◇海の守人 5
夏海さま作


 村に戻って来た三人。
 乱馬はかすみをすぐ側まで来ていた東風先生に任せる。
 良牙が乱馬を見つけて、駆け寄って来た。
「良牙、どうした。」
「乱馬、さっき見知らぬ女が来た!お前の知り合いなんだろ!?」
 見知らぬ女と聞いて乱馬はビクッと身体を震わせた。
(あかねがここに来た!?)
「あの女がお前の見つけた人魚だろ。あの人、俺達に逃げろって言ってきたんだ。海の怪物が暴れるし、海賊もいるからって!」
「あんの馬鹿ッ!」
 乱馬は思わず叫んだ。
(なんで一人でやろうとするんだ!あのバカ!無茶に決まってんじゃねぇか!)
「どうなんだ、乱馬!彼女の言う事は本当なのか!?」
「本当よ。」
 良牙の問いに答えたのは乱馬ではなかった。その隣に立っていたなびきだ。
 村人達がなびきに視線と質問を浴びせかける。なびきはそれを両手で制すると、静かに話し出した。
「その子は三女あかね。あたしの一つ下の、正真正銘の妹。もう少ししたらあかねの事はちゃんと説明するわ。でも今は時間がない。あかねはこの島の誰よりも海に詳しいの。そのあかねが逃げろって言うんだから、逃げた方がいいわ。本当に海の怪物が暴れ出すわよ。」
 冷静ななびきの説明を聞いたすぐ後だった。
 村人達は文字通りパニックに陥った。
 ひたすら悲鳴をあげる者、我先にと逃げ出す者、あまりの事に怯えて腰を抜かす者。
「落ち着けよッ!!」
 それを制したのは乱馬だった。
「みんな落ち着いて避難しろ。力のある奴は年寄りや体を動かせない怪我人に手を貸してやるんだ。子供はしっかり固まって行動しろ。出来るだけ急げッ!」
 村人達は乱馬の言葉に何とか理性を取り戻し、今度は協力して避難を始める。
 その様子を見ながら、乱馬は一人でコッソリ村人達から離れた。
「乱馬。」
 しかし良牙だけはそんな乱馬の行動はお見通しだとばかりに乱馬の隣に立った。
「良牙?」
「行くんだな。彼女の所に。」
「ああ。あいつ一人で何とか出来るわけねぇんだ。」
「俺も行くぜ。加勢してやる。」
 乱馬はすぐに首を振った。
「ダメだ。」
「なに言ってんだよ!一人でも戦力は多い方がいいだろ!」
 乱馬は頷かなかった。良牙にはその訳が分からない。
「乱馬、その訳はなんなんだ?」
 ゆっくりと乱馬は口を開いた。
「良牙、おめぇにはあかりちゃんがいるだろ。ここで死んだらあかりちゃんが悲しむぜ。」
「俺はそんなにヤワじゃ・・・・・・。」
 良牙の言葉を乱馬はすぐに遮った。
「それにおめぇが一緒に来たら村人はどうなるんだ?おめぇは残って村人達を守って、励ましてやるんだ。おめぇは村でも強いしみんなも心強いだろ。村長じゃいまいち不安だからな。」
 良牙は乱馬をジッと見た。乱馬も良牙を見た。
 長い沈黙の後、良牙はやっと口を開いた。
「・・・・・・死ぬなよ。」
「誰が死ぬかよ!縁起でもねぇ事言うな!」
「帰って来たらあの子紹介しろよ。」
「気が向いたらな。」
「絶対、だ。」
 有無を言わせぬ良牙の言葉に乱馬はニヤッと笑って頷いた。
「分かった、分かった。良牙、頼んだぜ。」
「行って来い。」
 乱馬は背を向けて浜辺へ走る。良牙も、村人達の方に走って行った。

 あかねは浜にあった船を一つ借りて、海賊船の側に真正面から向かって行った。
 船の錨に繋いであるロープをよじ登り、船にアッと言う間に乗り込んだ。
