◇DAYS OF NIGHTMARE   2
柳井桐竹さま作


「ど畜生ぉ〜〜〜〜〜〜!!!!」


もう日も沈もうかと言う時刻。
東京都内のとある河川敷にて、少年の遠吠えが響き渡っていた。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」
肺活量限界まで息を吸い込んで絶叫した少年は、息切れしたのか荒い呼吸を繰り返した。
呼吸を整えている間に、川原に着く5分ほど前に目撃した光景を思い出した彼は、先ほどの叫びで発散したはずの嫉妬と怒りが甦り、再び絶叫し始めた。
「あかねの、ぶぁっかやろぉ〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!」
本人に聞かれたら、お空の星になること請け合いな叫び声をあげた彼・早乙女乱馬は、怒りのままに川原にあお向けに倒れこんだ。
そのままの状態で息を整えていた乱馬だったが、ここ数週間の睡眠不足がたたり、息が整った頃には眠りについてしまっていた。
ここ数週間、本当に必要な時間以外は忌避していた眠りに―――





第2章 萌芽〜夢と現の狭間にて






ふと気がつくと『乱馬』は真っ暗な天道家の自室にいた。
『俺、いつの間に帰ってきたんだよ?』
『つーか今何時だ?』
『川原にいたよな?俺』
『乱馬』はワケの分からないシチュエーションに混乱しつつ、呆然としていた。
すると突然。
「あかねぇ!!!!」
「っ!!・・・たく・・・また同じ夢かよ・・・」
『!!』
足元からどこかで聞いたような男の声が突然聞こえ、驚いた『乱馬』はあわてて飛びのこうとした。
が、いつまで経ってもジャンプした感覚も着地した感覚も実感できないことを不審に思った『乱馬』は、ふと足元を見た瞬間とんでもない事実を認識し、絶叫した。
『何だこりゃぁ〜〜〜!!?』
本来ならばそこにあるはずの『乱馬』の足が、それどころか腹も胸も手も、とどのつまり『乱馬』を構成するボディ全部が、全く見当たらなかったのだ。
『ゆ、幽体離脱でもしちまったのか?俺』
「暑苦しい格好でぐーすか寝やがって、このクソ親父が・・・ってまだ4時じゃねーかよ!
 もーひと眠り・・・はできないだろうな、やっぱ・・・」
『???』
先ほどの自分の叫び声を完全に無視し、そう呟いた少年とおぼしき男の行動に『乱馬』はますます混乱した。
どうやら少年は、『乱馬』の叫び声どころか、その存在すら認識していないらしい。
完全に『乱馬』を無視して、少年は音もなく布団から飛び上がった。
そしてパジャマを胴着に着替えると、どこかへ向かって歩き始めた。
そんな少年の様子をまじまじと見つめた『乱馬』は、ここでやっと重大な事実に気づいた。
『俺じゃねーかよ!あいつ!!』
『乱馬』が見ていた少年の姿は、紛れもなく早乙女乱馬そのものだった。



再び『乱馬』が気づくと、場面は道場に切り替わっていた。
『何なんだよ、これは一体!?』
『夢か??夢だよな?そうだ、夢だ!夢に違いない!!』
そう考えて『乱馬』はようやく落ち着きを取り戻した。
冷静になった『乱馬』が、足元で座禅している少年に気づいた。
その少年はやはり乱馬そのものだった。
その乱馬は、突然真っ赤になったかと思うと
「だぁぁぁぁーーーー!!!!俺はいったい何考えてんだよ!!!!!」
と、誰もいないのに手をブンブン振って絶叫しだした。
『何やってんだよ!こいつは!!て俺か??カッコ悪いからやめろぉ〜〜〜〜!!!』
そんな乱馬の様子に限りない恥ずかしさを感じた『乱馬』も、そう絶叫していた。
その時。
「あんた朝っぱらから何わめいてんの?」
突然声をかけられて、乱馬ともども動揺して振り返った『乱馬』は、そこにあかねを見つけた。
驚いた『乱馬』がとっさに反応できずにいると、乱馬は何を思ったのか
「べ、別におめーみてーなずん胴女のこと考えてたんじゃないからなっっ!!」
などと、とんでもないことを口走った。
『わ、この馬鹿!んなことコイツに言うと・・・』
そうあわてて乱馬に言う『乱馬』を無視してあかねは、「誰がずん胴よ!」の言葉と同時に、乱馬を蹴り飛ばした。
『言わんこっちゃねえ』
道場の天井を突き破って消えていく乱馬を呆れ顔で見ていた『乱馬』。
『ん?あかねもあいつ(俺か?)も、俺のこと見えないのか』
今頃そんなことに気づいた『乱馬』は、あかねが見上げる天井の穴の形を見て、もうひとつの事実に気がついた。
『これ、今朝の俺達じゃねぇか!!!』

