■神有月■
第八話 ヤキモチ妬きの顛末


一、

「そ、そなた…。」
 湯煙の向こう側から現れた、俺の本来の姿を見て、須勢理比売が、一瞬、息を飲んだ。
 憎い嫉妬の対象が、いきなり男へと変化したのだ。神様でなくても驚いて当たり前だろう。

「悪いな…。こういうわけだったんでな。」
 俺は、ゆっくりと須勢理比売に対峙した。

「そ、そなた…。オカマだったのかえ?」

「だああっ!」
 須勢理比売の百八十度すっとぼけた返答に、そのまま、思いっきりこけかけてしまった。
「違う!俺はオカマじゃねえっ!」
 大人気なく、大声を振り上げていた。
「でも、そなた…。その姿…。」
 須勢理比売は一呼吸置くと、物凄い勢いで笑い始めた。
 ケラケラ、ケタケタ、何を思ったのか、お腹まで抱え始めている。
「なっ!何が可笑しいっ!」
 あまりのゲラ笑いに、俺の方が気分を曲げてしまった。

「そら、しょうがおへんわ…。どこからどう見たって「オカマ」だっせ、その格好。」
 ぷぷぷと懐の少名彦までが笑い出す始末。
 彼に指摘されて、はっと俺も我に返った。

 確かに…。ひらひらの女の古代服からむき出しになったムキムキ筋肉、それから間の抜けた古代女性の髪形。
 大衆の面前でブルマーをはいたまま、女に戻ったときと同じような衝撃が俺に走った。

「だああっ!見るなっ!笑うなっ!」
 俺は大慌てで衣服を脱ぎ散らした。それから、八上比売が結った髪を掻き揚げ、女髪を降ろして、ただの長髪になった。衣は元々はいていたトランクス一丁という、これまたあまり良い格好ではないが、それでも、変態オカマ野郎になるよりはマシだ。
 ぜえぜえと肩で息を切らせながら、改めて須勢理比売の前に進み出る。
 笑いすぎたのが功を奏したのか、すっかり、彼女の嫉妬に燻った怒気も静まっていた。

「そなた、どのような術を使ったかは知らぬが、本性は男だったのかえ?」
 まだ笑い足りなさそうに、須勢理比売が俺を見詰めた。
「ああ、正真正銘の男でいっ!」
 罰の悪さを隠しながら、俺は答えた。
「少名彦!説明しやれっ!」
 須勢理比売の要望のまま、少名彦は俺が何故ここへ居るのかを、説明し始めた。
 
「そなた、乱馬比古とやら、御調物を反古にした罰として身供物として差し出された許婚を探し求めて、出雲へ来たというのか。」
 一転穏やかになった須勢理比売は俺をまざまざと見ながら、事の真相を訊いた。
「それなら、そうと、何故、はっきりと物を申さなかった?」
 と突っ込む事は忘れない。
「あは…それは…。」
 思わず口ごもり、困った素振りを見せる少名彦。彼を尻目に、須勢理比売は続けた。
「大方、八上比売の差し金であろう。まったく、あの比売はちょっと私よりも先に大国主命様の元へ嫁いだからと、私に嫉妬してからに…。」

 おい、嫉妬だなんて、おまえが言うか?さっきまで、俺に相当な敵愾心(てきがいしん)を抱(いだ)いて、攻撃しまくってたのは、おめえだろうが…。
 心の中じゃあ、そんな言葉をはきつけていたが、勿論、声には出さなかった。

 
「ということは、大国主命様は既に、臥所にその女子(おなご)を招き入れておじゃるというのじゃな?」
 確認するように、須勢理比売は問い質した。
「ああ、多分、あかねは大国主命と一緒に居ると思うぜ。なあ、少名彦。」
 俺は間髪入れずに答えた。
 その脇で少名彦はコクンと頷いた。
「全く…。ちょっと目を放すと、これじゃ…。大国主命様は…。」
 再び、須勢理比売の表情が険しくなった。一見穏やかそうだが、目は決して笑っちゃいねえ。

