◆親馬鹿ちゃんりん



一、

 親馬鹿ちゃんりん、そば屋の風鈴。

 世の中の可笑しいものの譬えだそうだ。



 そろそろ、冬の間枯れていた木の芽が膨らみ始める。三寒四温を繰り返すうちに、吹いてくる風の中にも春の兆しが匂い始める。
 三月はじめ。
 人々の流れも変わることがある年度末。そろそろ、この一年のまとめをしにかかる時節。
 年度替りの四月を迎えると、学生たちは次のステップに上がるだろうし、サラリーマンも組織変更などで人事異動というものがある。
 そんなことに無関係そうな、格闘家の俺の家でも、年度末はやって来る。
 そうだ。幼稚園児の龍馬と未来が初めての「生活発表会」を迎えたのだ。

 この双子が通う、ひかり幼稚園では、毎年三月はじめに、一年間の総まとめとして、園をあげての行事を行う。誰が名付けたのか、それが「生活発表会」。
 ご丁寧にも園を飛び出して、都の公共施設の小ホールを借り切って、お遊戯だの音楽演奏だの演劇だのを行うのだ。子供にとっても親にとっても、それは年度末最後を飾る一大イベント。
 この日ばかりは、親は皆「親馬鹿」に大変身。
 普段は幼稚園などに見向きもしない父親や、果ては爺さん婆さんたちまで動員しての、一大親馬鹿鑑賞大会となるのである。
 早乙女家も天道家も例外ではなかった。
 幼稚園の講堂で演じていた頃は朝早くから座席取り…なんてことも行われたらしいが、公共施設を使うようになって「チケット申請制」となった。それでも、少しでも良い席を取りたいと思うのは親心。この席割りを決めるのはそこそこ大変らしいが、この国の常として、中央の良い席は卒園間近な年長児に割り当てられることになっていた。
 年中、年少は適当に割り当てられるというわけ。俺とあかねの双子の子供たちは現在、「二年保育の年中」だ。いわゆる「五歳児」って奴。だから、座席も後ろか前の隅っこの方。

 まあ、それはさておきだ、類に漏れず、早乙女家(天道家)は朝から慌しかった。

「早く、用意しないと、集合時間に遅れるわよっ!!」

 ほらほら、母親のあかねの怒声が台所から響いてくる。
 起きたて龍馬は、眠気まなこで全く動じず、いつもの如く、ゴロンと茶の間のストーブの前で転がっている。朝の奴の指定席だ。

「こら、龍馬(りゅうま)っ!!早くお着替えしなさいっ!!置いて行くわよっ!!」
「ふわーい…。」
 眠そうに生返事。しょうがねえ奴だと思いながら苦笑いする俺。こいつのこういうところは誰に似たのか。
「お父様、今日はパンダの格好は駄目ですよ。」
 あかねはその傍で茶を飲んでいたパンダ親父に声をかけた。
『ぱふぉ?(何で?)』
「だって、目立っちゃったら、子供たちが演技に集中できないでしょう?」
 あかねが苦笑いしている。
「あなた、ほら、ちゃんと人間に戻りなさい。」
 おふくろが後ろに日本刀を構えながら言った。
 それを見た親父はあたふたと、持っていた茶を頭からかぶって人間モードに戻った。
「それでよろしい。」
 おふくろは謎の笑みを浮かべて立っていた。

 やっぱ、おふくろと日本刀は怖いんだな…。このぐうたら親父も。

「で、未来(みく)は?」
 姿が見当たらない娘に、俺は部屋に入ってきたあかねを見返していた。
「さあ…。」
 素っ気無い返事。
「未来ちゃんなら洗面所に居たわよ。」
 おふくろが答えた。
「顔洗ってるのか…。あいつは身だしなみ、しつこいくらいきちんとするからなあ…。」
「あら?ドライヤーの音?」
 ゴゴゴゴと洗面所のほうから音が鳴る。

「こらっ!未来っ!まだドライヤーなんか使っちゃ駄目だって言ってるでしょうがあっ!!」
 あかねがすっ飛んで止めに行く。
「だってえ…。寝グセがなおらないんだものおっ!!」
 ぶうっと膨れる幼稚園児、未来。鏡を見ながら、必死でドライヤーをあてていたらしい。

 おいおい…。色気出すにはまだ早いんじゃねえのか?