「一体なんなのよ、あいつは!人がせっかく心配してやってるのに」
そう一人ごちるあかねをぼんやり見ていた『乱馬』の頭に、次の瞬間不思議な感覚がなだれ込んできた。
〈ホント失礼なヤツ!何ナノ?自分は変態のくせに!〉
〈ま、あんなヤツにどう思われようが関係ないけどね〉
頭に流れ込んできたそれは、あかねの声と酷似しているように感じた。
それでも、あかねが直接口に出して話した言葉ではないことが、なぜか『乱馬』には理解できた。
『乱馬』の中でひとつの可能性が構成されていった。
『な、何だ今のは??あかねの“思い”か?』
その可能性を、『乱馬』はなぜかすんなり受け入れることができた。
途端、先ほどのあかねの“思い”に対する反応が『乱馬』の中に沸き起こる。
『ちょっとまて!誰が変態でぃ!!』
『・・・て、今あいつとんでもねぇこと思ってなかったか?
 〈あんなヤツにどう思われようが関係ない〉って・・・どーゆーイミでぃ、それわ!!!』
『乱馬』が突然頭の中に響いてきたあかねの“思い”にさまざまなことを考え、グルグルと動揺しているうちに、あかねは道場を離れ、居間へと向かって行ってしまった。




「くぉら!クソ親父!!それは俺のだっつーの!!!」
「パフォ〜〜〜」
「あ゛〜〜〜〜〜〜〜!!テメェ!このクソパンダ!!!」
ドカッ!バキィ!!ゴスゥッ!!!
天道家の居間は、その日も朝から騒々しかった。
今回の騒動は、乱馬のおかずのから揚げを横から玄馬が強奪したことから始まった。
普段なら自分の皿のおかずを父親ごときに取られることなど、乱馬にとってそうそうあることではなかった。
しかし、その日は寝不足で頭がウニ状態だったため、反応が一瞬遅れたのだ。
更に寝不足は乱馬のイライラを増長し、乱馬は少々情緒不安定に陥っていた。
そのため哀れなパンダは、から揚げ1個のために乱馬の容赦ないラッシュを喰らい、「いただきぃ〜」のプラカードを手に持ったまま、朝から白目をむいて二度寝する羽目になってしまった。

『あ〜なんか変な感じだぜ、今朝の光景こんな風に見るなんて』
とりあえず落ち着きを取り戻した『乱馬』は、そんなことを考えつつ、その1コマをぼーっと見ていた。

しとめたパンダをそのままに憮然と食事を再開した乱馬は、横から視線を感じて、その主に声をかけた。
「んだよ?」
(あ〜ねみ)
そんなことを考えながら発した乱馬の声は、不機嫌さが滲み出ていた。
(あ、やべ。んな話し方したらまたうるさいぞ)
「何よ、その言い草!」なんて返事を想像して思わず身構えた乱馬は、次の返事を聞いて幾分気が抜けた。
「別に」
あかねのそっけない返事に少しカチンとした乱馬だったが、眠さのせいで朝からあかねとケンカする気になれず、「あっそ」と返すだけにとどめた。

が、『乱馬』の方はそうはいかなかった。
〈ほ〜んと心の狭いヤツ。から揚げ1個取られたくらいでおじさまにあそこまでするなんて〉
あかねが「別に」と言った瞬間、再びあかねの“思い”とおぼしき感覚が頭に流れてきたからだ。
『誰の心が狭いんでぃ!あきらかにあれは親父が悪いだろうが!!
 だいたいがずん胴って言っただけで天井突き破るぐらい思いっきり蹴り入れやがるオメーにだけは言われたくねぇよ!
 この凶暴おん・・・』
と、聞こえていないことも忘れてあかねに罵詈雑言を投げかけようとした『乱馬』だったが、次の“思い”が入ってきた瞬間それが停止した。
〈なんでこんなのがあたしの許婚なワケ?ほんとヤんなっちゃう〉
『・・・・・・』
その“思い”が入ってきた瞬間、完全に硬直した『乱馬』。
機能しない頭で、乱馬とあかねがあわてて家を飛び出すのを呆然と見ていた。



