◇ミルク珈琲
−sideR−
ソフィアさま作
あれ?
俺はあかねの部屋から電気がもれているのに気がついた。
電気つけっぱなしで寝たのかと思い、あかねの部屋のドアをちょっと開けてみる。
別に寝顔をのぞこうとしたわけじゃない。ただ、天道家の台所事情を耳にし、電気代を節約しようと思ったのだ。
俺はちょっとドキドキしながらあかねの部屋をのぞいた。てっきりベッドに突っ伏していると思ったが、あかねはパソコンに向かいながら、必死でキーを叩いていた。
「終わらない。終わらないよぉ・・・」
あかねの辛そうな声が聞こえる。
あかねは最近忙しかった。不器用の癖に、人の面倒見は人一倍良いあかねはいつも仕事を抱えてしまう。高校の時もそうだったが、大学に入ってからも変わらない。レポートがあるっていうのに、昨日も陸上部の試合に借り出され、家に帰ってきたときは9時を回っていた。
そのくせ人に頼るのは嫌らしく、過去レポなる便利な代物があっても、ちらと見るだけで丸写しにしない。
不器用で、頑固で、意地っ張りで。でも、・・・・・・放っておけない。
カーテンから朝日が差し込んできた。
ガチャッとさっきよりも大きな音を立てて、ドアを開けてみる。あかねは振り向きもしない。ただ、パソコンのキーを叩く音だけが聞こえていた。明らかにつらそうだ。でも、どう声をかければよいのか分からない。
意味もなく壁に貼られた写真を見ながら、あかねの様子をうかがう。
あかねはじっと画面を睨みつけていた。いつものまっすぐで、輝くような目は赤く充血し、時々ため息をついている。
しわ一つ入っていないベッド。こいつの寝相でそんなことはありえない。とすれば・・・
「あかね、おまえ、徹夜したのかっ?!」
ったく、無茶にもほどがある。
いくら人より体力があるといっても、一睡もしないで使い続けるのは無理だ。風邪を引くか、体を壊すか。いずれにしても、徹夜は体に一番良くない。
「徹夜すると肌が悪くなるんだってよ。おまえ、ますます可愛げがなくなっちまうぜ。」
俺って奴はっ!!
俺は自分のひにくれた性格に、ほとほと呆れた。
どうしてもっと優しい言葉をかけてやれないのか。どうしてもっと自分の気持ちを素直に表せないのか。
「ったく、お前って不器用だよな。・・・・・・ま、そこがかわいいんだけどよ。」
頬をかきながら、ぷいっと顔が横を向く。そして、ちらっとあかねを見る。
『なによ、誰が不器用ですって?!』
あかねの、いつものそんな強気な声が聞きたかった。
だが、反応なし。ただパソコンを睨みつけたまま、俺の方をちらりとも見ない。あかねは何も言わない。俺が入ってきたことに気づいていないはずはなかった。まったく反応を示さないあかねに、俺は本当に心配になってきた。
中国鳳凰山でサフランと戦った時、体中の水分がすべて蒸発して人形になったあかね。手のひらに乗るほど小さくなって、握りつぶせそうなほど頼りなくて。何の言葉も返さないあかねを見て、初めて知った喪失感。それまで強くなることしか考えていなかった俺が、大切なものを失う恐ろしさを知ったのはあの時だった。
あんな思いはもうしたくない。
「あかね。大変なのは分かるけどよ。でも、いい加減にして少しでも寝ろよ。体は武道家としての資本だぜ。」
今度は優しい言葉をかけてやることができた。我ながら上出来、と俺は会心の笑みを浮かべた。でも、あかねからやっと返ってきた言葉は、思いもしない言葉だった。
「・・・・・・出てってよ。」
俺は一瞬、何を言われたのか分からなかった。聞きなおそうとして、俺が口を開く前に、あかねはイスからバンと立ち上がった。
「寝ろよ、ですって? 何よ、人の気も知らないで。あんたは格闘だけやってればいいんでしょうけどね、私はそうもいかないの!
