◆蒼い月と紅い太陽

第十七話 真実


一、


 山の峰が新緑に萌えあがっている。
 五月の晴れた空が、憎々しいまでも真っ青に広がっている。湿度はそう高くないので、気温は気にならない。
 山の凛とした空気が、否が応でも、心を引き締めにかかってくる。


「どこまで行く気だ?親父…。」
 流れ落ちてくる汗をぬぐいながら、先導して歩く玄馬を見上げた。
「黙ってついてこい。」


 ここは富士山系の山中だった。
 天下の険とうたわれた箱根の山を通り過ぎ、延々と入る深い山だった。
 時々、富士山が見え隠れする。

 幼少時から親父と山を駆け廻って来たが、恐らく、ここへは来たことがなかろう。
 いつも入る、秩父多摩の山とは少し趣が異なるのは、世界遺産、富士山が身近に構えているからだろうか。
 富士の高嶺には、まだ雪が積もったままだ。夏になっても、全部が溶け出す訳ではないが、青空に映えて、悔しいぐらいに美しい光景が広がっていた。
 この時期に中国大陸から降り注ぐ「黄砂」も少ないような気がした。
 きっと、この前の雨で、洗い流されたのだろう。

 獣道のような細い道をかきわけて、いくつかの峠を越えて、玄馬がやってきた場所は、どうやら、人界未踏に近い場末の場所のようだった。もちろん、人影はない。
 大涌谷よろしく、ふつふつと地から煙が噴き上げてくる、禿げた山裾が少しだけ広がっている。かと思うと、小さな水だまりの池もあった。
 
「このあたりで良かろう…。」
 玄馬はやっと腰を下ろした。

「なかなか、いい修行場じゃねーか。」
 あたりを見渡しながら、そんな言葉を吐きつける。
「昔、このあたりで、お師匠様や天道君とよく籠ったもんじゃよ…。」
 そんな言葉を玄馬が吐きだした。
「よくぞまあ…色んな修行の穴場を知ってるな…親父たちは…。」
 ほとほと乱馬は感心した。
「まーな…。お師匠様は見てくれはエロじじいだが、日本中、津々浦々とめぐっておられるからのう…。ここなら、修行場として、不足はあるまい。」
 にッと玄馬が笑った。

「で…?まだ中途半端にしか聞かされちゃいねーよな…。今回のもろもろの事情について…。」
 テントを立てる場所を地ならししながら、玄馬へと問いかけた。
「俺に教えたい技ってーのは一体何なんだ?」

「早乙女家に伝わる、秘技じゃよ。」
 玄馬は言い放った。

「そーいえば、てめー、昨日、言ったよな…。天道家同様…早乙女家にも、魔龍退治に関わる奥義が伝わってるって…。」
「ああ、言った…かな…。」
「どーして、俺んちもそんな奥儀が伝わってるのか…きっちり説明してもらいてーな…。」
 テントを結わえる手を止めて、乱馬は玄馬を見上げた。鋭い瞳が玄馬を捕える。
「もとい、そのつもりだよ…。でなければ、始まらんしな…。」
 噴煙を上げる、岩肌を眺めながら、玄馬が言った。

「その昔、戦国の騒乱が家康の天下統一でやっとのこと、ひと段落ついた頃、徳川家に命じられて、天海和尚という高僧が江戸という地に大都市を作った。で、この天海は様々な呪法を駆使して、江戸に結界を施し、未来永劫に繁栄する大都市の礎を作ったとも言われておる…。」
「それが、現代の東京だろ?」
「ああ、そうじゃ。天海和尚は、江戸という都市を構築するにあたって、様々な仕掛けを作った…。その一つが、龍神を使った強固な結界じゃよ。
 青、赤、白、黄、黒…五色の龍が古代より産土(うぶすな)として、江戸の地には闊歩していたらしい。で、天海はその龍神の力をうまく利用して、結界の要として利用しようとしたんじゃ。が…。」
「その中の黒龍だけが、それを快く思わず、従わなかった…って、前に言ってたよな?」
「ああ…。黒龍だけは天海にも扱いしきれんかったという。仕方なく、天海は黒龍を江戸の外側に追いたて封印して荒ぶる力を封じてしまった…」
「その、封印を守っていたのが、あかねんち(天道家)なんだろ?」
「ああ…。天海は天道家の祖先に命じて、代々、黒龍を封じた結界の要の井戸の守(もり)をさせてきた…。」
「あかねんちの裏庭にある、あの古井戸がそうなんだよな?」

 今までのおさらいをすべく、乱馬は問いかけて行く。

 天道家に来た時から見知っていた古井戸は、何の変哲もない、普通の井戸だった。水道水を引いている現況では、飲料水にせず、庭の水撒き程度にしか使っていなかったことも、もちろん知っている。夏場の暑い最中、時折、水浴びだと行って、玄馬と頭から井戸水をかぶったが、井戸からは特別な気配は微塵も漂っていなかったし、水も普通の有り触れた井戸水であった。
 その井戸に、魔物を封印していたことなど、知る由もなかったから、改めて聞くと、不思議な感じがした。