(あ〜くそ・・・ねみぃ〜〜〜〜)
4時間目の数学の時間、乱馬は迫りくる睡魔と闘いながら、黒板のほうを見るともなく見ていた。
通常、理性と本能ならば本能のほうを優先する乱馬が、眠たいときに寝ない、ましてや聴いていたってちっとも理解できない数学の時間に、かりそめにも睡魔と闘おうなどと考えるなどありえない話だった。
が、彼にはここ数週間、人前で、特にあかねの前では絶対に、眠れない理由があった。
(ここで寝るなよ、俺・・・ぜってぇ〜あの夢見るからな)
数週間の間、寝れば100%の確率で再現される呪泉洞での悪夢が頭を掠めた乱馬は、あわてて別のことを考えようとした。
とはいえ、そう簡単に頭を切り替えられないのが人間の悲しい性。
腕に甦る掻き抱いたあかねの冷ややかな感触、頭に浮かぶ物言わぬあかねの表情を思い出してしまった乱馬。
「あかねぇ!!!!」
と無意識に叫びそうになる自分を、かろうじて押さえ込んだ。
これこそ乱馬が教室で、あかねの前で眠れない一番の理由だった。
夢にうなされることも勿論不快だったが、乱馬にとってなにより嫌だったのは、悪夢から目覚めるたびにあかねの名前を口走ってしまう自分だった。
乱馬にとって、悪夢のたびにあかねの名前を口走ってしまうことは、自分の精神的な弱さの象徴そのものであった。
自分の弱さを他人に晒すことを極端に嫌う乱馬にとって、それは屈辱以外の何物でもなかった。
もちろん、自分があかねの名前を口走ってしまうことに、多分の恥ずかしさを感じていたのも事実だが。
(じょ、冗談じゃねぇぞ!ここでそんなこと言ってみろ・・・)
その直後の教室を想像してしまった乱馬は、湧き上がる不快感と恥ずかしさを抑えきれず、真っ赤になっているであろう自分の顔を自覚した。
その時、隣の席から送られてくる視線に気づいた乱馬は、八つ当たりもこめてその視線の送り主に声をかけようとした。
しかし。
「天道、この黒板の問題やってみろ」の一言で、話しかけようとした本人が黒板の方へ行ってしまったため、タイミングを逸してしまった。
優等生のあかねがめずらしく問題が解けないで戸惑っているのを、眠い頭でぼんやり見ていた乱馬だったが、数学教師の次の一言で一気にウニ状態だった頭が覚醒した。
「頼むから許婚のほうばかり見てないで真面目の授業を聴いてくれ」
(授業中になんつーこと言いやがるんだよ!あの先公!!)
(ってか、あかねのやつ俺のほうばっか見てたのか?フフ〜ン、そんなに俺のこと好きならはっきりそう言やいいのに)
わっと盛り上がる教室の中、自尊心をくすぐられて満更でもない乱馬は、あかねの反応を半分楽しみつつ傍観していた。
「そんなんじゃありませんっ!」
(真っ赤になって否定しても説得力ないんだよなぁ、あ・か・ね!)
(ま、この俺がかっこよすぎるから仕方ないんだけどぉ〜〜)
ますますご機嫌なナルシスト君だったが、そのご機嫌が油断につながった。
乱馬は忘れていた。
自分の後ろの席にいるのが、あかねに横恋慕する根暗男であることを。

「?!!」

突如はしった背中の痛みの原因は明白だった。
嫉妬に狂った男が背中に思い切り打ち込んでくれた釘を、前を向いたまま片手で引っこ抜いた乱馬は、そのまま後ろを振り返ることなく、スナップの力のみでその人物のほうへ投げ返した。
隠し切れない怒りで顔を赤らめつつ。
手首の力のみで投げた釘のスピードは、常人の全力投球に匹敵するほどのものだった。
「うぎゃ!」の一声と共に、背中ではなく眉間に釘が喰いこんだその男は、因果応報の報いを受けて昏倒し、机に突っ伏した。
更に不幸にも、突っ伏した先で机と自重の関係によって、釘はより深く彼の眉間に喰い込んでいだ。
勿論、冷やかしに盛り上がっていた教室の中で、そんな彼に気づいてくれるクラスメートの存在は皆無だった。
唯一乱馬の過剰報復に気づく可能性のあったあかねは、乱馬が釘を投げた瞬間【たまたま】黒板から席に戻る途中にいて【偶然】彼の席が【乱馬の】体のせいで死角に入っていたため、全く気づかなかった。

そんな光景が目の前で繰り広げられている『乱馬』はというと・・・。
〈なんでこんなのがあたしの許婚なワケ?ほんとヤんなっちゃう〉
〈なんでこんなのがあたしの許婚なワケ?ほんとヤんなっちゃう〉
〈なんでこんなのがあたしの許婚なワケ?ほんとヤんなっちゃう〉
依然この“思い”が頭の中に反響していて、茫然自失の体たらくだった。



