◇季節外れの恋人たち




 暖冬。
 異常気象。
 地球温暖化。

 この言葉が、世間に浸透して、どのくらいたつだろう?
 親父なんかに言わせると、昔はもっと、冬が寒かったという。アカギレやシモヤケを持つ子など、そこいらじゅうに居たという。今じゃ、アオバナを垂らしているガキもトンと見かけなくなった。
 それだけ、栄養状況が良くなったということなのだろう。
 アカギレやシモヤケ、アオバナは栄養状態と密接な関わりがあるそうだから、現代っ子に見られなくなったのも、納得いくっちゃあ納得がいく。
 栄養状況だけではなく、住環境も良くなったことにも関係するかもしれない。
 暖房器具や衣服の保温性もグンと進化し、冬の寒さを昔ほど感じなくなったという。

 我が家、天道家でも、それは顕著だという。

「昔はねえ…。冬と言ったら、練炭火鉢をドンと置いていて、そこで餅なんか焼いて、食べたもんだよ。電気コタツすらなかったんだけどねえ。」
 と、義父さんが目を細める。
「そうそう、一酸化炭素中毒で、良く人死したと、新聞の紙面にも書いてあったもんじゃがなあ…。」
 親父が罰当りなことを言う。
「東京にだって、昔は雪が良く積もったものだが、今は年に一度も積もるくらいじゃないのかねえ。」
「暖冬が当たり前になっとるのう…。」
 親父たちの言葉。確かに、それは俺も感じるな。
 ガキの頃、親父と放浪修行をしていた頃、首都圏でも、ちょっと北のほうにある山へ入ると、根雪があった。そこらじゅう雪で、厳しい環境の下しごかれたもんだ。だが、今は、よほどの寒波が来ない限り、首都圏の山でも、雪自体にお目にかかることも少なくなった。スキー場に雪が降らなくなって閉鎖したって話もチラホラ聴くようになってる。
「やっぱり、温暖化が進んでるのねえ…。」
 環境問題と一番遠いところにある、なびき義姉さんがポツンと答えた。
「で?あかねは順調なの?」
 と続けざまに俺に問いかけてくる。
「ああ…。まあな。」
 気の無い返事を送る。

 俺とあかね。
 周りの期待どおり、結婚して二年になる。
 で、満を持して授かった子宝。
 今、彼女は妊娠五ヶ月目。この前の戌(いぬ)の日に腹帯を巻いたところだ。
 次の春には待望のベイビーが誕生する。
 まあ、それなり紆余曲折があって、結婚したのだが、結局、納まるべき鞘におさまったというわけ。勿論、天道家にそのまま新居を構えて、道場守りをしながら住んでいる。俺の職業は、新進気鋭の若手武道家。あかねはその嫁、今のところは専業主婦だ。
 あかねも、時々、門下生のガキどもの相手をして面倒を見ていたが、お腹へ子供が宿ってからは、それも控えさせられている。本人は、まだやれる、を連発するが、もし何かあった日にゃ、どうすんだよ、と俺や親父たちにきつく言われて、渋々「専業妊婦」をしているというわけ。

 え?幸せかって?
 聞くだけ野暮だぜ。

 で、今日は師走の休日。
 久々に俺も仕事がなく、家でのんびりと過ごしている。
 師走に入ったというのに、今年も暖冬で、十二月というのに夏日なんかになりやがった。これも、季節外れに通り過ぎた「台風」の成れの果ての低気圧のせいで、嵐と一緒に熱風を関東地方へ置いていきやがった。
 天気予報に寄ると、一日限りの「夏日」らしいが、何で師走に半袖で過ごさなきゃならねえと、おてんとうさまに訊いてみてえ。
 気温がこんなだから、年末の準備をする気にもならねえ。
 朝からのほほんと平和な休日を過ごしている。
 年末は「紅白なんかぶっ飛ばせ」と俺たち武道家を集めた特番なんかもあるから、今のうちにしっかり休養しとこうという、魂胆。俺のマネージメントをやってくれている、なびきも自動的に本日はオフ。で、久々の里帰りを決め込んでやがる。
 姉妹はとっても仲良しで、東風先生ん家にお嫁に行ったかすみさんも誘い込んで、三人でお喋りに高じる。兄弟のいねえ俺には、ちょっと羨ましい。
 今日もずっと昼から三人で、こそこそやっていた。台所が彼女たちの溜まり場。そして、居間が俺たち男のテリトリー。親父たちはずっと、陽の当たる縁側で、ヘボ将棋に高じていた。

