◇天高く 第二部
第五話 裏観月流
一、
寒気団が近づいているということで、夕方過ぎ頃から気温が下がり始めた。ぶるっと身震いするくらいの寒さだ。
木枯らし吹く中、乱馬はあかねと別れて、凍也と共に、凍也の爺さんの元へと向かった。凍也によると、爺さんは道場からそう遠くない場所にある別宅で隠居して暮らしているのだという。
「急いでもあれやから、歩こうか…。」
新世界から歩き始めた。動物園の長い門を横に見ながら、天王寺駅の方へと歩き出す。
明日はいよいよ大会初日だ。
今大会の日程は二日間。
予め、過去の戦歴から選定された選手と、二週間ほど前から開催されていた予選を勝ち抜いて選抜された選手、八名で闘われる。
決勝戦だけは明日と別枠になっている。つまり、明日は最大二試合に臨まねばならない。今日の友は明日は敵となる。
「で…。ドームで会ったあいつ、一体何者なんだ?」
凍也と二人きりになると、乱馬は問いかけた。大方、あの二人の件で、凍也の爺さんの元へ呼ばれたのだろう。凍也の様子から察しがついた。
「あはは、もう忘れたかと思とったけど、覚えとったか。」
凍也は笑いながら乱馬を振り返った。
「話せよ。明日の試合で、場合によっちゃあ、俺だって闘わねーといけねえ相手だろ?」
「そうやったな…。いずれにしろ、爺さんから詳しく訊くやろうけど…。先に少しだけ話しとくわ。」
と凍也は呟くように言った。
「でも、予め約束して欲しいんや。」
「みさきさんには言わないって約束か?」
コクンと揺れる凍也の頭。
「みさきだけやない、あかねはんにも言わんとって欲しい。これから俺が話す事と、お爺はんが言う事、どちらもや。」
澄んだ凍也の瞳が真っ直ぐに乱馬を見詰めてくる。
「わかった。これから聞く話は、一切、俺の胸の中にだけにしまっておく。」
いつになく真剣な凍也の眼差しに、乱馬はそう答えていた。
「無差別格闘観月流は裏と表、二流が存在するんや。まずはそこから話すわ。」
凍也は重い口を開いた。
多くの格闘術がそうであるように、観月流も元々は「武士の武術」からの流れをくむ。武士が使う徒手(としゅ)による柔術の一流派である。
刀や槍、弓矢などの武器を使わなくとも相手を倒す、そこに柔術の本来の基本がある。人殺しとしての武道ではなく、スポーツ競技の一つとして嗜まれるようになったのは、ごく最近だ。
元々、武道は相手を確実に殺すために編み出された技も多い。危険な業も多々ある上に、長い歴史の中で確立された流儀を守っていく責務が「家元」にはある。その、伝達方法は各流儀によって違う方法を取っている。
早乙女流の場合、乱馬の父、早乙女玄馬が今の流儀の創始者ということになる。必然的に、乱馬はその二代目を名乗っている。
だが、それはあくまで「無差別格闘早乙女流」という流儀での場合だ。乱馬は詳しい事は訊かされていないが、のどかが語るところによると、早乙女家自体、玄馬の前にも、決まった流儀を伝えていた、一介の武道一族であったらしい。そう、早乙女家も元は「無差別格闘流」という流儀とは全く別の流儀の武家として存在していた可能性が高い。平たく言えば、玄馬は古くから早乙女家に繋がっていた武道を捨て去り、新しい流儀を興隆したのだ。
どうして、玄馬が元々あった家の流儀を捨てて、新たに「無差別格闘早乙女流」を築きあげたかは、息子の乱馬さえ、詳(つまびら)らかではない。或いは、あのスチャラカ親父のことだから、元々の流派から「破門」されたのかもしれなかった。いや、単純に、型に捕らわれた古い家の流儀から脱皮し、新たな己の流儀を確立したくなり、流派を飛び出したのかもしれない。
