◇花の宿


第一話  春の来訪者

一、

 暑さ寒さも彼岸まで。
 その言葉の如く、春の彼岸が過ぎると温かさが安定してくる。
 木の芽時。

 世はまさに春爛漫。
 そろそろ桜前線も北上し始め、一念で一番美しい花、桜が咲き乱れる季節も間近だ。
 学生たちは、次なるステップを控えて、思いも様々。新しい学年に向けて予習に余念がない者、新しい学年になるために必死に補習補填する者。ただ、無駄に浅い春の惰眠を貪る者。十人十色。
 三月の終わり。東京都内も、早いところではぼつぼつと開花し始めていると言う。ここのところの温暖化現象か、桜の開花が年を追うごとに早まってきているようだ。
 人々の気持ちも、桜の花のつぼみのように、来るべき新しい一年に期待が膨らもうかというところ。

 天道家にある桜の木も、つぼみがたわわに、咲き出す時を、今か今かと待ち侘びているように見えた。
 ここに暮らす人々も、マイペースで春の到来を楽しんでいる。
 かすみはここ数日で洗濯物の乾きがぐっとよくなり、ストーブの灯油の減りが遅くなったと、何とも主婦らしい観念で春の到来を歓迎し、なびきは、この春からの大学生活スタートに向けての電卓を叩きながらも、新しい商売の支度に余念がない。早雲と玄馬は陽だまりで将棋をさしながら、渋茶をすする。乱馬は、そんな父親たちを余所目に、身体を動かしながら、滴り落ちる汗に初夏の気配をも感じていた。

「あれ?あかねは?」
 乱馬は汗を拭いながら、蒲団をはたくかすみに問いかけた。
「新学期の準備があるから、友達と出かけるって言って、お昼過ぎに出て行きましたよ。」
 にこにことこの家の長姉はそれに答えた。
「あー、乱馬君はあかねと出かけようと思ってたのかね?春爛漫デート。」
 早雲が将棋板と睨めっこしながら訊いてきた。
「思いつきで行動せずにちゃんと確約しておかんからだよっ、と。」
 玄馬もそれに同調しながら駒を打つ。

「でっ!そんなんじゃねえやいっ!!」
 乱馬は顔を真っ赤にしながら、父親たちに反論を試みる。

「そんなムキになるところなんて、怪しいものだな。王手!」
「あっ!ちょっと待てよ早乙女くうん!」
「恋と将棋に待ったはなしだよ、乱馬に天道君!わっはっは。」

 彼らの向こう側では茶の間のテレビが、昼のワイドショーを映し出している。今日は特に目立った事故や事件もないのか、春らしく穏やかな話題がきこえて来る。なびきがその前に陣取って、いろいろと電卓を叩いている。

『えー、本日は、今や押しも押されぬ音楽界の旗手となった、オーケストラ指揮者、和音・フランツさんに今日はお越しいただきました。』
 女性アナウンサーの柔らかな声が聞こえる。
『フランツ氏は日本人の母を持ちヴァイオリニストとして名を馳せ、そこから指揮棒を持たれて才覚を発し、今回は音楽監督を務める名門、オーストリア・フィルを率いての来日です。氏のお子様、初音・フランツ君は天才バイオリニストとしてその天賦の才を広く認められていて、今回、初音君も一緒に来日……。』
 当たり障りのない言葉で紹介しているのが、縁側にまで聞こえてきた。

「おや?」
 そう言って早雲が、小競り合っていた将棋板から目を上げた。
「どうしたんだい?早乙女君。」
「あ…。いや、古い友人がね、テレビに映っているから。」
 そう言って画面に釘付けになる。

「はああ?お父さん、古い友人って…この、マエストロがぁ?」
 なびきが、ありえないわよという目を早雲に思いっきり手向けた。
「そうじゃよ…。天道君がクラッシック界の大御所とどんな接点が君とあるって言うんだい?」
 玄馬もからかい口調でそう突っ込んできた。