「良く寝るわねえ…。」
 うたた寝を決め込んでいた俺の頭の上で、なびきが声をかけてきたのだ。
「そんなに寝てたら、夜は元気であかねを困らせるんじゃないの?」
 などとにたりと笑う。
「うるせー、んなことはねえよ…。」
 とまたゴロンと横を向く。
「ずっと遠征だったものねえ…。あかねに甘えたいんでしょうけど、生憎、結構いいお腹になってきちゃったものねー。」
 だと。
 何においても「母体」が大事。俺だってそのくらいはわかってる。
 俺たち二人の子だもんな…。
 おっと、ここでにやけたら、なびきに何てからかわれるかわかったもんじゃねえ。ぐっと堪えて、口をへの字に結んだ。
「で?どっちなの?」
 なびきが問いかけてきた。
「さあな…。医者に訊けばすんなり教えてくれるんだろうけど、生まれる前からどっちかわかっても楽しみがねえからな。訊かねえ事に決めてるんだ。」
 と返事した。
「ふーん…。案外古臭いんだ。乱馬君って。」
 今の医療技術では、エコーを当てれば、赤ん坊の性別が判明するのだが、あえて訊かないことにしていた。男だろうと女だろうと、無事生まれてくれれば、そんな事、たいして問題じゃねえ。俺たちの子は俺たちの子だ。男だろうが女だろうが変わらねえ。

 なびきはさんざん、俺やあかねを酒の肴に冷やかして、夕飯をたらふく食べて、泊まっていく。それが、彼女の休日の過ごし方。ここのところ、俺のマネージメントも大変だったしな。
 あかねは、ちょっとふっくらとした、お腹を抱えながら、楽しそうだ。
 この頃は、胎児が動き始めたらしく、動くと嬉しそうに微笑む。お腹で赤ん坊が動くというものは、母親だけが感じる特権。自分の命を分けながら分娩するのだ。そのくらいの楽しみはあって良いだろう。
 あかねに言わせれば、くすくすっとお腹で動くのだそうで、その度に、くすぐったいほど気持ち良くなるのだそうだ。
「お風呂で湯船に浸かってたらね、一番動くかなあ…。赤ん坊も、気持ち良いのね。」
 なんて言って笑う。
 そんな母性溢れるあかねが、これまた、ぎゅうっと抱きしめたいほどに可愛いのだ。うん、たまらねえ!

 平和な休日の終わり。
 寝室にしている二階の部屋で、ほっこり蒲団にもぐりこむ。真夏日にさらされた蒲団は、ふっくらと暖かい。太陽の匂いが染み渡っていて、何とも言い難い幸せに包まれる。
 勿論、あかねを自分の方へと抱き寄せる。
 あかねのすぐ傍で、彼女の寝息を聴きながら、眠りに落ちる。これぞ、極上の安らぎだ。
 時々彼女をくすぐって、きゃ、なんて小さな声をあげさせるのも楽しい。あ、勿論、それ以上の楽しみもあるが、今は母体が大事だから、あんまり無理強いはしねえ。優等生な旦那なんだ、俺。
 今夜もささやかな幸せを感じながら、幸せな睡眠タイム。
 で、朝までぐっすりと眠る筈だった…。



 招かれざる、季節外れの訪問者。
 そいつらは唐突にやってきた。

「っいてっ!」
 頬に感じた違和感。

 プーン!
 次に聞える、嫌な羽音。

 思わず、ぱっかりと目が開く。
「ま、まさか…。」
 恐る恐る頬へ手をあててみる。と、ぽうっと熱を持って腫れている。いや、それだけじゃない、何となくむず痒いのだ。痛痒いという奴だろうか。
 手を伸ばして、スタンドに電源を入れる。ポウッと橙色に浮かぶ光。あかねがううんと小さな声をあげて、灯りから遠ざかるように向こう側へ顔を倒した。
 じっと目を凝らし、耳を澄まし、そのまま蒲団の中。
 目の前を奴が通った。
 はっと、視線が奴と合ったような気がする。
 俺はそっと手を差し出して、パチン!と叩く。
 そして、ゆっくりと合わせた手を開く。だが、奴の姿はそこにはない。

 ちぇっ!俺としたことが、しくじったか!