無差別格闘早乙女流は、道場は持たない。いつ、如何なるところでも己を鍛え是修行するという、云わば在野の格闘流派だ。如何なる型に捕らわれない「自由奔放の流儀」それが、玄馬の打ち立てた「無差別格闘早乙女流」の根本であった。
と言えば聞こえが良かろうが、実際は「放浪貧乏」ゆえに、道場創建どころの騒ぎではないというのが正直なところなにかもしれない。それが証拠に、共に無差別格闘流を名乗る道場付きの旧家、天道家との縁組に当の玄馬自身、快諾したではないか。あまり「早乙女流」という名前にはこだわっていない証拠のようだ。
あかねの家、天道家も、元を糺(ただ)せば、武家に行き当たるようだ。彼女の家も元々は武家であったようで、刀や甲冑など先祖から伝わるそれらしき家宝もあるようだ。ただ、天道家も男児に恵まれず、このままでは直系が潰えてしまう可能性があるので、早乙女家と縁組しようと試みたのだろう。白羽の矢が当たった当初は迷惑だった乱馬も、天道家で時を過ごすうち、だんだんに自分の置かれた状況を受け入れ始めていた。
ただ、一つ、男児として、ストレートに天道家へ婿養子へ入るのだけは抵抗があった。家と家の縁であかねを受け入れたいわけではなく、男としてあかねを受け入れたいのだ。つまり、逆玉の輿には乗りたくないという、乱馬なりのこだわりがある。いや、「無差別格闘早乙女乱馬流」という新たな流派の確立を計りたい。そういう野望に似た気持ちが心の底に芽生え始めていたのだ。
細かい状況は違えども、凍也もどうやら、乱馬と同じく「婿養子」としてみさきと縁組するようだったので、興味があった。
その彼から、「複雑な観月流のお家の事情」が語られ始めた。
「単刀直入に訊く。昼間に居たあいつらは、おまえの身内か?確か、観月氷也と名乗っていた。」
「ああ、身内や。それもごっつう近いな…。」
凍也は真剣な面持ちで言った。
「昼間も言ったように、観月流は昔から、表と裏の二流派が存在するんや。みさきの家は表の宗家、そして観月氷也は裏の宗家やねん。」
「じゃあ、昼間会った奴は裏観月流の継承者って訳か。」
「ああ…。」
「で?裏観月流の継承者が、今頃、おめえに何の用なんだ?」
「裏の継承者として、表の宗家へ婿に入る俺に対して挑戦する…そういうことになるかな。」
「へえ…。流派の意地をかけた闘いを仕掛けてきた…ってことか?」
「そう単純な話でもないんや。ここからは口外しないで欲しいのやが、その観月氷也は俺の実の兄貴でもあるねん。」
衝撃的な告白だった。
昼間会った、あの不気味な青年が凍也の兄貴だというのだ。驚かずにいられなかった。
「兄貴って…。おまえ、兄さんが居たのかよ。」
乱馬は思わず、声を張り上げてしまった。
「ああ。俺の親父は本来「裏観月流の継承者」となる筈やったんや。交通事故でおかんともども死なんかったらな…。」
と凍也は言った。
「勿論、みさきは裏観月流の存在はもとより、観月流のお家事情は何も知らんのや。」
「知らせる必要はなかったから…というわけか。」
「ああ…知ったところで、混乱するだけやからな。あいつは何も知らんのや…。俺の本当の素性を知っているのは、おじいとみさきの両親とごく古い道場の弟子や後継者くらいかな…。
当の俺も最近まで知らんかったんや…。己の本当の素性を含めてな。
俺は、みさきと許婚になるに当たって、全ての事情をおじいに訊かされた。今から半年一年くらい前のことやったかな…。」
