◆インベーション 後編
原作 芽生さま
文章 一之瀬けいこ

六、流幻沢にて


 流幻沢の駅から更に、山の奥地に歩いて行くこと小一時間。
 相変わらずの巨大動物の宝庫の流幻沢。巨大な鳥がバサバサと羽音をたてながら飛び交い、のっしのっしと人の数倍はあろうかというハ虫類や草原動物が徘徊する。
 その、奇怪な景色ももろともとせず、深い山を分け入る。

 見覚えのある、山小屋。
 そこにあかねはいた。

 ずいずいっと入って行くのも気が引けて、ひとまず、隠れて、物陰から様子を伺う。
 気配を悟られるのも気不味いので、気取られぬ程度に間合いを取る。結果、話声までは聞こえないが、何とか表情は伺える距離で、じっと目を凝らす。

 あかねは恥じらいともとれそうな、軽い微笑みを浮かべながら、真之介と洗濯物を干していた。
 シーツにタオルにたくさんの布オムツ。そう、布オムツだ。
 昨今、布オムツを多用する家庭はめっきり少なくなって来たが、これみよがしに何十枚も天へ向かって白くはためいていた。恐らく、こんな山奥では、紙オムツを捨てるのが一苦労なのに違いない。ということは、洗濯して干せば、何度でも再利用できる布オムツの方が便に叶うのだろう。
 この、短絡思考男。はためく布オムツを目の当たりにして、プッツン、切れてしまったのである。
 瞬時に血が昇り、我慢ならず、いきなり草むらを飛び出していた。

「真之介ーっ!」

 そう叫ぶと、握った拳で一発、真之介の顔面へとパンチを浴びせかけた。

 無論、あまりに唐突なジャブだったので、避けること叶わず、強烈なパンチが真之介の顔面を強襲してしまった。


「きゃああーっ!」
「いやあああーっ!」
 同時に二人の女の叫び声が、乱馬の耳に届いた。

 そう、あかねの他に、もう一人女性が居たのだ。

「ちょっと、乱馬何するのよ!」
 あかねが怒鳴ったのは当然として、
「きゃーー!あんたうちの真ちゃんに何するのーっ?」
 もうひとつの、黄色い声が乱馬を襲った。

「え…?うちの真ちゃん?」
 女性の声に、我に返った乱馬は声の方へと頭を手向けた。
 ハタハタと舞い上がるシーツの向こう側から、あかねよりも髪の毛が長い女性が、乱馬を睨みつけていた。
 シーツの陰に隠れて見えなかったが、今倒れた真之介に心配そうに寄り添っている。おなかが大きい。とても大きい。太っている訳ではない。
 絶対妊娠している。と、乱馬が思った瞬間、その女はおなかを押さえて言い放った。
「ううっ、痛い!痛いわっ!」
「清美さんっ!大丈夫?乱馬、あんた、何てことしてくれたのよー。清美さんの身体に何かあったらどうするの?」
 あかねは清美と呼んだ女性をかばいながら、乱馬を睨みかけた。
「あかねちゃん、大丈夫よ。この痛み方…もしかすると、陣痛が始まったのかも…。」

「え?な、何だ…何がどうなってんだ?」
 何が何やら、さっぱりわからずに、立ちつくす乱馬に、容赦なくあかねは声を張り上げた。

「ちょっと、乱馬、何ぼーっとしてるのっ!ほら、手伝いなさいよ。さっさと、清美さんを担いで、家の中に連れて入って。
 真之介君は、のびてないで、蒲団を敷いてちょうだいっ!」
 そう叫ぶと、
「おじいさん、清美さんの陣痛が始まったわっ!」
 と叫びながら、先導して家の中へとダッシュする。

 どうやら、目の前の女性は妊婦で、興奮した拍子にお産が始まってしまったらしい。
 乱馬はあかねに指示されたとおり、清美の背中を支えた。そして、ゆっくりと抱きあげて、そのまま家の中へと連れて入る。清美さんのお腹は、立派な妊婦腹だった。
 傍らでのびていた真之介も、お産の呼び声に、シャキンと起き上がって、家に入る。そして蒲団を丁寧に敷いて行く。
 その蒲団の上に、抱き上げた清美を下ろして、そのまま丁寧に寝かしつける。
 当然、それだけで騒動が収まる訳ではない。

