第三話 招かれざる者ども


一、

「で?見合いするって、決めてしもたんかいな…。」
 
 ジュッとお好み焼きをひっくり返しながら、右京が言った。

「ん、何だか成り行き上ねえ、断れなくなってしまったってところもあるんだけど…。」
 あかねは頬杖をつきながら、右京の手並みをじっと見ながら答えた。

「で?乱ちゃんは?」

「それがねえ…。あれから一言も口利いて無いのよ…。」
 あかねはそう言いながら、ふうっと溜息を吐いた。

「そら、当然やろな…。許婚としては、不愉快なんとちゃうんかな…。」
 右京は批判的だ。

「ううん。そんな素振りはないんだけど、組み手の相手も頼み辛くって。それに…。大学じゃあ、あたしたちの関係のことは内緒だから…。この前、新人戦でぶっちぎりで優勝しちゃったでしょう?結構女の子に囲まれちゃってさあ、ご機嫌なのよねえ、これが。」

「ははは…。乱ちゃんって、昔から結構、ナルシストなところもあるからなあ…。何となく想像つくわ。その感じ。」
 右京はコテで、じゅっと鉄板にお好み焼きを押し付ける。焼ける生地の芳ばしい香りがふっと鼻先を掠める。

「でも、乱馬って、本当のところ、何考えてるか、最近わかんないのよねえ…。何だか、あたしのことなんか、どうでも良いみたいな感じもするし…。」

「っていうか、あかねちゃんが見合いを快諾したこと、結構根に持ってるのかもしれんで…。あれで、めっちゃヤキモチ妬きなところもあるからなあ、乱ちゃんは…。」
 また、パンっとお好み焼きをひっくり返しながら右京が言った。

「右京は良くわかってるわよね…。」

「そら、ダテに幼馴染みやってへんで。でもなあ、あかねちゃん。やっぱり、お見合いを受けたってことは不味かったんやないか?」
 今は特別乱馬に、恋愛感情を持って居ないとはいえ、元許婚。ちくっとあかねに対して忠告めいたことばをぶつけてきた。
「まあね…。あたしも、しまったって思ったんだけど…。あいつの煮え切らない態度につい…。」

「はあ…。まあ、好いた男を試してみたいって思う気持ちは、どんな女子(おなご)にかてあるとは思うんやけど、ちょっと浅はかやったんとちゃうかなあ…。乱ちゃんのことやから、それでヘソ曲げてしもてるんとちゃうやろか?そんで、近寄ってくる女の子に、ちょっとおべっか使ってみたりとか。」

「まさか…。あいつに限って、言い寄って来る女の子に手を出すなんてことはないと思うけど…。それに、あたし、別に、試したいって思ったわけじゃないわよ…。」

「そやろか…。いつも、ヤキモチばっかり妬かされてきてるから、たまにはヤキモチ妬かしたろかって、どこかで思ってへんか?あかねちゃん…。乱ちゃんが、煮え切らん態度とってるんやったら余計に…。」

 あかねは返答に詰まった。
 右京の言うように、たまには乱馬をヤキモキさせたいという気持ちが全く無いわけではなかったからだ。むしろ、その気持ちが大きかったかもしれない。
 乱馬にとって、己の存在とは一体何なのか。
 許婚になって四年。そろそろ、本当の心を知りたいと、どこかで望み始めている自分が居た。愛されている、という確証など何処にも無いからだ。
 何となく、だらだらと、許婚という立場に甘んじているだけの生活に、もしかすると、自分がリタイヤを叫びたがっているのかもしれない。
 いや、何も乱馬から見た視線だけではなく、己にとっても、乱馬という青年の存在が一体何なのか。一番大切なことが、見えなくなり始めているような不安が、ここのところ、己を襲ってくるのである。

「たく、どっちも、素直やないんやから…。好きやったら好きって、はっきり口にしあえばええのに…。」

 右京は独り言のように、言った。

(好きってはっきり口に出来たら、こんなことで悩まないわよね…。)
 声には出さずに返答した。
 そうなのだ。いつも思いが空回り。好きという言葉は口を吐いて出てこない。
 乱馬と己の間には、愛とか恋とかいう高尚な感情など、横たわっていないのではないかと思えるくらいだ。

 と、ガラガラっと引き戸が開いて、客人が雪崩れ込んできた。

「いらっしゃい!」
 右京は途端、元気良い声を張り上げる。

「イカ玉大判一枚!」
「俺はビール!」
「モダン焼きも一枚!」
 口々に、好みの品物を注文し始める。良く足を運んでくる客人たちなのだろう。
 右京は「はい、ただいま!」とお冷を持ってカウンターへと赴いた。

