◇天使の休日
第十一話 運命の超力


一、


 目の前に闇が広がる。
 その向こう側に、浮かび上がる一人の少女の影。
 ナギ。
 少年とも言い難き幼子の頃、エララで出逢った幼女。彼女と行き会い、何があったのか詳細は忘れ去っていた。心許ない幼い日の記憶だからだ。
 だが、今、全てを思い出した。
 彼女との間に何があったのか、全てをだ。

『私は霊女。電脳界と人界の闇の狭間で人柱として生きる、霊女。それが、私の本当の姿…。』

 ナギが霊女だった。
 それは衝撃的な告白だった。

 霊女(ひめ)。
 地球連邦のコンピューターシステムの中央制御「マザーI」。その神経電脳回線に生きながら繋がれ、安定と秩序を保つ「人柱の少女」。それを霊女と呼ぶ。
 勿論、連邦最高中枢部の超機密事項。
 ごく一部の人間と、マザーIしか、その存在すら知らない。
 その霊女だという少女が目の前に居る。

 だが、乱馬は動揺などしなかった。いや、むしろ、面白いくらいに冷静だった。

「嘘つけ!…たく、俺を謀(たばかろ)ろうたって、そうはいかねえぜっ!」
 と、はっしと少女のイメージに向かって言葉を吐きつけた。

『え?』
 少女の影が、うっすらと揺れ動いた。
 乱馬の気迫に、明らかに動揺の表情が浮かび上がる。

「おめえはナギでも、ナミでもねえだろうっ!いい加減に馬脚を現しやがれっ!」
 そう言いながら、乱馬は気を放った。
 イメージの世界。それでも、気技は相手に通じたようで、辺りから暗がりが払拭された。散らばるように、消えてなくなる、少女の影。

『ふふふ…。さすがだな。乱馬。僕の影を見破るとは。』

「お、おめえは…。」
 乱馬の顔が険しくなった。
 少女の気配が消えて、変わって浮き上がってきたのは、見覚えのある男の影だったからだ。

「ロイ…。てめはロイ!!」
 と思わず食ってかかろうとした。

 ロイ。
 そうだ。乱馬の目の前に現れたのは、ロイ・ウイリアム。疾風のサラの相棒だった男。

「てめえ!姿が見えないと思っていたら。こんなところでウロチョロしてやがったのか!」
 間髪入れず、乱馬は吐き付ける。

『まあ、そう言うなよ。…ナギもナミも、全くこの案件に関与していないわけじゃないんだぞ。』
 と相手は笑った。人懐っこい白人の親父顔。ゲルマン系だと前に聴いたことがある。堀の深い目鼻立ちに、短く刈った金髪。そして、淡いブルーの瞳。筋肉質な身体は、見たところ変化はない。
 だが、イメージ世界らしく、時々、画像がぶれる。

「たく…。てめえに、あんな少女趣味があるとは思わなかったぜ。何の真似だ?俺の古い記憶の部分に触れる少女に化けやがって!
 こらっ!返答によっちゃあ、てめえの足元へ、特大の気砲をぶっ放すぜ。」
 乱馬は身構えながら言った。口調からして、明らかに不機嫌だ。

『何の…。久しぶりに出会ったというのに、その言い方はつれないなあ。乱馬クン…。』
 乱馬の脅しにも屈することなく、ロイはにやりと笑っている。わざと語尾に「クン」を付けて呼ばわる。

「こらっ!茶化してないで、ちゃんと、説明しろ!見たところ、ここは「電脳世界」か何かなんだろ?現世とは一線を画した、イメージ世界とでも形容するべきなのかもしれねえが。だから、電脳の衣を使えば、おめえが「ナミ」や「ナギ」のフリをするのも何の苦労もねえ…違うか?」
 乱馬は穿った瞳をロイへと投げかけた。

『そこまで、お見通しなら、説明するまでもないな…。
 ああ、ここは、おまえが思っているとおり、三次元とは違う別の次元、強いて言うなら「電脳世界」のど真ん中だ。』
 ロイの答えに臆することなく、乱馬は吐き捨てる。
「やっぱりな…。さすがの俺も、どうやっておめえがこの世界へ入り込んで、この俺まで引きずり込めたかはわからねえが…。」
 乱馬は辺りへと視線を巡らせた。初めて入る電脳世界。虹色の賑やかな光が、垂れ込めるように周りを取り巻く。壁も床も天井も、同じ色合いをしており、ポツンと浮かび上がっていた。天地すら不鮮明だ。だが、そんなことはお構いなく、二人、真正面から対峙する。。

