◆追憶の少年
ケイさま作


俺が武道の世界に足を踏み入れて、足掛け十年ほども経つだろうか。
どうやら、俺にはそれなりの才覚があったらしく、幾つか有名な試合にも勝たせてもらったし、格闘技の世界で、俺の名前を知らないものはそうはいないと思う。
いや、そんなことはどうでもいい。この話にはさして関係がない。
まあ、聞いてくれ。俺が雑誌やテレビのインタビューで食傷気味なほどよく尋ねられる質問がある。
「格闘技を始めたきっかけは?」
ってやつだ。俺はそう尋ねられるたびに、適当な言葉を吐いてごまかしてきた。
だけど、俺はあんたにだけ、この話をしようと思う。じつに荒唐無稽な話ではある。
だが、俺の人生を大きく変えた出来事、それは実際にあったことだし、事実なんだ。
まぁ、もったいぶってわるかったが、ちょいと俺の話に付き合ってくれ。

あのとき俺はまだ、十三才。ほんの中学の一〜二年生のガキだった。
今の俺からは想像もできねえだろうが、俺は生来いじめられっ子だったんだ。
それこそ、木偶の坊とか、ウドの大木とか言われるくらいにね。
人一倍デカイ体はあったもんの、なにせ気が弱かった。
ガキ大将連中からみれば、格好のからかい相手だったんだろう。そんなある日のことだ。


強烈な炸裂音とともに、道場のドアが吹き飛び、屈強な男が道場の外へと投げ出された。
「ひいっ・・。」
俺は思わず悲鳴をあげた。学校帰り、ただ、そこを通りがかっただけだった。
そこは、確か空手の道場だったように記憶している。荒くれ者を集めたすこぶる評判の悪い道場だった。
外へと投げ出された男は、余程強烈な一撃をもらったのだろう。すでに意識を失っていた。
「お〜い大丈夫か?」
俺が思わずその男に見入っていると、道場からなにやら場違いな声が聞こえてきた。
「わりいわりい。やりすぎちまった。」
扉が吹き飛んだ入り口から顔をのぞかせていたのは声変わりもまだな、俺と同年代くらいの少年だった。
お下げ髪を後ろで結び、白い道着に白い帯。
見た感じはどうみても、普通の少年。それも体躯は小柄な方といってよいだろう。
俺があっけにとられて見ていると、その少年は、
「わりいけど、足のほうもってくんねえか?」
と、俺に話し掛けてきた。俺にしてみりゃ全く寝耳に水ってやつだ。
本音をいえば、おっかなくてしかたなかったし、できるなら一刻もはやくその場からとんずらしたかった。
でも、そんときの俺は本当に意気地なしだったんだな。
その場から逃げ出す勇気すらなくて、思わずその伸びてる男の足を持ち上げたんだ。
重くはなかったよ。頭の方を持った少年は軽々とその男の身体をもちあげていたからね。
・・と、まあ、流れに乗せられて・・ってやつだ。俺は男の足をもったまま、恐る恐る道場へ足をふみいれることになっちまった。
その時俺はしんそこ思ったね。やっぱり逃げればよかった。ってさ。
道場にはいると、おっそろしい顔した連中・・ごっつい男たちがこれまた、身体に輪をかけたおっかねえ顔して待ってたんだ。
俺は心底ぶるった。こんなのにまきこまれちゃたまらない。
逃げようと踵を返したとき、すでに出入り口は屈強な男にふさがれてたんだ。
「次の相手はだれだい?」
そんな状況に気づかないように、少年は悠々とそんな台詞を吐いた。
すると、大勢いた門弟のなかから、一際目立つ体躯の大男が名乗りをあげた。
やっと、俺は状況が飲み込めた。つまり、この年端も行かないような少年が道場破りなんだ。
「よし、かかってきな!!」
息つくまもなく、少年と大男の大立ち回りが始まった。そのあとの光景は今でも俺の脳裏に焼きついている。
勝負はほんの一瞬だった。
少年の蹴りが大男の鼻面を打ちぬいたんだ。大男はその場のびてしまったんだ。
俺も今までの経験でわかるが、一撃で相手を倒すってのは容易なことじゃない。
相手を倒すのに必要なパワーと、的確に急所を打ち抜く技術の両方が備わっていなければならないんだ。
一方、やられた方は大慌てだ。こんな子どもに道場一番の使い手がやられたとあっちゃ、もう道場を続けていくことはできないだろう。

