◇マジカル★まじかる 第三章「迷える森」編

第一話 境界の門


一、

 東の魔界の境界線。そこを守る古魔女「ケイル」に別れを告げ、乱馬とあかねは再び旅の人となった。

 あかねの胸元には「東の国」の通行証の札が下げられている。ケイルの召喚獣と戦って手に入れた、ぴかぴかの通行札だ。
 通行札は硬い石で出来ている。何やら象徴文字のようなものが彫られている。
 これで晴れて東の魔女国を出られる。生まれて始めて外の世界へと出られるのだ。あかねは目を輝かせていた。自ずと鼻歌を歌いたくもなる。さっきから、東の魔界に伝わる「わらべ歌」の歌詞を繰り返して口ずさむあかね。
 
「ちぇっ!いい気なもんだぜ。」
 乱馬はあかねのすぐ後ろを歩きながら腕を頭に組んでいた。
「何よ。この通行札はあたしが自分の魔法力で貰ったもんなんだからね。文句はないでしょう?」
 じろりと鋭い目が乱馬に返される。
「まあ、おめえの力で獲得したもんには違えねえけど…。青息吐息だったもんなあ…。たかがケルベロス一頭倒すのに。」
 くくくと乱馬が笑い出した。
 そう、あかねとケルベロスの「死闘」を思い出したのだ。

 あかねは万策尽きた中で、ケルベロスに奇策を用いた。ケルベロスの犬の習性を逆手にとって利用したのだ。犬の「良く利く鼻」へ、臭気弾(スメルアップ)魔法を解き放って勝った。
 悲しき犬の性が禍したのか、あかねの放った臭気にケルベロスは脳天勝ち割られたように苦しむと、あさっさりとあかねに倒されてしまった。

「たく、あの匂い。まだ身体のどっかに染み付いてるような気がすらあっ!」
 そう言いながら乱馬はカラカラと笑った。
「何よっ!その言い草ぁ!臭気弾(スメルアップ)だって立派な魔法よっ!!それに、どんな勝負だったとしても、勝ちは勝ちなのっ!!」
 あかねは口を尖らせて乱馬にかみついた。
「そんな膨れっ面しねえの。…可愛い顔が台無しだぜ。」
 にこにこと微笑みながらあかねに切り返す。
「何よっ!それっ!!」

 万事、乱馬はこの調子なのだ。
 十六歳の誕生日に生まれ故郷の魔女の村を彼と一緒に飛び出して以来ずっとだ。
 二言目には「俺の嫁になれっ!」と言う。
 自分のような味噌っかすの劣等魔女をどういうつもりで嫁にしようと言うのだろうか。求愛されるあかねは、ほとほと呆れ返っていた。
 乱馬は東の大魔王の嫡子。つまり、彼はれっきとした東の魔界のプリンスだ。血統も良ければ魔法力も群を抜いて優れている。魔族の中の魔族だ。
 そんなエリートと言っても良い彼が、何故に自分のような出来損ない魔女に求愛をするのか。あかねは乱馬の真意をはかりかねていた。
 ただのお坊ちゃまの気まぐれな求愛行為なのではないか、と疑いたくもなる。そんな気持ちでは素直に彼の求愛を受け入れる気持ちにもなれなかった。
 となると、自然、あかねは乱馬に対して一線を画したがる。いや、それどころか「邪険」な物言いにまでなるのである。

 確かに大魔王の息子だけあって、彼には不思議な魅力がある。
 あかねとて、口では否定してみるものの、嫌いなタイプではない。
(普通の女の子ならこれだけ求愛されたらすいっと靡いちゃうんだろうけど…。あたしは嫌よ。絶対負けないんだから!)
 簡単に彼の求愛を受け入れるのも、何だか癪(しゃく)だった。
 求愛を受け入れた時点で、彼に負けてしまうという変な論理につながり始めていた。 複雑な乙女心の成せる業(わざ)であろう。
 穿った瞳でちらりとふり返る乱馬。
 彼の左耳には深い赤色のピアスの石が光っている。今朝、ケイルのところを辞す前に、彼女から貰ったものだ。
 はっとして自分の右耳を意識する。髪をかき上げるふりをして、そっとその硬い感触を確かめる。そう、あかねの耳元にも同じ赤色のピアスが淡く光っていた。




