第十一話 あかねのけじめ


一、

「たく、ふざけた話よっ!」
 鼻息荒く、あかねは言葉を吐き付けた。
 ふっと、意識を取りもどした時の己の格好にも驚いたが、自分の身にふりかかっていた「危機」をかいつまんで、右京や玄馬に聞かされて、不快感を顕わにしていた。
「でも、操られていたとはいえ、嬉しそうにそんな格好しとったんやで、あんた。」
 右京がからかい気味に面白がる。
「鬼の気に支配されていたとはねえ…。」
 なびきも同調する。
「お姉ちゃんも、同じ穴のムジナよ。あたしだけじゃないでしょうが。」
 とりあえず、角隠しや日本髪のカツラはすぐさま外した。素っ裸になるわけにも行かず、着物だけはそのまま、羽織ってはいた。
「そのまんま、葉隠魁の嫁に行きそうな雰囲気やな。あかねちゃん。」
 右京も少し意地悪く言った。不用意に魁との交際を容認するようなデートをしたから、こうなったのだと言わんばかりだ。元、乱馬の許婚の一人としては、嫌味の一つも言いたかったのだろう。
「じ、冗談じゃないわよっ!人の気持ちを操る奴のところへ嫁になんか、行けるもんですかっ!」
 その言をきいて、あかねは吐き付けた。
「でも、乱馬君がこの闘いに負けたら、あんたはこのまま、魁君の元へ嫁がないといけないんじゃないの?」
 なびきは冷静に言った。
「お姉ちゃんまでっ!!」
 つい、怒鳴るあかね。それに対して早雲が言った。
「右京君やなびきの言も一理あるぞ、あかね。」
 難しい顔をあかねに手向ける。
「そもそも、操られていたとはいえ、一度、婚儀を許したのはおまえ自身だ。おまえの慢心や不注意が招いた結果でもあろう。…ということは、いくら、正常な意識ではなかったとはいえ、約束は約束。」
「でも、お父さんっ!」
 そう遮ろうとしたあかねへ、早雲は更に畳み掛ける。
「おまえも武道家ならば、己の不肖から招いた事への決着を、きちんとつけるべきなのではないのかね?あかね。」
 父親の凛とした顔。それに、はっと息を飲む。

 そうだ。元々、己の不覚から、この事態を招いた。
 大伯母が持って来た話を、最初に断っていれば、こんな事にはならなかったろう。乱馬へのあてつけのつもりで、魁とのデート見合いを受けたのは自分だ。

「乱馬君とのことを、考えるのにも、良い機会になるのではないかね。」
 早雲は穏やかだが、決して笑っては居ない。
「そうね…。元はと言えば、あたしが招いた事ですもの…。この勝負、天道家の血を受けるものとして、あたしは最後まで見届ける義務があるわ。」
「そういう事だ。」

「何、あかね君。乱馬は負けはせん。男児とは己の愛する者のためには、実力以上の力が湧き出るものだよ。それに、女から男に戻った奴は、強い。だから、後は、乱馬に任せておけば良い。」
 玄馬が、ふっと言葉を継いだ。

 こくんと揺れる、ショートヘアー。




 微動だにしない、睨み合いが続く、草原。
 ざわめく風の音。空行く雲が茜色に染まり始める。
 斜陽が二人の頬を赤く染める夕刻。
 黄昏時が近い。

 互いに、牽制しあいながら、はっしと向き合う。
 闘気が熱気と共に、上昇する。
 流れ落ちる汗も、気にだにせず、互いの出方を探りあいながら待つ。

 どちらかが仕掛けた時に、何かが起こる。
 そんな、危険な雰囲気を孕んでいる。

 さっきまで、怒っていたあかねも、今は、呼吸をするのもはばかられるほどに、神妙に二人の青年を見詰めていた。
 もし、魁が勝てば、己は、彼の元へと嫁に行かねばなるまい。不本意では有るが、確かに約定したこと。曲げられはしないだろう。彼が勝つということは、乱馬の敗北でもある。
(乱馬、勝てる?)
 思わず心で問いかけている。
 ぎゅうっと握り締める拳。
 いずれにしても、力が拮抗している以上、唯事ではすむまい。
 両人共に、火の点いた目をしている。決してそれは、夕陽の輝きのせいだけではないだろう。
 炎が瞳に宿る。そんな気がした。


