最終話 暁闇に消ゆ


一、

 闇が晴れると、その向こう側に、あかねが横たわっているのが見えた。
 だらりと手を垂らし、白無垢のまま、目を閉じている。

「あかねっ!」
 
 その姿を認めると、乱馬はだっと、そちらへ向けて駆け出していた。

『ふふふ、やっと来たか、小僧。』
 あかねの上に湧き出た、どす黒い気が鬼面の形を成し、笑いながら言った。
 実体の無い大きな顔面が、あかねの直ぐ上でこちらを見下ろしている。
 
「銀羅邪…か。てめえ。」
 乱馬ははっしと睨みつけてメンチを切る。
 
 いや、空を舞う黒い煙はもう一種類あった。

「金羅邪まで居やがるのか!」
 そう吐き付けた。

『ここまで追って来た上に、小鬼どもを蹴散らした技、なかなかの見ものであったぞ。』
 鬼面はにやっと笑ったように見えた。背後に重なるもう一つの鬼面は、銀羅邪よりも少し小ぶりに見えた。

「俺を待ってたってことか!」
 乱馬は激しい気炎と共に言葉を投げつけた。

『ああ、待っていた…。おまえを依代にするためにな…。』

「なっ!何だって?」
 乱馬は、眉毛を釣り上げて、銀羅邪を見上げた。
「俺は、てめえらの言いなりになるつもりは、ねえ!」
 そう吐きつけると、乱馬はいきなり、気を全開にした。

『貴様、まだ、己の置かれた立場がわかっておらぬようだな…。』
 ふわふわと鬼面が空を舞い降りてくる。

「ああ、わかりたくもねえ!」
 乱馬ははああっと気を溜めて行く。
 乱馬が気を放とうとした、その時であった。

 突然、鬼が笑い始めた。

『貴様…。この娘がどうなっても良いと言うのか?』


 横たわっていた、あかねが、すうっと、金羅邪の影によって、持ち上げられた。
 そして、身構える乱馬の前に、さらされた。

「なっ!あかねっ?てめえっ!あかねを盾に使うつもりか?」
 今まさに、撃ち抜こうとしていた、気が止った。このまま、あかねを撃つわけにはいかなかったからだ。

『当たり前だ…。利用できるものは何でも使う。』
 そう言いながら、銀羅邪はゆらゆらと空を巡った。

「乱馬っ!あたしのことなんか、構わないで!技を撃って!」
 あかねが目を見開くと、そう言い放った。
 白い着物の上にどす黒い金羅邪が、煙ながらあかねをぐるぐると巻きつける。そして、これ見よがしに、あかねの首周りをぎゅっと締め付けた。

 くっと、声が漏れ、あかねが苦しそうな表情を浮かべた。

「あかねっ!」
 その様子に、乱馬はぐっと奥歯を噛んだ。

「あたしは大丈夫…。平気だから、乱馬は鬼を撃って!」
 果敢にも、あかねは締め上げられながらも吐き出した。

『金羅邪!』
 あかねの声が邪魔だったのだろう。そう合図した声に反応し、キリキリと金羅邪があかねの身体を締め付ける。
 ボキッと骨のしなる音がする。

「ああっ!」
 激痛に思わず、声を上げるあかね。
 その様子に、思わず、乱馬は息を飲む。


『どうだ?貴様、この娘を見殺しにはできまい…。おまえが承知せぬならば、この娘、このまま絞め殺してやっても良いぞ。』
 ギリギリとまだ締め付ける金羅邪。

『わらわはどっちでも良いのじゃぞ…。この娘を絞め殺して、このまま腹に飲み込んでしまっても良い。』
 思わせぶりに、巻き付いた金羅邪の影は、真っ赤な舌状のものを出し、あかねの白い腕の柔肌を舐めて見せる。

「くそっ!卑怯なっ!」

『貴様、その小娘を愛しているのだろう?だったら、撃てぬよな…。』
 ゆらりと、銀羅邪が浮き上がった。
『ならば、その身体を依代として差し出せ。』
 ふうっと矢のように長く変化すると、銀羅邪は乱馬目掛けて、物凄い勢いで降りてきた。


