October Variation(時雨月の変奏曲)

♯1 舞い込んだラブレター


「なんだよ…あかねの奴…。」
 乱馬はぶつくさ言いながら帰り支度を始めた。
 隣の席のあかねはずっと黙ったままで、こちらを振りかえろうともしない。
 昨日からずっとこの調子だった。
 乱馬とあかね。
 日常茶飯事のように言葉の応酬をするこの許婚カップル。「喧嘩するほど仲がいい」。それは周りの一致した見方で、今更この二人の喧々囂々(けんけんがくがく)に誰一人口を挟むものはいなかった。
 今回もそう。
 原因といえば、昨日のシャンプーの闖入(ちんにゅう)にある。
 あかねと映画でも見に行こうと誘った乱馬。彼はあかねに多大な借りがあったのだ。定期試験の追試を受けるにあたり、あかねの世話になった。おかげでなんとか乗り切ったので、礼に前から彼女が見たがっていたロードショーでもと思って誘ってみた。
 学校帰りに二人で行くつもりだった…。なのに、いつもの如くシャンプーが現れておじゃんになった。あかねはそれが気に食わなかったらしく、昨日からずっと口さえ開こうとはしない。
 …俺だって好き好んでシャンプーに付きまとわれてた訳じゃあねえんだ。なんだよ…あかね奴…
 無論、「非」は乱馬の上にあることはわかっていた。突然振り出した雨に打たれ、シャンプーが猫に変身してしまって様相が変化したのである。そう、猫を見ると見境がなくなる乱馬…。気がつくとほうほうの体で逃げ出して一人居候先の天道家に帰ってきてしまっていた。堪らないのは、約束を反古(ほご)にされたあかねであった。それも良くわかっている。
 だから謝ろうと思ったのに、彼女ときたら「不快」を顕わにした顔つきをしていて、とりつく島も無かったのである。
 …なんでえっ!人がちゃんと謝ろうと思ってるのに…
 こうなると乱馬もまたヘソを曲げてしまいたくなる。だんだん腹が立ってきて、彼もまた陳謝の意を取り下げてしまった。

 わざとらしく、女友達と帰り支度を始めるあかね。
 いつもなら二人で共に後にする教室。別に申し合わせている訳では無いが、同居しているという加減で、大概は二人で下校するのが習わしになっていた。だが、極悪な雰囲気の二人には無理な話だろう。
 乱馬は、憮然とした表情で、あかねの前から先に教室を出た。

 校庭はすっかり秋の様相を呈し、校門に続く道は銀杏が黄色く変色をし始めていた。その脇を不機嫌極まりない顔をして、黙ってポケットに両手を突っ込んで歩き始める。
 校門の脇には、見慣れぬ制服の少女達が3人タムロしていた。いずれも薄めの紺のセーラー服。風林館高校の生徒でないことは一目瞭然だった。少女達はそわそわした様子で、時々、校門の中を覗いては、お喋りを続けていた。ロングへヤーの少女と短めのヘヤーの少女、そして少し太めの少女。ロングヘヤーの少女は清廉な感じの可愛い顔つきをしていた。
 風林館の男子生徒達は少女達を興味深げに振り向きながら校門をくぐっていった。
「ねえ、まだ来ないわね。」
「ホントにここの生徒かなあ…。」
「そうよ…。だって、この前の学園祭のとき、確かにこの学校にいたんだから。」
「どんな男の子よ。」
「かっこいいの…。強いのよ。不良に絡まれかけていたところを助けてもらったんだから…。」
 ロングへヤーの女の子が顔を赤らめて答える。
「でも、私…ちゃんとこれ渡せるかなあ…。」
 少女は不安げに友人たちを見詰める。
「大丈夫・・私達がついているんだから、しっかりやんなさいよね。」
「うん…。」
 少女は友人達に囲まれて、コクリと頷く。手にはピンクの封筒を握り締めていた。
「あ…。あの人だ…。」
 少女達はにわかに色めき立った。
「どの人?」
 友人達は興味深げに覗きこむ。
「あの、紺色のチャイナ服のおさげの男の子…。」
 そう言ってロングヘヤーの少女ははにかんだ。
「頑張って…麻衣子。」
「チャレンジあるのみよ…。」
 二人の少女はロングヘヤーの少女の背中をポンと押した。