 あかねは、持って来た自分のカバンから、一冊の本を取り出した。
『超簡単!自宅でラクラク出産!』そんな題名の本であった。
 かねてから読みつけていたのか、さささっとページを勢いよくめくっていく。
 そして、あるページを探し当てた。そして、清美と真之介を呆然として見ている乱馬に言いつけた。
 
「ほらっ、乱馬っ!何ぼさっとしてるのっ!
 井戸水を汲んで来て、お湯を沸かしてっ!産湯を作ってっ!ちゃっちゃか、動きなさいっ!
 お産は待ってくれないのよっ!」

 それからのあかねは、かっ達だった。
 慌てふためいて、おろおろしているお爺さんや真之介、それから乱馬に、的確に指示を出して行く。

「真之介くんっ!ふもとから産婆さんを連れてきてちょうだいねっ!」
「お爺さんは、外の洗濯物取り込んでちょうだい!赤ちゃんのおむつは日光消毒してあるからね。ああ、汚れた手で触らないでっ!ちゃんと石鹸で、手を洗ってからでたたんでちょうだい!」
「乱馬は、汲んで来た井戸水を、カマドの大鍋で水を沸かしたら、タライへと入れて人肌までさましてよ!滅菌しないと意味が無いから、井戸水は絶対に混ぜないでよっ!」
「清美さんは、かねてから練習していた呼吸法を忘れないでっ!ヒッヒッフーよ。わかってるわよね?大丈夫、あたしがついてるから、産婆さんが来るまで頑張ってっ!」
 乱馬は言われた通りにした。
 一体、何がどうなっているのか…考えている暇は無かった。
 あかねが言うように、目の前で出産が始まると言う事がわかった。妊娠したのはあかねではなく、清美さんという女性らしいことも何となくわかった。そして、どうやら、彼女は、真之介の嫁さんであるらしいことも薄らとわかってきた。

 そうだ、あかねが妊娠している訳ではなかったのだ。

 それがわかって、ほっとした。
 お湯を沸かす間、あかねを見ると本を片手に、ひーひーふーっと言いながら清美の肩をたたいていた。
 あかねは、つまり、産婆さんの役目を果たそうとしているのだ。

「もしかして、爺さん、このお産のためにあかねを東京から呼んだのか?」
 乱馬は火の番をしながら、爺さんへと話しかけた。

「ほんに、あかねちゃんには、世話になりっぱなしで…。おかげで、ワシも孫の顔が無事にみられそうですじゃ。」

「ってことは…あの女性…清美さんって、真之介の?」

「ああ、そうですじゃ。」
 お爺さんはそう言って眼を細めた。
 乱馬は乱馬で軽い衝撃を受けた。年の頃もそう変わらない真之介が娶った嫁が、そこでお産をしている清美という女性ということになるからだ。どう見ても、清美さんの方が、少しばかり年上に見える。年の頃は、二十代中ごろから後半といったところか。

 傍らで洗濯物をたたみながら、真之介のじいさんが、事の顛末を話してくれた。


「清美さんはのう…とある大学で動物の研究員でなあ…。去年の秋ごろじゃったか、ここの巨大生物たちを調べに、都会からやってきたんじゃよ。」
「へええ…大学の研究員…。」
 ひっひっふーと必死でいきむ清美を見ながら、乱馬はふっときびすを返した。

「真之介が案内しながら、清美さんの研究を手伝っておったのじゃが…。そこは男と女じゃ。
 真之介と清美さんとは、互いに息もあっておってのう…。ま、何じゃ、お互い運命を感じたんじゃろうなあ…。
 あれよあれよで、清美さんは巨大生物の研究を名目にここに住み着いてしもうた。
 で、いつの間にか、二人は、良い仲になってしもうて…。
 気がつけば、清美さんは妊娠してしまったんじゃ。」