 互いの気が一気に高められ始めた。
 背中から炎が上がるのでは無いかと思うほどの「気炎」だ。

 と、気の流れが一瞬、止った。

(動くっ!)
 そう思ったとき、二人の身体が跳んだ。


「でやああっ!!」
「はああっ!」

 激しい、気と気、身体と身体のぶつかり合い。
 どちらも引くことなど考えて居ないようだ。
 がっしと絡み合ったまま、力で押し合う。奥歯で食いしばり、丹田に力をこめる。そのまま、二人の腕や脚が折れてしまうのではないかと、思うほどのせめぎあい。

「だああっ!」
「でえいっ!」

 腹のそこから、唸る声。
 互いに顔の表情が変わるほどに、力で押し合う。

「だあっ!」
「やあっ!」

 一言、吐き出されると、ざっと互いに後ろに跳んだ。
 大きく揺れる、逞しい肩。荒い息が、互いの口から漏れる。汗は吹き上げ、ボタボタと地へ落ちる。
 それを片手で拭うと、にっと笑って見せる乱馬。
 女の時には、ここまで力を出せない。男に戻った、今だからこそ、力勝負が出来る。全身が悦んでいるように思えた。
「強えな…。おめえ。」
 そう、吐き出していた。
「おまえもな…。早乙女乱馬っ!」
 にいっと魁も笑っている。


「強い者同士のみ、知る、闘いの真骨頂か。」
 たすきはにっと笑った。


「また来るわっ!」
 あかねが唸る。


 葉隠魁がすいっと身構えたからだ。
「はあああああっ!」
 そう吐き出すと共に、気弾を乱馬へ浴びせかけた。
 掌から吹き抜ける、大きな気。
「させるかっ!」
 乱馬は両手を前に、がっと身構える。と、魁の気を真正面から受け止めた。弾ける気弾。
 だが、彼もまた「気」を発し、衝撃を逃れた。


(す、凄いっ!乱馬、また腕を上げたわ…。)
 不安と期待、そして羨望の眼差しを、乱馬に手向けるあかね。悔しいが、己の非では無い。高校を出てから、着実に、その力も技も、水をあけられている。
 天道家で、初めて対した頃は、ここまで歴然たる差はなかったろう。
 久しぶりに見る、乱馬の「本気」だった。


 その後も、攻防は続いた。
 拮抗する、技と力。

 だんだんに、陽の力は衰え、闇が迫る刻限となる。
 辺りは沈み行く太陽と共に、光を失い始めた。


「さっきから、気になるのだが…。」
 玄馬が、ぼそっと早雲に語りかけた。
「何だね?早乙女君。」
「乱馬の道着の裾から、何か零れ落ちているのが見えないかね?天道君。」
「零れ落ちている?」
「ああ、ほら、あの左足から。」
「どらどら…。」
 早雲は目を凝らした。
 確かに、玄馬が言うように、キラキラと光る砂のような物が、流れ落ちるのが見える。
「何かまいておるのか?あやつは…。」
「さあ…。砂袋か何かを仕込んであるのかもしれないね。」
「うむ…。」
 気にはなったが、それ以上、言及する事もできず、玄馬は乱馬の足元から目を離した。


 辺りが暗くなり始め、真摯に見詰める、人々の顔が見えなくなりはじめる。「誰かわからない時」、そう言う意味で「誰(た)そ、彼の時。それが、転じて、「黄昏時(たそがれどき)」という言葉が生まれたとも言われている。
「そろそろ、火を入れなければならないのう。」
 大伯母はすいっと立ち上がると、持参していた「灯油ランプ」の火をふっと灯した。
 確かに、そろそろ、夕闇が迫ってきていた。山間の地の日暮れは早い。
「こんな灯りなど必要ないのかもしれぬが…。それでも、無いよりはマシだろうて。」
 そう言うと、早雲を促した。
「私には、このくらいの事しか、役にはたてぬでな…。」
 心なしか、寂しげに言った。
 平らな原っぱの周りには、石像物が点々と並んで立っている。形を成さないものもあったが、良く見ると「石灯籠」も幾つか置かれている。
 元々、鬼塚の周りに築かれていた「燈籠台」らしい。簡単に石を彫り抜かれただけのものもあれば、燈籠の形をした物もある。
 手馴れた手つきで、大伯母は、それらに火を入れていった。わざわざ、幾つか、ロウソクを用意していたのだ。
 風は幾らか出てきてはいたが、燈籠は、乾いた空気の中、すぐさま火が灯った。現代の世に、心細い灯りが作り出す、幻想的な空間。
 かがり火を焚くのと違い、そんなに明るくはならなかったが、それでも、周りを見ることができるくらいにはなった。
 ただ、西側の一面だけは、灯りがない。そう、鬼塚が山津波に飲まれた痕なのだという。崩れた石や土砂の上に、そのまま、茂る雑草。それも、やはり、鬼の怒気のせいか、勢い良く伸びず、土肌が見える。