「これをおまえさんたちに渡しておこう。」
 ケイルは旅支度を整えて、一晩世話になった小屋を後にしようとしていた二人に、それを差し出してきた。
 皺くちゃな掌に乗せられた二つの小さな赤い石。形も色も殆ど同じような小さな石だ。
「これは?」
 あかねの疑問に乱馬は即座に答えた。
「これは、魔石か…。見たところ、ブラッドストーンのようだけど。」
 乱馬はケイルをふり返った。
「さすがに、ぼんは、目が高いね、そうさ、これはブラッドストーンさ。」
 ケイルは抜けた歯跡が覗く口元でにっと笑った。
「ワシの虎の子の魔石ピアスじゃったんだが、いずれ何かの役に立つだろうよ。ほうれ。受け取りな。」
 ケイルはふっとそいつを口息で飛ばした。
 すると、ピアスはまるで意志を持っているかのようにふわっと空へ舞い上がり、そのままあかねと乱馬の耳たぶへと張り付いたのである。
 ちくっと小さな痛みが右の耳元を走った。どうやら、ピアスが自分で肌を突き破って装着した瞬間だったらしい。
「な、何なの?このピアス。」
 あかねが不気味がって問い質した。
「このブラッドストーンは、魔法をコントロールする力があるとされる秘石さ。持つ者の力によって、その威力は増大されるとも言われている。魔法学校で習わなかったかい?」
 ケイルが笑いながら、あかねを見返した。
「そういえば、そんなことが教科書の隅っこのどっかに書いてあったような気もするわね…。魔石にはいくつか種類があって、魔法力を高めたり制御するのに使うって…。」
「そんな、魔石の中で、ブラッドストーンは、最高位の力を秘めていると言われてる。いわば、最高級の魔石だよ。」
 乱馬が説明した。
「へええ…。そうなんだ。」
「たく、これだからなあ。だから、おめえは落ちこぼれ魔女って言われるんだぜ。」
 しょうがねえなあと言わんばかりに乱馬はあかねを見返した。
「落ちこぼれって、失礼ねっ!…まあ、本当のことだけど。…でも、そんな、魔石を簡単に貰うなんて…。」
 あかねが目を丸くして、言葉を継ごうとしたのを、乱馬はせき止めた。余計なことを言うなと言わんばかりに。
 口元をいきなり押さえ込まれて、吐き出しかけた言葉は止められた。納得のいかない彼女は、何をするのよと言わんばかりに、強く彼を睨み返す。
 だが、乱馬はそんなあかねの仕草など気にも留めない。それどころか、
「ありがとう、婆さん。何よりもの餞(はなむけ)だぜ。」
 と礼を言う始末。
「何の…。ぼんには伝わったかのう。…この魔女っ子には儂(わし)の真意がわからぬみたいだがのう。ほっほっほ。」
 ケイル婆さんは皺くちゃになって笑った。
「真意?」
 あかねはきょとんと二人を見比べた。
「婆さんはな、これから俺たちの旅に必要になるって、判断して俺たちにこの魔石をくれたんだ。そういうことだろ?婆さん。」
 乱馬はケイルを振り返る。
「ほっほっほ。まあそういうことだ。二人とも、若すぎて魔法力をセーブするのが苦手のようじゃでな。昨日みたいに、魔力を空にするほど頑張ってしまったのでは、命が危険に晒されることもあるかもしれんじゃろう?二人とも同時に力尽きてしまっては困るじゃろうが。
 この魔石はおまえたちの力をセーブして余計な魔力を使いすぎて尽き果てぬようにしてくれるアイテムとしても有効なんじゃよ。まあ、そこまで魔力を制御せねばならぬ相手とは、そう出くわして戦うこともあるまいがな。
 それに、いずれ、この石の力を借りなければならないときが必ずくるさ。儂には、わかるのさ。
 ま、当面は、強くなるように、お守り代わりに持っていればいいじゃろう。」
「そう言うわけだ。ケイル婆さんがじきじきに、ここを通過する旅人に、餞を下さるなんて珍しいんだからな。ありがたく頂戴しとけ。」
 乱馬は命令口調であかねに言った。
「良くわからないけど…。それじゃあ、遠慮なくいただくわ。ありがとう、お婆さん。」
 言い含められて、無理やり納得させられたような気もしたが、もらった以上は礼を言うのが筋だろう。あかねは素直に、ケイルに頭を下げた。

