アドベンチャーランド編  その1

一、
 
 ゲートを抜けると、正面にワールドバザールが見えて来る。
 今日は平日の水曜日。統計的には一週間のうち一番入園者が少ない曜日だった。それでも開園を待つ人の列はずっと後ろまで続いている。
「平日だっていうのに、案外、人が多いんだな…。」
 乱馬は感心したように呟く。
「これでも、行楽シーズンの土日とは比べものにならないくらいすいているほうよ。」
とゆかが答える。
 人波に呑まれてはぐれないようにと乱馬はしっかりとあかねの右手を握り締めていた。そのまま、固まってしまうのではないかと思うくら いぎこちない。照れ臭いのかあかねとは言葉どころか視線も合わせられないくらい緊張しているらしかった。
 開園の時間が来ると、ゲートが一斉に開き人々の波はゆっくりと流れはじめていった。
「ようこそーっ!いってらっしゃいーっ!」
 ゲートにいるキャストたちが黄色い声を上げながら、入場してくるゲストたちを夢の国へと誘った。一人ひとり丁寧にチケットを確認されると、ゲストたちは順番に中へと吸い込まれてゆく。
 折角、つながれた二人の手も、残念乍らゲートのところで途切れてしまった。
 
 キャストたちの笑顔に迎えられて、パークに入ると、小冊子を渡された。
「Today‘s Information(トゥデーズ インフォメーション)」。ショーやパレードのタイムテーブルや場所が週間単位で書かれたものだ。
「これは役に立つから、持っておいた方がいいわよ。」
 ゆかが皆に促がした。
 TDLのハードリピーターにもなると、これらのショーを目当てにインパークするというマニアもたくさんいる。「Today‘s Information」は、週間単位でショーの詳細が明記されているパンフレットだが、開園記念日(4月15日)やドナルドダックの誕生日(6月9日)、ミッキーマウスの誕生日(11月18日)などのスペシャルデーは一日仕様となる。中にはこれを集めているというコレクターマニアもいるので、TDLは本当に奥が深い。
 
 それはさておき、乱馬たち六人は、無事、インパークしたのだった。
 
 ゲートの中は少し広場になっていて、やおらカメラを取り出して、写真撮影に興じる観光客たちもたくさんいた。
 その向こうには、大きなアーケードの街並みが緑の床面とともに、ずっと正面のシンデレラ城まで真っ直ぐに伸びている。
 雨の多い日本という土地柄を反映して作られたアーケードだった。両側にはずらりとお土産やが立ち並ぶが、どの店も凝ったショウウインドウで飾られていた。
 あかねは初めて体験するディズニーワールドに目を輝かせながら、方々をキョロキョロ観回していた。
 「ワールドバザール」と呼び習わされるこのアーケードの街並みは、設計のときに奥行きが実感できるようにと、わざと奥へ行くほど低くと寸法を変えてあるというのだから、驚きだ。そういう、細やかな気配りがディズニーの真骨頂かもしれない。
 
「ねえ、ミッキーの形をした風船があるのね…。」
 あかねは感心したように話し掛ける。
「あかねちゃん欲しいの?」
 大介が微笑みながら答えを返す。
「なんでい、ガキみたいなこと言ってるんだなあ。」
 いつものように乱馬が悪態を吐く。
「いいじゃん、かわいいよなあ…あかねちゃんのそういうところさ。」
 と大介はお構いなしに話かける。
「今更、風船を欲しがる歳頃でもないだろうに…。」
 乱馬はむすっと答える。
「何よっ。女の子は幾つになっても、夢を忘れないのよ…。ねえ、ゆか、さゆり。」
 あかねは乱馬の言葉に反応して言い返す。
「そうね…別に絶対欲しいとか、子供のようには思わないけど、ここは童心に帰れる王国だから。風船を片手にっていうのも別にいいんじゃない?」
 とゆか。
「買ってあげたら?」
 さゆりが乱馬の脇を肘で突付いてみせる。
「何で、俺が…。」
「いいわよっ!買いたきゃ自分で買うから!!」
「もう、二人とも素直じゃないんだから…。」
 
 その脇を5歳くらいの女の子がすり抜けて、バルーンベンダーの所に駆け寄って行った。大方風船を買いに来たのだろう。バルーンベンダーの女性にピンク色の風船を指差して女の子はお目当ての風船を手にとった。そして、満足げに母親の元へと駆けてゆく。
 母親とおぼしき女性は後方でベビーカーを押してニコニコと微笑んでいた。
 