 火が入りきった頃、遂に太陽の光が、山間から消えた。
 迫り来る暗闇。
 黄昏時には、鬼が通ると言う。誰が言い出したか、そんな言がある。その刻限をも、過ぎ去ってしまった。
 太陽が完全に沈みきった時だ。
 
 気の流れが変わった。
 ドクンと、足元の大地が唸ったような気がした。
 その波動が、葉隠魁の身体に伝わったかのように、一瞬、戦慄いたように見えた。

「てめえ…。日の入りと共に、本性を現しやがったな。」
 魁を睨みつけながら、乱馬が吐き出した。
「ふふふ…。わかるか。さすがだな。」
 対する魁は、不気味な笑みを湛(たた)えはじめる。
「わかるさ…。この気の流れ。どす黒い、鬼そのものの気配。おまえの中から、ぷんぷんと臭ってきやがるぜ。」
 吐きつける乱馬。
 そうだ。確かに、日の入りを待っていたかのように、魁の中から満ちてくる、不気味な気配。得体の知れない妖気だ。
「そろそろ、こいつが、決着をつけたがってるんでな…。」
 ざわめく、大地。ざっと大きな音がして、地面の草が、弥立つようにそそり立った。



二、

「いよいよ、鬼を出すか。ふふ、魁の右目に巣食いし「銀羅邪(ぎんらじゃ)」。」
 その様子を見ていた、昂が楽しそうに、にっと笑った。彼の白髪も、妖気に反応したかのように、ざわっと揺れたように見えた。
「ほお…。あの「益荒鬼(ますらおに)」を出すのか。」
 たすきが、昂の言葉に反応した。
「ふふふ、たとえ、どのくらい、乱馬に修行を施そうと、この益荒鬼には勝てぬわ。じじいよ。」
「ふん、じじい呼ばわりか。彼が、どう闘うか、ワシらは黙って見物するしかないでな。」
「そうだ、奴が、惨めに斃れる場面を、その目に焼き付けるんだな。」



 と、明らかに、乱馬がにやっと笑って、右手の人差し指を高く差上げた。
 それから、それを、突き立てるように、地面へと貫いた。

 どおおおっ!
 鈍い地鳴りがして、風が、波動のように、乱馬の人差し指の突き刺さった場所から、広がり始める。

「貴様っ!」
 魁が物凄い形相をして、乱馬を睨み付けた。
 その様子を、真正面から見て、乱馬はにやりと笑った。


「乱馬っ!」
 思わず、あかねが前に、飛び出そうとした。居ても立っても居られず、少しでも近寄ろうとしたのである。

「来るなっ!それ以上、前に出るなっ!あかねっ!」
 あかねの動きに、反応して、乱馬が怒鳴った。

「あかねっ。彼の言うとおりだ。これ以上、前に行っては危険だ。」
 そう言うと、早雲が、飛び出しかけたあかねの肩をつかんで、ぐいっと引き戻した。
「あかね君、足元を見てごらん。」
 玄馬が、眉間に皺を寄せて、表情一つ変えずに、言い放った。
「足元?」
 言われて、そのまま、目を、足元へ転じる。
「あ…。」
 思わず、言葉が止った。
 真っ白な何かが、地面に浮き上がっている。それは、線で何かを象って、足元から縦横無尽に乱馬の居る、原っぱへと伸びている。
 
「乱馬め。今までの動きは、そういうことじゃったか。」
 玄馬がにっと笑った。
「え?」
 あかねは、はっとして玄馬を見返した。玄馬には、今、乱馬がやったことがわかったらしい。
「ああ、乱馬君は、我々に、鬼の危害が及ばぬように、結界を張ってくれたんだ。あかね。」
「結界?」
「ああ、さっきの銀砂は、その結界を張るための道具だったんだよ、早乙女君。」
 こくんと揺れる、玄馬の頭。
「さっきの銀砂って?何や?おっちゃん…。」
「乱馬の奴、魁の攻撃をかわしながら、砂を落とし、結界を張っておったんじゃよ。ほれ、足元から先を見てみろ。」
「右京さま、あれっ!」
「円陣…。それも、五芒星が組み合わさってるやん。」
 つばさの指差す乱馬たちの足元に、浮かび上がる、結界陣。
「葉隠流に古くから伝わる鬼封じの結界ですわ…。きゃはっ。おじじ様、そんなものまで、乱馬様に教えてたんですね。」
「わかったから、つばさ…。その、きゃはっ!はやめいっ!気色悪いわ。」

