第五話 乱子と乱馬


一、

「ねえ、乱子ちゃん。」
「ん?」

 なびきがすいっと乱馬の後ろに立った。

「あんたと初音君の間に何かあった?」
 そう言ってぼそっと話しかけてくる。
「別に…。何にもないぜ…。何か気になることでもあんのか?」
 乱馬は逆に問いつける。
「そう?あたしたちがするの間に何かあったかなって思っただけよ。何か、初音君のあんたを見る目が気になったから。」
「ああん?」
 怪訝な顔を差し向けて、乱馬はなびきを見返した。
「ま、たいしたことじゃないから、気にしないで。」
 なびきはそれだけを言い終えると、すっとどこかへ消えてしまった。
「変な奴…。」


 あの後、特に何の変哲もない一日を過ごした。
 変わったことといえば、ヴァイオリンの練習時に、今までのように音が途切れ途切れにならなかったことだろうか。無理矢理にでも引き続けていた、曲が、何となく軽く聞こえたような気がしたくらいだろう。それに、練習後の苦虫を潰したようなむすっとした表情が、初音から抜けたような気がしたのだ。それまでは、無理にでも明るく振舞おうと、張り切っていた夕刻の修行が、今日は肩の力が抜けていたなと、その変化だけは乱馬も認めてはいた。
 だが、今日はあかねが居ない。だから、そのように見えただけかもしれなかった。

 あかねは暗くならないうちに帰って来た。
 この前、乱馬に散々嫌味を言われたのがこたえたのか、それとも、たまたま帰宅時間が早かっただけなのか。
 あかねは初音の変化に関しては何も言っては来なかった。

「あ、そう言えば久々に九能先輩に会ったわよ。」
 夕食時に乱馬へとあかねが口を出した。
「九能先輩?まだ生きてたのか…。」
「うん。相変わらずで元気そうだった。」
 あかねが苦笑いしながら箸を動かす。きっと彼のことだから「あかね君、会いたかった!」とか言って突然抱きついてきたのかもしれない。勿論、あかねに蹴り飛ばされただろうが。
「あ、それから、乱子ちゃんに会いたがってたわよ。どうしてるってあんまりにもしつこく言うから、今遊びに来てますってつい、言っちゃったわ。」

 ぶっとその言葉をきいて、吐き出してしまった。

「お、おい…。てめえ、何てこと口走りやがった。」
 じと目であかねを見据えた。
「ただでさえ、ややこしいときに、ややこしい奴が来たらどうすんだよ。」
「幾らなんでも来ないんじゃないの?だって…。ねえ、明日は入学式なんでしょ?お姉ちゃんたちの学校。」
「まあね…。」
 なびきがそう言った。
 実は、なびきと九能はこの春から同じ大学へと通うことになっていた。九能が入れるくらいだから、二流三流大学には違いないが、それでも「総合大学」と名を掲げる大学校ではあった。
「入学したら、暫くはいろいろあって大変なんじゃないの?」
 とあかねは高をくくっていた。
「まあ、あのトウヘンボクに、そんな理屈が通じれば…のことだろうけどね…。」
 なびきがすました顔でそんなことをはきつけた。

 とにかく、初音がここに修行で泊り込んでいると知れたら、彼は何と言うだろうか。理屈で口説き落とせるタイプのではない。一悶着が起こることは充分に考えられる。

「ま、明日はあたしががっちりと、尻尾つかまえておくから、大丈夫だろうけど…。」
「頼りにしてるぜ、なびき。」
 乱馬は思わず吐き出していた。


 さて、明けて翌日。五日目。

 桜晴れであった。
 抜けるような青さの中に桜が栄える、そんな穏やかな朝であった。
 その日は朝からバタバタとしていた。
 なびきの大学の入学式が執り行われるからだ。大学の入学式は、親が居なくても一向に構わないから、早雲は付き添わないことになっていた。行きたいと本人は望んでいたようだが、「恥ずかしいから来ないでちょうだいね!じゃないと、口を利いてあげないから。」となびきに予め釘を刺されていた早雲は、渋々、付き添わないことを承知したようではあった。
 その一方で、なびき本人は朝早くから支度に余念がなかった。大人しめのパンツスーツ。着る物の方は「無難」なフォーマルスタイルだが、問題は顔だった。
 圧巻は今まで見たことがないなびきの薄化粧。それなり、家族の好奇心がなびきへと集中する。
 初音も天道家の人々の様子につられて、なびきへと視線を流す。

