第六話 危険なダブルデート


一、

「だから、何で俺があいつとデートなんかせにゃ、ならんのだ?あん?どんな義理があってそこまで…。」

 朝から天道家は大騒ぎであった。

 昨夕、初音からいきなり初デートを申し込まれた乱子、もとい乱馬は、天道家の面々の前で、嫌々ながら承服させられてしまったのである。
「若いうちはいろいろあるさ。ま、これも一つの経験だと思って。良いのじゃないかい?乱子ちゃんや。」
 早雲が苦笑いしながら押し付けた。事なかれ主義というよりは、なりゆきと言った方がしっくりくるかもしれない。
 当然、誰もが乱馬の正体を知っているので、それ以上の深い仲に進展することもあるまいと安易に考えた結果でもある。
 申し込まれた乱馬自身は、当初、そのまま、頭の中が真っ白けになっていて、本人、目は開いた状態で正気を失っていたものだから、気がつくと、家人たちに勝手に決められていたというわけだ。
 いや、呆気にとられていたのは、乱馬だけではなく、あかねもそうであった。

「何で、初音君と乱馬がデートなのよっ!!」
 影で反発してみたが無駄だった。
「いいじゃないの。当人は元々は男なんだから、間違いなんて起こるわけないし…。」
「起こってもらってたまるものですかっ!!」
「あら、だったらいいんじゃないの?それに、乱馬君はあの気性だし、初音君の相手になるわけないじゃない。それとも、何?乱馬君にはボーイーズラブの傾向があるとでも?」
「まさかっ!」
「天道家滞在の最後くらい、希望をきいてあげてもいいんじゃないの?どうせくっ付くわけないんだし…。楽しい思い出を持って機嫌よく帰っていただけば、未来の有名人なんだからさあ…。」
「もう、お姉ちゃんは、金目のことしか頭にないんでしょうっ!」
「当然!」

 姉のなびきとはこんな会話が暗躍していた。

 当の乱馬は呆けてしまっている。
 また、父の早雲も、良い思い出を作ってもらうことに関しては意義がないようで、初音君が望むのならと、既にGOサインを出している。

「もし、初音君が乱馬を気に入って、乱馬も気に入ったら、ワシは音楽家の義父になるのかのう。わっはっは。」
 玄馬辺りはそんな冗談とも本気とも取れないことを口走っている。
「おじさま、でも、そうなったらなったで、おばさまの刀のサビになるかもしれないわよ。男らしく育たなかったって。もとい、女の子になっちゃうわけだから。」
「ははは。冗談じゃよ。なびきくん。」
 といたって無邪気だ。
 かすみなどは、乱馬君にはどんな格好が似合うかしらねえとかこうとか言いながら、衣装の選定に余念がない。すっかり実物大の着せ替え人形に成り下がりつつあった。

 呆けた乱馬は、そのままあかねの部屋で就寝し、いつものように、清々しい目覚めを彼女の部屋で迎えた。毎度の事ながら、頬にはあかねの平手打ちのあとがくっきりこっきり残っている。
 ここだけの話だが、決まってあかねは乱馬の蒲団へと、落下して彼の腕に守られるようにして目覚め、そして、思わず、乱馬を思いっきり張り倒すということを、毎朝やっていたのである。
 そんな痛い朝を迎えても、乱馬はまだ、焦点定まらず呆けていた。

「ちょっと、乱馬。」
「あん?」
「わかってると思うけど…。初音君の純情、もてあそんじゃだめよ!」
 と言葉を投げてみた。
「なっ!あったりめえだっ!こんのやろうっ!こっちだって好き好んでデートしてやるわけじゃねえやっ!」
「ふーん…。どうだか。あんたのことだから、身も心も女になっちゃうんじゃないの?」
「そんなアホなことはしねえっ!ぜーってぇ、しねえっ!俺は男だ!」
「ま、せいぜい、乱子ちゃんを演じて、楽しい思い出を作るのに、協力してあげなさいよ。」
「おめえさあ…。もしかして、ヤキモチやいてるとか?初音の野郎によう。」
「ばっ!!そんなこと、あるわけないでしょうーっ!!」
 バチンとまた、別の頬へと平手打ちが入る。
「たく、あんたたち、見ようによったら、メチャクチャ危ない関係よ。それ。」
 ひょいっと通りがけに部屋を覗いたなびきが苦笑いした。
「会話だけきいてたら、まるっきり「夫婦」よ、あんたたちは。女同士の夫婦!」
 その一言に、固まる二人。純情であった。