凍也の説明によると、観月氷也と共に居た爺さんは「裏観月流」の当主だという。だが、生憎、彼には「子」を残せなかったのだという。未婚だったのか、それとも医学的に様々な事情があったのか、そこまではさすがに凍也も口にしなかったが、裏観月流当主には子供が居なかった。
その代わり、その妹の子が裏観月流を継ぐことになったのだという。
「あいつの妹は、どうも、俺とみさきの祖父、観月寒太郎にしけこまれたらしいんや。」
「おい、それって…。」
さすがの乱馬も絶句した。
驚愕の事実だった。
しけこまれた…。この場合、言い換えれば、子種を授けられたということだ。
「何があったんかは知らんのやけど、今で言うたら「妾」ってことになるな。絶対に許されへん反倫理的行為やわな。お爺はんには既に正妻がおったんやから。」
凍也は真っ直ぐに乱馬を見ながら答える。
「つまり、その、昼間の爺さんの妹の腹に産ませたのが、おまえの親父ってことか?」
「そういうことになる。せやから、俺の親父とみさきの父親は腹違いの兄弟ってことになるんや。
で、俺の親父には息子が二人いたんや。一つ上の俺の兄貴、それが昼間会った観月氷也なんや。」
凍也は事実を淡々と口にした。
「親父がお袋と共に事故で死んだんは、物心がつく前やったさかいにな。
葬式の時、親族が集って相談した結果、俺はみずきんところへ、兄貴は裏観月流の宗家へと引き取られる事になったらしいんや。まあ、兄貴は親父が生きていようと、元々、裏観月流の後継者になる予定やったんやけどな。」
乱馬は黙って歩きながら、凍也の話に聞き入った。
「裏、表ともに観月流の奥義は一子相伝。
裏と表の二流分離は、最強の格闘流派として後世に伝えるために、取られた先人の知恵やったんやろう。流派争いや…。元々、観月流は二流派が覇権を争う事で、切磋琢磨しあい、強くなってきたんや。
観月流の本義は必殺にある。相手を容赦なく倒し、昔は命も奪っていたそうやから…。」
「まあ、本来、武道そのものが「死闘」を意味していたからなあ。」
乱馬は頷いた。武道一般に言えることだが、剣道にしろ薙刀や合気道、柔道、相撲にしろ、スポーツとなったのはごく最近である。元に流れるものに血生臭い部分があることは否めないだろう。
「だが、今は違う。法治国家になった日本に、人殺しのための格闘技は要らん。その裏にあるドロドロした部分も全て、これからの無差別格闘界では必要のないものや。
で、お爺はんとみさきの親父は、表で育った俺をみさきと娶(めあ)わせて、表観月流の跡取りに据えることとした…裏と表の一体化…。いわば、そういうことや。」
凍也の瞳は、真っ直ぐに乱馬を向いた。
「だったら、敢えて訊くが、何故、観月氷也とおまえが争わなきゃならねえんだ?何で、今頃、裏観月流がおまえに絡んでくる?裏観月流は、おまえとみさきさんの結婚を承諾していない…ってことか?」
「ああ。俺に裏観月流の血が流れ込んでいる以上、それは承諾でけんと、あの裏のじじいが直接、言って来よった。みさきと結婚して表観月流を継ぎたくば、裏観月流正式後継者、観月氷也を倒してからにしろとな。
そういう挑戦状を叩きつけてきよったんや。まあ、裏を預かって来た者としては、当然の言やろうな。
でもなあ、それだけならまだしも…。」
凍也の顔が険しくなった。
「俺がみさきと婚姻できるのであれば、裏格闘流継承者の兄貴、観月氷也にも同じく、みさきと婚姻する権利があると、言いくさった。」
「お、おい、そいつは乱暴すぎねえか?家の事情はともかく、みさきさんはおまえとの結婚を望んで許婚となったんだろ?