『そんなの簡単だ。俺は、この世界の住人だからな。』
 ロイはさらりと言ってのけた。
「この世界の住人だあ?そいつは、どういう意味だ?」
 乱馬の方が慌てた。
『この世界にのみ、存在を許された人間のことさ。文字通り…な。』
 ロイは多少自嘲気味に乱馬に言った。
「だから、それがどういう意味だっ、つーてんだろうがっ!てめえ、この期に及んで、まだ、俺をからかう気かよう?」
 再び、乱馬が激高した。
『相変わらず、短気なんだな。乱馬クンは。そんなんじゃ、良い大人なエージェントにはなれないぞ。』
 軽く笑いながら、ロイは受け答える。
『端的に言えば、住人になってしまったのさ。この世界にのみ己が許された存在場所がある。…つまり、現世から離脱を余儀なくされ、電脳世界から戻れなくなった人間の成れの果て…とでも言っておこうかな?』
 ロイは少し憂いを含んだ表情を乱馬へ手向けながら、語り始めた。
「現世から離脱だって?…おまえ、まさか…。」
 乱馬の言葉を遮るように、ロイは答えた。

『もう、かれこれ三年近くになるかな。僕の身体が現世から消滅して。』

「現世から消滅…。」
 その言葉に思い当たる節があった。
 ナミ奪還のための作戦に赴く前、サラにロイの存在はどうしたのかと問いかけた時に、彼女が吐き出した言葉を思い出したのだ。

『…とある任務で、滑ってしまってね、消滅しちゃったの。もう、この世には存在しないのよ。彼は…。』
 サラが呟いた言葉が再び、脳裏に蘇る。憂いを帯びた目で、遠くを見ながら、寂しそうに告げた言葉。
 確かに、彼女は「消滅した。」と言った。決して「死んだ。」とは言わずに。

『へえ…。おまえくらいの特務官でも、情報は筒抜けていなかったのか。結構有名な話になってると思ったんだがな。イーストエデンの特務官の中じゃあさあ…。』
 乱馬が、事の仔細を知らないことが、意外だったのだろう。ロイはそんな言葉を吐き出した。
「知るも知らねえも…。今の俺は木星星域の場末で、任務しているからよう。親父と離れて久しいしな…。それに、他のエージェント仲間の消息なんて、一々気にも留めてなかったしよう。」
 正直に乱馬は言い放った。

 「エンジェルボーイ」と呼ばれていた前任地では、凄腕の親父、玄馬と行動を共にしていたので、それなりに中央からの膨大な情報は常に入っていた。聴きたくなくても自然に耳に入ってくる情報も多かった。だが、現在、木星と土星の星域の間に横たわる「小惑星群」の場末基地「天道ステーション」に寝起きするようになって以来、中央の情報からは縁遠くなった。諜報官としての腕が相当立つなびきは、ちゃんと情報をそれなりに収集しているのだろうが、己は知らなくても任務はできる。そんな来易さから、求めてまで要らない情報を取ろうとは思わない乱馬だった。
 いや、「ダークエンジェル」の超力が与えられて以来、それを使いこなすだけで、正直精一杯だったのだ。とても、他のエージェントの情報まで分析する余裕などなかったのだ。

『ま、何で僕がこの世界へ入ったかを端的に説明すると、とある任務でドジを踏んで、肉体から弾き飛ばされ、魂がこの世界へと入ってしまった…という訳さ…。』
 ロイは苦笑いしながら乱馬に対した。