「いいな…。お母さんに買ってもらえて…。」
 あかねはその様子を観て、咄嗟に口から言葉を吐いた。聞こえないくらいのか細い囁きだったが乱馬にはちゃんと聞こえていた。
 あかねが少し寂しそうに笑ったのも乱馬はちゃんと見ていた。だがそれには何も答えなかった。
 多分、あかねは女の子に亡き母への慕情を感じたのだろう。乱馬はあかねの気配でなんとなく彼女の心情が分るような気がした。
 大方、あかねが風船に目を転じたのも、幼い頃に母と別れた微かな憧憬が成せたことだったのかも知れなかった。
 乱馬とて、同じだ。今でこそ母親と暮らしていたが、つい最近までその存在すら知らずにいたほどだ。随分乱暴な話だが、父親によって「 修行に専念する」という名目で離ればなれにされ、過ごしてきたのだった。
 あかねと二人きりでパークに来ていたなら、ひょっとすると風船を買ってやったかもしれないが、何分、不器用な乱馬だった。
 羞恥の目に晒されてまで、風船を手に取る行為に及べるはずがない。
 
 
二、
 
「ねえ、まずは時計回りでパークを楽しみましょうよ♪」
 ゆかが声を上げた。
 ゆかによれば、パークに入園した人波は、何故かシンデレラ城に向かって左側のトゥモローランドへと多く流れて行くという。「TDL右回りの法則」とか称されているらしい。それに逆らって、右側のアドベンチャーランドからの方が遊び易いとゆかは言うのだった。
 
「どっちに行ったって、たいして変わりねーんじゃねえか?」
 乱馬はきょろきょろと辺りを伺いながら呟いた。
 
 一同は遊び慣れたゆかの進言に従って、アドベンチャーランドの方向へと足を進めて行く。
 開園前のゲートではしっかり握られていた乱馬の手も、今はすっかり離れてしまって、おまけにあかねとは少し距離を置いて歩いていた乱馬だった。すっかり普段の二人に戻っていた。そう、肩を並べているようでそうでないようで…。手を伸ばせば引き寄せられる距離ではあったが、敢えて乱馬はあかねの手を取らなかった。
 あかねもさっき手を握られていたことすら忘れ去っているようだった。
 この不器用なカップルに魔法をかけるのは、ミッキ―とて容易ではないだろう。
 
 ワールドバザールのメインストリートを左へ曲がると、アドベンチャーランドに行くことが出きる。
「わあ、銀行まであるわ。」
 あかねが感心したように声を上げる。
「遊ぶのに先立つ物も必要になってくるからネエ。銀行があってもおかしくはないのよ。」
 ゆかが軽く受け流す。
 あかねにとっては何もかも新鮮に映るらしく、しきりに色々なことに感動しているのだった。
 ワールドバザールの屋根付きアーケードを抜けると、また、青空が射すように一行を迎え入れる。緑の木々は枝葉を揺らし、渡って行く風も心地が良かった。
 
「まずは、カリブの海賊から行こうか?」
 さゆりが話しかけてきた。
「カリブ…ね。」
 ゆかが答えると、また歩み始める。
 ゆかもさゆりも慣れたもので、一行をぐんぐんと引っ張って行く。
 初心者のあかねと乱馬は彼女たちの促がすままに、後ろを付いて歩いて行く。
 
「なんか。不思議な空間だな…ここ。」
 歩きながら乱馬はふとそんなことを口にした。
 別に誰彼に話し掛けた訳ではなかったのだろうが、一番近い所にいたあかねがその問い掛けを受けた。
「なんで?」
「だってよー、遊園地らしくねえじゃん。ガチャガチャした乗り物は見当たらねえし、観覧車だってねえ。子連ればっかがウロウロしてるかって思ったけど、いい歳した連中もいるし。それにしてもカップルも多いよなあ…。」
 確かに彼が指摘するように、ここには場末の遊園地特有の喧騒がなかった。
 街並みの建物一つ取って見ても、丁寧に作られているし、何よりも塵一つ落ちていないのが乱馬には不思議に思えたのだった。
 
 その街並みの一軒家のような場所に、カリブの海賊の入口はある。
「さ、行くわよ。」
 そう言いながら、ゲートを抜ける。
 チケットの確認が終わると、一同はずんずん奥へと入って行った。
 きっと人波が多い日は、並ばせるのか、思ったよりも通路は奥へと深く入り込んでいる。
 少し暗がりになっていって、思わずあかねは何かにつまずくように前へとつんのめった。
「きゃっ!」
 と悲鳴のような軽い声を上げたのと同時に、一番近くにいた乱馬がそれを支えた。
「くぉら、気をつけろよな…そそっかしい奴だな…」
 ぶつぶつ文句をいいながらも、支えた手先は優しかった。
「暗いから気をつけてね。ほら、乗り場はそこよ。」
 くすくす笑いながら先に行くゆかが後ろの二人に話し掛ける。
 思わずはっとなって、触れ合った手先は離れてしまい、二人の距離がまた少し開いてしまうのだった。
 