「今日は、つばさくん、居ないの?」
 きょろっと見渡してあかねが不思議そうに尋ねた。
「ああ、何か、「流派の大事」ってのがあるらしくって、田舎へ帰ってるんや。」
「流派の大事?」
 思わず、あかねは見返した。
「つばさ君って武道とか芸能とか何かやってたっけ…。」
「あれでも、一端の「格闘流儀」の家らしいで。葉隠流の一派やって本人、言うてたわ。」
「葉隠流の武道の一派ねえ…。」
「葉隠突撃流っていうらしいけどな…。ひょっとしたら、葉隠魁と繋がる流派かもしれんで。」
「まさか!」
「あはは、まさかやなあ…。でも。たく、小夏もおらんやろ?ええ、迷惑やわ。ホンマ。」

 口を動かしながらも、せせこましく手を動かす右京。ジュッジュッといくつものお好み焼きが鉄板の上を熱く焼かれている。

「あたしでよかったら、手伝おうか?」

「あ、ええ、いらん、いらん!あかねちゃんはお客や、座っとき。変な気なんか回さんでええ!」
 とんでもない、と右京が吐き出した。
 尤も、彼女にしてみれば、不器用なあかねに手伝われては、かえって「迷惑」なのだろう。下手な手伝いなら、無いほうが良い。端的にそう思った。
 あかねも、何となく、右京の言わんとしていることはわかっているので、それ以上は手伝いを申し出なかった。

 本当は乱馬を待つつもりで、ふらっと帰り道に、ウっちゃんの店に入ったのだが、今日に限って彼は現れなかった。家では話し辛いのなら、ここでとも思ったのだが、あてが外れた。
 見合いについて言い訳するつもりはないが、組み手の相手として、彼は最良だったので、やっぱり、稽古は一緒にして欲しいというのが本音だったのだ。だが、乱馬はどうも、己を避けているようにも思えた。
 勿論、それが、乱馬の「ヤキモチ」と「筋の通し方」だったのだが、そう判断するにはあかねはまだ、気持ち的につたな過ぎた。

 夕刻の客は、昼時ほど集中はしないが、それでも、右京の店は良く流行っていた。小夏とつばさが居ないのが、やはりネックになっているらしく、右京にすら、声をかけ辛い状態が続く。
 右京のお好み焼きは、やはり最高だった。秘伝のソースはもとより、生地の練り具合から具の調整具合まで。この辺りでは「お好み焼き」よりも「もんじゃ焼き」の方が主流なのであるが、やっぱり、関西に居たことがある人間は、「お好み焼き」が一番だと思うらしい。耳を澄ますと、関西辺りのイントネーションも飛んでくる。きっと、東京で暮らす。関西人なのだろう。

 それでも、客の途切れというのはあるようだ。

 ふっと、混んでいた店に客足が途切れた時だ。

「うふふふふ…。」

 店内に不気味な声が響き渡った。

「誰やっ?」
 はっしと身構える右京。
 あかねも一緒に身構えた。

「そこかっ!!」
 右京のコテがパシッと天井を貫いた。

 ひゅるるる、どっかん!
 音がして、鉄板の上に何かが転落してきた。

「うぎゃあああああっ!!」
 熱く熱された鉄板の上。じゅじゅじゅっと焦げた音がして、不可思議な生命体が蠢いているのが目に入る。

「だ、誰っ?」
 あまりの理不尽さに、あかねが目を見張った。

「ふふん!さすがだねえ…。」
 のっそりと、コゲコゲが起き上がる。

「あなたは…。」
 見覚えのある顔に、あかねは思わず声を上げた。
「久しぶりだねえ…。覚えていてくれたかい?どう?くの一、お色気喫茶で働かないかい?」
 そうだ。小夏の義姉だった。確か、名前は小枝と言う。
「遠慮しときますっ!!」
 思わず、足を振り上げて、げしげしと足蹴にしにかかる。
「たく、冗談も通じないのかい、この娘っ子はっ!!」

「はっ!危ないっ!!」
 今度は別の方向から、手裏剣が飛んできた。
「くっ!」
 すんでのところで、右京がそれを、巨大コテで薙ぎ払った。
 カンカンカンと金属を跳ね返す音がして、手裏剣が床に落ちる。

「たく、危ないやないかっ!!」
 右京は手にしたコテを手裏剣が飛んできた方向に投げつけた。
 見事に命中したようで、どっかと巨大な塊が落ちてきた。ぼよよんと店内に落下した。
 やはり、見覚えのある巨体。こちらも、くの一シスターズの小梅だった。
「今度はあんたかいな。…ってことは。」
 ばっさっと、右京は、店の床の間の膨らみを剥いだ。わざとらしく、膨れ上がっていたのが目に入ったからだ。
「むふふ、見事だ。さすがに、小夏が慕うだけある女子だ。」
 にゅっと出てきた濃い顔は、こてっちゃんママだった。