「へえ…。化粧すると、目鼻立ちってーのもはっきりするもんだな。きつい顔が余計にきつくみえるぜ。」
 ぼそっと乱馬が言い放った。
「ちょっと、乱馬!何てこと言うのよ。そんなこと聞いたらお姉ちゃん怒るわよ。」
「そっか?俺、褒めてるつもりだけど。」
「それのどこが褒めてるつもりなのよ。お世辞にもなってないわよ。」

 乱馬とあかねが、漫才まがいの会話を交わしていた時だった。

「おさげの女あっ!!」
 聴きなれた声が後ろから聞こえてきた。
 思わず、ぞわぞわっと鳥肌が立った。
「そ…。その声、も、もしかして…?」
 振り返りざまに伸びてきた、九能の腕。

「どわっ!!な、何、しやがんでいーっ!」
「会いたかったぞう…。久しぶりだなあ。おさげの女あっ!…おお、そうか、おさげの女も僕に会いたかったか。」
 すりすりと頬ずりしてくる、九能。入学式らしく、紺色のスーツといういでたちであった。
「俺はてめえなんぞにゃ、会いたくなかったぞっ!!」
「わっはっは。照れ屋さんだなあ。可愛いぞ、おさげの女っ!!」
「照れてねえっ!!」

 呆気に取られて、口をあけたまま、乱馬と九能を見詰めている。
 乱馬は抱きしめられて、でええっとなっていた。

「あれ、誰?」
 初音が思わずあかねに尋ねていた。
「なびきお姉ちゃんの同級生で…。九能先輩。」
「乱子ちゃんとはどういう関係?」
 
 ぼそぼそっと喋っているのが聞こえたのだろうか。

 九能が乱馬を抱きしめたまま、はっしと初音を見詰めた。

「ややや…。見慣れぬ顔だな、貴様…。そうか、僕とおさげの女の関係を知りたいか?」
「は、はあ…。」
「聞いて驚くな。おさげの女と僕は…。愛し合っているのだあっ!!」

「あ、愛し合ってなんか、いねええーっ!!」
 九能が気を緩めた途端、乱馬は一発、蹴りをお見舞いしていた。怒りが一気に爆発したようだった。その反動で、いつもの如く、九能は、空高く舞い上がった。

「おさげの女あっ!!!愛しているぞーっ!!」
 舞い上がり際に九能が叫ぶ。
「に、二度と戻って来るなあっ!!この大ぼけー野郎っ!!」

 肩で息を切らしながら、乱馬は、蹴り上げた九能を見上げていた。


「たく…。相変わらずなんだから…。九能ちゃんは。」
 なびきも苦笑いしながら、一緒に九能を見上げて見送っていた。

「大丈夫かなあ…。今の人。」
 初音がぽそっと言葉を吐いた。
「大丈夫なんじゃないかな…。いつものことだから。」
 あかねも苦笑いしながらそれに答えた。
「いつものこと?」
「ええ…。珍しくも何ともないかもね…。」
「あの人、乱子ちゃんの彼ってなわけないよね。」
「ねえっ!!絶対にねえっ!!あって、たまるかっ!!」
 乱馬が初音の後ろ側から声を荒げた。
 まだ、抱きつかれた怒りが収まらないのか、ぷんぷんしている。
「たく、なびき、てめえが九能に要らねえこと言うから、押しかけて来ちまったじゃねえかっ!!」
 はあはあと息を切らして睨みつける。