 ゆっくりと上体を起こすと、あかねが問いかけてきた。
「乱馬…?何やってるの?」
 寝ぼけ眼で俺を怪訝に見上げる。
「あ…。いや、別に…。何も…。」
 俺は奴に噛まれた頬っぺたを隠しながら愛想笑いをして誤魔化した。さすがに、蚊に噛まれたとは言い出せなかったし、無様なザマをあかねには知られたくなかった。
 枕元の時計はまだ四時。
「もう…。まだ朝には遠いでしょ。良い子だから、寝なさい。」
 あかねはそう言うと、パチンとスタンドを消した。

 はああ…。

 溜息が漏れる。
 あかねを寝不足にさせるわけにもいかねえし…。夏にたいていた「蚊取り線香」を取りに行くのも大袈裟すぎる。

「ま、仕方がねえか…。」
 俺は我慢する事にして、目を閉じた。







「ほらほら…。寝ちゃったぜ。」
 枕元でぼんやりと声。
「あ、こら、まだダメだぜ…。まだ、完全に眠りに落ちてねえ!」
 聞いたことがあるような声がした。

 誰だ?こんな時間に…。

 と身体を起そうとしたが、俺の身体はすっかりと眠りこんでしまって、金縛りにあったように動かねえ。
 その代わり、耳だけはやけに冴えている。
 いや、夢の向こう側で、招かれざる客人たちの声だけを聞いていたのかもしれねえ…。




「こら、まだダメだって言ってるだろ!あかね。」

 そいつは確かにあかねと口走った。
 俺はドキッとして、聞き耳をますますたてる。

「だって、ほら、もう、二人ともしっかりと目を閉じちゃってるわよ。乱馬。」
 今度は乱馬だって?
「ダメダメ…。ここで油断してたら、さっきみてえになるぜ。」
「さっきって?」
「もう忘れたのか?さっき、おめえ、もうちょっとで、こいつに打ち落とされそうになっただろうが!俺が奴の目の前に飛び出さなかったら、おめえがパチンと打ち落とされていたぜ。」
「そんな事ないもん!乱馬が居なくったって、あたし逃げられたもん!」
 ぷくっと膨れた声。
「おめえなあ…。よく言うぜ。思いっきり不器用なくせに。」
「不器用じゃない!」
「たく…。不器用だから、こんな季節にまで、子作りを持ち越してしまったんじゃねえのかよ…。」
「違うもん!」
「違わねーだろ?ドン臭いから、人間の血を吸えずに、秋口から冬にさしかかっちまったんだろ?だって、見てみろよ。どこ見渡したって、仲間は居なくなっちまったぞ!皆、次の世代へ卵を遺して役割を終えたんだぜ。ったく。」
「だったら、あんただって、さっさと別の女の子のお尻を追いかけて、子孫を遺しちゃえば良かったんじゃないの?」
 ちょっとヒステリックな声になった。
「バーカ!俺はなあ、おめえ以外の奴に自分の子種を分け与える気なんか、さらさら持っちゃいねえんだよ!」
「何よ。恩に着せちゃって。」
「ああ、恩に着て欲しいね!サカリのついたメスどもが、どんだけ俺の子種を欲しがって、たかって来たか、おめえだって知ってるだろ?」
「ええ、ええ。知ってますよ。縞々の別種類のシャンプーとかいうメスとか、もっとくすんだ茶色の右京とかいうメスとか。あっちもそれなりベッピンさんで、卵もたくさん孕めそうだったから、そっちに分けてあげれば良かったのに。」
「あー、ほんとに可愛くねえ!」
「何よっ!」


 何だか、俺とあかねの若い頃のような奴らだな。
 そう思って、目を薄っすらと開いてみる。
 と、目の前にシミのような点が二つ見えた。よく目を凝らして、もっと驚く。
(こいつら、人間じゃねえ…。)
 そうだ。俺の耳元で堂々と喧嘩しているのは、二匹の虫けらだったのだ。更によく見ると長く伸びた手足に薄茶色の羽。
 奴らは「蚊」だった。
 何で人間の言葉を喋ってるのか。その時は全然違和感がなかったから、寝とぼけていただけなのかもしれねえ。
 でも、蚊だとわかったおかげで、会話の中で「卵」だの「メス」だの言ってる事が理解できた。
 興味を持った俺は、そのまま二匹の会話をおとなしくきいてみることにした。