「貴様ら・・。逃がすわけにはいかない。」
低く、どすの利いた声が響いた。俺は焦りに焦ったね。
なにせ、この大勢の門弟に囲まれた道場の中にどういうわけか巻き込まれ、さらには貴様らなんて言われてしまったのだ。
貴様、じゃない。貴様ら、だぜ?ようするに、俺も仲間扱いらしい。
だが、さらに俺の予想を裏切る台詞が少年から飛び出した。
「誰が逃げるって?いいぜ。まとめてかかってきな。」
ああ、まずい、どうしたらいいんだ、俺の命すら危ういじゃないか。
君が強いのはよくわかった。でも、俺の身は誰がまもってくれるというんだ。
俺のあたまはこれ以上ないほど混乱した。なにせ、筋骨隆々たる男たちが集団で襲いかかってくるわけだ。
まして、当時の俺には格闘技の心得なんかかけらもなかった。
「ていやぁ!!」
掛け声とともに、俺の視界に、舞を舞うように男たちをなぎ倒す少年の姿が入った。
俺は思わず恐怖も忘れて見入ってしまったんだ。俺自身も信じられないよ。あの状況でだ。
だけど、少年の動きは息を呑むほどに美しく、また、力強かった。
でも、俺はすぐ現実に引き戻された。門弟の一人が俺にまで飛び掛ってきたんだ。
俺は必死でその拳を避けようとしたが、所詮は無駄な抵抗。
門弟の拳は俺の頬を打ち抜いた。俺はそのまま壁際まで吹っ飛ばされた。
殴られた頬はまるで火がついたように痛んだ。
「悪い!!忘れてた!!」
少年は俺の制服のすそを引っつかむと、扉を軽々と蹴破って外へ走り出した。