「ま、いいじゃん。愛嬌ってことで。」

「追い回される身にもなってみろってんだっ!ああ…。悪寒が止らねえや。」

「ちょっと、どこへ行くのよ…。」

「温かいシャワーでも浴びてくらあっ!!まだ、鳥肌がおさまらねえ…。」
 乱馬はよっぽど嫌だったのだろう。

「朝っぱらから厄日だ…。」
 そう言いながら、母屋の方へと歩き出す。



 いつものように、シャワーの栓をひねって、湯を出す。そして、ばしゃばしゃっと頭からひっかぶる。
 
「畜生!九能の奴。大袈裟にいっぱい、コロンなんか塗りたくってやがったのか?」
 クンクンと身体に鼻を擦りつけながら匂いを嗅ぐ。芳しい香というよりは、しつこい薔薇の香のようなものが、九能に触れた体全体から香ってくる。乱馬はそれを落しに浴場へ来たのだ。嗅いだことのない不快なコロン。鳥肌の原因は、多分この匂いだろう。
 九能がべっとりと張り付いていたという事実が思い起こされて、一瞬でも早く、この臭いの渦から逃れたいと思ったのだ。
 石鹸をタオルにこすりつけ泡立てて、ごしごしと身体を洗う。
 シャボンの香に幾分か匂いは紛れてきたとは思うものの、まだ、全身に嫌悪感が残っている。とにかく、それを払拭するために、ごしごしごしと力を入れてこすりまくる。肌が真っ赤になるのではないかと思うくらい、必死でこすった。
「たく、俺が何したってんだよっ!!九能のボケっ!!」
 気が済むまで必死で体を擦り、泡だらけにし、シャワーを浴びる。勿論、湯だから、男の形であった。
「はあ…。また女に戻るのかあ…。」
 シャボンの匂いに包まれて、やっと人心地がついたところで、溜息が漏れる。
 ここのところずっと、女の形で過ごしているので、ストレスがどっとたまっている。自分でも良くわかるのである。
「仕方ねえか…。」
 自分に言い聞かせて、一気に頭から冷たいシャワーを浴びせかけた。

 それから、身体をタオルで拭いて、浴室から出る。

「おお…。おさげの女。こんなところに!」

「いっ!」

 再びふって湧いた、九能。
 感涙しながら、洗面台の前に立っていた。

「おお、まさにおさげの女あーっ!!」

「うへっ!!」
 乱馬はそのまま浴室へと逆戻りした。
 そして、シャワーを掴むと一気に噴射させる。勿論、温度調節は「湯」だ。

「水も滴る良い男。」
「何わけわからねえこと、行ってんだ!こんのっ!変態野郎ーっ!!」
 
 ドッカン、ドタドタと物凄い音がして、ずぶ濡れになった九能が脱衣所へと押し出されていた。

「てめえ、いい加減にしろっ!いいかげんにいっ!!」


 風呂場の異様な怒声に、天道家の人々は、バタバタと様子を見に来る。

「乱子ちゃんっ!大丈夫?」
 いの一番に駆けつけたのは、初音だった。
 脱衣所へ入ると、そこに乱子の姿はなく。のされて気を失っている九能と、その後ろ側から、こっちを物凄い形相で睨みつけている少年。そう。乱馬は男に戻っていたのだ。

「き…君は?」
 当然のことながら、初音は乱馬とは初対面。しかも、こう、真っ向から対峙していては、この場で「乱子」に戻ることは出来ない。
 不味いと思ったが、もうどうしようもない。

「ちょっと…。あんたたち…。」
 遅れて飛び込んで来たあかね。
 初音と乱馬の対峙を見てしまった。
 いや、彼女が見たものはそれ以上のものだった。

 丁度あかねが駆け込んできた時に、乱馬の前を隠していたバスタオルが、はらりと落ちたからたまらない。
 
「き…。きやーっ!!変態っ!!馬鹿あっ!!」

 風呂場の悪夢、再びであった。



二、

 九能はなびきに引き摺られるように、そのまま、大学の入学式へと出かけて行った。
「少しは感謝しなさいよね。」
 そんな言葉を乱馬に忘れずに残して行ったのだ。


 遅い朝食を摂りながら、乱馬はむすっとあかねの横に鎮座していた。
 勿論、男乱馬のままだ。
 顔にあかねに引っ叩かれた痕が生々しい。風呂場で思い切り張り倒された痕跡だ。