「ほらほら、やめなさいっ!」
 あかねがドライヤーを体よく取り上げる。
「ああん…。お母さんっ!!」
 未来が怒った。
「未来、あのね、まだあなたはね子供なの。子供がこういうの使っちゃ駄目なのよ。」
「どうしてえ?」

 ほらきた、お得意の「なぜ・なに教室」。

「子供が使うと、髪の毛痛めちゃうわよっ!!」
「痛めないもんっ!!」
 反抗した。
「あら、いいの?玄馬じいちゃまみたいに髪の毛がなくなっちゃっても。」
 この一言は良く効く。
「いやだ…。じいちゃまみたいになりたくないっ!」
 ぶんぶんぶんっと首を振る。
「だったらやめなさいな。髪の毛痛めて、じいちゃまみたいに、ぜーんぶ、抜けちゃってもお母さんは知らないんだから…。」

 お、おい…。それじゃあ、脅しだろ?そういう嘘言っても良いのかよ…。
 俺は影から苦笑いしながら、母親と娘の会話を聞いていた。

「ほら、おかあさんが、ちゃんと髪の毛とかしてあげるから。」
「じゃあ、この赤いリボンもつけてくれる?」
「いいわよ。」

 俺は溜息を吐くと、おふくろを呼びに茶の間へ出ようとした。
 あかねの「超不器用」はやっぱり変わっていないのだ。このまま、ほっておくと、多分、未来が駄々こねちまう。そうならない前に、おふくろの助っ人をさりげなく呼びに行っておこうと言うわけ。じゃねえと、いつまでたっても、未来の頭はくちゃくちゃのままだろうし、こっちも出かけられねえ。

「あかねちゃん、あなたは自分のご用意があるでしょうから、ここは私に任せなさいな。」

 俺に呼ばれるまでもなく、助っ人はすぐ傍にいた。さすがに目敏い。

「あ、お母様、お願いします。」

 ま、こんな調子で「親馬鹿の日」は幕を開けた。



二、

 いつも通い慣れた道とは反対側へ出て、一路、区民センターへと急ぐ。気がつくと回りは、龍馬や未来たちと同じ井出たちの制服ばかり。紺色のブレザーに白いブラウス、赤い蝶ネクタイ、それぞれチェックの半ズボンとスカート。そして白いベレー帽。
 だいたい幼稚園の制服は似たり寄ったりだ。それぞれ親たちに手を引かれて歩いていく。
 見知った顔を見つけると、子供たちも母親たちも、途端にはしゃぎ出す。

「あら、早乙女さん。」
「おはようございます。」
 ちらっとあかねに目配せされて、俺も慌てて挨拶をする。勿論、相手が誰かなんかわかったものじゃない。が、ここは一応軽く会釈する。
「あら…。今日はご主人もご一緒なのね。」
 にこっと笑う。
「いいわねえ…。さすがに格闘家は違うわ。遠目で見ててもすぐわかったわよ…。」
「母ちゃん、早乙女乱馬だあ!」
 真下で子供が指をさしてはしゃぐ。俺、ちょっとした有名人。
「これ、この子は。ちゃんと乱馬さんって呼びなさいな。未来ちゃんのお父さんなのよ。」 
 慌てて母親が咎める。
 このくらいのガキは容赦ねえ。
「早乙女乱馬だあっ!すっげえ、未来ちゃんのお父さんって早乙女乱馬なんだあっ!!!」
 
 おい、ガキ、こら、声がでかいぜ。

 気がつくといつの間にかそれとなく人垣が出来ている。

 うわ、一般の通行人までこっち見てる。
 あっちじゃ、携帯電話をこっち向けて画面を捉えようとしてる奴がいるぜえ。げ、持ってるデジカメ、やおらこっち向けてくる、園児の親父もいるじゃねえか。くおらっ!そこっ!ビデオ回すな!見世物じゃねえぞ、俺は。

