ふわり

ACT.1 物語りのはじまり・・・

 あたし、茜。
 享年十六歳・・・。あたし、たった今、この病院で短い生涯を閉じた。
 運命だった。
 生まれたときからあたしは心臓に大きな欠陥があって、ここまで生きてこられたのが不思議なくらいだって皆が囁いてた。小さな子供の頃から、ずっと白い壁の中で過ごして来た。
 本当だったら、元気に今頃、高校生をやっていた筈。でも、悲しいかな、殆どそんな普通の学生生活も送れなかった。院内の小学校で算数や国語を習い、ある程度の勉強はしていた。でも、あたしは外の世界の広さを知らない。知っていてもそれはテレビジョンを通しての世界。
 遊園地も映画館もアウトレットもみんな、箱の中の絵空事。
 自分の家にだって、本当に年に数回、外泊させて貰えるだけ。
 勿論、涙は見せたことがなかった。
 お母さんやお父さんが悲しむから。
 自分でも置かれた境地はちゃんと理解していた。
 こんなか弱い身体でも、かかる医療費は莫大なことも、うすうすわかってた。
 あたしが自由になれるのは、病室の中で貪る睡眠と空を眺めて空想する世界のその二つだけだった。夢の中では五体満足な生活を送っているあたし。行ったことのない学校で会ったことのない友だちと、そしてやったこともないスポーツに興じる。夢の中のあたしは自由で闊達で・・・。
 目覚めるといつも白い天井。

 病室の窓からは、近くの高校へ通う生徒たちが良く見えた。
 あたしも元気なら、健常ならあの中に居て、面白おかしく学園生活を送っていたろうに・・・。
 窓から見える高校生達は、黒い学生服の男子に濃い青色のジャンバースカートの女子。学生鞄を手に、毎日あたしの病室の下を通る。
 その中に、何時の頃からだろうか、一組のカップルが目に浮かぶようになっていた。
 転校生なのだろう。一人は学生服ではなくてチャイナ服を着ていた。おさげ髪の闊達な男の子。顔は遠くてよく見えなかったけれど、運動神経は抜群なようで、いつも傍らの住宅の塀の上へ上がってひょいっと駆け上がる。バランス感覚も良くって、危なげではなく、当たり前のように駆け抜ける。
 その傍をいつも寄り添うように見上げながら一緒に登下校している女の子も良くあたしの目に焼きついていた。ショートヘヤーの女の子。学生鞄を振り回してチャイナ服の男の子を追いかけていることもある。
 恋人同士なのか、それとも只の同級生なのか。名前も顔も良く知らない二人だったけれど、あたしはいつも心惹かれるように彼らが通り過ぎるのを飽くなく病室から見下ろしていたものだ。

 あたしの死は予めわかっていたことだった。
 どんなに養生しても、治る見込みのない先天的な病気。誰のせいでもない。
 日増しに弱るあたしを見て、きっと両親は張り裂けんばかりの悲しみに襲われていたかもしれない。もちろん、あたしだってこのまま広い世界を何も知らずに旅立つのは悔しかった。
 あたしのボロボロになった心臓がその動きを止めたとき、いつも聞きなれた主治医が、見守っていた家族に、心痛に告げた一言。
「ご臨終です・・・。」
 涙声が病室に溢れて、目の前が真っ暗になって、それから・・・。
 それから、気がつくとあたしはぽっかりと病室に浮き上がっていた。
 周りの人々はあたしが浮き上がって、泣いてる人たちを見回しているのが見えないらしい。

(そっか・・・。あたし・・・。死んじゃったんだ。)

 頭でそんなことをぼんやりと考えた。
 父に縋るように泣いている母親と、口をへの字にした弟と。結局、一度だってこの弟のサッカーの試合は見にいけなかったんだっけ。弱かったあたしとは正反対に健康でスポーツマンだったこの三つ年下の弟は、いつも真っ暗になるまで丸いボールを追いかけているという。絶対Jリーガーになってやるから姉ちゃんも頑張れって、にっと笑うのが彼の日課のようになっていたっけ。
 お世話になった看護婦さんもあたしへ別れを言いに来たのか、皆泣いている。
 院内学園の友達もいっぱい。
 治って帰って行く子も居れば、あたしみたいに力尽きてしまう子たちもいる。あたしも何人の友人をこうやって見送っただろう。