「乱馬君、おかわり要るかしら?」
「あ…。はい。お願いします。」
 そう言いながら茶碗を差し出す。
 その横で、あかねがむっつりとしている。

「あ…あの。」
 初音が乱馬を覗き込んだ。

「あん?」
 乱馬は箸を止めて、初音を覗き込んだ。

「あなたが乱馬さんだってことは…。あかねさんの。」

「許婚だよ。」
 吐き捨てるように彼は言った。
「あたしは承知してないけどね。」
 それにあかねが付け足した。
「それはこっちの台詞でいっ!かわいくねえ!」

「ちょっと…。二人とも、いい加減にしなさい。」
 あたふたと早雲がたしなめに入る。

 そう、なびきの機転で、久しぶりに天道家へあかねの許婚の乱馬がやってきて、朝シャンしていたことになったのである。泥だらけになって、山で修行してきたから、天道家へ来て、そのまま風呂場へ行ったのだと、彼女は巧みに初音に説明して退けた。
 「乱子ちゃんは?」という、当然の初音の疑問には、九能の再来を予見して、乱子は今日は一日天道家には帰らないと言って出かけて行ったということになっている。
 そう、乱馬と乱子が同時には存在し得ないことを、このような苦しい言い訳で固めたのである。


 不思議そうな初音の視線が、乱馬とあかねの上に交差する。
 初音が着目したのは、乱馬のおさげであった。

「乱馬さんもおさげなんですね。」
 と言葉を投げた。
「ああ、これね…。乱馬君と乱子ちゃんは、双子なの。」
 かすみがにっこりと微笑みながら告げ返した。
「双子?」
「ええ…。だから、似てるでしょう?」
「なるほど…。双子なんですか。道理で似ていると思いましたよ。」
 かすみの微笑みに、初音も納得した。

 久々の男姿。誰への気兼ねもなく、思う存分、身体を動かすことが出来る。

 ほんの数日振りの男姿だったが、己の体の節々が喜んでいるように思えた。
 のびのびと手足をフル活動させて、身体を動かし汗をかく。
 庭先で揺れている桜の花も、艶やかに彼を見下ろしている。そろそろ五分咲きといったところだろうか。
 桜花は満開ではなくても、花の美しさが引き立ってくる。そこだけ薄桃色の別世界が開けているように感じられる。
 ソメイヨシノは野生種ではなく、改良を重ねてきた種類の木らしい。本来、山で咲く桜は、花と共に薄緑の葉も一緒に芽吹く。だが、ソメイヨシノは先に花が開き、それが散ってから葉が芽吹いてくる。だから、花の薄桃色だけが、青い空に栄えて、美しい。


「乱馬さんは久しぶりにあかねさんに会うんでしょう?」
 初音がふっと食後に言葉をかけてきた。
「あ、ああ…。そういうことになるかな。」
 本当は、始終顔をあわせている乱馬は、ちょっと後ろめたい気分になりながら、それに答えた。
「久しぶりなのに、あかねさんとはあんまり言葉を交わさないんですね。」
 と意味深なことを言う。
「別に、話すこともねえからな。」
 毎日顔をあわせているのだから、本当に話す必要は感じていない。
「親が勝手に決めた許婚っていうことでしたが。」
「ああ、あかねんとこと、うちの親父が勝手に決めたんだ。…たく、当人たちの意見なんか聞かずに一方的にだよ。」