「だ、誰だお前は!」
 あかねはそれに答えず、黙って海賊の一人を殴り倒した。
「船長はどこ?」
 あかねの問いに誰も答えようとしなかった。
 変わりに一斉に海賊達があかねに向かって飛びかかる。
「船長はどこって聞いてるのよ!」
 あかねはあっさりとそいつらをたたのきのめしてしながら尋ねた。
 かくて、船上では乱闘が始まった。
 乱馬は浜辺に出て、すぐに船が一隻足りないのに気が付いた。
「あいつ、ここの船で行ったのか。」
 乱馬はすぐに船を出した。朝の漁で見つけた、海賊船に向かって。

「これで終わり?」
 あかねは甲板の上に倒れる、海賊達を見下ろして冷たく言った。あかねの息は少し上がっている。
 あかねは呼吸を整えると、船首に向かってゆっくりと歩み出す。
 船首には一人の男がニヤニヤしながらあかねを待っていたかのように立っていた。忘れもしない、十一年前のあの男だ。
「なかなかやるようだな。」
 あかねの事を忘れているようだ。あかねは男―――船長を睨み付けた。
「この島から離れろ。」
 気の弱い男だったらすぐに言う通りにしていただろう。しかし、船長は薄く笑っただけ。
「威勢もいいな。・・・・・・ちょっと待て。どこかであったか?」
 あかねは黙って船長を見た。
 船長はじっくりとあかねの顔を眺める。そして、唐突に笑い始めた。
「はっはっはっ!なるほど、あの時のガキか!大きくなって!迎えに行こうと思っていたら、そっちからで向いてくれたという訳か!母親に随分似ているじゃないか!ええ?」
「やっぱりあんた、あたしの肉が欲しいって訳ね。」
「その通り。俺がその肉を食し、後は高値で売り払うって訳だ。金持ち共が競ってお前の肉に飛びつくだろうよ!なぁ、あかね?」
 あかねは船長にそう呼ばれた事に嫌悪を覚えた。
 船長に飛びかかろうと、駆け出す。
 しかし、次の瞬間あかねはバランスを崩してその場に倒れた。激痛が襲い、あかねが左足を押さえるとあかねの白く細い指に、ベットリと温かい液体が絡みついた。
 それを見るまでもなく、あかねはそれが血だと分かった。
 あかねは恨めしそうに船長を見ると、その手には黒光りする物が握られていた。火薬の匂いが風に乗ってあかねの元へも少し運ばれた。
 船長は自慢げに話す。
「これは銃という物なんだが、このへんぴな小さな島ではこんな物無かろう?どうだ、鉛の味は。」
 船長はあかねに近づいて、冷たく見下ろす。
 あかねの右手首を掴んであかねを無理矢理立たせる。
「よくやってくれたな。船員全員を一人で倒すのは大した物だ。だが、俺は倒せない。」
 船長は気を失っている船員を二三人蹴り起こすと、あかねをマストにきつく縛り付けるように命じた。
 あかねはろくに抵抗も出来ずにマストに縛り付けられた。
 船長は遠い目をする。
「懐かしいなぁ。十一年前、お前とお前の母親を捕まえたあの時が。ようやく不老不死の薬が手に入る。これで俺達は一生遊んで暮らせる。そう思ったらお前の父親がわざわざ邪魔しに来て、お前もお前の母親も逃げ出したんだよな。え?どうだい、お前の母親は生きてるか?さすがに人魚だけあって美しかったじゃないか?今じゃ見る影もねぇババアか?なんにしろ、お前の母親は俺好みの顔だったな。もちろん、母親にそっくりなお前も俺は好きだがな。」
 ニヤニヤと笑う船長を見ながらあかねは噛みつくような勢いで怒鳴った。
