ!大逃亡っ!!」
 みるみる乱馬はあたしを抱えて走り出す。早い。後ろで三人が口々に叫んでいるのが聴こえた。
 どの位走ったのか。乱馬はひょいっとあたしを下ろした。彼は下ろした目で誰かと対峙している。

「良牙・・・。」
 彼の口がそう象った。
「あかねさんを放せ・・・。」
 良牙と言われた男がじっとあたしと乱馬を見比べている。只ならぬ男の気配。
 
 一体全体何なのよ・・・。
 あたし、今日は何人の人たちに襲われたか。今度は乱馬に敵愾心を抱く奴の登場なのね。

「ちぇっ!厄介な奴に会っちまったかな・・・。あかねっ!」
 乱馬はちらりとあたしを見た。
「あかねっ!先、帰れっ!家の場所はわかるな?」
「でも・・・。」
 あたしは乱馬に襲い掛かる黄色のバンダナ男を横目で眺めながら言った。
「いいからっ!こいつは俺が片付ける・・・。だから、さき帰って・・いいなっ!約束の場所へっ!!」
「おおっ!いい根性してるじゃねーか・・・。乱馬っ!爆砕点穴っ!」
 バンダナ男が人差し指を地面へ差し向けると、どっごっと鈍い音がしていきなり地割れた。砕け散る土くれ。
「乱馬っ!」
「バカッ!俺は大丈夫だから早く行けーッ!」

 二つの人の塊は、あたしの目の前でぶつかり続ける。
「わかったっ!先に帰るからっ!!」
 あたしはすごすごと乱馬の言うとおりにした。というのは、向こうから、さっきまいた筈の三人が駆けて来るのが見えたから。捕まるとまた、厄介事が起こりそうなそんな気がしたから。だから、乱馬の言うことに従った。

「もお・・・。なんでこうなるのよ・・・。」

 あたしは懸命に天道家へ向かって駆けながら、困惑を口に出していた。
 あたしたちの受難はまだまだ続きそう。


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(c)2003 Ichinose Keiko