◇海の守人 1
夏海さま作


 絶海の孤島。
 どこまでも広がる蒼い海と、青い空、そして雄大な自然。
 その島にはただ一つ、島の東よりの所にポツンと村がある。その村では男は海に出て漁に精を出し、女は畑で作物を作っていた。
 森には牛や豚などの動物が多々棲息している。
 島の外からの接触はほとんどなく、完全自給自足制の村だ。
「良牙、急げ!」
 乱馬は後ろから走ってくる良牙をせかす。
「本当に行くのかよ。お前の親父さんだってあんなに止めてたのに。」
「知るか。あんなスチャラカ親父の言う事なんか。」
 乱馬は父、玄馬の忠告を無視していた。彼曰く、働きもしない親父の言う事なんて当てになるか、という事だった。
 本名、早乙女乱馬。
年は十六で、適齢期も適齢期。行き遅れ決定の一年後まで既にカウントが始まっている。
 そろそろ結婚を真面目に考えてもいい頃なのに彼には全く女っ気がなかった。女よりも家を支える為に働く方が忙しかったし、なにより彼は武道を極めるために日々鍛錬していた方が結婚を考えるより数百倍マシだったのだ。
 彼は村一番―――言い方をかえればこの島一番の腕っ節の強さを誇るが、それでも井の中の蛙と自らを称し、更に高見へ昇ろうとまだ見ぬ強者の幻影を相手に稽古している。
 そんな彼の親友(?)、もしくはパートナー、又はライバルという複雑な関係なのが後ろから来ている良牙。
 本名、響良牙。乱馬と同い年で、一年前に結婚。
 既に家庭を持っているだけに乱馬よりしっかりしている―――かと思えばそうでもない。実に驚異的な方向音痴で、漁に出る時も乱馬が船の舵を取る。さもないと、西に行ったつもりが実は東だった、などと言う事が当たり前の様に起きてしまうのだ。
 彼は乱馬と幼なじみで、ずっと一緒に漁に出ていた。
 また、乱馬が武道に興味を示しているように良牙も武道を極めんとしている。だが未だに乱馬に勝てた事が無いという。
 そんな二人は今日もまた、海へ出ようとしていた。
 今朝は酷い嵐が過ぎたばかりで、波も高く、まだ空には暗雲が立ちこめ、もう一雨来そうな天気だ。
 他の村人達は今日の漁を諦めたが、乱馬だけは漁に行く気だった。良牙を無理矢理誘い漁に出かけるところで、玄馬に忠告を受ける。が、それでも乱馬は良牙を連れて漁に出る事を曲げようとしなかった。
 良牙もこの無茶な幼なじみを一人で荒れる海に出すのが忍びないのだろう。
 船の側まで来ると、良牙も乱馬を止める事が出来ないのが分かると黙って船に乗り込んだ。乱馬はそんな事は分かっていた、とばかりに涼しげな顔で船を出した。
 そんな彼を、良牙はため息を付きながら見た。

 海は乱馬の想像より遥かに荒れていた。
「乱馬、やっぱり引き返した方がいいんじゃねぇか?」
 良牙は今からでも遅くないと、乱馬に再度今日の漁を辞めるように勧めた。しかしそんな事で引き返すような男ではない。
「なに言ってんだよ!ここまで来たんだぜ?ちっとぐらい荒れてるからってビビんなよ。」
「誰がビビッてるんだよ!ったく、融通の気かねぇ奴だな。」
「人の事が言える性分か、おめぇが。手合わせしようと決めたらこっちの都合もお構いなしのくせに。」
 だんだんと二人も荒れたこの海に慣れてきたのか、余裕が出てきた。余裕が出ると共に軽口を叩き始めた彼ら。
 そんな彼らに、油断が生まれるのも無理からぬ事であった。
 いつものポイントに着くと乱馬と良牙は手際よく作業をこなす。同じ年の子供達より半年ばかり早く子供らだけで漁に出始めた二人は漁も上手かった。年頃になった今では更に磨きが掛かり、腕のいい漁師としても一二を争っていた。
 その準備を始めた頃から、再び雨が降り始めたが二人は気にしなかった。