「ふん。なかなか、考えたな、小僧。」
 昂が円陣の外側から、乱馬に声をかけた。

「けっ!部外者を巻き込みたくねえしな…。これで、こっちの闘気がそっちへ及ぶこともねえ。」
 背後の声に答えながら、乱馬が言った。

「だが、まずったな。」
 昂はにやりと笑った。
「魁の鬼の気が結界を抜けないということは、即ち、小僧、貴様も、結界の外へは出られないということだ。」

「ああ、もとより承知の上だ。」
 乱馬は静かに言った。腹の底から湧くような声だった。

「結界の外に出られない…。」
 乱馬のその言葉を反芻するあかね。
「なあ、それって、まさかと、思うんやけど……。」
「多分、この勝負に乱馬君が勝たなければ、結界は解けることはない…。そういうことだろうな。右京君。」
 早雲が断言した。
「乱ちゃん、うちらを守るために…。」
「ああ、敢えて、己が身を閉じ込めてまでも…結界を張った。たく、乙な真似を。」



「貴様、馬鹿だな。たとえ、結界を張ろうとも、術者が死ねば…。」
 魁は鼻先で笑った。
「結界は解かれる。それくらいは俺もわかってる。」
「ならば、何故、そんな無駄足を。」
「おまえの中に棲む鬼は、狡猾な奴だからな…。分が悪くなると、「人質」を取ろうなんて、小賢しいこと考えるかもしれねえしな…。それもあって、結界を張らせてもらったんだ。」
 乱馬は魁を睨み返した。
「人質だと?そんなもの、取らぬとも、おまえくらいは倒せる。」
「それはどうかな…。貴様が、丸ごと全部、魁の意識のままなら、それで通るんだろうが…一旦、鬼に身を任せれば、コントロールが利かなくなるんじゃねえのか?」
 乱馬は魁を睨み付けた。
 その言葉に返答は無い。
 更に乱馬はたたみかけた。

「鬼が表面へ出てきたら、奴がおまえを意識ごと乗っ取ってしまうんだろ?ずっと昔から、ここへ封じられてきた「鬼」だ。妖気だって並じゃねえ。卑怯な真似だって何だってやる。それが貴様が飼ってる、鬼なんじゃねえのか?魁っ!」

 魁は口をへの字に結んでいた。

「勝つためにだったら、何でもする。卑怯な事もな…。てめえは数々あった格闘大会で、自分の実力と拮抗するくれえの強い奴とぶち当たった時、大方、鬼の意識が表面に現れやがったんだろ?だから、どんな奴に対しても、冷酷に容赦なく、相手が血反吐を吐いて斃れるまで、激しく戦えたんだ…。違うか?葉隠魁っ!」


「クク…。ククク…。」
 俯いていた魁の口から、笑いが零れ落ちた。
 白い歯をむき出しにして、うな垂れたまま、笑い始めた。肩が不気味に揺れている。

「何が可笑しいっ!」
 乱馬がそう、なじった時だ。

 がっと地面が浮き上がるような感覚を覚えた。
 ざわざわと、足元の草が揺れる。それだけではない。乱馬目掛けて、伸び上がってきた。
 乱馬はその草を薙ぎ払おうと、力を入れた。
「か、身体が動かねえ…。」
 ぐっと、力を入れて、踏ん張ってみたが、手も足も、ピクリとも動かないのだ。まるで、金縛りにあったように、そこへ釘付けされる。

「たく、進歩がねえな…。金色の鬼が、さっき俺に仕掛けたのと同じ技か。」
 乱馬はにっと笑って魁を見た。

「いいや、違う。似て非なる技だ。乱馬っ!」
 くわっと見開かれた魁の瞳。
 そこに、輝き始める、不気味な銀色の瞳。

「乱馬っ!見るなっ!」
 たすきが絶唱したが、遅かった。

 ズクン!
 何かが身体の中で弾けたような気がした。
 と、力が、するするっと抜け落ちていく。
「な、何っ?」
 そのまま、はっとして、足元を見た。
 乱馬をしっかりと掴み取った草が、妖しく銀色に光り輝いていた。いや、それだけではない。その草は、地面を通って、魁の方へと、真っ直ぐに、銀色の草の道を記して伸びていた。丁度、乱馬の足元から、魁の方へ、銀色の草の線が描かれたような感じだ。

