◇DAYS OF NIGHTMARE 7
柳井桐竹さま作


――シャンプー、お主では婿殿は救えん・・・

――どうしてね!?乱馬を助けるのはわたしね!

――シャンプーには無理なんじゃ・・・

――だからどうして!!?理由をはっきり言ってほしいね、ひいばあちゃん!!

――知らねば納得できぬ、か

――当然ね!乱馬助ける。これ、わたしの使命ね!

――よいか、シャンプー・・・夢恋丸はの・・・―――





DAYS OF NIGHTMARE
     第7章 挑戦〜交錯する思いの中で





「おばあさんたちを迎えに行く前に、あかねちゃんに言ったことを覚えてるかい?」
東風先生が口を開いた。
奥の部屋で、あかねと先生は向かい合わせに座っていた。
「乱馬と本気で向かい合う覚悟・・・」
「そう。夢魔の創りあげた悪夢の中には、乱馬クンの心が囚われている。
 その中に存在しているのは、乱馬クンの心の中に紛れもなく存在する“闇”が増幅されたもの。
 つまり、乱馬クンの夢の中に入るということが__ 」
「乱馬の心に踏み込むことになる・・・」
今なら、東風先生の言いたかったことは、明白だった。
(始めから、こうする積もりだったんだ)
乱馬の心に踏み込む。
そして、乱馬の心の中の“闇”を絶ち、夢魔から乱馬を助ける。
あかねには、さらりと返事できるシャンプーが信じられなかった。
なんの躊躇もなく、乱馬の心と向き合おうとできることが。
乱馬にどの様に想われているかを恐れず、乱馬の心に踏み込むと言い切れる勇気が。
あかねには信じられなかった。
「乱馬クンに拒絶されるのが、怖いのかい?」
「・・・」
倒れる直前に大ゲンカをしでかした自分を、乱馬が受け入れてくれるとは思えなかった。
倒れる原因をつくってしまった自分を、乱馬が許してくれるとは思えなかった。
「乱馬クンを“心の闇”から救い出す自信がないのかい?」
顔を突き合わせると、強がりを言ってケンカせずにはいられない自分が、乱馬を“心の闇”から助け出せるなんて到底思えなかった。
それ以上に。
乱馬の心に踏み込んだ先で、乱馬が自分をどう想っているか、垣間見えてしまうかもしれない。
乱馬に嫌われていると、否応無く認識させられるかもしれない。
そう考えると、どうしても乱馬の心に踏み込む決断を下せなかった。
それでも。
「乱馬クンを助けるのがシャンプーちゃんで納得できるのかい?」
「・・・」
先生に言われるまでもなかった。
夢魔のせいとはいえ、乱馬が目覚めなくなる直接の原因があの事故であるのは、疑いようのない事実だ。
そして、それを引き起こしたのは間違いなく自分だ。
数時間前のシャンプーの言葉が、ふとあかねの脳裏にかすめた。

『どう責任取る?』

(あたしは、責任を取らなくちゃいけない)
乱馬の心と向き合う。
それが、自分に課せられた贖罪。
(それもあるけど、でもそれ以上に、あたしは__ )
乱馬にどの様に想われていようが。
たとえ、拒絶されようが。
(乱馬を、助けたい)
それが、偽らざるあかねの心だった。
あかねの中で、結論は最初から決まっていたのかもしれない。
「あたしが、行きます」
そう言ったあかねの声に、一片の迷いも含まれていなかった。

東風先生は、かすかに驚いた表情を見せた。
「いいんだね?たとえ、乱馬クンがあかねちゃんを受け入れてなかったとしても。
 乱馬クンが心の中でどんな思いを抱いていようと、それを受け入れる覚悟があるんだね?」
「・・・はい」
言い切ったあかねに、迷いは感じられなかった。
「先生が色々言ってくれている間に、考えました。
 おばあさん達を迎えに行くときも、考えていました。
 あたしはどうしたいんだろうって」
「・・・」
先生は何も言わずに、あかねのことを見つめていた。
眼鏡にかかる逆光で、その瞳の色を垣間見るのは適わなかった。
「乱馬が目覚めないのは、夢魔のせいかもしれません。
 だけど、直接の原因を作ったのは、やっぱりあたしです。
 それ以前に、乱馬が寝不足だったことにもっと注意してあげてれば、東風先生が事故が起きる直前に言っていた通り、素直になって乱馬と話していれば、こんなことにはならなかったはずなんです。
 だから、あたしは乱馬を助けたい。
 例え乱馬にどう想われていようとも、関係ない。
 あたしはあたしで、したいと思うことをする。ただそれだけです」
その言葉には、あかねの確固たる決意が滲み出ていた。
2人の間に沈黙が訪れた。