「ほーっほっほ…。それより、あかね。おまえさん、魔法の巾着袋を忘れては居ないかね?」
 ケイルはあかねを見返した。
 あかねはケイルに言われてがさがさごそごそと自分の身の回りをまさぐってみた。
「あ、本当だ。いっけない、あれがなかったら旅も続けられないわ。」
 「魔法の巾着袋」とは魔女や魔族たちが持ち歩く、亜空間ポケットのことだ。巾着を使って亜空間へと道着やアイテムの収納をして、必要なときに取り出している。いわば、ドラえもんの四次元ポケットを巾着袋にしたようなものである。
「おいおい、しっかりしろよ!」
 乱馬はしょうがねえなあというような顔をあかねに手向けた。
「昨夜寝ていた部屋にでも忘れて来なさったんだろうよ。探しておいで。」
「そうね、探してくるわ。」
 あかねはそう言うとバタバタとケイルの小屋へと駆け出した。

「たく…。騒々しい魔女っ子だよ、あの娘は。」
「そうでもないぜ。婆さんだろ?わざとあいつの巾着袋を抜き取って、隠しちまうなんてさあ…。」
 くくくと乱馬は笑った。
「さすがにぼんだね。そこまでわかってんなら、あの子が居ぬ間に、手っ取り早く言わせて貰うよ。」
 ケイルは乱馬に向き直った。満面の笑顔から、真顔に戻っている。
「このピアスは二つ揃っているからこそ、意味があるものじゃ…。だから、ぼんとあの魔女っ子に装着させたんだ。このピアスは伝説の大魔王ゼノン様の持ち物じゃったと伝えられている由緒あるものなんでな。」
「伝説の大魔王ゼノンのピアスか…。」
「そうじゃ、その昔、この魔界にはびこった闇を封じた偉大な大魔王のな。このピアスをつけることによって、その、加護を受けられる。ところで…。」
 ケイルはゆっくりと、乱馬へと向き直って言葉を続けた。
「のう、乱馬よ、おぬし、何となく気がついておるのじゃろう?この魔界の、均衡が崩れ始めていることを…。おぬしの旅の目的は、そこにもあるのではないかえ?」
 ケイルは乱馬に厳しい目を差し向けた。
「ちぇっ!ケイル婆さんにはかなわねえや。」
 乱馬はふっと吐き出した。
「ほっほっほ。だてに長生きしとらんわいっ!」
 婆さんは笑ったが、すぐに真顔になった。
「この平穏な東の魔境に安穏と隠居をしておる儂にも、禍々しき気配は伝わってきておる。おぬし、それを感じたな?」
「ああ、多分、婆さんが感じている物と同じ気配を俺も感じてる。魔界全体が波打ってるんだ。この嫌な感じが一体何なのか…。俺は知らなきゃならねえ。」
「旅立てと言う、予知夢でも見たかえ?」
「まあ、そんなところだよ。」
 乱馬は言った。
「予知夢か…。おまえさんのような高貴な魔族には、時に先祖が警告夢を放つと言うが…。そいつを察したか。」
「ああ…。このまま放置すれば、きっと魔界全体の崩壊に繋がる…。そんな警告夢だったように思うぜ…。悪夢とも言うのかもしれねえが…。とにかく、東の国を出て世界を見ろ。そう、夢の精霊に告げられた。」
「夢の精霊か…。なるほどな…。」
「世界の最果てを目差せと、俺の精霊はそう告げた。だから、行く。」
 乱馬ははっしと、南の空を見上げた。
「最果ての地か…。確かに、禍々しい気はそちらから流れているようじゃ。儂が止めても、おぬしは旅立つのじゃな。」