「あのねえ…。私にこういう友人が居ちゃあいけないとでも君たちは言うのかい?」
 早雲がムキになって答えた。

「だってさあ…。そんな話聞いたこともないわよ。ねえ、かすみお姉ちゃん。」
 洗濯物を外しにかかっている姉になびきは問いかけた。
「そうねえ…。私は知らないですね。お父さん。」
 にこやかに返事を返す姉。
「そんな人と、お友達なんだったらさあ、年賀状の一つも…。」
「あっちの人には年賀状出すなんて習慣はないんでないのかい?なびき君。」
 玄馬の突っ込みに
「だったらクリスマスカードとか…。そんな風流なカード一枚、舞い込んで来たことすらないでしょう?」
 懐疑的な娘と友人に早雲は真顔で答えた。
「そんなこと言ったって、亡くなった母さんと和音君が旧知だったんだからあ!」

「お母さんの関係なら、ありえる話ではあるけれど。」
 かすみが洗濯を縁側に、よいこらしょっと持ち込みながら答えた。

「何なんだい!かすみまでえっ!!いいよ、誰も信じないんだったら!」
 寄ってたかっての「疑いの目」にすっかり早雲はいじけてしまった。

「わあ…。でも、この人の息子、結構いけてるわよ!!ほら!」
 テレビに映し出される有名指揮者の息子の顔写真になびきが喰らいついた。
「ほお…。やはりサラブレッドは違うのう…。ヴァイオリンを弾きこなせるだけでもほおおっと言うくらいなのに、なかなか美形ではあるまいか。」
「指揮者のお父さんもナイスガイだものねえ…。」
「あ、お姉ちゃん、その言葉、死語。」


『で、フランツさん。今回の息子さんを伴っての来日は息子さんの見識を広めるためとも言われておっれましたが…。やはり、息子さんも演奏活動目的で?どこかでコンサートとか…。』
『いいえ、息子はプライベイトです。今まで何度かのコンクールに出演してきた彼ですが、いずれも二番手とでしか入賞できなかったので頭打ち状態かと思って…。次のコンクールの前に気分転換に、東洋の神秘が残るこの国を見せたいと思いまして、連れて来ました。』


「へえ…。流暢な日本語話すんだねえ、この人。」
 玄馬が感心した声を上げる。
「そりゃあ、お母様が日本人なら、喋れて当たり前でしょうよ。」
 なびきが当然でしょうという顔を玄馬に差し向けた。
「でも、二世だから、ほら、何となくあちらさんの血が濃いのか顔立ちじゃないか?この人…。」
「まあね…。当然、ドイツ語、英語もぺらぺらなんでしょうけど…。ここは日本だしね。日本語でってところなんでしょうね。」
「何食べたら、こんな風にナイスガイになるのかねえ…。」
「おじ様がいくらこの方と同じ物を食べても、ナイスガイには、なりませんわよ。」
「かすみお姉ちゃん、おじ様、だからその言葉は死語。それに、お姉ちゃん、フォローになってないって、それ。」

「あ…。ほら見てみて…この月間誌。ここにほら。」
 なびきがぱらりと机の上に投げ於かれていた、若い女性向けの雑誌へと目を転じた。そこには生真面目そうな眼鏡をかけた、少年がヴァイオリンを弾いている写真が何枚か連なっていた。
「どらどら…。初音・フランツ君、今注目の若きヴァイオリニスト…。ほう、確かに可愛い顔をしているじゃないか。年も…十七歳。乱馬とあかね君と同じ…か。」
「きゃあ、眼鏡を外した顔なんて、やっぱりかわいいわ。この子。純粋培養のエリートってところと、どこか厳しいプロっていう感じが良いように混ざりあってる。…へえ、あんまりクラッシック音楽(こっち)関係には造詣なかったし興味もなかったから、今までノーチェックだったけど…。」
 がめつい金儲けの亡者の目か、キラリとなびきの目が光る。
「将来のナイスガイさんね。」
 かすみがにっこりとおとぼける。
「なるほど…。伸び悩み二世音楽家の壁に直面とあるなあ…。なになに。『今までは若年の天才と言うことでかなりもてはやされてきたが、ここへきて音にまだ深みがなく、技巧だけで聞かせるには音楽性から見てかなり厳しい年齢に差し掛かってくる。これから天賦と言われた彼の超絶技巧にどれだけ芸術性が加わっていくか。それによって、ジュニアの頃から言われ続けた「コンクール万年二位の二世ヴァイオリニスト」というレッテルが一段上に行くかどうか。正念場の一年を迎えそうだ…。』か。厳しいんだな。この世界も。」
「二位でも充分偉いと思いますわよ。」
「でもないんじゃない?やっぱり一位優勝と二位準優勝じゃあ、雲泥の差がある。そんな厳しい世界なんじゃあないの?特に、才能と環境と血筋に恵まれた環境であればあるほど…。」
「二世音楽家かあ…。早乙女流の二代目、乱馬君も大変そうだものね。」
 何故か憂いを帯びたかすみの目が乱馬へと飛んできた。