 網を張り巡らせて、かかった魚をあげる。嵐で流されてきたのか、滅多に見ない魚達もわんさか採れた。
「ほら、やっぱり来て正解じゃねぇか。」
「そうだな。これだけあれば、村にみんなはしばらく楽が出来るな。」
「全部俺達のお陰だぜ。いや、漁に出ようって言った俺のお陰かな。」
「なに言ってんだ。俺だってこうして一緒に来てやったんだ。純粋な力だけなら俺の方が上だし、役に立ってるだろ。網を引き上げるのだってお前一人じゃ出来ないんだからな。」
 ムキになる良牙に、乱馬は笑いながら言った。
「馬鹿か。からかっただけだ。俺達二人の手柄に決まってるじゃねぇか。」
「あのなぁ・・・・・・からかってる暇があったら網を引き上げるのにもう少し力を入れろよな・・・・・・。」
 乱馬がちっとも彼本来の力を出していないのを感じて、良牙は呆れたように言った。
(まるで子供じゃねぇか。)
 いつまでたってもそこら辺の悪ガキのような幼さの残る原因は、乱馬に好きな女が出来ないからだと良牙は分かっていた。
(好きな女性が出来れば、奴も俺のように変わっていくはずだ。・・・・・・なるべく早く変わって欲しいものだな。)
 良牙は乱馬を見ながらそう思った。
 と、その時だ。
 地鳴りのような音がしたかと思うと、急に船が何かに吸い寄せられるかのように動く。
「津波だ!」
「でかい!」
 気が付いた時には既に遅かった。
 彼らの背丈の二倍はある津波はもう目の前まで迫ってきており、二人はもろに波をかぶった。
 良牙は津波に流され、流され沖に来ていたはずが村から少しばかり離れた岩場の側に流れ着いた。無我夢中で岩場にしがみつき、なんとか這い上がる。
(日頃鍛錬していたお陰かもな・・・・・・。)
 それから良牙はハッとして乱馬を探す。
(運が悪い俺だって助かったんだ。あいつだって絶対助かったはずだ。)
「乱馬ーッ!どこだ、乱馬ー!」
 岩場のあたりに自分と共に流されていないかと、その姿を探すが見つからない。
(まさか、まだ海に!?)
 良牙は目を凝らして、海を見つめる。
「乱馬ッ!」
 良牙の目は、確かに彼を捉えていた。まだ随分と沖の方にいる。
 良牙は飛び込もうとしたが、それでは乱馬の二の舞になりかねないと判断し、村に助けを呼びに行こうと決めた。
「乱馬、待ってろよ!すぐ・・・・・・!」
 乱馬は良牙の目の前で、波にさらわれ姿を消した。
「くそっ!」
 吐き捨てるように言うと、良牙は力の限り村に向かって走った。

(苦しい・・・・・・。畜生!せめて、せめて上に上がれれば・・・・・・ッ!)
 乱馬は真っ暗な海の中で必死に浮き上がろうともがく。
 いつもの冷静な乱馬ならこんな時は暴れない方がいいとよく知っていたのに、この時の乱馬はただただ必死に海の上に出ようとした。
 逆に激しく動く波に邪魔されて上手く浮けない乱馬は、浮き上がろうとするのに無駄に体力を削るだけで終わる。
 遂に乱馬は止めていた息を吐き出した。 それと共に、薄れていく意識に霞む視界。
(もうダメか・・・・・・。クソ親父のいう事、ちゃんときいときゃ良かったぜ。良牙の奴助かったかな?もし助からずにいたら・・・・・・俺のわがままで一緒に漁に連れてきたのに、あかりちゃん泣かしちまったじゃねぇかってあの世で良牙にもう一度殺されるかもな。)
 そんな事を考えながら、乱馬は目を閉じる。もう二度と開けないぐらいに瞼は重く感じた。
(親父、お袋、良牙・・・・・・わりいな・・・・・・。先に行ってっから・・・・・・。)
 諦める乱馬。
 そこへ少女が一人、乱馬の側まで近づいてきた。
 乱馬の意識がないのを確かめると、少女は人間離れしたスピードで良牙の打ち上げられた岩場に向かって泳ぎ出す。
(誰だ・・・・・・?俺を引っ張って泳いでる?)
