◇絆(KIZUNA)


第三話 BOTH SIDE


 武道大会の日は、天を突き抜ける快晴だった。
 そよぐ風は冬の到来を遥に捕えている。日中はまだそれでも充分に暖かい。木々が色付きを増し、だんだんと燃え上がらんばかりに、最後の輝きを天へと煌かせる。

 世界大会つきの本格的大会。
 何度かの書類専攻と予選の後、東京に集ったのは三十二名ばかりの武道家たち。
 名のある柔道家、空手の師範など。若者が集い来る。
 ブロックは二手に分かれて競い合う。
 お祭騒ぎに便乗しようと、テレビ中継車なども出ているようだった。

「あかねとは別ブロックだ。」
 祐三が嬉しそうに言った。
「そうよね…。折角二人とも予選を勝ち抜いたのに、いきなり対決じゃあ、芸がないわ。」
 あかねがふっと微笑んだ。
 何度かの熾烈な戦いを経て、二人でここに並んでいる。
「少なくともこれで、二人が対決できるのは「決勝戦」ということになるな。」
 祐三が笑った。
「そこまで残っててよ。」
 あかねも一緒に笑った。
「ああ、勿論そのつもりだ。決勝で当ったら、容赦はしないぜ。あかね。」
 ふっと下りて来る柔らかな瞳。
「勝利のキスは勝負が全て終わった後よ。」
 と牽制も忘れない。
「決勝までは会場が違うからな。分かれるのはちょっと寂しいけど…。後で会おう。君の山ごもりの成果、きっちりと見せてもらうからね。」
 あかねはコクンと頷いた。
「あ、勿論、キスだけじゃないぜ。今まで我慢してきた分、君の全てを貰うからね…。そのつもりで。」
 祐三が言葉を切った。
「わかったわ。あたしと遣り合って勝てたらね。」 
 あかねは間髪いれずに切り返す。
「じゃあ、決勝戦で!」
 そして、笑顔で別れた。
 山へ入り、自然と一体化して、どこまで自分が強くなり得たのか。正直のところ、推し量れてはいない。全てはこれからの試合にかかっている。ただの女武道愛好家として終わるか、それとも、もう少し武道家としての高みに上り詰めることができるのか。

 あかねの会場は南の武道場。
 ここで準決勝までを闘うのだ。
 会場へ入って見て驚いた。
 予想はしていたものの、女性らしき名前は殆ど無い。
 男女差別はこの大会ではないとは言うものの、武道の世界の厳しさを改めて思い知る。見渡すと、それらしいといった感じのいかつい筋肉質な身体ばかりが並んでいる。
 その中に、彼女が居た。
「久しぶりやな、あかねちゃん。」
「右京…。」
 聞き慣れた関西弁。久遠寺右京であった。
「やっぱり、あかねも来てたんか。ホッとしたわ。あんたとは、決着ずっとつけたかったからな。」
「決着?何の?」
「ふ…。乱ちゃんはおらんようになったけど、武道家としての決着は、結局つかず終いで高校生活も終わってしもうたからな…。覚悟しときや。」
 右京もかなり修業を積んだのであろう。男の中に於いても、一際、殺気に溢れ、気概に満ちていた。
「あ、それから…。乱ちゃんもこの大会に出てるみたいやで。」
 彼女の口から信じられない言葉が飛び出した。
「え?」
 耳を疑うように短く吐き出す。
「何や、取り組み表、見てへんかったんか。早乙女乱馬って名前があったわ。Aブロックの方やけどな。」
 あかねと右京が対峙しているこの場所はBブロックの会場。だから、乱馬とは別の会場になる。Aブロックと言うことは、あかねの婚約者となる祐三と同じになる。
 早乙女乱馬という名前を久しぶりに聞いて、あかねの心臓はギュンっと一声唸りを上げた。
「ま、あかねは、乱ちゃんとやりあうことはないやろうけどな…。」
 右京は薄ら笑いを浮かべていた。
「そんなこと…。わかんないわよ。」
 牽制するあかねに右京は言った。
「うちがあんたを沈めたる。だから、あかねは乱ちゃんとは、やりあうことはないねん!」
 見くびられたものだ。勿論、右京も強い。腕っ節も度胸もある男勝りな性格である。
「まさか、他のみんなも…。」
 あかねの言葉を右京が制した。
「それはあらへん。小太刀は出ないとキッパリ言いよったわ。ま、噂では予選落ちしたらしいわ。それに…。シャンプーは日本国籍やあらへん。そやから本国の中国大会に出るって風の噂で聞いたわ。だから、準決勝を下して決勝に残り、日本代表にならんと、シャンプーと遣り合うこともないわ。」