 初音が来て以来、二人のペースがすっかり狂っている。共に感情は臨界点に達しているようだ。

 呆けたまま、朝のランニングと軽い基本運動をこなし、朝食を食べ、出かける支度。案の定、天道家総出の女乱馬デート準備大作戦と相成る。
 
「こっちのフレアースカートが女の子らしくっていいんじゃない?」
「あら、パンツルックの方がいいかもしれないわね。」
「わし、こっちの胸元がぐんと開いてるワンピースが良いと思うなあ…。ほれ、色っぽいし、間違いなく初音君を悩殺じゃないのかね?」
「あら、おじ様、初音君を誘惑するためのデートじゃないんだから。その気にさせたら不味いんじゃないの?」
「そうですよ。悩殺だなんて、そんな下品な事。」
「わっはっは、冗談じゃよ、冗談!」
「目がまじだよ早乙女君。」
「乱馬ったら、すっかり呆けちゃって…。」
 あかねはその様子を見ながらふううっと溜息を吐く。


 あかねを除いた全員が、わいのわいのと支度に余念がない。
 結局、春らしい淡い色調のパンツルックで落ち着いた。パンツの色はパステル調の淡い紫、貸し出し元はなびきである。上は重ね着スタイル。インナーは濃い目の紫。上着はパンツに合わせた薄紫色。こっちの貸し出し元はかすみ。だから、少し大人っぽい。
 あかねは小物を貸し出した。白いバッグに腕にさり気にまくスカーフ。
 彼の自前といえば、下着くらいのものだろうか。
「勝負下着、つけないの?あかねに借りたら?」
 なびきがにやっと笑ったが、
「じ、冗談じゃねえっ!!んなもん、するかっ!」
「あら、もし、脱ぐことになったら、男物じゃ不味いんじゃないの?」
「ば、バーローッ!脱ぐわきゃねーだろがっ!!」
「ちぇっ!つまんないの。」
 なびきがにたにたと舌打ちしたが、
「ぜーってえ、ランジェリーだけはつけねえからなっ!!それに、あかねのブラジャーじゃ、俺にはきついんだよっ!!胸の発育が違うからっ!!」
「バ、バカーッ!!」
 こうやってランジェリー不装着という男としての最後の砦は守り抜いた。
「それから、これ。」
 なびきが最後に乱馬を招きよせる。
「あん?何だ?携帯電話?」
 こくんとなびきの頭が揺れる。
「まあ、大丈夫だと思うんだけど…。もし、何か不都合があって、SOSを発信したくなったら、ここに登録されてるあたしの携帯へ通信の一本でも入れて頂戴。何とか対処してあげられると思うわ。」
「俺、携帯なんで使ったことねえぞ。それに、使用料高いんじゃねえのか?」
 舐めるような視線でなびきを見返した。使用料金を吹っかけられると用心したのだ。
「そんな、お金なんて要らないわよ。大事な義弟君のピンチですもの。えっといざとなったら、電源をONにしてこの星マークのボタン一つであたしの携帯に繋がるようにセットしてあるから。」
「ふーん…。てめえのこういうお節介、怖いような気もすっけど…。」
「魔除けよ、魔除け。念のためなんだから。使わないことに越したことないでしょうし…。」
「わーったよ。あ、それから、別に定期通信なんか要らねえから、そっちからかけてくんなよ…。」
 乱馬は渋々、なびきから携帯電話を受け取った。そして、それをハンドバッグへと入れる。


「お待たせしたわね…。初音君。」
 そう言いながら、嫌がる乱馬を初音の前に引き出した。
「あら?初音君…。」
 天道家の面々は初音の顔をまざまざと眺めた。
「眼鏡は?」
 思わずあかねはそう切り出していた。
 初音の顔には見慣れた眼鏡がなかったのである。
「あらら…。コンタクトレンズに変えたのかしら?」
 なびきが不思議そうに見詰めた。
 初音は首を横に振りながら答えた。
「いえ…。眼鏡を思い切って外してみたんです。コンタクトも入れてません。元々、僕には不必要なものだから…。」

