…ふうう…。
朝からため息が漏れる。ふと傍を見ると、あかねにシャンプーそれから美玲さんとパンダ化した親父が眠っている。
ただでさえ、冷房が無い俺の部屋。そこに幽霊含めて四人が、雑魚寝状態。
布団は敷かれていたが、こいつら全員、縦横無尽な寝相で眠ってやがるから、その役割を全然果たしてねー。
あれから、郁さんは、美玲さんについて、色々教えてくれた。
健太郎さんとデートの帰りに事故で死んじまったこと…。健太郎さんは殆ど即死で、美玲さんは本人が言っていたとおり、数か月生死をさまよい、そのまま目覚めることが無かったこと…。
で、その翌年、美玲さんは盂蘭盆会に自分の自宅へ帰らずに、何故か、健太郎さんを求めて、彼の家に戻っちまったそうで…。彼恋しさのあまりに、健太郎さんの家でお盆を過ごしたが良いが、健太郎さんの遺影の前で、ずっと泣いたりわめいたりしていたこと…。
健太郎さんちの家族がその気配を察しちまったらしく…。見えるところまではいかなかったが、美玲さんの気配を感じて、音までは聞こえていたそうで…。
何か悪いもんでも憑いちまったんじゃねーかと、つてを辿って、郁さんに鑑定して貰った…というのが真相らしい。
郁さん…。便利屋の経営者だが…。実は、霊的なものを感じて、祓えないが、ある程度鑑定できる能力を持っているのだそうで…。
「寺の生まれだからねえ…。幼少の頃から、見えちゃうんだわー。」
と、けらけら笑いながら、説明してくれた。
「ま、そんなに災いにならない、軽度の霊魂だってことがわかったんだけど…。できたら成仏させてあげたいって、最初は思ってさあ…。いろいろ手を尽くしてみたんだけど…。それが、なかなかうまくいかなくてねえ。」
「ってことは、郁さんにも美玲さんが見えてるのかよ?」
俺が突っ込むと、
「前は見えてたけど…。今は見えてないよ。」
と軽く返された。不可思議な言葉だ。
「何で見えねーんだ?」
「そのお守りのせいさ。」
と俺の胸につらさがった「恋愛成就」のピンクのお守りを指差した。
「あん?」
「そのお守りに、霊媒師としての私の念を込めてあってね…。その念のせいで、お盆の期間中はそのお守りを持つ者が、あたしの代わりに、美玲ちゃんが見えてしまうようになっているって訳。」
「じゃあ、何か?こいつのせいで、俺とか、俺に関る特異体質の人間に、こいつ(美玲さん)が見えるってか?」
「よくわかってるじゃない。その通りよ。」
褒められても、何故か嬉しくねえ…。
「で、健太郎さんの家族から、お盆の三日間は、どうも家の中が騒然となるから、鑑定してみてくれないかって依頼されて…。」
「で?こいつ(美玲さん)を見つけたって訳か。」
「そーゆーこと。何とかならないかって相談されちゃってさー。だから、こうやって、毎年、バイト君を雇って、健太郎さんの遺品を身につけて貰って、お盆を過ごして貰ってるってわけ…。わかった?」
「わかったって…。おかげで、迷惑してんだぜっ!」
「だから、バイト料も破格でしょ?」
一刀両断だった。
そりゃあ、破格値のバイト料金なのかもしれねーが…。
ぐうの音も出なかった俺であった…。
まあ、昨日は、そんなやり取りをしてきた訳だ。
☆★☆
開けて翌日。
朝ごはんが終わって、道場で汗を流す。
幽霊に取り憑かれていても、サボる訳にはいかねーからな…。
あかねとシャンプーは貼り合うように、俺の傍に居るし…。美玲さんも傍で浮かんでくれているし…。親父もあかねに首根っこをつかまれて、同席させられているし…。天道家の他の面々も、好奇の目で俺たちを見守ってるし…。
落ちつかなさ、百パーセントだぜ…。たく…。
『あーあ…今年もこの分だと、成仏は無理ねえ……。』
たっぷりと汗を流した後、美玲さんがポツンと言った。
「え?おめー、成仏してーの?」
タオルでごしごし汗を拭いながら、美鈴さんを見上げる。
『そりゃそーよ。成仏しないと転生もできないからね…。』
「そのさあ…おめーが成仏できねーのは、何故だ?」
肝心なところを聞いてみた。
『幽霊が成仏できない理由…それは、未練でしょ?何、当り前のことをきいてるのよ…ダーリン。』
「だからあ…その、おめーの未練って何だ?」