「どうだ?乱馬…動けまい。いや、それだけではなく、身体から力が抜け落ちていよう…。」
 魁が笑った。
「魁、てめえ…。」
 乱馬は激しい怒りの表情で魁を見詰めた。
「ふふふ、そのとおりだ。貴様の力は、余すところなく、我が身に降り注ぐ。美味いぞ、貴様の気は。極上の輝きに満ちた気だ。もっと怒れっ!怒れば怒るほど、貴様の発散する気は増え、僕は気太りするんだ。」

「くそうっ!」
 ぐっと、抜け落ちる気を捕らえようとしたが、魁の術が利いているのだろう。全く、効果はなかった。
(そうか…。九能も良牙も、この技でやられたのかっ!)
 乱馬は船の甲板でのことを思い出した。彼らが二人がかりで、魁へと立ち向かった時、二人とも、殆ど戦意を感じることなく、彼の前に沈んだ。良牙が僅かに「獅子咆哮弾」で反撃を試みたが、それは、九能よりも気が多かった事と、気を抜く事に長けていたからで、だが、この技の前にはなす術なく、気を取りもどすことなく、やられたのだ。
(気を抑える方法はねえのか…。)

「さて、お楽しみはこれからだ。」
 魁はにっと笑うと、掌を前に突き出す。そして、動けない乱馬に対して、攻撃を加えた。

「乱馬っ!」
 思わず、あかねが叫んだ。
 
 ドオッっと上がる白煙。
 魁が放った気が、真正面から乱馬を捕らえたのだ。
 白煙が晴れると、乱馬の姿が現れる。

「ふふ。思った以上に頑強な身体だな。」

「あったりめえだ…。これくらいの気、防げる。」
 ボロボロになった道着のまま、はっしと魁を睨みつける。
「気で気を吹き飛ばすか…。乙な真似を。だが、それとて、そうは持つまい。そろそろ、立っているのも辛いのでは無いか?」

「ぐ…。」
 魁の指摘するとおりだった。
 気で気を跳ね返したことで、更に、身体の中から気が抜け落ちた。
 それだけではない。さっきの攻撃をかわそうとしたとき、受けた傷だろう。手先からポタポタと血が流れ始めていた。

「そら、そらそらそらっ!」
 魁は笑いながら、軽い気弾を乱馬に投げ始めた。
「うっ!」
 顔をしかめる乱馬だが、避けることもできない。面白いくらい、魁の放った気弾は、乱馬の身体に命中する。軽い気の弾とはいえ、拳で思い切り殴られたのと相当する破壊力がある。それが、乱馬の顔や身体中へと打ち込まれるのだ。すぐに、乱馬の身体に痣や血が滲み始める。


「なんちゅう奴ちゃ!乱ちゃんをいたぶって喜んどるっ!」
 右京が思わず、顔を背けた。

 最後にミゾオチ辺りに一発食らうと、そのまま、どおっと地面へと倒れた。


「乱馬っ!」
 あかねの悲鳴とも取れる呼び声が響いた。

 その声に、魁はゆっくりと振り向いた。



三、

「あかねさん。あなたに今一度、チャンスを与えてあげましょうか。」
 魁は無機質な笑いを満面に浮かべた。

「チャンスですって?」
 何を言い出すのかと言わんばかりに、厳しい顔を差し向けるあかね。

「ええ…。あなたとて、これ以上、早乙女乱馬が傷つく姿を見たくはないでしょう?ましてや、彼が死に行くところとなれば、もっとね。」
 そう言って笑った。
 思わず、背中が凍りつくような冷淡な微笑みだ。
 魁は倒れこんだ乱馬の頬へと、右足を置く。踏みつけるような格好をして見せる。好戦的な態度だ。ぐっと押さえつけられて、乱馬はそのまま、地面へと這いつくばっている。
 起き上がろうにも、力が出ないのだ。辛うじて、息だけはしている。そんな状態だった。

「あたしにどうしろって言いたいの?葉隠魁っ!」
 勝気な瞳を巡らせて、あかねは魁の方を見据えた。

「そんな怖い顔しないでくださいよ…。可愛いのが台無しだ。」
 魁はふっと笑った。

『そんな、乱馬みたいなことを言って…。』
 魁の物言いに、ついムカッとなったが、その場はぐっと言葉を飲み込んだ。
「お生憎様。この状況でへらへら笑ってなどいられるものですか。」