レポート書かなきゃ、単位落とすし。原稿書かなきゃ、みんなに迷惑がかかっちゃう。あんたなんかに、分かるわけないわ!出てってよっ!!」
何も言い返せない。情けない。俺は、黙ってあかねの部屋を出た。
「なんだよ、あかねの馬鹿やろう。人がせっかく心配してやってるって言うのに。」
居間へと降りて、あかねの悪口を負け犬の遠吠えのごとく口ずさむ。
『うじうじとすねて、男らしくない。』おふくろに見られたら、切腹ものだ。
あかねはため息をついていた。強気で意地っ張りのあかね。家族に対しても、誰よりも近くにいたいと思う俺にも、弱さを絶対に見せない。
そのあかねがため息をつくのは、かなり追い詰められている時だ。肉体的にも、肉体的にも。
近くにいながら、何もできない自分が悔しい。
「人が心配してやってるってのに。あかねの奴、何考えてやがる。」
「何考えてるのかって。それはあんたの方でしょうが。」
こんなかっこ悪いところを人に見られるとは、不覚だった。それもよりによって、一番見せたくない相手に。
「っていうか、てめぇ、なんでここにいるんだよ?」
「お金の神様が私に告げたの。もうすぐチャンス到来よってね。」
「冗談じゃねぇぞ。なんで俺が」
「乱馬君、今度の武道大会の書類、あかねに押し付けたんでしょ?そのせいであかねったら徹夜しちゃって。・・・いい方法教えてあげましょうか?」
にっと笑うなびき。その笑顔が悪魔に見えたのは、あえて言わないでおく。
「どうしろって言うんだよ?」
さっと手を差し出すなびき。俺は今日最初の餌食となった。
「毎度あり」
本当にこいつは稼ぐチャンスを逃さない。こいつに金の神様がついてるって言うのは本当だと思う。いや、むしろこいつ自身が金の神様か。
「徹夜の時って、いつも以上に感情的になっているものよ。怒らせることも簡単だったでしょ?」
「別に、怒らせようとしてたわけじゃねぇよ。」
「まったく、こんな時ぐらい素直になりなさいよ。許婚とはいえ、あかねもよくこんな男に付き合ってるわね。」
わが妹ながら感心するわ、とでも言いたげにうなずいているなびき。悔しいと思うけれども、ここはぐっと耐えるしかない。
「で、どうすればいいんだよ?」
「差し入れでも持っていってやんなさいよ。感情的になってるってことは喜ばせることもできるってことなんだからさ。」
なるほど、と台所に向かい、冷蔵庫から牛乳を出す。眠れない時に、あかねがよく飲むホットミルク。少しでも体を休ませてほしい、という気持ちからだった。
「あ、そうそう。ホットミルクって眠気を誘うから駄目よ。」
台所の外からなびきにそう言われ、牛乳を注ごうとしていた俺の手がぴたっと止まる。本当にこいつの目にはX線でもついてるんじゃないだろうか。
親指と人差し指で丸を作りながら、台所に伸びてきた手。その手に、俺は福沢諭吉を握らせた。
「毎度あり♪」
お金の鬼が嬉しそうに夏目漱石を受け取る。
たとえどれほど修行を積んでも、こいつには一生かなわない気がする。そのうちに、この守銭奴が姉になるのだと思うと頭が痛い。
「こういうときのイライラはたいてい眠気から来てるのよ。だから、・・・・・・ふわぁ。・・・なんだか眠くなってきたわね。私もうちょっと寝るわ。」
「・・・って、おい!」
あくびをしながら、2階へと向かう。
冗談じゃない。まだ答えを聞いていない。せっかく払ったんだ。それだけの働きはしてもらわないと困る。
「おい、待てよ、なびき!」
「眠気を払うのっていったら限られてるでしょうが。おやすみ〜♪」
振り返りもせず、後ろ手に手を振りながらなびきは階段を上っていく。もう答える気はなさそうだ。俺は台所に戻って考えることにした。
眠気を払うもの。目薬をさしたり、ガムをかんだり・・・。でも、目薬もガムもない。
それに、眠気を払うだけじゃなくて、どうせなら体が休まるものが良い。
さっき却下された牛乳を見る。体を休めるには温かい牛乳が一番だってあかねが言っていたことがある。
俺はふと思いついた。牛乳を使った飲み物で、ホットミルクでなければ良い。差し入れするものを思いついて、ウキウキしながら作り始めた。
「ほらよっ」
俺はあかねにマグカップを差し出した。
あかねの目に涙が浮かんでいる。泣かせるほど傷つけたことに後悔しながら、俺はただ笑顔でいるしかなかった。
あかねは信じられない、とばかりにじっと俺が差し出したミルク珈琲を見ている。
急に恥ずかしさがこみ上げてきた。俺は机にマグカップを置いた。
「あんまりイライラしてると終わらねぇぞ。これでも飲んで、しゃきっとしろよ。」
「・・・うん」