表の宗家、みさきさんの親父や爺さんは、何て言ってるんだ?そんなふざけた話…。」
「でもな…。古くからの観月流の流儀に従い、決闘すべし…。それが、表観月流派一門の出した結論や。 挑戦されたら受けて立つ、それが、観月流の流儀やからな。
しかも、兄弟流儀の裏観月から言われたんや。受けて立たへん訳にはいかんのや。」
そう言ったところで、凍也は一軒の古い家の前に立った。赤茶けた瓦屋根がその建造年代の古さを物語るような、一軒家だった。
「こっから先の話は、お爺はんに訊いてくれや。」
と話を止めた。
二、
「来たでー、お爺!」
勝手知ったる家なのだろう。呼び鈴すら鳴らすことなく、いきなり、門戸を開いて垣根の中に入り、引き戸を開く。そして、ずかずかと玄関に上がりこんだ。
「おう!凍也か。待っとったぞ!」
中からしっかりとした老人の関西弁が響いて来る。ひょいっと暗い廊下の先から顔を出したのは、あごひげの長い細い爺さんが一人。
眼光は鋭く、身体もカクシャクとしており、隠居している様子だとは言え、往年の強さを感じ取ることができる。
「言われたとおり、乱馬はんを連れてきたで。」
凍也は爺さんに言った。
「始めまして、早乙女乱馬です。」
乱馬は軽く一礼する。武道家らしく、礼節を重んじたつもりだ。
「ワシは観月流十四代目宗家を勤めた観月寒太郎や。今は引退してここで隠居しておる。」
老人は深々と頭を垂れた。そして、顔を上げて言った。
「ほお…。凍也が見込んだだけはある。かなり鍛えこんだ、ええ気をまとってはる。体中から、熱い闘気がたぎってくるわい。」
そう言って、初対面の乱馬を迎え入れた。
家の中もそれなりひなびていた。土壁は剥げて、ところどころ痛んでいる。柱も年季が入っていて黒光りしている。近くの幹線道路を大型車が通る度、ミシミシと響くようなあんばいだ。
家も広くはなく、六畳ほどの和室が並び、奥に台所がひっそりとあった。いわゆる、三軒長屋で、両壁は違う家に面している。そんなつくりだ。
「年寄りの気ままな一人家やからなあ、何の気兼ねも要らん。」
そう言いながら笑った。爺さん以外に人の気配はなく、通された部屋には火鉢がどっかりと置かれていた。火がくべられていて哀愁をそそる。
押入れの横の観音開きに仏壇が置いてあり、女性の写真が一つ、それから、位牌が二つ、ポツンと並べて置いてあった。どちらも女性の位牌のようで、信女という文字が見える。
部屋の中央に据えられた座卓の上に、豪華な寿司桶がどかりと置かれていた。勿論、箸や茶碗蒸し、吸い物もある。どうやら、乱馬たちのために、用意してくれた夕飯のようだった。
「店屋物(てんやもん)を取ってあるからな、お食べ。話は食べながらしたらええ。」
「えらい、豪勢やないか。」
凍也が目を光らせる。
「そりゃあ、遠方から客人を迎えたんじゃ。どら、茶でもいれてくるかな。」
「あ。お爺は座っとり、俺がいれて来るわ。」
そう言って、凍也が奥へと入った。
「そうしてくれるとありがたいな。どっこらしょ。」
爺さんは乱馬に座布団をすすめると、自分から畳に座り込んだ。
乱馬はシャチホコばってちょこんとお座布の上に正座する。修行時に行う瞑想で正座そのものには慣れっこになっているから、痺れなどは気にならない。
「よう着なはった。わざわざ東京から呼んでしもうて、すまなんだな。」
と爺さんは乱馬を見て、にっと笑った。
やっぱり、今回の大会の宿に観月家が乱馬とあかねを誘ったのには、何か裏に深い訳ある。乱馬は爺さんの言葉に、そんな気配を読み取った。
「観月流のだいたいの事情は、既に凍也から、聞き及んでいなさるな?」
何かを確かめるように、爺さんは乱馬に問いかけた。