「飛ばされた?肉体から魂が?そんな事が可能なのか?」
 乱馬はきょとんと、ロイに問い返す。

『君が不思議に思うのは尤もだと思うが…。つまり、幽体離脱したんだよ。肉体から抜け出て、魂だけが、電脳世界へ取り込まれた。簡単に言うとそうなる。
 現実主義な考えの人間には理解を超えた世界だろうさ。だが、事実、僕は肉体から飛び出した。そして、魂が電脳世界へ入り込み、ずっと、ここで彷徨って生活している。
 食べ物も水も要らない、無味乾燥な空間だけの世界を漂いながら、再び、現世へ、己の肉体へと戻る術を探している…。それが、僕の現況なんだ。
 それに、君だって、現在、幽体離脱してるんだぜ?』
 ロイの身体がゆらゆらと、乱馬の目の前で、怪しげに揺らめいて見える。その顔には、微かだが笑みが浮かび上がる。

「俺も、肉体から弾かれて電脳世界へ飛ばされただとおっ?」
 乱馬は不安げな瞳でロイを見詰める。

『君の場合は僕と違って、現世でサラが、君の肉体を保持していてくれているから、大丈夫。君はこの世界の亡霊とはならない。つまり、元の現世へと戻れる術がある。』
 乱馬の不安を打ち消すように、ロイが返答した。
「そっか…。俺はこの世界の住人となった訳じゃねえのか…。」
 小さく呟くと、乱馬は安堵の表情を浮かべる。このまま、わけにわからない世界で放浪するのは御免こうむりたかった。
「で?俺に何か用があったから、ここへ呼んだんだろ?ロイ。」
 少し余裕が出たのか、ずいっと身をロイの方へと乗り出した。

『ああ…。俺の依頼人が、どうしても、おまえと直(じか)に接する事を切望しているんでな。』
 にやりとロイが笑った。

「依頼人?」
 乱馬は怪訝な顔をしてロイを見詰め返す。
「こんな電脳世界の中で、依頼人だとお?」
 また納得がいかない事を、と言わんばかりに乱馬はロイを見上げる。

『ああ、電脳の世界とは言え、ぐるぐると徘徊している者も大勢居るんだぜ。僕のように、現世から弾き飛ばされて来て、帰れずこの世界で生きる事を余技なくされる者がね…。』
 キラリと光ったロイの瞳。その鋭さに、思わず乱馬が身をすくませる。同時に身構えていた。防御本能が乱馬を駆り立てたのだ。

『そんな、怖い顔をしなくても、君をとって食おうなんて思っちゃいないよ…。僕はただ、依頼人に依頼されたことをするだけだ。そのために、サラを動かして、君をこの世界まで呼んだのだから。』
 穏やかな表情とは裏腹に、ロイは気焔を吐き出した。実体ではないだけに、不気味な凄みがある。

「なあ、おまえ、現世に居るサラと交信できるのか?もしかして。」
 乱馬は、己の臆病風を吹き飛ばさんと、ぐっと睨みあげながら、畳み掛けた。この際だから、疑問は全て払拭しておこうと、思ったのだ。
『ああ…できる。サラの使っているバーチャルシステムの端末機を通して、彼女と交信することができるさ。』
「サラの端末機…。」
 ハッと息を飲んだ。
 確かに、サラは特殊なバーチャルディスプレイを使っていた。
 彼女自身も「これは特殊な電源形態を取ってるの。普通の通信機やコンピューターとは違うわ。」とさらりと流していた。
 そんな事を思い出したのである。
「てめえ…。俺の事、どこまで見てやがった?」
 今度は乱馬の瞳が鋭くなった。ドスをきかせて、わざとたたみかける。
『ふふふ…。勿論、サラとのやりとりの一部始終、それから、アリサたちとのやりとりも、全てチェック済みだよ。』
 悪びれる風でもなく、ロイはさらりと流した。
「ってことは、最初から、サラは俺をここへ送り込むつもりで…。」
『当たり前だろ?全て、仕組まれた事なんだ。周到に準備してね…。』
 ずいっとロイのイメージが、乱馬へと差し迫ってくる。重量感のない世界だ。イメージの拡大も自在なのだろうか。

「くっ!」
 乱馬は唐突に身構えて、体内から気弾を、気のエネルギー弾を、ロイに向けて放出しようとした。
 だが、ロイ目掛けて打ち降ろす前に、彼のイメージがふわっとせり上がり、圧し掛かるように襲ってきた。

『駄目だよ。そんな危なっかしい気弾を、ここで撃とうなんて、考えちゃあ。』
 ぐいっと伸び上がってきたロイの右腕。
 ビリビリっとロイの画像が目の前で、ノイズを出したように揺れた。