「たく、俺の気もしらねえで…。」
 はああっと思わせぶりな溜息が、オスの方から漏れてくる。
「俺は、おめえが一目で気に入ったから、ずっとガードしてやってたんだぞっ!今更知らねえとは言わせねえぞ!こらっ!」
 と、がなる。
「知ってるわよ。『あかね君、僕と結婚しようーっ!』とか言いながら言い寄ってきたでっかいキザオスとか、『あかねさん、僕の子種を受け取ってください!』って呪いの蚊人形と一緒に暗く言い寄ってきたオスとか、『あかねさん、何処へ行ったんだ?』と言い寄ってきてそのまま迷子になったオスとか…。」

 暗に九能や五寸釘、良牙の事を指し示しているような口ぶり。何処の世界にも、似た奴は居るもんなんだな。

「そんだけじゃねーぞ。何匹、いや、何十匹おめえの周りに蚊柱立てて群がってくる、オスどもを追っ払ってやったか!」
「へえ…そうなの。」
 と気の無い返事。
「そうだよっ!たく、おめえだって、俺が好きだから、ずっとくっついてても何も言わなかったんじゃねえのか?ええ?」
「ま、まあ…そうだけど…。」
「俺の子種、欲しいんだろ?違うのかよっ!」
「欲しいわよっ!あたしだって、他の仲間みたいに、立派な卵をいっぱい産んで、役目を終えたいわよっ!」
「だったら、今夜こそ、ビシッと決めろよ。じゃねえと、このまま越冬に入っちまうぜ。そろそろ寒くなってきたしよう…。下手すると子孫遺せねえで逝っちまうかもしれねえぞ!…まあ、今夜はぬくいけど。」
「だから、こうやって、今夜こそって頑張ってるんじゃないの。」
「おまえなあ…。たく、極上の卵を作る極上の血を求めて、一体何ヶ月、彷徨ってるんだよ。」
「あんたがいろいろとうるさいせいもあるでしょうが!選り好みしてるのは、あんたじゃないの。やれ、獣の血はダメだの、人間じゃないとダメだの、あの男はむさいとか、酒臭いとかさあ…。」
「うるせえよ、おめえだって、何で女の血を吸わないんだよ!何こだわってるんだ?」
「嫌よ、女の血を身体いっぱいにして、そこへあんたが子種を授けてくれるんでしょ?あたし以外の女と交わって欲しくないのっ!わかんないの?」
「人間の女と俺たち蚊の女と種族が違うだろうがっ!」
「ええい、ぜーったい、あたしは人間の若い男の血じゃないと嫌なの。それも、あんたくらい良い香りを持った若い男じゃないと。」
「おまえなあ…。人が下手にでてりゃあ…。俺だって、男の血で身体を満たしたおめえに子種なんか授けたくはねえんだぜ。本当はよう…。」
 オスは口を尖らせた。
 どうも、話を聞くに、蚊が吸う血にも、いろいろ好みや嗜好が存在するらしい。
「だからやっと、そいつで手を打ってやったのに…。」

 何故だろう、奴らの視線をビンビンに感じた。
 もしかして、俺のことを言ってるのか?

「良い男ぶりだものね。ほら、筋肉が凄いじゃない。こんな人間、夏中渡り歩いたけど、何処にも居なかったわ。」

 やっぱり俺のことか。
 思わずほくそえむ。褒めてもらってるのがわかったからだ。

「あんたが人間だったら、きっとこんな感じになってるんじゃないの?乱馬。」
「うるせえー、俺が人間だったらもっと良い男になってるっ!」
「そっかなあ…。あたしは、これくらいの男(ひと)が好みだわ…。」
「じゃあ、おめえが人間の女なら、そっちで寝ている腹の大きな奥さんみてえになるのかなあ…。」
 オスはにやりと笑った感じの声を出した。
「俺はこっちの奥さんみてえなのが好みだな。髪の毛も短くって、闊達そうで、何より良い子供産みそうなケツしてるし…。って、もう孕んでるみてえだけど…。」
 眠っているあかねを眺め入る二匹。
「乱馬のエッチ。」
「何がエッチだよ!」
「人間の奥さんに鼻の下伸ばしちゃって、エッチったらエッチ!」
「ば、馬鹿っ!話題ふってきたのそっちじゃねーか!」
 