「長い年月が流れて、天道君の先代辺りから、井戸が飲料水として使われなくなっても、井戸を埋め戻さず、そのまま守(もり)してきたそうだ。が、この春に結界に異変が生じ、黒龍が目覚めてしまった…と、まあ、ここまではおぬしに話した通りじゃから、理解しておろう?」
「ああ…。あかねを襲った妖(あやかし)をおじさんと二人がかりで鎮めようとして…しくじった…。」
 乱馬は吐き捨てるように言った。

 乱馬の脳裏に、帰国早々、巻き込まれた最初の闘いが甦る。
 あの時、嫌な気配が確かに井戸の中から吹き上げていた。
 あかねを守って、早雲と二人がかりで、本体を古井戸へ押しやって封印を施した。だが、魔龍ははっきりと言ったのだ。既に分身の術を発動させてしまったと。そして、禍(わざわい)は止められぬと。

「あの時、魔龍の分身が七つの玉に転変して、人間に憑依して飛び去ったんだよな…。
 で、おじさんに言われて、俺は、あかねに襲い掛かった魔龍の憑依体の人間を倒し、散らばった玉を一つ一つ、破魔の数珠玉へと集めたんだ…。」
「そうじゃったな…。あかね君の会社の人間と、シャンプーと九能君、そして、小太刀と五寸釘君、良牙くんと…順番におぬしが倒したんじゃっけな…。」
「ああ…。で、最後の玉を宿した、おじさんを倒せば、全て丸く収まると思ってた…。畜生…なのに、まんまとやられちまったぜ…。」
 グッと乱馬は左手を握り締めた。
「思えば、あの破魔の数珠玉を預けた張本人が、魔龍の手先だったんだ…。よくよく考えれば、何か裏があって、然るべきだったのによー…。…でこのざまだ…。」
 と、乱馬は悔しそうに、吐き出した。

 その言を受けて、玄馬の眼鏡がきらりと光った。
「そうか、おぬし、気がついたか…。」
 と乱馬へ向けて問いかける。

「ああ…。おじさんは、俺を利用して、わざわざ魔龍の玉を六つ…集めさせたんだ…。そして、俺を倒して…それを回収した…。」
 乱馬は、そう言いながら、グッと玄馬を睨み返した。

「なるほどそこまで気づいたか…。」
 にやりと玄馬は笑った。その言葉を聞くと、乱馬はぐっと玄馬を睨んで、突っかかる。

「気づかいでかっ!おじさんは最初から、呪泉で溺れた俺の体質を利用して…男と女に分化させる気だったんだ…邪天慟哭破を使わせてなっ!で、てめーはそれを知りながら見て見ぬふりをした…。てめーも俺を男と女に二分化させたかったんだろっ?」
 怒り心頭燃え上った乱馬の瞳が、きつく玄馬を睨み据えた。
「とっとと、説明しやがれ…。何でわざわざ、俺の身体を二つに分けやがった?しかも、男体へ邪気と俺の闘気の殆どをはぎ取らせやがったんだ?おまけに…あかねまで巻き込みやがってっ!」
 ぐぬっと身をせり出して、玄馬の襟元へとつかみかかった。

 当たり前である。己から男の気を引き剥がされたばかりか、あかねをも連れ去られてしまっている。
 乱馬が激怒するのも、仕方がなかった。
 あかねの命が健在なのは、指輪から流れてくる幽かな気配でわかるものの、どのような状態で彼女が幽閉されているかは、明らかではない。
 あのずる賢い魔龍たちのことだ。身の上の安全は保障されていない。いや、むしろ、危険にさらされているだろう。
 そう思うと、気が気でなかった。
「あかねの身に何かあってみろ…。ただじゃ、すまさねーぞ…親父っ!」
 右手に握りこぶしを作って見せる。

 つまるところ、「あかねの無事」、乱馬の想いは全てそこへと集中していく。

「その点は大丈夫じゃろうよ。」
「根拠はあるのか?」
 ぐぬっと前に迫り出しながら、問い質す。瞳は真剣そのものだった。
「根拠は無い。」
「んだとっ?」
「根拠は無いが、対策は打ってある。」
「対策だあ?」
「ああ…。魔物があかね君に一切触れられぬように…魔除けの宝珠を忍ばせてあるからのう…。」
 ぼそっと玄馬は吐き出した。
「魔除けの宝珠?」
「ああ…。早乙女家に古くから伝わる家宝の宝珠じゃよ。天道君がおまえに渡した、破魔の数珠にちょっと似ておる。七つの勾玉が結わえられておるんじゃよ。」
 玄馬にそう言われても、乱馬はすぐには納得しなかった。そのまま、グイッと玄馬の襟ぐりをつかみ、すごみながら吐き付ける。
「破魔の数珠だって、いい加減なもんだったぜ…。散り散りになった魔龍の玉を集めたのに、結局は全部、邪天慟哭破の使役によって、数珠ごと奴らに吸い上げられちまったんだぜ…。どこが、破魔なんだよ…。破魔のアイテムなら、魔物が扱えるわけねーだろがっ!」
「あれは「破魔…魔を破る」ではなくて、「把魔…魔を把(つか)む」のが目的の道具じゃからな。魔物が扱えても、不思議ではないわい。」
 すっとぼけた表情で玄馬が吐き出す。
「おい…からかってんのか?てめーは…。」
 ただでさえ、イラついている乱馬だ。この野郎と言わんばかりに、さらにつかんでいた玄馬の襟ぐりを上にあげて、突っかかる。宙に釣り上げんばかりの勢いだった。
「まあ、いいから、落ち着けっ!」
 浮かび上がった両足をばたつかせながら、玄馬が慌てて吐き出した。