「……っつうことは、やることやったてことだよな…。」
 ぼそぼそっと乱馬が問いかける。
「ほーっほっほ!まあ、そういうことじゃな。」

「まあ、すったもんだ、いろいろあってのう…。山を下りずに、清美さんはここでお産をすることになって…。
 ふもとの町には産婆さんは居るが…男手だけで、お産するのもどうかと思ってのう…。どうしようかと困っていた時にあかねちゃんのことを思い出したんじゃ。
 丁度良い具合に、夏休みでもあるから…その、出産を手伝ってほしいと手紙を出したのじゃよ。」


(そういうことだったのか…。)

 乱馬はお爺さんの話を聞きながら、納得した。
 あかねが本屋で買っているのを目撃されたお産関係の本も、清美さんの面倒をみるためのものだったのだ。

 必死で清美さんを励ますあかね。
 他人事に必死になるところは、何ともあかねらしい。流れ落ちる汗を諸共せずに、必死で寄り添いながら、清美さんを励ましている。
 その横顔をチラチラ見ながら、ふうっと大きな溜め息を吐き出した。

(俺…最低だよな…。
 きっと、あいつ、ゆうべ、俺に相談しようとしていたんだろうな…。一緒に行ってくれないかって…。
 それを…。反転宝珠をつけた俺に邪険にされて…一人で家を飛び出したに違いねえ…。)
 考えれば考えるほど、魔の悪い自分に嫌気がさす。

(それに…。俺、なんであかねのこと疑っちまったんだろう?
 妊娠したんじゃねーかって…。ちょっと考えればわかるのに。あかねのことになると、冷静さがなくなっちまう…。)

 ぼんやりと、必死なあかねの横顔を見ながら、溜め息を吐く。
 と、背後から脳天をポカンと叩かれた。

「こりゃーっ!そこの若いのっ!何ぼさっとしちょるっ!湯がぐらぐら煮えたぎっとるぞ!」

 振り向くと、背の低い婆さんがこちらを向いてニッと笑った。
「おまえさんが、赤ん坊の父親か?」
 と問いかける。
「なっ!…お…俺じゃねーっ!赤ん坊の父親は、そっちの男だっ!」
 思わず、顔を赤らめながら、乱馬は声を張り上げた。
「ま、どっちの男が父親でもかまわんわいっ!それ、その湯をタライに移したら、とっととこっから出て行けっ!」
 婆さんは慣れた手つきで白いかっぽう着をつけながら言った。
「あん?」
「じゃから、ここから先は、殿方は遠慮しろっつーとんじゃ!産屋に、男は要らん!」
 この婆さん、どうやら、産婆さんのようだった。どこにでも転がって居そうな、ウルトラ婆さん的産婆さんだった。
 産屋は一種、女の修羅場でもあるから、男は遠慮しろというのも納得が行く。
 じきに生まれるからと、父親になる真之介、それから爺さん諸共、表へと放り出された。



「…さっきは殴っちまってすまなかったな…。」
 乱馬は表に出ると、一緒に出て来た真之介の方に詫びを入れた。一応、謝っておかなければなるまいと、彼なりに思案した結果だ。
「おまえ、誰だっけ?」
 キョトンとした顔を手向けた真之介。

(こいつ…殴られたこと…忘れてやがる…。)
 そう。父親になっても、真之介の健忘症は健在であった。


七、誕生


 夕闇が迫る頃、母屋から元気な声が響いて来た。

「おぎゃー、おぎゃー!」


「う…生まれた!」
 その声を聞いて、じっとうつむいていた真之介の顔が輝いた。と、ガラガラっと引き戸が開いて、産婆さんが顔をニョキッと出した。

「無事、産まれたぞい…。玉のような、女の子じゃっ!」
 欠けた歯を目いっぱい広げながら、産婆さんは笑った。

「やったー!」
 真之介は紅顔を輝かせて、引き戸へと入って行った。
「おおお…。良く頑張ったのう…清美さんや…。」
 涙ぐみながら、爺さんも入って行く。

 当然、家の中はお祭り騒ぎになった。
 どこからともなく、ウサギや鳥といった、流幻沢の巨大動物も集まって来て、家を覗きこんでいる。
 あかねは泣いていた。お産の一部始終を傍で見ていたのだろう。感涙にむせっていた。
 勿論、あかねだけではない。真之介も清美も爺さんも、皆、歓びながら泣いていた。