「どうれ、本当に女子(おなご)が大国主命様の臥所に居やるか、確かめてみやる。」
 須勢理比売は胸元をはだけると、掌大の玉を出して来た。美しい水晶玉だ。こんな大きな玉、どうやって胸元に隠し持ってたんだろう…。そんな詮索は置いておいて、俺はじっとその玉を見た。
 玉は月明かりを受けて、美しく光り輝く。
 魔法使いの婆さんよろしく、須勢理比売はもごもごと呪文のようなものを唱え始めた。光る玉の表面が、その文言にあわせて動き出す。ちょっと不思議な現象だった。
 やがて、須勢理比売は、眉間を釣り上げる。
「確かに、居やる。」
 と吐きつけるように言った。
「おまえの許婚か否か、覗いて確かめて見やれ!」
 すっと俺の鼻先に、須勢理比売は玉を差し出す。

 と、黒い洞窟の中のような簡素な部屋がそこに映し出される。

 居る居る、人影がある。
 俺はゴクンと生唾を飲み込んで、玉を凝視した。

 部屋は中は黒光りした柱や床、天井で囲まれているせいか、暗い印象がある。柱に据え付けられた色台の蝋燭は一転、赤い。蝋燭は白というイメージが有るが、朱色をしていた。その上に灯された光は橙色。
 寝台に男が一人横たわっていた。髪はみずらに編み、衣服も古代神話の挿絵に出てきそうな白い衣装だ。
 中肉中背の中年親父然した男がうつ伏せに臥せっている。
 その脇に女が居た。
 紛れも無く、現代の巫女衣装だ。髪の毛はショートカット。
 あかねだった。
 あかねはしきりに、うつ伏せ男の身体をマッサージしているように見えた。あかねの手が動くたびに、うーとかあーとか、唸っているように見える。
 姿だけで声は聞こえてこねえから、それが返って苛ついた。
 何か、楽しげに話しをしながら、あかねは男の肩を揉んでいる。
「声をきいてみやるか?」
 俺のイライラを肌で感じたのだろう。須勢理比売が気を利かせてくれた。
「やっ!」
 と声を放つと、ラジオのスイッチが入ったように、中の音が聞こえ始めた。

「ううう…。そこじゃ。そこがゴリゴリに凝っておる。」
 うつ伏せになったまま、大国主命は唸っている。
「この辺ですか?」
 あかねは、乞われるままに、大国主命の身体を揉みほぐしているようだった。
「はああ…。あかね媛は力加減が絶品じゃのう。」
 と悦に入っている。

 そりゃあ、当然だろう。あかねくらいの武道の達人になると、手先の力の入れ具合は洗練されてくる。身近に居る東風先生が良い例だ。あの先生、すっとぼけた顔をしているが、相当な使い手に違いない。だからこそ、全身のツボを効果的に押せる名医なのだと俺は睨んでいる。
 それはともかく、あの助平野郎、あかねのしなやかな手で、ゴツゴツした身体をマッサージさせやがって…。あかねもあかねだぜ。俺以外の男の身体なんか、触りやがって。
 俺も須勢理比売の嫉妬にとやかく言う資格はないかもしれない。あかねの奴が他の男の身体に触れているという事実を目の当たりにして、だんだんと腹が立ってきた。
 
 ふと傍の気配を感じた。
 須勢理比売の顔が、一段と険しくなったようだ。ぎょっとして覗き込む。
 メラメラと、また、嫉妬の焔をたぎらせているようだ。


「あの二人、少し懲らしめてやらねばならぬな…。」
 その声の勢いに、思わずコクンと頷いてしまった。
「ちょっと耳を貸しやれ。」
 そう言いながら、須勢理比売は俺を招き寄せた。そして、耳元でごそごそっと思いついたことを話し始めた。

「なるほど…。そいつは面白いかもしれねえ。」
 俺はその話に同意した。
「よっしゃ、乗った!やってやろうじゃん!」
 俺は即答した。
 須勢理比売と一緒になって、不埒者に天罰を下してやる。
 そんな気持ちになっていた。普段、三人娘に絡まれているとき、あかねにガンガンとやりたい放題やられている、それと同じヤキモチが俺の頭の中を支配し始めていたのかもしれない。
「少名彦。」
 俺の傍でちんまりと萎縮していた少名彦に須勢理比売は声をかけた。ビクンと揺れる肩。
「わかっておじゃると思うが…。」
「あ、は、はい。つ、謹んで、私もご協力させていただきます。」
 焦った声が響いてきた。関西弁から標準語…。

 まさか、壁の向こう側を隔てたところで、己の正妃と許婚が、嫉妬心メラメラと燃やし、姦計を張り巡らせているなどとは、大国主命様ですら思うまい。

 俺は手筈どおり、再び女へと変化していた。須勢理比売の術で現代風巫女の姿に身を変えたのだ。白い上衣に紅い袴。それからだんだらと垂れ下がった長髪は、再び、おさげに編みなおす。ヘンな髪型だと須勢理比売に言われたが、これが俺のトレードマークだからしょうがねえ。それに、この髪型が一番、落ち着くんだ。
 