「たく…。あんたら、人の店、なんやと思ってるねんっ!!」
 右京は、コテをバチバチとあわせると、ギロリと乱入してきた、不可思議な生命体に向かって、言葉を吐きつけた。
「あんたたち、小夏の…。」
 あかねが指差すと、
「あたしたちは、くの一、お色気シスターズ!!」
 びしっと決めた三人に、
「不気味なポーズ、すなっ!!」
 と右京の拳が飛ぶ。

「たく、何やねん!あんたらっ!!」
 右京はカリカリとしながら、三人を睨み付けた。

「ふっふっふ、あたしらは、借金取りさっ!」
「そうよ、小夏の治療費、百万円、とっととキャッシュで払いなっ!」
 不気味な三人は、揃って右手を、右京の前に差し出した。

「小夏の治療費?何や、それはっ!!」
 右京は思わず声を荒げた。

「何って、アメリカでかかった病院の御代だよっ!」
 母のこてっちゃんがふんぞり返った。

「だから、何で病院の治療費をうちが出さなあかんのやって、訊いとるのやろうがっ!!」
 切れた右京が、小夏の義母のこてっちゃんを足蹴にした。
「もう、乱暴な子だねえ…。ったく。」

「ねえ、病院の治療費って、小夏さん、怪我したの?」
 あかねがそっと後ろから声をかけた。

「怪我したも何も!あの子ったら、準々決勝で対戦した相手に、ボロボロ、ぎとぎとにされたのさ。」
「優勝するって張り切ってた癖に、優勝どころか、怪我までしてくれてさっ!」
「こっちはいい迷惑だったわよ!運ばれた病院の治療費、耳をそろえて払っておくれなっ!!」

「もしかして、保険かけてなかったとか?普通、大きな大会には、予め保険かけておくものだけど…。」
 あかねが問いかける。

「あ…。かけてた…。」
 固まる小夏の義母。
「しまった、あそこで殺しておけば、死亡保険金がざっくざっく…。」
「今からでも間に合う。さあ、小夏を殺(や)りに行こうっ!!」

「ちょっと、待ていっ!!」
 右京が三人を後ろからのし上げた。
「さっきから、黙って聞いとったら…。あんたら、何やねんっ!!きっちり説明していかんかいっ!!」
 右京が怒るのも当然であろう。小夏の義母義姉の話が、一向に的を得ないからである。
 今までの受け答えから、どうやら、小夏は、アメリカの格闘技大会に出場して、怪我を負ってしまったらしい。
「とにかく、きっちりと、納得いく、説明をしてもらおうやないかっ!!説明をっ!!」
 右京とあかねは、互いに、化け物母子を取り囲んで睨み付けた。



二、

 梅雨時の闇は深い。太陽が無い分、夕暮れも早く訪れる。
 空に輝く星も月も、分厚い雲に覆い隠されて、夜でも低く垂れ込んでいるのが何となくわかる。
 雨はあがってはいるものの、いつ、また、空から水滴が落ちてくるかはわからない。まだ、変身体質を引き摺ったままの身の上としては、できるだけ、水に濡れたくはなかった。だから、足も自然と速くなる。
 家路を急ぎながら、乱馬は、さっきから、「微かな異変」を感じ取っていた。

(誰か、つけてきてやがる…。)

 後ろの気配を探りながら、暗がりを歩く。

 最寄の駅を降りてからこの方、後方から、間合いをつけず、開かず、絶妙な具合のところで、己をじっと見据える視線を感じていたのだ。今の自分は「男」だから、変質者の類ではないだろう。あからさまな殺気も感じられない。
 己に用があるのか、それとも、何か別の目的なのか。

 公園の脇に差し掛かったところで、乱馬はふっと足を止めた。

「おいっ!さっきから、てめえは何だ?何で俺についてきやがる…。」
 そう言いながら、背後に向かって吐き付けた。

 じっと耳をそばだてるが、反応はない。

「おいっ!訊いてるのか?てめえっ!!」

 そう吐き付けた途端だった。

 ざわざわと生温かい風が頬を掠めて通り過ぎた。
 ぞわぞわっと背中に何かを感じた。

「突撃ーっ!!」

 低い声が耳元で響き渡る。

「なっ!!」
 はっとして、振り向くと、何か塊がが、こちらを目掛けて転がり込んでくるではないか。
 バキバキと公園の花壇の柵を薙ぎ倒しながら近づいてくる。

 トンッ!と地面を蹴って、すぐ脇に立っていた木の枝に飛び上がって飛びついた。ゆっさゆっさと揺れる枝葉のすぐ下を、その塊は通り抜けていく。
「ポ。ポスト?」
 乱馬の目が驚きに変わった。
 旧式の筒型の郵便ポストが傍らを駆け抜けていくではないか。今の世の中では、めっきり珍しくなった、あの筒型寸胴ポストだ。