『乱馬』がようやく我に返った頃には既に5時間目に場面が切り替わっていた。

昼休み、乱馬は調子に乗って先ほどの時間でのあかねの失態をからかいすぎた。
そのためあかねの怒りを買い、昼休みの大半を気絶してすごす羽目になった乱馬は、友人のひろしが気を利かせてキープしてくれていた食堂のパンを買い取って、少し遅めの昼飯を楽しんでいた。
乱馬が3つ目のパンになる焼きそばパンにかじりついたところで、あかねが話しかけてきた。
「少しは隠れて食べなさいよ」
「へーき、へーき。今日は対策もバッチリだし」
自信満々に返して、食事を再開する乱馬。
「こら〜!悪い子の早乙女君!授業中にもの食べるなんておしおきよ〜〜!!」
そんな乱馬に気づいたひな子先生が、5円玉を持って突進してきた。
が、乱馬が隠し持っていた漫画をひな子先生めがけて放り投げた瞬間、乱馬に対する制裁も授業も、先生の頭から完全にふっとんでしまった。
もくもくと漫画を読み続ける先生と、その隣でカレーパンを手にする乱馬に一瞥をくれた後、ため息をついたあかねは自習を開始した。
(あいかわらず真面目なヤツ)
そんなあかねの様子を見やりつつ、乱馬はカレーパンを堪能していた。

一方の『乱馬』はというと・・・。
『こっちだってお断りでぃ!こんなかわいくなくて、色気が無くて(以下省略)』
我に返った直後こみあげてきた怒りのままに、あかねに向かってエンドレスの暴言を展開していた。
『コラ!無視してんじゃねぇ!!』
『乱馬』の声が、あかねには聞こえていないことも忘れて。



『乱馬』が自分の声が聞こえないと思い出した頃には、既に6時間目の体育に場面が切り替わっていた。

乱馬は自分が寝不足だということも忘れて意気揚々とバスケットを楽しんでいた。
「こら!乱馬!!少しは手加減しやがれ!!」
「へっへ〜〜ん!やなこった!」
相手チームの選手とそんな会話をしながら、乱馬は楽々とレイアップシュートを決めた。
その瞬間、第1クォーター終了を告げるホイッスルが体育館内に響いた。
(さすが俺!)
(あかね見てっかな〜?)
そう思いつつ、乱馬は試合開始前にあらかじめチェックしていたあかねのいる方に目を向けてみると、あかねは友達のゆか・さゆりとなにやら談笑している様子だった。
(な!ちょっとは見てろよ)
あかねのほうを見て、あからさまに落胆した表情をつくった乱馬に、悪友の大介がニヤニヤ顔で近づいてきた。
「ドコ見てナニ考えてるのかなぁ〜〜?乱馬クン」
「な、なんでもねーよっ!」
突然話しかけられただけではありえないくらいの動揺を見せる乱馬に、ますます楽しそうに大介は続ける。
「ほぉ〜。許婚のほうを向いて明らかにガッカリした顔見せていて、なんでもないとおっしゃりますか」
「どーせ自分の勇姿に見とれてくれない許婚にガッカリしてんだろ」
そう言って突然会話に割り込んできた、同じく乱馬の悪友のひろし。
「そ、そんなワケねーだろ!・・・ホ、ホラ!試合再開の笛なったぞ!いくぞ!」
そう言って、試合再開の合図にこれ幸いとコートに向かう乱馬。
「チ、これからというのに」
「全くだ」
そうぼやきつつ、2人も試合のためコートへと向かっていった。

第2クォーターが開始してから数分後。
自分にへばりつく3人のマーカーを楽々とかわした乱馬は、シュートをゴールへ叩き込もうとスリーポイントライン近くから跳躍した。
その瞬間。