「これが落ち着いていられるかってんだっ!」

 周囲に人がいない分、歯止めなどきく筈もない。だんだんに、乱馬の語気も態度も、きつくなる。

「安心せいっ!魔除けの宝珠はいい加減な代物ではないわいっ!正真正銘の魔除けグッズじゃっ!その秘めたる力で、邪気を帯びた魔物は、あかね君の身体に一指も触れられぬわ…。」
「本当だろうな?」
 グイッとつかみあげていた左手をぱっと放しながら、問いかける。

「ああ…。大丈夫じゃ。…それに、よしんば、触れられたとして…貴様、あかね君が純潔でないと愛せぬのか?」

「んな訳ねーだろっ!たとえ、あかねが純潔を奪われていたって、俺は…。」
 ハッとして、引き下がる。言いかけた言葉を飲んだ乱馬の顔が真っ赤に熟れた。
 これ以上、無垢な本心を父親に晒すのは、さずがに恥ずかしい。

「なら、今、ここで気をもんだとて、どうなる訳でもあるまい?…それに…あかね君は、その指輪が示す通り、無事なんじゃろ?」

「ああ…。あかねはちゃんと生きている…。」
 そう言いながら、左手をグッと握りしめる。あかねと繋がっている指輪がそこに光っていた。かすかだが、あかねの気を感じる。

「なら、この先は、魔龍との闘いに勝つことだけを真剣に考えるんじゃな…。」
 玄馬は開いた襟ぐりを、直しながら乱馬へ吐き付ける。

「おい…。こっちが訊きてーことがまだあるんだ。俺の疑問は、何一つ、解決してねーっ!」
 ぐっと、その場から離れかけた玄馬の襟ぐりを、今度は首の後ろからつかみかかり、引き留める。
「おらっ!ちゃんと説明しやがれっ!その、天海和尚のことも、早乙女家とのかかわりのことも…俺を二分化させる必要があったことも…全部、全部ひっくるめて話しやがれっ!…俺は早乙女家の嫡子(ちゃくし)なんだぜっ!このクソオヤジ…。」
「たく…クソは余計じゃ…。そうだな…そろそろお主にも、ちゃんと天海和尚の結界と早乙女家の関わりも話しておかねばなるまいて…。話してやるから、落ち着けっ!」
「わかったよ…。聞いてやるからちゃんと話せよ!」
 乱馬は玄馬を手から離すと、その場にどっかと座りこんだ。
「ということは…今回の件……早乙女家にも無関係じゃねーってことだよな?親父…。」
 乱馬はじろっと玄馬を見据えた。

「天海和尚は周到な方でなあ…。江戸へ様々な風水を張り巡らせたとき、同時に、様々な呪法で未来まで読み解かれていたんじゃよ。一種の予知じゃな。」
 玄馬も乱馬と対峙するように、傍にあった岩へと腰を下ろした。
「あん?予知ぃ?」
 乱馬の投げつけた疑問は、別の方向へと転換されて、話が転がり始めた。
「ああ。天海和尚は黒龍が従わなかった時点で、ある程度予測されていたんじゃよ…。そう…いくら強固な結界を張ったところで、いずれは綻(ほころ)ぶ…とな…。結界が決壊ーなんちゃってっ。」
 と、急に玄馬は舌を出して、おどけて見せた。

「こんのっ!クソオヤジっ!ダジャレはいい、真面目にやれっ!」
 思わず、立ちあがって、ぽかっと玄馬に殴りかかる。
「痛いじゃないかっ!ワシは、おまえを和ませよーと冗談を言ったまでじゃないか…。叩くことはなかろー?」
 涙目で叩いてきた息子を顧みる。
「冗談は云わんでいい…とっとと、話の本質に迫りやがれ…時間がねーんだぞっ!」
 乱馬の肩の息は荒い。
「と…とにかくじゃ。天海和尚は、四百年後に、結界が決壊することを察知して、次の手を考えておられたんじゃっ!」
 これ以上叩かれるのはさすがに嫌なのだろう。慌てて、玄馬が答えた。
「で?その次の手ってーのは、この家伝書内のどこに伝わってるんだ?あかねと一通り読んだが、そんなことは一言も書いてなかったぞっ!親父ッ!」
 乱馬は己の襟元に手を突っ込んで、早雲から託された「天道家家伝」を玄馬へと指し示した。天道家から託された書だ。あの後も、後生大事に持ち歩いていた。
「別に欠損した跡も見受けられなかったぜ。」
 と付け加える。
「いや、そこには…天道家の家伝書には記されておらんよ…。ここから先は、早乙女家の領分なのでな…。」
 玄馬はさらっと言って退けた。