 それだけをぼんやりと感じながら、乱馬は意識を手放した。
 少女―――あかねは乱馬を引っ張り、良牙の打ち上げられた岩場に引っ張り上げた。濡れて顔に張り付いた髪をうざったそうに掻き上げる。その姿を見る者がいれば、誰でもあかねに見惚れていただろう。
 あかねは乱馬の胸にそっと耳を当てた。それから口の側に手をかざす。
「心臓止まってるし、息もしてない・・・・・・。死んだのかしら。」
 冷たく言った。
 あかねは人間、特に男が大っ嫌いだった。
(これじゃ助かりそうもないわね。馬鹿な奴、荒れた海に漁に出るなんて。海を侮るからこうなるのよ。)
 あかねは乱馬をそのまま岩場に残し、去ろうとした。しかし何かがあかねを止める。
 あかねは乱馬に背を向けたまま、動けなくなった。
(これじゃあ、人間と同じだ。あの薄汚い人間共と。あたしは、そんな風になりたくない!)
 あかねは乱馬の側に寄ると、人工呼吸を始めた。
(こいつも人間だ。だけど見捨てて行けば、あたしはその人間と一緒になってしまう。あいつらと一緒に!)
 あかねもいつしか必死だった。
 ただ乱馬を助けたい一心で、冷えた乱馬の身体をさすりながら人工呼吸を続ける。だが雨がだんだんと強くなり、乱馬の身体はますます冷えてきた。唇も真っ青なままだし、顔色も悪い。
「起きて!あんた、死にたいの!?」
 意識を失った乱馬にその声が届くわけがない。それでもあかねは時々乱馬の耳元で叫んだ。強くなった雨音に負けないぐらいの大声で。
「しっかりして!起きなさいってば!」
 あかねは歯痒かった。
(雨さえ・・・・・・雨さえなければコイツを雨の当たらない場所に運んであげられるのに!)
 あかねは自ら乱馬の雨よけになった。
 そして・・・・・・
「ゴホッゴホッ!!」
 乱馬は勢い良く、飲み込んだ水を吐き出した。
 あかねは慌てて身を引いて、その水を避けたのでかからなかった。
 かすかに乱馬の手が動き、長い睫が揺れる。唇の色も、顔色も赤みが差してきた。
 あかねは乱馬が意識を取り戻しそうなのを見て、自分の事を知られぬ内にと帰ろうとした。
 だがゴロゴロと石の転がる岩場。あかねは石で身体を傷つけた。
「っ・・・・・・!」
 思わず呻いたが、乱馬に見られる前にどうしても戻りたかったあかねは顔をしかめながら去った。
 乱馬はかすかに瞼を開く。
 誰かが去って行くのを感じて、そちらに首をなんとか傾けた。 うっすらとぼやけた視界に映る小柄な人影。濡れた黒髪のスラッとした、しかし勇ましい感じを受ける後ろ姿。肌は今まで見た誰よりも白い。
 そして自分の唇に残る柔らかな感触。
(アイツが助けてくれたのか・・・・・・?)