「あん?」
 乱馬は怪訝な顔を手向けた。

「僕、裸視で、十分視力があるんです。人並みの「1.0」以上はね。」
 初音ははにかみながら、答えた。

「ええ?それじゃあ、からっきし普通の視力じゃないか。」
 眼鏡を持ちながら玄馬が声を上げた。
「そうよ、じゃあ、この眼鏡。」
 こくんと頭がたてに揺れた。
「ええ、度は入ってません。いわゆる「ダテ眼鏡」って奴です。」
 思わず初音の顔に集中する面々。
「けっ!何で、必要ねえのに、眼鏡なんてかけてたんだ?」
 乱馬がそう吐き出した。
「その…。何て言うか。一つの変身願望みたいなもんです。僕、元々気が弱くって、内弁慶なんです。人前に出たら、自分の持てる物の半分も表現できないようなところがあって。いつだったか、試しに眼鏡をかけて人前でヴァイオリンを弾いてごらんって、亡くなった母さんに言われて、やってみたら…上手くいって。…それ以来ずっと眼鏡をかけてステージに上がっていたら、つい、普段の生活の中でもこれがないと不安になってしまって…。」

 ほおおっと天道家の一同から感嘆の声が上がった。

「で、何で今日は眼鏡を外す気になったんだね?」
 早雲がみんなを代表して、核心的な質問を浴びせかけた。

「このままじゃいけないって気がしたのと…。乱子ちゃんとは等身大の僕で、街を闊歩したかったから。」
 さあっと朝の太陽が居間に差し込んできた。そう言って笑った彼の目が、きらきらとそれに輝いて見えた。

「うんうん。ダテ眼鏡を外す気持ちになっただけでも、一歩、君は進歩したのだよ。」
 早雲はにこやかに初音の肩をポンっと叩いた。
「今日はゆっくりと楽しんできたまえ。」
 それから返す口で、乱馬の耳元に囁きかけた。

「とにかく、君の任務は重要だよ!良いか、くれぐれもばれぬように振舞いたまえっ!!」
 と釘を刺した。

「皆して他人事だと思って、好き勝手言いやがって…。」
 ブツブツと初音に聞こえないように吐き出した。
 
「夜は近所の公園でお花見ですからね。二人ともそれまで、存分に楽しんでらっしゃいね。」
 にこにことかすみが元気付けた。

「行ってきますっ!」
 半ば投げやりな言葉を投げつけると、天道家を颯爽と肩を並べて歩き出す。

「いってらっしゃい!」
「しっかりねっ!!」
「男になれよっ!!」
「お土産待ってるわ!」

 好き好きにエールを送りながら、天道家の人たちは彼らを送り出した。



二、

「さてと…。」

 彼らの影が見えなくなると、なびきはちらっとあかねを見た。

「あたしたちも出かけますか。」
 と吐き出した。

「え?」
 目を丸くして見詰め返すあかねに、なびきはすらっと言ってのけた。

「このまま放っておくのも心配なんでしょう?あんたは。」
 とウインクした。
「べ、別に、乱馬が初音君とどうしようと…。」
「知ったこっちゃないって言いたそうだけど…。その割にはそわそわしてるじゃない。」
 にっとなびきは笑った。
「そ、そんなことないわよ。」
「いいから、いいから。あの二人が危ない橋を渡らないように、あたしたちがしっかりと見守る必要だってあるんだから。ね?お父さんたち。…どこへ行くの?」

「あーははは。」
「わしらもだな…。その…。」

「駄目よ。お父さんたちじゃあ、すぐ尾行がばれるから。」
 なびきは親父ーずをぐぐっと引き戻した。

「尾行はなびきとあかねに任せて、お父さんたちは今夜の場所取りをお願いしますわ。」
 そう言いながらかすみが笑っていた。手には包丁をしっかり持っていて、返事如何ではどうなっても知りませんよ、と暗に目が語っていた。
「早乙女君。今日のところはなびきたちに任せるか。」
「あはは…。そうだねえ…。」
「今夜の花見に備えますかね。」
「そうしますか。」