「おい!俺は二世でもタレントとか芸術家じゃねえぞ!!」
 思わず言葉を吐きつけていた。

「そお?格闘家もそう変わりはないわよ。」
「だあっ!それに、初代は有名な格闘家の親でもねえだろうがっ!!」
「そうね。初代はパンダだし…二代目は一介の道場の跡取り婿候補だものね。」

「うるせえっ!!」


『日本は桜の季節でもありますし。』
『ああ…。桜ですね。やはり将来の目を養うためにも桜は有効なんでしょうか?』
『勿論です。彼の祖母や母の国でもあるこの美しき桜の季節を、身近に体感させてやれば、伸び悩んでいる「若い音」にも「艶やかさ」が増すように思いましてね…。親の欲目かもしれませんが…。』


 漏れてくるテレビの音と、家族の雑談と。
 それを、庭先で苦笑いして聴きながら、乱馬はふっと桜の木を見上げた。


「ったく…。どこの世界でも、親馬鹿は親馬鹿なのかよう…。子供の成長を望まねえ親はいねえんだろうが…。二世、二代目かあ…。嫌な言葉だな。」
 環境は違うが、同じく己にもチンケな流派ではあるが無差別格闘早乙女流二代目、二世としての気負いはある。
「ま、悩んでも仕方がねえことだけどよ…。」
 そう溜息を吐き出すと、再び、作り付けの木の棒へと、再び、拳を打ち始めた。



二、

 彼岸が過ぎたとは言え、そうすぐに夕暮れが長くなるものではない。
 秋の夕暮れのつるべ落としとまでは言わないが、それでも、暗くなる時間はまだ早い。
 七時前ともなると、すっかり「夜」だ。
 治安の良い日本では、一人歩きが充分に出来る時間帯ではあるが、それでも、まだ帰宅しないあかねに、少々、業を煮やし始めている少年が一人。
 普段の彼女なら、用事がすめば、あっさりと帰って来る。友人たちと無駄話に花を咲かせることも勿論あるが、それでも、夕飯時までには帰宅してくるのが常だ。
 特に何事もない限り、天道家の夕飯時間は七時ごろ。早い日は六時半には食卓の準備が整う。一家全員で茶の間に集い、箸を持つ。そんな昔気質の家である。
 何か用事があって、夕飯に遅れるときは、何某連絡を入れるのも、また暗黙の了解になっている。
 なのにである。今夕に限っては連絡もない。
 乱馬もあかねも今時の高校生には珍しく、携帯電話不所持だが、それでも友人たちの誰かが持っているだろうから、借りて連絡くらいはどこからでも入れられる筈だ。
 夕飯の時間が近づくにつれ、何となく、天道家の人々の視線が、乱馬の方へと伸びてくる。
『そろそろ迎えに出たらどうだ?』
 そんな意味深な視線で物を言う。
 無論、彼はそんな視線には一切の「無視」を通そうとする。「あかねのことなど気にはしてない!」と無口になるのだ。が、内心、あかねのことになると「放ってはおけない」というのが本当のところ。
 帰宅時間が遅れていると、それなりに、そわそわしてくるのも、隠せない事実であった。

「ねえ、気になるんだったら、そろそろ、迎えに出てみたら?」
 なびき辺りは、歯に衣着せずにズバッと言う。
「うっせえな!小学生のガキじゃあるめえし!」
 だが、そこら辺はまだ、尻の青い少年。そうやって、ぶすっと言葉を吐き返してしまうのも常であった。
 まだ、なびきは思ったところをズバッと言ってのけるだけ、他の家人たちよりはましなのかもしれない。
 陽が沈みきってしまう頃になると、早雲が騒ぎ始める。
「乱馬くぅ〜ん…。あかねのお迎えには、行かないの…かねえええっ?」
 と、心なしか顔が巨大化するのである。
 それでも行かないで、もぞもぞしていると、のどかの刀がカチンと鳴るのを真後ろで聞くこともある。これは「男らしく許婚を迎えに行きなさい!」という、母親の無言の圧力だった。
 さすがにそうなってくると、重い腰を上げないでは居られなくなる。
「わーったよ!俺が迎えに行けば良いんだろう?」
 と素直に出るか
「腹ごなしに軽くランニングしてくらあっ!」
 と言い訳じみて出て行くかのどちらかになる。