「ああ、止められたって行くさ。行かなきゃならねえ。それに、何も起こらなければ、それはそれで良いさ。旅で経験を積むのは、決して無駄にはならねえだろう?」
「ま、そうさな。旅に出るのはそれはそれで良い。儂は止める気など、さらさらないでな。若者は旅に出て、修行をするべきものじゃ。若い折にしか積めぬ経験もある。…しかし、乱馬よ、あの魔女っ子。あの娘をパートナーに選んだのは何故じゃ?おぬしなら、もっと器用な魔女っ子を選べたのではないのかえ?」
「あかねは、あれでも、正当な親父の卜占で選ばれた俺の婚約者だ。」
「ほおお、あのあかねとか言う娘、おぬしの親父殿の卜占が選んだ娘なのか。」
 ケイルの目が一瞬、光った。
「親父の卜占だぜ?それが、あいつを選んだのは、必然なんだろ?」
「己の力もセーブできない、未熟なだけの味噌っかす魔女っ子を、卜占が選ぶ訳がないとでも言うのかえ?」
 ケイル婆さんはにっと笑った。
「見えない力が俺とあいつを引き付けているんだろうさ。まがいなりにも、東の魔界の王でもある、親父の卜占なんだぜ。」
「まあ、普通に考えたら、そうよなあ。」
「それに、俺ならあいつを大魔女に育ててやることができる。」
 乱馬は、何かを決意するような瞳をケイルに手向けた。
「ほう、大きく出たね。ぼん!
 まだ海のものとも山のものともわからぬ味噌っかすの魔女っ子か。確かに…あのあかねとか言う魔女っ子、底知れぬ力を秘めておるようじゃ。
 だが、ぼん、育て上げるのは容易ではないぞ。大きな力を秘めている魔女ほど、その力は陰に潜ると言われておる。…現に、魔女台帳を見る限り、かなりの「不器用、粗忽者」とレッテルを貼られているようじゃし…。 
 それを、育てあげようと思うとは…。いやあ、若い若い。儂ならすぐさまにでも投げ出してしまうじゃろうなあ。わっはっは!」
「そんなに大声で笑うなよ!ケイル婆さん!俺は本気なんだぜ。あいつは強くなる。大魔女に育てる。俺のパートナーとしてな。」
 乱馬の顔が真顔になった。
「なるほど…。本気で惚れておる…か…。
 ぼん、だからこそ、この魔石は役に立つ日が来るじゃろう。少なくともぼんからはあの娘にパーフェクトシンクロナイズ(完全同調)できるんじゃからな。…おそらく彼女からも同調できる筈だ。ワシの目に狂いがなければな。」
「そうあって欲しいもんだな。愛情を与えるばっかりじゃあ、俺だって寂しいもんな。」
「ほほ。何をぬかす。与えることも嬉しいもんじゃろうが。見返りを期待して、彼女を愛しているわけではあるまい?」
「違えねえ。」
「魔界の危機については、追々わかってくるだろう。それから、ぼん。くれぐれも無理はするでないぞ。もうすぐ「魔界の朔」だ。それが何を意味するか…。」
「ああ、わかってる。」
「それから、これから向かう南の魔界のコロン。こやつは一癖も二癖もある「大魔女」じゃ。心してかかれよ。最近、何やら不穏な風の匂いが、南の方からも流れてくるのでな…。ぬかるなよ。」
「大丈夫だよ。心配ねえ。俺にはあかねが居るからな。たとえ、朔の闇にまみれることがあったとしても…。」
「あの魔女っ子が光を導くと?」
「ああ、あいつにはそれができる。
「ほおお、そこまで信頼が篤いか…。っほっほっほ。まあ、良かろう。」