 父親たちを牽制してから、なびきはあかねににっと笑いかけた。
「さて、そうと決まったなら、準備っと。」
「お姉ちゃん、でも、そんなに悠長に構えてたら、乱馬たちを見失っちゃうわよ。」
「ふっふっふ、あたしを誰だと思ってるの?」
 なびきは余裕を見せて笑った。
「お姉ちゃん?」
 なびきはさっと手元から携帯電話を取り出した。
「そんな顔しないの。ちゃあんと、離れた場所からも尾行出来るようにほら。」
 そう言ってぴぴっと親指を弾いた。そこに映し出される地図と発信源。
「これって…。」
「今の世の中進んでるからねえ…。居場所がわかるように乱馬君に発信源となるように、携帯電話を渡しておいたのよ。」
「え?じゃあ、さっき、乱馬に緊急用って押し付けた携帯電話って…。」
 あかねの驚きの声になびきはにんまりと笑って頷いた。
「そうよ…。あれ。ほら、子供の居場所を把握したり、お年寄りの徘徊をチェックするためのサービス機能の活用するのに便利なのよね…。」
「お姉ちゃん…。いつの間に…。」
 あかねは開いた口が塞がらなかった。
「ぬかりないわよ。だって、せっかくだもの、こっちだって楽しみたいじゃないの。」
 ふふふとなびきは笑った。
「まさか、それであの二人の会話を盗聴できるなんてこと…。」
「あら、それも出来るけど…。やってみましょうか?」
 キランとなびきの目が光った。
「さすがにそこまでは…。」
「そう言うと思ったわ。ま、人に知られたくない言動だってあるでしょうから、今回はその機能は使うのやめておくわね。」
 そう言いながら、手元のスイッチを入れた。
 乱馬から発せられる電波が鮮明に移りこむ液晶画面。
「お姉ちゃんは敵には回せないわね…。」
 あかねはそれを見ながら、ふうっと溜息を吐いた。

「で、何であたしがこんな格好させられるのよっ!!」
 支度しながら思わずあかねは叫んでいた。
「文句言わないの。尾行は絶対にばれないようにやらなきゃならないんだから。」
「だからって、何であたしが男の子の格好させられるのっ!!」
「あら、相手はカップルなんだし。どうせならあたしたちもって思ったのよ。カップルじゃないと不自然な場所ってところへいくとも限らないでしょう?」
「カップルじゃないと不自然な場所って例えばどこなのよ!」
「個室喫茶とかラブホとか…。」
「ちょっと!お姉ちゃんっ!!」
「例えばの話よ。そんなに熱くなんないのっ!」
「これが熱くならないでいられますか。それに、だったら、お姉ちゃんの方が男の子の役やれば良いじゃないのっ!あたしより背があるんだから。」
「あら、あるっていったって数センチでしょう?そのくらい底上げ靴で対処できるし。それに…。あんたの方が胸、ぺちゃんこだし。」
「なっ!!」
 あかねは顔を真っ赤にして怒り出した。
「ほら、ちゃんとさらし巻きなさいよ。胸があるところあんまり露骨に出したら変だしね…。」
「そ、そこまでやらせる気?」
「当たり前よ。さらしを巻けば、厚い胸板の感じも出せるんだから。」
「お姉ちゃん…。何か楽しんでない?」
「あら、どんなことにも楽しみは見出さないとね。たとえ金儲けでも。ほら、文句言わないの!」

「あかねちゃん、似合ってるわ、その格好。あかねちゃんはやっぱり男の子みたいな格好が良いわね。」
「お姉ちゃん、それフォローになってないっ!」
 思わず吐き出すあかね。
 かすみにも手伝ってもらいながら、ちぐはぐなカップルが出来上がる。
 あかねは濃いメンズシャツに黄色のネクタイ、そして黒いスラックスに黒のキャップ。それからサングラスをして、何となく、いなせな兄ちゃん風。なびきは茶髪風な付け毛にこれまた派手な赤いワンピース。こっちはおどけた風味のサングラス。
 どこから見ても、別人だ。あかねとなびきというイメージではない。