 この日はかすみの一声が効いた。

「ここのところ、暖かくなってきたでしょう?だから、最近、変質者がぼちぼち出始めたって、ご近所の奥さんが…。」

 夕飯用に揚げ物をしながら、そんなことを通り抜けに乱馬に囁きかけた。特に彼に向かって言ったのではないのかもしれないが、次の瞬間、ガタンと音がして、そのまま、彼は玄関へと駆け出していた。
 さすがに、そんなことを口走られては、迎えに出ない訳にはいくまい。あかねに何かあれば、そのまま、それは己に「重み」としてのしかかってくる。そのくらいは承知していた。
 あかねの馬鹿力に太刀打ちできる奴など、そう居ないのであろうが、それでも、「万が一」ということもある。禍はそうした隙間を狙ってやってくることを、彼も承知はしているので、やはり、迎えに出る事にしたのだ。

「やっと、重い腰上げたんだ。」
 なびきがひょいっと居間から顔を出す。
「うっせえっ!ちょっと散歩して来るだけだっ!!」
 通り抜け、そんなことを吐き出す。
「たく…。相変わらず素直じゃあないんだから。」
 その背中になびきはそう吐き付けて、にっと笑った。

 乱馬とあかねの関係は、遅れず進まず、だ。微妙な距離関係を保ちながら、本日まで来ている。互いに「不器用者」同士。そう、はっとするような進展もしなければ、かといって、全然根も葉もないわけではない。
 素直に互いの心を吐露して結ばれるには、まだまだこの先も「紆余曲折」があるだろう。「不器用な許婚同士」なのであった。

 靴を引っ掛けて履こうとしたときだ。
 引き戸の向こう側に人影が立った。

「ただいまあっ!」

 そう言いながら入ってくる少女の姿。
 あかねであった。

「あら?乱馬…。どっか行くの?」

 散々心配させた張本人は、至って無邪気に乱馬に話しかけた。

「どっか行くの?じゃねえだろうっ!こんな時間まで、どこほっつき歩いてたんだよっ!!」

 思わず保護者的立場な発言が出た。
 あかねの顔を見て、ホッとしたのだ。

「そんなに遅い時間じゃないじゃない…。まだ七時ちょっと回ったところでしょうが。」
 勝気な少女は、開口一番、乱馬に怒鳴られたのに、つむじを曲げた。
「ちぇっ!相変わらず、かわいくねえっ!!」
 乱馬は履きかけた靴を脱ぐと、トンっと上に上がった。出かける必要がなくなったからだ。
「たく…。何なのよ、あんたは。ちょっと帰宅が遅れたくらいで。」
 そう言いながらも、気にかけてもらえた嬉しさが、心の片隅に湧き上がる。乱馬の不機嫌は自分の帰宅時間にあることが明白だからだ。言葉は荒いが気にかけてもらえたということには感謝するべきだろう。

 吐きなれたスニーカーを脱いで、上がって来たあかねを見て、乱馬は顔を少し曇らせた。

「おい…。」
「何?」
「おまえ…。」
 真顔になってあかねを見下ろす。
「その傷どうした?」
 目敏く、左腕にうっすらと引っかき傷を作っているのを見つけたのだ。
「ああ、これね…。」
「普通、そんなところに傷なんて出来ねえぞ。何があった?」
 小難しい顔があかねを見詰める。
 隠し通す必要もないか、とあかねは言葉を吐きだした。
「ちょっとね…。帰り際、都心の公園でチンピラにからまれちゃって。」

