◇DAYS OF NIGHTMARE 9
柳井桐竹さま作


(ここが、乱馬の悪夢の中心・・・)
一条の光すらない闇の中を、あかねはひたすらに疾走していた。
どこを目指すべきなのかは、なぜかたやすく理解できた。
何者かに、其処に引きつけられている。
そんな感じがした。
行き着く先に、待っている者。
それは“心の闇”と闘う乱馬と、“闇”を増幅しようとする夢魔。
(乱馬、今行くから!)
此処にたどり着く前に、あかねが見た“映像”が、あかねが感じた“思い”が、乱馬の悪夢だったとしたら、乱馬は今自分を必要としている。
あの事故の日の“映像”が、乱馬にとってのあの日の認識だったとしたら。
それを見ている際に感じた“思い”が、乱馬のあの日の感情だったとしたら。
(あたしが行かなくちゃ!)
自惚れかもしれないが、そう思った。

闇の中、はるか遠くに、2人の人影が見えた。
近づくまでもなく、それが誰と誰だか、あかねには分かるような気がした。

顔が識別できる距離まで、あかねは近づいてきた。
対峙していた2人は、あかねが想像していた通りの人物達だった。


其処で対峙していたのは、男の‘乱馬’と、女の‘らんま’だった―――





DAYS OF NIGHTMARE
     第9章 葛藤〜虚構に潜む真実




『“俺”は絶対認めねえ!“てめえ”が“俺”の一部だなんて、絶対に認めねえ!!』
『・・・』
あかねがたどり着いた先で眼にしたのは、‘らんま’が‘乱馬’を罵倒している姿だった。
‘乱馬’を見る‘らんま’の顔に浮かぶ表情は、紛れもない嫌悪であり、憎悪であった。
まるで醜いものでも見るような視線。
あかねが見たことのない乱馬の表情だった。
一方、黙って‘らんま’の暴言を受ける‘乱馬’の表情は、ただひたすらに無表情だった。
「乱馬・・・?」
思わず声を出してしまったあかねを、2人はまるで気づいていないかのようだった。
『“てめえ”みてえな軟弱さを、“俺”は持ち合わせてねえ!
 “てめえ”みてえな優柔不断なんて、“俺”は知らねえ!!
 “早乙女乱馬”の中に、“てめえ”みてえな弱い心は存在しねえんだよ!!!』
『・・・』
‘乱馬’は何も言おうとしなかった。
何の感情も感じ取ることはできなかった。
‘らんま’はひたすらに暴言を吐き続けていた。
ただ、ひたすらに憎悪が‘らんま’を包んでいた。
(この乱馬達・・・?)
戸惑うあかねに、どこからともなく《声》が響いてきた。