 誰から情報を貰ったのか、右京はその辺りの事情に通じていた。世界大会は上位二名と決まっていた。だから、祐三は二人で残ろうとあかねにも言い含めてきていた。
(ついでに新婚旅行としけこんだっていいじゃない。愉しまなきゃ。)
 そう言ってあかねの緊張をほぐしていた。

「そやし、あかねは誰にもあわへんやろ。うち以外と遣り合うこともないわ。」
 右京はにっと笑った。
(もしかしたら、乱馬と遣り合えるかもしれない。)
 何故か知らぬが、心が高鳴ってゆくのを留めることはできなかった。彼と遣り合うためには、四本勝たなければならない。それに、Aブロックには祐三もいる。乱馬と遣りあえる可能性は非常に低いと言って良いだろう。
(いいわ、あたし、全力で闘う。)
 今更ながらにあかねは強く念じた。

「あかね…。」
 後ろに居たのは父の早雲だった。
「お父さん。」
 リストバンドを付けながらあかねは振り向いた。
「おまえに伝えておこうと思って。」
 父は穏やかな笑顔をあかねに差し向けると、とうとうと話し始めた。
「実は、もうおまえも知ったかもしれないが、乱馬くんもこの武道大会に出場するそうだ。そこでだ、さっき、早乙女君と話をした。」
 早雲はゆっくりと言葉を継いでゆく。
「無差別格闘流の「奥義伝書」。これを勝利した方に渡すことにした。今頃は早乙女君が乱馬くんにも同じことを伝えているだろう。」
「「奥義伝書」を勝者に…。」
 感慨深くあかねは反芻する。元はこの「奥義伝書」のせいで引き裂かれた己たち。
「ずっと「奥義伝書」を伝えずに置く訳にもいかないからね。いい潮時だろう。両者のうち優勝した方がこの「奥義伝書」を相伝するに相応しいことは言うまでもあるまい?」
 父の言わんとしていることはよくわかった。当然の論理だ。
「この武道会に勝った方が無差別格闘流の正当な後継者となる資格がある。いいわ。それで。」
 あかねは父を静かに見上げた。
「無論、両者のうちどちらも優勝しなかった場合は、また後日、決定方法を考え直すということもお師匠さまに伝えてある。」
「頂点に立てる実力がある者でないと相伝は相成らぬ。ってことね。」
「そういうことだ。」
 黙った聞いていたあかねの首がこくんと垂れる。
「いいわ、わかった…。乱馬がそれを承服するなら、あたしも。」
「おお、そうか…。わしらの提案を受け入れてくれるか。」
 早雲の顔が少しだけ侘しげにほころんだ。
「あたし、負けないから。無差別格闘流の正流は、あたしが、天道流が受ける。」
「そうだ、その意気だ、あかね。期待しているからな。」

 早雲はそれだけを告げると控え室から出て行った。
「これで、許婚や無差別格闘流の呪縛から解き放たれるだろう…。あかね。安心して、祐三くんと新しい道を進むがいい…。勝負に負けて「奥義伝書」が手に入らなくても…な。」
 そう、小さく心で呟いていた。