『うーん…。』
首を傾げながら美玲さんが考える。
「その…未練になりそーなこととか…。具体的にねーのか?」
『急に言われても…。』
考え込んで、ポンと手を打つ。
『一つだけ心当たりがあるわっ!』
「何だ?」
問いかけると、
『デートの最中の事故だったからねー。ほら、恋人同士のデートの必須行動。』
「あん?」
『それは、キスーッ!』
ずるっと前のめりにつんのめる。
と、背後でシャンプーがゴゴゴと気焔を吹き上げた。彼女は俺と美玲さんのやり取りが聞こえているから、動作が速い。
やや遅れて、親父に通訳してもらったあかねが、同じように気焔を吹き上げやがった…。
『ねえ…。成仏するために、キスしてくれる?ダーリン…。』
美玲さんの手が首根っこへ巻き付いて来た。
すると、シャンプーが傍に立った。それから、あかねも反対側に立った。
二人とも、きついまなざしを俺に手向けて来る。
「あわわ…美玲さん、冗談は…やめましょ…。」
何故か、語尾が丁寧語になりつつ、振り切ろうとする俺。
「乱馬…。私の前でキスしたら、どーなるかわかってるあるね?」
ぽきぽきとシャンプーが手の骨を鳴らす。
その横で、あかねが無言で拳を握りしめている。
ある意味、こっちの方が、幽霊よりもおっかねー。
『私も成仏したいから…。ねえ…ダーリン。』
そんなあかねとシャンプーをからかっているのか、美玲さんはもっと身体を密着して来る。
「乱馬っ!」
血相変えて、シャンプーが荒い声を出した。
あかねは脇にバケツを抱えて、実力行使…。次の瞬間、女化させられちまった俺。
「汗、これで引くでしょっ!」
とか、何とか、訳の分かんねーこと言って、水ぶっかけるなよ…。
脇で、シャンプーが…ナイスある!…とか喜んでやがるし…。
『あらあら…。女化させられちゃったの…。残念!』
などと、俺の脇で美玲さんは笑った。
たく…このままじゃ、身が持たねえから、女化しとく方が良いのかもしれねー。そう思って、敢えて湯は浴びなかった俺だった。
午後になって、郁さんが天道道場へと様子を見に来た。
丁度飯時で、猫飯店からの差し入れを食っていたところだった。
「あれ?乱馬君は?」
俺が変身体質だということを知らない郁さんが、天道家に来るなり、なびきに尋ねていやがった。
「俺ならここに居るぜ…。」
ムスッとしたまま、俺は答える。
「あらら…。」
郁さんは赤い眼鏡のフレーム越しにじっと俺を見据える。
「そのお守り、確かに健太郎さんのものだから…。あんた、変身キャラなんだ。」
とにんまり笑った。
どういう訳か、郁さん、そんな俺を見ても、全然動じない。
「ちょっと失礼…。」
と言って、まだ、食べている俺の背中を下からさすりあげた。
ぞわぞわ…っと鳥肌が立つ。イボイボが全身に突き抜けた。
「な…突然、何するんでいっ!」
思わず、吐きつける。
「ふーん…。霊か何かに乗り移られているのかと思ったけど…。そうじゃないみたいね…。呪いか何かかな?」
「ああ…呪泉郷で溺れた。」
ムスッとしたまま答える。
「へええ…あの呪い的泉かあ。」
「郁さん、知ってるのか?」
「まーね…。伝説の泉と思ってたけど…。」
郁さんの横を、親父がパンダのままのっしのっしと歩いて行く。
「ひょっとして、あれも呪泉の呪いかな?」
後ろ指を差しながら問いかけてくる。
「ああ…俺の呪いの元凶だよ…。」
「呪いの元凶?」
「あれ、俺の親父だよ…。あいつに無理やり連れて行かれた修行場が、呪泉郷だったんだ…。」
「親子揃って、呪泉の被害者な訳ね。」
「そーゆーこと…。で?何か用か?」
俺は郁さんへと問いかけた。
「いや、できれば、今年中に美玲さんを成仏させてあげたくてさあ…。じゃないと、ちょっと不味いことになるかもしれないから…。」
「不味いことだあ?」
「今日は送り火の日だから…。あたしも美玲ちゃんを見ることができるんだよ。」
と微笑んだ郁さん。
「…ってことは、郁さん、今日は見えてんのか?」
美玲さんを指差しながら問い質す。
「まーね…。」
「確か、昨日は見えてねーと言ってたよな?」
郁さんによると、霊にもいろいろあって、一定期間に成仏できねーと、色々、不都合があるんだそーだ。
