#4 嵐の予感
約束の時間は午前9時半。
あかねは早起きしてさっさと朝ご飯を食べていた。
…できれば乱馬と鉢合わせしたくない…
彼女の乙女心がそんな風に追いやった。多分、乱馬はギリギリまで寝ているだろう。喧嘩中とは云えども、四六時中乱馬のことが気になるあかねであった。
お弁当でも作って行こうかと思ったが辞めた。
一緒に暮らしている乱馬にならいざ知らず、良く知らない男性にそこまではできない。あらぬ誤解を受けて後々尾を引くのも面倒だと、心のどこかで打算的に考えていた。そう、ただの面当てに過ぎない約束。
…あーあ。やっぱり軽薄だったかなあ…
溜息があかねから漏れる。今頃になって後悔のような念に捕らわれてしまう自分。
部屋へ帰って、服を選んでみる。
鏡の前に向かう自分を見詰めて、ちっとも嬉しそうに振舞えない自分に愕然とする。
…この前乱馬と出掛けた郊外の方が楽しかったな…
帰りの電車の中で乱馬に身を寄せながら幸せに眠ったあの小さなデート。朝からるんるんで、服を選ぶのも気合が入っていたような…。
あかねも年頃の少女。
…今頃、乱馬の相手の子は上機嫌で服を選んでいるんだろうな…
どうでもいいような気持ちになって、適当にスカートとブラウスを洋服ダンスから取り出すと、無造作に着替え始めた。勿論、化粧などもする気になれず、乳液と化粧水を薄く付け、簡単に髪を整える。
あかねが家を出ようとしたときに、乱馬が眠そうな目を擦りながら起きてきた。無論、廊下ですれ違っても、顔さえ合わそうとしない。気まずい沈黙が二人の上を通り過ぎてゆく。
不器用過ぎる二人。お互い意固地になり過ぎていて、相手を労わる心をどこかへ置き忘れていた。
あかねはこれ見よがしに、奥の方へ向かって「いってきます!」と叫ぶように言って、玄関の引戸を開けた。朝の空気がなんとなくひんやりと頬を撫でる。あかねの憂鬱な気持ちとは裏腹に外は憎らしいほど上天気。
一方乱馬も、重い気を引き摺りながら目覚めた。
…デートは今日か…
自分から承諾してみたものの、彼もまた気乗りしない。昨夜も遅くまで考え事してしまい、寝つけなかった。男らしくないと思うが、自分の事はともかく、あかねのことが気になってしょうがないのであった。
…あんな奴のこと、どうだっていいじゃねえか…
口先で否定してみるものの、落ちつかないのであった。そのフザケタ野郎に彼女を盗られるのではないかという恐怖心。それが心を絞めつけてくる。
さっきすれ違ったあかねの着ていた明るい色の洋服にまで嫉妬をしている自分が情けなかった。
この前肩に頭を預けてまどろんでいたあかねの幸せそうな寝顔…。あれは全て幻だったというのか。
なびきの横で朝ご飯をかっ込みながら、乱馬はこみ上げる不快感と闘い始めていた。
…ホントに素直じゃないんだから…
なびきは箸を伸ばしながら乱馬を観察していた。
いつもなら2膳は軽い乱馬だったが、今日は1膳で白いご飯を辞めた。
身の体裁など全く気に留めない乱馬は、普段着のチャイナ服のままで出掛けた。
なびきは乱馬が出掛けるのを確認すると携帯電話を取り出してあちこちにかけ始めた。
「何やってるの?なびきちゃん。」
かすみが不思議そうに問いかけると、
「ちょっとね…商売よ。」
そう言いながらなびきはほくそえんだ。そう、あかねと乱馬のそれぞれのデートの情報を、それぞれの上顧客に売ろうというなびき流の金儲け術であった。それぞれの取巻きに、なびきが仕入れた最新情報を横流しにして報酬を貰うのだ。
電話を数本掛け終ると、
「あたしも出掛けてくるわ。面白そうだし…。」
そう言って、なびきも天道家を後にした。