 引き戸の外から、こそっと覗きこんでいた乱馬も、ちょっと涙ぐんでいた。貰い泣きしそうになったのだ。

(いいな、家族が増えるってーのは…。あの赤ん坊、みんなに誕生を喜んでもらって。俺もいつかは自分の子を…ああやって、真之介みてーに抱きあげる日が来るのかな…。)
 少し夢見た未来。当然、赤ん坊を嬉しそうに抱き上げる自分の傍では、あかねが微笑んでいる。

 と、ガラガラっと引き戸が大きく開いて、あかねが中から出て来たのと視線が合った。

「よっ…。」
 小さく右手を挙げて、声をかけた。
 微笑み返してくれることを期待したのだが、その期待は徒労に終わった。
 あかねの顔が急激に曇って行ったからだ。それだけではない。プイッと視線を外され、横を向かれてしまった。
 そのあかねの行動に、ハッとする乱馬。
(そっか…まだ、仲直りしてなかったけ…。)

 そうだった。あかねとは数日前から痴話喧嘩を繰り広げたままだった。

(まだ、根に持っていやがんのかな…。)
 躊躇した表情を乱馬があかねに手向けると、あかねはくるりと後ろを向いてしまった。


「どうして…来たの?」
 小さな声があかねから流れる。

「どうしてって…あんな手紙残して、誰にも言わないで出て行くから…。」
 つられてぶっきらぼうに答える乱馬。

「家出じゃないって手紙には書いてあったでしょう?ちゃんと流幻沢に行きますって行き先も書いておいたのに…。」
 
「あのなー、行き先は書いてあっても、何しに行くかって理由はどこにも書いてなかったじゃねーかっ!皆心配してたんだぞっ!特におじさんなんて、巨顔化して手に負えなかったんだから。」
「お父さんに言われて出て来ただけでしょう?」
「だとしたら、どうだっていうんだよ。」

 つい、売られた喧嘩は買ってしまう。乱馬の悪いところだった。

「あたしの居場所も目的もわかったでしょう?」

「ああ…まーな。」

「あたしはもうちょっとここに居て、清美さんを手伝うわ。乱馬は目的を果たしたんだから…だから、もういいわ、あんたは、さっさと帰ってっ!」
 後ろを向いたまま、あかねが語気を強めた。

「帰れって…おめー。な…何なんだよ…。あかね。」
 つい、語気がきつくなる乱馬。優しい言葉をかけなければと思っていても、この天邪鬼な男はそういった技を持ち合わせていない。結果、再び、鎮火していた火を燃え上がらせてしまうことになるのだ。
 あかねは帰ってと言ったきり、黙って後ろ側を向いていた。

「まーだ、怒ってんのか?…たく…かわいくねーな。」

 心とは裏腹の雑言が口を吐(つ)いて出てしまう。

「…そうよ…あたしは可愛くない女よ…。」
 乱馬の声にあかねが小さく反応を返して来た。心なしか声が震えている。

「ま、おめーの可愛げのなさは今に始まったこっちゃねーが…。」
 お気楽男は、あかねの心情など理解できるはずもなく、無神経な言葉を浴びせかけてくる。

「だから、帰って。あたしは…もう…。」
 そこまで言ってあかねから涙が溢れ出しとまらなくなってしまった。
 後ろを向いたままだったが、あかねが泣いているという事実に、さすがの鈍チン男も気が付いたようだった。

(な…何で泣いてやがる?)
 女の涙にはめっぽう弱い乱馬だ。それがあかねの流したものとなると、尚更に、狼狽してしまう。
 
「あかね…。」
 戸惑いの声をかけた乱馬を振り切るように、あかねは涙声で言い放った。

「乱馬、今日までありがとうね…。これからは右京と仲良くね…。」

「なんで、ウっちゃんと…?ウっちゃんの名前がそこに出て来るんだ?」
 訳がわからぬあかねの言葉に、思わず、きびすを返していた。

「だって、乱馬、昨日、言ってたじゃない…。俺はウっちゃんとのこれからのことを考えてる真っ最中だから邪魔すんなって…。右京のことで頭がいっぱいなんでしょ?好きなんでしょ?
 だから、あたしに付き合ってくれなくて良いから、さっさと一人で帰んなさいよっ!」