「あんたなんかお母さんとお父さんの話をする資格はない!二人を殺した張本人が!」
「ほう、母親も死んだか。もったいねぇなぁ。不老不死の薬は今やお前だけか。まぁお前だけいれば充分だな。逆に価値が上がるってもんだ。さぁ、可愛いその顔を俺によく見せてみな。」
 船長はあかねの頬に手をかけた。
 あかねは激しく身をよじって船長の手を払おうとした。
「その気の強さ、気に入ったぞ。」
 あかねは船長が自分の側にいるのが嫌で、怪我をしていない右足で船長の腹を思い切りけっ飛ばした。
 予期せぬ事で船長はもろにそれを喰らい、二歩ほど後退する。
「チッ、この女は。母親に本当に似てやがる。人魚の姿になったらすぐにでも殺してやるからな。」
 すっかり頭に血が上った船長は顔を真っ赤にしてそう言った。
 あかねはそれを落ち着いて聞く。
(最初からそんな事分かってるわよ。こっちは死ぬ覚悟できてるんだからね。)
 ちっとも取り乱す様子のないあかねに船長は更に怒る。そんな船長をあかねはせせら笑った。
「あたしが何の覚悟もなくここへ来たと思ったの?そんな事とっくの昔に覚悟してきてるんだから、今更怯えたりしないわ。それよりも、早くこの海から離れた方がいいんじゃないの?」
「なんだと?」
「海の怪物は今夜にでも復活を果たすわ。こんな船、簡単に沈めてしまう。海の藻屑になりたくないのなら逃げた方が得策なんじゃない?」
 船長はあかねの言葉に大笑いした。船長だけではない。あかねに倒された船員達も一緒になって笑った。
 あかねはそんな中一人で真面目な顔をして強く言った。
「海の怪物の存在を信じないあんた達は、絶対死ぬわね。油断している間にやられるから。」
 実際、あかねは海の気配の様なもので今夜の怪物の復活は揺るぎようもない物だと感じ取っていた。
(この海賊達とあたしも一緒に海に沈むとしても、あたしは大丈夫。だけど、このマストに縛られたままじゃろくに動けないわ。多分すぐに怪物にやられてしまう。あたしがいなくなったら、お姉ちゃん達は怪物を止められるかな。あたし以外に怪物を止められそうな人はお姉ちゃん達ぐらいだけど、どこまでやれるか・・・・・・。)
 あかねは自分が死ぬという事よりも、怪物が復活した時の事を心配していた。
 あかねは自分の着ている服を見ながら思った。
(お母さんだったらこんな時どうする?お父さんを信じて待つの?・・・・・・あたしにはお父さんみたいな人は誰一人いない・・・・・・。お父さんのように、自分の命をかえりみず助けてくれるような、そんな人は・・・・・・。)
 あかねは乱馬を思い浮かべたが無駄な期待だと思った。
(あたしにとって乱馬は大切な人だけど、乱馬にとってのあたしは単なる嘘つきでしかない。あたしに出来るのは、死ぬ間際まで乱馬の住むこの島を守る事だけ。乱馬を守ってあげようとする事だけ。)
 自分が今乱馬に出来る最大の事はそれだけだとあかねは考えていた。
(だからこそ、あまり死に対しての怯えを感じないのかもしれない。)
 あかねは太陽を見た。
 後一時間ちょっとで日が沈み始めるとあかねは感じた。

 乱馬はその時、ようやく海賊船の下まで来た。
(よく俺が近づいてるってばれなかったな。海賊共は村人が来るって予想をしてねぇのか?それとも村人なんかが来たって相手にならねぇって油断してんのか?)