「そんなわけないじゃないっ!なんであんなガサツで優柔不断な粗忽者!!」

突然乱馬の耳に聞き覚えのある声が飛び込んできた。
乱馬は声が聞こえてきた瞬間に、声の発信源が誰で、誰に向けられた暴言かを無意識のレベルで認識した。
(んな!だ〜れがガサツで優柔不断な粗忽者__ )
「でぃ!!」の声と共に、バスケットゴールを叩き割らんかの勢いでダンクシュートを決めた乱馬。
着地と同時に、いざ3倍返しと暴言の発信者のほうを向いたその瞬間。
「やってくれるぜ!」
「さすが!乱馬!」
駆け寄るチームメイト。
彼らの手荒な賞賛に満更でもない乱馬だったが、あかねに反撃するチャンスを逃したような気もして、かすかな不快感も感じた。
一方対戦相手の一員であり、つい先ほど乱馬にからかいの最中遁走された2人組はというと。
「ホント乱馬は一味違うよな」
「さすが『ガサツで優柔不断な粗忽者』クンだな」
からかい半分、やっかみ半分でぼそっ。
「て・め・え・ら〜」
乱馬からほとばしる殺気に身の危険を感じた2人組。
「ホ、ホラ速攻いくぞっ」
「はしれっ」
試合再開にかこつけてあわてて逃走した。
この2人に制裁を下すタイミングも完全に逸した乱馬は、相手チームへの八つ当たりもこめて、スーパープレーを連発していった。

実はその間、眉間に絆創膏を貼った男が、乱馬のダンクシュートが決まった直後に、勢いよく落下してきたボールを顔面に直撃させ、本日2度目の失神をコートの隅っこで経験していた。
勿論、乱馬のプレーに魅せられた体育館の中で、そんな彼に気づいてくれるクラスメートの存在は皆無だった。
唯一彼の不幸に気づく可能性のあった(というより気づく義務のあった)体育教師は、彼が倒れた瞬間たまたまトイレに行っていて、偶然トイレから帰ってきたとき乱馬のスーパープレーが目に入り、そのまま魅入ってしまったため、全く気づかなかった。


乱馬が活躍している中、『乱馬』は何をしていたかというと・・・。
体育の時間聞こえてきた
「そんなわけないじゃないっ!なんであんなガサツで優柔不断な粗忽者!!」
との発言を思い出し、場面が体育に切り替わった瞬間からあかねにへばりついていた。
なぜか時間が進むにつれどんどん不機嫌になっていくあかね。
しばらくすると、さゆりがあかねに話しかけてきた。
「ちょっと。いいの?あんなこと言われて放っといて」
「関係ないよ。許婚っていったって親が勝手に決めただけだし」
とすまし顔で答えるあかね。
『なんだなんだ?』
突然始まったワケの分からない会話に動揺する『乱馬』。
ゆかも加わり、会話は『乱馬』を無視して進む。
「そんなこと言ってるとホントに乱馬クン誰かにとられちゃうわよ」
「だからあたしには関係ないって!あんなヤツ」
『どういうつながりでそんな話になるんだ??』
ますます混乱してきた乱馬は、そこでふと重大な「事実」に気づいた。
『ちょっと待て!「あたしには関係ない」って・・・朝の“思い”といい・・・』
『もしかして俺って、まさかあかねの眼中になかった・・とか・・・?』
朝の場面で流れ込んできたあかねの“思い”とおぼしき感覚と、先ほどの会話とのダブルパンチで大きく衝撃を受けた『乱馬』に、あかねからのとどめの一言が放たれた。
「でも好きなんでしょ?乱馬クンのこと」
「そんなわけないじゃないっ!!なんであんなガサツで優柔不断な粗忽者!!!」
そう真っ赤な顔で叫んだ途端、乱馬の悪口を並べ始めたあかね。
それと同時に、ダメ押しとばかりに再び流れ込んできたあかねの“思い”。
〈何で毎度毎度みんながそういう風にあたしのこと見るワケ?!〉
〈許婚っていったって本人の意志が伴ってないのが丸わかりじゃない!!〉
〈じゃないとなんでこう毎日毎日ケンカするっていうのよ?!〉
〈いい加減腹立ってくる、ホントに!!〉
『・・・・・』
あまりの衝撃で思考回路が完全に停止した『乱馬』は、目の前で繰り広げられる乱馬のプレーを映像として捉えることすら適わなかった。
呆然としているうちに、自覚もないまま『乱馬』の意識はブラックアウトしていった。



『乱馬』の意識が再び目覚めたとき、放課後の光景が繰り広げられていた。

(どぅあ〜れがガサツで優柔不断な粗忽者だってんだよ!)
乱馬は、体育の時間に聞こえてきたあかねの発言をいまだに根に持っていた。
体育の時間・LHRとあかねに反撃するタイミングを微妙に逃し続けた乱馬の憤りは、寝不足とあいまって増幅されていた。
放課後の帰り道であかねをからかって鬱憤を晴らしてやろうと考えていた乱馬だったが、なぜかあからさまに様子がおかしいあかねに声をかけそびれていた。
(けっ、何だってんだよ一体)
(元気ないよな、コイツ・・・どーしたってんだ?)
(ま、どーだっていーけどな)
本音の本音ではあかねのことを心配しているのだが、口に出していない感情のレベルでまで強がっている乱馬。
何とか話しかけようと思ってみても、あかねがかもし出す雰囲気が会話を拒否しているようにしか思えない。
そんなこんなで、寝不足なこともあいまって、乱馬の顔は自然不機嫌なものへとなっていった。


