◆まどろみ
行楽帰りの電車の中。横に座るあかねの柔らかい髪が頬を撫でた。ふと目を落せば、あかねは寝息をたてながら俺の肩に寄りかかっていた。
疲れていたのだろう。朝早くから起きてたみたいだからな…。
やっと定期考査が終わって、一息ついたとき、珍しくあかねの方から誘ってきた。
「今度の連休にどっか行かないっ?」
って。
結果はともあれ、試験勉強の時には、散々世話になったし、あかねと出掛けるのはイヤじゃなかったから、返答に間を置いてはみたものの、二つ返事で承諾した。
普段は喧嘩ばかりの俺たちだけど、心はちゃんと繋がってるから。
で、何処へ行くんだって聞いたら、何処でもいいって答えた。
なびきに貰った金がまだ残ってたから、郊外へでも行こうかって誘ってみた。
結局何処でもいいんだよ。おまえと一緒なら。
一番怖いのは邪魔が入ること。あかねといると誰彼邪魔に入ってくる。シャンプー然り、うっちゃん、小太刀、そして九能。
みんなそれぞれ連休の用事があったのか、珍しく邪魔が入らなかった。八宝斎のジジイも居なかったようだし…。上手い具合に、昨夜から親父たちと連れ立って温泉場へ湯治に行くとか言って出掛けちまったらしい。
何にしても邪魔が入らないに越したことはねえから、俺たちには有り難かったけど。
あかねの奴はいつもの数倍早起きして、お弁当を作ってたみたいだ。
やたら機嫌が良かったもんな。
いつも、あんな感じなら、俺だって素直に応えられるんだぜ…。家族の手前、浮き足立った表情は作ったつもりはねえんだけど。なびきが突き放したように「いいわね…楽しそうね…二人とも。」って言いやがった。一緒に出掛けるなんて言った覚えはねえけど、雰囲気でわかるんだろうな。
出掛けにかすみさんがこっそり「胃薬」をくれた。
「ちゃんと食べて上げてね…。」
ってニッコリ笑いながら。流石に長けているけど、かすみさんもあかねの腕を信用してねえことが丸わかりだな。
電車に乗ってずっと西の方へ向いて行った。
何処でもいいって言っちまったから、かえって行き場に困ったかもな。でも、ホントに何処でもいいんだよ。デートなんてそんなもんじゃあねえのかな?あ、いや、デートって呼べるのかどうかはわかんねえけど。
同じ屋根の下に居ても、家の中じゃあなかなかお互い素直に気持ちを出せねえもんな。外に出たからってそれが変わる俺たちじゃあないことも重々承知している。けれど、たまには二人きりの時間をたっぷり持ちたかった。
最近のおまえ、だんだん可愛くなっていくもんな…。俺好みになってるって言えば語弊があるかもしれねえけど。時々見せる素直さに翻弄されてどきどきしっぱなしのこともあるんだぞ。
勿論、気の強さまで変わった訳じゃあねえから、油断してると火傷しちまうけどな。
いざ二人っきりになると、なかなか言葉って継げねえもんだな。登下校の時もいつも二人なのに…。ついついいつものクセでズボンに手を突っ込んで歩く俺。傍に有るおまえの手に触れることすら躊躇ってできない。
ちゃんとエスコートしてやれば、もっと楽しめるんだろうけど…。
俺はこのままの関係をもう暫らく続けたいんだ。つかず離れずっていうこの距離を保ったまま。おまえに触れると、壊れてしまいそうで…いや、おまえを壊してしまいそうで怖いんだ。
そのままの無垢な笑顔をずっと傍で見ていたいから。おまえとの愛はゆっくりと育みたいんだ。贅沢かな。
だから積極的にもなれねえし、手だってまともに繋いでやれねえ。肩を並べて色付きはじめた山並みを見て歩くくらいしか…。
おまえも、俺と同じ気持ちなんだろう。傍らをゆく俺を挑発してくるでもなく、二人のゆっくりとした空間を楽しんでいるようだった。
お昼になると嬉しそうに風呂敷包みを開いてくれたもんな。そこには弁当のお重箱。一瞬俺は焦っちまったけど、一所懸命作ってくれたんだ。有り難くいただいた。