 そこまで言ったところで、ケイル婆さんと乱馬の会話は途切れた。


「お待たせーっ!探すのに手間取っちゃって、ごめんなさい。」
 と、息せき切って、あかねが戻って来たからだ。

「たく、ドン臭せえよなあ、あかねは。」
 乱馬は嬉しそうに煽り立てた。
「何ですってえ?」
 あかねの鼻息が荒く漏れる。

「とにかく、二人とも、元気でな。私が目の黒いうちに、再びここへ戻っておいでよ。ぼん。」

「ああ、今度帰ってくるときには、二人以上でにぎやかに、戻って来てやらあっ!」
「ほお、子供の顔でも拝ませてくれるのか?」
「そのつもりだぜ。」
 乱馬はあかねを笑いながらふり返った。
「ちょっと、それってどういう意味よっ!」
 あかねの怒声が飛ぶ。
「どうせなら一ダースくらい願いたいもんじゃな。ほーっほっほ。」
「こいつ次第だな。ま、尻は丈夫そうだから、何人も底なしに俺の子を産んでくれそうだけどな。」
 ポンポンと叩くあかねの臀(でん)部。

「な、どさくさに紛れて、お尻を触んないでよーっ!!それに、誰があんたの子供を産むって言ったのよっ!」

「いいじゃん、きっと、そうなるんだぜっ?」
「ならない!絶対あんたの子供なんか、産んでやんないっ!」
「産ませてやるっつーたら、産ませてやるっ!」

「たく、若いというのは、羨ましいものじゃのう…。」

 乱馬は楽しそうに、呆れるケイル婆さんの目の前を逃げ回った。





 とにかく、そんなこんなで、二人はケイル婆さんに別れを告げ、旅立ったのだ。

「さてと…。そろそろ、東の門だ。」
 乱馬の表情が変わった。
「いよいよ、東の国を抜けるのね。」
 あかねにも緊張が漂う。
 あかねにとって、国を抜けるのは初めてだ。
 東の魔界の住人は、東の太陽に守られている。東の国を出るということは、その太陽の力を受けられなくなるということも現している。従って、東の国では通用した魔法が、この地を去ることで、使えなくなることもあるという。門戸を抜けるということは、即ち、未知の世界へ飛び出すのと同じことなのだ。

 門は天まで届かんほど、高く聳え立っていた。ちょっとやそこらでは開きそうに無い、鋼鉄の門。かたく閉ざされて、旅人たちを遮っていた。ここを抜けて外の世界へ行きたいなどという物好きは余り居ないのだろう。乱馬たちの他に通行人は居ず、辺りは、静まり返っている。
 鳥のさえずりすら、聞こえてこない。無音の空間だった。
 門扉の中央には、門番を模した大男の石像が、こちらを見据えている。己の身長の五倍はあろうかという、立派な体格の男だ。今にも動き出して、己を踏み潰すのではないかと、思えるくらい、生々しい身体をしていた。

 あかねたちが近づくと、唐突に、石像の目が見開いた。今しがたまで硬く閉ざされていた瞳に、光が宿る。そいつは、乱馬とあかねを交互に睨み付けた。
 手に持つ大きな槍を、二人の方向へ身構える。

「きゃっ!」
 小さく悲鳴をあげて、あかねは乱馬の傍へと駆け寄った。
「へええ…。おまえでも怖いって感情があるのか?」
 頼られて嬉しげに、乱馬が笑った。
「何、余裕こいてんのよ!あんた、平気なの?」
 余裕綽々に構えている乱馬に、あかねが叫んだ。
「門を無断ですり抜けようとしない限り、攻撃してこねえよ。こいつは。」
 乱馬はそう言って、巨人像を見上げた。
「ま、もっとも、こいつくらい簡単に倒せねえようなら、大魔法使いにはなれねえがな。」
 とも付け加える。
「戦うつもりなの?」
 あかねは乱馬の背後から、巨人を見上げる。
「おめえ、戦いてえか?」
 にんまりと乱馬が笑った。
「戦いたい訳ないでしょう!」
 あかねは吐きつけた。
「だろうな。ま、いいや。通行証も持ってるし。じゃ、行くか。」
 軽く吐き出すと、乱馬は、睨んだまま立っている、巨人の前に進み出た。