「なかなかお似合いのカップルさんね。」
 手伝ったかすみもにこにこ笑うくらいだ。

「ちょっと派手すぎて目立たないかなあ…。」
 心配げなあかねに、
「このくらいで丁度良いんじゃない?あんまりありふれた格好ってのも、かえって警戒心招くわよ。」
「そういうものかしら…。」
 と前からよれよれになりながら、足元をふらつかせている見慣れた少年が一人。こちらに向かって歩いてくる。
「良牙君…。」
 なびきはすいっと歩き出す。
「ちょっと、待ってよお姉ちゃん。」
 あかねも慌ててそれに続く。
 大方どこか修行へでも出て、彷徨っていたのだろうか?どことなく良牙はくたびれて見えた。重い足を引きずりつつも、再びこの町へ。相変わらず、物凄い方向音痴であるには違いないが、解釈のしようによっては、何度迷おうと、どこへ出向こうと、迷いに迷った末、また、元通りの町へ戻ってくるこの野性的な感覚は、ある意味凄いだろう。
 なびきはツンっとすまして、良牙の脇を通り抜ける。良牙はそんな彼女をふっと振り返る。だが、あかねはつい、通り際に、軽く会釈など、してしまった。
 しまったと思ったが、後の祭り。
「ど…。どうも。」
 良牙もつられてお辞儀する。それから、はたと振り返る。
「あれ?今の誰だっけ?あんな知り合い居たっけ?」
 小首を傾げた。

「もう、あかねったら、馬鹿ねえ。」
「ごめんなさい。つい、いつもの調子で。」
「こちらから正体ばらすようなことするんじゃないの。今のあんたは、天道あかねじゃない別の少年なんだから。」
「そんなこと言われたって…。」
「いいこと?知り合いがいたって知らぬ存ぜぬでいくのよ。」
「わかったわよっ!」
「今度は九能ちゃんよ。」
 なびきは苦笑いしている。彼にとっつかまったらそれこそ大騒ぎになりかねない。
 今度は知らん顔で通り抜ける。

「もし…。」

 九能が二人を呼びとめた。
「何か…。」
 なびきがすっと止ると、
「いや…。仲良きことは美しき哉。まこと、世は全て事もなし。わっはっは。」
 そう言いながら高笑いにて通り過ぎていった。

「何あれ…。」
 思わず呆気にとられたあかねの腕をなびきはぐいっと引き寄せた。
「九能ちゃんになんか、構ってる暇なんかないわよ。」
「でも、よく、乱馬と初音君に気がつかなかったわね。ほんの数分前にここ通ってるんでしょ?」
「あら…。九能ちゃん、もしかしたら、他の場所で出会って、ここまで飛ばされたのかもしれないわよ。」
「何の根拠があってそんなこと…。」
「気がつかなかった?頬に思いっきり引っ叩かれたあとと、お尻に蹴飛ばされたあとがあったけど。」
「え?そう?」
「あんたって、鈍いわねえ…。」
「お姉ちゃんが鋭すぎるのよ!」

 こうして、チグハグなカップルの尾行大作戦が始まったのである。



三、

 発信源を確かめつつ、なびきは二人を探した。そして、目敏く見つけると、早速尾行開始。発信機を頼りに出来るので、見失っても慌てる必要もなく、多少離れて様子を伺うことができた。

「横浜方面かあ。ま、初心者のデートとしたら無難なところかしらね。」
 同じ電車に乗りこみ、離れたところから監視するように尾行した。

「はあ…。俺、何やってんだろ。」
 複雑な面持ちの乱馬は、初音と共に電車に揺られながら、一路、西へ。
 都心を通り抜けて、東横線から横浜方面へ。あまりこっち方面まで足を延ばすことはないので、それなりに珍しい風景が開けて行く。
 隣りに居るのは、にこやかな初音。見慣れた眼鏡少年ではなく、少し大人びた雰囲気の青年だった。
 これがあかねだったら、どれだけ楽しいだろうか。
 そんなことをぼんやりと考えてしまう。
 
 春休みの最中なので、車中は子供連れやら若いカップルたちで賑やかしい。
 勿論、あかねとなびきが、じっとこちらを伺いながら、離れて尾行しているなどということは、考えも及んでいない。
 
 電車の中の窮屈な時間が過ぎていく。

 港町横浜。
 現在のスポットは「みなとみらい」。お馴染みの大観覧車も暫く来ないうちに、辺りの景観に埋もれかけている。
「前に来た時は、もう少し建物がまばらだったのにな…。高い建物はランドマークタワーくらいしかなかった。」
 初音がぽつりと言った。
「ああ、この国は目まぐるしく動くからな。俺も久々に来たけど、全く別の街だ。」
 乱馬も納得しながら見上げた。
 浜風が吹いてくる。
 もう海を行くことがない日本丸の帆船が寂しげに浮かんでいる。引退した今は、ミュージアムとして見学できる。
「入ってみようか?」
 誘われるままに、ついて行く。

