翌日から、臨海学校が開催される。
一応、クラスごとに行く場所や日程が、若干ずれている。クラスごと、林間か臨海かを選び、割り振られる。
俺たち二年F組は、今日から三泊四日の日程で、神奈川方面へと行くことになっていた。
朝早く、高校へ集合し、そこからバスで移動するのだ。
一クラス、四十名。男子二十二名、女子、十八名…。それが、今のクラスの状況だった。
班はそれぞれ、八名ずつの五班に分かれている。
俺は、五寸釘と大介とひろし、それからウっちゃんとゆかりとあかねとさゆり…で構成されていた。一応、担任のひな子先生が独断と偏見で決めた訳だが。決める時にもすったもんだがあったのは、メンバーを見れば一目瞭然だろう。
不器用で泳げないあかねのお守役にと、俺が一緒の班に組み込まれたのは良いとして、そうなれば、ウっちゃんが出歯ってくるのも頷ける。それに、放っておけば何をしでかすかわからねえ、五寸釘も一緒に押し込められてしまった訳だ。
俺としては、気心が知れた、ひろしと大介が一緒なのは、ある意味有難かったが、何とも、度し難いメンバーではあった。
「えーっと、二年F組のみなさーん。揃ったかな?」
ひな子先生が、マイク片手に集合した俺たちを前に、話しかけて来た。
「F組のみなさんと、これから、目的地までバスで向かいまーす。バスに乗ったら、目的地まで休憩場所はありませんから、各自、おトイレは済ませておいてくださいねー。でないと、大変ですよー。それから、酔いそうな人は酔い止めを飲むのを忘れないでくださいねー。返事は?」
「うおーす…。」「はーい。」
パラパラと返答を返す生徒たち。
「皆、もっと元気よくっ!手を上げて、はーいですっ!」
あのなあ…。小学生じゃねーんだから…。
思わず、苦笑いが漏れる。
「それから、一緒に行ってくださる、特別トレーナーの方たちを紹介しまーす。」
ひな子先生は、にっこりと笑った。
「特別トレーナーだあ?」
ざわつく周りの連中。
「はい、静かにーっ!一応、水泳教習が目的なので、助っ人として、風林館大学の水泳部の方八名に参加していただきまーす。いずれも、精鋭のスイマーのお兄さん、お姉さんたちばかりですから、皆さん、仲よくしてくださいねー。」
ひな子先生の案内と共に、ぞろぞろと校舎脇から出て来た大学生たち。
「え…。」
その中の数人を見て、俺の視線は凍りついた。
風間駿…。それから、見たことがある顔が二人。ゆかやさゆりたちと一緒に居た、野郎たちだった。
(風林館大学の学生だったのか…。)
キッと俺は駿の方へと、視線を投げかけた。
そいつは、ニッと不敵な笑いを、俺に対して一瞬、手向けてきたように思う。
「わああ…。やっぱ、風間さんたちが言ってたこと、本当だったね。あかね。」
「うん、そうだね。」
「うちの班には、誰がつくのかな…。」
「海野さんだったらいいなあー。」
「女の人だったら、どーする?」
「もう、誰でも良いわよ。」
ゆか、さゆり、あかねの三人の会話が、否が応でも耳に入って来る。
「おめーら、あの水泳部の人を知ってるのか?」
大介が俺の聞きたいことを、ズバッと斬り込んだ。
「ええ。この前の旅行で知り合って、仲良くなったのよ。」
「旅行…って、今月の初めに行った、一泊の温泉旅かな?」
ひろしが突っ込んだ。
「そーよ。帰りがけの電車の中で知り合ったのよ。」
きっかけはそこにあったのか…。ってことは、あいつ(風間)と知り合ったのは、偶然だった訳か…。
俺は耳をそばだてながら、こいつらの話に耳をそばだてていた。
「で、あかねが泳げないって話になって…。泳ぎ方を教わりがてら、プールへ行ってたのよ。」
…なるほど、そういう経緯(いきさつ)があったのか…。
「グループ交際しようって迫られたとかか?」
「やだー、そんな訳ないでしょ?」
「下心があるんでねーのか?」
「あんたたちじゃあるまいしー!」
「第一、あかねには乱馬君が居るんだから。ねえ?」
とあかねを突いた。
「ええ…まー、そうね…。」
が、あかねは俺から、意識的に視線を反らせてやがる。どうやら、俺に対して、一言も、水泳教室の話をしていなかったことを、こいつなりに、不味いとでも思っていたのだろう。後ろめたさがどこかにある様子だった。…いや、それとも、あの風間という野郎と、何かあったのか?