「・・・強くなったね、あかねちゃん」
東風先生がポツリと呟いた。
「乱馬のおかげ、かもしれませんね」
粗忽で、優柔不断で、いい加減で、くされ外道で、ナルシストで、デリカシーなんて繊細なモノかけらも持ち合わせていなくて・・・
欠点を挙げれば、文字通りキリがない男だけど。
そんな許婚の、土壇場での強さを見てきたから。
そんな乱馬の、ここぞというときの勇気を知っているから。
(あたしだって負けるもんですか)
口には絶対に出さないものの、ずっとそう思っていた。
乱馬に助けられるたびに、嬉しい気持ちと同時に、一抹の悔しさを感じていた。
(今度は、あたしが乱馬を助けるんだ)
そう思うあかねの眼には、ここ数日の間消えていた強い光が甦っていた。
そんなあかねを見る東風先生の瞳には、いつもと変わらぬ優しげな色が浮かんでいた。


「本気で乱馬クンの心の中に行くつもりなんだね?」
東風先生があかねに確認してきた。
「はい」
表情を引き締めなおしたあかねが、はっきり答えた。
「じゃあ、頑張ってその前の難関を乗り越えないとね」
「・・・はい」
東風先生の言う「難関」が何かは、わざわざ問うまでもなかった。
乱馬が眠る部屋に戻るまでの間、あかねは、どうやってシャンプーとコロンを説得すべきか、真剣に考えていた。
その悩みは、意外な形で裏切られることになることなど、あかねは全く知らなかった。



部屋に入って、あかねは驚いた。
シャンプーが涙をこらえた眼で睨みつけてきたからだ。
「シャ、シャンプー・・・?」
あかねが動揺したまま声をかけても、何も言葉を発しない。
シャンプーは無言のままあかねに近づくと、黙って右手を差し出した。
その手には、夢恋丸が置かれている。
握り締められた左の拳は震えていた。
その唇は、血が滲まんばかりに噛みしめられていた。
「ど、どうしたのよ?」
「・・・いいから、さっさと乱馬を助けてくるね」
そう言うシャンプーの声は、悔しさで震えていた。
呆然とするあかねに、シャンプーが言葉を続けた。
「勘違いするな。今、この場を譲ただけね。
 わたしはまだ乱馬のコト諦めない。気持ちなんて後から幾らでも変えられる」
「な、なに言ってんのよ?」
あかねには、シャンプーの言葉の意味が全く理解できなかった。
「ちょ、ちょっとシャンプー・・・」
シャンプーはあかねの言葉を完璧に無視した。
尚も戸惑うあかねに、シャンプーは無理やり夢恋丸を握らせると、コロンのほうに向き直って笑顔を作った。
「わたし、ここ居ても仕方ないね。
 猫飯店帰って、乱馬の回復祝いの準備しとくね!」
その声は、哀しいくらいの明るさを含んでいた。
踵を返し、部屋を出て行こうとしたシャンプーに東風先生が声をかけた。
「いいのかい、シャンプーちゃん?」
ドアノブを握ったまま、シャンプーは何も言わずにただ立っていた。
あかねは、その背がかすかに震えているような気がした。
(シャンプー・・・)
「あたし、責任取るから」
あかねがシャンプーに声をかけた。
シャンプーが何を思って、夢恋丸をあかねに託してくれたのか分からないけれど。
「絶対に、乱馬を助けるから」
振り返ることなく、シャンプーが口を開いた。
「乱馬助けられなかたら、わたしがお前殺す」
その声には、乱馬が目覚めなくなって以来、初めて憎しみ以外の感情がこもっていたような気がした。
それ以上何も言うことなく、シャンプーは部屋を出て行った。
シャンプーによって閉められたドアの音が、あかねの胸にやけに大きく響いた。