「なんなんだよ?君は!!」
俺は息切れを必死に抑えながらまくしたてた。喋るたびに切れた口がずきずきと痛んだ。
なにせ、いきなり道場に引っ張りこまれた挙句、こんな痛い目にあったんだ。
文句の一つも言わないことにはやりきれない。
やっとのことで逃げ込んだ林の中。この辺は結構田舎だったからな。あたりにはこんな林や山がいくらでもあった。
「いやあ。わりいわりい。すっかり夢中になっちまってさ。」
少年は全く悪びれなかった。その爛漫な笑顔に、つい、俺は怒る事を忘れてしまった。
それから、少年から色々な話を聞いた。
父親と二人で全国を修行して歩いていること。少年は無差別格闘と言う流派の後継ぎである事。
そのどれもが俺にとって未体験の話だったし、そのどれもが興味深かった。
なにより、その少年の自由な生き方と、考え方、そして強さに俺は強い憧れを抱いた。
「あの・・ちょっと聞いていいかな?」
俺はおずおずと少年に尋ねた。
「君が流派の後継ぎでとても強いのはよくわかった。でも、なんであんなガラの悪い道場に道場破りなんかしようと思ったんだい?」
「ああ。それは・・。」
少年が言葉を口にし始めたとき、その言葉を遮って、道着姿の壮年の男性が目の前に現れた。
「あっ!!オヤジ!!」
どうやら、この男性は少年の父親らしかった。だいぶ髪のラインが後退した額に手ぬぐいを巻き、
多少中年太りの感はあるものの、鍛え抜かれた武道家の様相を呈していた。
「オヤジ!!約束どおり、道場破りしてきたぜ!!」
少年は心底嬉しそうに父親に告げた。どうやら、道場破りは父との約束の上での所業だったらしい。
なんて親子だ。俺は驚きをとおりこして、なかば呆れてしまった。
「うむ。まさか、負けたのではないだろうな。」
父親は厳格な面持ちで少年に尋ねた。
「あったりめえだ。そんなことより約束のもん、ちゃんとくれるんだろうな?」
「うむ。武道家に二言はない。受け取れ。」
そう言うと、父親は懐から、小さく折りたたまれた黒帯を取り出した。
「おまえに無差別格闘流初伝を与える。これに甘んじず、一層の精進をするように。」
「へへっ。」
少年はにやっと笑うと、父親から黒帯を受けとった。
そこで、やっと俺は事の真意を飲み込んだ。つまりは、あの道場破りは試験だったのだ。
「それでは、わしはもう少しこの町に用があるでな。適当に修行でもしておれ。日暮れまでにはもどる。」
そういうと、父親はまた何処ぞへいなくなってしまった。
「へへ。いいだろ、これ。」
父親がいなくなったのを見計らうと、少年は黒帯を腰に締め、誇らしそうに俺に見せた。
なんの刺繍もない無骨な黒帯。しかし、その黒色は白い道着に映えて白帯よりもずっと引き締まって見える。
「うん。格好いいね。」
俺は素直な感想をのべた。
なにせ、当時のおれにしちゃあ、黒帯といえば達人のシンボルだ。
友人で空手なんかをやってるやつは何人かいたが、そいつらだってみどりや黄色のなんだかしまらない色の帯を締めていた。
「へへっ。」
少年はまた照れくさそうに笑った。
その時俺に少しばかり魅力的なアイディアが浮かんだんだ。
当時の俺にしてはなかなかに画期的なアイディア。
「ねえ、俺に格闘技をおしえてくれないか?」
少しばかりの期待にと、ちょっとの緊張を抑えながら俺は少年に尋ねた。
「おう。かまわないぜ。」
少年の返事は思った以上にあっさりしたものだった。

「拳は小指から指の付け根に指の先端を差し込むように握りこむんだ。」

「正拳は足をしっかり据えて、腕を捻りながら相手に捻じ込むんだ。」

少年の教えはどれ一つとっても、適切なものだった。
今思えば、あの教えが今の俺の強さの基盤であるのは疑いようがない。
また、習い覚えた技はどれも実践的で、決して容易なものではなかったが、時間を忘れるには十分な面白さだった。
「おめえ、なかなか筋がいいじゃねえか。」
少年に褒められて俺は舞い上がった。
そういわれるだけでなんとなく自分が強くなったような気がした。
「そ・・そうかな。」
「ああ。おめえは体がでけえんだから、鍛えりゃ強くなれるぜ。」
この言葉は俺にとって人生最大の福音になった。
いままで、格闘技ってのは、ブラウン管の向こうで、一種の超人たちが身につけ、競うものだと思っていた。
ただ、からかわれるだけのものだと思っていたこの大柄な身体も、少しだけ誇りに思えた。

「見つけたぜ!!」

その時後ろからドスの聞いた男の声が聞こえた。
俺が慌てて振り向くとそこにいたのは先ほどの道場の門弟達だった。
「うわっ!!てめえらきたねえぞ!!」
その声に気づき、目線を送ると、少年は数人の男たちに羽交い絞めにされていた。
「クソガキが、調子に乗りやがって!!大人の怖さを教えてやるぜ。」
門弟たちは俺の存在なんて全く気に止めてもいなかった。
少年は慌てて抜け出そうともがいたが、多勢に無勢。男たちは少年を決して逃がそうとはしなかった。
俺は恐怖のあまりあしがすくんでうごけなかったよ。足が自分のものじゃないみたいだった。
「おめえは逃げろ!!おめえまで巻き添えになることはねえ!!」
少年が叫んだ。男がその顔を思いきり打ち付けた。小さく少年がうめく声が聞こえた。
「ああ、てめえはさっさと逃げな、お友達を見捨てて一人でな。」
男たちの一人がいやらしい笑いを浮かべながら俺に向かって言った。
その一言が俺に火をつけた。