 乱馬は不機嫌そうに歩きながら、校門を抜けようとした。
 と、少女が近寄ってきて乱馬の前にスクッと立った。
「ん?」
 乱馬が驚いて立ち止まると
「あ、あの…。こ、これ読んで下さい…。」
 顔を真っ赤にした少女がさっとピンクの封筒を差し出した。
「は…・?」
 乱馬は一瞬何がなんだかわからずに戸惑いの表情を向けた。
「麻衣子ったら…名前くらいきかないと・・。あの、あなたのお名前は?」
 友人達が老婆心ながら横から口を挟んできた。
「早乙女乱馬だけど…。」
 何がなんだかわからぬままに乱馬は自分の名前を口にした。
「さおとめ…らんま…さん。」
 封筒を渡した女の子は納得が言ったように復唱した。そしてそれっきり黙って乱馬を見詰めた。
 あの…あたし。麻衣子です。徳永麻衣子。あ、あの…その…。待ってます…。今度に日曜日…。詳しくは手紙を見てくださいっ!」
 顔を真っ赤にした少女は居た堪れなくなったのか、そう言い切ると、慌てて駆け出して行ってしまった。
「ちょっと、きみ…。」
 乱馬が止めようとすると親友達が声を挟んだ。
「あの…麻衣子が、あなたに憧れているんですって。」
「麻衣子は素敵な子です・・あたしたちが保証しますから…。泣かすようなこと、絶対しないでくださいねっ!」
 そう口々に言い切ると、走り去った少女の後を追って去っていった。
 
「な、なんなんだ…?」
 乱馬はただ、少女達の後姿を見詰めて、きょとんと立ち尽くしていた。

「可愛い子だったよなあ…。」
「あれ、S陵女学園の制服だぜ。」
 大介とひろしが乱馬の後ろからにゅっと顔を出してきた。
「何々…。」 
 ひろしは乱馬からピンクの封筒を取り上げた。
「愛しのおさげの君へ…だってよ。」
「どらどら…おーっ!これは…まさにラブレターじゃあありませんか…乱馬くんっ!」
 大介が脇腹を突付いてくる。
「ラブレターですって…?」
 横からゆかまで覗いてきた。
「えーっ!乱馬くん、ラブレター貰ったの?」
 波紋はだんだんに伝えられてゆく。烏合の衆というものはこういったスキャンダラスが好きらしい。乱馬の周りに人垣ができた。いずれも好奇の目を向けながら覗き込んでくる。
「ちょっと、あかね…。乱馬くんラブレター貰ったんだって…。」
 すぐ後ろを歩いてきたあかねにもそのことはすぐに伝えられた。
「別に…あたしには関係無いわよ。」
 乱馬と険悪なムードにあかねは興味を示さないで通り抜けようとした。
「いいの?許婚としては聞き捨てならないことなんじゃあ…。」
 さゆりが心配そうに声を掛けた。
「別に乱馬が誰からラブレター貰おうと、あたしの知ったことじゃないわよ。許婚って言ったって親が勝手に決めたことだし…。」
 わざと乱馬の耳に入るように吐き捨てながらあかねは通り過ぎた。
「なんで、乱馬ばかりがこんないい思いするんだよっ!」
「不公平だなあ…。世の中は。」
 ひろしと大介が互いを見詰め合って溜息を吐く。
「うるせえっ!可愛くねえ許婚一人でも持て余してんだっ!俺はっ!」
 乱馬もまたあかねに聞こえるように言い放つ。
 あかねはかっとしたのか、ふと立ち止まった。そして振り向いて言った。
「どうせあたしなんか可愛くない許婚よっ!さっきの子かわいかったからこの際、交際でもなんでもしたらいいじゃないっ!」
 売り言葉に買い言葉。
「あーあー、そうだなっ!おめえみたいな可愛くねえ許婚より、よっぽど素直そうな子だったよなっ!!」
 旋風が二人の間を通り抜けた。落ち葉がひとひらそれにのって舞い降りてきた。
「好きにしなさいよ。あたしの知ったこっちゃあないんですからねっ!」
「あー、言われなくても好きにするさっ!!」
「ばかっ!!」
「うるせえっ、寸胴っ!!」
 こうなると最早誰にも止められない。
 あかねはぷいっと横を向いて、
「行こっ!ゆかっ!さゆりっ!」 
 そう言ってさっさと歩き出してしまった。