 その言葉に乱馬の顔が一瞬、物凄い形相に変わった。

「その、チンピラにからまれたって、何だ?」
 鋭い視線が見下ろしてくる。

「大したことじゃないわ。ちょっとね、男の子が一人からまれてたものだから、注意喚起しただけよ。」
 あかねはそう言って廊下を通り抜けて行こうとした。
「こら!その注意喚起ってのは取っ組み合ったってことじゃねえのか?だから、こんな傷作っちまったんだろっ!」
 思わず声を荒げていた。いや、それだけではない。ぐいっとあかねの左手を掴み、ドンっと階段下の壁際に、あかねの身体を押し付ける。
「大丈夫よ!あんなへっぽこ相手にやられるあたしじゃないわっ!ちゃんとのしあげてきたし、向こうが悪いんだからっ!!」
 勝気な瞳が乱馬を見上げていた。
「ば、馬鹿っ!かすり傷だからまだいいようなものの、大怪我しちまったらどうする気なんだよっ!!勝気もいい加減にしとけよっ!!」
 あかねにしてみれば、乱馬が本気で怒ったのは意外であった。
 今でこそ形を潜めたが、乱馬が来るまでは、登校時にも数十人の男子相手にやりあってきた己である。売られた喧嘩は必ず買って、相手を叩きのめすという気性は、まだまだ健在であった。

「まあまあ…。気を鎮めて。二人とも。」
 背後で早雲の声がした。

 いつの間にか、玄関先に集ってきた天道家の面々が、二人の成り行きを見守っているではないか。愛すべき家族たちである。

「そうよ…。乱馬君。今のシチュエーションって、どう見てもあんたがあかねを襲ってるように見えるんだけど…。」
 なびきが苦笑いしている。
 確かに、手をぎゅうっと掴みかかり、壁際にあかねを押し付けている景色は、見ようによっては乱馬が迫っているように見える。

 がばっと二人離れた。



 つい、あかねのことになってしまうと、我を忘れてムキになってしまう。
 それが己の欠点になりつつある。

 乱馬はそう感じていた。


 むすっとしたまま、箸を持って、夕飯をかっ込む。

「お、おい、乱馬。もうちょっと行儀良く食べんか!」
 その有様を見て、玄馬が溜まらず声をかけたくらいである。
「結構!乱馬君の食べっぷり、実に豪快でよろしい!」
 まあまあまあと、事なかれ主義の早雲が早乙女父子をなだめに入る。
 現在、のどかは華道会の展覧会云々で天道家を長期不在にしていたから、まだ、ややこしさはない方だろう。ここにのどかが居れば、どうなっていたか。

「で、あかね。何があったわけ?」
 やんわりとなびきが訊いて来る。
 この辺り、彼女もやり手だ。あかねの機嫌を損ねることなく、気になることはきっちりと聞いてしまおうというのだろう。単刀直入な乱馬よりは知恵で押してくる分、何枚も上だ。

「都心の公園でね、気の弱そうな同じ歳くらいの男の子が不良に絡まれてたのよ。ああいう現場見てたらさ、ほってはおけないじゃない。」
 あかねは淡々と自分の身の上にあったことを話し始めた。
「で、あんた達何やってるのって…。そしたら。向こうが勝手に突っかかってきたの。腹が立ったから、のし上げてやったわ。」
「で、助けた男の子は?」
「何でも、東京は初めてらしくって…。お父さんとはぐれてしまって、探しながらウロウロしていたみたい。そしたら、持っていた楽器ケースがそのチンピラの一人に当たったんだってさ。それで、謝ったら逆に、カツ上げされたって言ってた。たく…。身なりも良かったしひ弱そうだから、金銭をせびられたのね。世も末よね。」
「楽器ケースねえ…。」
「ヴァイオリンだとか言ってたな。いいところのお坊ちゃま風だったし。」
「で、御礼か何か貰ったの?」
「あのね…。そんなもの貰うために助けたわけじゃないの!当然無償よ。お姉ちゃんとは違うの。」
 鼻息荒く答えた。
「でも、あんたねえ…。相手が凶器とか持ってたらどうするの。本当に無謀なんだから。乱馬君が怒るのも無理はないわよ。」
 ちらっと乱馬の表情を伺いながらなびきが嗜める。
「平気よ。あたしには無差別格闘流があるから。」
 あかねはさらっと言ってのけた。

「たく…。過信してっと、いつか、大怪我するぜ。」
 乱馬がぶすっと言葉を吐きだした。まだ、不快感が取れていないらしく、表情は険しい。
「あら、同じ無差別格闘流の流れを汲む格闘家のあんたにそんなこと言われるとは思わなかったわ。無差別格闘流は強いのよ。そうじゃないの?」
 その言葉にカチンときたらしく、あかねが食って掛かる。
「武道は喧嘩の道具じゃねえ!そんくらい、てめえもわかってるだろがっ!!」
「でも、助けを必要とする人が居たら、ほってはおけないじゃない!それが格闘家の人情ってもんじゃないのかしらね!」