 試合が始まった。

 最初の一本は、無難に勝った。決して相手が弱い訳ではなかったが、あかねの方がずっと勝利には長けていた。相手はただ、体格が良いだけの若手武道家のようである。まさかの敗北を、娘から喫して地団駄を踏んで悔しがっていた。
 右京も難なく勝った。
 一つまでなら武器を使用してもいいというルール。剣道や槍があるからだ。勿論、真剣は除外である。右京はお好み焼きのコテを上手に操って敵を薙ぎ倒していた。
 互いの牽制が武道場の上に注ぎ込まれる。
 そんな彼女を見る、複雑な目があった。

「まさかとは思うたが、右京やあかねくんまで出ているとはのう。やれやれ…。神様は意地悪じゃのう。」
 白い手ぬぐいを頭に被った親父はボツネンと言い放った。早乙女玄馬である。
 息子が出ると言う話を、結婚相手になるかもしれない志乃の父、立浪から直々聞かされていたのだ。
「私はそうは思いませんわ。神様は平等な方ですもの。」
 玄馬の傍で上品そうな着物姿の女性がそれに答えた。乱馬の母、早乙女のどかである。
「だけどねえ…。」
「いえ、あなた。これは試練ですわ。それに、一つのチャンスですわ。乱馬とあかねちゃんの絆が本物かどうか確かめるための。」
「絆と言っても、二人はもう、よりは戻せぬじゃろう…。あかねくんにも乱馬にも、別々に伴侶となる相手は決まっておるんじゃから。そう、我等が望んだとしても、もう…。」
「そんなこと、わかりませんわ。乱馬の絆が本当は誰に向かって伸びているのか。多分、この大会ではっきりするでしょう。」
「絆…ねえ。」
「離れていても、分かれていても、育める絆はあるって、あなたならわかっているんじゃありませんの?」
 若い頃、妻をほったらかして、父子で修業の放浪を続けた夫を見ながら、のどかはくすっと軽く微笑んだ。
「いずれにしても、今日、運命がどう流れるか、決まるって訳だな…。「奥義伝書」の行方も全て…。」
 そう吐き出すと、玄馬は雑踏を離れてBブロックの会場を出た。




「乱馬、こっちよ。」
 会場で志乃が乱馬を呼んだ。久しぶりに会った乱馬。修業を終えた瞳には、武道家の貪欲な炎が揺らめいている。
「おお…。」
 軽く返事をして身を寄せ合う。
 周りを見渡すと、いずれも強そうな連中がひしめいている。こちらのブロックには女性は居なかった。決勝トーナメントまで勝ち抜けたのは、あかねと右京だけだったのである。
「どお?乱馬。」
 志乃は微笑みながら夫となる青年を見た。
「そうだな…。強敵は一人、二人居ればいい方かな。」
 気を読みながら乱馬が答える。
「乱馬はこの中では誰と闘いたい?」
 志乃が振り返る。
「そうだな…。」
 準備に入っている選手を見渡して、ふと止めた視線。
「あいつ…くらいかな。まともな勝負になるのは。」
 視線を送ったのは「祐三」であった。
「ふうん…。彼くらいなの?」
「ああ…。真っ当なのはな。」

「ほお…。気でなんとなくわかるか。」
 背後で声がした。
「親父…。」
 乱馬は久々に会う父を見つけて言葉を吐いた。
「たく…。何年も連絡一つ寄越さずに…。こちらの立浪さんに知らせてもらわなければ、大事な試合を見落とすところじゃったわい。」
「これはこれは、早乙女さん。」
 立浪が玄馬を認めて挨拶した。
「この大会が終わったら、直ぐにでも祝言と思ってな。君のご両親を招待したんだよ。」
 立浪は悪びれずに乱馬に言った。祝言に親を招待するのは極めて当たり前のことであろう。
「こちらこそ、今まで親に成り代わり、バカ息子の面倒を見ていただいておったようで…。」
 思いっきりひねくれた挨拶を玄馬は交わしてゆく。のどかは始終、にこにこと父子を見詰めていた。