あかねの白い喉がこくこくと動く。青白くなっていた頬に赤みがさしてきた。少しは、体が落ち着いたらしい。俺はちょっとほっとしながら、ベッドに腰掛けた。
とりあえず、ミルク珈琲を飲んでくれたことで第一段階終了。
あかねが眠いのを良いことに、俺はちょっとしたいたずらをしかけていた。あかねに差し出したマグカップを俺のにしてみたんだ。
気づくか、気づかないか。俺は子供に返ったようにわくわくして見ていた。
喉が渇いていたらしく、あかねは一息でミルク珈琲を飲み干した。いつもなら、「色気がねぇ」とか言うところだが、今日はそんなこと思わない。
「ありがと、乱馬。でも、このマグカップ、乱馬のじゃ・・・?」
気づいてくれた。
安心した。もう大丈夫、そう思った。
俺はあかねを見つめた。さっきまでのため息をついていたあかねじゃない。疲れてはいるが、いつものあかねがそこにいた。それがうれしくて。
あかねも俺を見ている。俺は我に返り、あかねに答えようとした。心配していた、と。あかねが元気になってくれてうれしい、と。
「・・・そ、それはだな。つまり、・・・そう、いつもの癖だ。つい間違えたんだよ!!」
間違えたんじゃない。あかねを試してみたくて、わざと取り替えたんだ。でも、そんなこと言える訳がない。自分がやったことに今更ながら気づいて、猛烈に恥ずかしくなった。あかねの顔が直視できない。
あかねはちょっと微笑みながら言った。
「ありがとう。」
あかねの役に立った。あかねが喜んでくれた。ありがとう、って言ってくれた。そんなことがうれしくて。
「おう」
もう何も言えない。居たたまれなくなって、俺は空になったマグカップを持って部屋の外に出た。
「おはよう、乱馬君。」
あかねの部屋のドアを音が立たないように慎重に閉めると、背後から声がかかった。まさか、と思いつつ振り返る。
「なびきっ、おまえどうして?!寝たんじゃなかったのか?!」
シイッとなびきが人差し指を口に当てる。だが、どうやらあかねに聞こえてなかったらしい。ほっと胸をなでおろす。
「差し入れ、うまくいったようね。」
「あぁ」
もう天道家へ来て随分経つが、こいつと関わってろくな目にあったためしがない。短く答えると、俺はなるべく早くなびきから離れようとした。
「あ、そうそう」
すれ違いざまに俺の耳になびきが囁いた。
「いくらあかねが寝ぼけてたからって、マグカップ取り替えるのは反則よ。」
しまった。あわててマグカップを隠すももう遅い。
「お父さんたちが知ったら、さぞかし大喜びするでしょうね。お暑いことで。」
哀れ、守銭奴のまたもや餌食となった俺。口止め料をとられ、俺の財布から福沢諭吉が消えた。
俺はお替りを持って行き、そのままあかねの部屋に居座った。この部屋から出たらいけない、と俺の第六感が警告している。
あかねは相変わらずパソコンに向かったままだった。
でも、指の動きはだいぶスムーズになっている。ため息もついていない。
なんでも一人で抱え込む、負けず嫌いで頑固な俺の許婚。体を壊すまで、いや、体を壊しても、こいつはがんばり続けるだろう。
俺は止めない。止めたところで、こいつが諦めるような奴じゃないことは俺が一番よく知っている。
だから、俺はお前を支える。お前が無茶をしても良いように、お前が無事であるように。お前を守る。それが、俺がお前にできることだから。
まぁ、今回はちょっと高めについたが。
あかねが眠っている。さっきまで格闘していたレポートは印刷されて、かばんに入っていた。どうやら、終わったらしい。
窓の外はもうすっかり明るくなっている。新しい一日が始まる中、大切な許婚はしばし夢の中。
「お疲れ、あかね。」
あかねの頬に軽くキスをして、毛布をかけてやる。安心してしまったのか、不覚にも俺はそのままベッドの上で眠ってしまった。
数時間後、なびきに起こされて俺の財布から夏目漱石までいなくなることを、この時の俺が知る由もない。
完
作者さまより
みなさま、ご退屈さまでした。
初めまして。初投稿させていただきましたソフィアです。
この話、実話をもとに書きました。徹夜していて、窓の外が白々と明るくなっているのを見ると、何とも悲しさがこみ上げます。
まとまった文章になっておらず、申し訳ないです。
初投稿作品。WEB小説初めてというソフィアさまの素敵な作品です。
呪泉洞の戦い以降の二人を描いてくださっています。
財布の様子から、居候の悲哀が滲み出ている、乱馬君です(笑
さぞかし、乱馬君の入れてくれたミルク珈琲は温かくって美味しかったんでしょうね。
あかねサイドの作品もありますから、あかねちゃんの気持ちを是非、覗いてみてください。彼女の心情がわかります。