一方、『乱馬』の頭には、沈黙の中のあかねの“思い”が流れ込んできていた。
〈許婚って何なのかな?〉
〈お互い一緒にいるからこんなにイヤな気持ちになっちゃってるのに、どうして一緒にいるんだろ?〉
『!イヤな気持ちって何だよ・・・俺は(あいつはか?)別におまえといるから不機嫌なんじゃなくて』
『・・・って、いまあいつ〈お互い〉っつったよな。
 つーことは何か?つまり俺といたらイヤになると??
 あーハイハイそーですか!ケッ!!勝手にしやがれ!!』
先ほどまで見せ付けられた(?)あかねの“思い”に、『乱馬』は完全に卑屈になっていた。


そんなときだった。
「乱馬ニーハオ!」の声と同時に、突然乱馬の体に後頭部から強烈な重みがかかり、乱馬が支えきれずうつぶせに倒れこんだのは。
「ぐぇっ」などという聞くに堪えない格好悪いうめき声を発しつつ。
乱馬にとって、自分に突然のしかかってきたものの正体は、確認するまでもないものだった。
「わたし今出前終わたとこね。早速デートするある!」
そう言うや否や乱馬に抱きつきにかかったシャンプー。
「いきなり何すんでぃ」と、乱馬が反撃しようとした途端、シャンプーが唐突にトンチンカンなことを言い出した。

「乱馬あかねといてつまらなさそうだたね!」

「な・・・!」と、なぜか動揺したような声を出すあかねに気づかず、乱馬は反論を試みた。
「おめー、なに言ってんだ?」
が、その発言は全く相手にされることなく、あまつさえ最後まで発言をする暇も与えられず、乱馬はシャンプーの思いもかけない次の一言を聞く羽目になる。

「あかねもつまらなそうだた!」

「「え」」
思いがけないことを言われた乱馬の声と、あかねの声が一致した。
(へ?じゃあさっきからあかねが暗かったのってもしかして・・・)
その先を考えるのを無意識のうちに拒否した乱馬と、あかねとの間に走った微妙な間を知ってか知らずか、2人にお構いなく、シャンプーは乱馬の腕を取る。
そして
「お互い一緒にいてつまらない。だったら一緒にいなければいい。これ当然ね。
 というわけで、一緒に居て楽しいわたしとデートするある!」
と平然と言ってのけ、乱馬の腕を引っ張った。

シャンプーの一連の発言は、乱馬にはたいした効果を与えなかったものの、傷心の『乱馬』の心には、塩を塗ったくるに十分な威力を発揮していた。
『な、な、な、な、な』
最早『乱馬』に、瞬時に言い返す気力も判断力も残っていなかった。

そうこうしていると―――
「お〜っほほほほ!あなた達などと居て乱馬様が楽しいはずがありましょうか!
 乱馬様の笑顔は私が居るときこそ最も輝くのですわ!!」
「何言うとんねん!乱ちゃんはうちと居るときが一番楽しいに決まってるやん!!」
そんな声と共に、突然黒バラ吹雪が舞い上がり、お好み焼き用のヘラが乱馬とシャンプーの方へ凄まじいスピードで、たて続けに飛んできた。
「はっ!」
とっさに乱馬の手を取ったままシャンプーが身を翻したためバランスを崩し、更には寝不足のせいで防御の反応も遅れた、哀れな乱馬の顔面に、狙い過たず全てのヘラがさくっと突き刺さった。
「乱馬に何するね!!」
「それはこっちの台詞や!ひとの許婚に相変わらず懲りもせんと手ぇだしくさって!!」
言い争いを始めた右京とシャンプーの間で、ヘラが頭に突き刺さったせいで冷静な状況判断が不可能になっていた乱馬はと言うと。
(さっきの台詞、あかねがいってくれたら嬉しいかも)
などと、正常であったならば考えるのも絶対ためらうようなストレートな欲求を、ぼんやり妄想していた。
が、突然首にひも状の何かが巻きつき、思いっきり引っ張られたことで、乱馬の意識は一気に覚醒した。
「さぁ乱馬様!私と我が家で優雅なひと時を楽しみましょう!!」
復活した乱馬が小太刀の行動に反応する前に、右京が巨大ヘラで、乱馬の首に巻きついていたリボンを叩き切った。
(うっちゃん、ナイス!)
そう声を掛けようとした乱馬だったが、その一瞬の反応の遅れが命取りになった。
「どさくさにまぎれて何すんねん!」
「そうね!お前と居て乱馬楽しいわけないね!!乱馬はわたしと居る時のみが楽しみで生きてるね!!!」
「それはうちの台詞や!!!」
「私の台詞に決まっているではありませんか!!!」
そう言うや否や、3人娘は乱馬の頭上で乱闘を始めたのだ。
そんな3人と、乱闘の爆心地でもがいている乱馬に一瞥をくれ、あかねは「乱馬、先行くわよ」の言葉を残し、走り去っていった。
が、乱馬はあかねがいなくなったことに全く気づいていなかった。
頭上で繰り広げられる乱闘の二次災害の被害を最小限に抑えんとひらすらに努力しつつ、争いの原因に思いをめぐらせていた。
(だーっ!!俺が一緒にいたいのは・・・)
自分が無意識のうちにその先に挙げようとしていた名前に気づいた乱馬は、乱闘に巻き込まれていることも忘れて一瞬硬直した。
が、その直後に、3人娘の意識が自分に向いていないことを認識した乱馬は、とっさに身を翻して遁走した。
乱馬が逃げたことに3人娘がようやく気づいたのは、その20分後のことだった・・・。