「日本丸へ行っちゃったわよ。」
「あたしたちも続きましょうか。」
 あかねとなびきも、後ろから続く。入口でなびきがにっこりと笑った。
「あかねが払っておいてね。」
「え?」
 思わず固まる。
「何であたしなの?」
 怪訝な顔を差し向けると、なびきが言った。
「こういう場合のお会計は、普通、男性が払うもんでしょ?」
「な、何でよっ!!」
 思わずテンションが上がる。
「だって、そうじゃない!ほら、乱馬君の分だって、初音君が払ってるし。」
 と券売所を流し見る。
「じ、冗談じゃないわよっ!出掛けにお父さんに必要経費分って言って、それぞれお小遣い貰ったじゃないのっ!」
「つべこべ言わないの。元はというと、あんたたちのためにあたしも付き合って上げてるんだから。貴重な時間を割いてさ。あたしが自腹切る言われはないの。交通費くらいは払ってあげてるんだし。」
「なっ…。」
 思いっきり面食らってしまった。
 そして、唐突に理解したのだ。何故、あかねに男装をさせたのかが。この欲どうしい姉は、こうやって、チケット代などをおごらせるために、わざわざ、それを選んだのではないか。
「はあ…。お姉ちゃんたら。」
 渋々、財布を開く。
「昼ごはん代は絶対に出さないからねっ!」
 と念を押した。





「で、初音、おまえどこへ行きてえんだ?」
 ひとしきり、ミュージアムで見学した後、乱馬が尋ねた。
「あれに乗ろうかと思ってさ。」
 初音は大観覧車、コスモロックを指差した。
 乱馬に緊張が走った。

(で…。こいつ、まさか。)
 その先は恐ろしくて妄想もできない。

「僕の長年の夢だったんだ。」
 そう言って彼は笑った。
「夢?」
「ああ、素敵な人ができたら乗ってみたいってね…。ずっと思ってた。ほら、ここは目立つ場所だろう?そんなにしょっちゅう日本へ来ていたわけじゃないけれど、大黒ふ頭あたりから見えるこの観覧車。子供の頃からずっと乗りたいって思ってた場所のひとつなんだ。できれば、女の子とね。」
 少しはにかみながら少年は笑った。
「へえ…。でもなあ。」
 乱馬の脳裏に、あらぬ図絵が浮かんでくる。
 観覧車へ乗ってしまえば二人きり。今は男ではなく女の姿の己。
(こいつ、上空で迫る気じゃねえだろうな…。)
 乱馬が危惧するのも仕方がない話だ。高いところへゴンドラで揺られる十五分くらいは、完全に二人の密室状態になるからだ。
 ごくんと生唾を飲み込みながら上を見上げる。
「ひょっとして、乱子ちゃん…。二人っきりで上に上がることに躊躇してるの?」
 初音がにっこりと笑った。
「あ、ああ…。まあな。」
 正直な気持ちが吐露される。
「僕ってそんなに信用がないのかなあ…。」

(そんな問題じゃねえと思うがな…。男は狼だからな。)
 初音を見ながらそんなことを考えた。
 己だって、あかねと一緒ならどうなるかはわからない。こういう場所に女の子を連れて来るということは、それ相応のシチュエーションも期待してしまうからだ。「大いなる下心」。そんなものがなくして、一緒に乗ろうなどと言うわけがない。
 あわよくばファーストキッス。
 しかし、この場合はそんなことがあってはたまらない。一度、女としてのファーストキッスを三千院帝に奪われているが、あんな、とんでもない体験は二度と再びしたくはない。
 思わず、そのとこの記憶が巡って、ぞわぞわっと体の総毛がよだった。