「ほっ!!」
 乱馬はぶら下がっていた足を、大きく揺さぶると、横のもう一回り大きな木の幹へと飛び上がった。。
 と、ドンッ、と大きな音がして、乱馬の居る木が大きく揺れ始めた。さっき、通り過ぎたポストがゆっさゆっさと、木へ体当たりしながら、揺すっているではないか。あまり、見かけぬ変な光景だった。
「なっ!マジかよっ!」
 ドン、ドンっと、大きな音をたてて、その度に、ゆっさゆっさと小枝が揺れる。このままだと、幹からぽっきりとへし折れてしまうかもしれない。
「くっ、そっちがその気なら。」
 乱馬はざっと木から飛び降りた。
 それを待っていたかのように、ポストは再び乱馬へと襲い掛かる。乱馬は指先を一本。前に手向けると、ぐわっと目を見開いた。

 ドオン!

 爆裂音が鳴り響き、真っ赤なポストがばっくりと弾けた。


「たく、危ない奴じゃのう…。」
 パラパラと赤いポストの残骸が降り注ぐ中、すぐ傍で、爺さんの声がした。
「え?」
 と思った時だ。
 耳元へ息を吹きつけられたような気がした。生温かい吐息が、耳元で漏れるほど、気持ちの悪いことはないだろう。
 案の定、ぞわぞわっと鳥肌が立った。

「だ、誰でいっ!!」

 思わず、拳をそいつ目掛けて、振り下ろす。
 だが、一瞬遅く、乱馬の拳は空を切った。

「ほっほっほ、見事な拳も、当たらなければ意味はないのう…。」
 と思ったとき、身体が空へと舞い上がった。どうやら奴が、勢い良く己の身体を引っ張りあげたようだ。
「くっ!」
 乱馬はそうはさせじと、思いっきり踏ん張った。
 そして、再び、拳を握り締め、気と共に、一気に突き出す。
 一瞬、眩い光が輝いて、辺りが瞬いた。だが、そいつは、再び、乱馬の傍を離れていた。

「気の技も、使いこなせるようじゃな。だが…。それも当たらなければ、ただのこけおどし。体内エネルギーの無駄遣いじゃ!」

「くっ!姿を見せやがれっ!!」

 なかなか正体を明かさない相手に、荒い言葉を吐きつける。

「気は、こうやって当てるものぞっ!それ、突撃破ーっ!!」
 そいつは、やおら、乱馬の後ろ側から、蒼白い気を叩きつけて来た。

 バンッ!

 激しい音がして、辺りの空間が歪んだ。物凄い気の渦が己を強襲する。
 思わず息を止めて、ぐっと手を前に翳し、その激しい気が通り抜けるのを堪える。乱馬のおさげが、後ろに靡くほどの爆風が通り抜ける。バラバラと土塊が、そこここから降ってくる。
 その向こう側に、大きな岩陰がはっきりと見えた。
 ごろごろと乱馬目掛けて転がってくるではないか。
 咄嗟のことで、今度は逃げる余裕も無い。

「くっ!」
 乱馬は右手の人差し指を前に突き出す。
 岩影が乱馬の視界へと思いっきり入り込んできた。
 指先が岩に触れたときだ。乱馬は思いっきり、体内の気を高め、一気に指先で増長させた。岩が彼の指先の前でピタリと止った。

 ドオオン!

 一瞬で、岩は、粉々に砕け散った。

 乱馬はぎりぎりのところまで、岩を引き寄せて、己の気弾を解き放ったのだ。
 岩が目の前で吹っ飛んだ。少なくとも、そう見えた。バリバリ、メキメキと音をたてて、崩れていく。
 もうもうと、もやった煙の向こう側に、確かにそいつは立っていた。
 煌めく瞳をこちらに見据えて、乱馬を眺めて居た。

「ほお、逃げ隠れせずに、二の足を踏ん張って、気を今度は命中させよったか。ほっほっほ。面白いっ!!面白いやつぞっ!」

 どうやら、爺さんの声のようだった。 岩が割れて、中から出てきたのだろう。
 闇の向こう側なので、はっきりとした姿は見えない。

「だ、誰だ?貴様…。」
 乱馬は気配に向かって思い切り力んだ。

 と、その時だ。
 ポツリポツリと空から水滴が落ちてきた。
 そう、やんでいた雨が、再び滴り始めたのだ。やがて、雨脚が強くなり、そこに立っていた乱馬はみるみる、女へと変身し始めた。