 心の中で思い切り、吐き出しながら、愛想笑い。
 顔が売れた有名人はやっぱり辛いかも。




 それはさておき、愛想笑いを振りまきながら、ホールへと足を踏み入れる。
「サングラスでもかけてくるべきだったかな…。」
 ひきつる顔を撫でながらあかねに声をかけた。
「何言ってるのよ。かけたって、あんただってすぐばれるの。もう、有名なんだから、この幼稚園には格闘家、早乙女乱馬の子供たちが通ってるって。幼稚園の宣伝に一役買ってるのよ。知らなかった?」
「全然…。」
「何でも、来年度は登園応募が殺到しちゃって、くじ引きになったって園長先生ホクホク顔だったそうよ。」
「へえ…。だったら、登園費、まけてくれたらいいのによ…。二人分もいっぺんに払ってるんだぜ。宣伝になってるなら広告使用料だって…。」
「なびきお姉ちゃんみたいな馬鹿なこと言わないの。」

 そう言う間にも、いろんな母親や父親たちがこっちへ好奇の目を手向けてくる。はっはっは…。こりゃ気が抜けねえや。




 場内がザワザワしていたのが、一ベルが鳴るとぴたっと止った。
 さてと…。予定通り開演か。でも隣りの座席は空席だ。
 遅れて来る親も居るんだなあ…。と思っていたら、駆け込んで来た親子。

「間に合ったぜ…。迷わず開演前に来られたぞっ!!奇跡だっ!!」

「良牙…。」
 その主を見て、思わず苦笑いした。
 そうなんだ。良牙んところの若菜ちゃんもこの幼稚園に通ってる。龍馬と同じクラスだ。
 こいつ、朝っぱらからこの辺り、迷子になってさまよってやがったな。
「おお、貴様が隣りか。乱馬よ。」
 良牙がにっと笑った。その向こう側、あかりちゃんがぺこんと頭を下げた。二人目がお腹に居るそうで、マタニティーウエア。幸せ満開。

「これはこれは、良牙くん。」
 早雲父さんが声をかける。
「鑑賞するのは仲間が多い方が良いもんなあ…。」
「しっ!黙って、始まるわ。」

 二ベルが鳴って、園長先生が子供たちに語りかける。

「皆さん。おはようございます。」

『おはようございまーす!!』

「今日は、先生もお家の方も、待ちに待った「生活発表会」です。失敗しても最後まで頑張って、皆さんの演技をお家の方に見ていただきましょうね。」

『はーい!!』

 予め練習していたのだろう。我が家の子供たちの目も爛々と輝いて、一緒になって手を挙げ返事をした。



三、

 とにかくだ。こういう行事は、自分の子供の出番でないとなかなか楽しめないものだ。

 他人の子供の演目を延々と見せられることの耐えがたき。何が楽しゅうて、じっとしてなけりゃいかんのだ?
 子供らは別に集められてるし、二歳以上のちびっ子はまとめて園側が別の部屋で面倒みてるみたいだから、比較的会場は静か。
 入口で渡されたプログラム片手にじっと、退屈な時間を耐えながら、子供らの出番を待つ。運動会なら、野外だから多少ドンちゃんやっても影響はねえが、場所が場所だ。
 公共ホール。だから、飲酒飲食するわけにもいかねえ…。親父はっと隣のほうへ視線を投げたら、黙りこくって腕組んで耐えてやがる。騒ごうものならとなりのおふくろが布袋に忍ばせている「日本刀」のサビになる。そのうちコクンコクンと早雲父さん共々舟を漕ぎ始める。 
 いびきをかきそうになると、おふくろのにこやかな肘鉄が入ってるのがまともに見えるがな。

 にしても、ここでじっと座っているのは拷問に近いかもしれねえ。

 だが、皆、一様に我が子が出ているときは元気だ。
 一応マナーだということで、フラッシュ撮影は禁止されているものの、どこの家族もハンディビデオ片手にお父さんたちは大奮闘だ。舞台を見ないでデジカメの画面をじっと見てる奴も居る。
 あ、俺か?俺は全く機械音痴なんで、持参はしてねえ。あかねによれば、後で園でもビデオの頒布があるそうだし…。まあ、結構良い値段はしてるがな、申し込めばいいんだ。それに、武道家早乙女乱馬が我が子相手に、カメラ片手に鼻の下伸ばすような真似も出来ねえし…。結構、気を使ってるんだぜ。俺。
 それに、折角の演技の瞬間は後に残すために使うのも勿論良いが、この二つ目に焼き付けておきたいじゃねえか。だから、俺はカメラもビデオも持参しねえ。