「おうおう、言う言う。さすがに、気が強いですね。そこがまた、魅力的なんですけど…。」

「ふざけないでよっ!」
 からかわれたと思ったあかねは、つい、勢い良く吐き付けてしまった。

「何…。簡単な事です。今、この時、この場で僕と祝言を挙げるんです。あかねさん。」

「な、何ですって?」
 驚いて魁を見た。

「ここで、僕と祝言を挙げるなら、こいつの命を取るのはやめにします…。」

「もし、嫌だと言ったら?」

「あなたに選択の余地など無い筈。ふふふ。このまま、早乙女乱馬は…。」

 魁はぎゅっと握った右手の拳を、地面の方向へと降り下げた。
 触れてもいないのに、地面がごぞっとえぐりとられる。それも、石を打ち砕いてだ。

「そうね…。あたしに選択の余地はないのね。」
 あかねは、ふうっと息を吐き出した。

「ご承知願えたのでしたら、結界を越えてこちらへいらしてください。」
 魁はにっこりと微笑んだ。逃した獲物は逃がさない。そう言った鋭い光が宿る目であかねを見る。
 金羅邪と違って、銀羅邪には、女を虜にする力は備わっていないようだが、この銀色の目に囚われると、逃れられないという「恐怖」さえ、心に湧きあがるような気がした。
「返事は直ぐにね…。僕はせっかちなんだ。あかねさん。」
 ぐわんと、唸るような瞳がこちらを睨みつける。

「わかったわ…。」
 あかねはコクンと頷いた。

「物分りが良いのは素敵ですよ。あかねさん。」
 魁は勝ち誇ったように笑った。


「来るな…あかね。結界を越えちゃ駄目だ。」
 魁の足元で、乱馬が呻くように言った。

「ほお、驚いた…。まだ、意識があるんですか?」
 魁はそう言うと、足元に向かって、再び気を投げた。
「うわあっ!」
 電撃のように、気の流れが乱馬に伝わった。ぶすぶすと音を発てて、乱馬の身体がくすぶる。
「おとなしく寝ていなさい。邪魔ですよ、あなたは。」
 そう、乱馬に向かって吐きつける。
 電撃がかなり効いたのだろう。乱馬はそのまま、。ピクリたりともしなくなった。

「さあ、あかねさん。早くこちらへ…。」
 魁はあかねを呼んだ。



「あかねっ。行ったらあかんっ!」
 右京が彼女を止めようとした。
 その制止を、あかねは笑いながら振り切った。

「あたしがまいた種ですもの…。きちんと決着をつけて来ます。」
 凛と答える。
「あかね…。良いのかね?」
 早雲が、心配げに見詰めた。
「良いの。あたしも武道家の娘。いえ、武道家の一人です。」
 コクンと頷き返す。
「ならば、これ以上は何も言うまい…。」
「お父さん、お世話になりました。なびきお姉ちゃんもね。」
「あかね…。行くのね。」
「かすみお姉ちゃんによろしく。早乙女のおじ様も、右京もつばさ君も、ありがとう。」

 あかねは一つ、ぺこんと頭を下げると、ぐっと結界の前に立ち止まった。それから、意を決するように、中へと足を踏み入れた。

「あかね君っ!」
 思わず手が伸びた玄馬。
 と、その手に結界が触れたのか、バチバチっと音がして、後ろへと弾き飛ばされた。
「な。何だ?この結界は…。」
 尻餅をついた格好で、飛ばされた玄馬が、驚きの声を上げる。



「何、あかねさんがこちらへ来てくださったのでね…。僕が更に結界を強くしてさしあげたんですよ…。邪魔が入らないようにね。」
 と、魁がにんまりと笑った。


「用意周到なやつめ!」
 思わず、憎々しげに玄馬が吐き出した。
「そうか。誰にも邪魔立てはさせぬ。そういうことか。」
 早雲は落ち着き払っていた。普段の彼なら、娘の危機となると、平常心を失うのであろうが、今回は、それがない。予め、己の腹も決まっていたのかもしれない。



「改めて、祝言です。あかねさん。」
 魁がにんまりと笑った。
 あかねはそれには答えず、びしっと、真っ直ぐな瞳を魁に手向けていた。
「案外、手厳しいんですね…。まあ、良いでしょう。ここで鬼神に誓いを立てていただければ、それで事は終わりますから。」

