一、
天上から溢れる瑠璃色の光。
時々泡立つ波間の中を、俺はゆっくりと身体を伸縮させながら漂っていた。
俺はイソギンチャク。花虫類イソギンチャク目腔腸動物。んな名前がつけられている。一言にイソギンチャクと言っても、多種雑多な種類が居て、その正確な種族の数は未だ把握されていないんだそうだ。ざっと二百種類はくだらないだろうなんて言われてるらしい。
まあ、んなこたあ、どうだっていい。
俺は、浅瀬よりも少し深めの海洋を好む種族だ。
俺たちの仲間は春先から夏にかけて、海温が上昇し始める頃、繁殖を行ってる。
一口に「繁殖」ってったって、俺たちの仲間はいろいろなタイプの繁殖方法があるんだぜ。一応雌雄両方の個体があるから、有性生殖をするんだが、中には雌雄同体で有性生殖って濃い繁殖を促す奴も居る。それから、アメーバーみたいに分裂して増える無性生殖をする奴も居る。
あ、俺か?俺は有性生殖をする個別タイプだ。ちゃんと精子だってたくさん持ってる元気な若者ってわけ。
生まれ育った海域を出て、こうやって彷徨いながら、落ち着き場所と伴侶を探してる。
何?イソギンチャクは岩場に張り付いて動かないんじゃないかって?
確かにそう言う種族も居るだろうが、自分のお気に入りの場所を求めて泳ぐことだってあるんだ。俺は結構スピーディーに動けるぜ。
とにかく、俺は穏やかな春先の海の中を、自分のショバと相手を探しながら漂っていた。
この辺りの海は大陸棚が広がっていて、エサになる小魚も豊富だ。俺は体中を目にして、少しでも好い場所を探していた。
と、海の底がきらきらと光っているのが見えた。
興味を引かれた俺は、さあっと触手を伸ばしてそっちの方へと身体を手向ける。
太陽の光が微かに届く海底に、岩場が見えた。その脇には朽ちかけたボートが沈んでいる。この前の嵐でどっかの海岸から漂ってきたのが沈んだんだろう。
俺はその脇で触手を広げてる彼女に出逢った。
茜色に輝く綺麗な身体。そして、そこからゆらゆらと伸ばされる触手の美しさ。思わず見惚れちまったね。
身体の大きさも俺より少し小さいくらい。まだ若い。もしかしたら生殖の経験もないかもしれない。野性の本能でそう思った。
「よ、よう。」
俺は上から声をかけてみた。
と、そいつ、ツンと澄まして、俺のことを無視した。あんたなんかおよびじゃないわよって態度だな。
目を凝らして周りを見ると、顧客は俺だけじゃねえことがわかった。周りにうじゃうじゃとオスがたむろしてやがる。その中の一人が新参者の俺にガンを飛ばしてきやがった。
「あかねは俺が狙ってる女だぜ!」
とな。見るからに横柄そうな嫌な野郎だ。俺の数倍の身体がある。
へえ、このメス、あかねって名前がついてるのか。
一人納得してみせる。奴の遠吠えなんて耳には入らねーが、あかねって名前だけはしっかりと頭に焼き付けた。
と、俺の脇を数対のオスが近寄ってきた。
「あかねは親分が求愛中なんだぜ。」
「そうだ、そうだ。貴様が声をかけるなんて数年早いや。」
「小僧っ子め!」
最初に俺にガンを飛ばした奴の腰巾着どもがうようよとたむろしている。
どうやらこの腰巾着ども、この「親分」があかねを誘った後の「おこぼれ生殖」でも狙ってやがるな。
「あたしはあんたたちと身体をあわせる気なんてさらさらないわ。とっととどっかへ行ってちょうだいな!」
凛とした声が下から響いてきた。
あかねだった。
へえ、声もなかなか可愛いじゃん。それより、その気の強さ。なかなかいいねえ。自分よりでかいオスなんて我感ぜずで己の意思をはっきり言えるんだ。
いや、俺がこれまで見てきたところだと、メスは大概、ねじ伏せられたら、オスの言いなりに生殖させられてしまうもんなんだけどな。こいつ、意にそぐわない相手は最初(はな)っから拒否してやがる。
いい度胸してるぜ。
だが、こいつら、血走った生殖前のオスたちだぜ。そんな強い言葉一つだけで「はいそうですか。」って引き下がる奴らでもなかろう。
何となく「あかね」に興味が湧いちまった俺は、「親分」の子分が俺に忠告したことなど気にも留めずに下の方へ泳いで行った。
「こいつ、俺たちとやりあおうってえのか?」
「命知らずの若造めっ!」
わちゃわちゃとうるせーってんだ。
「丁度、身体が鈍(なま)ってたんだ。そいつ血祭りに上げてからでもいいな。」
にやにやと「親分」が俺を見下ろした。
けっ!下衆な野郎だぜ。ま、丁度良いや。俺だって鈍ってたんだ。存分に相手してやらあっ!。
そいつらは一斉に俺に向かって襲い掛かってきやがった。多勢に無勢を気取ってるんだろうな。
俺たちの仲間は俗に「刺胞動物門」とも呼ばれている。クラゲやヒドラと同じように「刺胞(しほう)」と呼ばれる強力な武器を身体に仕込んでるんだ。これをひょいっと伸ばして、餌や外敵に毒を浴びせかける。
そいつら、刺胞をここぞとばかりに俺に伸ばしてきやがった。
でも、見え見えっだてんだ。俺には動きも恐ろしくトロく感じるぜ。
ひょいひょいっと身体を交わしながら、触手攻撃。
へへ、俺の触手拳はそんじょそこ等の奴らにはかわせねえんだ。刺胞なんて勿体無くって使えるかい。
奴らを次々と触手拳だけで倒して行く。
「うぐ!」
「こ、こいつ強えっ!!」
そう言い残す奴らを容赦なく、海中へと放り投げてやる。
「畜生!てめえーっ!」
親分が俺を睨みつける。そして、さあっと見事な刺胞を差し向けやがった。
けっ!んなもん、俺にかかれば、ただのヘナチョコ武器だっ!