『乱馬』はその間、あかねが走り去っていくのをぼんやり見ていた。
「乱馬、先行くわよ」
あかねがこの言葉と共に残していった
〈ホント優柔不断な男〉
という、心底呆れ返ったようなニュアンスを含んだ“思い”にうちひしがれつつ・・・。



「ちっきしょぉ〜、えっれぇ目にあったぜ・・・」
全身ボロ雑巾の痛々しい姿で帰宅した乱馬。
「ただいま〜」
そう言って玄関の戸を開けると。
「あら?乱馬くん、おかえりなさい」
「乱馬、おかえり」
声をかけてきたのは天道家長女・かすみと、のどかだった。
2人は居間で洗濯物をたたんでいた。
居間で一服しようと入ってきたボロ雑巾の乱馬に、2人が話しかけてきた。
「あらあら、相変わらず元気ねぇ」
「男の子はそれくらいでなくちゃ。ね、かすみさん」
「そうですねぇ、おばさま」
(・・・そういう問題じゃないと思うんですけど・・・)
明らかに満身創痍の人間に対してかけるにふさわしいとは思えない言葉をかけてきた微妙に天然な2人の菩薩に、ガッカリして呆れつつも、どこかで納得している複雑な心境の乱馬。
そんな乱馬に、洗濯物をたたむ手を休め、かすみがお茶を出してきた。
かすみの淹れてくれたお茶でひと心地ついた乱馬に、のどかが話しかけてきた。
「そういえばさっき帰ってきたあかねちゃん、なんだか元気がなかったんだけど乱馬何か知らない?」
「知らねー」
(まだ沈んでんのかよ、あいつ)
内心いろいろ原因について考えながらも、我関せずな態度で答える乱馬。
が、どこか微妙にそわそわしているようで。
かすかに動く膝が、如実にそれを物語っている。
今度はかすみが乱馬に話しかけてきた。
「乱馬くん。悪いんだけどあそこのお洗濯物、あかねの部屋に持っていってくれないかしら?」
(しめたっ!様子見にいく口実が!)
「え〜、かったりーよ」
内心と全く逆な答えを返す乱馬。
するとのどかが静かに声をあげた。
「乱馬」
「わーったよ!あ〜面倒臭ぇ!」
乱馬はそう言ってやおら立ち上がると、あからさまに嫌そうな態度であかねの洗濯物を抱え、鬱陶しげに居間を出ていった。
が、その足どりは廊下に一歩出た途端足音をたてない程度の急ぎ足に変わる。

乱馬のその様子を覗き見たわけでもないのに、2人は顔を見合わせクスッと笑いあった。
「ほんとうに仲良しさんですねぇ」
「えぇ。あれでもう少し乱馬が素直になれれば良いのに」
「それはあかねもですよ」
「そうかしら」
「はい」
「ふふ、でもあれが一番あの2人らしいのよね」
「そうですねぇ」
そう言って再び微笑みあって、2人は洗濯物の整理を再開しだした。
本人達以上に本人達のことを把握している、天道家の2人の主婦の会話が、乱馬の耳に入ることはなかった。