俺は俺で、不機嫌な顔を手向けていたと思う。
黙って聞いたまま、一言も発せない。
もっとも、あかねが俺に対して「隠し事」をしていたという事実と、あの風間という野郎に「宣戦布告」をされたことで、相当、苛立っていたことに間違いは無え。
(風間駿か…。)
奴の瞳は、不敵に俺とあかねを捉えてくる。
奴があかねと知り合ったのは、偶然だったとしても…その先には、俺やあかねに対して、敵意があるに違いなかったからだ。
昨夜…あれから、何事も無かったかのように、俺が帰り着いた時、あかねは準備を始めていた。水着だの着換えだの、旅行鞄へと詰めている。
女っつーのは、何でこう、荷物が多くなりがちなのだろうか…。
スクール水着以外でも良いという。水着を並べて、どれにしようか、思案してやがった。勿論、昼間、一緒だった、あの風間とかいう野郎のことは、あかねの口から一切、語られることは無かった。
それはそれで、複雑な想いが俺を捉えて行く。
少なくとも、今のあかねからは、そいつに靡いた風は見受けられねえ。だが、何故、俺に黙っていやがるのか…。それに、あいつは、俺に宣戦布告をして来やがったのか。そもそも、どこで出会ったのかも、今のところ一切が不明だ。
なびきに聞きだして貰うこともできただろーが…。あの業突く張りのことだ。情報量を寄こせと言うに決まっている。それはそれで、気が引けたので、頼みはしていない。
だからと言って、このまま、何の知識も無いのは、圧倒的に不利だ。ということは、自分である程度、調べるしかねえ…。
夕食後、あかねが準備に夢中になっていることを確かめた上で、俺は、親父相手に、問い質していた。
「親父…無差別格闘流は天道流と早乙女流の二派しか存在していねーんじゃなかったのか?」
「あん?何じゃ?藪から棒に…。」
縁側で涼をとりながら、へぼ将棋を差していた親父へとにじり寄った。
「いかにも、天道流と早乙女流の二派だけしか、現存はしておらんよ。乱馬君。」
一緒に将棋の駒を動かしていた早雲おじさんも、口を挟んで来た。
「じゃあ、無差別格闘風間流ってーのは何だ?無差別格闘流の一派なのか?」
詰め寄った俺に対して、明らか、親父たちの顔付きが変わった。
「風間流だって?」
「おい…乱馬。貴様、どこでその名を聞いた?」
反対に、聞き質して来やがった。
「今日、今さっき、風間駿っていう奴が、俺に宣戦布告を叩きつけて来やがった。」
「風間駿…だと?」
「早乙女君…。もしかして…。奴の息子ではないか?」
俺の言葉に、お茶らけていた親父たちが真顔になった。
「どんな宣戦布告を叩きつけてきたのかね?乱馬君。」
「果たし合いか?」
「いや…俺に対して、あかねを奪取してやると言いやがった。」
「あかね君をだと?」
「それは本当かね?乱馬君。」
二人は俺に迫って来た。
「ああ…。俺は良く知らねえが…既にあかねには絡んでいるみてーだぜ。」
と言い放った。
「そうか…。」
「それは、ちいと、厄介なことになるかもしれぬなあ…。」
二人は、困ったというような表情を手向けた。
「そもそも、風間流ってーのはどんな流儀なんだ?で、何故、俺やあかねに絡むんだ?」
「話せば長くなるなあ…。」
「ああ…。」
と、そこへあかねが茶の間へと入って来たから、俺は慌てて、話を切った。
「あかねには聞かせたくねえーから、後で聞くぜ…。」
最後には風間から直接宣戦布告を受けた俺だが、俺がデバガメしていたことを知られるのは、少し後ろめたかった。