「ぐわあああっ!」
 思わず、苦痛のうめき声が乱馬から漏れた。
 ロイの画像が己へと触れたと思った途端、激しいほどの電撃が体中を流れたような感覚に襲われたのだ。バリバリと耳元で音が弾けたような感じがする。その電撃に、気弾エネルギーを根こそぎ持っていかれた。乱馬の体内をほとばしっていた気のエネルギーが一瞬にして萎えた。
「てめえ…。何のつもりで。」
 乱馬は激しい怒りの形相で、ロイを睨み上げた。痛みに耐えながら、無我夢中で食らいついた。

『別に、僕は君と争うために、ここへ呼んだんじゃないよ。だから、ねえ、観念し給え。どの道、この僕の呪縛からは逃れる術は、君にはないんだ。ここは僕の世界なのだから。』
 くすくすっとロイが耳元で笑ったような気がする。
 実体のない不気味な存在が、乱馬の動きを根こそぎ押さえつける。情けないことだが、抵抗する術もなく、簡単にロイに蹂躙されてしまったのだ。
「くっ!」
 歯軋りをして踏ん張ったが、ロイの呪縛から逃れられはしない。力だけでどうこう出来る世界ではないのだろう。
『そろそろ依頼人に出てきてもらうかな…。』
「い、依頼人だとお?だ、誰だ?そいつは…。」
 苦し紛れに畳み掛ける。


『それは、私よ、乱馬…。』

 急に、後ろの気配が変わった。厳(いか)ついロイの顔が小さな少女の顔のそれに、取って代わったのだ。それも、イメージ世界の成せる技なのだろうか。
「てめえ…。ふざけるのも、いい加減にしやがれ。」
 乱馬はロイへ、言葉を投げつける。

『だから、ここから先は僕の依頼人が、君に事の仔細を説明するって言ってるだろう?』
 少女から、再び、ロイの顔へと戻り、乱馬に笑いかける。
「てめえが、変な変身をしているだけじゃねえか!そいつはっ!」
 乱馬は思わず声を荒げていた。
『たく、情緒の欠片も理解しない奴だな…。君は。』
「情緒だとお?この状況でそんなもの、必要なのかよ!」
 喧々諤々吐きつける。
「少女に変身してみせるなんざあ、悪趣味の真骨頂だぜ!」
 侮蔑を込めて、言い放った。
『君にそんな事を言われる筋合いはないぜ?…僕にはわかるぜ。乱馬、君も少女に変身できる体質を背負っているんじゃないか?』
 乱馬の変身体質の事を示唆したのだろう。
「たく、今度は身上調査か!いちいちカンの触る奴だな!俺のは故意じゃねえ、事故でそういう体質になっちまっただけだっ!こんの野郎っ!」
 己の体質のことを指摘されて、ますます乱馬は怒り心頭になった。
『そんな邪見にするなって。この先に伏線を引くために、いろいろ刺激を与えて、わざわざ関連する、君の幼い日の記憶を呼び戻してやったんだぜ?僕は。』
 ロイは再び、にっと笑った。さっき、ナギとのやり取りを鮮明に思い出せたのは、どうやら、彼の仕業らしかった。
「けっ!だったら、もっとストレートにスマートにやりやがれっ!」
 乱馬の舌先はなかなか乾きそうもない。
『だから、ストレートにやってやると言ってるだろうに…。ふふふ。』
 それを軽く受け流すロイも相当なものだ。
「これのどこがストレートでいっ!ただ、趣味が悪いだけじゃねえか!」
 思わず、グッとなった。

『ぐだぐだ言うな!僕に全てを任せろ!どの道、こいつが終わらなければ、乱馬、君はこの世界から出られないんだぜ?』

「ああ、わかったよ!だったら、好きにしやがれっ!」
 とうとう、乱馬が音を上げた。

『じゃあ、遠慮なく直接的に行くよ。僕の中に逐電されている、イメージを転換して、一気に君に流すっ!後ろ側で依頼人が、君と交信したくてウズウズしているらしいんでな!そうれっ!』
 合図よろしく、ロイは乱馬の腕をつかむと、ぐいっと身体を己の方へと引き寄せる。そして、空いた方の掌を乱馬の額へと当てた。
『かなりきついかもしれないが、我慢してくれたまえっ!』
 一気に乱馬へと、あるイメージを気で送り込み始める。