「早乙女家の領分だあ?」
 思わず、声のトーンが一段上がった。

「ああ…。早乙女家の領分じゃ…。だから、天海僧都が指し示す「次の手」は天道家ではなく、早乙女家に伝えて来られた…。
 言いかえると、天海の施した結界を守るのが天道家なら…崩された結界を再度施すのが…我ら早乙女家の使命なのじゃよ。」
「んなの、初耳だぜ…。てめー、この前、実家で膝交えて話した時は、ひとっこともそんな事言わなかったじゃねーか!」
 ついつい、また、声が荒らぐ。
「当り前じゃよ…。まだ、おまえに伝えることが出来る段階ではなかったでな。」
 フッと笑いを浮かべながら、玄馬が言い切った。

「どういう意味でいっ!」
 話の本質が全く見えてこない乱馬が、引き続き、玄馬へとせっついた。

「順を追って話してやるから、少し落ち着け。」
 玄馬が乱馬へと振り返った。
 乱馬はその言を受けて、握りしめていた玄馬の胸元を、しぶしぶ放した。
「わかった…。聞いてやるから、ちゃんと話せっ!」
 と、どっかと再び地面へと腰を下ろした。女の形はしているが、元は男だ。じっくり聞いてやると言わんばかりに、どっかと胡坐(あぐら)をかいて座り込む。

「たく…。乱暴な奴じゃな…。まあ、良いわ。」
 真正面に向きなおして、岩から降りた。そして、同じく地べたへと胡坐をかいて座るなおした。
 親子、ひざを交えて、正面から向かい合う。

「我が早乙女家の家伝には…天海和尚の施した魔龍封印の結界は、四百年程の時を経て、崩壊の危機に直面するだろう…と、まあ、そう伝わっておったんじゃ。…。」
「関ヶ原の戦いが西暦一六〇〇年だとして、そこから換算して約四百年っつーと…ちょうど現代と勘定が合うわけか…。」
「そういうことじゃ…。不幸にして、結界が緩んで黒龍が巷に出てきたときは…天道家とは別の武家に始末を任せようと、天海和尚はそう計略を編んでおられたんじゃ。
 リスクを振り分ける…とでもいうのじゃろう。
 相手は狡猾な魔物じゃ。一筋縄ではいかん…。一つの家だけに結界の守護を任せきりでは、敵も突き崩しやすい…優れた策士なら誰しも考えることじゃよ。それも、秘密裏にひっそりと伝えなければ意味がない…。天海和尚は、そう考えたようじゃ。
 そして、結界の護りを天道家に託したのとは別に、結界の再構築を早乙女家に託した…。」

「おい…。それじゃあ、まるで、天道家と早乙女家が結界で絡むのが、四百年前から、予言されてたってことになるじゃねーか…。」

「恐らく、天海僧都の予知からは、天道家と早乙女家がいずれ遠からず、互いに縁を持つことは織り込み済みじゃったろうな。そう思うのが妥当じゃろーて…。」
 ふっと玄馬が声を投げた。

「おい…てめーら、…まさか、俺とあかねを許婚にした約束も、それが発端になってる…なんてこと…。」

 玄馬はすっと右手を差し出して、乱馬を押しとどめた。

「いや。さすがにそれはないぞよ…ワシと天道君が出会ったのは、偶然じゃしな…。それぞれの家伝書には、互いの家と奥義のことは、一言も言及など無かったからんのー。
 それに、八宝斉先生に入門したのも、偶然じゃよ。ワシが八宝斉先生の元に教えを乞うて、元祖無差別格闘流に入門したときは、すでに天道君が居たからのう…。決して、前々からの知り合いで、示し合わせて入門したのではないのじゃよ。
 それに、ワシと早乙女君は、互いの家に伝わる龍神結界の相互関係を知る前に、互いの子供同士を婚姻させようと約束しておったしのー。」
「俺とあかねの許婚の件は、結界をめぐって、親同士がつるんで仕組んだつもりはなかったってことだな?」
「最初はな…。」
「あん?」
「互いの異性の子を許婚にしようと最初に口約束をしたときは、そんな気はさらさらなかったが…。」
 そう言いながら、玄馬は乱馬へと真摯に視線を流した。
「時を経て、どちらからともなく、たまたま、天海和尚の封印についての話が出てなあ…。互いの家に伝わる奥義について、ちょこっとだけ情報交換をしたことがあったんじゃよ。
 もっとも、あの頃は、ワシも天道君も、お師匠様の恐るべし超ハードな修行を日々こなすのが大変すぎて、その奥義について深くは探求する暇もなかったというのが正直なところなのだがな…。
 結界の口伝が、天道家、早乙女家、どちらも天海和尚から伝わるということを知ったとき、これは是が非でも、子供たちを結婚させねばならん…と互いに強く思い込んだのは確かなのじゃがな。」