 立浪の娘、志乃と乱馬の父、玄馬と母、のどかは改めて面通しとなった。
 通り一遍等の挨拶が終わると、玄馬は乱馬に向かって言った。
「今しがた、おまえが、真っ当な勝負ができると言った相手、覚えておくのだな。」
 玄馬がぶすっと言った。
「あん?知ってるのか?」
 不機嫌に乱馬が玄馬に言葉を返した。
「あかねくんの婚約者じゃよ…。」
 玄馬はそう言うとにっと笑って見せた。
(あかねの婚約者!)
 案の定、乱馬の表情が一瞬強張った。
 驚いたというよりは、動揺の波紋が広がった。
 婚約者がここに居るということは、あかねもまたこの場に来ているということを示している。
「なあに…。あかねくんはBブロックじゃからな…。決勝戦にでもならないと、会うことはないだろうがな…。かっかっか。」
(あかねも出ているっ!!)
 その事実が一番乱馬には堪えたようだった。
 武道家として名を挙げたい者が一心に集う、この無差別格闘大会。あかねが居ても何ら不思議なことではあるまい。
「乱馬よ。この大会の優勝者に無差別格闘流の「奥義伝書」を授けることになった。己が道を確たるものとする意味でも、しっかりと心して闘えよ。父の餞(はなむけ)はそれだけじゃ。しかと伝えたぞ。」
 玄馬はそれだけを乱馬に手短に伝えると、その場を静かに去っていった。

「親父…。」
 ぎゅっと握る手に力を篭める。

「あかねって…?もしかして…。」

 玄馬が通り過ぎた後に、志乃が乱馬に声をかけた。だが、途中でそれを遮った乱馬。
「いや、俺には関係ねえ奴だ。それよか…。目の前の勝負に集中しねえとな。」
 と声を押し殺した。これ以上言うのは不味いと空気を飲み込んだ志乃は
「頑張って!乱馬の優勝、祈ってるわ。優勝したら祝言…。忘れないでね。」
 にっこりと笑顔を手向けた。



 準決勝まで、あかねも右京も、乱馬も祐三も事無く勝ち進んだ。当然と言えば当然と言った結果。彼等のレベルは違い過ぎた。
「いよいよやな…。因縁、全て晴らしたる。」
 右京はコテを握り締めながら武道場へと上がった。
「ええ…。望むところよ。」
 あかねもまた、静かに、凛と言い放つ。
 乱馬を巡って繰り広げられてきた、高校時代の戦い。それがそのままここへ転化してきたような錯覚を互いに覚えていた。乱馬を賭けての勝負ではなく、互いの意地と名声を賭しての真剣勝負だ。
 会場は、女性対決という意外な結果になった、Bブロックの会場へと殺到する。

「両者、前へっ!」
 立会人の軽やかな声が会場に轟く。
 張り詰めた空気が対峙する者たちの上を覆い尽くしていった。



 同じ頃、Aブロックでも準決勝が始まっていた。こちらは男同士の闘い。若干、花が無い分、あかねたちのBブロックよりは人並みがまばらなような感じがした。だが、対峙する者同士はそんなことお構いなしだ。
 二人の若き獅子は互いに気を放出させながら睨みあった。
 これを勝ち残れば決勝だ。
 互いに、Bブロックの結果は知らされていない。己たちの勝敗のみを決すれば良いから、知る必要もなかった。事実上の決勝戦と人々は口々に言った。
 武道場へ上がると、先に声をかけたのは祐三だった。
「君が早乙女乱馬君か…。僕は負けない。あかねのためにも!」
 既にこのとき、勝負は始まっていたのかもしれない。
『あかねのためにも!』
 祐三が吐き出したこの言葉に、乱馬の眠っていた闘志に火が点いたのである。
 忘れていた言の葉。昔は己が口にしていたこの言葉。
(俺は負けねえ…。負けたくねえ!こいつにだけは…。)
 何故そう思ったのか。理由はわかりかねた。いや、そう思ったことも、彼は特別、意識すらしなかった。メラメラと湧き立つ闘志。


「無制限一本勝負っ!用意っ始めっ!!」
 
 互いの武道場に響く合図。
 四人の若き武道家たちは、己の力を信じて互いに飛び出していった。



つづく



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