 こいつは何を言おうとしているのかと、乱馬は少し身構えながら言葉を返す。

「ずっと前から決められてたんですか?」
 興味津々なのが見て取れる。
「親父たちはそれぞれ、俺たちが生まれる前から、もし、それぞれ違う性別の子が生まれたら娶わせようなんて、ふざけたことを考えてたみたいだな…。俺も、ガキの頃から「許婚が居る」ってことは親父に聞かされていたんだけど、許婚って意味を知らなかったからな。十六になったある日突然、思い立って、ここへ連れて来られて、三人娘の中から一人り気に入ったのを選べってな…。たく、人権を何だと思ってやがんだろうな。」
「ってことは、かすみさんやなびきさん、誰でもその可能性はあったってことですか?」
「平たく言えばそうなるな。」
「じゃ、何であかねさんと…。」
 話題はそこへと集約されていく。誘導尋問を受けているような気がして、あまり心地良いとは思わなかった。だから、自然と無愛想な物の言い方になる。
「押し付けだよ。俺の意思なんかこれっぽっちも反映してねえ。同じ歳だってことだけで勝手に決められた感があるな。あいつとは。」
 ふと目を転じれば、桜の木の下であかねが汗を流しているのが見える。
「でも、許婚は現在進行形なんでしょう?」
 真摯な目が乱馬に突き刺さるように見つめ返してきた。

「ああ、俺たちはともかく、親たちはそう思ってるみたいだな。」

「ってことは、解消もありえるわけで…。」

「ありえるな…。」
 乱馬は不機嫌に答えた。
「もういいだろう?別に、俺たちの関係がどうあろうと、てめえには関係ねえことだ。」
 何故か、その先を言わせると、とんでもない言葉をたたきつけられそうな気がして、乱馬は尋問を一方的に区切ってしまった。

(もしかして…。こいつ、やっぱりあかねに気があるんじゃねえのか?)

 そう思ってしまったのである。

 乱馬は気になり始めると、他のことが目に入らぬようになるらしい。その上かなり心が狭い性格だ。
 せっかくの男の一日を、あかねとのいつものような口喧嘩三昧と、初音の行動、言動に対する観察とに費やしてしまったような感じだった。
 



「にしても…。乱子ちゃん、どこまで行ったんだろう。帰りが遅いなあ。」
 夕刻近くになって、さすがに気になってきたのか、そんなことを初音が口にした。
 あかねの目が乱馬に何かを言い始める。
「とっとと、女に変身して、乱子と入れ替わりなさい。」と。


「そろそろ俺、帰るわ。」
 乱馬はそう言って重い腰を上げた。
「帰るってどこへ?ここへ君も居候してるんじゃないんですか?」
 初音は乱馬を見返した。
「あ…。今はオフクロんところで寝泊りしてんだ。」
「オフクロ?お母さん?」
「ちっといろいろとあってさ、親父と別居中。」
 勿論、口から出任せだ。
「あ、なるほど…。そういうことだったんですか。」
 初音は分かった口を利いた。父親があのパンダだ。芸を極めると言って、時折、妙に生々しいパンダの着ぐるみに入っている。まだ、パンダが生身とは思って居ない初音は、玄馬を流し見ながら納得した。恐らく、奥さんと、複雑な事情があって別居中なのだと。
 幸い長期留守で、のどかが居ないからまだしも、ここに居れば、日本刀を振り回しそうなことを言い訳にして、乱馬は帰る素振りを見せる。

「妹さんに会わなくってもいいんですか?」
 老婆心が聞いてきた。
「もうちょっと待っていたら帰ってくるでしょうし…。」

「あ、いや、妹は良いんだ。あいつは別に。」
 そう言いながらちらっとあかねを見た。
「そっか…。そうですよね。許婚に会いに来たんでしょうし。」
 あかねは相変わらず、ツンケンドンとしている。
「ま、そういうことになるかな…。」
 そんな乱馬に、初音は更に追い討ちをかけるようなことを言ったのである。

「乱馬さん、もし、…もし、僕が、あなたの愛する方へ交際を申し込んだら…どうなさいます?」

「な、何ぃ?」

 思わず、その場にこけそうになった。
 いや、来るべき宣言がなされたのではないか。とにかく、脳天を勝ち割られるくらいに、くらっときたのだ。
 頭は、くわーん、くわーんっと唸り始める。
 