「ほほお…。女変化するというのは、やはり、本当のことじゃったか…。これは面妖な…。」
 そいつは面白そうに声をかけた。

「てめえ、どういうつもりで、俺を襲いやがるっ!さっきのポストもてめえだろうっ!!」
 乱馬ははっしと闇の向こう側、ビンビンと迫ってくる、気の主に向かって、言葉を吐きつけた。すっかりと背は縮み、女となって、そこへ立っていた。

「別に襲ったわけではないぞよ。ただ、おぬしの技量を知りたかっただけじゃ。」

「俺の技量だって?」

「ほっほっほ。確かにおぬしは強い。そして、面白いが、まだまだ蒼い。その域ならば、あやつらを倒せるかも知れぬが、それでも、まだまだじゃ。まだ、修行が足らぬ。可能性はあっても、まだ駄目だ…。」

「可能性?あやつらを倒す?」
 いきなりの言葉に、どう返答すれば良いのかわからず、乱馬は怪訝な声を手向けた。

「ほっほっほ…。もし、おまえさんがあやつらに勝ちたいと思うなら、鵺ヶ嶽(ぬえがたけ)へ来るが良い。」
「鵺が嶽?」
 聞きなれぬ地名に、乱馬は怪訝な顔を手向けた。
「ふふふ、また、会おう、お若いの…。」
 それだけを言い置くと、気配がすうっと闇に飲まれていくのがわかった。

「ちょ、ちょっと待てっ!な、何なんだっ!てめえはっ!」
 がなったが、何の返答も無い。
「ちっ!行っちまったか…。たく。何だったんだ?あれは…。」

 辺りの闇の空間が、一気に緊張を緩めた。
 湿った空気が、乱馬の上を流れていった。



三、

「で?小夏さんは、まだアメリカに滞在してるの?」

 あかねは右京を見詰めながら、問いかけた。
 小夏のことが気にかかり、今日も学校帰りに立ち寄ったのだ。

「ああ、そうなんや。ほら、この前、あいつの義母(おかん)と義姉(おねえ)たちが来たやろ?あの後、大会の本部に掛け合って調べてもろてん。本当のところ、どないなってんのか、小夏の身を預かってる以上は、調べとかなあかん、思てな。」
 右京はのれんを準備しながら答えた。

 外は今日もはっきりしない天気だ。

「それで?小夏さんは…。」

「やっぱり、入院してるって言うとったわ。大会で大怪我したっちゅうのもホンマのことやったわ。そやけど、あの、おかんら、ほんまに腐った奴らやで。小夏ほって、日本へ帰って来たらしいわ。」
 右京は憤慨しながら、説明してくれる。
「滞在費が払えんと思った途端、放り出しよってからに…。」

「で?小夏さんの容態はどうなの?」

「辞典片手に、片言の英語で聞いてみたら、まあ、命に別状はないらしいんやけど、結構重症らしいわ。鎖骨とか肋骨が何本かポッキリ折れたらしい。暫く日本に帰ってくるまで、時間がかかるやろうな…。たく、心配ばっかりかけくさって、小夏は…。」

「そ、そんなに大怪我を…。」

「ま、対戦した相手が悪かったなって、主催者は言ってたわ。何でも、優勝した奴らしい。それに…。そいつとやり合った対戦者は、尽く、大怪我して、病院送りになってるっていうねん。」

「何よそれ…。そんなに酷い大会だったの?」

「っていうか、そういう格闘技大会らしいで…。ニューウエーブバトルっちゅうのは。」
 右京の目が鋭くなった。
「ニューウエーブバトル…。まさか、その大会って…。」
「そや。あんたの見合い相手「葉隠魁」って男が、優勝した大会やそうや。」
 あかねの言わんとしたことを受けて、右京が続けた。

 右京の言う小夏のことが本当だとすれば、彼は、葉隠魁にやられたということになる。

「あれから、うちも、いろいろ調べてみたんやけどな…。その、葉隠魁って格闘家、相当な奴らしいわ。」
「相当な奴って?」
「そやから、対戦相手が誰だろうと、常に本気で来るっちゅうねん。技も多彩で、相手が先頭不能に陥って、審判が止めるまでは、一切、手を抜かへん。格闘の鬼みたいな奴やそうやで…。」
「格闘の鬼。…あの葉隠魁さんが…。」

 あかねは、この前、自分に、抱えきれないほどのバラの花束を持って現れた、魁のことを思い出していた。確かに、体格は良いものの、何処にでも居そうな、品の良い青年にしか見えなかった。そんな、荒々しい格闘をやるタイプには思えない。
 にわかに、右京の言うことが信じられなかったのである。