「誓い?」

「ええ…。」
 そう言いながら、魁は懐から小さな盃を取り出した。ずっとそれを忍ばせていたのだろう。
 それを取り出すと、カッと両手を差上げた。と、その中に、途端、何やら妖しげな透明な液体が現れた。
「これを飲んでくださればいいんです。いわば、かための盃です。」
「これを…飲むの?」
 思わず訊き返していた。
 それはそうだろう。誰だって、得体の知れぬものを、口に含むのは躊躇われる。
「ええ、この甘露を飲めば、あなたも、僕の中に流れる「鬼」と同化できる。そう。晴れて夫婦となる事が出来るんです。」
「甘露ですって?」
 怪訝な顔で問い返す。
「ええ、甘露です。と言っても、この辺りに漂う、天道氏に滅ぼされた鬼の無念の涙みたいなものですが…。」
「鬼の邪気と言うわけね。」
 魁はそれには明確には答えない。だが、恐らく、そういった類の液体なのだろう。妖気が漂っているように見えた。
「これを飲めば、乱馬は解放してくれるんでしょうね…。勿論、お父さんたちにも危害は加えないと…。」
 あかねは念を押すように言った。
「ええ、約束して差上げましょう。」
 ふうっと魁の笑顔が浮かんだ。
 

「ええんか?おっちゃん。あのままやったら、あかねちゃん、あの液体を飲んでしまうで。」
 右京が傍らの早雲や玄馬に語りかけた。
「そうは言っても、魁の巡らせた結界は、我々には越えられん。」
 悔しそうに玄馬が言う。
「つばさっ!何とかできひんのか?」
 がっと、傍のつばさに食って掛かったが、
「駄目です。僕にも策はありませんわ。右京様。」
 そう、答えるしかなかった。
「あかねちゃん!そんな奴の言う事、信じたらあかん!さっき、乱ちゃんが言ったやないかっ!乱ちゃんの張った結界は乱ちゃんが勝つか、死ぬかしないと、解けへんって!あかねちゃんが、それを飲んだら、そいつのことや!乱ちゃんを殺ってしまう気やで!」
 声の限りに叫ぶ右京。



「ぎゃあぎゃあとうるさい連中だな。無粋な!」
 そう言うと、魁は再び、何かを念じ始めた。
 と、ぽわんと、結界の周りの空が、淡く光りだした。まるで、そこにドームでも出来たような丸い輪が、壁を作った。



「な、何や?」
 と、あかねや魁の声がトンと伝わらなくなった。いや、そればかりではない。幕が張ったように、中の魁とあかね、そして、乱馬の三人の姿が見えなくなった。
「む!魁の奴、何か妖術を使いおったな。」
 玄馬も一緒に声を出した。
「な、何も見えんようになってもうたっ!」
 右京も目を見張った。
「あかね…。乱馬君。」
 早雲が、ぐっと咽喉を詰まらせた。
「見なされ…。辺りの妖気が、あの輪の中に吸い込まれていく。」
 大伯母が辺りを見ながら促した。
「これは…。」
「何?このものごっつい、妖気は……。」
 右京も目を見張った。
「この辺りは、天道氏の祖先が倒した鬼を封印した地。鬼塚があった場所だからね。二十余年前のあの台風の時、鬼塚が潰えてからも、この地から逃れることはできない鬼の魂魄もあるはず。それが、土塊から染み出して、魁の張った結界の中心へと雪崩れ込んでいるんだよ。」
 今まで口が重かった大伯母が説明し始めた。
「婆ちゃん、鬼って魁が両目に飼ってた、二匹とだけと違うんか?」
 右京が問いかけた。
「金羅邪と銀羅邪は封じられた鬼のうち、そこそこ強い鬼の霊気の二つの集合体に過ぎないんじゃよ。金羅邪は女鬼、銀羅邪は男鬼。本来、金羅邪は女性にしか憑依しないのだが…。」
「それが、魁君の瞳の中に居たというのですか?大伯母様。」
 早雲が思わず問いかけた。
「おそらく、昂へ憑依した物がそのまま、魁へと転生したのだろう…。本来、あの鬼は対で一つの巨大な力を持つと言われている。二つの超力が合わされば、或いは、この世の中を、転覆するほどの妖気を持つとも、伝えられて居たが…。」

「ふふふ、さすがに天道宗家を預かる、婆様だ。その通りですよ。玉婆様。」

 すっと背後から声がした。
 いつの間にか、対極位置に居た、昂が、早雲たちの傍まで回りこんで来たのだ。彼の直ぐ傍には、たすきも立っていた。

「昂…。久しぶりだね…。」
「ええ、二十数年ぶりですね…。」
 何とも空々しい対面であった。
「一つだけ、貴様たちに教えておいてやろう…。魁があかね嬢と結ばれた時、新たな時代が幕を開く。太古の鬼が復活し、奴らがこの世の覇者となり、君臨する。」
 昂はにやっと笑った。
「な、何言い出すんや?おっちゃん…。そんな現実離れしたこと…。」
 右京が驚いて見返す。
「信じぬならそれでも良かろう…。だが、魁もあかね嬢も鬼に魅入られた人間。奴らの血が混じりあうとき、天道氏と葉隠氏、古来の鬼退治の家は、鬼の始祖となる…。皮肉なことよなあ…。封じた筈の鬼どもに、蹂躙されて…。ここまでお膳立てするまで、長かったよ。まずは、葉隠氏に鬼の血を注ぎ入れ、比奈を身篭らせて魁を生ませ、そして、早雲、貴様の末娘を魁とまぐあわす。ワシは宗家の正しき血筋ではないらしいからな。」
「ほほう…。やはり、それが狙いだったのか。鬼の奴らは。」
 たすき爺さんが後ろから、声をかけた。穏やかだが、抑揚がなく、どこか凄みがある声だった。