「うわああああっ!な、何だ?これはっ!頭が、頭が割れそうだ!畜生っ!」

 乱馬の叫びが当たり一面へ響き渡っていった。



二、

「うわあああっ!」
 溢れんばかりのイメージの洪水。
「一体全体、何なんだ!こいつはっ!」
 前に一度、同じような目に逢っている。アンナケの地底深く、時の女神に弾き飛ばされて、事理の空間へ投げ出された時にだ。
 あの時と似たような、白んだ世界が、目の前に広がっていた。

『乱馬…。私を感じとって…お願い…。』

 状況をつかみかねている乱馬に、少女の声が流れてきて、脳裏へと響き渡った。
 澄んだ声だった。ロイのそれとは明らかに違う、穢れを知らぬ無垢な声。

「誰だ?てめえ…。ロイの後ろ側に居るおまえは…。ロイの変身イメージなんだろうが、…確かに別の気配があるぜ。」

 直接的に働きかけてくる、男の強い超力とは別の、弱々しいが澄んだ超力が、背後の方から流れ込んでくる。微かだがわかる。
 
『やっと、真正面から私を見てくれたのね…乱馬…。私よ…。覚えていない?ナギよ…。幼き日にエララ星で出逢った、ナギ…。』

「ナギ…。てめえは本当にナギなのか?さっきみてえに、ロイが謀(たばか)ってりだけじゃあねえのか?」
 ロイの腕に抱きこまれている現況を振り絞り、乱馬は脳裏に語りかけてくる少女の声に問いかける。

『確かに、ロイの口寄せの超力を借りてはいるけれど、直接話しかけているのは私、ナギよ。乱馬。』
 少女の声が、また語りかけてきた。だんだん、鮮明になる声。
『お願い、信じて…。乱馬。』
「へっ!百歩譲っておめえがナギだったと信じたとしよう…。じゃあ訊くが、どこからどうやって、俺と交信してるってんだ?」
 乱馬は声に向かって問いかけた。
『私は、繋がれているある場所から、直接、超力を飛ばして、あなたに話しかけているのよ。ロイの超力を借りてね…。つまり、ロイが中継してくれているの。』
「やっぱりロイの超力を経てやがるのか!たく、電脳世界の浮遊体を媒体として中継してもらって、俺と交信してるとでも言いたいのかよっ!てめえは!」
 乱馬は不機嫌そうに言った。
『ええ…。今の私の置かれている状況下では、この世界の者ではない、言わば幽霊のようなロイを経由して話をするしか方法がないの。乱馬。』
「そりゃあご苦労様なこった…。で、今更、何のために、俺と交信したがる?俺とおまえが遭遇したのは、かれこれ十数年前のカビの生えたような話なんだぜ?ナギ…。」
 乱馬はチクチクと言い放った。どう考えても、今更、ナギが己と交信したがる理由がわからない。自ずと邪見な物言いになる。
『そうね…。今更ってあなたは戸惑うかもしれない…。でも、再びあなたと出会う必要があったの。そして、その機会をずっと待ち続けたの。「霊女」となり、自由が効かない身の上となっても、なお、ね…。乱馬。』

 「霊女」。
 その言葉にハッと反応する。

 と、目の前に、声だけではなく、イメージが浮かび上がってきた。
 ロイと重なり、いつしか、小さな少女が、こちらを見据えて、真向かいに立っていたのだ。

「おめえ…。ナギ…か?」
 その問い掛けに、小さな頭がコクンと縦に一つ揺れた。
 長めの赤黒いおかっぱ頭、見開いた瞳は青い地球の色と同じ。小さな身体は、幼き日の面影のままだ。「成長」が止まってしまった少女が、そこに立っていた。
「違う…おめえはナミだっ!その顔も、身体付きも、エララで出逢った少女、ナミとそっくりそのまま同じじゃねえかっ!」
 乱馬の瞳は鋭くなった。暗くてはっきりとはしないが、目の前に立っている少女はナミにそっくりだった。