「女性誌やテレビ番組なんかで見る、甘いマスクからは、そんな荒々しい雰囲気に見えへんけどな…。一旦、格闘場へ上がったら、人間性も変わるんやろな。ま、それでこそ、一流の格闘家って言えるのかもしれんけど…。明らかに、乱ちゃんとは、違ったタイプの人間ってことだけは言えるやろな…。」

「乱馬とは違ったタイプ?」

「そや。乱ちゃんは、傷ついた相手に対しては、そんな激しい攻撃は仕掛けへん。いくら高揚していたとしても、程度わきまえるだけの優しさがある。そやけど、葉隠魁って格闘家は、それがあらへんっちゅうこっちゃ。相手が沈んでしまうまで叩きのめさずにはおかへん。いや、沈んでしまっても容赦なく打ち続ける。そんな激しい格闘をするっていうことや。」
 
 あかねは右京の言葉を、黙って聞いていた。

「彼の中には鬼が棲むとも、言うらしいで…。」

 その言葉には、何でそんな奴との見合いを受けたのかという、示唆的な響きもこめられていたように感じた。

「ま、小夏のことはええ。そやけど、そんな容赦ない相手と見合いするんや、っちゅうことは、心に刻んどかんとあかんのとちゃうか…。あかねちゃん。」
 右京は鋭い視線をあかねに投げかけてきた。

 本当に、あの、人懐っこい仮面の下に、そんな本性が隠されているのか。
 あかねにはわからなかった。

「それはそうと…。見合いの日取りや予定は決まったん?」
 右京は核心を訊いて来た。
「うん、まあね。大伯母様が仲立ちになって、知らせてくれたわ。明日なの。」
「そらまた急やな…。」
「うん、いろいろ忙しい人みたいで…まあ、そんなにシャチホコばって考えなくても良いって先方も言うから、普通のデート形式ってことで折り合ったわ。」
「普通のデート形式?」
 右京はきびすを返した。
「うん。ま、気軽に二人で楽しんで来なさいって…。」
「デートねえ…。」
「コースなんかは、先方が全部、考えてくれてるっていうから、あたしは身体一つで出かけるだけ。ま、普通のデートと何ら変わりはないって訳。」
「へえ…。ってことは、相手の親共々、雁首並べてなんてことは…。」
「そんなの流行らないから、しないんですって。ま、それを訊いて、ホッとしたところもあるわ。逃げられないような状況だったらどうしようか…なんて、ちょっと思っちゃったもの。」
「ふうん…。でも、相手は世界を股にかけた格闘家なんやろ?ほいほいって付いて行って…。」
「それも大丈夫よ。行き先もちゃんと伝えてくれてるわ。お父さんやお姉ちゃんたちが心配しないようにってね。」
 あかねは真正直に右京に話した。
 昔は、乱馬の許婚同士として、反目しあったこともあったが、その辺りは、同級生同士。右京が乱馬のことを全く意識しなくなった現在においては、何事も気を置けずに話せる友人として、信頼もしていたのである。右京には、姉御肌なところがあったので、何でも受け入れてくれそうな、そんな雰囲気を感じていたのだろう。

「ま、油断はしないってことやな…。何が飛び出してくるか、わからんで。」
 右京は真顔であかねに対した。

「大丈夫よ…。それに、相手が誰にしても、今のところ、この縁談を受ける気は、全く無いの、あたしは。」
 あかねはにっこりと微笑んだ。

(そやったら、何でそんな話受けたん?)
 右京は黙ってはいたが、そんなことを心の中で吐き出した。




 実のところ、あかねも、乱馬の手前、大伯母に向かって、相手に会ってみると口を滑らせたものの、会うか会わぬか迷っていたことも事実なのだ。
 大伯母はご機嫌であの後、天道家を辞した。

 その後で、姉のなびきに、意外な話を耳に入れられたのだ。

「あんた、その話、受けて、壊してくるってのも、一つかもしれないわね。」
 と。
 最初、姉が何を言わんとしたのか、良く飲み込めなかったのだが、なびきが、重い口を開いてくれたのだ。

「あんたは知らないことでしょうけど、いろいろあの大伯母様とお父さんには、複雑な事情があるのよねえ…。」
 珍しく、饒舌に姉はあかねに語りかけてきたのだった。
「それ、どういうこと?」
 きょとんとしているあかねに、姉は父と大伯母との間にあったこと、いや、天道家全体に関わることを、教えてくれたのだ。
「お父さんとお母さんって、天道家にとって望まれた恋愛結婚じゃなかったのよね…。」
「え?」
 あらぬ方向へ展開する姉の話に、あかねはドキッとした。
「元々天道家っていうのは、武家に繋がる確かな武道武のお血筋らしくってね、若い頃のお父さんには、縁談がそれこそ、引く手数多あったらしいのよ。」
「そ、そうなの?」
「天道家の御曹司ってね…。そんな中でも、あの大伯母様が強引にすすめようとした縁談ってのがあったらしくって…。ほら、さっき伯母様が父さんに言ってたでしょ?「あんたが娘に許婚云々の話を押し付けるのはおかしい」ってね。」
 