 体を起こして礼を言おうとしたが、身体は疲れ切りいう事を聞かない。
 助けてくれたと思われる相手に声をかける事も出来ず、またその姿をはっきりと見ておく事も出来ずに乱馬は再び意識を失った。

「見ろ!乱馬だッ!」
 そこへ良牙と共に玄馬や村の若い衆が駆けつけた。
 良牙は慌てて乱馬の胸に耳を当てる。トクン、トクンと乱馬の心臓はゆっくりと弱々しくではあるがちゃんと動いていた。
「生きてる!」
 良牙は歓喜の声を上げた。
「この馬鹿息子が!あれほど今日の漁はやめておけと言ったのに!」
 玄馬は口では厳しい事を言っているが、顔にはとにかく乱馬が助かって良かったと書いてある。その後すぐ良牙と玄馬の二人で、気を失った乱馬を家に運び込んだ。
 村の若い衆はいつでも船を出せるようにと待機していた他の村人達に、乱馬が助かった事を報告しに走った。

 次の日の朝
 一晩昏々と眠り続けた乱馬は、朝早くに意識を取り戻した。いつも漁に出て、帰って来たぐらいの時間だと乱馬は思った。
(そうか、俺が溺れて助かってからあんまり経ってねぇんだな。)
 勘違いした乱馬は起きあがり、母のどかが自分の手を握りそのまま寝ているのに気が付いた。
 乱馬はのどかを起こさぬように布団から抜け出し、そっと上掛けを掛けてやった。
 家から一歩外に出ると、今朝の漁の事がまるで嘘のように美しい青空と燦然と輝く眩しい太陽が乱馬を出迎えた。 右手をかざして、目を細めながら太陽を見つめる乱馬。
「起きたのか、乱馬ッ!」
「良牙、おめぇも助かったか。」
 ふざけたようにケラケラと笑いながら言う乱馬を、良牙は本気で殴った。
「いって〜なッ!あにすんだよ!」
「バカヤロウ!お前がふざけてそんな風に言うからだろ!お前、昨日の朝の漁から丸一日寝てたんだぞ!」
「丸一日〜!?」
 良牙の発言に乱馬は素っ頓狂な声を上げた。
「あ、あれからもう一日経ってんのか!」
「そうだ!俺達みんなで心配してたんだぞ!お前のお袋さんなんて、真っ青になりながらお前の手を握ってずっと看病してくれてたんだからな!」
 乱馬は当初のふざけた態度を消し、反省する。
「心配かけて、悪かったな。」
「それはお袋さんに言ってやるんだな。俺は、結局お前を止められずに一緒に漁に出たクチだ。俺だってお前と同じようなもんさ。お陰で村長が今日の漁には行かせてくれなかったんだぜ?今日、明日は漁には出るなってさ。」
「そっか・・・・・・。」
「お前はまだ本調子じゃないんだろ?ゆっくり身体休めておけよ。あさってにはまた漁に出るんだろ。」
「そうしとくか。じゃな、良牙。」
「おう、無理すんなよ。」
 良牙は乱馬と別れて自分の家に戻った。
 それを見届けてから乱馬も家に戻る。
 丁度その時寝ていたのどかが起きだした。
「乱馬・・・・・・?」
 元気な姿で目の前に立つ息子の姿を見て、のどかは乱馬に抱きついて泣き出した。
「お袋、心配かけて悪かったな・・・・・・。」
「乱馬!何故あんな無茶な事を・・・・・・!もうあんな事絶対にやめて頂戴!」
 泣きながら叱るのどかを見て、乱馬はしゅんとした。

 その後、少し遅めの朝食を取った早乙女一家。早々にご飯を平らげた乱馬は、昨日の話を聞いた。
(もしかして、俺を助けてくれた奴は本当にいる・・・・・・?)
 乱馬は夢かと思っていたのだ。良牙が気を失った自分を助けてくれたんだ、と思っていた乱馬は自分が一人で岩場の上にいたと言う事実に驚いていた。
 あの岩場に打ち上げられたという可能性は限りなく低い。
 乱馬は食後の散歩に行くと言って、昨日の岩場までやって来た。
 ブラブラしながら昨日うっすらと見た後ろ姿を思い出す。
(小柄で・・・・・・黒髪。んで・・・・・・どんなんだっけ?)
 昨日見たはずのそれは更にあやふやになっていた。
 それから自分の指を口に軽く当てる。
(なんとなくだけど、柔らかい感触がした・・・・・・。)
 となれば想像する事は一つ。
 乱馬は顔を赤くした。
(相手は・・・・・・女、だったよな。うん。小柄だったし、女だと思いたい。・・・・・・男に人工呼吸なんてされてみろ。いくら生きるか死ぬかでも、男にされたなんて気色悪くてかなわねぇよ。)
 思わず男に人工呼吸される自分を思い浮かべて乱馬は気持ち悪くなった。
(女と思っておこう。今は、とりあえず。)
 そこへ、姉のかすみに会いに来たあかねが現れた。朝は滅多に人の来ないこの岩場であかねは二人の姉、かすみとなびきのどちらかと週に一回ぐらいの割合で会っていた。
 かすみとなびきは既に結婚し、村で暮らしていたがあかねだけはすぐ近くの入り江にある海につながった洞窟から離れようとしなかったのだ。人間嫌いのあかねは自分の事を知られたくないと言いかすみとなびきはあかねの存在を村人の誰にも話す事はなかったし、あかね自身も村人達の前に姿を現す事を避けていた。
 あかねは人の・・・・・・乱馬の気配を感じた。
 乱馬もそれより少し早くあかねの気配を感じ取る。
 二人は顔を合わせた。
 と、思ったらあかねは一気に駆け出していた。自分の住処にしている入り江の洞窟に向かって。
(見られたッ!しかもあれは昨日の男ッ!)