「え、えーと・・・乱馬を助けるにはどうしたらいいんですか?」
重苦しい沈黙を破ったのは、あかねだった。
シャンプーのことも気にはなったが、今のあかねにとっての一番の問題は、やはり乱馬をどうやって目覚めさせるかだった。
なんだか肩透かしを食らったような気もしないでもないが、今は乱馬を助けるのは自分のほうがふさわしいと、シャンプーがそう判断してくれたと、あかねは思うことにした。
「あ、そうだったね。おばあさん、すいませんが説明お願いします」
「・・・ふむ」
最後まで黙りこんでいたコロンがようやく口を開いた。
「婿殿は、今夢魔の創りあげた悪夢に囚われておると言ってよい、それは以前お主が説明した通りじゃ」
コロンはあかねのほうに向き直り、言葉を続けた。
「あかね、お主の役目は夢恋丸を用いて、婿殿の夢の中に入り込み、婿殿が悪夢を、“心の闇”を克服するのを手助けすることじゃ」
「手助け?」
「たとい夢魔といえど、無から有を創りだすことはできはせん。
 彼奴にできうることは、婿殿の中に存在する“心の闇”を増幅し、己の創りあげた悪夢に追い込み、希望を失わせ、生きる意志を奪うことのみよ。
 そして、夢魔の生み出す“闇”を克服するのはお主ではない、あくまで婿殿じゃ」
「婿殿の悪夢が何かは、婿殿の心に入ってみねば、分かりはせん。それを今ここで論じたところで意味はない。
 婿殿の“心の闇”が何についてかも、また然り、じゃ。
 つまり、お主が心に入ってから、どう対処するか考えねばならんということじゃ」
「ただし。間違っても婿殿の“心の闇”を否定してはならん。
 いくら“闇”とはいえ、婿殿自身の一部が増幅されたものに過ぎんからの」
「どういうことですか?」
“闇”を否定すると言われても、あかねには今一つピンとこなかった。
そんなあかねに、東風先生が言葉をかけてきた。
「人間の心は、強い部分だけが存在しているわけじゃない。
 弱さ、醜さ・・・そういった負の感情も、また人間の一部だということは、あかねちゃんも分かるよね?
 それが、どんな人間であれ、大なり小なり存在していることも」
「は、はい」
東風先生に言われるまでもなく、自分の中でも存在しているその感情が、あかねに理解できないはずがなかった。
「夢魔はね、そういった負の感情を増幅するのに非常に長けてるんだよ。
 夢魔に取り憑かれた人間は、そういった負の感情が、まるで自分自身そのものであるかのように錯覚してしまう。
 だから、そういった負の感情を否定してしまうと、自分の心が否定されたと勘違いしてしまうことになる。
 たとえそれが夢魔によって過大に増幅されたものであっても、その人自身に在る感情なのは、事実なんだからね。
 自分が否定されたと思うと、当然人の心は傷つく。
 夢魔によって弱められた心には、その傷が致命傷になりかねないんだよ」
「もし、間違えて乱馬の“心の闇”を責めてしまったら・・・?」
震えるあかねの問いに答えたのは、コロンだった。
「婿殿が夢魔に憑かれて一週間の時が経っておる。
 今、婿殿の心は、ギリギリのところで夢魔と闘っておると考えて間違いないじゃろう。
 そんな人間の心にこれ以上傷をつけたりしたら、まず間違いなく持たんわ」
「それって、つまり・・・」
「乱馬クンの心が死ぬ。
 心が死んだ人間の身体が、維持されるわけがない。
 肉体的にも死んでしまうか、良くて廃人になる。そういうことだよ」
東風先生の言葉は、どうしようもなく残酷なものだった。
コロンが言葉を継いだ。
「おぬしが、夢魔に対して持っておる切り札は1つ。
 婿殿が夢魔に憑かれておると知っている事実じゃ。
 この事実を婿殿に信じさせることができれば、“心の闇”が夢魔によって増幅されたものにすぎず、婿殿そのものではないと信じさせることができれば、あるいは婿殿を助けることができるかもしれんの。」