 確かに大伯母はそう言っていた。
『そなたこそ、自分の許婚との話を反古にしてまでも、純粋な愛を貫いたのではなかったのかえ?流派が設えた許婚の話はきっぱりと断って、現在のこの家があるのであろうが。』
 あかねには何を意味しているのかわからない大伯母の言葉だったのだが、姉のなびきにはわかっていたらしい。

「若い頃、お父さんにも許婚が居たらしいのよ。でもね、お父さんは高校生の頃に恋に落ちて、母さんを見初めた。紆余曲折があって、父さんは許婚との話を断って、お母さんを迎えたってわけ。」
「へええ…。お父さんとお母さんの間にそんなことがあったなんて…。」
 勿論、初めて聞く話であった。
「楽観的ね、あんたは。家と家の繋がりを無視した結果、どうなるか…。」
 なびきはちらりと妹を見た。
「ま、自分の意志を貫いて、良家のお嬢様との許婚を断ってお父さんはお母さんとの初志を貫き通して、結ばれたらしいんだけど…。これまた、ふざけた話が続きにあってね。男の子が生まれるまでは、正妻とは認めない、だなんてね。大伯母様やその旦那さんが言い張ってたんだってさ。」
「な、何よ、それっ!」
 さすがのあかねも、その言葉に憤慨した。
「大伯母様ってご老齢な方でしょう?時代が古いというか、頭が固いというか。家というものは男子が公然と継いで行くものだって考えが確たる信念としてあるんでしょうね。」
「ちょっと、その男子だけが家を継いでいけるだなんて、何て考え方なのよっ!」
 明らかな「差別」ではないか。あかねはそう言いたかったのだ。
「ま、大伯母様がそんな風なのは、育った時代のせいもあるんだと思うんだけど…。で、結局、母さんはあたしたち、三姉妹しか遺せなかった。だから、父さんは天道家とは完全に決別したのよ。母さんが亡くなった時点でね。」
「え?」
「あら、わからない?大伯母様がまだ、喪も明けないうちから、お父さんに後妻の縁談なんか持って来たから、温和なお父さんも、さすがに気分を害したんでしょうね。だから、もともとの流派でもある「天道流の本流」から離れて、「無差別格闘天道流」を名乗るようになったってわけ。」
「そ、そうだったの…。」
「そうよ…。後腐れなく八宝斎のおじいちゃんの流派に「宗旨替え」したって訳。おかげで、天道家の本宗家とは絶縁状態。」
「複雑な事情があるのねえ…。」
「みたいね…。父さんが飛び出した天道流は、結局は傍系の家系から男子を養子にして、まだ、続いてはいるんだけどね。」
「ふうん…。」
「まあ、天道流の複雑さはそれだけじゃないんだけどね…。元々、お父さんは本宗家を継ぐ立場の男子じゃなかったらしいし…。」 
 なびきは、まだ続きがあるらしい。続き話を、大まかにあかねに説明してくれた。
 それによると、大伯母の父であり、本宗家の正しい跡取りだったあかねたちの曽祖父には、大伯母の他に二人の息子が居たらしいのだ。大伯母の弟たちが二人居て、あかねたちの祖父は次男だったという。つまり、あかねの祖父には長男になる兄がいて、家系継承から言うと、そちらに本流が流れるのが筋らしい。日本はずっと長子相続が続いている。天道家もそれに従っているのなら、本来、宗家はあかねたちの祖父の兄の家系になる。
 ところが、本来の宗家、あかねたちの祖父の兄には一人しか息子がおらず、それも、何かの拍子に、跡目から欠落したというのだ。
 とどのつまり、早雲の従兄が本来なら宗家を継承してしかるべきだったのに、何かがあって、それが敵わなくなった、と言うのである。