「お…おいっ!そんなこと、いつ、おめーに言ったんだよっ!」
 当然、身に覚えが無い乱馬は、焦りながら問いかけていた。

「言ったじゃないっ!道場で、はっきりとっ!」
 後ろを向いたまま、あかねが涙声で叫んでいた。
 向けられた言葉には怒りというより、悲しみが溢れだしていた。

(ゆうべ…道場で…ってことは、やっぱり、この反転宝珠のせいで…。)
 一つ思い当るとしたら、反転宝珠のことしか浮かばなかった。恐らく、心にも無いことを、この反転宝珠のせいで、あかねに口走ってしまったに違いない。
 多分、あかねは深く傷ついた心をひきずったまま、この流幻沢に来たに違いない。
 あかねの誤解を解こうにも、一筋縄ではいかないだろう。
 が、こと、あかねのことが絡むと、実力以上の力を発揮するのも、この男の特性だった。

「もういいわよね…。あたし、まだ清美さんと赤ちゃんの世話があるから、家に入るわよ…。」
 あかねは、乱馬から伸びた腕を力いっぱい振り切りって行こうとした。
 次の瞬間、乱馬はあかねの腕をつかんでいた。

「待てよ!俺の話を聞けよ!」
 強い力でグイッと引き寄せる。

「放してってば!」
 当然のことながら、あかねが反論した。

「これを見ろ、昨日の晩は、これが俺の背中についてたんだ。…だから、俺はおまえに何を口走ったのか、一切覚えてねーんだっ!」
 乱馬はおもむろに、ポケットから反転宝珠を取り出して見せた。勿論、あかねにも反転宝珠が何物であるかは知っている筈だった。
 が、高揚してしまっているあかねを鎮める鎮静剤とはなりそうもない。

「乱馬はいつもそう。結局、私もシャンプーも右京も失いたくないのよ。誰かが乱馬から離れようとすると、追いかける。
 前に反転宝珠をつけたシャンプーに冷たくされた時だってそうだったじゃないっ!」
 感情的になっているあかねは、激しく言葉をぶつけてきた。
「乱馬は…一人でも取り巻きの女の子が欠けるのがたまんないんでしょ?
 でも、あたしたち女の子は…自分だけを思ってくれる人がいいの。
 清美さんを気遣う真之介君みたいに、一人だけを照らしてくれる人がいいっ!あんたみたいにふわふわした男なんて…こっちから願い下げよっ!
 だから、乱馬、あたしのことはもう放っておいて。右京でもシャンプーでも好きに追っかけなさいよっ!」

 激しい言葉をぶつけて来るあかねの瞳からは、止めどなく涙が溢れだして来る。


 このままじゃだめだ…。
 このまま引いてしまったら、彼女(あかね)は…。いや、俺たちは…。



 あかねの涙を見てちゃんと自分の気持ちを伝えないと、伝えなければ…と頭ではわかっているのに、言葉が出てこなかった。
 こんな時に、どんな言葉をかければ良いのか…。この優柔不断な純情少年には咄嗟に思いつかなかった。
 
「待てよっ!あかねっ!俺は…。俺の本当の気持ちは…。」
「聞きたくなんてないわっ!もういいのっ!ほっといてっ!」

 必死で言葉を継ごうとするが、何を言っても受け入れて貰えそうにない。


(だめだ、言えねー。そうだ…一か八か、このブローチでっ…。)