「なっ!」
 はっとしたその時だ。

 ドクン。

 波打つ、乱馬の心音。

「うわああっ!」
 心臓を握られたような、鋭い痛みが、全身を駆け抜けた。


『ふふふ…。娘を我らの餌にされれたくなければ、おとなしくするのだな…。』
 直ぐ耳元、いや、頭の中で銀羅邪の声がした。
「て、てめえ、俺の身体の中に入りやがったな……。」
 乱馬は足掻くように上を向き、その声に答えた。
『おうさ…入ったぞ、乱馬よ。』

「くっ!」
 全身に走り抜ける痛みを堪えながら、吐き出す。

『さっき、小鬼どもに傷つけられたその傷口からな。簡単に入り込めたわ。おまえの血の中に我は居る。どうだ?愉快だろう?』

「てめえ、ふざけた真似を…。」

『足掻いても最早無駄だぞ。』

「くっ!このまま、俺の身体を乗っ取るつもりか?」

『ふふふ、我が野望を果たすには、新しい依代が必要だからな。』

「わあああっ!」

 銀羅邪は、乱馬の身体をかき回した。乱馬は、激しい痛みを必死で堪えた。

『どうだ?痛いか?…ふふ、痛いだろうな…。』

「てめえ…。人の身体の中で何を…。」
 脂汗を額に浮かべながら、はあはあと苦しい息で、吐きつける。
『おまえの気を黒く塗り替えているのさ…。汚れた気はやがて、おまえの身体を包み込む…。楽になりたければ、我が意識を、取り込め…。おまえの身体を我に差し出せ。』
 そう、耳元で語りかけた。

「嫌だと言ったら?」
 苦しい息の下で、乱馬は銀羅邪に吐きつける。

『嫌とは言わせぬ。金羅邪よ、来い…。』
 急に伸びてきたあかねの腕に、思わず、乱馬は目を見開く。
 そこには、目を閉じたあかねの顔があった。金羅邪に操られているのだろう。ずいっと腕が乱馬の身体に巻き付いた。
「あかね…。」
 乱馬の問い掛けに、答えはなかった。どうやら、気を失ってしまったようだ。
『どうだ?我らを受け入れれば、この娘、このまま食わずにおいてやろう。いや、おまえがこの娘を好きにしろ…。』
 その、囁きと共に、押し付けられるあかねの身体。カクンと頭が肩に垂れた。全身を乱馬に預けた格好で寄りかかる。柔らかく温かい柔肌が、すぐ傍に触れる。
 
 トクン、トクンと波打つあかねの心音が、すぐ傍で聞こえた。

 と、すぐあかねの脇を漂っていた金羅邪の煙が、己の中へと浸透するのが見えた。
 乱馬の意識の奥で、二つの鬼の魂魄が融合する。そんな感覚を覚えていた。

『どうだ?悪い話ではあるまい?我ら金羅邪と銀羅邪、二つの魂魄をおまえの中に受け入れ、この娘の中に、その子を成せ。鬼の精気を孕んだ子をこの娘に産ませるんだ…。』
『あかねに口付け、おまえのその口から、金羅邪の意識を彼女へ飛ばせ…。やがて、金羅邪とあかねが融合し、強き鬼の子孫が生まれる…。』

 乱馬は静かに目を閉じた。
 傍にある、あかねの柔らかな髪の匂いを胸いっぱいに吸い込む。甘酸っぱい匂いが胸いっぱいに広がった。

『そら…。そのまま、あかねに口付けよ…。』
 誘惑するように囁きかける鬼たち。


「い…や…だ…。」
 あかねに触れる手前で、小さく象る唇。

『何だと?』

「だから…嫌だっつったんだあっ!」
 その声と共に、己が懐をまさぐると、隠し持っていた札をつかんだ。
 と、そのまま、札を掌へ貼り付け、がっと左胸に押し当てた。そして、声の限りに叫んだ。

「葉隠流奥義、追儺撃っ!でやあああっ!」

 その声と同時に、激痛が身体を突き抜けて行く。

『馬鹿な…。貴様、血迷ったか…。自分の身体に、術を穿つとわあっ!ぎゃああああああっ!!』
 二つの鬼の声が、重なりながら、悲鳴を上げた。

「血迷ってなんかいねえ…。こんくらい激しくやらねえと…貴様たちを追い出すことなんかできねえからな…。」
 はあはあと左手を前につき、肩で息しながら、語りかけた。
『そんなことをしたら、おまえ自身も無事では済まされまいぞ…。』
「だろうな…。でも、これで良かったんだ…。銀羅邪。貴様を封印するためにも、そして、俺自身の覚悟を決める上でも。」
 己の体内から消えていく気配に、そう囁きかけた。