「おい…乱馬。いいのか?」
「何が?」
「って、ホントにあの子に乗りかえるのか?」
 乗りかえるも乗り換えないも、乱馬の本心はあかねの上以外に有り得る訳ではなかったが、皆の手前、そういう感情は決して顕わにしない。乱馬は憮然とその問い掛けには答えることなく、さっさと校門を後に歩き始めた。
「おいっ!乱馬…。」
 ひろしと大介が呼びとめようとすると、突然後方で声がした。
 
「さおとめーっ!!あかねくんと別れるというのはまことか?」
 九能が叫びながら飛び出してきた。
 叫びながら九能はいつものように木刀を突き出してきた。
 乱馬はさっと身をかわしながら叫んだ。
「そんなこと、てめえに関係ねえだろーっ!」
 そう叫びながらいつものように九能を粉砕した。
「応援するぞーっ!僕はおまえの新しい恋人をっ!!」
 九能はそうがなりながら天高く舞い上がっていった。
「たくっ!俺がどうしようが関係ねえんだよ…。」
 乱馬は九能を見送ることもせず、そう一人で呟きながら校門をくぐりぬけた。
 手の中には折れ曲がったピンクの封筒。それを無造作にポケットに突っ込むと
「面白くねえっ!」
 そう言いながら小石を蹴った。
 小石はコロコロと転がって、道端の電信柱にぶつかって溝に落ちた。

 乱馬とあかね。喧嘩するほど仲がいい二人。
 でも、「犬も食わない痴話喧嘩」は思わぬ溝を掘ってしまうことがある。一度開いた心の穴は埋め合わせるのに苦労することだってあるのだ。この時の二人がまさにそうだった。
 二人の間に吹きつけた秋風。乱馬に舞い込んだ一通のラブレター。
 素直になりきれない二人の不協和音が、心に共鳴し始めた。



つづく




時雨月(しぐれづき)
 10月の異名。
 古典では一般的に「神無月(かみなづき・かんなづき)」と言い表します。これは、出雲へ神々が一年のことを決めに行ってしまって神様達がいなくな るという言葉の意味です。その決め事の中には「婚姻の事」なんかも含まれるそうですよ。逆に日本中から神様が集ってくる出雲地方では10月を「神 月(かみつき)」と言い表します。
 ところで、「神無月」や「神去月(かみさりつき)」ではムードが出ないので、敢えて異名の「時雨月」を選んでみました。
 10月は時雨(しぐれ)が多くなるのでこういう呼び方もあります。
 他にも「初霜月(はつしもつき)」とか「紅葉月(もみぢのつき)」という異名も有ります。

Variation(ヴァリエーション)
 音楽用語。日本語では変奏曲(へんそうきょく)。
 曲の主題(テーマー)に変化を次々と与えて再現(演奏)する手法の楽曲のこと。

 この小説のテーマは「乱馬とあかね心の動き」かな?
 微妙に揺れ動く、二人の心の流れを表現したいと思って書いていました。

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