《これはゲームよ。天道あかね》

「!」
辺りを見渡すあかねに、《声》は忍び笑いを立てながら話を続けてくる。
《私が誰かは、分かるわよね?》
「夢魔・・・」
クスクスクス――
《よく分かってるじゃない》
聞こえてくるその《声》は、明らかにあかねを馬鹿にしているニュアンスがこめられていた。
《この2人のうち、一方は早乙女乱馬の“心の闇”の一部みたいなもの。そして、もう一方は・・・》
「夢魔、あんたね・・・」
不快な忍び笑いがますます大きくなった。
その笑い声を聞いているうちに、あかねの怒りは次第に膨張していった。
「一体、何が目的なのよ!?夢魔!!」
アハハハハ――
聞こえてくる《声》は、最早忍び笑いではなくなっていた。
その笑いは、夢魔が自分のことを侮蔑してやまない、そのことをあかねに伝えていた。
「何とか言いなさいよ!?夢魔!!」
まだ笑いを残しながら、その《声》があかねに答えてきた。
《だから「ゲーム」だって、言ってるじゃない》
「ゲーム・・・」
なんとなく、あかねは夢魔が言いたいことが分かってきた。
それは、ますますあかねの怒りを駆り立てる夢魔の考えだった。
「あたしに、どちらが夢魔か、どちらが乱馬の“心の闇”かを当てさせようっての・・・?」
‘乱馬’と‘らんま’を見ながらそう言ったあかねの声は、怒りで震えていた。
そんなあかねを小馬鹿にするように、《声》は再び笑い声をあげた。
あかねの怒りが、臨界点を突破した。
「ふざけんじゃないわよ!?」
姿を見せぬ《声》に、あかねは高々と宣言していた。
「あんたの言う『ゲーム』とやらに乗ってやろうじゃない!」
そう言い切っても後悔しないほど、あかねは逆上していた。
《あら、楽しませてくれるんだ》
どこまでも人を馬鹿にしてくる《声》に、あかねが言い返した。
「人の心を弄んで楽しむあんたを、あたしは絶対に許さない!
 あんたの化けの皮をはいで、乱馬を返してもらうわよ!」
《ふふ、楽しみにしてるわ》
依然あかねを舐めきった態度を取っていた《声》が、そのままの口調で付け加えてきた。
《そういえば、もしあなたが間違った場合はどうなるか・・・分かってるわよね?》
その瞬間、東風先生とコロンの話があかねの頭によぎった。

『自分が否定されたと思うと、当然人の心は傷つく。
 夢魔によって弱められた心には、その傷が致命傷になりかねないんだよ』
『良いか?婿殿の“心の闇”を否定してはならんぞ!』

(あたしが乱馬の心にとどめを刺しちゃうかもしれない・・・)
冷静になったあかねの頭に、そんな考えが思い浮かんだ。
夢魔の言う「ゲーム」が何を意味するか明確に理解できた。
夢魔と“闇”を間違うこと、それは乱馬の心にあかね自身の手でとどめを刺すことを意味していた。
それでも。
「上等じゃないの!」
人の心を、乱馬の心を玩具扱いする夢魔を、あかねは許すことができなかった。
「絶対あんたの正体、暴いてやる!!
 あたしが、乱馬のことを間違えたりするもんですか!!!」
《せいぜい、間違って早乙女乱馬の“心の闇”を刺激しないようにすることね》
最後まであかねのことを馬鹿にしきったまま、夢魔の《声》は途絶えた。



やや落ち着きを取り戻したあかねは、改めて‘乱馬’と‘らんま’の2人を見比べてみた。
(この2人のうち、どちらかが乱馬自身の“心の闇”が増幅された乱馬で、もう1人は夢魔・・・)
ひたすらに‘乱馬’を峻拒する‘らんま’。
その‘らんま’の言うことを黙って聞いている‘乱馬’。
(どちらかが、夢魔の演技・・・)
つまり、乱馬に似て非なるものということだった。
(一体、どっちがどっちなのよ?)
悩むあかねを完全に無視したまま、‘らんま’は‘乱馬’に暴言を吐き続けている。
『“早乙女乱馬”は常に強く在るべきなんだ!
 それが“俺”の存在意義なんだよ!!
 強さが“俺”の全てであるべきなんだよ!!!』


‘らんま’の言葉はあかねにとって受け入れがたいものだった。
「違う!!」
あかねが、思わずそう叫んでいた。
「乱馬は乱馬よ!たとえ強くなかったとしても、乱馬は乱馬なのよ!!」


その声は、やはり‘らんま’に届いていないかのようだった。
『“てめえ”は弱者だ!“早乙女乱馬”の中に、弱者は存在しえねえんだよ!!』
どこまでも‘らんま’は‘乱馬’に暴言を吐き続けている。
『・・・』
‘乱馬’は、やはり口を開こうとはしなかった。
その顔に、あかねはかすかな薄笑いを見たような気がした。
『あかねを守れなかったことにしてもそうだ!
 “てめえ”という“俺”が居なければ、“俺”が“俺”でさえ在れれば、あかねを守れたはずなんだ!!
 いや、そもそもあかねを守ろうなんて考えるはずがなかったんだ!!』
ただ黙って‘らんま’の話を聞いていた‘乱馬’が、初めてに口を開いた。
『・・・言いたいことは、それだけか?』