「あ、ああ。表と裏の観月流のこと、それから観月氷也のことを、少しだけは。」
乱馬は率直に返答した。
「まだ、全部、理解したわけじゃねえけどな。」
と付け加える事も忘れない。
「そらそうじゃろ。いろいろ複雑な御家事情が絡み合っておるんじゃからなあ…。」
爺さんは火鉢の灰を火箸でつつきながら、言った。ふわっと灰が舞った。
「今日、ここへあんさんを呼んだんは、折り入って、お願い事があるからなんや。」
そこまで言うと、爺さんは姿勢を正した。襟元を正して、正座しなおしたのだ。そして、深々と頭を下げながら、いきなり乱馬に言った。
「早乙女乱馬はん、その男気を見込んで、お頼み申す。明日の試合。凍也と氷也の表裏観月流の面子を賭けた「果し合い」を見届けてやって下さらぬか?観月流の名代(みょうだい)として。」
若輩者の乱馬に深々と頭を下げる爺さんの態度や「名代」という大層な言葉を持ち出してきたところを見ても、ただの「果し合い」ではないことは明確だった。
「ちょっと、待てよ爺さん!こいつは一般の公式トーナメント大会だぜ。八名がエントリーしている上、まだ、対戦表は発表されてねえぞ!凍也と氷也が必ず試合するとは限らないじゃねえのか!」
乱馬は思わずがなっていた。
「俺と氷也は必ず対戦するんや。乱馬。」
茶をいれてきた凍也が横から声をかけてきた。
「何でだ?まだ、誰も対戦表を見たわけじゃねえのに…。」
「トーナメントの対戦を決めるのは主催者の大会委員会。在阪の観月流が今大会に無関係な訳がないやろ?現にみさきのの親父、当主は世話役として裏方で活躍しとんのやど。」
凍也は真剣な面持ちで言った。
「おい、それじゃあ、裏から何ぼでも操作できるって事になるじゃねえか。そんなんじゃ、大会の公平性は…。」
「損なわれるって言いたいのもわかるけどな。」
凍也は言葉を止めた。引き続いて、爺さんが淡々と話し始めたのだ。
「あんたも知ってのとおり、今回の出場選手は今までの戦績から六名が選ばれ、尚且つ、公募された中から這い上がってきた二名を加えた八名で構成されとる。」
「ああ…。この前の東京での大会の少年部各優勝、準優勝者の二名と青年部の中の二十五歳以下の実力者とそれから書類選考された四名に加え、予選を勝ち抜いた二名だけで構成されてるってのは俺も知ってる。」
「大会の主催者は、効率的なおかつ何よりも客の喜びそうな対戦表で大会を履行するのは自明の理。いきなり「優勝候補者同士」を戦わせるようなオオボケはせん。」
「そりゃあそうだ。」
「それに、青年部のこの前の試合のビデオを観たけど、悪いが俺や乱馬と対等にやりあえるだけの実力を持ってる奴は居らん。実績からみても、優勝候補は俺と乱馬や。だから、乱馬と俺は自ずと決勝までは別組みで勝ちあがらせる、そう考えるのが妥当な路線やろうな。」
凍也が言った。
「だったらどうなんでい?」
「だから、俺とおまえは決勝戦まで勝ちあがらんと、顔を合わせんゆうこっちゃ。」
その言葉に、乱馬は息を飲む。確かに、優勝候補者をいきなり大会初戦に当ててくることはないだろう。
「でも、だからと言って、おめえと氷也が必ず当たるなんてことも…。俺と氷也が当たる可能性だってあるんだぜ。」
「そこらはぬかりはないわい。大会の主催委員会は観月流の馴染みが多いさかいにな。」
爺さんは、にっと笑って見せた。どうやら、準決勝までに凍也と氷也を当ててしまおうという魂胆らしいのだ。
「何で、そこまで氷也との闘いにこだわるんだ?大会を通じて「死闘」を繰り広げる必要なんかねえじゃねえか。」
納得がいかないという表情で、乱馬は凍也と爺さんに食い下がった。大会にエントリーされている人間として、率直な意見だろう。
