ACT.3  おさげ髪の少女

 ようやくこの天道家の相関関係がわかったあたし。
 何故、パンダが居るのか、まだ良く分からないこともあったけれど、誰が住んでいてあかねとの関係はどうなのか、ざっとしたものは飲み込めた。
 だが、あたしが思っていた以上に、乱馬との関係は複雑だったようだ。
 後でもっとそれを思い知ることになるのだが、まだ出逢って数時間のあたしには彼とあかねの関係が「親が決めた許婚」という事実しか、理解できなかった。

 一家団欒の後、あたしはあかねの部屋へと入ってみた。
 そして最初にしたことは、日記を読むこと。
 なんとなくあたしは彼女がマメに日記をつけているような気がしたからだ。直感はあたっていた。少し彼女の心に抵抗されたような気もしたが、あたしはここ何週間かの日記をめくって、あかねの心理状態を確かめた。少しは彼女のこともわかっておかなければ、怪しまれる。そう思ったからだ。
 彼女の日記は一筋縄ではいかなかった。
 羅列された文章には「乱馬のバカ!」という短文が、殴り書き付けられた頁が思ったより多かった。おさげの少年の似顔絵と書き込まれた悪態。でも、彼女は本当に心からあの少年を愛しているということが、それだけでも十分過ぎるほど伝わってきた。
 日記を繰りながら、少し後ろめたい気持ちになったあたしは、ひと月も確認するとそれで日記を閉じた。彼女の切ない気持ちが嫌と言うほど伝わってくる。それ以上読むことは絶えられそうになかった。
 あたしは「恋」をしたことがなかった。
 いや、正確には憧れたことはある。
 病弱な身の上のあたしには、所詮、普通の恋はできなかった。
 中学生の頃、院内病院に居た、一人の痩身の少年に恋をした。彼は純なほど自分の夢をあたしに語って聞かせてくれた。彼と居るだけで楽しい気分になれた。彼は身体が治ったら、宇宙へ飛び上がるのが夢だとあたしに教えてくれた。だから、勉強だけは欠かしたくないと、良く、ベットで小難しい本を読んでいた。ビックバーンで始まった宇宙のこと、宇宙は膨張し続けていること、死んだ宇宙もあることなど、さも見てきたようにいろいろと教えてくれたものだ。
 だけど、あたしの恋は、それを認識する前に終わってしまった。
 そう、彼は、あたしより先に、空へと逝ってしまったから。
 泣いたっけ。何日も、何週間も。思えばあれが、後にも先にも「恋」という気持ちだたのかもしれない。
 日記を閉じると、無性に彼、乱馬に会いたくなった。
 同じ屋根の下、何処かにいるのだろう。別に気になった訳ではないが、興味はあった。
 あかねをこんなに苦しめてる彼は一体全体、どんな奴なのか。興味が湧いたから。
 道場の跡取というくらいだから、きっと強いのだろう。良く病室から見下ろした彼は、ひょいっとフェンスの上を走っていた。かなりのバランス感覚がないと、そんな芸当は出来ないはずだ。
 あたしは、家を探索がてら彼を探してみた。
 二階の階段の傍が彼の塒(ねぐら)のようだった。可笑しかったのはパンダがその隣で、あの和服美人のオバサンと同室だということ。顔立ちから乱馬の母親だということはすぐに分かった。それと、あかねの母も既に他界していることもわかった。
 さっき、「泊まって来てもいいからね・・・。」ととんでもないことを口走ったおじさんが、あかねの父親であることもわかった。随分さばけた父親だと思った。いくら親友の息子さんでも、そんなに信頼しているのか。彼は心からあかねと乱馬をくっつけてしまいたいらしい。
 かすみさんはあかねの一番上の姉で、のほほんのほほんとしている。それからさっき、したり顔で詮索を入れていたのが、すぐ上の姉のなびきだということもわかった。かなりのやり手で、お金には汚いらしい。夕食後、乱馬に何か耳打ちしてお金を巻き上げていたような気がした。
 爺さんは八宝斎といって。かなりの高齢で、あかねの父や乱馬の師ということだったが、スケベだということもわかった。何度すれ違いざまにスカートをめくられたことか。夕食後は散歩とか言って、風呂敷袋を持って出かけて行ってしまった。