「ほれみろっ!やっぱり、結界がらみで俺たちの縁談を、目論んでやがったんじゃねーか。」

「それは結果論じゃよ。おまえとあかね君は、持って生まれた互いの星が、強く惹きあったとワシは思うがな…。天道家の三人姉妹の中で、同じ年だったとしても、あかね君をおまえが選んだことからして、運命の共鳴は避けられんかったのではないかのー。」
 そう言って、にやりと乱馬を見上げた。
「俺はあかねを選んだわけじゃねーぞっ!どさくさに紛れて、姉たち二人があかねをって押しつけたようなもんだろーが…。」
 照れたのか、そんな言葉を父親へと吐き付ける。
「何を今さら細かいことをぶちぶち言っとるんじゃ?おまえもあの時、あかね君で承知したろーが…。」
「俺は、承知してねーぞっ!反論の余地なんか、誰も与えてくれなかったじゃねーか!あかねだって、最初は俺のこと、全否定してたんだぜっ!」
「たく…何を愚だ愚だ言っておるんじゃ、おまえは…。最初はそうじゃったかもしれんが、今は違うじゃろーが…。うりうり…。」
 少しからかい気味に玄馬が言うと、さすがに、これ以上、狼狽する己をさらしたくなかったのだろう。
 乱馬は大きくため息を吐き出した。

「まー細かいことは良いとして…。まんまと、俺とあかねは親父たちの掌の上で踊らされちまったってわけか…。いや、この場合、天海とかいう和尚の予知どおり、すすんじまったのかもしれねーが…。」

 と、玄馬は、急に、別の言葉を乱馬へと返していた。

「おいおい、お前らしくない言動じゃな…。ったく…よしんば、ワシらが仕組くんだことじゃったとしても…乱馬よ…おまえの気持は定まっているんじゃろう?何があっても、貴様自身のあかね君への想いは変わらんと…。」

 その言葉に、乱馬は黙った。
 親父の言うとおり、とっくに、己の気持ちは決まっている。前提がどうあれ、家同士の事情がどうであれ、天海の予知がどうであれ…互いに愛し合っているという事実は、曲げようがなかった。

「まあ、あかねとの縁組の発端なんかはどーでも良い。今さらだしな…。
 でも…俺に「邪天慟哭破」を打たせて、男と女に分裂させた事は、どーなんでい?親父…。ここんところ、はっきりとさせて貰おうじゃねーか。」
 照れ隠しもあったが、グイッと身を乗り出した。


「前もって天道君から天道家の家伝を預かっていたワシが、それを元に、早乙女家伝来の古文書と突き合わせて、二人で作戦を練ったんじゃよ。…こうなるようにな…。」
 にやりと乱馬の目の前で玄馬が笑った。

「やっぱり、てめーらが仕組んだことか…。」
 奥歯を噛みしめながら、玄馬を睨みつける。
「何で、わざわざ、女にしやがった…。しかも、ほとんどの闘気は、男乱馬(やつ)に持って行かれちまったんだぜ…。圧倒的に不利だぜ。わかってんのか?」
 と食らいついて見せる。

「フン…今の姿では、あやつに勝つ自信は無いとでも言いたいのか?女々しい奴め…。」
 嘲り笑うように、玄馬が吐きつけた。
 乱馬の闘志を燃え立たせるに十分な言葉であった。

「何いっ?」
 案の定乱馬に、カッと頭に血が昇る。

「お前から邪気を払って女に変化させたのも…全て、これから授ける技の布陣じゃよ…。天道君もあずかり知らぬ、早乙女家伝来の必殺技のな…。」
 ニッと玄馬は笑って見せた。




二、

 野や山を駆け廻って、修身することは、ほんの子供(がき)の頃から慣れ親しんで来た。
 母親と別れて、父親と放浪の修行に旅立ったのは、まだ、物心さえつかぬ幼児の頃だった。故に、放浪が当たり前の生活であった。
 一所に居住地を定めたのは、天道家に身を置いていた三年間が最長だった。そう、三年もかの地に腰を下ろしたこと自体、乱馬にとっては異変であった。
 それまでは、長くて一年。借金取りに追われたり、なんやかやと、宿を移し、放浪していたのである。
 天道家にて居候していた時も、事あるごとに野や山、海に修行に出かけた。
 早乙女流は決まった道場など持たない、自由奔放な流派である。と言えば聞こえがいいが、その実、貧乏過ぎて放浪する以外、術が無かったのである。
 放浪の連続だった故、野営は得意であった。
 大自然の中で、あらゆる万物の生気を感じ、それを技へと転換していく。都会育ちのあかねとは違い、野性児乱馬の得意とするところであった。男の姿でなく、女の姿であったとて、それは同じだ。
 この富士山のふもとの修行場には、ありとあらゆる、修行環境が整っていた。
 硫黄が吹き出す岩肌や、地下水が湧き出す自然の湖…それから、樹海へと連なる深い森。
 五感を研ぎ澄まし、力へと変換させる…おそらく、玄馬はそんな環境下で、息子に何かを看破させようとしているようだった。
 