 そうこうしているうちに、やっと、自分の子供に順番が回ってくる。

「ほら、今度は龍馬と若菜ちゃんのクラスよ。」
 とあかねが言った。
「おお、若菜が出るのか。」
 良牙もニコニコ顔だ。鼻の下、長えぞ!
 こいつ、相当親馬鹿だな。

 一人二場面、この幼稚園では出番がある。クラス全体のお歌の演技と演劇演技。それが年中のメニューだそうだ。年長になると器楽演奏も入る。
 龍馬と若菜ちゃんのクラスは演劇。「白雪姫」を演じる。

「へえ、若菜ちゃんは白雪姫かあ。」
「えっへん、主人公だぜ。乱馬よ。」
 良牙が得意顔。
 まあ、若菜ちゃんも闊達な女の子だし、どっちかっつーとあかりちゃん似で可愛いし、しっかりしてるからなあ。台詞もしっかりこなしてらあ。適役なのかもしれねえ。
「で?おまえんのとこの龍馬(むすこ)は何だ?」
「さあ…。知らない。」
「これだもんなあ…。」
「おい、龍馬の役って何だ?」
 隣りのあかねに突付いてみる。
「その他大勢。」
 あかねが笑いながらあっさりと言った。
「ほお…。うちの若菜とは出来が違うか。そうか、その他大勢か。」
 良牙は優越感を感じたらしい。
「その他大勢ねえ…。」
 俺はムッとした顔を差し向ける。
「仕方ないわよ、龍馬は誰かさんの血をまともに受けてるんだもの。」
 あかねがくくくと笑う。
「間違っても、相手役になる「王子様」なんかは絶対にやらせたくないからなあ…。絶対に、てめえのところの龍馬(息子)には、若菜はやんねえ。」
 良牙が憎々しげに言い切った。
「何だよ…それ。」
 こいつ、今から将来へ向けての、予防線張ってやがるな…。まあ、確かに、龍馬は若菜ちゃんを気に入ってる様子だしよ、若菜ちゃんは美人になりそうだし…。だから、牽制したくなるのもわかるが…。

 
 さて、待てど暮らせど、龍馬は出てこない。見過ごすしちゃいけねえと思って目を凝らすが、気配も感じない。

「たく…。で、あいつ、何の役でどこに出てくるんだ?」
「だから…役はその他大勢。」
 その他大勢だって出番はある。上手い具合に舞踏会の場面なんかで、その他大勢もちゃんとそれなりお遊戯の見せ場を披露してみせている。その中に居るのかと思って目を凝らしたが居ない。
 どんどん物語りは進んで行く。
「もうちょっとよ…。」
 あかねは知っているらしく、そう言って笑っていた。

 白雪姫が継母(ままはは)の魔法使いの毒リンゴに倒れた。

「おお、若菜…。死ぬなよ!」
「おい、何入り込んでるんだよ、良牙。」
「うるせえっ!今良いところなんだ。」
 こいつ、泣いてやがる。
 はあ…。たかだか子供のお遊戯付き演劇で、ここまでリアクションできるのかあ?
 呆れたが、羨ましくもあった。
 
 白雪姫と同じ大きさの小人たちが、舞台上で、えーん、えーんと泣き真似している。冷静に見ればなかなか滑稽な風景。

 おっと、そこへ、BGMで馬の蹄(ひづめ)の音。なかなか、情緒出てるじゃねえか。

「ほら、お待ちかね、龍馬よ。」
 こそっとあかねが耳元で言いやがった。
「あん?…どこだ?」
「ほら、あそこ、後ろ足…。」
「後ろ足?…ああっ!」

 どうやら、龍馬は王子様の馬の後ろ足だったようだ。あいつ武道やってるだけあって力があるからなあ。なんと、肩車して王子様を乗せてやがる。なかなか器用な真似しやがるなあ。
 その光景に当然、場内から「ほおお!」という感嘆が漏れる。
 まあ、子供とは言え、龍馬は平気で肩車できるくらい足腰も安定している。だから「馬の後ろ足」なんだろう。まあ、それはそれなり親として納得。
 だが、その後がいけなかった。