 島から海賊船は離れた所にある上、何故だか自分を阻むように潮の流れが邪魔をして海賊船に着くのに何時間もかかってしまった。
(あかねの奴なら潮の流れなんて簡単に操って、勝手にここに着くようにし向けられるのかもな。)
 乱馬は海賊船の錨のロープの側に船をつけようとした。
 錨のロープの下には一隻の船が繋がれていた。村の漁に使う船だ。
「あかねの奴もここから行ったのか。」
 乱馬はロープを掴んで見上げた。
 ここに来るまで少々疲れもしたが、あかねがいるとなるとそんなもの気にもとめなかった。
 乱馬はするするとロープを登り始める。
(ロープをよじ登るなんて、普通の女じゃしねぇよな。ったく、あいつはほんとにしょうがねぇ奴だぜ。ああいうのを男勝りって言うんだろうな。外見は可愛いのに、そのくせ意外にやる事は男顔負けだ。)
 乱馬はいともあっさりとロープを登り切った。
「ん?」
 乱馬は甲板に降り立ってから苦笑した。
「あいつ、派手にやったな。」
 そこには未だ気絶している十数人の船員達がいた。あざや擦り傷が目立つ。一部の船員に関しては足や手が妙な方向に曲がっていたりもした。
 乱馬はとりあえず船首の方に行こうとした時だ。
「て、てめぇあの女の連れか!?」
 いくらか恐怖の色を滲ませた男の声がする。
 乱馬がそちらに顔を向けると、男も倒れている船員達とさして変わらない状態だ。少し違うのは手当てがしてあることぐらい。乱馬はすぐにあかねの仕業だと思った。
(あいつやるなぁ。)
 乱馬は感心した。
「おい!また変なのが来たぞ!」
 そう叫んで、仲間を集める。結果、乱馬のまわりに集まったのは総勢三十人あまりのむさ苦しい男達だった。しかも船員がやっぱりあざだらけ。ひどい者だと、腕を吊っていたりした。
「おいおい、まさかこいつら全員あかねにやられたのかよ。」
(情けねぇ奴らだな。女一人だったんだろ?)
 乱馬はあかねを感心するより早く、船員達に呆れた。
 船員達はあかねの時の事があってか、幾分か乱馬に怯えているような節があったが、やがて一人の船員がヤケになったように乱馬に飛びかかって行くとそれに続いて一斉に乱馬に襲いかかって来た。
 乱馬はそれに対して落ち着いて構え、手負いの船員を相手にし始めた。

 あかねは急に船が騒がしくなった事に気が付いた。
「どうかしたの?」
 目の前で不敵に笑う船長にあかねは問いかけた。
「気にする事はない。」
 船長は答えてくれない。だが、あかねには大体の想像がついた。
(誰かが船に乗り込んできたのね。いろんな人の闘気を感じるもの。)
「いいの?侵入者がいるんでしょ。」
 あかねの言葉に船長は全く反応しなかった。
 船長の余裕の表情にあかねはもうなにも言わなかった。
(侵入者なんかよりも、あたしが人魚になるところを見たいって事?それとも、侵入者なんか自分が相手をしなくてもいいって事?)
 あかねは色々と想像してみたが、全ては無駄な事だと思って途中でやめてしまった。
 いや、本当はその侵入者が乱馬だったらいいのにと淡い期待を抱きそうになったからやめたのだ。
 それからしばらくして、騒ぎが終わったようで再び船に静けさが訪れる。
 乱馬の相手に、手負いの船員達は役不足だった。
 息一つ乱さず乱馬はそこに一人、静かに立っていた。
「これじゃあかねに倒される訳だ。」
 乱馬は一人で納得した。
 船員達を相手していて思った事だが、この船員達はあかねのように人の気配を感じ取る事でさえ出来ないだろう。
 乱馬は船首に行こうとして立ち止まった。
 船首には男と、マストに縛り付けられているあかねがいた。
 二人の距離は近い。
(まずいな。下手に俺が出て行ったら、あかねがあぶねぇ。)
 乱馬はまず自分の気配を消した。それからコソコソと物陰に隠れながら近寄る事にした。
 幸い隠れるのに丁度いい具合に、樽や木箱があったので乱馬は二人に隠れながらかなり近いところまで来る事が出来た。
 あかねはただ目前の夕日を見ている。
 海賊に捕まっているというのに、特に怯えた様子もないあかねは毅然とした態度でそこにいた。
 乱馬はあかねの様子に無事のようだとホッとした。だが、それもつかの間。
 乱馬は見てしまった。
 あかねの白く細い足に赤い筋があるのを。
 あかねの足から流れ出る血は、もう殆ど止まっているがかなり出血している。その足元には血溜まりが出来ていた。
 実際あかねは右足だけで立っているような状態だ。左足は震えている。
 左足で立つ事は不可能だろう。
 乱馬はカッとなってその場から出て行きそうになった。
 グッと今すぐにでも目の前の男を殴りたい衝動を抑える。あかねが人質に取られたらどうするんだと自分に言い聞かせて、なんとか踏みとどまった。
(絶対に許さねぇッ!)