『おのれえ…。悔しや…、こんな…若造…に…して…やられ…る…と……は……。金羅邪よ…。』
『銀羅邪よ…。きやあああああああっ!!』

 長い鬼の悲鳴が、乱馬の体内でとどろき渡った。

 ブスブスと黒い気焔が札から上がり、二つの鬼の気配は、乱馬の体内から、吸い寄せられるかのように、札の中へと消えて行った。

「へへへ…。ざまあみやがれ…。」
 乱馬は、そう吐きつけると、どおっと前のめりに倒れこんだ。



二、

 乱馬が倒れこんだ途端、周りに異変が走った。音もなく辺りが慟哭を始める。
 灰色の世界は、硝子の破片のように、もろもろと壁は剥がれ落ち始めた。
 鬼の怒気が消えた末、この世界の崩壊が始まったのだろう。

 乱馬が倒れていた地面が、もっこりと膨れ上がると、そのまま亀裂が走り、音もなく割れた。ふっと腹上に柔らかい感触を感じた。
「あかね…。」
 一緒に倒れこんだ彼女を、いつの間にか、抱え込んでいた。

「ごめん…あかね。おまえまで巻き込んじまったな…。」
 崩落が始まったのだろう。そのまま、背中から、下へと落ち始める。
 残った最後の力で、乱馬はあかねを、しっかりと抱きとめた。

「情けねえよな…。鬼には勝ったけど、おめえを助ける力が、俺にはもう…残ってねえ…。」
 空を見詰めながら、ふっと微笑む。
「あのまま、鬼に身を任せておけば、助かったのかもしれねえけど…。でも、俺は後悔してねえ…。おめえを助けられなかったことだけは、心残りだけどな。あと、おめえに本当の気持ちを、一度だって伝えられなかったこともな…。」
 堕ちていくという感覚も、なくなりつつあった。
「また、生を受けるチャンスがあれば、今度はきちんと言うよ…。おめえが好きだってな。何度も言ってやるさ…、愛してるって…な。」

 それだけを告げると、ぐっとあかねを抱き寄せ、目を閉じた。微かに、天上から、満ちてくる光を感じながら。








「おいっ!こらっ!乱馬っ!」
 聞き覚えのある声で呼ばれたような気がした。
「起きろっ、ほれっ!」
 まただ。随分上の方から、問いかけられる声。

「起きろと言っとるじゃろがっ!!」

 バンバンと手荒く、横腹を蹴り上げられたような気がした。

「てっ!痛てててっ!」
 がばっと起き上がった。

「やっと、目を覚ましよったか、たく…。」
 パッチリと見開いた瞳の先に、苦笑いしながら、こちらを見詰めている、幾つかの瞳が見えた。
 心なしか、皆、こっちを向いて笑っているように見える。

「あれ…。俺は…。確か、結界の中で鬼と闘って。」
 記憶をめぐらせるように、小首を傾げた。

 と、直ぐ目の前で、あたたかい吐息が漏れる。
 ふわっと、柔らかな髪が頬に触れた。

「いつまで、大事そうに、あかね君を抱いておるんじゃ?貴様は…。」
 今度は、にやにやとした玄馬の顔がこちらを覗いている。

「へ?あかね?」
 と思って、すぐ傍を見て、仰天した。
 ぎゅっと肩に手を回し、膝の上に抱えている、女性を見つけたからだ。
「で…。あかね。おめえ…。」
 どう見ても、あかねを抱きしめているようにしか見えない格好だ。あかねも恥ずかしいのか、ずっと無言で俯いていた。顔は勿論、真っ赤である。
 しかもだ。格好が片方は白無垢、片方は白い道着ときたものだから、余計に「怪しい二人」に見えた。

「まーったく!鬼を退治した後、すぐに結界が緩んで、目の前に現れたと思ったら、お前と言う奴は…。」
 にたあっと玄馬が笑った。
「全く、耳が痒くなる言葉を、それだけ平気で並べたてられたわね。乱馬君。」
 そう言いながら、なびきまでにたにたと笑っていた。
「乱馬君、ありがとう!そこまで言ってくれるとは!!」
 早雲は、何だか涙を流して喜んでいる。