「まあまあ、何事もなかったんだから、二人とも…。」
 平和主義の早雲がとりなしに入る。
「おじさんが甘いから、付け上がんだよ!」
「こら、乱馬っ!言いすぎだぞっ!!」
 玄馬も横から口を挟んできた。
 だんだんと雲息も怪しくなる。

「何よ、その付け上がるっていうのはっ!!」
「文字通りだよ、文字通り!大して強くもねえくせにっ!!」
「あんたに言われたかないわよっ!」

 だんだんと激高していく、口喧嘩バトル。

「何だとぉ?女の分際でっ!」
「うるさいっ!この女男ーっ!!」

 バッシャ!

 乱馬の頭上へと、コップの水が注がれる。
 みるみる乱馬は少女へとその姿を変えた。

「ち、冷てえっ!くぉらっ!あかねえっ!!」
「ふんだ!あんただって半分は女じゃないのおっ!!こんの、変態っ!」

「辞めないか、乱馬、あかね君。」
 玄馬も仲裁に入ろうとした。

「うるせーっ!俺の体質がこうなったのも、元はといえば親父のせいだろうがっ!!」

 バッシャ!

 今度は玄馬に向かって乱馬のコップが投げつけられる。

「ばふぉー!!」
 唐突に現われる、ジャイアントパンダ。
「もう、いい加減にしなさいな…。みんな、大人気ないんだから…。」
「かすみ、雑巾!」

 相変わらず賑やかな天道家である。


 と、その時だ。呼び鈴が鳴った。
「ごめんくださーい!!」
 玄関先で男性の声がした。

「はあい、ただいま!!」

 どうやら来客のようだった。

「今頃、誰だろう?」
「さあ…。新聞の集金か何かかな…。」
「集金ならこの前来て、お姉ちゃん払ってたわよ。」
「ぱふぉー!」

 ここは天道家。好奇心も旺盛な住人ばかりだ。かすみに続いてぞろぞろと玄関先へと連なって行く。

 引き戸の鍵を中からガチャガチャ開けると、かすみは訪問者を中へ導いた。

「あのう…。夜分に失礼いたします。こちらは天道早雲さんの御宅でしょうか?」
 入ってきたのは品のよさそうな少年が立っていた。

「あら…。あなたは…。」
 後ろから覗き込んでいた、あかねが、思わず声を上げた。
「あんたは、さっきの…。」
 少年はあかねと知り合いだったのか、ふっと表情が緩んだ。人懐っこい眼鏡がこちらを覗き返していた。
「先ほどはありがとうございました…。でも、こんなところであなたに会えるなんて…。偶然だな。」
 そう言いながら、後ろの少年がぺこんと頭を下げた。

「ねえ、誰よ…。」
 突付いてきたなびきに、あかねはこそっと言った。
「さっき、話してたでしょう…。あたしが新宿で助けてあげた男の子よ。」
「ふうん…。でも、どっかで見たことがあるような…。」
 なびきが首を傾げた。そして、じっと少年の顔を眺める。特徴的な眼鏡。そして、彼の手には楽器ケースが握り締められていた。

「あーっ!!あなた、もしかして…。初音・フランツ君。天才ヴァイオリニストの…。」

「はい。僕は初音・フランツです。父の和音・フランツに言われて、ここへ来させていただいたんですが…。光栄だな…。僕のこと知ってくださってる方がいらっしゃるなんて。」
 そう言いながら人懐っこい笑顔を手向けてきた。

「な、何で、初音・フランツが我が家に来るのよ…。」
 開いた口が塞がらないなびきに早雲は言った。
「だから、言ったろう?母さんと彼の父上は知り合いだったって。勿論、ワシもな。」

「はい、確かに、父もここへ来たことがあるみたいですから。」
 そう言いながら初音はにっこりと微笑みかけた。



つづく




一之瀬的戯言
お断り
私、一之瀬は「女乱馬」も原作コミックと同じ「漢字表記」の「乱馬」で作品を書くことを常としています。
従って女乱馬を「らんま」とは表記しません。予めご了承くださいませ。


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