 いつもなら、向こうに気取られる前にそっと立ち去っていたのに今回は乱馬の方が気が付くのが早かった為にバッチリ見られてしまった。
 あかねはとにかく逃げなければと思った。
 一方乱馬は自分を見ていきなり逃げ出したあかねを追いかけて、肩を掴んで止める。
「逃げるこたぁねぇだろ。」
(なんとなく、昨日見た奴に似てるような・・・・・・?)
 一目見て、あかねがこの村の者ではないと気が付いた。この島にただ一つの小さな村に十六年も暮らしていれば、知らない者などいない。なのにあかねは一度も見た事のない顔だった。
 あかねは乱馬を睨み上げる。敵対心を露わにして。
 一方は探るように見て、一方は拒絶の意志を投げかける。
 そこへかすみが来た。手にはかご一杯に、村の畑でとれる野菜と今日の朝採れたと思われる魚を持っている。
 あかねは視線でかすみに戻るように促した。
 ここは流石に姉妹。かすみはあかねの意志を汲み取って、それとなく行ってしまった。
 乱馬はかすみの存在に気が付いてはいたものの、ただ食料の買い出しの後にふらりと立ち寄っただけだろうと解釈して、気にしなかった。
 あかねは乱馬を睨み、警戒したままきつく言った。
「離して。」
「なんで逃げたんだよ。」
 あかねの態度に乱馬は多少怒りはしたものの、極力怒りを表さずに尋ねた。
 だがあかねは冷たく言い返す。
「あんたはなんで追いかけたの?」
 乱馬は口ごもった。
 理由なんて特に無い。逃げ出したから、追いかけてしまっただけだった。
 あかねはその隙に肩を掴んでいた乱馬の手を払いのけ、走って逃げ出した。
 今度は乱馬も追いかけなかった。
(言われてみりゃあ、追いかける理由なんてねぇな。)
 そう考えてから、乱馬は次の瞬間『あ〜ッ!』と声を上げた。
「あいつに昨日の事聞けば良かったッ!」
 どことなく自分の見た人影に似たフインキの少女。自分を助けてくれた訳じゃなくても何か知っているかもしれないのに、聞かずにそのまま帰してしまった事を悔やんだ。
(次いつ会えるかわかんねぇよな・・・・・・。この近海に島がある訳じゃねぇから、この島から出て行く可能性はないとしても。)
「はぁ〜。」
 珍しく乱馬は溜息をついた。
 それから少女の事を思い返してみる。
 ツンケンした態度、堅い表情。明らかな自分に対する嫌悪、敵意。まるで自分に触られた時、害虫に触れられたかのような苦虫をつぶしたようなあの顔。そして逃げ出した少女の後ろ姿。
(絶対向こうは俺を嫌ってるな。)
 乱馬とて、そんな少女に好意を持てるはずもない。印象は最悪だった。
(でも・・・・・・。)
 あんな表情をかたどってはいたがかなり可愛い顔立ちだった。そして自分の体験からか、思わず見てしまった唇は・・・・・・。
 乱馬は再び赤面した。
(あいつだったら、いいかな・・・・・・。)
 ほんの一瞬だったが乱馬はそう思ってしまった。
「ここにいたのか、乱馬!」
「うわあっ!?」
 突然良牙に声をかけられて、乱馬は文字通り飛び上がって驚いた。
「どうした乱馬。」
「べ、べ、別になんでもねぇよ!それよりどうした?」
「いや、お前のお袋さんがお前の帰りが遅いって心配してたからいつもの灯台に探しに来たんだが・・・・・・どうしてか岩場についてな。」
 ちなみに灯台は岬の方にあり、岩場とは村を挟んで正反対の方向にそびえ立っている。ここからでも十分に灯台は見えているのだが。
「おめぇの方向音痴ぶりは尊敬に値するぜ・・・・・・。一体どうやって見えている灯台と反対の方向に来れるんだか。」
「うるせぇ!結果的にお前を見つけられたんだから、いいじゃねぇか。」
 良牙は顔をほんのり赤く染めて言った。