「ちょっと、待てっ!俺には何が何だかわからねえんだけど…。」

 そう言う乱馬に、なびきは持っていた、小型MDプレイヤーをさっと差し出した。

『また、生を受けるチャンスがあれば、今度はきちんと言うよ…。おめえが好きだってな。何度も、言ってやるさ。愛してるって…な。』
 いつの間に録音したのか、乱馬の声がしっかりと聞こえているではないか。

「でええええっ!な、何だこれはっ!!」
 勿論、顔は耳まで真っ赤。明らかにパニクッている乱馬。
 傍ではあかねも、ふるふると震えている。

「何って、あんたが口走った言葉よ…。もっと前から聴かせてあげましょうか?…もう、ムードギンギンに出しちゃってさ…。この色男っ!」
 悪戯っぽく笑うなびき。パシンと背中に平手打ちが入った。
「う、嘘だ…。こんなの…。」
 呆けて固まる、二人に、大伯母までが笑い出す。
「ほっほっほ。若いと言うことは楽しいことだねえ…。これじゃあ、魁さんとの縁談はなかったことに、するしかないわね。良いわね。魁さん。」

「ええ。ここまではっきりと、愛を告白されては、僕も「負け」を認めざるを得ませんから…。」
 と魁が面白おかしそうに笑った。
 心なしか彼の顔が晴れやかに見える。

「行くのか?魁よ。」
 たすきが魁を見た。
「ええ、また一から修行をやり直します。今度は鬼の力など借りないで、自分の力で頂点を目指します。」
「そうか…。日々修行。武道家の道をそのまままい進するのだな。魁。」
「はい。…それから、僕も、紅魁へと戻ります…。お爺様。」
 ふっと言葉を継いだ魁。
「葉隠氏へのこだわりは…。」
「捨てました。元はといえば、紅姓が本名ですから。」
 見上げる空に、力強く太陽が昇り始めていた。
「それに…。母が父を愛していたこともわかりましたし、僕を愛してくれたことも…。それがわかっただけでも、良かったと思っています。父も多分…。」
 黙って後ろを向いたまま、俯いている昂を、流し見ながら魁は言った。
「そうだな…。真実は後からついてくるものなのかもしれん。随分、遠回りしてしまったがな…。」
 そう言いながら、目を細めた。
「記憶の中に少ししか残っていない、母ではありますが。母さんの墓土は僕を守ってくれました。それだけで、充分です。」
「いつか、わだかまりが完全に消えたら、墓参りに来い。あれもきっと、土の下でおまえたちを待っているだろうからな。」
「ええ、父と共に、伺います。きっと…。」

「乱馬君。」
 魁は、照れまくり、焦りまくっている乱馬へ向き直ると、真摯な瞳を投げた。
「今回は負けたけれど、次の勝負は負けませんよ。…君が、ニューウエーブの公式戦に臨むのを、心待ちにしています。いつか、試合場で会いましょう。」
 右手を差し出され、呆けていた乱馬の顔が元に戻る。
「ああ、そうだな。今度も負けねえ。絶対に、ニューウエーブの頂点に登りつめてやる。」
「そう、上手くは行かせませんよ。僕が居る限りね。」
「へっ!俺ももっと今より強くなってやるからな。」
「それから、あかねさんを幸せにしてあげてください…。というか、不幸にはできませんね。こんなに皆さんが注目していらっしゃるんですから。」
 とにこっと笑った。
「あかねさんを不幸にしたら、皆に恨まれますよ…責任は重大だ。乱馬君。」
 そう言うと、真っ赤になる乱馬の背中を思い切りトンと叩いた。
「なっ。何なんだ、てめえまで!」
 照れ隠しか、真っ赤になって怒鳴る乱馬だった。