「何かがあって…って随分、曖昧な話ねえ…。その、お父さんの従兄に何があったの?」
 姉の話に要領を得なかったあかねが、なびきに尋ねた。

「んー、それがね、あたしにも調べが付かなかったんだ。何かがあったってことまではわかってるんだけど…。外からじゃあ、これ以上探りを入れられないっていうか。」
「何よ、それ…。で、そのお父さんの従兄って生きてるの?」
「生死不明…なのよねえ。」
「何だか煮え切らない話ねえ…。」
「だから、自然と、お父さんに流派の期待が集中しちゃったんだろうけど…。お父さんもお母さんとの愛を生涯貫きたかったのね。それで、流派へ見切りをつけて飛び出しちゃったって訳なの。」
「へえ、お父さんってなかなかやるんだ。」
 感心したほどである。
「だから、今の無差別格闘天道流は、お父さんが創始であんたが二代目になるってわけ。で、大伯母様があんたに縁談を持って来たってことは…。きっと、何かの裏があるような気がするわけ。」
「裏?」
 あかねはきょとんとなびきを見返した。
「わざわざ、葉隠魁っていう武道家をぶつけて来たってのも、気に食わないし。多分、乱馬君のことも知ってたんじゃないのかなあ…。」
「乱馬のことを?」
「うん…。お父さんの意志はともかく、お堅い天道流宗家にとっては、早乙女家が幾許のものかってところなんじゃないかって、あたしは思うのよ。」
「何か、そういう考えってむかつくわね。あたしに言わせれば、天道流本宗家って如何程って思いたいわっ!」
「大伯母様も天道姓を名乗ってなかったんだけどね…。お父さんが飛び出した後は、旦那を婿養子ってことにして、天道姓に戻って、本宗家を現在仕切るようになったってわけ。ま、幸か不幸か、大伯母様には子どもができなかったらしいし…。天道家の傍系の家系から男の子を養子に貰って、今の天道家を引き立ててはいるらしいんだけど…。」
「へえ…。そこまでして「家」とか「氏名(うじな)」ってものは守らなきゃならないものなのかしらねえ…。」

「とにかく、我が家に縁談をって持って来た限りでは、大伯母様なりの目論見か何かが後ろにあるんでしょうね。それを知った上で、一泡吹かせるってことも可能なわけだけど…。」

「わかったわ。大伯母様が何を考えていらっしゃるかはわからないけど…。俄然、あたしが、見合いして、ボロボロにして、お断りする気持ちがわいてきたわ。」
「ま、あんたも、あの乱馬君(とうへんぼく)のことを、じっくり考えなおす機会でもあるでしょうし…。」
 なびきはふっと笑った。
「あ、あいつのことは二の次でいいわよ。とにかく、お母さんを馬鹿にした相手は許せない。」

 なびきの雑言に、変な使命感を見出してしまったあかねなのである。

「あんたね、敵討ちに見合いするんじゃないんだから…。」
 姉も苦笑いしたが、「やる気」の妹を己もバックアップすると、これまた、変な約束をしてくれたのである。




 勿論、目の前の右京には、そこまで突っ込んだ話はしていない。
 縁者ではない以上、必要はないと判断したからだ。

 と、そこへ、また、ガラガラッと引き戸が開いて飛び込んできた奴が居た。

「右京様っ。」
 はあはあと肩で息するサラサラ髪の青年。
 紅つばさだった。

「つばさっ!やっと帰って来たんかいな。丁度ええ、そろそろ店開かんとあかんのやけど…。」
 右京の目が輝いた。
 ここ数日、小夏もつばさも不在だった店を、右京一人で切り盛りしていたのだ。そろそろ限界かと当人も思っていたところである。彼女が喜んだのも当然だろう。

「そ、それより…。おじじ様が尋ねてきませんでしたか?」
 まだ、止らない息でつばさは右京を見詰め返した。
「おじじ様?」
 右京が怪訝な顔を手向けた。
「ええ、変装好きな老人です。年の頃は七十過ぎ。足腰はしゃんとしていて、おかっぱ風味のさらさら頭。茶髪に染めていて、口ひげがあります。背は、このくらいかな…。あ、でも、変装してたら、もっと大きかったり小さかったり。得意技は旧型の筒型ポスト変化です。」
 とカウンターよりも少し高いくらいのところを手刀で説明する。
「そんな爺さん、見たことあらへんで…。」
「そ、そんな筈は…。「練馬へ行く」と書き置きしたまんま、トンズラこいたんですけど…。おじじ様。」
 ふるふるとつばさが身体を揺すった。

「その、格好、やめっちゅーてるやろっ!気色悪い。」

「右京様ぁっ!」

「とにかく、知らんで。そんな爺さん、ここには来てへん!それより、さっさと手伝わんかいっ!忙しいんやっ!うちは!!」


 ずるずると右京は、つばさを店へと誘って行った。



つづく




一之瀬的戯言
 とにかく、このお話は、一之瀬のオリジナル解釈がてんこ盛りです。
 天道家の云々も、紅つばさの云々も、全て二次創作であることをご了承の上、読み進めてくださいませ。
 さて、お気づきのことかと思いますが、乱馬が遭遇したのは、つばさの爺さんでしょう。郵便ポストが旧式なのは、時代のせいかもしれませんが(笑
 次回は、いよいよ、あかねちゃんのお見合いデート。
 さてさて、どうなりますことやら…。


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