 乱馬は掌に爪が食い込むほど強く拳を握った。
「日が沈む・・・・・・。」
 あかねはポツリと呟いた。
 目前の燃えるような夕日は海を赤く染めながら、水平線に消えようとしていた。
 あかねの足に、うっすらと鱗が見え始める。
「母親もそうだったな。昼間はなんとか人間の姿を保てても、夜になれば本性を現す。お前もそうだと思ったよ。完全に人魚になった時、お前の肉を俺は手に入れる!」
 船長はあかねが人魚に姿を変える兆しを見て、喜んだ。
 あかねは船長が何を言おうが気にしていないようだった。船長の言葉なんてまるで耳に入らないという様子のあかねは、自分が殺されるかもしれないと言うこの状況でも涼しい顔でそこにいた。
 船長は人魚に少しずつあかねが変わっていくのをジッと見ている。
 乱馬も人魚になりつつあるあかねと、あかねを見る船長とを見ていた。
 と、突然船長のあかねを見る目が変わった。
 あかねもそれに気が付いたのか、眉をひそめて船長を見る。
「お前は本当に綺麗になったな。あのうるさいガキだったのが嘘みたいに。このまま殺してしまうのがもったいないぜ。」
「なによ。なにが言いたい訳?」
「わからねぇのか。お前の利用の方法は他にもたくさんある。まずは俺の妻として生かしておいてやろうか?お前も死にたくはねぇだろう。そうだな。最初は見せ物としてお前で一儲けするって言うのも悪くはねぇ。お前はどんな女よりも綺麗だから、俺の妻としても別に恥ずかしくはねぇしな。それどころか、人魚が妻だなんてこんな自慢になる事はねぇ。」
「あんたなに言って・・・・・・。」
「決めた。お前は結構気に入った。若くて綺麗な内は生かしておいてやるよ。俺の妻としてな。ま、ババアになっても人魚は人魚だ。不老不死の肉はいつだって手に入る。今のお前をあっさり殺すのは惜しい。」
「あんたの妻なんて冗談じゃない!それなら殺された方がマシよ!」
 さすがに船長のこの発言にはあかねも慌て、大声で喚き散らした。
 船長はそんなあかねを見てニヤリと笑う。あかねの形のいい顎をグイッとあげた。
 あかねは船長を睨んだ。
(こんな奴の物になんかなってたまりますか!)
 船長は構わずあかねに顔を近づける。
 あかねは思わずギュッと目を閉じた。
(口づけてきたら噛みついてやる!)
 その最悪の瞬間を覚悟した時だった。
「ぐっ!」
 船長の呻く声が聞こえた。同時に顎の船長の手も離れる。
 あかねはゆっくりと目を開いた。
 目の前には背中があった。何度も見た事のある物だ。少し視線をあげる。するとおさげが目に飛び込んできた。
 乱馬が、あかねを船長から庇うようにして立っていた。
「ふざけんじゃねぇ!おめぇなんかにあかねをやるかッ!」
 あかねは突然の乱馬の登場に驚きすぎて、声も出せない。
 乱馬はそんなあかねにお構いなしで船長を見据えた。
 船長は乱馬の跳び蹴りを喰らって甲板に倒れたが、乱馬に蹴られた右頬を押さえながらゆっくりと立ち上がった。
 船長は突然現れた乱馬を見る。
 二人は静かに対峙した。
 あかねは乱馬が来た事に呆然としながら、事の成り行きを見守っている。
 船長が、動いた。
 懐に手を入れたのを見て、あかねは叫んだ。
「乱馬、避けて!」
 一瞬遅れて、船長が懐から銃を取り出して乱馬を狙い、引き金を引いた。
 乱馬はあかねの声を聞く前に本能的にその場から飛び退いていた。球は乱馬には当たらず、あかねの右頬を掠めてマストに当たる。
 乱馬は船長の懐にアッと言う間に飛び込んだ。すぐさま船長の手に握られた銃を叩き落とす。