「では、名残惜しいですが、そろそろ…。」
「ああ、またやろうぜ。今度は大観衆の前でな…。」

 互いに、固く握手して、別れた。

 その様子を、黙って見詰める、昂。まだ、わだかまりを全て無くすには、時間が必要なのだろう。始終、口をつぐみ、魁に付き添うように、一緒に、原山を降りていった。

「さて、ワシらも帰ろうか…。かすみが、心配して待ってる。」
 早雲がふっと言葉を継いだ。
「あーあ、俺、腹減ったぜ。」
 乱馬が急にそんな言葉を吐き出す。
「帰ったら、特製お好み焼き、焼いたるわっ!乱ちゃん!」
 右京がそう言った。
「駄目よ、あたしが、美味しい物を作ってあげるの。」
 あかねが、口を挟む。
「げ…。おめえが作るのだけは、勘弁してくれっ!」
「な、何ですってえ?愛する者の手料理は食べられないとでも…。」
「ああ…。今のおめえの腕じゃ、まだ食う気にはなれねえ!」
「乱馬っ!」
「けっ!俺は正直なんでいっ!」
 また、追いかけっこが始まる。

「たく。やっと、素直になったっと思いきや、あれじゃもんなあ…。」
「あれじゃあ、まだ、孫を抱くのは先になりそうだね。早乙女君。」

「つばさはどうする?ワシと帰るか?」
 たすき爺さんはつばさを見た。
「いいえ。もうちょっと、右京様の傍で修行します。」
「そうか。それも、また良かろう…。」
 つばさはにっこりと微笑んだ。
「修行って、あんた、何の修行するつもりなんや?」
「決まってますわ。それっ!」
 そう言うと、つばさは右京の巨大コテと見紛う「着ぐるみ」へすっぽりと身を投じた。
 巨大コテに首から下をすっぽりと包む。
「あんた…。それ…。」
 すっかり呆れた表情になる右京。
「ほら、右京様、一緒に、明るいお好み焼きの未来に向かって…突撃ーっ!!」
「やめいっ!危ないから、こっち、来んなーっ!」
「それそれそれ、突撃ーっ!!」

 朝焼けが真っ赤に燃える。
 朝陽を浴びながら、原山の原っぱを、乱馬とあかね、右京とつばさがそれぞれ、追いかけっこを繰り広げ始める。
 それを見ながら、たすき爺さんも、玄馬も早雲も、大伯母も、腹の底から明るい声で笑って見守っていた。



三、

 大歓声が館内いっぱいに響き渡る。

 ここは都立体育館。
 これから行われる「ニューウエーブの全国学生選手権上位大会」へ向けて、否が応でも盛り上がる。この大会に優勝すれば、無条件で「ニューウエーブバトル世界大会」への日本代表枠の学生代表としてエントリーが決まる。
 それだけに、若き獅子たちの瞳は、どれも真剣そのものだった。

「たく、合宿にも来ねえで…。何やってたのかと思ったら。」
「一人、荒修行してたんだって?」
 同級生たちが、集って乱馬へ声をかけた。
 久しぶりにサークル仲間と合流した。勿論、彼らには、葉隠魁を巡って、いろいろゴタゴタがあったことは内緒になっている。
「この試合も欠席かと思ったよ…。天道といい、おまえといい、有力候補が二人も欠席となると、洒落になんねえぜ。」

「すいません。ちょっと、いろいろごたついてたもんだから。」

 と、向こう側の歓声が一際大きくなる。

 女子部決勝戦が始まるのだ。

「そら、言ってる先に天道の出場だぜ。」
「この前の新人戦デビューも壮絶だったからな。一回生でここまでやれるとは思わなかったけど。」
「そういや、葉隠魁だっけ?天道と結婚宣言とかマスコミで騒がれてたけど…。」
「いつの間にか、否定報道されてたな。何でも、親戚だっていうだけで、それ以上の関係はねえとか。」
「なあ、早乙女、おめえ、あいつんちに下宿してんだろ?何かあったのか?」
 同級生も先輩も、好奇心の目を乱馬に手向けた。

「さあ…。何も聞いてないっすよ。」
 と、乱馬は受け答える。
「それより、始まりますよ。」
 電光掲示板を見上げながら言った。
「ホントだ。見に行こうぜっ!」

 あかねと対峙する相手。これまた、新人戦の決勝で対した相手と匹敵するような、ごつい身体の学生格闘家。

 審判の合図と共に、動き出す。
 猪突猛進する、二つの大きさの違う塊。
 あかねははっしと身構えると、突進する相手の方へ蹴りを突き出す。見事なばねだ。
 対する相手は、一瞬、怯んだが、それでもあかねよりは体重がかなりある。一撃では捕らえきれない。
 と、あかねの身体が一瞬、よろめく。が、すぐに持ち直し、今度は、激しい拳を彼女の前に繰り出した。
 掌の先から、ほとばしる「気砲」。バンッと弾け、相手の巨体が吹っ飛んだ。
 そのまま、仰向けに転がり、微動だにしない。