 肝心な乱馬は?
 あたしは彼の気配を求めたが、家には見あたらなかった。
 この家は広い。こんな都会の真ん中に、贅沢だと思えるほど広い。道場付きの家屋など、東京広しといえども、そう沢山数はないだろう。
 道場にでも篭っているのかと、あたしは渡り廊下を渡って、道場へと行ってみた。
 道場からは明かりが漏れていた。
 中を覗くと、誰かが懸命に稽古していうのが伺えた。
「乱馬?」
 あたしはそっと覗いてみた。
 乱馬ではなかった。乱馬と同じおさげをした少女がそこに居て、汗を流していた。
「あかねか?」
 彼女はあたしに声をかけてきた。
「あなたは?」
 あたしはつい、そう聴き返してしまった。
「おめえ・・・。」
 そう吐き出すと、彼女はあたしをじっと見返した。鋭い眼光があたしの上を横切る。
 しまったと思った。冷や汗がどっと流れ出す。彼女は霊が見えるのかもしれない。
「おめえ・・・。誰だ?あかねじゃねえだろ・・・。」
 彼女はきっとあたしを見た。返答の仕方如何では除霊も厭わないぞというような顔つきだった。きっと霊能者に違いない。
 あたしは観念した。
「あなた・・・。あたしが見えるの?」
 静かに象った。
「ああ・・・。気配感じた。おめえ、あかねの形してるが、あかねじゃねえ・・・。ずっと感じてたけど、やっぱりそうだったか。」
 彼女はあたしの間合いに入ってきた。そしてぐっとあたしの襟元を掴んだ。
「でやっ!!」
「え?」
 いきなりあたしは彼女に投げ飛ばされた。いや、天井へ向けて投げつけられた。
「きゃーっ!」
 あたしは叫んだ。当たり前だ。何処の世界に、いきなり少女を投げ飛ばす霊能者がいるというのだろうか。あたしは、落下する身体を感じながら目を閉じた。心ならずも、媒体の身体を傷つけてしまうことになるのか。そんなことを落ちながら考えた。
 と、がっと彼女はあたしを抱えた。少女のそれとは思えないほどの強い力を感じた。
「そっか・・・。おめえ、武道やってねえか・・・。」
 あたしを抱えて受け身を取ると、さらりと彼女は言い放った。
「は?」
 あたしは彼女を見た。
「あかねなら、あれくらい、瞬時にかわすさ。それに・・・よしんば投げつけられても簡単に受け身を取って着地する。だけど・・・。おめえは、出来なかった・・・。さあ、言え。あかねはどうした?なんでおめえはここに来たっ!!」
 普通の神経感覚なら、そこまで問い詰める事は出来ないはずだ。やっぱり彼女は霊能者なのだとあたしは観念した。
「実は・・・。あたし、あかねさんの身体を借りています。今日の夕方、死んだばかりの十六歳の少女です。」
 と。
 彼女はあたしの話を真剣に聞いてくれた。
 奇しくも同じ名前のこと、死んだらいきなり浮かんでいたこと、死神に一日だけ媒体へ乗り移ることを許されたこと、決してあかねに害をなそうとしているのではないこと、念願だったデニーランドへどうしても行ってみたいことなどなど。かいつまみながらも必死で話した。
 大抵の人間なら、こんな作り話みたいなこと信じる訳はないだろうが、彼女は違った。
「じゃあ、明日の夕方までは、あかねの身体に憑依してるってわけか・・・。厄介だな・・・。そりゃ。」
 溜息混じりに少女はあたしを見詰めた。
「おめえ・・・。入院生活が長かったんなら、やっぱ、身のこなしは最悪だな・・・。」
 独りごとのように吐き出す。
「あたりまえよ・・・。それがどうかした?」
 あたしが切り返すと
「いや・・・ま、いい。俺がしっかりしてりゃいいだけのことだから・・・。」
 と聴こえた。
 「俺」だの「おめえ」だのなんて男勝りな言葉を使うのかとあたしは怪訝に思いながらも
「お願い・・・。せめて、規定の時間までは、あたしをあかねの中に留めておいて。霊能力で追い出さないで。除霊しないで・・・。」
 そう願うしか術がなかった。
「おい、おめえ、本当に明日の夕方には、あかねから抜けて天界へ帰るんだろうな?」
 彼女は念を押した。
「ええ・・・死神はそう言ってた。二十四時間たてば、迎えに来るって。」
 あたしはこくんと頷いた。ここは見逃してもらいたい。そう思って嘘は少しもつかなかった。
「ま、俺は除霊のやり方なんてしらねえからな・・・。信じるしかねえか・・・。たく・・・。あかねの奴も修業が足りねえぜ。簡単に浮遊霊に乗っ取られるなんてよ・・・。」
「じゃあ、見逃してくれるのね?」
 あたしはほっとして彼女を見た。
「しゃあねーだろ・・・。それしかよっ!」
 ちょっと怒ったように彼女は顔をしかめた。
「ありがとうっ!!」
 あたしは思わす彼女の手を取った。
「わたっ!いきなり手を握るんじゃねえっ!!」
 彼女は焦ってみせた。顔がみるみる真っ赤になっていった。
 恥かしがり屋の少女だとあたしはそれ以上のことは何も思わなかった。
 だから
「乱馬くんには内緒にしておいて・・・。なんだか後ろめたくって・・・。彼女、きっと乱馬くんが好きなのよ・・・。あたし以上にデニーランドへは彼と行きたいって思ってる筈だから。」
 などと見当違いのことを口走ってしまった。
 だって、まさか、彼女が乱馬と同一人物だなんて、想像もつかなかったからだ。
 それに彼女はこくんとうな垂れてくれたからだ。


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