「んじゃ、お袋が心配してんなら帰るか。」
 乱馬は頭の後ろで手を組んで歩き出す。
「ま、待てよ乱馬!」
 乱馬とはぐれたら一週間は村に帰れないと分かっているからか、良牙は慌てて乱馬の後に続いた。

 そんな二人をやり過ごしてから、なびきがかすみの持っていたかごを持って岩場に姿を現した。
「あかね、いるんでしょ?出てきなさいよ。」
 二人が完全にここから見えなくなると、なびきがあかねを呼んだ。
「なびきお姉ちゃん。」
 あかねは岩場の影から姿を現した。走って逃げたと見せかけて、実はまだ近くに潜んでいたのだ。
 乱馬にばれるかとビクビクしていたあかねだが、運良く良牙が現れて乱馬の注意がそれた為ばれなかった。良牙が乱馬の所に来れたのは、あかねの強運が力を貸したお陰かもしれない。
「かすみお姉ちゃんが、早乙女さんとこの乱馬君に姿を見られたからあたしが来たんだけど・・・・・・それよりあかね。乱馬君に見つかったんですって?」
 あかねは急に表情を堅くした。
「ええ。でも心配しないで。全然平気よ。あんな奴が騒いだところであたしが他の人にばれなきゃ誰も信じないわ。」
 なびきはそう言い張るあかねを心配げに見つめた。
(乱馬君はあかねが思うより強いのよ?)
 なびきはあえて言わなかった。そんな事を言ったら、この妹は勝ち気な性分からか自ら乱馬の前に姿を現し、この手で倒してみせると言い出しかねなかった。
 無茶をしないぐらいの年になったとはいえ、まだまだ幼さが残るこの妹はなびきにとって心配の種の一つだった。
 だが、なびきはそんな感情を表には出さず、あかねに今週分の食料を手渡した。
「今週分のこれで足りるわよね。そうそう、かすみお姉ちゃんが心配してたわよ。乱馬君に見つかってあの子大丈夫かしらって。」
「大丈夫ってかすみお姉ちゃんに言っておいてくれる?」
 そこにはさっきまでの堅い、冷たいあかねはいなかった。どこから見ても、ただの愛くるしい姉思いの少女だ。
 なびきはあかねに言った。
「あんたもいい加減村に来れば?一人で住めば夜抜け出してもバレやしないわよ。あたしとお姉ちゃんもフォローするし。それにあたし達が村に初めて行った四年前だって、村の人達はどこから来たと尋ねても答えなかったあたし達を快く迎えてくれたのよ?」
 必死の説得だった。
 答えは分かっているのに、なびきはどうしてもあかねにそう勧めてしまう。あかねに会う度に。
 あかねはその度に首を横に振った。
「いい。人間は苦手だもの。特に男なんて大嫌い。近寄りたくないから、今の生活が一番いいよ。」
「あんた・・・・・・お母さんの遺言を、お母さんの意志を受け継ぐのにかこつけて、本当はまだあの事を引きずってるんじゃないの・・・・・・?それで異常に人間を避けて・・・・・・。」
「やめてよッ!」
 あかねを耳をを両手で塞ぎ、しゃがみ込んだ。
 なびきはその様子を見て確信する。
(あかねはまだあの事を気にしてるのね・・・・・・。)
 あかねはガタガタと身体を震わせる。
「あかね、ごめん。ごめんね、もう言わないから・・・・・・。」
 なびきはあかねの側にしゃがみ込んだ。
 あかねはまだ立ち直れないが、コクッと頷いてなびきに笑いかけた。
「大、丈夫。あ、たし・・・・・・ちょっと思い出した、だから、大丈夫、だから。」
 なびきは胸が痛くなった。
(なんでこの子なんだろう。なんでお母さんの能力がこの子だけなんだろう。あたしやお姉ちゃんじゃ一緒に痛みを感じる事が出来ない。なんでこの子なんだろう。なんでこの子だけがあんな場面を見てしまったんだろう。そのせいでこの子は人間嫌いに・・・・・・。)