で、結局、話はそこで止まったままだった。
俺は俺で、自分の準備をしなきゃならなかったし、親父たちも、月がきれいだとか何とか言いながら、将棋をさしつつ、酒を飲み始めてしまったからだ。
そうなると、こっちがいくら話題を振っても、まともな会話は出来ねえ。
俺も、まさか、奴が臨海学校に絡んで来るとは思わなかったから、帰って来てから、詳しく聞こうと思って、そのままになってしまったのだ。
俺たちを乗せたバスは、そのまま高校を出発して、昼前にようやく目的地に着いた。
海岸の町から連絡船でちょっと海に入った小さな島のキャンプ地だった。
そこを貸し切り状態で風林館高校がお盆以降、使っているらしい。
ま、あくの強い連中が多いから、一般人とは離れていた方が賢明だろうとは思う。
俺たちの前に、ここを使っていたのは、B組とD組だ。それで、俺たちが最後の組となる。
上陸して、最初に入村式だ。まあ、これも、普通のキャンプ場とそう変わらねえだろう。
「ここで、三泊四日間、自炊して過ごします。それから、それぞれの班に、風林館大学の学生さんを一人、アドバイザーとして付けますから、仲よくしてくださいね。」
ということで、謀ったかのように、俺たちの班に風間駿が割り当てられた。
最初は、自己紹介がてら、トレーナーの大学生を交えて、ミーティングから始まった。
「わああ、風間さんが一緒だなんてー。」
「よろしくお願いしまーす。」
ゆかとさゆりは顔見知りの余裕か、嬉しそうな顔をした。
あかねは…?それなりに、にこやかな顔をしてやがる。まあ、こいつは、あんまり俺以外の奴に、もろに感情をむき出しにはしねーから。当たり障りのない感じかな。
大介やひろしは、あかねたちが知り合いだと言うことを知って、
「この前、一緒に居た大学生だろ?」
「乱馬…大丈夫かあ?」
とか何とか言って、どちらかというと、俺に対して、興味津津の瞳を投げかけてきやがる。
「何や、あんたら、知り合いやったんかー。」
ウっちゃんはウっちゃんでさばけている。さすがに、客商売をやっているだけのことはある。
五寸釘は藁人形を握りしめて、「あかねさんと仲良くしやがってーっ!僕だってちょっとしか話せないのにー。」とか何とか言いながら、悔しげだ。
「僕も、知り合いばかりで、ちょっと嬉しいよ、よろしくね。」
などと、営業的なスマイルで、風間の野郎は、俺たちに対した。
「風間さんは、風大水泳部のホープなんだって。」
ゆかが紹介した。
「だから、あたしたち、風間さんと海野さんと山田さんの三人に、公営プールでコーチして貰ってたんだ。」
…最初はあかねの専属コーチは俺だった筈なんだが…。まあ、ずっと、昨日までアルバイト三昧してたから、あいつのコーチは途中で放り出したままになっていた。
「で?この不器用女は、泳げるようになったのか?」
チラッとあかねを見ながら、ゆかへと尋ねる。
「うーん…残念だけど。まだだよね?あかね。」
「うん…。」
コクンと揺れるあかねの頭。まあ、無理は無えわな。…りんねが除霊した時も、あたふたしていたもんな。こいつのカナヅチは、そう簡単に返上できる訳がねー。
「ま、せいぜい、足引っ張らねーよーに、海では静かにしてるんだな。」
その言葉を聞いて、むかっとしたあかねは、途端、きつい肘鉄を一発、俺に食らわせやがった。…たく、すぐ手に出るその癖の悪い手…何とかしろっつーのっ!