「どうする?やめるんだったら、今のうちだよ?また別の手段を考えてみてもいいし・・・」
それが、東風先生の最終意志確認だった。
「・・・やります」
東風先生に、そう答えていた。
(ギリギリのところで心を保ってるかもしれない乱馬が、別の手段を講じている間も、持たないかもしれない)
そう思うと、躊躇はしていられなかった。
「じゃあ、夢恋丸を飲むといい。乱馬クンには既に飲ませてあるからね」
「・・・」
あかねは手に持った夢恋丸を、そっと口に運んだ。

薬を飲んだ途端、強烈な眠気があかねを襲った。
「心配せぬとも良い。夢恋丸の催眠作用じゃ。
 完全に眠りに就いた先に待っておるのが、婿殿の夢よ」
コロンの声が、遠くから聞こえてくる感じだった。
「良いか?婿殿の“心の闇”を否定してはならんぞ!」
コロンのその叫び声を、あかねはかろうじて言葉として捉えることができた。
(乱馬、今いくからね・・・)
あかねは、遠ざかる意識の中で、「頑張るんだよ」という東風先生の声が聞こえたような気がした。





「・・・お主、何者じゃ?」
あかねが完全に眠りに就いたのを確認し、乱馬の隣のベッドにあかねの身体を移そうとした東風先生に、コロンが声を投げかけた。
「・・・どういう意味でしょうか?」
コロンのほうを向くことなく、先生は声のみを返した。
「とぼけるでない!」
そう言うコロンの口調は、幾分激昂していた。
コロン自身それに気づいたのか、やや間を置いてから、再び落ち着いた口調に戻して言葉を続けた。
「お主、相当の遣い手であろう?」
「・・・」
東風先生は、まるでコロンの話を聞いていないかのように、眠りに就いたあかねの診察をしていた。
コロンはコロンで、そんな先生に気づかないかのように、淡々と話を進めた。
「動きに全く隙がないだけではない。
 あかねはともかく、シャンプーでさえ気づかなんだ、夢魔の発する微かな邪気を感じ取れるほど気を読むのに長けておる。
 まだあるぞ。
 かつて、婿殿とムースの奴が決闘をしていた際、あの乱戦の中、的確に婿殿のツボを突きおった(※コミックス5巻参照)。
 並みの腕では、とても出来うることではないわ」
「・・・」
「そもそも、お主、婿殿が夢魔にとり憑かれておること、最初に診察した時点で確信しておったであろう?」
「・・・」
「では、何故わざわざ、わしを呼んだか?
 夢恋丸だけならば、あかねに言いつけて取りに行かせるだけで十分だった筈じゃ」
「・・・」
「お主が呼びたかったのは、わしではない。シャンプーであろう?」
コロンの眼光が鋭くなった。
「・・・」
それでも、東風先生は、あかねと乱馬の診察の手を休めようとはしなかった。
「あかねが婿殿の話を持ち出して、わしを呼びつけたならば、シャンプーも間違いなく付いてくると計算していたのであろう?
 実際、その通りになってしもうたわ」
コロンが苦々しげにはきすてた。
その表情から、曾孫に対するコロンの思いが感じられた。
「・・・」
「先ほど、あかねと席を外したのとて、あかねを説得するためではあるまい?
 あかねもあれで芯の強い女子じゃ。黙っていたとて、自分が婿殿を助けに行くと言い出したであろう。
 それくらいお主とて、先刻承知の筈じゃ。
 それでは、何ゆえにあかねを部屋の外に連れ出す必要があるのか?
 わしに、あかねが居ぬ間に、シャンプーに夢恋丸の真の効用を説明させるためであろう?」
「・・・」
「夢恋丸はその名が示しておる通り、本来、恋焦がれる者同士が夢を共有するための秘薬。
 互いが曇りなく相手のことを想っておらねば、その効用は発揮されん」
「・・・」
「その効用を知ったシャンプーに、あかねが婿殿に受け入れられるのを見せ、婿殿のことを諦めさせる積もりでもあったのかの?」
随分、残酷なことを考えおる。
そう呟くコロンの身体から、徐々に闘気が噴出し始めた。
下手な回答をすると、容赦はしない。
コロンの、東風先生への無言の圧力だった。
そんなコロンに、東風先生が初めて口を開いた。
「・・・シャンプーちゃんに、自分の心の中にある『曇り』を知ってもらいたかっただけですよ」