傍をのされて浮いていた奴の子分を一個体、ひょいっと触手で摘み上げると、俺はそのおおっきな図体目掛けて投げ飛ばしてやった。
スブッ!
親分と子分。二つの個体が鈍い音と共にぶつかり合った。
「うげえええ!」
親分は猛烈な悲鳴をあげた。バッカ、それみたことか。刺胞を無用心に伸ばすからだ。
へへ、子分がぶつかった弾みに親分は己の刺胞を思いっきり自分の体内に突き立てやがったんだ。
目を白黒させながら、波間に一目散に逃げていきやがった。
「ふう…。」
俺は思わせぶりに溜息を一つ吐いて、ゆらゆらと静かにあかねの近くに降り立った。ざらっとした砂が俺の重みで少しだけ跳ね上がる。
どんなもんだい。
俺はにっと笑って、横で触手を広げているあかねを見やった。
でも、あかねは、気を収めるどころか、じっと睨みつけるように俺を見やがった。
何なんだ?その目は。助けてやったんだろうが。
あかねは明らかに敵意を俺に剥き出してやがる。
触手をゆらゆらと漂わせながらも、隠し持った刺胞をこっちへ差し向けるタイミングなんか計ってるんだろう。
ははーん、こいつ、俺もさっきの連中と同じように、生殖を狙って襲いかかろうとしてるって思って牽制してやがんな。
そりゃあ、この後一気に恋仲に、なんて下心が全くなかったわけじゃねーけどよ。そうあからさまに、敵意を剥き出しにするなって。可愛いのが台無しだぜ。
「そんなに身構えるなよ。おめえ、あかねってのか?好い名前だな。」
我ながら臭い台詞を彼女に投げかけてみる。
彼女はシカトを決めやがったのか、ただ昂然と俺を睨み付けたまんま。
ちぇっ、嫌われちまったもんだな。
へへ、だけど、こういう毅然とした態度は男(オス)をそそるものがあるってーのを知らねーな。
まあ、俺は紳士だから、有無言わせず、乗っかろうなんて思ってねえけどよ。
「俺は乱馬だ。よろしくな。」
それだけ告げると、俺は触手を漂ってくる小魚たちに差し向けた。ずっと泳いでたからな。ここいらで栄養補給もしとかねえとな。
海も穏やかだし、餌も豊富そうだし。落ち着くには好い場所かもしれねえ。
俺は足盤を岩に押し付けてそこへ腰を落ち着けた。
二、
俺がここへ陣取ってから数日。
彼女の近くに腰を下ろして、ますます興味を持っちまったさ。
あかねは話しかけても、一切口を利いてこなかった。気の強さもここまでいったら凄えな。
それに、あかねの傍は決して「平和」ではなかった。あいつ、綺麗な身体つきしてるから目立つんだ。どこからともなく「オス」が現れては求愛を繰り返していきやがる。
あかねの奴、あの気の強さだ。俺だけにその気の強さを示してるんじゃねえ。言い寄って来る「オス」に対して、あかねは尽くツンケンドンを貫き通しやがる。もしかして、女(メス)に産まれきたことを疎(うと)んでやがるのか。
俺はいつも彼女をオスから助けてやったわけじゃねえんだ。
いや、こいつ、気だけじゃなくて、個体としても結構強いんだ。
並のオスならば、刺胞なんて使わず触手攻撃で簡単にのしあげちまう。なかなか見事な身のこなしだぜ。
ふらふらと近寄ろうものなら、一撃必殺。
そんな彼女の強さを傍目に楽しむのも面白かった。
だが、所詮はメスだからな。強いオスには叶わない。
絡んで来たオスを倒せないで、生殖させられそうになると、さっと出て行って俺が代わりにオスをのしあげちまうってわけ。
何だか俺ってこいつのお守り番みてえだな。
「余計なことしないでよっ!」
あかねは俺がオスを仕留めると、いつもそう吐き出しやがる。
こら、おめえは礼の一つも言えねーのか?