「彼女…今年で十回目になるんだよねえ…。こいうやって浮遊し始めて、盆を迎えるのは…。」
「つーことはおっ死んでから、十年になるのか?」
見てくれは、享年のまんまだから、あんまりピンと来ねえ…。
「ってことは…美玲さんって、二十代後半か?」
俺の問いかけに、コクンと美玲さんの頭が縦に揺れた。
『確かに、十回目のお盆になるわ。』
「ってことは、年増あるな。」
シャンプーが思ったままを口にした。
『誰が年増ですって?』
その言葉に少しムッとした美玲さんだった。
「ま、今年は何が何でも、思いを断ち切って、ちゃんと送り火に乗せて送り出してあげなきゃならない…ってことを思い出してさあ…。それで、美玲さんちに行って、彼女の遺物を預かって来たんだよ。」
そう言いながら、小さな風呂敷包みを差し出した。
「これ…。」
と言って差し出したのは、リボンだった。髪の毛に付ける、ピンクのリボンだ。
『あ…。懐かしい…。デートの時に付けてたやつね…。』
ふわふわと俺の後ろ側で美玲さんが笑った。
「そういうこと…。これを霊媒として、今日は私にもこの子が見えてるんだよ。」
郁さんが笑った。
「で、わざわざ俺を尋ねてくれたって訳か。」
「そーゆーこと…。今夜中に成仏させてあげないと…そろそろ悪霊化しちゃうからねえ…。」
「悪霊化?」
「ええ…。悪霊化…。」
「悪霊化すると、どうなるんだ?」
「たとえば取りついた人をあの世に連れて行っちゃうとか…。」
「取りついた人というと、この場合は乱馬になるあるか?」
「そうなるわね。」
シャンプーの問いかけに、即答する郁さん。
さらっと、怖いこと言わねえーで欲しいんだけど…。
『きゃは…。それもありかも…。ねえ、乱馬君、あたしと一緒に、あの世に行ってみない?』
「バカ言ってんじゃねーっ!誰があの世になんか行くかーっ!」
思わず怒鳴っちまった。
『乱馬君って、この世に、未練なんてあるの?』
「あのなあ…。俺はおめーと違って、生きてるのっ!心臓も現役で動いているし、血も通ってんだっ!」
『そんな、変な体質でも?』
「体質なんて、関係ねーっ!」
『そんなに私をあの世に送り出したい?』
「ああ…今すぐにでも帰って欲しいくらいだぜ…。」
ムッとして、美玲さんを見詰め返す。
『だったら、キスしよー。乱馬君っ!』
「はあああ?」
…唐突に、何言いやがんでー?この幽霊はっ!
シャンプーはすぐに、あかねは親父の通訳を経て、俺と美玲さんを物凄い顔で見詰めてきやがった。
『何なら、君の彼女の身体に乗り移らせてくれても良いけど…。』
美玲さんは、そんな言葉を口走ったから、溜まらない。
「それ、良いアイデアかもね…。」
うんうんと郁さんまで同意する。
何で、そーなるんだよ?
「ちょっと…待てっ!…んな、勝手に…決めるなっ!」
…おい…。そんな無責任なことを、平然と言わねえーでくれよ…。
ただでさえ、あかねとシャンプーがそこでこちらを睨みつけているんだぞ…。
「見たところ、そっちのお嬢さんたちのどちらかが、彼女なんでしょ?君…。」
郁さんは笑って俺を見返して来た。
「どちらかを宿主にして、キスしちゃいなさい…。」
『きゃはっ!それいいかもっ!ねえねえ、ロングヘアーの子と、ショートカットの子と、どっちが彼女なの?』
ずいっと、美玲さんと郁さんが俺に迫って来た。
「私に決まってるあるっ!」
間髪いれずに、シャンプーが俺に抱き付いて来た。
「へええ…。そっちの子なの?」
郁さんがニッと笑った。
『あたしはどっちの子でも良いわよ…。二人とも、可愛いしー。憑依体としては申し分ないわ。』
通訳を介さないといけないあかねより、通訳なしで会話がわかる、シャンプーの方が、この場合有利になるのは自明の理。
だが、あかねも、場の雰囲気を察したのだろう。こいつの場合、多少、手荒なことをする。
傍らにあったバケツを、そのまま、もう一度、ばっしゃーんと浴びせかけてきたから、溜まらねえ。
次の瞬間…。俺の首にまとわりついて来たシャンプーは…猫化してしまった。
「ぎええええーっ!猫ぉーっ!」
涙目になって、逃げ惑う俺。
「ぎゃあああああーっ!」