「やああっ!」
 朝な、夜なに響き渡る甲高い女声。

「まだまだだっ!もっと感性を研ぎ澄ませっ!」
「目で追うなっ!気を感じろっ!」
「力だけでは奴には勝てんぞ!」
 玄馬の声も鳴り響く。

 
 身体を動かし続け、疲れたら休む…。その繰り返しだ。
 何も、太陽が天上に輝いている時間帯ばかりではない。
 いや、むしろ、闘いの刻限は夜だ。それも、闇の支配する、敵地での闘いとなる。相手の掌の上でしか、闘えないのだ。
 刻限を区切ること自体、無駄なことであった。
 出し惜しみでもするかのように、玄馬は技を打つ根幹となる、「基礎」しか修行させてくれなかった。
 走・攻・打…そして守。格闘技の根底に流れる、基礎とその応用を、はじめからなぞっているようなそんな修行だ。
 おまけに、気を張り巡らせ、敵襲や飛んでくる火の粉を払うことなど、かなりの高度な要素も、すすんで要求してくる。
 「気技」を仕掛けるための基礎力の向上が、前半部の修行のテーマへと据えられているようだった。
 幼少期から父親には逆らわず、従順に修行をこなしてきた乱馬ではあったが、巣立って以来、久し振りの父との激しいやり取りであった。技の根幹は、何時(いつ)になったら教唆してくれるのかと、疑問に思いながらも、父の指示するとおり、体を動かし続けていた。


 あれから、三日が過ぎた。


「いい加減…その奥儀ってーのを明かしてくんねーと、時間が切れちまうぜ…親父。」
 ハアハアと荒い息をあげながら、ドッと草むらへと倒れこむ。体力の臨界点が過ぎ、休憩に入ったのだ。
 体中から汗が噴き出して、顔も真っ赤だ。化粧っ気のない少女の紅顔が、汗水を容赦なく垂らしている。それはそれで、変な妖艶さがにじみ出ていた。

「まだ、技を授けても、今のおまえには持て余すぞ…。」
 カップめんをすすりながら、素気無く玄馬はそれに対する。
「もっとも、やっと身体の切れが戻って来たようじゃがな…。わっはっは。」
 とへたりこんだ乱馬を見ながら、明るく笑った。

「確かに…ここで修行を始めてからは…前より…ずっと…身体が軽くなったような気がするぜ…。」
 掌を見つめながら、そんな言葉を吐きつける。相変わらず、息は荒い。言葉は途切れ途切れになる。

「おまえも、感じておったのではないか?帰国後の身体の異変を…。」
 すっと玄馬が言って見せた。
「身体の異変?」
 疑問をそのまま、父へと差し向ける。
「ああ…。結界が緩んだことからくる、身体の異変じゃよ…。恐らく、おまえは感じていたと思うが…。」
「別に…異変なんか…。」
「感じて居ないとは言わせんぞ…。おまえ、帰国以来、ずっと「時差ボケ」に悩まされていたのではないか?」
 ずずっと汁を飲み込みながら、そんな言葉を差し向けた。

「…そう言えば、随分、時差ボケが酷かったよな…。こう、いつまでたっても、朝が弱くて、眠気が取れなかったっけ…。」
 思い当たる節があった。帰国して何日も、無下に身体から眠気が抜けなかったのを思い出したのだ。

「それも、これも、黒龍の出していた瘴気への防御本能が働いたせいじゃよ。」
 カップから口を放すと、そんな言葉を吐きだした。

「あのひどい時差ぼけが…奴の瘴気のせいだったって言うのか?」
 きょとんと玄馬を見返した。

「ああ…。ある悪意的な意思を持って、黒龍め、おまえの身体へ瘴気を流し続けていたんじゃよ。」
「何のために?」
「おまえの身体を乗っ取るために決まっとろー?」
「え…?」
 ハッとして玄馬を見返した。
「まさかとは思うが…俺の分化は帰国した時から始まっていたんじゃあ…。」
「そのまさかじゃな…。奴らは初めから、貴様を狙っていたんじゃよ。あの中で、おまえが一番、若くて強かったからな…。」
「でも、魔龍は何で若い人間の身体が必要なんだ?」
「決まっとろー?魔物の器になる若い人間の男の身体が必要じゃったんじゃよ。」
「だから…何のために、若い人間の…しかも男の身体が必要なんだ?」
「魔龍が人間界に復讐するために、己の拳族を増やしたいからに決まっておるわい。」
「拳族?」
「ああ…。詳しい事情は知らんが、魔龍が江戸を壊滅させるには、それなりの手先足先になる拳族が必要となって来るのじゃろーて…。手っ取り早く拳族を増やす方法…それは、若い人間の女をたらしこんで、拳族を産ませる…。
 じゃが、魔龍のままでは、人間の女と交わることはできんじゃろ?…ということは、それなりの躯体が必要となるわけじゃ。」
 父の言葉にしばし、無言になった。その横で、玄馬は己の見解を話し続ける。
「魔龍はおまえの躯体に目を付けたんじゃろーよ…。おまえに憑依し、あかね君と交わる…。初めは天道家を滅することに夢中だった奴も、恐らくは、天道君の身体へと憑依した時点で転換したんじゃろーな…。天道家の血を受けたあかね君を虜にし、その許婚のおまえへ憑依し、有能な拳族をたくさん産ませる…。
 ほれ、おまえもあかね君も、体力の塊じゃ。生殖能力に溢れておろう?魔龍が目をつけても不思議ではないわい…。」