あのままほっといたら、おまえ生殖させられてたぜ。上からのっかられてよう、身体を刺激されまくって卵放出させられて。
はあ、もしかして、俺、こいつに本気で惚れちまったかもしれねえな。何言われても、ここを動いてなんかやるもんか。他のオスに生殖させてたまるかってんだ。
絶対、俺がいいって言わせてやるんだ。
だんだん俺は意固地になっていた。
あかねはそれだけ夢中にさせる、美しい花だったからな。その気の強さも気高さも、俺には心地良かった。
うん、絶対、俺だけのものにしてやる!
俺は密かに闘志に燃えた。
言っとくが、俺だってモテないわけじゃねーんだぞ。自分で言うのも何だが、イソギンチャクのオスとしてはかなり良い男っぷりなんだぜ。
ここに流れてくる前にだって、現に…。まあ、それはいい。ここで自慢したって始まらねー。
俺があかねの傍に落ち着いて数日後のある晴れた日のことだった。
メスが大挙として押し寄せて泳いでやがった。
今は俺たちの種族の繁殖期だ。必死になってるのはオスばかりじゃねえってわけ。
メスだって少しでも優勢なオスの遺伝子が欲しいんだ。種族を維持するために。それが自然界の当然の流れってもんだ。
メスの群の中に一際目立つ奴が居た。
身体も大きくて、ゆらゆらと美しい触手を海中に光り輝かせながら泳いでいた。
ははは。俺もオスとしては目立つ美しさを持ってるからな。
フェロモンぶりぶりで女どもを悩殺…ってわけでもねえんだが、落ち着いた場所からふらふらと見上げていたら、そのメスたちの群れの中の一匹と目があったんだ。
群は俺の上あたりで静止した。
そして、天から降り注ぐようにそいつは俺の前に降りてきやがった。
「良い男ね。」
そいつは癖のある言葉を俺の方に投げつけてきやがる。あかねとは違う紅色の妖しい輝きを秘めてやがるそいつ。男を惑わせる色気は十分にある。
「私はシャンプー。おまえ、名前何と言うあるか?」
そいつは俺に興味を惹かれたようで、話しかけてきやがった。
「乱馬だよ。」
別に興味を持ったわけじゃねえけど、つい名前を答えちまったんだ。
と、上からひそひそ声。
『ねえねえ、答えた。』
『名前を言ったわ。あの殿方。』
すると、シャンプーが嬉しそうに俺の上を舞い踊るようにその場で触手を動かした。ひらひらと触手が海中をなぞるように動いた。
「乱馬か。ふふっ、名前、答えてくれたね。」
にっこり笑いかけてきやがった。
あん?
問い返す間もなく、そいつは俺の傍に着岸した。
お、おい、こら。引っ付くな。
シャンプーは長い触手を俺の方に伸ばしてくる。明らかに求愛行為だ。思わせぶりにしなやかに傍で動き回る。
「お、おい。何のつもりだ?」
焦った俺。求愛したつもりなんてねえぞ。
そんな俺にシャンプーは平然と答えた。
「私たちの種族、求愛するとき、名前を言い合う。名前問うて答える、これ求愛快諾の意志があること表すね。」
な、なんだってえええっ?
びびりまくる俺に、シャンプーは構わず身をくねらせてくる。なかなか色っぽい肢体、…いや、そうじゃなくってえ…。
「乱馬、私の問い掛けに名前答えてくれた。これで夫婦の約の成立ね。乱馬は私の婿殿。」
シャンプーの奴は一人悦に入ってやがる。
じ、冗談じゃねえーぞ。俺はおまえと連れ添う気なんて毛頭ねえ。
そのときだ。俺が怒気を感じたのは。
ふっと手向けると、あかねの奴が物凄い形相でこっちを睨みつけてやがる。
おい、あかね。おめえ、俺には全然興味がなかったんじゃねーのか?
「何ね、この女は。」
シャンプーはその視線が気に食わなかったのだろう。当然の如く、あかねにがっつきやがった。
俺の傍をすうっと離れてあかねの方へと泳いでゆく。
「おまえ、乱馬とどういう関係か?もしかして夫婦の関係持ちたいと思ってるか?」
やべえ、シャンプーの奴、刺胞を触手の下からちらつかせてやがる。あかねを襲う気か?