あかねの待ち合わせは練馬の駅前。
あかねより先に相手は来ていて、あかねを見つけると爽やかに話し掛けてきた。
「良かった、来てくれないんじゃあないかと心配していたんだ。」
まだお互い名乗りもあげていなかったので、自己紹介する。
彼の名前は「剣卓也」という。
「卓也って気軽に呼び捨てで呼んでくれたらいいから・・。」
そう言って浅黒い顔をほころばせて笑った。
あかねにしてみれば、呼び捨てにできる男の子は乱馬くらいしかいない。何故か彼だけは最初から呼び捨てにしていた。同じ年の同居人という気軽さもあったのだろうが、何故か最初から「乱馬」と呼んでいた。彼もまたあかねのことを馴れ馴れしく「あかね」と最初から呼び捨てにしていた。それが当たり前に今まで過ごしてきたので、深く考えたこともなかった。
見知らぬ男の人に「呼び捨てにしてくれてもいいから。」と言われても、何故かピンとこないあかねであった。
ぎこちないあかねのデートの始まりだった。
一方乱馬は…。少し後に同じ練馬の駅前にてラブレターの主を待っていた。見上げる空は抜けるように青い。
「お待たせしてごめんなさい。」
後ろを振り返ると、白いスカートをひらひらとさせたワンピースの少女が笑い掛けてきた。
乱馬は彼女を見て、少しだけ固まった。彼は本当にウブで、女の子とのこんな状況には慣れていなかったのだ。
「私、剣麻衣子って言います。よろしくお願いします…乱馬さん。」
頬を真っ赤に染めながら答える少女。
…あかねもこのくらい可愛かったら…
乱馬はほっと溜息を吐き出す。
乱馬自身、気付いていなかったが、彼の思考は完全に「あかね標準」で回っていた。そう、女の子と接する時は、決まって「あかねもこのくらい…ならいいのに」という表現が頭を巡るのだ。彼にその気がなくても、必ず「あかね」と比べた目で見てしまうとでもいうのだろうか、そんな癖がついていた。
「何処へ行こうか?」
一応、伺いをたててみた。
「あの…遊園地へ行きませんか?実は…私の兄も、今日はじめて女の子とデートするらしくって…よかったらダブルでどうだ…なんて言い出したものですから。」
特に行き先の予定も決めていなかった乱馬は、ありがたく申し入れを受けることにした。何より、二人きりというのはどうも気が引けるのだ。この際、お邪魔虫が居た方が気が楽でいいと判断したのだった。
「別に俺はいいけど…。」
乱馬が答えると
「よかった…。私も不安だったんで・・兄と一緒なら大丈夫な気がしていて…。」
と言って笑った。
乱馬は少女の笑顔を見て、何故かあかねの笑顔を思い出していた。
…今頃あいつも、他の男に微笑み掛けているんだろうか…
乱馬は麻衣子と連れ立って、彼女の兄が待っているという遊園地に足を向けた。
開園したての遊園地の入口は家族連れやカップルで混み合っていた。人込みをすり抜けて、麻衣子は兄の姿を探している。乱馬はその後ろを、落ちつかない様子でついていた。
「あ…いたっ!お兄ちゃんっ!」
麻衣子は探し当てた兄を見つけて声を上げる。
「よかったなあ…。」
乱馬は麻衣子にとも自分にとも言えないような調子でそう言った。
麻衣子の向かう方向を見て、乱馬は愕然とするまでにそう時間がかからなかった。麻衣子に向かって手を振る男。
その男の横には…あかね。
嬉しそうに手を振り合う兄妹。
その横で予想だにしなかった「互いのパートナーの相手」。意外な展開に乱馬もあかねもただただ無言で見詰め合うばかりだった。
つづく
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