 まだ開園したてだったので、殆ど行列は無く、舟型のゴンドラにも待たずに乗ることができた。
 だいたい、4人ずつ前から順番に並ばされて、大きく足をまたいでゴンドラに乗り込んで行く。
 4人ずつだったので乱馬とあかねはゆかたちの後ろにポツンと座らされた。横には別のカップルが並んで座る。
 水に浮かんだゴンドラに、乱馬とあかねはきょろきょろと辺りを珍しそうに見回す。
「わあ、あんなところにレストランがあるわ。」
 暗がりの向こう側に、蝋燭の火がゆらゆらと揺れるレストランが見えた。
 まだ、客の影はなかったが、雰囲気がとてもロマンチックにあかねには映ったらしい。
「こんなところで食事するのもいいなあ…。」
 と呟いていた。
「ブルーバイユーって言う名前のレストランよ。ちょっとしたディナーが楽しめるらしいわ。高い方の値段設定のレストランだから、あんまり 貧乏学生は行けないけどね。」
 あかねの呟きが聞こえたのだろう。ゆかがチラッと後ろを振り返って教えてくれた。
 
 ブルーバイユーと呼ばれるこのレストランは、ゆかが言うとおり、少し高めの値段設定で落ちついて食事を楽しめる空間だった。夜ともなるとカップル達で賑わう。数あるTDLのレストランの中でも、カップルにはオススメの空間である。
 
 予定人数が乗り終わると、ゴンドラはゆっくりと水の上を滑り始めた。
 バンジョーの音が静かに鳴っている。夜の雰囲気だ。辺りの水辺には蛍の光まで演出されている。
 天井は左程高くはなかったが、星空まで電球で演出されていた。
「あっ!流れ星…。」
 ふっと天井を流れ星のように一筋の光が過ぎって流れる。
「へー、手が込んでるなあ…。」
 水面に揺れるブルーバイユーレストランの明かりがたおやかにゴンドラを夢の世界へと導いているようだった。
 ゴンドラは不気味な骸骨の洞窟へと進んで行く。
 後方にいるらしい子供がしきりに怖がっているのが耳に入った。
 
 
 ゴォーッ!!
 
 骸骨の不気味な誘いとともに、ゴンドラが急流を滑り落ちた。
「きゃーっ!!」
 予期していなかった、水落にあかねは思わず乱馬にしがみつく。
 水こそかからなかったが、いささか乱馬も驚いた。
 しがみついてきたあかねの肩を左手でしっかりと包んでいた。
「あーびっくりした。こんな所で急流滑りがあるなんてな…。」
 あかねを支えながら思わず苦笑する。
 ゴンドラは映し出す洞穴の宝物や骸骨を不気味に映し出し、一行をカリブ海の海賊の世界へと誘うのだ。
 船同志の大砲の応戦は、本物の臨場感そのままに砲台が火を吹いて煙まで立ち上る。夜霧の海が海賊たちの荒々しい世界を演出する。
 乱馬もあかねも偽者とは分っていても、手の込んだ作り物や人形たちにすっかりと釘付けになってしまっていて、しがみつかれてからずっと肩を寄せあっていることすら忘れてしまっていた。
「あの人形さんかわいそう…。」
 拷問の広場にやって来て、井戸の中に漬けられている人形を見て、あかねが気の毒そうに呟く。
 人形とはわかっていても、何だか気の毒に…というより、自分だったら女に変身してしまうことを思い巡らしてしまい、思わず乱馬は苦笑した。
 男たちに追い掛けられ逃げ惑う女たち。それに混じって女に追い掛け回される情けない男の人形までいた。
 海賊に襲われた街は炎で炎上し、作り物とは分っていても、その熱気までが伝わってくるようだった。
 迫る火の手に牢に入れられた囚人達が必死でかぎをくわえた犬を手なずけようとしている場面や、火が回っていても酔いどれている人形など…様々な人間がそこに描き出されていて、乱馬は内心舌を巻いていた。
 ラストは鉄砲の打ち合い…まるで頭上を弾丸が飛び交っているように思えてくる。酔っ払いたちの打ち合いだった。
 
 喧騒を逃れて、ゴンドラはようやく終点に辿りついた。
 よろめかないようにあかねを支えてやりながら、乱馬は船を降りた。
 こんな優しさは普段はどこかに形を潜めているのに、少しだけ自然に振舞えるのも、もしかしたらディズニーマジックの成せる技だったのかもしれない。
 あかね自身も嫌がることなく、自然にごく普通に乱馬の気遣いを、また、受け入れていた、
 でも、出口を過ぎると、大介やひろしの手前、また何事もなかったように支えていた逞しい腕はあかねから離されていた。
 出口で感じた太陽は、夏が近いことを彷彿とさせるように、そんな二人を照らし出す。
 あかねも乱馬もその眩しさに、思わず目を細めて、それぞれ一つ軽く溜息を吐いた。
 
 つづく



パーク右回りの法則なんて、過去のものかと思いきや…今も、結構しっかりあるようです。もっとも、一番人気のビックサンダーマウンテンやスプラッシュマウンテン方面へ向かう人は真っ直ぐ突き進む人が多いと思いますが…。
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