「ははは…。初音君は冗談が好きと見える。」
 顔は思いっきり強張っていただろう。ひきつりながら笑っている、そんな感じだ。

「冗談じゃないです。」
 初音は真摯な目を向けてきた。

 沈黙が二人の少年の上を流れていった。

「恋愛は自由だからな。てめえが誰を好きになろうと、それは俺には止める権利はねえ…。」
 そう言いながらあかねへと視線を流しかけた。
 この距離なら、あかねには二人の会話は聞こえまい。

「じゃあ、別に告白しても、乱馬さんは…。」

「ああ、俺には関係ねえことだ。決めるのは…。あいつだからな。」

 受けてやろうじゃんと腹を据えた。
 ずごごごごっと心の底から訳の分からない感情がこみ上げてくる。それを、ぐぐぐっと拳を握って押さえ込んだ。
 乱馬は燃えていた。

『絶対てめえなんぞに、あかねはやるもんかーっ!!』


「ねえ、乱馬っ!乱馬ったら!」
 はっと気がつくとあかねが傍に立っていた。
「どうしたのよ…。そろそろ帰らないと…(あんたが帰らないと乱子ちゃんと入れ替われないでしょう!もうっ!!)。」
 暗に早くしろと言わんばかりだった。
「あはは…。ちょっと初音君と話があったもので…。なっ。」
「え、ええ…。まあ…。」
 もじもじし始める初音。
「どんな話なの?」
「男と男の話でいっ!!」
「はあ?」
「ま、いいから…。俺はこれで帰るわ。またな、ハニー。」
 乱馬はこれ見よがしに、あかねのおでこに唇を当てていた。
 これが乱馬の宣戦布告だったのだった。

「ちょっと、乱馬っ!!」
 突然の乱馬の積極的行動に、度肝を抜かれたあかねが、叫んだ。



三、

 乱馬が去って、半時もしないうちに、乱子が帰って来た。

 あかねのはからいで、水の入った水筒と別の洋服を紙袋に持たされて、公園のトイレ辺りで変身して着替えたのだ。

「ちぇっ!たく…。面倒だぜ…。」
 まだ濡れている髪の毛を障りながら、乱馬はふうっと溜息を吐いた。
 春とは言え、夕暮れにもなると、風はまだ冷たい。
 公園の桜もそろそろ満開が近く、どこからともなく、サラリーマンやOL、家族連れが敷物を持って来て、夜桜の花見を息巻いていた。今週末が見ごろになるのだろう。
 そこここで、酒盛りや宴会が賑やかしい。
 その中を縫うようにして公園を抜け出し、天道家へと帰宅する。

 さっき、乱馬として出てきたばかりの天道家。もうすっかり日は暮れて、明りが灯る。何かほっとするような気持ちにさせる、門構えだった。

「遅かったね…。心配したよ。」
 にこにこと笑いながら初音が真っ先に奥から出てきた。
 乱馬と乱子は同一人物が演じているとは知らない彼。
「お兄さんの乱馬さんが、せっかく来てたんだけど…。一足違いで帰っちゃったよ。」
 とわざわざ報告してくれる。
 初音以外の天道家の人間は、皆、乱馬の女変身体が乱子だと知っているので、しらっとしていた。

「乱子ちゃん…。お腹すいたでしょう?」
 かすみだけは、一家の主婦らしくニコニコとしていた。

 その日の天道家の夕刻の団欒は、異様な雰囲気に包まれていた。
 いや、乱馬の上にだけ、変な雲がかかっていたのかもしれない。

「どうしちゃったの?乱子ちゃん…。」
 あかねが苦笑いしたくらいである。
 さっきのデコキスといい、今の態度といい、明らかに変だ。
 黙りこんで、箸を持つ、乱子の背中が燃えている。そんな風に思えたのだった。