「うわああああああ!!」

多分俺は悲鳴をあげてたんだろうな。無我夢中だったんでほとんどおぼえてない。
でも、俺は逃げ出さなかった。俺は少年を羽交い絞めにしている男の一人に向かって猛然と走り寄った。

「拳は小指から指の付け根に指の先端を差し込むように握りこむ」
「正拳は足をしっかり据えて、腕を捻りながら相手に捻じ込む」

頭のなかで少年の教えがリピートした気がした。

「うおおおおおおおおおおおおお!!!」

今度はきっと悲鳴じゃなかった。人生で初めての心の内からの咆哮。
そして俺の拳は男の頬に炸裂した。男は突然の奇襲に後ろにつんのめったまま、ぶっ倒れた。
打ち込んだ拳がひどく熱かった。

「助かったぜぜ!!よくやった!」
少年はその隙に羽交い絞めから抜け出た。あとはあっという間だった。
男たちは見る間に少年に倒され、ほうぼうの体で逃げ出していった。
俺はその光景を見ながら荒い息を押し殺していた。
生まれて初めて人を殴った感触がまだ拳に強くのこっていた。


「ありがとな。」
少年は荒い息を整えると、俺にそういった。
「う・・うん。」
俺はまだ呆然自失としたままだった。
「おめえのおかげでやられずにすんだよ。でも、まさかおめえがあそこまでやるとはなあ。」
「うん。俺も自分があんなことをするとは思わなかった。」
少年は俺の顔を凝視すると、さも愉快そうに笑った。
「これ、やるよ。」
少年はそう言うと、懐から先ほど外した白帯を取り出した。
「武道はじめるんなら帯がいるだろ?俺の使い古しで悪いけどな。」
「ありがとう。」
俺はその帯を受け取った。
手に使い古された帯の感触が伝わった。少年の強さを少し受け取ったような気がした。

「おい、どこだ〜?次の町へ向かうぞ!!」

少年の父親の声が聞こえた。
「おう!!オヤジこっちだ!!」
少年もその声にこたえた。
「そっか、もう次の町へ行っちゃうのか。」
俺はひどく残念だった。できればこの少年にもっともっと武道を教わりたかった。
「ああ。またな。」
少年がこたえた。
「俺、強くなるよ。君と同じくらい。」
俺は少年に約束した。少年は少し俺に向かって微笑んだ。
「そういえば、君の名前を聞いてない。教えてくれないか?」
俺は少年に尋ねた。
「俺は早乙女乱馬!!また会おうな!!」
そう言うと、少年は父親の方へ走り去っていった。
それ以来、俺とその少年が出会う事は二度となかった。



俺はこの白い帯を見るたびに思い出す。
弱虫だった俺にたくさんの強さと、ひと欠片の勇気を与えてくれたあのお下げ髪の少年を。
だから、俺は鍛錬を欠かさない。いつか、あの少年と再びめぐり合った時は、お互い、一人の武道家として。
そして、一人の男として出会えるように。俺はその日をずっと、待ち続けている。
あの少年に「俺は強くなった」と言う日を。








作者さまより

「俺」という視点から見た少年時代の乱馬。きっとこんな少年だったのではないでしょうか。
強さに憧れた幼い頃の自分が「俺」のモチーフです。小さい頃、道場の先輩たちの強さに憧れた思い出をそのまま小説にしました。
相変わらず、ほんっとに拙い文章ですが、読んでいただければ幸いです。



 これは実際に帯を閉めている者しか書き得ない作品なのではないでしょうか?流石に武道の心得のあるケイさま。素人とは視点が違います。
 黒帯、白帯・・・。無差別格闘流も帯色があるのでしょうか?
 あかねや乱馬が初めて帯を締めた時はどうだったのか・・・そして二人で歩き出した時は・・・と妄想が発展していきます。
(一之瀬けいこ)




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