◆名と迷
ゴンタックさま作


名と迷

「う〜ん……。」
「どうっすか、東風先生?」
接骨院の診察室で、乱馬は東風の診察を受けていた。
東風は上半身を裸にしている乱馬の肩や背中を触診しながら唸っている。
「……うん。それじゃ乱馬君、そこのベッドに横になってくれるかな。」
一通りの診察を終えた後、東風はカルテに何か書きながら乱馬にベッドに行くように促した。
「なんか問題でもあったんすか?」
「問題ってわけじゃないんだけどね…。」
少し不安げに訊ねる乱馬に苦笑しながら東風は答えた。そこへ一人の少女が口をはさんできた。
「ほらっ、やっぱりなんかあるんじゃない。」
「って、なんであかねがここにいんだよ!?」
ベッドに横になりながら乱馬はあかねを睨んだ。
「たまたまあんたがここに入っていくのを見かけて、何かあったのか心配になってきてあげただけじゃない。別にいいでしょっ!」
「へん、余計なお世話だ!」
「なんですって!?」
「単なる定期健診なんだから、余計なお世話だっつーの。」
「だったら前もってそう言いなさいよ!」
「別に言うほどのもんでもねえだろ。…おめえ、心配だとか言っておきながら本当は…。」
「なによ?」
「俺の裸が見たくて来たんじゃねえだろうな?」
「なっ…!バ、バカなこと言ってんじゃないわよ!!」
「おや?あかねさん、顔が赤いですよ?もしかして図星?」
「んなわけないでしょ!!」
「とかなんとか言っちゃってよ〜、視線がちゃっかり俺の体に向いてんじゃねぇか。」
「ち、違うって言ってんでしょっ!!」
「おやおや、またそんなに顔赤くしちゃって〜。あかねのスケベ。」
「んなっ!!」
ニヤニヤした顔を浮かべる乱馬の言葉に、あかねの顔が一気に真っ赤に染め上がる。それは怒りからくるものなのか、思わず乱馬の体に目がいってしまったという羞恥心からくるものなのか…。

「はいはい。二人とも今は診察中だからね?」
二人の間に東風が割って入る。
「乱馬君、せっかくあかねちゃんが来てくれたのに、そんな態度はよくないよ?」
「へ〜い、すんませんでした〜。」
「なんかその態度むかつくわね。」
「謝ってんだから別にいいだろ〜?」
「…やっぱりムカツク。」
いかにも反省する気のない乱馬と、それを睨むあかねの表情を見て、東風はやれやれといった感じである。
それじゃ気を取り直して、と東風はベッドのそばの椅子に座った。
「…乱馬君、だいぶ体に疲労が溜まっているみたいだね。」
「そうなんすか?自分では何も感じないんだけど。」
「自覚症状がないのよ、格闘バカだから。」
「怪力女のあかねさんには言われたくありませ〜ん。」
「なによ!!」
「なんだよ!!」
またケンカ腰の二人にため息をつきながら東風は説明を続ける。
「後半のセリフは別として、あかねちゃんの言うとおり乱馬君に自覚症状がないだけなんだ。」
「ほら、言ったとおりじゃない。」
「ぐ……。怪力女のくせに…。」
「なんか言った!?」
「まあまあ二人とも……これは仕方ないんだよ。」
「乱馬が格闘バカだからってことですか?」
「うっせー、怪力女っ!」
売り言葉に買い言葉の二人に、東風は苦笑しながら答えた。
「違う違う。これは乱馬君だから、だよ。」
「…俺?」
「そうだよ。」
「う〜ん、わかんねえな。」
「だから格闘バカなのよ。」
「さっきからバカ、バカって言ってんじゃねぇ!」
東風はコホンと咳払いをした。
「これは『蓄積疲労』だね。」
「『蓄積疲労』?」
「蓄積疲労っていうのは充分に休養しても疲れが取れない、あるいはたいした運動もしてないのにすぐ疲れるといった、慢性的に疲れを感じる状態のことなんだ。」
「別に俺はすぐ疲れたりしてないんだけど。」
「それは無差別格闘流の過酷な修行に耐えてきた乱馬君だから、疲れはそんなに感じないんじゃないかな。」
「…東風先生、それって乱馬が格闘バカだからってことなんじゃないですか?」
「まだ言うか!」
「ハハハ、まあ…そうかもね。」
「と、東風先生まで!?」
乱馬は、あかねの「やっぱりそうなんだ〜。」という言葉に顔をしかめた。
「ごめんごめん。でも、乱馬君自身が疲れを感じる感じないは別として、これは一刻も早く治さないといけないよ。」
「どうしてですか?」
「今までの疲れが溜まっているんだったら、普通に休養をとればいいんじゃないすか?」
東風は首を横に振った。
「疲れっていうのは、単に休めば自然に消えるものじゃないんだよ。日々の疲れはその場その場で解消されない限り、着実に体内に蓄積されてしまうんだ。」
「へ〜、そうなんだ。」
「『疲れ』ってのはすぐにとれるもんだと思ってた。」
「その疲れが何年も積み重ねられると、疲れの量も増大して、なかなか疲れが取れなくて体がだるいといった蓄積疲労の状態になってしまうんだ。」
「先生、その状態ってけっこう深刻なものなんですか?」
あかねが少し心配そうな表情で訊ねた。
「そうだね。この状態になると、睡眠をとったり栄養補給をしたとしても、疲労は解消されずに、回復することも難しくなってしまうんだ。最悪の場合……。」
「さ、最悪の場合?」
東風は今までにない真剣な顔で乱馬を見つめた。
今度は乱馬が不安そうな表情を浮かべた。
「蓄積疲労の末期症状として、うつ病になったり、さらに体の衰弱が進んで過労死してしまうこともあるんだよ。」
「げ、まじかよ……。」
まさか「死んでしまう」と言われるとは思いもしなかった乱馬は相当なショックを受けたようだ。
「せ、先生。乱馬はもう死んじゃうんですか?」
「くぉら、あかね!勝手に俺を殺すなっ!!」
「だ、だって……。」
東風は苦笑まじりに答えた。
「ハハハ、少し驚かせすぎたかな?」
「えっ、もしかして冗談なんですか?」
「いやいや、僕の言ったことは本当だよ。まさかそこまで君たちがあわてふためくとは思わなかったから…。」
「勘弁してくれよ、先生…。」
事の重大さを知り、少し落ち込んでいる二人とは打って変わって、東風はあっけらかんとしている。
「大丈夫。さっきも言ったでしょ、過酷な修行に耐えてきた乱馬君ならって。」
「乱馬は治るんですか?」
「これだけ頑丈な体をしてるんだ、数日で治せるよ。」
乱馬とあかねは安堵のため息をついた。
「それじゃ、東風先生。乱馬をよろしくお願いします。」
あかねはペコリとお辞儀をした。
「はいはい、旦那さまの治療はまかせてね。」
「な……!?」
「だ、旦那さまって、東風先生っ!?」
二人の顔がボンッと音を立てるように真っ赤になった。
東風は、さっきからほぼ同時に顔を真っ青にしたり、真っ赤にしたりする二人を見て思わず笑ってしまった。
「アハハハハ。」
「な、何言ってるんですか!?」
「お、俺とあかねは、な、なにも…!」
「ごめんごめん。それじゃ乱馬君、うつ伏せになってくれないかな。まずは疲労回復のためのツボ押しをするよ。」
「ったく、変なこと言わないでくれよ東風先生…。」
「ハハハ、それじゃ始めるよ……。」