「まーまー。プールより、海の方が浮きやすいから。」
穏やかに風間は、俺たちの間に入って来やがった。
「けっ!プールで泳げねー奴が、海だと、もっと大変だぜ?自然を甘く見ちゃ、いけねーぜ…。」
と吐き付ける。
「じゃあ、あかねちゃんがこのキャンプ中に泳げるようになったら、君はあかねちゃんの許婚を返上するかい?」
風間はそんな言葉を投げかけてきやがった。
一瞬、凍りつく、あかねと俺。
あかねは思い切り、「へっ?」という顔を、風間へと手向けやがった。
「論外だね…。」
俺は、奴へと吐きかけた。
「ほう…論外だって?」
「ああ…。この不器用女、あんたがプールで指導しても、これっぽっちも進歩しなかったんだろ?それじゃあ、てめーに分が悪すぎらあ…。それに…こいつと俺は親同士が勝手に決めた許婚だから、どうこう、てめーが口を挟む関係じゃねーんだよ。」
ムスッと答えた。
「せや…。風間さんとやら…。あかねちゃんと付き合うのは自由やで。乱ちゃんには、ウチという許婚がもう一人居るんやから。」
右京が声を挟んだ。…また、こいつも、波風を思い切り荒立てるようなことを、ポンポンと口にしやがって。
「へええ…君には、二人も許婚が居るのかい?」
「せや。だから、別に、あんたらが、仲よくなろーが、好きにしたらええ。なあ。乱ちゃん。」
「そうです。別に、乱馬との関係は形骸的なものですから。」
と、あかねまで、ムスッと言葉を挟んで来やがった。きっと、右京の言葉に大きく反応しやがったな。
「なるほどね…。じゃあ、僕は僕の判断で、いろいろ動かせて貰うよ…。それに、僕は水泳指導に来たんだから…。海での行動は、一応、僕の言に従ってくれたまえよ。泳ぎが得意だからと言って、勝手な行動は慎んでくれたまえ。」
だったら、最初に煽るようなことを言うなよ…。
「みなさーん…。お昼ご飯が届きましたよ。夕ご飯からは班でそれぞれ作って貰いますから、そのつもりでねー。」
ひな子先生が拡声器を使って、それぞれミーティングしている班に向かってがなっていた。
「じゃ、俺、昼飯取ってくるわ。大助、手伝え。」
そう言って、その場から離れた。
で…配達された弁当を配る人を見て、思わず目を見張った。
「い…郁さん?」
そう、アルバイト先の女主人、藤代郁美さんが、弁当を配っていたのだ。驚かねえ筈が無い。
「あら…乱馬君。奇遇だねえ。」
とニッと笑った。
その背後で、恐らく、怪我をしていたアルバイト社員だろう。せわしなく動いている若い男が一人。そこそこ筋肉マッチョな野郎だった。でぶっちょとまではいかないが、それなり体重がありそうな、色黒の熊みてーな若い奴だった。頭に白鉢巻を巻いてやがる。
「何やってるんですか?」
思わず、郁さんに問いかけていた。
「何って仕事だよ。」
「仕事って…。」
「便利屋の仕事。風林館高校のこのキャンプの食事補助を依頼されたんだ。」
「あ…そうなんですか。」
「言ったろ?袖振り合うも多少の縁…ってさ…。」
何故だろう。その時、思ったのだ。
俺の力とは別の範疇で、何かしら「陰謀」めいた黒い影が動いているのじゃねーかと。
役者が揃い過ぎている。
謎の無差別格闘風間流の使い手、風間駿。それから、郁さん…。そして、渦中に担ぎ出された、あかねと俺…。
この臨海キャンプ…。一筋縄じゃあ、終われねーってか…。
まだ光り輝く、真夏の太陽が、延々と空から俺たちを照らしつけていた。
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