「で?あとどのくらい吸わなきゃ、なんねーんだ?」
「うーん…。もうちょっとね。ほら、だいぶん溜まってはいるんだけど。」
「おめえがおたおたしてるから、たんまり吸い上げる前に、その男に気付かれるんだよ…。たく。」

 メスは血が溜まった大きな尻をオスへと手向けているのが見えた。
 きれいな赤色をしたお尻だ。
 いや、昆虫学的には「お尻」という言い方は不味いのかもしれねえが…。
 何となく、このオスがこのメスに惚れた気持ちがわかるような気がした。
 もし、俺とあかねが蚊ならば、こんな会話を楽しみながら、獲物を求めて飛んでいたかもしれねえ、そう思ったからだ。

「そろそろ、良いかな…。眠っちまったかな…。」

 俺の周りをプーンと音を立てながら飛んでいる蚊たち。
 勿論、気がついてるが、寝たふりをしてやった。第一、こんなに耳元でぎゃあぎゃあやられたら、起きるぜ。ったく…。
 このまま、タヌキ寝入りをしてやろうと思った。
 俺の血、数滴で、こいつらが次世代を遺せるのなら。それはそれで良いかと思ったのだ。
 どんな生き物も、次世代を遺すことに躍起になる。それは人間だって同じだ。こいつらはこいつらで、こんな季節になるまで、必死で生きてきたのだろう。もう、蚊の飛び交う季節なんかじゃねえ。こんな初冬まで生きてきた奴らの、生命力に、ほとほと感心しちまった。
 次世代へ命の息吹を繋ぐために、二匹は必死なんだ。

 奴らは再び俺の傍へと降りてきた。
 そして、メスはオスに見守られながら、懸命に俺の血をどこからか吸ったようだ。
 次に彼らが飛び上がった時は、メスの尻が俺の血で真ん丸く大きく膨らんでいた。

「満タンになったか?」
「うん…。きれいな血、たくさんもらえた。ほら。」
「そっか…。じゃ、今度は俺の番だな…。おまえが可愛い卵をたくさん産めるように、じっと月明かりの下でおまえを抱いていてやるよ。」
「ホント?」
「バーカ!おめえだって、俺以外の種は要らねーっつってたじゃねえか。最後の命を燃やすんだ…。ほら…。行くぜっ!」
 そう言うと、二匹はすうっと俺の前から遠ざかった。
 きらめくメスの大きなお腹が、ご馳走様と俺に向かって言っているように見えた。
 きっと、オスは有明の月に洗われながら、一晩ずっとメスを抱きしめるのだろう。
 彼女に宿る、子孫たちを思い描きながら。

「良い子、たくさん、生めよ…。」

 そう呟いた俺に、寝返りを打ったあかねの手が当たる。そいつをぎゅっと握り締め、俺は再び眠りに落ちる。






「乱馬…。その顔。」
 次の朝、太陽が昇ってから、あかねが俺の顔を覗き込んで、くすっと笑った。
「アンパンマンみたい…。」
「うるせーっ!」
 そうだ、あのメスに両頬を思いっきり噛まれていたのだ。その痕が生々しく赤く腫れあがっていたのだ。
 それから暫く、俺は腫れが引くまで、あかねに「アンパンマン乱馬」と言われ続けた。

 無差別格闘流二代目、早乙女乱馬、季節外れの恋人たちに、完敗!




 完

(2004年12月 作品)

一之瀬的戯言
 創作の経緯は記憶から欠落していますが、作品最後部へ書き記していた文章から察するに、某所で私が「季節外れの蚊に対する愚痴」を聞いて、半官半民さんが思いっきり濃いネタをふってくださったらしく、それをヒントに、小一時間で書き下ろした突発作品だったようです。
 投稿作品だったかどうかも覚えていないので、ここへ収監しました。

 乱あ同人として、まさに脂が乗り切っていた頃の作品だなあ…今の私に、振られたネタで一時間前後でこれだけ書けと言われても、無理です…。脳梗塞でまだマヒってる右手は、以前ほど早くは動かんし…。
 


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