 銃は床を滑り、あかねの方へと転がってきた。あかねは右足を伸ばし、銃を少しずつ引き寄せる。
 船長は乱馬の猛烈な突きの嵐に見舞われて、防ぐので精一杯だった。乱馬の猛攻に隙がないかと船長はチャンスを待つ。
 しかし船長が見る限り乱馬に隙なんて無いように思えた。
 だがやがて船長は気が付いた。乱馬があかねの方を時折見そうになっているのを。
 これはまさしく船長にとってのチャンスだった。
 乱馬があかねの方に視線を転じかけた、その時を狙い船長は乱馬になんとか反撃する事が出来た。
 乱馬は船長のアッパーを顎に喰らう。意外に効いた船長のアッパーによろけて後ろに倒れる乱馬。
 船長はそれと同時に床に転がった銃を拾い上げようと、あかねの足元に飛んだ。
 それを見たあかねは尻尾になりかけた右足で、引き寄せた銃を踏みつける。
 船長は銃を拾おうと引っ張るが、あかねの足の下にあって取れない。
「足をどけろッ!」
「嫌。」
 あかねは一言で切って捨てた。
 その上、怪我した左足で船長の顔を蹴り上げた。そのお陰で左足は痛んだが、あかねはいい気味とばかりに笑った。
 カッとなった船長はあかねの足を乱暴に払うと、怪我したところめがけて拳を振り下ろそうとした。
「待てよ。」
 そう言っていつの間にか立ち上がり船長の背後に立った乱馬は、振り下ろそうとした船長の右手首を強く掴んだ。そのまま船長を担ぎ上げて船から海に投げ捨てた。
「ふぅ。」
 乱馬は一息ついてあかねを見た。
 乱馬は無言であかねをマストに縛り付ける縄をほどき始める。
(どうして?どうして乱馬はここに来たの?)
 今更と言えば今更の話だがあかねは困惑しながら乱馬を見る。
 縄を解く乱馬はあかねを見る事はしなかった。下を見て、縄をほどく事に集中する。
 縄は相当きつく縛ってあったのかほどくのに手間取り、その間に日が沈んであかねの足は完全に尻尾になっていた。もしもマストに縛られていなかったら、あかねは自分を支える事が出来ずに床に倒れ込んでいただろう。
 やっと縄がほどけると、あかねは支えを失ってその場に崩れ落ちるように倒れそうになった。
 乱馬はすかさずあかねを受け止めて支えた。
 丁度乱馬があかねを抱きしめるような状態になってしまい、あかねはほんのりと顔を赤く染めて慌てて言った。
「あ、あのあたし別にいいから!支えてくれなくても、自分で船から下りるし!だから、離してくれていいからね!」
 乱馬はあかねがそう言っても離す気はサラサラなかった。
 久々に見たあかね。最近では夢にまで見ていたあかねが今自分の腕の中にいるというのに、何故離す事が出来るかと、乱馬はあかねをギュッと抱きすくめた。
「乱馬!?」
 嬉しいが、乱馬に嫌われていると思っていたあかねには乱馬の行動が全く分からなかった。
 あかねは胸が痛くなってくる。
(こんな思わせぶりな事しないでよ。優しくされると、辛いよ。乱馬・・・・・・。)
 あかねは乱馬から離れようと、乱馬の肩を押し返す。
 しかし、あかねの抵抗など全く歯が立たなかった。
「こんな事されちゃ迷惑か?」
 不意に傷ついたような乱馬の声がした。
 あかねが顔を上げると、悲しげなダークグレーの瞳があかねを見下ろしていた。
「そう、だよな。あんな酷い事言ったのに、いきなり抱きしめられたら嫌だよな。でも、このままちょっとだけ俺の話、聞いてくれ。」
 乱馬は深く息を吸い込んだ。
「俺な。あの時、お前が人魚でもいいって本当に思ったんだ。隠してたのも、なんか理由があるんだって思ったんだ。だから俺あんな風に怒る気はなかったし、お前の事今も怒ってる訳じゃねぇ。嘘つきとか、そんな風にも思ってねぇ。ほんとだ。だけどあの時人魚になったお前見たら、こんなに近くにいるのに俺から遙か遠くの奴に思えたんだ。お前は俺とは別の世界に生きてるんだって、俺とは違うんだって見せつけられたみたいで、嫌だったんだ。」