 わあああっと沸き立つ場内。
 勝者のあかねは、すっくと姿勢を正し、ジャッジを待つ。

「勝者!風林館大、天道あかねっ!」

 その言葉を聞くや、一礼すると、颯爽と引き上げる、女勇者、あかね。
 同級生たちの小躍りする輪にもみくちゃにされながら、乱馬の方へ向かって歩んでくる。


「たく!また、油断しやがって!負けるかと思ったぜ。」
 にっと白い歯を出しながら、迎える乱馬。
「冗談っ!そこまであたし、弱くはないわ。」
 あかねはきつそうな言葉を投げつつも、笑顔だ。
「本物の闘い方、見とけ…。それじゃあ、俺と一緒に世界へ出られねえぞ!」
「そこまで言うなら、一撃で決めてきなさいよ。」
「あったりめえだっ!」

 パアンと高いところで、合わせられる手と手。

 試合に赴く乱馬の背中は、逞しく美しい。

「ねえねえ…あかね。あんた、あんなに早乙女君と仲良かったっけ?」
「どうしちゃったの?何か、夫婦みたいよ。」
「まさか、できちゃったとかあ?」
 同級生たちが、一斉に疑問符を投げつけてくる。

「あら…。あたしと乱馬は許婚同士よ。」
 さらりと流す、返しの言葉。

「え、ええええっ!」
 周りに居た、数人から驚愕の声。そのまま、固まる。
「うっそぉ!」
「ホントに?」
「いつの間に…。」

「前からよ…。高校生の頃からね。」
 あかねは悪戯っぽい笑顔を手向ける。初めて、大学の知人の前に、許婚としての姿を打ち明けた。
 彼女たちにとって見れば、「許婚」という言葉自体が刺激的だったに違いない。

「許婚…。」
「すっごい!」
「そっか、二人ともずっと欠席していたのは、一緒に修行してたんだ!もおっ!羨ましいったらありゃしない!」
「ねえ、本当に許婚なの?」
 我に返った仲間たちが、ここぞとばかりに訊いて来る。
 

「ええ…。乱馬はあたしの許婚よ。これから、一緒に、世界へ羽ばたくね…。」

 すっと向き直る、彼女の視線の先に、その勇姿はあった。
 白い道着に黒い帯を締め、身構える益荒男。
 彼の視線の先には、果てなく広がる、格闘界が見えているだろう。その先に、葉隠魁を始め、まだ見ぬ対戦相手が浮かび上がってくるに違いない。
 濁りの無い真っ直ぐな瞳。
 闇に魅入られなかった、美しい瞳。
 
 そこには、まだ、格闘家としての、真新しい朝陽が昇り始めたばかりだ。








一之瀬的戯言
 長丁場、おつきあいありがとうございました。ゆうに300キロバイトを軽く超えてしまった長編。自作の投稿作の中では破格的に長い作品です。
 書いている間に、咽喉トラブルは抱えてしまうわ、風邪で倒れるわで、結構精神的にきつかったんですが、何とか終われました。
 当初は、微妙な年代の乱馬とあかねの心の葛藤を通した成長を描きたいと思っていたのに、思ったよりもプロットが広がってしまい、結局、心情よりも物語性を重視した作品になってしまいました。
 最近、立て続けで、女乱馬の描写を書いているのですが、その中でも、やっぱり己は「男乱馬書きじゃ!」と思ってしまいました。あかねちゃん至上主義の方々に喧嘩売ってるような描写もありますし…。
 オリジナルキャラを動かすのは楽しかったです。特に、たすき爺さんが気に入ってまして、つばさと絡めた「第九話」が書いていて、楽しかったです。
 初めて自作で動かしたつばさも、思うとおりに描写できたんじゃないかなと思います。しかし…。つばさくんってどんな大人になるんでしょうか?
 乱馬と魁のその後の格闘話も、いつか、また書いてみたいなあと思っています。


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