「汝ら、この門の通行を希望する旅人や、否や?」
 巨人は、進み出てきた乱馬に向かって、おどろおどろしい声を張り上げた。身震いしそうな低い男声だった。

「ああ、通行を希望する旅人だ。」
 悠々と乱馬は答えた。

「ならば、境界線の魔女より与えられた「通行証」を我に示せ。」
 巨人は命じる。

「あかね、首から下げた、その通行証を、門にある、そこの「門出の鍵」へ差し込むんだ。俺のやるとおりにしろよ。」
 乱馬は要領を得ているらしく、先に、己の通行証を、門戸に開いている小さな穴へと差し込んだ。
「おまえはこっちの穴へ差し込んでみろ。」
「う、うん。」
 あかねは、恐る恐る、通行証を持つと、乱馬がやったように、門に開いた穴へと、通行証を差し込もうとした。が、その手をすり抜けて、地面にカランと音をたてて滑り落ちる。焦って、手元が狂ったのだ。

「あっ。」
 っと思った時は、既に通行証が地面へと落ちていた。
 あかねは慌てて落とした通行証を拾い上げようと身をよじらせる。

「きゃっ!」
 一瞬、バランスを崩し、思わず、シリモチをペタンとついてしまう。
 ドスン、と鈍い音をたてて、落とした通行証の上に、あかねの尻が乗っかった風になってしまった。

「何、やってんだよ!ドン臭えなあ。」
 あまりに滑稽だったので、乱馬がゲラゲラと笑い声をたてた。

「う、うっさいわねえ!ちょっと滑っただけじゃないのぉ。」
 シリモチをついてしまった恥ずかしさも手伝って、あかねの顔が真っ赤に熟れている。

「通行証、おめえのケツ圧で割れてねえかあ?」
 くすくす笑いながら、乱馬が尋ねる。
「こんなことくらいで、割れる訳ないでしょうがあっ!もうっ!」
 
 地面は湿っていたようで、あかねの御尻の直撃を受けた通行証が、土にめり込んでいた。カッポと体よくはまりこんだようにだ。

「あーあ、汚れちゃったわ。」
 あかねは、ため息を吐き出しながら、土にめり込んだ通行証を持ち上げる。くっきりと、土にあかねの通行証の型が残っていた。
 大慌てで布切れをポケットから取り出すと、土で汚れた通行証をゴシゴシと拭き取った。

「たく、変な事で手間取らせるなよ。おめえらしいっちゃあ、おめえらしいが…。」
「ああ、もう!黙ってて!」
 
 顔を真っ赤にしながら、あかねは通行証についた土を布切れで綺麗に拭き取った。

「さて、気を取り直して、ちゃっちゃと通り抜けようぜ。」
「わかってるわよ!」
 怒った風に吐き出すと、あかねは、もう一度、通行証を所定の穴へと差し込んだ。

「我、通行証を確認せり!門よ、開いて、旅人らを通せ!」
 そう言いながら、巨像が天に向けて、持っていた槍を突き上げた。
 それを合図に、ゴゴゴゴゴっと音がうなり始める。

「門が開くぜ。」
 乱馬がにっと笑った。

 硬い門扉が、ゆっくりと外側へ開かれていく。
 
 突風が、向こう側から吹きぬけて来た。
 ゴオオオッと音がして、風が後ろ側へと吹き抜けていく。髪の毛が靡くくらいの強い風だった。
 
「きゃ!」
 その、強い風に煽られて、あかねの足が浮き上がる。
「おっと!」
 乱馬が咄嗟にあかねの腰を抱きとめて、揺れを防いだ。

「汝らが道、平坦に在らず。それでも、汝らはこの門を出て、進むや否や?」
 巨人が確かめるように、上から言い放ってきた。

「ああ、進むさ。旅の道が平坦じゃねえことは、百も承知だ。なあ、あかね。」
 乱馬は傍らのあかねに同意を求めた。
「え、ええ。そうね。平坦な道じゃなくても、あたしは行くわ!」
 決意を新たに、門の前に立つ。