「本当に、ナギなのか?」
 乱馬は少女に向かって語りかけた。
『ええ、そうよ。私は霊女。地球のマザーIによって選定された、ね。電脳界と人界の闇の狭間で人柱として生きる、霊女。それが、私。』
 不敵な笑みを浮かべ、少女は乱馬に対していた。
「馬鹿な!霊女だったら、こんな木星星域の場末となんか、交信できる筈がねーじゃねえか!」
 己やナギの言葉を否定するように吐き出した。
『ふふふ、何もあなたの傍に居るのが「私の実体」である必要なんてないのよ。だからこそ、ロイさんに頼んだの。ナミを確保し、電脳世界を彷徨っているロイさんを媒体として、この「電脳世界の狭間」であなたと向き合うことを…ね。』
 ナギは笑っていた。
「ロイを媒体にして交信だとおっ?それに、ナミを確保したって?どういうことだ?」
 乱馬はますますわからないと言わんばかりに問いかけていた。
『文字通りよ。今の私は、ナミを中継点として、ロイを中継点としたあなたと対峙しているの…。私単体だけでは、マザーIの監視網から逃れられないのよ。』
「ってことは、マザーIの影響下から交信するわけにはいかないっていう意味かよっ?」
『そうよ…。敵である、彼女たちに悟られるわけにはいかない交信だから…。
 あなたと再び会い見えるためには、これしか方法がなかったの。
 電脳界へあなたの意識を引き入れ、ナミとロイ、二人を中継媒介として二次交信するという方法を選択する以外にはね…。』
「何だってそんなまどろっこしいことをしてまで、俺と会う必要があったんだ?おれにはさっぱりわからねえぞ!」
 半信半疑の問い掛けだった。ナギと話して、ますます、訳がわからなくなっている。

『全ては「コスモス」の意志よ。』
「コスモス…。」
 ナミから「意味深」な言葉が漏れた。
『乱馬。あなたと数年前、エララ星で出逢ってから、ずっと、この日、この瞬間を待ち続けたわ。あなたの中に強い超力が目覚めれば、必ず、再び見(まみ)える日が来るって信じ続けてね。』

「強い超力?俺の中に目覚めるだとおっ?」

『ええ。貴方の中に、既に、その超力は芽生えている筈よ。光の超力が。赤い勾玉が与えた超力が…。』

「光…。赤い勾玉。」
 その言葉に、俄かに目は見開かれていく。
 エララ星へ来る前に赴いたアンナケ星。そこで出会った「光の番人」。彼と遭遇した時の事が、瞬時に脳裏を掠めた。


 …赤い勾玉がおまえを主と認め、おまえが必要としている光の超力は開かれた。その超力を用いて闇の世界を打破しろ…。それがおまえの使命だ。光の超力を継承する末裔としてのな。
 おまえの中に眠る光の超力は開かれた。その光の超力を継承する末裔として、いずれ、その力でコスモスの意志を体現せねばならぬ。それが運命だ。…
 そんな光の番人の発した声が、再び脳裏へと蘇る。


「ナギ、おまえ…。一体、何なんだ?何故、「コスモス」や「赤い勾玉」の事を知っている?」
 乱馬はナギへと問いかけた。その視線は鋭い。

『残念ながら、それを伝えている時間はないわ。乱馬。』
 ナギの声が落ちた。

「この期に及んで、秘密主義を貫く気かようっ!」
 乱馬の声色が鋭くなった。
『秘密主義って訳じゃないけれど、私には時間がないの。…感じない?さっきから微かに伝わってくる波動が。』
「波動?」
 乱馬は怪訝な顔を上げた。
『全身を研ぎ澄ませて、感じてみて。あなたならわかるはずよ。』

 言われるがままに、じっと目を閉じ、五感を研ぎ澄ませた。
 ゴゴゴと確かに、微かだが、こちらに何か向かってくるような「気配」を感じた。
 そいつは、嫌な感じだった。おどろおどろしいような、禍(まが)つ気を含んでいた。

「何だ?この感覚…。」
 思わず声が出た程だ。

『マザーIが使っている、排他プログラムシステムよ。』
「はいたプログラムシステムだあ?」
 思わず声が漏れた。
『ええ、マイコン端末機で言うところの「ウイルス」を一掃するシステム。つまり、この世界に浮遊する「招かれざる者」を捕らえ、それを消し去るためのプログラムシステム。』
「ってことは…。」
『アレに捕まったら、あなたもロイさんも無事では居られないわ。』
 凛とした声でナギが言った。