‘乱馬’の顔には、はっきりした冷たい笑みが浮かんでいた。
‘乱馬’が言葉を発した瞬間、一瞬‘らんま’が硬直した。
かすかに、怯えているかのような表情を浮かべた。
『てめえだって分かってる筈だぜ?
 “俺”が“早乙女乱馬”の一部だってことを。
 “てめえ”の中に、“俺”という“弱さ”が存在していることを!』
そう言う‘乱馬’の口調は‘らんま’を嘲っているかのようだった。
『違うっ!“早乙女乱馬”の中に、“弱さ”が存在してるはずがねえ!』
言い返す‘らんま’の口調からは、先ほどまでの強気な勢いが消えていた。
絶叫の中に、隠しきれない動揺が滲み出ていた。
『何が違う?
 本当に“早乙女乱馬”が強いってんなら、どうしてあかねが危険な目に遭う?
 どうしてあかねを守れなかったんだ?』
『ぐっ・・・』
完全に黙り込んだ‘らんま’から、先ほどまでの勢いが完全に消滅した。


(やっぱり乱馬、勘違いしてる・・・)
‘乱馬’と‘らんま’の会話を聞いているうちに、あかねの中で、先ほどの疑問が確信へと変わっていた。
(やっぱり、あの“映像”は、事故に対する乱馬の認識だったんだ)
ここに来るまでに見た、事故の日の“映像”。
ケンカしたせいで、結局朝まで眠れてなかったのも。
朝から良牙クンと決闘してたのも。
あたしと東風先生の会話を覗いてたのも。
(全部、乱馬のあの日の行動だったんだ)
そして。
仲直りしようと内心で考えていたのも。
東風先生とあたしの仲を勘違いして、ヤキモチ妬いていたのも。
脳震盪を起こして、意識を失ったあかねを抱えて、絶叫していたときの思いも。
あの映像の中で垣間見えた感情全てが。
(全部、乱馬のあの日の“思い”だったんだ!)
場違いと分かっていながら、あかねは胸の奥からこみ上げる嬉しさを抑えることができなかった。
自分の想いと、乱馬の想いが重なっているかもしれない可能性が、どうしようもないくらいにあかねの心を高揚させていた。
あかねは、うかれそうになる自分を必死に押さえ込んだ。
乱馬の真意を問いただすためにも。
(絶対乱馬を助けくちゃ!)
あかねは、自身の中で決意を新たにして、‘乱馬’達のほうに気持ちを向けなおした。


『本当に“早乙女乱馬”が強いってんなら、どうして“この想い”をあかねに伝えることができないんだ?』
冷たい笑みを浮かべたまま、‘乱馬’は尚も‘らんま’を問い詰めていた。
あかねは、そんな‘乱馬’の笑みから、そこはかとない自嘲を感じた。
‘らんま’が‘乱馬’から目を逸らした。
『“俺”は、“早乙女乱馬”はそんな“想い”持ち合わせちゃいねえ・・・
 修行中の“俺”がそんな感情抱いちゃいけねえんだよ・・・』
‘らんま’は苦々しげに、苦しげにはきすてた。
『それだって、単なる口実に過ぎないってことを“てめえ”だって知ってるだろ?』
『・・・』
‘らんま’の顔は苦悶にゆがんでいた。
『なぜだか教えてやろうか?』
‘乱馬’はますます冷笑を深め、‘らんま’にとってとどめの言葉を言い放った。
『“早乙女乱馬”は自信がなかったんだよ!
 あかねに拒絶される自分におびえる“俺”がいたからだよ!!』
あかねは、そう言い切る‘乱馬’から、やはり自虐が感じられるような気がした。