「ならば、行くが良い!汝らの旅に幸多かれ!」
 巨像がそういい終わるや否や、強い力で後ろから、押し出された。そんな感覚が、身体を突き抜ける。

「行くぜ!あかねっ!」
 乱馬はあかねの身体を抱き寄せると、その力に身を任せた。
「えっ?」
 ふわっと二人の足が宙に浮いて、空に舞い上がるように、身体が浮き上がった。
 そう言いながら、乱馬の手があかねの手を握った。そしてそのまま、己の身体の方へと抱き寄せる。
「おめえ、やっぱ、良いケツしてるよなあ…。」
「なっ!」
 にまにまと笑った乱馬に、あかねが何を言うのかという、きつい顔を差し向ける。
「うん!こいつは抱き甲斐があるってもんだ!楽しみだぜっ!」
「急に、何てこと、言い出すのよっ!莫迦っ!」
 怒鳴ったあかねに、乱馬は真顔で言った。
「しっかり、俺に身体を預けてろよ!じゃねえと、別々の場所へ飛ばされちまうぜ。」
「あたしはそれでもかまわないわよっ!このど変態っ!」
「へっ!離してなんか、やるもんかっ!こんな極上のケツ持ってる女は、そこらには居ないだろうしな!」
「う、うるさいわねーっ!どういう意味よっ!」

「行くぜっ!飛来(フライ・ゴー)!」
 乱馬がそう言い放つと、ビュウーッと強い風が吹きつけてきた。
 そして、二人、そのまま、門扉の外へと放り出された。
 戸惑う暇もなく、あかねは乱馬に抱かれたまま、東の門を通り抜けて行った。
 吹き荒れる風に乗って、乱馬と二人、舞い上がる。遥か下に、みるみる、東の魔国の国土が遠ざかる。

 二人の、旅立ちの瞬間だった。


 再び閉ざされた、東の大門の傍らで、二人の旅立ちを見つめる妖しい光が二つ。青と赤の人魂のような光だった。
 巨人は再び、動かぬ石像に戻っていた。
 その傍らを、光はゆらゆらと動き回っていた。
「行ったようですわね。」
「ああ、行ったようだ。」
「うふふ、簡単に門戸を開いて行かせちゃって良かったのですかしらん?」
「良いも何も…はなっからそのつもりだったんじゃないのかい?それに、これ以上、ちょっかいを出したら、あの乱馬とかいう王子、俺たちに気づいたかもしれないだろう?」
「確かに…。彼、乱馬って言いましたっけ、とっても鋭そうでしたわ。あの鈍そうな魔女っ子とは違いましてよ。」
「それより、ちゃんと魔女っ子の通行証の型を取ったかい?」
「ええ、取りましたわよ。ほら。ああも、思い通りに見事にすっころびなさってしまわれるなんて…。そして、通行証を地面にめり込ませていただけてラッキーでしたわ。きゃはっ。」
「ま、そいつを使う日が来るか否かは、怪しいところだがな…。」
「使うときが来なければ来ないで、それで良ろしいんじゃないですこと?」
「そうだな。次のステップで奴らの旅は終わるかもしれないしな…ふふふ。」
「ってことは、やっぱり、何か細工しましたの?」
「当然だよ。簡単に結界を通らせちゃったら面白くないじゃないか。」
「悪い子ちゃんですわねー。」
「さて…。僕たちは、一旦、ここを引くとするかな。」
「そうですわねえ。あの子たちが旅立った以上、もう、この東の国に居る必要もありませんもの。」

 光たちはふうっと、空気の溶け込むように、消えていく。



「あやしの影が二つ…か。監視でもしとったかのう。ま、良いわ。
 運命の歯車は回り始めた…か。決して平坦な旅ではあるまいよ。でも、あえてその道を突き進むなら、とことん、行けば良いさ。
 でも…ぼん…。無事に戻っておいでよ。あかね嬢ちゃんと一緒にね…。儂は待ってるよ。いや、待つことしかできんがのう。」
 乱馬たちが門を潜り抜けた気配を察したケイル婆さんが、呟くように言った。



つづく




 何だか、乱馬の中に「弥勒さま」が入ってんじゃないでしょうね(笑
 


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