 準備万端整うと、少名彦に協力させて、臥所の前に立った。この建物の周囲には「結界」が張り巡らされてあるらしく、彼と一緒じゃねえと入れねえらしい。
 で、須勢理比売は月が天上に輝いている間は、結界を越えられねえということだった。
 月が沈んでしまうと、己を遠ざけるように張られた結界が解けるのだという。新嘗祭の性質上、ある程度仕方がないらしい。
 本来は、月が天上にある間は「神事」を行う時間なのだそうだ。
「それを、あの大国主命様は…。」
 と、傍で準備を手伝いながら、ギリギリと歯軋りしていた。
 もっとも、神事を行う時間であるからこそ、あかねと○○することはできねえらしい。だから、月が沈めば、きっと豹変すると、須勢理比売は俺に言った。
 そう言えば、大国主命は月の傾き加減を気にしているのか、しきりに外を伺っているように見えた。

「あの娘を抱こうと思っておられるようじゃが、そうや事は上手くは運ばせぬ!乱馬比古、しっかりおやり!」
 と意気揚々、息巻いてる。
「ああ、任せとけ!」
 俺も勢い込んで親指を、つっと突き立てて返答してやった。


二、

 少名彦の協力により、俺は難なく「結界」とやらを越えられた。元々、女神ではないから、結界に効力はないという。だからこそ、あかねも平然としていられるというのだ。 
 結界の中は至って平穏だった。
 大国主命とあかね以外に人の気配はない。
 シンと静まり返っている。

 息を潜めて、戸板の前に立つ。
 昔の建物だ。現代建築のように、ビシッと面イチの壁ではない。木で組まれた壁には、細い隙間があり、蝋燭が灯された中の様子が良くわかる。逆にこちら側は暗がりで明かりがないから、あちらからは見えないだろう。
 俺はそん所そこらの武道家とは違う。気配を消すのはお茶の子さいさいだ。
 ぐっと息を殺し、突入の機会を、今か今かとじっとうかがっていた。
 中では、馬鹿とも思えるほど、無防備なあかねが、しきりに大国主命をマッサージしていた。あいつにしてみれば、御調物がオジャンになった罪滅ぼしのつもりでここへ来て、サービスしているのだろうが。
(おめえ、己の置かれてる立場、わかってて、のこのこ臥所まで入ったのかよ!)
 と怒りにも似た感情が湧きあがってきた。

 だが、ここはグッと堪える!

 たぎってくる嫉妬とも不快感とも思(おぼ)しき感情を、俺は必死で押さえつけた。
 ここで飛び出しては、効果は半減。
『良いな、月が隠れてしまう、ギリギリまで粘るのじゃぞ。』
 と須勢理比売に念を押されていたのを思い出し、ぐっと歯を食いしばって、平常心を保とうとした。

「あかね媛、そなたは良き妻になるぞよ。どうじゃ?この神界に留まり、ワシの妃と相成らんか?」
 だが、耐えていた俺に、そんな大国主命の言葉が聞こえてきたから、たまらない。

 その言葉で、一気に俺の中の「理性」が切れた。
 いや、本当に、プッツンと脳の中で、何かが切れた音がしたように思う。
 誰に対して嫉妬したのか。大国主命への敵意もさることながら、その刃は明らかにあかねに突き進んで行ったのである。


 俺はこれみよがしに、バタンと手荒く、板戸をこじ開けた。
 すぐ傍で少名彦が、まだ早い、と言いたげな顔を手向けたが、最早そんなこたあどうでも良い。
 居ても立っても居られなくなっちまったのだ。

「誰じゃ?」
 急に見知らぬ女が入って来たものだから、ぎょっとして大国主命がこちらを睨んだ。
「ら、乱馬っ?」
 あかねの奴は、大きな瞳をぱちくりさせている。

 俺の傍で、少名彦がおろおろとしていた。
 その気配を察した、大国主命が、とがめだてしねえ筈がねえ。
「少名彦那(スクナヒコナ)!何事ぞ?」
 と勢い良く睨み付けた。