「!なんじゃと!?」
それまで、黙り込んでいた東風先生が始めて口を開いた。
初めてコロンのほうに向き直ると、先生は言葉を続けた。
「確かに、乱馬クンに対するシャンプーちゃんの想いは、あかねちゃんに匹敵するか、若しくはそれ以上のものかもしれません。
 だからシャンプーちゃんは、あかねちゃんに夢恋丸を譲れたんでしょうね。
 でも僕は、僕が知っている最初の段階から、『彼』を見るシャンプーちゃんの眼には、他の誰にも、乱馬クンにさえ見せない微妙な光を孕んでいるような気がします。
 シャンプーちゃん自身も多分気づいてはないと思いますが、おばあさんなら気づいている筈です」
「・・・」
今度はコロンが黙り込む番だった。
「どうでしょう?僕の勘違いですか?」
「・・・己より強き者を伴侶に迎えるのが、我ら女傑族が女子の誉よ。」
コロンが苦々しげにはきすてた。
「そのためには、知る必要のないこともある」
それは、先生の問いに対する、コロンの肯定を示していた。
「『彼』がシャンプーちゃんより強いことは、おばあさんも承知でしょう?」
「・・・より強き者を血族に迎えてこその、栄誉よ」
「互いの気持ちも関係なく?」
「貴様!女傑族を愚弄する気か!?」
コロンは思わず声を荒げていた。
その小さな身体から、年不相応な殺気が迸った。
「すいません、少し言葉が過ぎたようです」
コロンの殺気を身に浴びようとも、返す東風先生の言葉は、冷静そのものだった。
「別にそういう風習が悪いとなんて、毛ほども思っていませんよ。
 より優秀な子孫を残したいと考えるのは、人間としての本能とも言えるものでしょう。
 シャンプーちゃんの言うとおり、気持ちなんて後から幾らでも変えられるものですし、変わるものですからね。
 シャンプーちゃんが乱馬クンのことが好きなのも、紛れのない事実ですしね」
「・・・」
「ただ、僕はシャンプーちゃんにも、自分の心の中にあるものに気づいて欲しかった。ただ、それだけですよ。
 その先にシャンプーちゃんがどう動くかは、それこそシャンプーちゃんの問題であって、僕が口を差し挟むものじゃないですよ」
「・・・」
黙り込んだコロンだったが、気を取り直したのか、再び口を開いた。
「・・・もう一つ問いたい。お主ほどの者ならば、夢恋丸など用いずとも経絡秘孔を刺激することで、婿殿を目覚めさせる手立てを知っておろう?」
「乱馬クン自身が悪夢を克服しなければ、例え無理に目覚めさせたところで、“闇”は残存し続けることになる。おばあさんほどの人ならば、それくらいお分かりでしょう?」
あくまで、それは最終手段の一つですよ。
穏やかにそう言う東風先生に、コロンが話題を変え、話を続けた。
「・・・あかねに、夢恋丸の“真実”を伝えたのか?」
「今この場であかねちゃんがそれを知っていることが、誰かにとってプラスに作用するとお考えですか?」
それが、東風先生の答えだった。


「・・・もう一度問う。お主、一体何者じゃ?」
東風先生が微かに微笑った。
「・・・唯の接骨医ですよ」
「あくまでとぼけおるか・・・まあ、それはそれで良い。お主が何者であろうと、わしには関係なきことよ」
それを最後に、2人が口を開くことはなかった。



沈黙が2人の間に訪れてから、どれほどのときが経過したのであろう。
苦しそうに顔をゆがめたあかねのほうに向き直った東風先生が、ポツリと呟いた。
「頑張るんだよ、あかねちゃん」
それだけ言い残すと、東風先生は部屋から出て行った。
一人部屋に残されたコロンは、何も言わず乱馬とあかねを見つめていた。

しばらくすると、コロンは隣り合ったベッドで眠る乱馬とあかねに近づいた。
乱馬の顔もあかねの顔も、やはり苦しそうにゆがんでいた。
コロンは、2人のそれぞれの手を取ると、互いの手を握り合わせた。
そうするコロンの表情からは、なんの感情も読み取ることはできなかった―――――



つづく




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