「俺には時間がないんや…。この機会を逃したら、氷也とやりあうこともできなくなるんや。」
ポツンと、凍也が言った。
「話せ!凍也。名代を務めさせたいなら、全部、包み隠さず話しちまえ!じゃねえと俺は…。」
乱馬は激しく言い寄った。
「落ち着け!ちゃんと話したる。そのつもりやったから、みさきやあかねはんと別れて、ここまであんたを呼んだんやから。」
凍也はそう言いながら、乱馬を見据えた。何か深い訳がある、彼の瞳はそう物語っていた。
その強い光に、思わず、ぞくっとした。乱馬は、足元を組みなおし、改めて深く正座しなおした。
「わかった、全部、聴いた上で、名代を受けるかどうか、決めてやる。」
張り詰めた緊張感が、若い武道家の上を貼り巡っていく。
凍也はもう一つの「禍根」を乱馬に淡々と話し始めた。
三、
すっかり夜が更ける頃、乱馬と凍也は爺さんの元から道場へと帰宅した。
もう、とっくにあかねたちは帰っていたようで、風呂からも上がり、すっかりとくつろいでいた。上機嫌そうなあかねを見て、楽しい時間を過ごしてきたのが良くわかった。
乱馬と凍也も帰りがけに銭湯に立ち寄ったから、さっぱりしている。爺さんの家でご飯もよばれたので、後は寝るだけだ。
「あたしたちの夕食は美味しかったわよ。」
とにこにこして話して来る。天道家や友人たちへのお土産も仕込めたようで、部屋には紙袋がいくつかこれ見よがしに転がっている。クリスマスプレゼントも兼ねているのだろうか。赤や緑のカラフルな包装紙が覗き込む。
「そっか…。みさきさんとお母さんに世話になったのか。」
「うん、とっても楽しかったわ。」
乱馬は淡々とした態度であかねの話に耳を傾ける。
実際のところ、凍也と爺さんから受けた話で、いささか「衝撃」を受けた後だったので、あかねの話に付き合いたい気分ではなかった。だが、気に病むタイプのあかねに、そんな素振りを見せようものなら、何を勘ぐられるかわかったものではないので、一所懸命に話を聴いて、相槌を打つ。
だが、心は上の空だ。自然、受け答えも適当に相槌を返すだけだ。あかねの話をまともに聞いていない。
それほどまでに、凍也の告白は衝撃的な内容だった。
「ねえ、どうしたのよ。乱馬。ねえってばあ。」
乱馬の様子がいつもと違うので、あかねが溜まらず、声をかけてきた。
「え?あ。ああ…。」
と言ったきり、返答に詰まった。あかねが今しがた、何を言ってきたのかも、わからない状況だった。
「もう、真面目に聞いてくんないんだからあっ!」
あかねは傍で膨れっ面。
「ごめん、ごめん。ちょっと考え事してたもんでよう。」
とストレートに謝るのが一番だ。ここであかねにヘソを曲げられても、気まずくなるだけ。そう思ったからだ。
「考え事って何よ。」
じろりと視線を手向けてくる。
「ほら、明日は試合だぜ?凍也やみさきさんとも敵味方同士になって、闘わなきゃならねーじゃんか。そう思ったら、気持ちがそっちへ向いてただけでい。」
咄嗟に出まかせを言う。自分でも上手く誤魔化せたと思った。
「そうねえ…。明日は敵として戦わなきゃならないかもしれないんだものねえ…。」
「ああ、おめえの話は帰りの新幹線の中で、退屈しのぎにゆっくり聴いてやらあ。ってことで、休もうぜ。夜更かしすると、明日の勝負にも差し支えるといけねえ。」
と会話を打ち切る方向へと向けた。これ以上、あかねと話していると、己の心の動揺振りを読まれてしまうのでは無いかと思った。あかねは自分の事に関しては「鈍い」の一言に尽きるが、人のこととなると案外鋭い部分を持っている。ましてや、つかず離れずの距離を保ってきた許婚同士。乱馬の心を察するやもしれぬ。ならば、一層の事、このまま会話を打ち止めて、眠りに就くのが一番ではないか、そう思ったのだ。