「ちぇっ!随分落ち着き払って、他人事のようにさらっと言いやがんじゃねーか!てめえ。」
 つい、嫌味が零れ落ちる。

『大丈夫。彼らに捕獲はさせない。その前に、あなたに伝達を完了し、彼らの手が届かないところへ、あなたたちを飛ばすくらいの超力は、私にはあるもの。』
 にっこりとナギは笑った。
「はっ!そいつは、心強いこった!」
 半分、不機嫌に乱馬は言い放つ。
『だから…。乱馬っ!』
 と、ナギの声が一段と高くなった。


『この瞬間を逃しはしない。今度こそ、あなたに「光の鍵」を渡すわ。』

「え?」
 振り返る間もなく、乱馬は黄金の光に包まれた。太陽の眩しさのような激しい光だ。辺りが見えなくなるほど、突き上げてくるような、激しい輝き。
 いや、目に入る刺激だけではない。身体全体に、染みとおるような「衝撃」が貫いていく。

「うわあああっ!」
 耐え切れず、大声で叫んでいた。
 光はくわっと見開いた瞼を通して、我に差し迫ってくる。真正面から光に捕らわれ、強い気が流れ込んでくる。その激しさに息すらできなくなった。
 「アンナケの事理の空間」で「光の番人」に身体の中に差し込まれた「赤い勾玉」。そいつが、胸から一瞬、弾き出されて来たように思った。まるで、ナギが発した光の到来を待ち構えていたかのように、赤い勾玉が胸元から飛び上がる。だが、乱馬の身体を離れるつもりはないらしく、張り巡らされた血管のような管が、胸から伸びて、勾玉をしっかりと身体と結び付けていた。

 ドクン、ドクン。
 彼の心臓が、音を放つたびに、勾玉は真っ赤な鮮血色を点滅させる。

 ドクン、ドクン。
 波打つ心臓と勾玉が破裂するのではと思うほど、激しい。

 ドクン、ドクン。
 その心音の向こう側、また、どこかでナギの声が響いてきた。
『超力の種(パワー・シード)を受け取って、乱馬。』

「パワー・シード…?」
 苦しい息の下で、問い返す言葉。

『いずれ、貴方の中に目覚める強い光のコスモ。これは、その超力の源となる種。』

「な、何で俺が…そんな物を受け取る必要があるんだ?」

『私はずっと探していたの…。この強大な光の超力を託せるコスモノイドを…。それが、あなただった…。だから…。』
 その言葉が終わらるか終わらないかの時に、勾玉が一層強く輝きを増した。
『往きなさい。乱馬。光の子…。
 時が至れば、私、いえ、次の世代の霊女があなたと再びまみえる日が来るわ。
 そしたら、その時、全てを伝えるわ。
 それまで、闇を制しながら生き抜きなさい。あなたならできる。』

「おまえは一体、誰なんだ?ただの霊女じゃねえ、ナギっ!」

『私は「コスモスの遺志を継ぐ者」。女神アマテラス。その流れを汲む者。また、逢いましょう。太陽系第三惑星、地球。その輝く蒼い海の遺跡で…。乱馬。』

「アマテラス…。」
 聞き覚えのある日本神話の女神の名前を心にぎゅっと握り締めた時、再び周囲から光の洪水が沸き起こる。彼の目の前に、躍動していた勾玉が、一瞬、真っ赤に光り輝き、胸の中央に、再び食い込んだ。そしてそのまま、身体の細胞組織に飲み込まれるように消えていく。
 
 ドクン。

 最後に、胸の奥で勾玉が弾けたような気がする。跡形もなく、ただ密やかに、身体の中へと吸い込まれていく。
 いや、消えたのは勾玉だけではない。
 さっきまで傍に感じていた「ナギ」の気配も、虚空へと飲み込まれるように消え去っていく。