「ほんまに嫌な親父やな。つばさ…。」
 昂の言葉を聴きながら、こそっとつばさに耳打ちする右京。
「あんなのが舅になったら、あかねちゃん、絶対苦労するわ…。」
「そういう問題ではないと思うんですけど…右京様。」
 珍しく、つばさが突っ込みを入れていた。

「しかし…。女鬼の金羅邪の方は、さっき乱馬がここに封じていたが…。」
 玄馬がぼそっと言った。確かに、先ほどの闘いで、乱馬が預けた札に、金羅邪が封じてある。
「おっちゃん、あかんっ!そんなもん、無用心に取り出したらっ!」
 右京が声を上げた、その時だ。
 昂の目が妖しく光った。そして、玄馬の手にした札を、ザッと引き剥がし、掠め取った。

「しまった!」
 玄馬は焦ったが、一瞬、遅かった。

「ふっふっふ。馬鹿め。そちらから、差し出してくれるとはな…。」
 昂がにっと笑った。その手には、しっかりと札が握られている。

「か、返せっ!」
 玄馬が声を張り上げて、突っかかってきたが、昂は、はらりを身をかわした。
「昂兄さんっ!それをどうするんだ?」
 早雲も一緒に飛び掛ろうとした。
「しれた事。こうするのよ!」

「あああっ!」
 一斉に、みんなの声が集中した。
 その中を、昂は、掠め取った札を、目の前でビリビリと破った。
 もわもわっと上がる、鬼の霊気。
 そいつは、空でにっと笑ったように見えた。
 その場をすいっと一巡りすると、そいつは、すうっと結界の中へと消えていった。

「もう!どないすんねんっ!おっちゃんっ!乱ちゃんにしっかり預かっときって言われたんやないのか?」
「う、う…。右京君。そんなこと言っても…。」
「うう、うう、言わんと、責任取りっ!」
 そう言って、思いっきり玄馬の尻を蹴り上げた。
「うわあああっ!」
 結界の中へ入ることかなわず、手前で、玄馬はビリビリと結界の電撃に打たれた。
「たく、結界も破られへんのかいな…。無芸大食なだけやな、おっちゃんは…。」
「んなこと言ってもぉぉぉ!」
 結果の壁に打たれながら、玄馬はそのまま、沈んでしまった。


 そんな、おちゃらけた玄馬たちとは打って変わって、昂とたすきは、早雲のすぐ傍で、火花を散らせていた。
「昂、貴様、あの、金羅邪、再び魁の身体に戻すつもりで投げ入れたのか?」
 厳しい表情で問い質す。
「いや…。あの鬼は魁の中には戻らぬよ…。新たな憑依体が中に居るのでな…。」
「もしや、あかね君のことか。」
「おうさ…。ふっふっふ…。中にはまだ、銀羅邪を宿したままの魁も居るでな…。」
 早雲たちと反対側の端から黙って眺めて居た昂が、勝ち誇ったとばかりに、たすきに言った。
「さて…。それはどうかのう…。まだ、乱馬との勝負は終わっておらぬと思うがなあ。」
「何を言い出すかと思えば…。負け惜しみか?あの状態では、早乙女乱馬は最早、戦闘不可能。無様にも転がって、気を失っているだけではないか…。」
「じゃが、奴はまだ、リタイアを宣言したわけではあるまい?」
「同じ事よ。意識を失ってしまってはな。いずれにしても、遮断された空間の中で、事は進む。あと一刻もすれば、結界も解け、鬼族の「アダムとイブ」が生まれるさ…。この世を人間に代わって支配するな…。」
「そう、上手く行くかな…。」
 たすきは、不敵な笑いを浮かべていた。



つづく




一之瀬的戯言
 結界へ入っていった金羅邪の妖気はあかねちゃんに憑依するんでしょうか?それとも…。
 乱馬、気を失って寝てる場合じゃないぞ、気合入れて頑張らんかいっ!(笑


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