「じ…冗談じゃねーぞっ!拳族を産む道具として、俺たちを狙ってただとぉ?」
 顔を真っ赤にして、乱馬が吐き出した。

「でも…それじゃあ、一つ、つじつまが合わない部分もあるぜ…。何で、魔龍は俺の男女分割を図りやがったんだ?分離なんかさせず、そのまま、俺に憑依すれば良かったんじゃねーのか?」
 当然の疑問である。回りくどいことをして、男女に分けられた意味が良く分からない。
「それは…様々な要素が重なった結果…じゃよ。奴らとて、直接おまえに憑依すれば事済むと思っていたろーがな…。そういう訳にもいかなかった…ってことじゃよ。」
「あん?」
「まず一つは、お前の中に眠る、早乙女家の血じゃよ。ご先祖様は天海和尚に何らかの術を授けられていたと思うのじゃよ…。魔龍の邪な瘴気がお前へ向けて流され始めた時、早乙女家の血に眠る防御本能が働き、それを浄化させるために良く眠らせた…。」
「だから、体内時計が狂いまくって、眠ってばかりだったとでも言いたいのか?」
「ああ…。睡眠は体力回復には必要不可欠じゃからな。」
「じゃあ、天道家から離れて、魔龍の瘴気から距離を置いたから、最近は眠りが浅くなったのか?」
「それもあるじゃろうが…。魔龍との闘いが激化することによって、とある特殊能力が、おまえたちに目覚め、眠りで防御を図る必要性が無くなったんじゃよ…。」
「あん?特殊能力だあ?」
「ああ…。おまえとあかね君の間に目覚めた、気の交流能力じゃよ…。」
 ハッとして乱馬は玄馬を見上げた。

「そうじゃ…。貴様も身体に覚えがあろう?あかね君の気に触れれば、身体に受けた傷が消え、治癒していく…あの能力じゃよ。
 これはワシの想像じゃが…この能力は、早乙女家の血が流れるおまえと、天道家の血が流れるあかね君のペアだからこそ生まれた、特殊能力なのではないかとな…。」
「俺とあかねの特殊能力…。」
 左手の親指の指輪を眺めながら、その言葉を繰り返す。

 トクン…と、そうだと言わんばかりに、指輪が小さく、脈打った。

「おまえが、あかね君を生涯の伴侶ときちんと定めた辺りから、その能力は急激に開扉(かいひ)したろう?」
「ああ…。確かに…。魔龍との闘いが激しくなり始めてから…あかねと一緒に眠るだけで、傷が面白いほど消えてなくなっていたな…。」

 いくつか思い当たることはあった。
 初めに気付いたのは、九能と闘った後のことだ。一晩、ぐっすりと眠っただけで、翌日、きれいさっぱり、受けた裂傷が消えていた。
 小太刀と五寸釘の時も…それから、昨晩も…。


「じゃからこそ、黒龍はおまえを完全に取り込んで憑依することが、できなかったんじゃよ…。良牙君をけしかけて、かなりの闘気を使わせたところでな…。」

「じゃあ…あの時…。運が悪ければ俺は…。」
「分離などせず、全てを魔龍に飲み込まれていたじゃろうな…。」
「でも…何で女体と分離したんだ?呪泉郷へ行って男溺泉へ浸って完全に男に戻った筈だぜ。」
「それにも、ちゃんと理由があるぞ。」
「あん?親父にはわかるってーのか?男と女に分離して、このざまになった理由が…。」
「もちろんじゃ…。」
 玄馬は乱馬へと瞳を巡らせた。
「何故、女体が本体に残ったかわかるか?乱馬よ…。」
「奴の狙いはあかねと交わって拳族を作ることだろう?だから、わざわざ男の俺を、引きはがしにかかったんだろ?」
「まあ、それもあるが…。恐らくは、おまえのトラウマが、弱い方のおまえ…つまり女化した躯体を本体に残してしまったんじゃろう…。」
「あん?」
 良く意味が呑み込めず、父親へと疑問の顔を手向けた。
「おまえ…心のどこかで、まだ、呪泉の呪いへの恐怖を引きずっているのではないのか?」
 グイッと心の奥まで、玄馬は踏み込んで来た。

 暫し、沈黙が流れて行く。

「ふっ…流石に、人の親だな…。息子(おれ)のトラウマなんか、お見通しだってか…。
 ああ、確かに、時折、夢見てうなされることがあるぜ…幾つかのトラウマによー。
 その一つに、女化して男に戻れねえ自分の姿、つーのもあるな。」