 なびきはあかねの受け継いだ母の能力を恨み、同時にあかねに同情する。しかし同情を露わにする事はない。同情なんて気休めにもならないと知っているからだ。
「なびきお姉ちゃん、もう行きなよ。長くいて、見られたら大変だもん。」
「そうするわ。それじゃ、また来週ね。」
「うん。かすみお姉ちゃんによろしく。」
 二人は早々に岩場から立ち去った。
 あかねは入り江に戻った。

 夕刻
 乱馬は再び、あかねを探しに岩場へやって来た。あかねがなにか知っているかも知れないと、希望を持って。
 あかねを探したのだが、逢えなかった。
(ちくしょー、あいつならなんか知ってると思ったのに・・・・・・。)
 乱馬はどうしても自分を助けた者を見つけたかった。
 あの荒れた海で、気を失った自分を引っ張って泳げるほど泳ぎの上手い奴。村の者に聞いたところ、誰も乱馬を助けてはいない。
 という事は、あかねが今一番怪しい。あかね本人か、もしくはその家族か・・・・・・。
 どっちにしろあかねに聞かない事には話が進まない。
「あいつ、どこにいんだろ・・・・・・?」
 乱馬の呟きは波の音にかき消された。

 ほぼ同時刻
 あかねは洞窟の奥でその時を待っていた。洞窟の奥には海へつながる穴がポッカリと空いている。
(そろそろ日が沈む。)
 あかねは洞窟から射し込む光の加減でそれを感じた。
 日が沈むと同時にあかねの身体に変化が起きる。
 見慣れた足は鱗のある尻尾になった。いつもの白い五本の指の間には水掻きのような物が出来ている。
 その姿はどう見ても人魚のものだ。
 あかねはそのまま海へつながる穴へ飛び込んだ。
 暗い海を泳ぎ出すあかね。
(あの男、あたしよりも強かった。あたしの気配をあたしがあいつの気配を感じるより早く感じた。下手にあいつの前に姿を現したら、とんでもない事になる。)
 あかねは乱馬の事を思い出していた。
 今日、乱馬に掴まれた肩を自分の右手で触れる。
(あの時、あいつが一瞬・・・・・・あの時の海賊に見えた・・・・・・。)
 あかねは人間、特に男が嫌いなのはある体験からだった。元はそんな事はなかったのだ。
 いや、今も嫌いなのではない。怖いのだ。人間を見れば、男を見れば、あの恐怖体験がよみがえる。
 今日の時だってそうだったのだ。
 乱馬に気取られないようにとあかねの必死の抵抗が睨み付ける事だった。
(なびきお姉ちゃんの言う通り、あたしはあれから人間が怖いまま。一歩も進歩できない・・・・・・。)
 あかねは恨んだ。
 自分が人魚なんかにならなければ。
 お母さんが人魚なんかじゃなければ。
 お母さんを狙って海賊が襲ってこなければ。
 お父さんだってその海賊からお母さんや自分を助けようとしなければ。
「どうしてあたしはこんな能力を持ったんだろう。」
 あかねは海の上へ出た。
 月が丁度昇ってきた。今宵は満月。
 あいつの力が一番弱い日。
 お母さんの遺言は、あたしに歌い続けて欲しいって事。この海と、この島を守って欲しいって事。
「お母さん、あたし本当は・・・・・・。」
(このまま歌い続けるのは別にいいの。だけど、あたし本当は一人で寂しい。村に行ってみたい。友達を作りたいの・・・・・・。どうしてあたしはこんなに弱くて、恐がりなんだろう。お母さん、いつかあたしもお姉ちゃん達みたいに村に行って暮らせるかな。)
 満月に語りかけるが、返事はいつまでも帰ってこなかった。



つづく




夏海さんのパラレルワールド・・・
人魚的あかねちゃん・・・
そそられます・・・続きます。
さて、お約束の乱馬との出会いはいかに?
(一之瀬けいこ)


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