ちょうどそこへ声が聞こえてきた。

「東風先生、いらっしゃいますか〜?」

その声を聞いたとたん、乱馬とあかねは凍りついた。
「こ、この声は……。」
「か、かすみお姉ちゃん?」
診察室のドアを見ると、そこにはすでにかすみが立っていた。
「あら、あかね。…乱馬君もいたの?」
「う、うん。お姉ちゃんはどうしてここに?」
「買い物の途中で、道端で足挫いちゃったおばあちゃんがいたからここまで連れてきたの。」
「そ、そうなんだ……。」
「東風先生はいらっしゃるの?」
「う、うん。」
あかねは答えながら乱馬たちの方へ振り向いた。
「だ…ず…げ……で……。」
「ら、乱馬っ!?」
ベッドの上では乱馬が東風に見事なまでに絞め技を決められていた。
「あら先生。お取り込み中だったんですか、すいません。」
「か、かすみさん、だ、大丈夫ですよ〜!も、もうすぐ、お、終わり、ますから〜!」
さきほどとは全くの別人と言っていいほど、東風の表情は変わっていた。
「ぐ…ぐぇ……が……が……。」
「ちょっ、東風先生!乱馬の首が絞まってます!」
あかねがあわてて東風の腕を掴んで、乱馬から引き剥がそうとするが、全くビクともしない。
一方のかすみは全く動じる様子はない。
「あかね、東風先生の仕事の邪魔しちゃ駄目でしょ?」
「ち、ちがーう!かすみお姉ちゃん、この状況見てわからないの!?」
「東風先生が乱馬君にマッサージしてあげてるんでしょ?」
「ソ、ソウナンですよ〜、さ、さささ、さすがかすみさんっ!!」
「なんでそうなるのー!?」
「ほら、乱馬君、気持ち良さそうに眠っているじゃない。」
「えっ!?」
あかねは東風の腕の中を見た。
そこには口から泡をふき、白目をむいている乱馬の顔があった。当然のことながら彼の意識はない。
「きゃーっ、乱馬!?」
「気持ち良さそうね。東風先生、新しい治療法なんですか?」
「は、ははは、はいーっ!かすみさんっ!コ、コココ、コウイウのもあるんですよーっ!」
「と、東風先生!乱馬の背骨が折れちゃいますっ!!」
「あら、すごいですね〜。」
「コココ、コンナノもあるんですよ!」
「東風先生っ!!!」


意識不明の乱馬に関節技を決めまくる東風とそれを必死で止めるあかね。

診察室の中のありえない光景を見ながら、かすみは微笑んだ。

「先生はやっぱり名医ね〜。」

かすみののんびりとした雰囲気とは対照的に、診察室にはあかねの悲痛な叫び声が響いた。

「もうやめてーっ!!!」

案の定、数日で治ると思われた乱馬は、約一ヶ月の休養期間を余儀なくされた……。




作者さまより
 世は健康ブーム、ということで乱馬たちの担当医(?)の東風先生を題材にしてみました。
 かすみの存在によって豹変する彼の性格のギャップは個人的に好きです。
 「名医」であると同時に「迷医」でもある彼は、ある意味乱馬の強敵ではないでしょうか。

 それにしても、かすみがらみのオチは書きやすいような気が……。(笑


 パソコンの前で大笑いしてしまいました。…気の毒すぎる!乱馬クン、かわいそう。
 その、一ヶ月間の間、あかねちゃんは誠心誠意、乱馬クンに付き添って看病して世話をやいていたのでしょうか?
 その間、かすみさんがお見舞いに来ていたら、また、ふりだしに戻る…なんてこと、なかったでしょうね?
(一之瀬けいこ)



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