「白雪姫っ!!」
 馬から下りて駆け寄る王子に、あいつめ、さりげにこつんと拳固(げんこ)をかましやがった。
 ぼてっと音がして王子役の男の子がつんのめった。

「あいつ…。」
 俺は思いっきり苦笑したね。

 王子役の子は転びかけたが立ち直って、台詞を言う。

「白雪姫。」
 そう言って若菜ちゃんを抱き起こそうとしたとき、また、馬の後ろ足が動いた。

(やっぱり…。龍馬め、王子役の子を妨害してやがるな…。)

 いやはや、見ていて滑稽だったというか。さりげに、だが、上手く妨害工作に走ってやがる。よっぽど若菜ちゃんを王子役の奴に取られるのが嫌なのだろうな。たとえ、役の上のことでも。

「おい、おまえの龍馬(息子)、なかなかやるじゃねえか。」
 案の定、良牙が突付いてきやがった。
「まあ、どんな虫でも若菜についてもらっちゃ俺だって嫌だからな。」

 おい。父親のおまえが言うか?良牙。

 とにかく、馬の後ろ足の活躍は凄かった。若菜ちゃんへ近寄ろうとするたびに、何らかの妨害を入れてやがる。はあ、あいつも、好きな子は絶対なんだな。
 誰に似たんだか…。やっぱ、俺か。

 俺の頬はすっかりと緩んでいた。



四、

 さて、お次は未来。

「えっと…。「眠れる森の美女」かあ。」

 さああっと幕が開く。

 十六歳の誕生日、オーロラ姫は誕生日に呼ばれなかった魔女の呪いを受けるという、チャイコフスキーのバレエ音楽にもなったあの話だ。

「へえ…。未来がオーロラ姫か。なかなかやるじゃん。」
「しっ!真剣に見なさい。」
 あかねの肘鉄をかわしながら、俺は未来に見入る。
 口紅なんかさしてもらって、本格的だな。それに、衣装もなかなか似合ってるじゃねえか。…あいつは母親似だからな。…小さい頃のあかねってあんな感じだったのかなあ。
 んっといけねえ、思わず口元がにへらあっとなってる。

「おまえも人のこと言えた義理じゃねえじゃんかよ。乱馬。」
 その様子をちらっと見ていた良牙が隣りから口を挟んだ。
「うるせえっ!!」
 おっと、また声がでかくなる。隣りからあかねが睨みつけてくる。
 大人しく俺は座席に沈み込む。
 
 話は進み、未来はイバラに包まれて眠りに就く。
 そこからは、王子様の話。

「あれ…。あの王子役やってる奴って。」

「そう、未来がこの間のバレンタインにチョコレート作ってあげてた祐次君。」
 あかねがさりげに教えてくれた。
「バレンタイン…あの、焦げチョコか?」
 こくんとあかねの頭が揺れた。あかねと一緒に、ごそごそとチョコレートらしき物体を作っていたのはつい先月のこと。そういや、未来の奴、変にそわそわしてたもんなあ。幼稚園の仲良しさんにあげるんだとか言ってよ…。

「なかなか、いい男の子でしょう?…ふふふ、祐次君のお父さんもお母さんって柔道家なのよ。全日本選手にもなったことがあるそうなの。結構、あの子も強いらしいわよ。龍馬と張り合えるくらいに。」
 あかねがにっこりと微笑んだ。


 詳しい…。何でそんなこと知ってるんだ?


 いや、その時の俺の表情は、もしかすると、さっきの若菜ちゃんを見詰める良牙以上に変に燃えていたかもしれねえ。
「あら、知らなかったんだ…。乱馬。未来、あの子に気があるみたいよ。…初恋って奴かしらね。」
 嬉しそうに俺を見やった。


 な、なんだとお?


「ほお…。未来ちゃんにも虫がつきそうですか…。乱馬よ。」
 良牙が余裕で笑ってやがる。

 
 未来に虫だってえ?…


 その時初めて、俺の中に「娘の父親」としての自覚みてえなもんが生まれ出たのかもしれない。
 どうしてだろう。
 出会った頃のあかねの顔が鮮やかにそこに浮かび上がる。
 勿論それだけではない。
 脳内イメージは、どんどん膨張して、増幅して、飛躍して、何故かウエディング姿のあかねとかぶったのだ。隣りには顔は曇ってて良く見えないが、俺じゃない別の男がにこやかな雰囲気を漂わせて立ってる。
 その時悟った。そうなのだ。
 いつかは、未来もどこかの誰かとウエディングベル。