 ぼんやりと見慣れた皆を見ながらあたしはそこで浮いていた。

 と、傍で、何か気配を感じた。
 ゆっくりと振り返ると、その子はあたしに向かってにっこりと笑った。
 その子はあたしよりずっと小さくて、見慣れない格好をしていた。どんな格好だというと、小さいくせに黒いスーツなんか着用している。白いカッターシャツに赤い蝶ネクタイ。そして片目が黒いサングラスに山高帽。そして木のステッキなんかを持っていた。見るからに何か妖しい男の子だった。

「どうも・・・。死人(しびと)4970161215番さん。」
 あたしはきょとんとそいつを見上げた。
「何それ?」
「私は死神銀次郎です。」
 そいつはそういうとにっと笑った。
「死神銀次郎?」
 なんてふざけた名前なのだろうかとあたしはそいつを見返した。
「そうです・・・。死人を天へ導く、死者の使者みたいなもんです。」
 そいつは丁寧に言い返す。
「死者の使者の銀次郎さんは、あたしを連れに来たっていうわけね・・・。」
 何もかも承知してあたしはその子へ言葉を投げた。
「うーん。正確に言うとそうなんですが・・・。他にも用事ができまして、こうやてじきじきに・・・。」
「他にも用事?」
 あたしは思わず聞き返した。
「ええ。本来、死神が死人をこうやって迎えに来るなんてことは殆どないんです。特別な場合を除いては・・・。」
 彼は意味深に言葉を投げかけてくる。
「特別な場合ねえ・・・。じゃあ、なんで、死神さんはあたしの目の前に居るの?」
 あたしは好奇心がむくむくと起き上がってくるのを抑えきれないで彼を見返した。
「問題はそれでして・・・。」
 死神はそう言うと、やおら山高帽を取ってお辞儀した。
「おめでとうございます。死人4970161215番さん。」
「4970161215番さん・・・って、何?あたしのこと?あたしには茜っていう名前があるんだけど・・・。」
 長ったらしい番号の羅列にあたしは思わず言葉を投げた。
「我々は死人を認識番号で呼んでいます。もう、あなたのこの世での生活は一応区切がついていますから、俗称は使わないんですよ・・・。4970161215番さん。」
「あ・・そう・・・。」
 それから死神は続けた。
「あなたは、この度、一日憑依を許されました。だから、その手続きをしにこうして担当死神の私、銀次郎がじきじきに下界へ降りて来た訳です。」
 なんだか良く分からない話だった。
「これから一日だけ、あなたは好きな人に乗り移って、人間界をもう一日だけ堪能できるんですよ。家族に乗り移るも良し、友人に乗り移るもよし、もちろん赤の他人に乗り移るも良し。さあ、どなたに乗り移って、一日を楽しまれますか?」
 考えたら可笑しな話だ。でも、なんだかあたしはわくわくしてきた。
「ねえ、乗り移ったら、その人になりきるの?」
「まあ・・・端的に言えばそうですね。身体を器として借りて、あなたの五感で一日だけ人間界へ残留できます。遣り残したことや、会いたい人がいれば、有意義に使えるって仕組みです。」
 死神銀次郎はあたしに説明してくれた。
「悪い話じゃないわね・・・。でも、なんであたしに?」
「たまたまあなたが死人のキリ番で亡くなられたからですよ。」
「死人のキリ番?」
「ええ・・・。百万単位でキリのいい死人になられたときに、そういう権利が巡ってくるようにできているんです。」
「百万単位ねえ・・・。」
「ええ・・・。たまたまあなたがそれをゲットされたんですね・・・。なんてラッキーな方なんだ。

 死神銀次郎はあたしを見て笑った。
 確かに悪い話じゃない。在命していた頃のあたしは、殆ど、病院以外の世界は知らない。たった一日でも、自由に出歩けて、楽しく過ごせたら・・・。思い残す事もなく、すっきりと成仏できるというものだ。
「どうしますか?別に強制って訳じゃないから、拒否権もあなたにはあるってものです。権利を拒否されるなら、この健忘薬をあなたに振り掛けて、今までの一部始終の記憶を全部白紙にフォーマットして、すぐにでも天国へお連れ致しますが?」
 死神銀次郎はさあどうしますというようにあたしを眺めた。
「うん・・・。わかったわ。喜んでその権利を使わせてもらうわ。」
 あたしは二つ返事でその申し入れを受けることにした。

