#3 波紋のアルペジオ
「ねえ、あかね。本当にあの人と二人っきりで会うの?」
ゆかが問い駆けてきた。
あかねと乱馬の雰囲気があやしくなってしまったことは、学園中の話題の種になっていた。いろいろな噂やひそひそ話が本人たちの見知らぬところで繰り広げられているのもまた事実であった。
乱馬とはずっと口さえきいていなかったし、視線も合わそうとしない。
「うん…。助けて貰った手前なんだか断わるのも悪いと思って。あ…だからってすぐお付き合いするとか恋人になるとかそういうんじゃあないのよ…。」
あかねはわざとらしく笑顔を作って級友たちに答える。
「乱馬くんは?いいの?」
さゆりが心配げに覗きこむ。
乱馬の名前を出されてあかねの顔が一瞬曇った。
「いいの…。あんな奴…。」
正直、乱馬のことが気にならない訳ではない。しかし、頑なになってしまった心はちょっとやそっとでは柔軟にならない。それは、あかね自身の性格も合間ってどうしようもないことだった。ラブレターのあてつけに道端で出会った大学生の誘いを勢いで受けてしまったというところもあるのだ。軽薄だったかもしれないが、乱馬の態度を見ているうちにだんだん腹立たしくなってきて、自分でも感情がセーブできなくなっていたのである。
厄介なのは、あかねだけではなく、乱馬もまた同じ気持ちを燻らせていたことだろう。互いの気持ちに正直になって、表面を覆い被さる虚栄心や猜疑心、嫉妬心を取り除いてみれば、何のことはない「互いに相手のことが気になってしょうがない不器用な二人」が存在するのにである。
ゆかもさゆりも付き合いが長い分、あかねの本心はとっくに見切っていた。
「無理してる。」
親友たちにはそんな風に映っていた。
でも、また、それを撤回するようなあかねではないことも百も承知だった。
勝気な性分の彼女は、自分の非を認めたり自分から折れてゆくようなか弱さは決して見せない。相手が乱馬だとますます虚勢を張ってしまう傾向にある。
「乱馬がデートするなら、あたしだって…。」
あかねの本心はそんなところだった。
別に、大学生に興味があった訳ではない。どちらかと言えば、強引にあかねを誘ってきた嫌いがある。
ただ、格闘のセンスや不良たちとのやり取りを見た部分だけでは、好青年であった。強引とは言っても決して嫌味なそれではなかった。白い歯を覗かせながら爽やかに話し掛けてきた。悪い人には見えなかったのだ。
あかねが躊躇していると
「一度だけでいいから…妹もデートするって言ってたから、合流して遊びに出掛けてもいいし…。」
そんな誘い方だった。
ゆかとさゆりはやれやれといった表情で互いに肩をすくめて見せた。
そこへ九能が乱入してきた。
「天道あかねっ!君は僕という人がありながら、大学生と交際を始めるというのは本当のことか?」
したしたと廊下を走ってきた九能は、間髪入れずにあかねに抱きつこうとした。
「いやあっ!!」
いつものように九能を粉砕するあかね。窓から九能を蹴り出していた。
「俺は絶対認めないぞーっ!天道あかねーーっ!!」
九能は叫びながらグラウンドの方へと飛び去ってゆく。
九能だけではなかった。あかねのファンは、元より学園のそこら中に居る。みな一葉に納得のいかない顔をしていた。五寸釘などは妖しいまじないめいた呪詛まで持ち出す始末だ。
「けっ!あんな寸胴女のどこがそんなにいいんだよっ!」
乱馬は乱馬で、ふわついた教室をそんな言葉で諌めていた。
あかねと乱馬の投げ掛けた「デート宣言」の波紋は相当なものであった。
ただならぬ雰囲気を持って現れたのは九能だけではない。
そう、乱馬を慕う三人娘もまた相当な入れ込み様であった。
シャンプー、小太刀、そして右京…。いずれも思い込みが激しい性格をしているので、乱馬のラブレターの事実を知った途端、相手の麻衣子をそのまま引きずり出して痛い目に合わせてしまうのではないかと危惧されるくらいの取り乱しようだった。