「あの、その…。あのう…。」
 少名彦の全身から汗がだらりと流れ落ちる。

「乱馬、あんた一体、何しに来たのよ?」
 あかねもきょとんと俺を見詰めている。その無防備さに、またまたカチンとなる俺。全然、己の危機を察していやがらない。鈍いもそこまでくると天然記念物ものだぜ。

「そうじゃ、そなた、何しにここへ…。」
 問いかけてきた大国主命の首元へ、勢い込んで、だっと抱きついてやった。
「何しにって、決まってますわあん!大国主命さまぁん!」
 と妙に色っぽい甲高い声色まで使ってだ。
 端のあかねをこれ見よがしに振り返る。
「こ、こりゃ、そなた、誰じゃ?」
 思い切り抱きつかれて、焦ったのは大国主命だろう。

「誰って、私が本当の「身供物」なんですわよ、ほほほのほ。」
 と、女の細腕を伸ばす。
「だからあ、そこの寸胴女は前座ですわ!」
 いつもの調子で言葉であかねを挑発しはじめた。
「前座ですって?」
 あかねの顔色がだんだん変わり始める。鈍女でも、さすがに、俺に馬鹿にされたことを察したらしい。

「そうよ、あんたみたいな怪力女はせいぜい、肩もみくらいしかできないでしょうが!」
 とアカンベエまでして挑発してやった。

「ちょっと!あんた!何てこと言い出すのよっ!」
 あかねが怒気を発し始めた。
 その時の俺には、何だか変な「自負」みてえなのが、支配し始めていたのだ。
 あかねなんかに、負けて溜まるかという、アレだ。
 
「あんな寸胴女なんか、押しやって、私と楽しみましょう!いちゃいちゃと。」
 思い切り煽ってやった。

「乱馬ぁっ!あんた、何て破廉恥な!」
 案の定、あかねは真っ赤になって、俺を睨みつける。

 あかね!たく、おめえは本当に鈍い、鈍すぎる。大国主命が何で、おまえをここへ呼んだのか、てんでわかってねえ!

 俺はあかねのことに集中するあまり、逆に、大国主命の「下心」を排除していた。
 それが不味かった。

「おお、そなたは、己から望んでわしのところへ飛び込んで来たのか!」
 大国主命の奴、俺の手を取って、ぎゅううっと握り返してきやがった。
「ほへ?」
 急転した大国主命の態度に、今度は俺が狼狽する番だった。
「ほお、なかなか可愛らしい顔立ち、それから、良き身体をしているではないか。このふくよかな胸なんかは。」
 ぐわっしっと襟元をつかんで、胸元を肌蹴出す。
「な、何しやがんでいっ!」
 思わず、叫んでいた。
「何とは面妖な!そなた、私に抱かれに来たのであろうが。」
「あっ!えええっ?」
 大国主命はくるりんと俺の身体を仰向けにひっくり返した。仰向いた俺の瞳に、山羽に隠れていく残月が微かに見えた。ふううっと白き清楚な光が山肌に吸い込まれていく瞬間をだ。
 俺は抵抗しようともがこうとしたが、無駄だった。月が沈むと、何故か身体の動きがピタリと止まってしまったのだ。
「今宵は嬉しいのう…。こーんな美姫を二人も抱けるとは。」

「なっ!」
 この大国主命(おとこ)、俺だけではなく、あかねまで一緒に押し倒してやがった。
「え?」
 急に圧し掛かられて、さすがのあかねも焦っていたようだ。しかも、俺と同じように、身動きを封じられてしまったようだ。

「二人のご婦人と寝屋を共にできるとは!少名彦!でかした!でかしたぞ!」
 ランランと大国主命の瞳が輝いてやがった。

 ちょっと待て!身体が動かねえなんて…。訊いてねえぞ!予定にねえぞ!どうなってんだ、こらっ!
 ぞわぞわっと背中に汗が流れ落ちる。
 あかねともども、二人して、大ピンチ。
 このままだと、二人揃って処女喪失かも…。じ、冗談じゃねえっ!