あかねもあっさりと引き下がった。
己たちが大阪まで出向いてきた本来の目的を思い出したのだろう。
今日はもう休むことを了承したのだ。
勿論、また、同じ蒲団だ。やっぱり、これ見よがしに部屋の中央へ敷いてある。今夜も早々に観月家の内弟子たちが敷いてくれたのだろう。
「明日は六時半ごろ起床だって。」
あかねがわざと気にしない素振りで、そんなことを乱馬に言った。
「お、おう。会場入りは九時半までにだったよな。開会式が十時だからそんなもんか。」
目覚まし時計をちらりと見ながら、乱馬が言った。現在時刻は十一時前。休むのに、遅くもなく早くもない時間だ。
「寝ようぜ…。明日は試合だ。」
乱馬はぶっきらぼうに言うと、先に蒲団へと入った。勿論、くるりと背を向け、あかねとは背中合わせになる。やっぱり、同じ蒲団の中は、どこかくすぐったいし、緊張する。
「たく…。凍也の奴、ライバルを寝不足に追いやって、ちょっとでも有利にしようだなんて、企んでるんじゃねえだろうな…。」
ぼそっと吐き出した。
「乱馬、寝不足なの?」
あかねの声が背後から響いて来る。
「あ、いや…。物のたとえだよ。なあ、おまえ、良く眠れてるか?昨日はどうだった?」
と逆に尋ねてみる。
「うーん…。朝までぐっすりだったわね。乱馬は?」
「俺も疲れてたからなあ…。気がつけば朝だったな。」
と振り返る。
「なら、いいじゃない。」
「いいのか?」
「ん…。」
かみ合わない、まったりとした会話が流れる。
「あたしは乱馬の傍で温かいから、本当は良く眠れたかもしれないわ…。」
ぼそっとあかねが吐き出した。良く聞こえなかったのだろう、乱馬が問い返した。
「え?何か言ったか?」
「ううん…別に。いいから寝ましょう。明日は早いんでしょう?」
あかねはふううっと長い溜息を吐き出すと、それっきり静かになった。今日は大阪市内をあちこち歩き回って疲れていたのだろう。程なく、あかねは可愛らしい寝息をたて始めた。
あかねの体温が蒲団を通じて己の方にも流れてくる。決して大きな蒲団ではないから、並んで入ってしまえば、後ろ向きになっていても「ぬくもり」はじんわりと伝わってくる。外気温が寒ければ、余計に互いの温かみを肌で感じる。
本当は腕の中に深く抱きしめたい。何もしなくて良いから、あかねを抱いたまま、眠りに落ちたい。
こんな、虚しい気分の夜は…。
「あかね…。」
溜まらず、寝返りを打ち、あかねへと腕を伸ばす。
だが、すんでで思いとどまった。
一時の激情に流されてはいけない。このままあかねを胸に沈めれば、それだけで満足できなくなる。そう思ったのだ。
(意気地なしだな…、俺は。)
乱馬は、寝息をたてるあかねを横目に見ながら、ふうっと白い息を吐き出した。
(逃れる事ができない宿命の対決…か。)
凍也と氷也の決闘に、思いを巡らせながら、乱馬は静かに目を閉じた。あかねのぬくもりを、すぐ傍で感じらながら。
つづく
一之瀬的戯言
回りくどいぜ!もっと書きようがあるだろうに…。
と突っ込みながら、この項を置きます。
この話、乱馬とあかねのエピソードよりも、凍也が主人公と言った方が良くなりそうな気配であります。というか、後半部の物語進行は凍也、氷也戦が占めます。間違いなく。
主人公は誰じゃーっ?と突っ込みたくなっても責めないでくださいませ。書き遂せないと、私の作品も、次へ進めないんです…。多分。
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