 だって、そんな美味しい権利、拒否するのももったいないじゃない。だから・・・。

「じゃあ、早速、あなたの身体を受け入れてくれる媒体を捜しましょう。言っておきますが、一日、そう二十四時間だけのおまけですからね・・・。」
 死神はあたしをみてにこっと笑った。
 二十四時間だろうと、それはあたしには極上の時間になるに違いない。
「老婆心ながら申し上げておきますが、できれば、年恰好の同じくらいの同姓のお方をお選びになられた方がよろしいですよ。あまりにもかけ離れた媒体を選ばれると、二十四時間、有意義に過ごせないでがっかりしてお戻りの方もいらっしゃいますからね・・・。」
 
 あたしは死神銀次郎を伴って、病室を出た。
 辺りはすっかり暗くなっていた。
「何時くらいかな・・・?」
 あたしは正面の街灯モニターの時計を見た。
「20:18」
 大きな液晶板にはそう数字が点灯していた。街はクリスマスシーズンで、綺麗にイルミネーションが点灯している。あたしはわくわくを抑えられなかった。クリスマスに街を闊歩できるなんて。他人の身体でもなんでもそれは魅力的に違いない。
 ふわりと空を漂いながら、あたしはターゲットを求めてきょろきょろと辺りを見回した。

 と、あたしの視界に、見覚えのある赤いチャイナ服のおさげの男の子が入ってきた。
「おいっ!ちょっと待てよっ!」
 おさげの男の子は前を行く女の子に怒鳴っていた。その子にも見覚えがある。いつも病院の先の風林館高校へ一緒に登下校しているショートヘヤーの女の子だった。
「あかねっ!!あかねったらっ!!」
 彼が叫んでいた。
(あかね?あたしと同じ名前なんだ・・・。あの子・・・。)
 なんだかあたしは嬉しくなった。
「決めたわっ!あの子。あの子の身体を一日借りるっ!!」
 あたし死神銀次郎へ叫んでいた。だって、面白そうじゃない。それに、あの二人の関係がなんなのか、前からちょっと興味があった。恋人?それとも兄妹?おさげの男の子も近くで見たのは初めてだけど、結構いかしているじゃない。
「わかりました・・・。じゃあ、あのショートヘヤーの子ですね・・・。えっと・・・。」
 そう言うと彼は懐からなにやら機械みたいなのを取り出した。 
「シリアルナンバー・・・4970179235番・・・天道あかね、十七歳・・ですね。」
「天道あかね・・・。十七歳・・・。一つ年上だけど、そんなに変わらないわね・・・。いいわ。彼女でっ!」
「では、二十四時間ですからね・・・。ハラリレハラリロヘロロンパッ!!」
 昔の魔法使いアニメではないけれど、彼は持っていたステッキをあたしに向かってふわりと一振り下ろした。虹色の光がさあっとそのステッキから流れ出して、あたしはみるみる光に包まれる。
 そして、一気に彼女の中へ・・・。そう、彼女の意識と身体と完全に一体化する。
(彼女の本当の意識はあなたの下へと沈みます・・・。いくつかアドバイスしておきますね。一つ目は、決して彼女を悲しませるようなことはしないでくださいよ。二十四時間のあなたの行い如何では、次に生まれる世界に影響することは確かですから。今度の世が幸せになりたければ、彼女に少しでも幸せな気分を味あわせてあげてくださいよ・・・あなたは、悪霊ではないんですからね・・・。それから二つ目。霊感が強い人が居たら、あなたが彼女に取り憑いているのがわかるかもしれません。まあ、滅多にいないでしょうが。悪霊払いされないように、ちゃんと用心してくださいよ。見える相手に接した時は誠心誠意、尽くさないと、中途半端に追い出されたら、今度はあなたが路頭に迷う事になりかねませんからね・・・。さて、三つ目は明日の今頃、再び私はあなたをお迎えに来ますが、その時は媒体から抜けることを拒否しないでくださいよ。拒否などしたら、地獄へ送り込まれるかも。そうなったらどうなっても知りませんからね・・・。)
 銀次郎の声があたしの耳元で囁かれた。
 わかってるわ・・・。決して無理はしない。あたしは、自分が持てなかった楽しい時間を、彼女からちょっとだけ分けて貰えればそれでいい・・・。
 そう心で囁き返すと、あたしは、4970179235番の少女、天道あかねへと同化憑依していった。


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(c)2003 Ichinose Keiko