「許さねえっ!」

「ちょっと、静かにっ!!」
 あかねに引き戻されて、現実に立ちかえった。

 いっけねえ…。入り込み過ぎたか。俺も、良牙(ひと)のこと、とやかく言えないな。思わず苦笑いして誤魔化す。隣りであかねがくすっと笑った。

「でもよ…。眠れる森の美女と言ったら…。ラストシーンは…。」
 現実に引き戻されても、何だか納得いかねえ。
 「眠れる森の美女」のラストっていうと、王子様のキスでオーロラ姫は目覚めるんだ。

 キス…。げええっ!あの祐次とかいうヒヨコっ子、未来の無垢な唇にキスだなんて、ふざけた真似を…。
 やめろ!俺の未来に、あかねとの愛の結晶にそんなこと!!やめてくれえーっ!!
 
 最高潮に達した時、祐次とやらは、軽く未来の手に唇を触れた。
 ぱっかりと開く未来の瞳。

 思わずわなわなと震え出していた俺に、あかねがくすくす笑いながら話しかけてきた。

「あのねえ…。これはたかだか幼稚園児の演目なの…。だから、本当にキスなんてさせるわけないじゃないの。本当に、乱馬って短絡思考なんだから。」

 と言いながら笑い転げていた。


 
 はあ…。女の子の父親なんざ、哀れな生き物なんだな。
 思いっきり疲れたぜ。



五、

「はあ、大変な一日だったぜ…。」
 俺はどっさっと敷かれた布団の上に、その身を投げ出した。

 精も根も尽き果てた一日。
 根こそぎエネルギーを子供たちに持っていかれたようだ。いや、慣れないホールの硬い椅子にずっと座っていたから余計だったのかもしれねえが…。

「本当…。でも、楽しかったわ。」
 と母親のあかねの弁。
「たく…。親という役をこなすのも、並大抵じゃねえよな…。カメラ構えたり、ビデオ撮ったり…。声援おくったり。これって絶対に演じてる奴らの方が楽だよな。無邪気でさあ…。」

 そう言いながら、隣りの布団で眠りこけている小さな二人の方へと目をやった。二人とも緊張が解けて、天使の微笑み浮かべている。

「ヒロインも馬の足も、それなりに頑張ってたもんな…。」
 ふっと緩んだ俺の顔。父親の顔になっていたと思う。

「本当…。馬の足は後で担任の先生にお詫びするの大変だったんだから…。たく、龍馬って…。あんたそっくりね。」
「あん?」
「龍馬見てたら「ロミオとジュリエット」演じた時のあんた思い出しちゃったわ。あたし。」
「ああ、あれねえ…。」

 風林館高校演劇部の陰謀(?)で、バトルロイヤルの舞台をやることになったあの日。ステージは戦場だった。
 まだ、己の気持ちに素直になりきれなかった、蒼い時代の思い出。
 あの演劇上で勝ち取ったキスは、俺の確たるあかねとの目出度いファーストキスとなる筈だった。

「おまえ、悪どかったもんなあ…。ここぞって決めた時、すかさずガムテープなんかしやがってよう…。」
 つい、ちょっとすねた声を出してしまった。

「ふふふ…。お互いまだ、手の内は明かせなかったもの。そう、簡単にキスなんかさせられないじゃない。好きだっていう意思表示もなしに…。」
 あかねは悪戯っぽい瞳を投げかけてきた。
「でも、嫌いじゃないって断言したろう?」
「女の子はね、確たる証がないと、簡単に唇は許さないものなのよ。…そのくらい、キスは神聖なものなんだから。」

「神聖なものねえ…。」

「はあ、龍馬も苦労しそうだな。若菜ちゃんも結構、競争率激しいみたいだし…。父親の良牙があの調子だもんなあ…。親馬鹿っつうか。」
「あんただって、充分親馬鹿じゃないの…。」
「あん?」
「未来の時にさあ…。」
 くくくとあかねは思い出し笑いに耽りやがった。
「悪かったな…。」
「あんたも女の子の父親なのねえ…。ねえ、知ってた?お父さんがさあ、あたしやかすみお姉ちゃんの結婚式でさあ、花嫁姿見たときに、物凄く悲しそうな目を一瞬手向けたの。」
「さあ…。気がつかなかったな。」
 