あかねは、乱馬の中の‘乱馬’の存在が信じられなかった。
(乱馬がこんなこと考えていたなんて・・・)
あの強気な乱馬が、内心であかねに拒まれることをおびえていたとは、到底思えなかった。
(もしかして、コイツが・・・)
何かが違う。
あかねの直感が、あかねにそう囁いた。
なんとなく、乱馬の“心の闇”が分かってきたような気がした。


‘らんま’が呟いた。
『・・・“早乙女乱馬”は強いんだ・・・“弱さ”なんざ持ち合わせてちゃいけないんだ・・・』
その言葉に、とうとう‘乱馬’が言葉を荒げ始めた。
『いい加減認めろってんだ!
 “てめえ”の中に棲む“俺”という“弱さ”を!?』
『俺は絶対てめえを認めねえ・・・』
弱弱しくも、‘らんま’は決して‘乱馬’を認めようとしなかった。
そんな‘らんま’に、‘乱馬’が掴みかかった。
『どうしてそこまで“俺”を、“弱さ”を拒もうとするんだよ!?』
胸倉を掴みながらそう言う‘乱馬’。
叫ぶその声には、どうしようもない悲しみが滲んでいた。
『“俺”は、“早乙女乱馬”は絶対に強くなけりゃいけねえんだ・・・』
『だからなんでだよ!!?』
‘らんま’を掴み上げる‘乱馬’の拳は、かすかに震えていた。
喉元を押さえ込まれていた‘らんま’が苦しげに言葉をはきだした。
『・・・俺から強さをとったら何が残る?』
‘乱馬’の手に加えられていた力が緩んだ。
‘らんま’が‘乱馬’の手を振り払った。
‘らんま’は荒げた息を整えて、言葉を発した。
『“てめえ”が“俺の弱さ”だって言うなら答えてみろよ。
 “俺”から強さをとったら何が残るってんだ?』
失われていた‘らんま’の声に、勢いが戻ってきた。
その勢いは、どうしようもなく悲痛な強さを含んでいた。
『シャンプーが“てめえ”のどこに惚れた?
 あかねが“てめえ”の許婚なのはなんでだよ?
 全部“俺”が強いからだろう!
 “俺”が必要とされるのは強いからなんだよ!
 だから絶対に“てめえ”を、“弱さ”を認めるわけにはいかねえんだよ!!』
『・・・要するに、“俺”は誰からも望まれない“早乙女乱馬”だと。そう言いたいのか?』
自嘲としか思えない冷笑を浮かべた‘乱馬’がそう問うた。
‘らんま’の答えは容赦なかった。
『“俺”は“てめえ”を“早乙女乱馬”だと認めちゃいねえ・・・』


「もういい!」
無意識のうちにあかねはそう叫んでいた。
これ以上、2人の話を聞くに堪えなかった。
「もういいから・・・頼むから、それ以上自分を追い詰めないで・・・」
2人に聞こえないのは分かっていても、そう言わずには居られなかった。
「夢魔!聞こえてるんでしょう!?」
姿を見せない夢魔にあかねは叫んだ。
クスクスクス___
人を小馬鹿にするあの忍び笑いが聞こえてきた。
「あたしの答えを言うわ!だからこれ以上乱馬を追い詰めないで!!」
《あなたの出した答えを聞いてからよ。さあ、この子の本当の“闇”はどっち?》
何の確証もなかった。
それでも、あかねは自身が見つけた答えに確信を持てた。
一片の迷いも無く、あかねは答えを口にした。

「この2人はどちらも乱馬の“闇”。あんたの演技なんかじゃない」

その瞬間、‘らんま’達が消え去った。
「よく分かったじゃない」
突如背後から聞こえてきた声に、あかねは振り向いた。


そこに立っていたのは、冷たい薄笑いを浮かべたらんまだった―――――


( to be continued... )




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