「なんであるか?乱馬!私という者がありながら、デートする気あるか?」
「乱馬さまっ!ああ、私が長い間放ったらかしにしていたのお寂しゅうございましたのね…。」
「乱ちゃん。許婚のウチの立場はどうなるんや?」
ヤキモチ、嫉妬の雨あられ。
乱馬の意志とは裏腹に、この日の放課後、乱馬は三人にシツコク追いかけ回されたのである。
「何で、俺がこんな目に合わなきゃなんねえんだよっ!!」
追い回されながら乱馬は必死で逃げまわる。
乱馬の件に関しては、ムース、九能が喜んだのは言うまでもない。
「乱馬が別の女とくっついてくれたら、オラは安心してシャンプーを嫁にできるだっ!」
「早乙女ーっ!ボクは応援しているからなあっ!」
そう言いながらこれまた喧騒に付合うのだった。
良牙はあれ以来迷っているのか、この町内には現れなかったのであるが…。
あかねの方はといえば、乱馬との仲が崩れたとあって、また、一様に学園の男連中に追い回されていた。
また、就業前の格闘騒動が始まったのである。誰彼となく、闘いを挑んできては打ちのめされる。そんな朝の悪夢が甦った。
「もうっ!なんなのよーっ!」
髪を振り乱しながらあかねは果敢に責めたててくる男たちを粉砕する。
これに関してだけは、シャンプーも右京も寛大で、にこにこしながらあかねに話し掛けてくる始末。
尤も、小太刀だけは「前々から思っていましたけど、乱馬さまには天道あかねなんて問題外ですわ。」など言って、あかねには関ろうとはしなかった。
周囲の多大なお節介と好奇の目に晒されて、二人とも、ますます心を硬化させていくのであった。
無論、仲直りなど考えも及ばない。どころか、ますます二人の心の距離は離れてゆく。
家の中でも、ぎすぎすしていて、何をするに当たっても言葉一つ交わし掛けない…。「断絶状態」であった。
「困ったものだねえ・・早乙女くん。」
「ホントだねえ…天道くん。」
二人の無責任な父親たちも、縁側で悲嘆の溜息を漏らす。
「お茶、ここに置きますわよ…。」
のどかだけはのほほんとしていた。
「ねえ、おばさま。あの二人…。」
かすみまでもが不安な顔つきでのどかに話し掛ける始末だった。
「大丈夫よ…。反目しあっているように見えても、あの二人の心はちゃんと繋がってるの。不機嫌なのは、二人とも互いのことをたくさん考えている証拠よ。」
「そうかしら…おばさま。いつもの喧嘩とは少し雰囲気が違って見えるし…。」
かすみが頬に手を当てながら言うと
「見ていて御覧なさい…。デートの後にはきっと、お互いの大切さに気がついて、前より絆は固くなるわ。」
そう、心配げな、そして好奇の目の周囲から醒めていたのはのどかとなびきくらいのものだろう。
なびきはといえば、相変わらず金儲けが優先していて、乱馬とあかね、それぞれのレアな状況などの情報をそこら中に有償でながしているという始末だった。そのあたりは流石と言っていいだろう。
「喧嘩する度に、あの子たちの絆は確たるものになっているのよ…。かすみちゃん。」
そう言って、のどかだけは愉しそうに微笑むのだった。
ただ、乱馬もあかねも知らなかった。
それぞれのデートの相手が兄妹であったという、奇々怪々な事実を…。
つづく
アルペジオ(arpeggio)
音楽用語。アルペッジョとも発音される。
日本語に約せば「分散和音」。和音を上からまたは下からバラして演奏するもの。
「ハープを演奏する」という意味の言葉から派生したらしい。
私はピアノはともかく、弦楽器でアルペジオのスケールを弾くのは大嫌いです。・・・(基本なんですけどね)
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