 いや、勿論気がついていたさ。
 あかねの父さんは、早乙女家の嫡男の俺とあかねを縁組させるために、長い間、奮闘してきた父親だった。だから、俺は花嫁の義父さんに強く望まれてあかねと結ばれた筈なんだ。
 でも、嬉しい気持ちの裏側に、父親としての複雑な気持ちはあったのだと思う。手塩にかけて育て上げた可愛い娘、愛しい人と結ばれてできた愛の結晶を、他の男に易々と持っていかれる日。花嫁の父親にはそれが結婚式の日なのだから。
 あのとき、一瞬、あかねの花嫁姿に手向けた義父さんの表情は忘れられない。
 俺も多分、未来が結婚するときは、同じ表情を浮かべるだろう。嬉しげでどこか寂しげな表情を。

「そうだ、一つ思い出した事があるぜ。」
 俺はあかねへと視線を手向けた。
「俺さあ…。未来が生まれた時に、おめえの父さん言われたことがあるんだ。」
「何て?」
「これで俺に娘を盗られた仕返しが出来るってさ。」
「仕返し?」
「ああ…。男親にとって娘に娘が出来るということは、娘をさらった男に仕返しできるってことなんだそうだ。俺もおまえを義父さんに持っていかれたのと同じように、娘の未来を持っていかれるんだってな。…俺にも自分からあかねをさらわれた心情を味あわせてやれるって、心なしか、義父さん嬉しそうに俺に語ったよ。娘ができたぞ、ざまあみろってな。」
「ふうん…。」
「だから、さらわれて悔しいと思えるほど、生まれた娘を大切に育てなさいってこと言いたかったんだろうけどな…。」
「あたしも大切に育てて貰ったものね…。」
「そうだぜ、義父さんは親馬鹿だよ…。あ、今は爺馬鹿(じじばか)でもあるけどな。」
「うふふ、乱馬も娘の未来には息子の龍馬以上に親馬鹿親父だものね…。今日見ててわかったわよ。」
「良牙親父ほどきつくはねえけどな。」
「そうかしら?」
「そうだよ!」

 見詰め合ってくすっと笑った。

「幾つになっても、あかねのことは大切にするさ。おまえを大切に育てた人からかっさらって、託されたんだ。その後の一生を俺の元へ貰ったんだ。たとえおまえにシワが増えても大切にするさ。」
「シワは余計よ。」
「いつか娘の未来は他の男に託すけれど、おまえはずっと俺の傍から離さねえ…。」
「それじゃあ親馬鹿以上に夫馬鹿かもね。」
「ぬかせ!」

 閉じた瞳から溢れ出る、大きな愛一つ。

 多分、親馬鹿になれる男は幸せなんだと思う。
 勿論、夫婦馬鹿になれる奴もな…。


 親馬鹿ちゃんりん、そば屋の風鈴。



 電灯を消し、あかねを抱き寄せた耳元に、チリンと心の風鈴が鳴ったような気がした。
 まだ辺りは浅い春の宵。



 完




一之瀬的戯言
「生活発表会」・・・実は私が通っていた幼稚園の発表会の名前です(笑
 今じゃ、こんな呼び方なんてしる幼稚園なんてないだろうなあ。何となく乱馬たちの暮らす辺りはレトロな雰囲気を持っているような気がして、使ってみました。
 私が通っていた幼稚園は、当時としては珍しく、大阪の三○百貨店の最上階にあったホールを借り切ってやってました。
 京阪電車に乗って、みんなして北浜まで出てたんですね(笑・・・当時の写真を見ても「今と同じ顔しとる!」と旦那に言われます(どんな老けた幼稚園児だったんじゃ、私。)
 親馬鹿ちゃんりん、そば屋の風鈴。その昔、そば屋が来る時は屋台に風鈴をつけていて、それが季節外れでもあったのがおかしいから、おかしいもののたとえとして「親馬鹿」と並んだのがこの諺になったようです。落語に出てきたように思うんですが。(記憶が緩慢)
 ついでに、早雲さんが乱馬へ言った言葉は、そのまま私の父の言葉だったりします。娘を他の男にさらわれた父親はその娘に女の子が生まれると「ざまあみろ!」と思うものなのだそうです。

 相互リンクの記念に、永野刹那さまから素敵な小説をいただいたので、こちらからも贈答させていただきました。


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