雄たけびを上げた俺目がけて、あかねの鉄拳が飛んできた。
そのまま、俺は畳の上にノックアウト。
「美玲さん…それから、郁さんっ!これ以上、乱馬に変なことさせないでくださいねっ!」
きっぱりと、言い切った。
あかねの実力行使に、肝を冷やしたのか、郁さんも美玲さんも、憑依してキスすることは諦めたようだった。
「でも、キスさせないと、美玲さんは成仏できないんなら…。あんたが頑張るしかないんじゃないの?」
なびきが口を挟んで来た。
蒸し返すな…。俺は、恨めしそうに水浸しのままなびきを見返す。
「ねえ…本当にキスと成仏と関係あるの?」
あかねは見えない筈の美玲さんに問いかけていた。
『そうよ…。だって、キスしようとした瞬間だったもの…。トラックが突っ込んで来たのは…。』
ムスッと美玲さんが俺の背後で答えた。
「だとよ…。キスしようとした瞬間に、事故が起こったって美玲さんも言ってるし…。」
それを直訳してやると、
「じゃあ、そこに行ってみましょうよ。」
あかねのツルの一声だった。
「行く?」
「ええ…。その事故現場…。何かわかることがあるかもしれないじゃない。」
☆★☆
夕陽が輝く道すがら、俺たちは連れだって、町はずれへと繰り出していた。そこそこ交通量のある道路の歩道を、とぼとぼと歩いて行く。
「この先だったんでしょ?事故現場って…。」
あかねが、淡々と言葉をかけた。
あかねの助言に従って、みんなしてぞろぞろ歩いている。
あかねだけではなく、当該人の美玲さん、それから、郁さんも居る。
美玲さんは俺のすぐそばでふわふわと浮き上がっている。
シャンプーは帰って貰った。
盆休みは稼ぎ時だというので、コロンばあさんが迎えに来たのだ。ムースだけで店を乗り切れると思わなかったのだろう。
勿論、シャンプーは残念がったが、
「今夜は予約でいっぱいなのでな。」
と、渋々婆さんに、引っ張って行かれた。
一つ、懸案事項が去ったと、正直、俺は胸を撫で下ろした。
また、抱きつかれてみろ…。あかねの鉄拳が俺を容赦なく襲うだろう…。
「事故現場に来る、必要性なんかあるのかよ?」
男に戻っていたものの、俺は不機嫌だった。
「だから…美玲さんが成仏できない理由って、事故現場にあるんじゃないかなって、ふっと、思っただけよ。」
「そんな、殺人事件の現場じゃあるめーし…。」
「あかねちゃんの言うことにも一理あるかもねー。」
郁さんが後ろから声をかけてきた。
「郁さんまで…。」
苦笑する俺に、郁さんは言った。
「私も、そこまで気が回らなかったわ…。お盆って普通はそれぞれ縁のある人の傍に霊が帰って行くものだから…。」
「あん?」
「健太郎さんは家に帰って来た気配が無かったから…とっくの昔に成仏したもんだと思ってたのよ。未練も何も無くってとっとと成仏しちゃう人も居るからねえ…。」
『もしかしたら、健ちゃんも
「ってことは、郁さんは美玲さんを連れて、事故現場に来たことが無かったのか?」
「ええ…。必要性も感じなかったからねえ。…案外、盲点だったかもしれないわ。」
妙に感心してやがる…。
「美玲さんはどうなんでい?事故現場に戻ったことは…。」
『ある訳ないじゃない…。あたし、ここで死んだ訳じゃないし…。』
「あん?」
『だから、前にも説明したでしょ?あたしは彼氏とタイムラグがあったって…。」
「そーなのよねえ…。あたしも、そこのところを考えてなかったわ。」
郁さんがそれを受けた。
「あん?」
「だから…もしかすると…なんて思ってる訳よ…私は…。」
先をさくさくと歩いて行く、あかねの後ろ姿を追いながら、郁さんは真面目な表情になった。
『正直…あんまり思い出したくないんだけど…。』
少し表情が暗くなった美玲さん。
「確か…この先の交差点だったわよね。」
夕闇に包まれかけた、その現場…。
『え?』
美玲さんの表情が変わった。
彼女の視線の先に、その影を捉えて、俺もハッとする。
何かが蠢いている。
白いふわっとしたものが…。
「どうやら、ビンゴだったみたいねえ…。」
俺の背後で郁さんの眼鏡が光った。
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