主婦2人がそんな会話を繰り広げていた頃。
『乱馬』はあかねの部屋に向かう乱馬を止めようと、無駄な抵抗を繰り返していた。
『やめろって!行ったってロクなことになんねぇから』
『だから行くなっつーの!!』
『頼むからやめてくれ!!!』
これから目の前で間違いなく繰り広げられることになるであろう最悪なシーンを見たくない一心で、ひたすら乱馬を押しとどめようとする『乱馬』。
しかし、その悪あがきが意味をなすことなどなく。
突如聞こえてきた声に、乱馬があかねの部屋の手前で立ち止まった。
『乱馬』の抵抗もむなしく、半開きのあかねの部屋のドアから最低の1コマが「再現」されていった。



「さっきシャンプーに言われちゃったんだけど、あたしって乱馬と居るの、つまんない、のかな?」
『んなモンP助に聞いてんじゃねぇよ!テメェの気持ちだろうが!!』
最低なシーンが繰り返されることが半ば確定してしまって、最悪のテンションの『乱馬』が、ドア越しにあかねに噛み付く。
「ぶぶぃ」
そう鳴いて、あわてて首を何度も縦に振るPちゃん。
『テメェ!良牙!!』
あかねにばれていないことを良いことに、豚の変身体質を利用し、ペット・Pちゃんとして想いを寄せるあかねに甘える自分のライバル・響良牙の行動に、当然普段から良い感情を持っていない『乱馬』。
それどころか、今回はあまつさえ乱馬とあかねの仲を引き裂くのを助長するような態度をとった。
そんな良牙(=Pちゃん)に、『乱馬』は怒り心頭に達し、良牙を殴り飛ばさんとあかねの部屋に押し入ろうとした。
が、どうしても半開きのドアから奥に進むことができない。
しかも、場面はいらだつ『乱馬』を無視して進行していく。
ドアの向こうで良牙をぎゅっと抱きしめたあかね。
硬直する良牙。
『乱馬』の横で、手にした洗濯物を乱馬が取り落とした。
洗濯物は音も立てずに、床に散らばっていった。
「もしかしてPちゃんはあたしの事が好きなのかな〜?」
やたら嬉しそうに、良牙にそう話しかけるあかね。
真っ赤になる良牙。
「どうなの〜〜?」
ますます嬉しそうなあかね。
「ぶ、ぶ、ぶ、ぶ、ぶぶきっ?」
「え?あたし?あたしがPちゃんのことどう思ってるかって?」
再びコクコク首を縦に振る良牙。

最早『乱馬』の眼には、PちゃんがPちゃんとして映っていなかった。
豚でありつつも、「響良牙」であった。
否、豚ですらもなくなっていた。
「響良牙」そのものとして、『乱馬』の眼に映っていた。

「あたしは・・・」
いったん言葉を切るあかね。
良牙の額に顔を近づけていき―――

『もうやめろ・・・』
『乱馬』は無意識のうちに呟いていた。
『もう、やめてくれ・・・』

―――チュッ。
キスを落とした。
そして。
「大好きだよ」
そう言って、あかねは満面の笑みを―――


「やめろっ!!!」
バンッッ!!!!
『乱馬』の絶叫と、乱馬によって手加減なく閉められたドアの発した音が、一致した。
その瞬間―――――





「っ!!」
乱馬は、川原であお向けになっていた。
全身からは、心地悪いことこの上ない脂汗が滲み出ていた。
乱馬の眼前には、東京ではめったにお目にかかれないほどの星空が広がっていた。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ・・・・・・なんだったんだよ・・・さっきのは・・・夢・・・・?」
あお向けの状態のまま、なぜか乱れていた息を整えていくうちに、乱馬の頭は徐々に覚醒していった。
「なんつー夢だよ・・・さっきまでの現実そのまんまじゃねぇか・・・」
そう言いながらも、乱馬は先ほどの夢が「現実そのもの」ではないことも理解していた。
否、「現実そのもの」であることを拒絶していた。
夢の中で頭の中に流れ込んできた“あかねの思い”が「現実」であることを。
あかねの想いが自分に向いていない「可能性」を。
「あー・・・・最悪の寝覚めだぜ・・・って今何時だよ!!?」
覚醒しだした頭が、周りに夜の帳が下りていたことを、乱馬にようやく気づかせた。
「さっさと帰らねえと!!」
さきほどの夢を頭から振り払おうと、ことさらに考えを声に出す乱馬。
あわてて飛び起き、天道家へ急ごうと川原に背を向けた。
その瞬間。


《「夢」じゃないかもよ》


「!」
どこからともなく、かすかに《声》が聞こえたような気がした乱馬が、背後を振り返った。
そこには、つい先ほどまで眠っていた、何の変哲もない川原が広がっていた。
「気のせい・・・か」
そう呟いて、乱馬はあらためて家路を急ぎはじめた―――――



つづく




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