「だったらどうだってのよっ!」
あかねはシャンプーの奴を一瞥した。
「ふうん…。」
シャンプーは明らかに敵意を剥き出しにしてあかねの周りをぐるぐると漂い始めた。
「シャンプー姐御、がんばるね。」
「そんなメス蹴散らすね。」
その上には彼女のとりまきのメスたちがやんややんやとはやし立てている。
俺には何となくわかったさ。このシャンプーってメス、相当強いぞ。このアマゾネス軍団を率いてやがるだけはある。
あかねが強いのも何となくわかるけれど、やりあったら互いに無事じゃあいられないだろう。それに、シャンプーには己の子分たちが居る。圧倒的にあかねの方が不利なんじゃねーのか。
案の定、二人のメスは互いに譲らないわよと言わんばかりに睨みあっていた。いつでも飛び掛って、その刺胞を振りかざしてやるわって両者ともに言いたげだ。
俺の視線など、気にならないのか、二人はゆらゆらと美しい触手を精一杯広げて、互いを牽制しあった。まずは、どちらがメスとして優秀な身体を誇るのかを見せびらかす。
そうやって目の前のオスの気を引こうとするのだ。俺たち種族の本能から来る行動だった。
おいおい、俺を奪い合うために闘ってくれるのは嬉しいけど…ってそんなことを考えてる場合じゃねえ。
止めなきゃ。
「待ったっ!!」
俺は二人のにらみ合う間合いに入った。
「止める、これ良くない。私たちメス、種族のために子孫残す。それが最大使命ね。だからライバル倒す。これ自然の条理。」
シャンプーが激しい言葉を投げつける。
「女同士の闘いに、男は口を挟まないでっ!!」
「それとも何か、乱馬、どっちと生殖するか選べるのか?」
シャンプーがどぎつい視線を浴びせかけてきやがった。もし、俺がここであかねを選んだら、こいつ、後ろに控えている自分の軍団をけしかけて、俺もろとも襲い掛かってくるだろう。そんな激しさを彼女も持ち合わせている。
メスどもを蹴散らすくらいの力は俺は持ってる。
だけど…。
その時点で俺は気が付いていたんだ。
何をって?
あかねが「動けない」ということを、だよ。
ここへ俺が足盤を下ろしてから数日間、あかねは全く動こうとはしなかった。いや、動きたくても動けなかったんだ。
あかねの傍には朽ちかけたボートの胴体。そうなんだ、きっとこの前の春の嵐のときに、ボートがあかねの上に覆いかぶさって来たのだろう。
良く目を凝らして見ると、あかねの足盤はしっかりとボートの金具で固定されてる。
だから、オスどもの嫌な求愛に、ここを逃げ出したくても逃げ出せなくってじっとしてたんだ。
俺たちの種族の中には、最初から根を下ろして、動かない奴も居る。だから、動けなくても生きて行くのには何ら支障はない。でも、やっぱり動けねえよりは動けた方が良いに決まってる。外敵から身を守るためにな。
最初に出会って、すぐさま彼女が動けないことが俺にはわかったんだ。だから、俺も彼女の傍に腰を下ろして、求愛してくるオスどもを追っ払っててたってわけ。
今、あかねは自在に動けるシャンプーというメスと対峙している。力が互角であれば、この場合、動けないあかねの方が圧倒的に不利だ。俺だって動けない彼女をかばった上で、このアマゾネス軍団たちの攻撃を完璧にかわせるかどうか。そこまでは自信がなかった。
「どちらを選べるかわからないなら、そこで決着を見るよろし。そして乱馬は勝った方と生殖するねっ!」
シャンプーはじりじりとあかねに間合いを詰めながら言い放った。
海の底に微かに届く太陽の光が、この勝気なメスたちの上を、ゆらゆらと照らしつける。
畜生。俺の心はとっくに決まってんだ。
あかねの方がいいんだ。だけどそれをはっきりと口にして、彼女を助けられるか。
二匹のメスたちは触手の下から刺胞をちらつかせながら、互いの隙をうかがっていく。
もし、ここでシャンプーの奴があかねが動けないという事実に気がついたならば…。
ぐずぐずしている暇はねえ。やっぱりはっきり宣言してやるしか方法はねえか。
俺の心は決まった。
「わかった。ここではっきりと言ってやる。俺は…。」
ゆっくりと息を吸い込んで、睨み合っているあかねとシャンプーの前に立ちはだかった。
つづく
あっはっは。
たかがイソギンチャクに何、ページ使いまくってるんでしょうか?
続きます。後編へ。
よっし、気合入れるぞという方はこちらから。
いらんわいという方は窓を閉じて引き返してね。
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