『終わったな。何とか間に合ったか。』

 はっと気付くと、再び、奴が目の前で笑っていた。そう、ロイ・ウイリアムの野太い声だった。

「ロイ…。」
 彼に言葉をかけた途端、それを制された。
『おっと…悪いが、タイムアウトだ。これ以上、君をこの世界へ留め置くわけにはいかない…。』
「くおらっ!用が終わったらお払い箱かよう。」
 思わず苦言を呈した乱馬を、押し戻すようにロイは続けた。
『勿論、それもあるが、マザーIが放った刺客システムの波がここへ到達するまで、そう時間もないんでな。ほら、見ろよ、あれを。』
 とロイは後ろを指すように親指を曲げて見せた。
 確かに、さっきは遠かった「嫌な気配」が、かなり近づいているのがわかる。立っていても身の毛が弥立つような、嫌な感じが伝わる。
『俺も、あれにとっ捕まるのは御免こうむりたいからな…。この世界を浮遊している身の上とはいえ、まだ「俺」という存在を失いたくはないんだ…。あれに捕まれば、俺は存在を失う。』
「存在を失う?」
『ああ、即ち「死ぬ」ということさ。…こんな身の上になっても、まだ俺を必要としてくれている者が居る限りは、消滅するわけにはいかないんだよ…。おめえも少しはわかるだろう?』
 ロイは密やかに笑った。
 必要としてくれる者とは、恐らく「サラ・ウインズ」の事だと直感したが、乱馬は、敢えて口には出さなかった。ただ、黙ってロイの幻影を見詰める。
『それに、そろそろ、おまえさんを現世の身体の中へ送り返してやらなけりゃな…。』
「現世の身体ねえ…。」
『ああ。おまえ自身の肉体は、今、この時も現世で時間を過ごしているんだからな。現世から解体されて、こちらへ引き込まれちまった俺とは違って…な。』
 少し寂しげなロイ。その表情に、乱馬は、どう答えて良いやら、一瞬言葉を失った。身体が解体されたということは、死にと近い意味合いがあるのだろう。そんな気がした。少なくとも、もう現世(あちら)では、普通の生活は送れないことを示唆しているようだ。
『さて、そうゆっくりもしてられない。ちょっと、気持ち悪いかもしれないが、耐えろよ。これから、現世(あちら)へ送り返してやるからな。』
 と、にんまり含み笑いした。
「気持ち悪いだあ?」
 顔をしかめた時だ。

「なっ!」
 再び、物凄い波動が、己の身体を包み込んだ。
 ぐるぐると、周りの世界が動き始める。いや、己の意識が、動いたのかもしれなかった。
 キーンと耳をつんざくような、金属音が突き抜けた。
「うわあああっ!」
 思わず、耳を両手で押さえつける。頭が割れそうな、嫌な音だ。
 と、同時に、ふわりと身体が床から浮かび上がった。そして、猛スピードで、上昇し始める。いや、本当は落ちていたのかもしれない。上下左右もわからない、空間へと投げ出され、そのままぐいぐいと物凄い超力が身体を引っ張っていく。
 流れる色とりどりの空間の道は、いつしか一筋の光となり、真っ直ぐに一所へ向かって行った。

『乱馬…。ナギがおまえに託したもの、それは云わば「運命の超力」だ。その超力を生かすも殺すも、全てはおまえ次第。
 生きろ!乱馬。何があっても、生き抜けっ!
 そして…何があろうと、どんな状況に置かれようとも、人間としての尊厳を忘れるな!乱馬っ!』
 そんな、戒めのロイの言葉が、金属音の中に聞えたような気がした。

 やっとの事、金属音が耳から離れ、途切れた時、明らかに違う世界へと抜け出たような気がした。
 口鼻から流れ込んでくる空気も、懐かしい柔らかさに満ちているような気がした。

 「生還」。そんな言葉が似つかわしいような気がした。



つづく 




 この項、かなり悩みつつ何度も消しては書き直しを繰り返しました。相当クドイ内容なんで、読むには面白くなかろう、でしょうが、いずれ重要となるキーワードがゴロゴロ転がっていますので、どうかご勘弁を!
 ナミとナギの繋がり、彼女たちの正体は、いずれ本編が進む中で、はっきりと見えてくるかと思います。(本当は、そこまで書こうと思っていたんですが、悩んだ末、見送りました…。)
 なお、意識的にナミは伊耶那美(イザナミ)から、ナギは伊耶那美(イザナミ)から取って命名しています。

 次回この章の最終話です。

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