 あかねは黙って乱馬の話に耳を傾ける。
「言ってから凄く後悔した。謝ろうって思ってこの一ヶ月間、お前がいるって聞いて洞窟に何度も行ったし、夜も浜に行った。会いたくて会いたくて、夢にまで見たのに全然会えねぇから俺、気が変になるかと思った。俺からあかねが離れてくのは嫌だ。あかねが誰かのモンになるのも嫌だ。あかね、どこにも行くなよ。ずっと俺のトコにいろよ。頼りねぇかもしれねぇけど、もっともっと強くなるから。だから、俺にお前を守らせてくれ。」
 あかねは全身が震えた。嬉しくて涙が出そうだった。
 乱馬はあかねが泣きそうなのに気が付いてバッと身を離した。抱きしめるのをやめて、あかねの腰の辺りを掴んで支える。
「ご、ごめん!や、やっぱ迷惑だったか!?」
 そう言った乱馬の顔は酷く傷ついた、幼い子供のようだった。
「そんな事、無い。あるわけ、無いよ・・・・・・。」
「あかね?」
 乱馬があかねの顔を覗き込んだ。
 あかねは泣き笑いの顔で言った。
「嬉しい・・・・・・。」
 ドキッと乱馬の心臓が飛び上がる。
(嬉しいって、要するに側にいてくれるって事だよな?)
 乱馬は怖々と、まるで壊れ物でも扱うかのように再びそっと抱きしめる。
 あかねはあっさりと乱馬に身を任せた。泣き顔を見られたくなくて、自分の顔を乱馬の胸に押しつけて隠す。
 乱馬はそれに気が付いてあかね言った。
「泣き虫。」
 あかねは涙声で言い返した。
「なによ、馬鹿。」
 ムッとして乱馬を見ると、乱馬は続ける。
「そんなんじゃ放っておけねぇよ。側においとかねぇと、おちつかねぇ。今度はなにしでかすかってヒヤヒヤもんだからな。」
「ばか。」
 二度目の馬鹿は、乱馬にはなんとなく優しく聞こえた。

 ドォンッ!
 突然、船を激しい揺れが襲った。
「また地震か!?」
 乱馬が驚いて叫ぶ。
「乱馬、すぐこの船から離れて!」
 あかねは直感的に思った。
(この船は襲われてる!)
 それを証明するかのように、海中から長く太いニュルニュルとした物が出てきて船に絡みついた。
「ゲッ!」
 乱馬はすぐさまあかねを担ぎ上げた。そして、錨の側に繋いだ船の上に降りる。
「来るッ!」
 なにが来るかは言わないが乱馬にもなにが来るか分かった。
 あかねは海に入って船を押した。なにがなんでもこの海賊船から離れなければならない。さもなければ・・・・・・。
「ありゃ・・・・・・タコの足!?」
 乱馬は素っ頓狂な声をあげた。
 タコの足のような物は海賊船に絡みつき、真ん中で真っ二つに割り、いとも簡単に海賊船を沈めてしまった。
 あかねはそれを見て青ざめた。
(あたし、とんでもないモノを起こしちゃった・・・・・・。)
「あかね、怪物ってもしかしてでっかいタコか?」
「分からない。あたし、聞いた事無かったの。お母さんは話す前に死んじゃったし、ただ歌いなさいって・・・・・・。」
「そうか。」
 乱馬は険しい顔としていた。
「あたし、確かめてくる!」
「ばっばか!なに考えてんだ!」
 乱馬は海に潜ろうとするあかねを止めようとしたが、あかねは乱馬の伸ばした手をかわして海へ潜ってしまった。
「戻って来いあかね!」
 しかしいくら乱馬が呼んでも戻っては来なかった。



つづく




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