やっぱり、腕のほうは相変わらずで、見た目にも上手いとは言い難い卵焼きやタコさんウインナー、おにぎりや煮物や野菜の詰め合わせ。ブキッチョに弁当箱に収まる惣菜の数々。箸で摘み出したお新香は繋がってたし…。
でも、頑張ってたんだよな。
かすみさんから受け取った「胃薬」のカプセルを握り締めながら、俺は黙って料理を口へ運んだ。
でも、料理はもう少し腕を上げて欲しいな。俺が毎日おまえの手料理を食べるようになる頃にはもっと旨いもの作ってくれよな。見てくれは悪くてもいいからさ…味くらいは鍛錬してくれよ。頼むぜ。
「なあ、あかね、これ味見した?」
俺がこそっと言うと
「ううん…。」
だなんて。おい…。
二人して
「不味いね…。」
って言い合いながら食べる弁当ってなんか変だゾ…。
ハイキングの道を二人でゆっくり歩きながら、川のせせらぎと鳥たちのさえずりを聴きながら山の空気を思いきり吸い込む。こんなゆっくりとした時間は、普段の生活の中では味わえないもんな。別に何をするという目的もなかったけど、気持ち良かった。
おまえと二人で見上げる空は高く、深い青色をしていた。山はかすかに色付き始め、冬が近づいていることを感じた。季節はちゃんと移っているんだな。この前まではあんなに汗を一杯かいていたのに。木陰に入ると肌寒い気がしたもんな。
幸せな午後、俺はシートの上でまどろんで、起きあがったらおまえと目があった。
「なんだよ…」
ってバツ悪そうに聴いたら
「乱馬の寝顔ってかわいいね…。」
だって。あのな…。
ずっと覗いてたのか?きっと鼻の下伸ばしながらまどろんでたんだろうな、俺。
欠伸をして伸びあがったら、手が少しだけおまえに触れた。
あわてて引っ込める俺。やっぱり、ダメだな…まだ。
俺はときどきあかねの寝顔を覗き込みながら、思いを巡らせる。
電車が揺れるとあかねも軽く揺れる。いつしか、俺の肩にあかねの体重が掛かってくるのを感じ始めていた。あかねの温かさと柔らかさも心地良く俺に伝わってくる。あかねは熟睡しているようだった。
膝にはなんとか空にした弁当の風呂敷包み。
ゆっくりと育む愛でも、俺はおまえを離すつもりはねえからな…。
それだけは覚悟しとけよ…。絶対、誰にも渡すもんか。
親が勝手に押し付けた許婚…たとえそうでも。今の俺の中ではおまえはなくてはならない存在になっている。呪泉洞でおまえをなくしかけたときわかった。おまえのいない世界は俺には無味乾燥だから。
逆に言えば俺はおまえのためなら強くなれる。九能が最初に言ってたように、おまえの相手は強くなくっちゃな。肉体的にも精神的にも。やっぱり俺が一番強くないとな…。おまえをちゃんと守ってやらなきゃならねえから。
車輌が揺れるとあかねも揺れる。その度に俺は少し緊張してしまう。
余程に疲れ切っているのだろう。あかねはちょっとやそこらでは起きそうにない。ひょっとして昨日はあんまり眠れなかったんじゃあねえのかな…。
あかねの奴、健やかな顔をしている…。満たされているのかな。俺の傍で安心しているのかな…だったら嬉しいんだけど。
俺は代わりに微動だにできない。左肩が固まってしまったようだ。本当は左手を回しておまえの肩をしっかりと抱き寄せて、揺れないように固定してやりたいんだけど…やめとくよ。
下手に動かして眠りを妨げるのもイヤだからな。肩から伝わるおまえの温もりも心地いい…。もう少しこのままおまえの寝顔見守っていていたい…。 だから、わざと速い電車じゃなくて鈍行を選んで乗ったんだ。ゆっくり、二人の時間の余韻を楽しみたかったから。おまえは不思議そうな顔をしていたけどな。
車窓はだんだん、都会へ向かって景色を飛ばして行く。「練馬」につくまで、もう暫らくこのままで…。
完
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