「誓っても何にもしないから。」
 初音はそう言うと、先に立って歩き出した。
「お、おい、待てよっ!待てったら。」
 ついその後を追いかけた。





「ちょっと…。乱馬君たち、観覧車へ乗るつもりらしいわよ。」
 こそっと影からなびきが指差した。
「観覧車って…。まさか。」
 あかねの顔が強張り始める。
「まあ、乱馬君のことだから、間違いには至らないと思うけれど…。」
「あ、あったりまえよっ!そんなことあってたまるもんですかっ!!」
 あかねの鼻息が荒くなった。
「じゃ、あたしたちも行く?」
 そう問われると急にあかねは大人しくなった。
「行きたいのは山々だけど、同じゴンドラに乗れるもんじゃないし。後ろから乗って、もし、決定的な瞬間でも見せられたら…。あんな高いところから無事に降りてこられる自信もないし…。」
 あかねはぼそぼそと口ごもる。
「第一、観覧車って結構高いじゃない。さっき、ミュージアム代とお昼ご飯代で身銭切っちゃったし…。心もとないのよねえ。お姉ちゃんがおごってくれるって言うなら。」
 となびきをちらっと見た。
「却下!ま、仕方がないわね。ここで待ってれば、二十分もしたら降りてくるでしょう。」
 あっさりとふられた。
「しょうがないか…。それも。」
 あかねは乗り込んでしまった二人を眺めながら溜息を吐いた。
「あ、あたし、お手洗いに行って来るからね。」
 なびきはそう言いながら、公衆便所の方へ向かって行ってしまった。

 なびきが居なくなると、緊張感がふっと途切れた。
 乱馬も今は観覧車の上。 乱馬のことだから、よもや間違いは起こるまい。幾らなんでも、男とラブシーンを演(や)れるほど、器用でもないだろうし、そんな気もさらさらないだろう。
 ジタバタしても仕方がない。そう思ったのだ。
「ま、男同士のキスなら数のうちにも入らないでしょうしね。万が一、やっちゃっても、そう考えるしか…。やだ、あたし、何考えてるんだろう!」
 ふうっと肩の力を抜き、ずっと駆けっぱなしだったサングラスを外した。


 と、背後でいきなり男の声がした。

「こりゃあ驚いた。こいつはこの前世話になった姉ちゃんじゃねえか。」


「誰?」
 そう思って振り返ると、そこには数名の男たちが、にやにやと笑いながらあかねをじっと見詰めていた。
「何?あんたたち。」
 思わず力がぐっと入った。

 明らかに、柄の悪い、チンピラたちだ。髪の毛だって茶髪、脱色、金色、銀色。並ではない。服装だってどう見てもしだらなく、靴も後ろを吐き潰していた。
「おーおー。間違いねえや。その勝気な瞳…。」
 男はにっと笑った。
「何よ…。この女。」
 彼らの後ろには同じような柄の悪い少女たちも一緒に居た。
「この前さあ、ケンが恥かかされたふざけた女だよ。」
「ケンちゃんがあ?この女にやられたんだ。あっはっは。」
「笑うなっ!こっちはあの後けっこう大変だったんだぜ。」
 ケンちゃんと呼ばれた少年は、そう言いながらあかねをきっと見据えた。そしてずいっと前に迫り出してきた。
「てめえ、ここで会ったが百年目だ。」
「何だ、誰かと思ったら、この前のし上げたチンピラか。」
 あかねはふっと荒い言葉を吐きつけた。
 そう、最初に初音に出会ったとき、公園で彼をカツ上げしていた集団のリーダーであったのだ。初音を脅して、有り金を吸い上げようと、ちょっかいを出していた、少年たちのリーダー格の少年だったのだ。
「あんときゃ、油断したが、今日は違うぜ。姉ちゃんよう。」
 多勢に無勢とでも言うのだろうか。
 ケンという少年の合図に、ずずずいっと他の少年たちが、あかねの周りを囲み始めた。
「へっへっへ…。どうしてもこの前の礼をしたいと思ってるんでな。」
 あかねはいつしか、彼らにすっかり囲まれてしまったのった。



つづく




一之瀬的戯言
 一之瀬が横浜市民だったのは十年近く前なので、現況のベイエリアは全く知りません。ランマ(ランドマークタワー)ができたてホヤホヤの頃のベイエリアしか知らない人です。
 数年前、修学旅行で久々に横浜へ行った息子が「別街!」と唸った辺りです。
 なもので、聞きかじりの想像書きの産物です。(土下座)

 以後、2005年春に十年ぶりに横浜へ遊びに行きました。古巣はすっかり別の町。ベイエリアの変わりようにも目を見張りました。十年一昔、良くぞ言った言葉であります。


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