 ぐっと足掻こうと、力を入れたその時だった。

 仰向けになった俺とあかねの瞳に移った、恐ろしき物。

「おぉおぉくぅにぃぬぅしぃのぉ…みぃーこぉーとぉーさぁーまああああああっ!」

 月が沈み切って、結界を越えてきた、須勢理比売の物凄い形相。時々、巨顔化する、俺の舅の天道早雲おじさんなんて、屁じゃねえくれえの、大迫力だった。

「ひっ!須勢理比売…。」
 己の正妻をそこへ見つけた時の大国主命の情けねえ表情といったら、滑稽を通り越して気の毒だった。
 浮気現場を妻に押さえられた亭主の末路を見せ付けられてしまった…。くわばら、くわばら…。

「命様あっ!このわたくしを差し置いて、新嘗祭の明けに、人間の小娘などに、現(うつつ)を抜かして!その腐りきった性根、叩き直して差上げますわーっ!!」

 こうなったら、もう無茶苦茶だ。神も仏もねえ。
 仰向けになって呆気にとられている俺たちの上を、嵐が通り過ぎた。そのとばっちりを受けないように、俺はしっかりとあかねを抱きかかえていた。
 一応、あかねは俺の許婚だからな。護ってやるのは俺の使命な訳で…。
 あかねの奴も、急に振って湧いた「災難」に驚愕して俺にしっかりとしがみ付いてくる。
「一体全体、何なのよ…。」
「だから…おめえ、間一髪だったんだよ!あのまま放っておいたら、大国主のオッサンに間違いなく、貞操奪われてたんだぜ。たく…。」
 俺は溜息交じりで言ってやった。
「はあ?あたしはただ、身供物の勤めとして、マッサージしに来てあげただけなんだけど…。」
「だから、おめえは甘いっつーんだ!男ってのはなあ、燃える下心と牙を常に隠し持ってるもんなんだ、馬鹿!」
「馬鹿とは何よ、馬鹿っ!あんたに助けて貰わなくっても…。」
「大丈夫だったとでも言いたいのかようっ!この馬鹿っ!」
「何よっ!」
「何だよっ!」
 真正面に睨み合った。

 あれ?湯もかぶってねえのに、あかねの瞳の中に映る俺の姿、男に戻ってる。甲高い声も低く…。

 そう思った時だった。

『はあ…。たく。喧嘩するほど仲が良い、ちゅう言いいますけど、限度がおまんな…。尤も、夫婦喧嘩は犬も食わないなんて格言も、葦原の中つ国にはおますようだすが…。』

 どこかで少名彦が溜息混じりに呟く声が聞こえてきたような気がした。

『どうでもよろしいが、現世へ戻っても、喧嘩ばっかりしてますと、大国主命様みたいになりまっせ。せいぜい、正妻はんの尻に惹かれて嫉妬の餌食にならんように気をつけなはれや、乱馬比古はん…。』



 ……、……。



 はっと気がつくと、傍であかねが笑ってやがった。
 その向こう側に、太陽が光ってやがる。

「え?」
 笑顔と太陽のあまりの眩しさに、ドキッと一つ心音が唸る。

「乱馬ったら…。夜の間中、ずっとここで見守ってくれてたの?」
 と問いかけてくる。
「あれ?少名彦は?大国主や須勢理比売はどうした?」
 俺は俺で切り返す。
「はあ?何寝言、言ってるの?乱馬。」
 くすっとあかねが笑った。

「だってよう、少名彦の進言でおめえ、この祠に篭らされたんじゃねえかよっ!」
 と言ってみた。天道家の面々だって見たはずだ。少名彦の姿を。
「何、訳のわかんないこと言ってるのよ…。たく。少名彦や大国主命って神話の中の神様じゃないの。現世に現れるわけないでしょう。」
 あかねが笑い出す。
「もう、寝ぼけちゃって、乱馬ったら。」
 
「……。」
 俺は思わず黙り込んでしまった。

 もしかして…夢?今までのは全部、夢だったって言うのか?
 どこからが夢で、どこからが現実だったってんだよ!

「おやおや、やっと目覚めたようだね。あんたの良人(おっと)さんは。」
 見覚えのある婆さんが、ふっと傍に来た。朝になって、祠の扉を開いたようで、鍵をジャラジャラと言わせて立っていた。
「良人なんかじゃないです…。」
 あかねがちょっとはにかみつつ否定する。
「何、このご神事に臨んだ二人は、どんな困難があれ、必ずいつかは結ばれると伝えられておるんじゃよ。ほれ、あんたら二人も、ここの主祭神の大国主命様と須勢理比売様のご加護があろうて。」
 と婆さんは愉快げに笑った。
「ここの主祭神って、大国主と須勢理比売なのか?」
 思わず問い返していた。
「へえ、そうじゃよ。末社には少名彦もお祀りしてあるがのう…。」
「少名彦…。」