「あかね、見ろ!」

 何を思ったか、乱馬は手に持っていたブローチをあかねに見せてから、向きに注意して、自分につけた。
 そう、正上位のにこちゃん顔にブローチをつけたのだ。

 と、その途端。目を潤ませた。
 えっと思ってあかねは、動きを止めた。
 一体、彼は何をしようというのだろうか。

 パアッと乱馬の身体から純粋な愛が溢れ始めた。
 そう、ブローチで、悶々とくすぶっていた素直な気持ちが溢れだして行く。

「あかね、俺は世界一お前が好きだ。他の誰にもあかねを渡したくないし、触れさせたくもない。俺だけのものにしたい。
 シャンプーやウっちゃんのことはなんとも思ってない。
 いつも、あかねに笑っていてほしいしのに、泣かしてばっかで本当にごめん。
 俺、本当はいつもあかねをこう抱きしめてやりてーのに…できなくって…。
 ううん、おまえの全てが欲しい…これが俺の本当の気持ちだ。」

 乱馬は本当にあかねを抱きしめてから、あかねのブラウスのボタンをはずそうと手をかけてきた。

「ちょっと、ら、乱馬っ!な…何するの!」
 あかねは、焦った。
 いくらなんでも、これはやりすぎだ。
 乱馬の衣服から、反転宝珠を引き剥がす。ビリッと乱馬の衣服を力任せに引きちぎって、ブローチを取った。
 ブローチを外した刹那、乱馬は我に返り、自分の手の位置を見て、固まってしまった。

「わっー!ご、ごめん!」
 顔を真っ赤にして、乱馬は手を引っ込めた。記憶には無いが、一瞬でも、本能に忠実に振る舞ったことは、火を見るよりも明らかだった。
「乱馬のバカーッ!」
 振りあげた手を下ろすことなく、あかねは、そのまま乱馬に抱きついた。
 あかねはあのブローチの効果を知っていた。正位置につけたまま、あかねに口走ったこと、それが乱馬の本心だということを。

 ぎしっ。

 身体がそのまま固まってしまった乱馬。
 あかねが怒ってないことを確認すると、ゆっくりあかねを抱きしめた。
 安堵とも言える、何か柔らかい暖かなものが乱馬の体の中に入ってきた。その暖かいもので胸はいっぱいに満たされていく。

 ずっとこのままでいたいと思った。
 
 さわさわと柔らかい風が二人の間を吹き抜けて行く。
 降り注ぐ満天の星が一斉に輝き渡った。

 さざめく星たちの元で、どの位のそのままでいたのかわからなかったが、乱馬はふっと、あかねの体から力が抜けていくのを感じ取った。

「あかね?」
 不思議に思った乱馬が、小さく問いかける。と、あかねは柔らかな頬を乱馬の胸に預けたまま、眠ってしまっていた。
 流幻沢に来て、眠る暇も惜しんでずっと動き続けていたのだろう。
「…たく、心配ばかりかけやがって…。」
 安堵の笑顔が乱馬から零れた。
 ふっと溜め息を吐き出すと、乱馬はあかねを優しく抱え込んだ。それから、お譲さま抱っこして、盛り上がる産屋の隣の離れの小屋へと入って行った。
 いつでも寝られるように、真之介の爺さんが敷いてくれていた蒲団へと、あかねをゆっくり下ろす。
 よっぽど疲れていたのだろう。その間、あかねは身じろぎひとつせず、昏々と眠り続けていた。

「ま、おめーにしては、頑張った方だよな…。」
 産屋から聞こえて来る赤ん坊の元気な泣き声を聞きながら、そっと、あかねの頬に手を添えた。
 それから、壁にもたれかけて、毛布をかぶる。
 同じ蒲団で寝ようものなら、恐らくあかねにブッ飛ばされよう。

 今はこのままで良い。そう思った。

 あかねの手から、コトンと反転宝珠が弾け出されて床へと転がった。

 反転宝珠の威を借りなくても、いつかはしっかりと愛の言葉をあかねへ…。

 そして、いつかは、自分も真之介と清美さんのように、二人の赤ん坊を抱きあげたい…この手で…。 

 そんな未来を夢見ながら、柔らかい眠りの中へといざなわれていく。
 真夏の星空はそんな二人をささめきながら輝き続けていた。







2012年11月3日


原作 芽衣様
作文 一之瀬けいこ


人様が作ったプロットから自由展開させていただいて……メチャクチャ、書いていて楽しかったです♪
また、そのうち、プロット貰って書こうかなあ…(謎




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