 もちろん、他にもトラウマはある。
 猫が苦手だということは勿論その、然したるものだが、他にも、あかねを失うことへの恐怖感が一番強いだろう。
 呪泉洞での闘いの時に、それは身にしみていた。
 今はまだ指輪を通じて繋がっているという望みがある分だけ、落ち着いていられるが、このまま男に戻れずにあかねをも失うことは、死ぬよりも辛いことだと、心は叫んでいる。

「ワシも、夢の中で、パンダに変身したまま戻れない恐怖に襲われたり、母さんが切腹介錯しようと刃で斬りかかって来たりすることが、しょっちゅうあるからのー。わっはっはっはー。 」
 コップへと湯を注ぎ入れながら、そんなことばをぽつっと語る。
「てめーと一緒にすんなっ!おめーは、まだパンダを引きずったままだろーがっ!」
 ぐぬぬと突き上げる右拳。

「まあ、御託は良い…。それより…女体の攻撃レベルと守備レベルを上げるのじゃ。女の躯体の能力が上がらねば、話にはならん。」
「女としての身体の能力を上げる…か…。昔、一度あったっけな…。なつみ・くるみ姉妹との闘いの時にも、親父に言われたっけ。」
 古い記憶が駆け巡る。
「そういうこともあったっけかのう…。女としての自分を知ること…女の躯体で闘いを強いられるのだ。己の限界を知り、さらに能力を上げる…。今の貴様ならあの頃より数段、レベルアップが図れよう?」
「ああ…。確かに、相手は男の躯体の俺だ…一筋縄じゃいかねー。」
「…それから、とっとと、気の扱い能力も磨けっ。相手を目で見るだけではなく、感じるようにならなければ、恐らく、奴は倒せまい…。特に、相手の、邪気…。これを的確にとらえられるようにならねば…闘いには勝てんぞ…。」

「相手の邪気?」
 乱馬は玄馬を見上げた。

「ああ、邪気じゃよ。特におまえから分離した男乱馬は、邪気の塊じゃ。むろん、それと真逆なことが、おまえにも言えるのじゃがな…。」

「……。おい、親父…。ひょっとして、男と女に分化したことは…その邪気と正気にも、関係してるんじゃねーだろーな?」
 グッと前に迫り出しながら、問いかける。

「無論…関係しとるよ。男のおまえは邪気を帯び、女のおまえは正気を帯びた…。じゃからこそ、成り立つ奥義も存在するんじゃよ…。」
 玄馬は満面の笑みを浮かべた。
「そう…ここから先は、早乙女家の血を引き、正気を帯び無垢な体となった、おまえにしか扱えない領域なんじゃからな…。」

「ってことは…その奥義ってーのは…身体からあらかたの邪気を追い出さねーと…打てない技…ってことか?」

「然りっ!おまえに授ける早乙女流の奥儀は、力技ではない。だから、腕力はかえって邪魔になるんじゃよ。
 幸い、おまえは、飛竜昇天破を打てるからな…。極意さえ身につければ、応用は簡単にできよう…。」
 カカカと玄馬は脳天気に笑いながら、意味深なことまで言ってのける。

「飛竜昇天破…女傑族に伝わる、あの温度差の魔拳か…。」
 グッと右拳を握ってみせた。

 飛竜昇天破…。貧力虚脱灸によって、力を削がれた乱馬に、コロンばあさんが授けた、女傑族きっての必殺技だ。乱馬はそれを取得したのち、様々にアレンジして使いこなしていた。
 漂う熱気の中に、冷気を打ち込み、激しい竜巻を起こさせる技。それが飛竜昇天破の正体だ。

「でも…俺から抜け出た男乱馬(あいつ)も飛竜昇天破を打つことができるだろうぜ…。そんな中で飛竜昇天破をベースとした技が有効かどうか…。」
 乱馬は唸った。
 恐らく、己から抜け出た分身だ。乱馬の必殺技をこなしても、不思議ではあるまい。
「じゃから、この天海僧都直々の必殺技をおまえが応用すれば良いのじゃよ…。そのためには、相手を確実にとらえる心眼と、研ぎ澄まされた正気が必要となってくる…。」
 にやりと、玄馬は笑った。
「心眼と正気…。」
「ああ。この二つを体得すれば、奴らを薙ぎ倒すこともできよう…。」
「ってことは、そいつが身につかなければ…勝てねえ…ってことか。」
 ふつっと吐き出す言葉。
「自信は無いのか?バカ息子。」
 煽り立てるように玄馬が問いかける。

「絶対に、取得してやるぜ。」
 はっしと玄馬を睨み付けた。
 
「なら、修行再開じゃ。休憩できたろ?」
 玄馬に促されて、乱馬は腰を上げた。
 そして、傍らにあった手拭いで、目を覆う。目隠しして修行に臨もうというのだ。
「ほう…やっと、やる気になったか。」
「ああ…。俺に残された時間は少ない…。来いっ!親父っ!」


 玄馬と女乱馬の激しいぶつかり合いが再び始まる。
 奥深い山に、二人の発する声が、延々と響き渡っていた。



つづく





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