「ちょっと。乱馬、何考え込んでるのよ。」
 あかねが俺の顔を覗き込む。

「出雲の神様たちは仲睦ましいカップルを護る恋神様として古くから崇められておりゃる。今年の神無月もきっと、かの神の国では、誰と誰をご結婚なさろうかと、相談ごとも盛んじゃろうて。」
 婆さんは西の方を眺めやりながら言った。
「何しろ、旧暦の神無月は「ご縁談などの相談事」をまとめに、国中の神様たちは出雲へ帰られますのじゃからなあ…。」
 と付け加えた。
「じゃから、出雲の国は神無月を神有月と申される。いずれ、あんたたちの名前も出雲で上がろうて。そう、遠き未来のことではあるまいよ。
 さてと、朝餉の準備をしてあるから、二人、一緒に神殿で召し上がりなされ。今日はこれから忙しくなるぞう。そなたたちには、まだ、奉納試合というお役目が残っておるのじゃからな。」
 婆さんはそう告げると、俺とあかねの前から立ち去った。

「ほれ…。行こうぜ…。朝飯食いに…。」
 俺は立ち上がり様にあかねに手を伸ばした。ふっとあかねの掌に重ねられる不器用な俺の手。

 こいつも須勢理比売のように、たぎる情熱を嫉妬に変えることがある。でも、考えれば俺だって、こいつが絡むと、嫉妬は人一倍強いかもしれねえ。
 嫉妬はほとばしる愛情の裏返しだ。
 きっと、この先も、あかね(こいつ)とは、喧嘩ばかりするだろう。
 それでも、何とか歩んでいけるだろう。何の根拠もなかったが、そう確信した。

 繋がるこの手は決して放さねえ。誰にもおめえは渡さねえ。たとえ、それが神様だろうが、仏様だろうがだ。いくら、おめえがたぎる愛情を嫉妬に変えて、俺にぶつけてきてもかまわねえさ。
 この手は絶対に放さねえ!

 そう決意した俺を、朝日は見守るように、紅葉した木々からこぼれてくる。
「乱馬?どうしたの?」
 急に手を強く握った俺を不思議に思ったのか、あかねが問いかけてきた。
「何でもねえよ。」
 ぶすっと切り返す。
「だから、どうしたの?」
「だから、何でもねえんだよ!」

 頭上からは眩いばかりの朝の太陽が、俺とあかねに降り注ぐ。
 厳かな気分にさせられる、真新しい朝だった。



 完




☆☆☆☆☆
※注
 神話の時代には「オカマ」という言語は勿論、ありませんでした。が、神話界も現世の移り変わりと共に言葉も変化しているということでご理解ください。(何ていい加減な…)

☆☆☆☆☆あとがき
 いや、この作品、別に大きなテーマはないんです。ただ、「不知火」を書き出した頃、読み返していた記紀神話。その中の出雲神話を基盤に乱あ作品を書き殴りたかっただけです。
 途中まで書き殴って、そのまんまほったらかして停止。今回二年越しに掘り起こして完結させました。しかし…改めて読み返すと、どこの部分で止まっていたか、明らかにわかりますな…。乱馬視点の文体が、微妙に変化していますもの(汗
 乱馬が大国主であかねが須勢理比売だなんて、物騒なことは考えて居ません…でも、お気づきの方もおられるでしょうが、パラレル作品「不知火」でしっかり出雲神話の骨子は使っております…。
 ははは、そろそろ「不知火」の続きも本腰入れて書き出さねば。いつまでたっても終わらないですね。また、図書館へ通って資料集めようっと…。最近、明日香村で大きな発掘発見が相次いであったそうで、古代史好きの血が俄かに騒ぎ出しております。(甘樫丘にあったとされる蘇我蝦夷の邸宅らしき痕跡がある遺跡とカズマヤマ古墳発掘)

 「呪泉洞」五周年を迎えて、どこへ向かうか、一之瀬乱あ。初心の頃にあった純真な乱あ熱とは方向ベクトルが違う邪道へ、どんどん入り込んでいるような気もします。
 乱あ創作の深い海に溺れこんで足掛け七年。ネットに掲載し始めて六年弱。
 これからも己の赴くままにどんどん書き進めます。どうぞ、見放さないで、「呪泉洞」へ、時々は足をお運びください。濃厚な作品があなたをお迎えすることでしょう。
 これからも、幸せな乱あ作品を皆様と共に楽しめますように。


(2005年11月16日 完結作品)

 

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