「いよいよ、明日が家で過ごす最後の日になるね。初音君。」
 早雲が煮物をつまみながら、初音へと会話を投げた。
「はい、六日目です。おかげさまで、良い休暇になりました。」
 初音は元気に答えた。ここへ来たばかりの頃は、慣れなかったせいもあろうが、どことなく「荒んだ感じ」を持っていたが、最近ではそれが日に日に抜けているように思えた。
「ヴァイオリンの音色もだいぶん、明るくなったようだし。」
 玄馬がそう囁くように言った。
「ええ…。やっと、悩みが吹っ切れそうなんです。今度こそは何とかなるような…。」
「それは良かった。」
 早雲が言う。
「まだ、完全に吹っ切れたわけじゃないんですが、今までの自分に、自分の音に何が欠けていたのか、ようやく分かりかけてきたんです。」
 初音の瞳は明るく輝いていた。復活の兆しが見えてきたのだろう。
「なるほどね…。で、どうだろう…。明日は、花見でもしようかと思うんだが…。」
「お別れ会も兼ねて、公園でお花見でもしようかと思うの、どうかしら?」

「あ、ありがとうございます。でも…、僕…。どうしても行って見たいところがあって。」
「行って見たいところ?」
「はい…。」
 すまなさそうに初音が言った。

「それなら心配しないで。存分に行ってらっしゃいな。花見は別に夜でもできるから。ね。」
 にっこりとかすみが笑った。
「そうそう…。夜桜だって捨てたものじゃないからなあ、わっはっは。」
 早雲も反対はしなかった。いや、むしろ、気にせずに好きなようにすれば良いとさえも言ったのだった。

「お言葉に甘えて…。」
 そう言いながら、初音はコホンと一息おいた。
 それから、急に口を開いたのだ。

「それから…。できれば明日は早朝の修行を終えたら…。僕にお暇をください。」
 そう改めて早雲へと向き直った。
「ああ、行きたいところがあるのなら、気兼ねせずに行っておいで。」
 とにっこり微笑んだ。
「せっかくの日本滞在なんだからね…。幸い天気も良いということだし。そこらじゅう桜が満開だろうからなあ。わっはっは。」
 玄馬も上機嫌だった。

「ついては、もう一つわがままなお願いがあるんです。」
 そう言って、急に真顔になった。
 乱馬は来たかと何となく身構えた。

「わがまま?」
「どんなことだい?」

 興味津々、天道家の人々は彼へと頭を手向けた。

「一日、デートしたいのですっ!」

 顔を真っ赤にして、初音はそう言い切った。

『デ、デートッ!?』

 天道家の面々は、大口を揃えて初音を見返した。

「は、はいっ!できれば、あの…。その…。」
 一瞬もじっとなった。

 いよいよ、告白しやがるのか?
 お情けであかねとのデートへ持ち込む気かと、乱馬の視線が鋭くなった。

「良いんじゃないの?別に…。」
 なびきがにっと笑った。
「そうねえ…。せっかく日本へいらっしゃってるんだものね。」
 かすみもおっとりと話す。
「でも、デートってことは相手が必要じゃないのかね?心当たりはあるのかね?初音君。」
 玄馬が不思議そうに問いかけた。独りで出来ないもの、それが「デート」だろう。
「あの…。この中にデートして欲しい女性が居るんです。」
 真っ赤に顔を熟れさせながら、初音が答えた。

『えええっ?』

 天道家の人々は再び驚愕の声を張り上げた。
 乱馬だけは、こいつめ、いけしゃあしゃあとという目を差し向けた。
 さて、どうやって、それを阻止しにかかるか。考えをめぐらせ始めたところだった。


「あ、あのっ!僕と一日、デートしてくださいっ!!」

(畜生めっ!こいつついに、口にしやがったか。)
 その雄叫びに、乱馬がはっと顔を上げたときだった。
 初音の熱いまなざしとぶつかった。

「え?へっ?」
 そう思う間もなく、ぎゅうっと手を握られた。

「乱子さんっ!お願いです。天道家滞在最後の一日を、僕と共に過ごしてくださいっ!!」

「な…。何いっ?」

 乱馬の叫びが、天道家中に響き渡った。

「このとおりです。お願いします。」
 初音少年は乱馬へ、ぺこんと頭を垂れた。



つづく




一之瀬的戯言
 でえええっ!初音くんと乱馬がデートですって?
 さてどうなる、どうする、乱馬君!


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