◇DAYS OF NIGHTMARE 第11章(最終話)
柳井桐竹さま作

予想していた衝撃は、いつまで経っても訪れなかった。
(何なの?)
あかねは恐々と眼を開けてみた。
夢魔の拳が虚空で停止していた。
その手は、何者かの手によって押さえ込まれている。
見覚えのある大きな手だった。
夢魔は驚愕の表情で、手の持ち主のほうに視線を向けている。
(まさか・・・!)
自分を助けてくれた手の持ち主を確認するため、あかねは恐る恐る視線を上へと上げていった。
その眼に映ったのは。
「乱馬!」
紛れも無く、先ほどまで横たわっていた男の乱馬だった―――





DAYS OF NIGHTMARE
     最終章 決着〜終わらない延長戦





「てめえ、何者だ・・・?」
女の自分に向かって、乱馬が口を開いた。
事故で助けられなかったはずのあかねの声が聞こえたような気がして、失っていた意識を取り戻した乱馬の眼に飛び込んできたのは、あかねに向かって飛竜昇天破を放とうとしている女の姿の自分だった。
その光景を見た瞬間、何かを考えるより先に体が動いていた。
気がついたときは、乱馬は女の自分の手を完全に押さえ込んでいた。



驚愕の表情を浮かべていた夢魔が乱馬に言った。
「“俺”は“お前”だって言ったじゃねえか?」
いつの間にやら、先ほどまでの驚きの表情は完全に影を潜めていた。
その表情は‘らんま’が浮かべていた表情に酷似していた。
(演技で誤魔化すつもりっ!?)
‘乱馬’と‘らんま’の争いを思い出したあかねが叫んだ。
「違うっ!そいつは夢魔よ!!
 あんたの一部なんかじゃない!!」
「なんであかねが此処にいるんだよ!?」
あかねに向かって言った乱馬の言葉に反応したのは夢魔だった。
「さしずめ、てめえが生んだ幻ってトコじゃねえのか?」
(コイツ、なんてこと言うのよ!?)
あかねは夢魔の機転が信じられなかった。
自分を見失って精神的に不安定になっているはずの乱馬だったら、夢魔の言葉にだまされる可能性が十分にあるように思えた。
「幻なんかじゃないわよ!
 事故に遭ったとき、あんたが咄嗟に守ってくれたおかげで、あたしは額擦りむいただけで助かったのよ!!」
「随分リアルな妄想だな?」
あかねの発言を無視して、夢魔は乱馬に憎憎しげに笑ってみせた。
「これも“てめえ”の弱さが生んだ幻影だぜ?」
「だからそんなんじゃないって言ってるでしょ!?
 夢魔の言うことにだまされちゃダメ!!」
必死の叫び声をあげるあかねを乱馬がチラッと見た。
乱馬が夢魔のほうに向き直って、再び口を開いた。
「このあかねが俺の妄想かどうかは置いといて、俺の質問に答えてもらおうか?」
その顔には不敵な笑みが浮かんでいる。
あかねが見慣れた、いつもの自信満々の乱馬の表情だった。
あかねは、夢魔の表情がかすかに引きつったものになったような気がした。
「“俺”は“てめえ”だって言ってるじゃねえか!」
それでも、らんまの口調そのままに夢魔は演技を続けていた。
乱馬の不敵な笑みが深まった。
「違うな」
そう言い切った乱馬の口調は、確信に溢れていた。



「違うな」
確かに意識を失う直前まで、自分自身ですら気づいていなかった“弱い自分”を指摘し続けてきた女の自分が、間違いなく“早乙女乱馬”の一部だと思っていた。
認めたくは無かったが、女の自分は間違いなく“早乙女乱馬”だと思い込んでいた。
更にそいつに、自分があかねを守りきれなかったことを否応なく認識させられた。
それらの事実がどうしても受け入れることが出来ず、乱馬は自己嫌悪に陥った末、自分を手放してしまっていた。
それでも。
つい先ほど眼にした光景で、女の姿をした自分が“早乙女乱馬”ではありえないことを乱馬は確信していた。
「“てめえ”は“俺”じゃねえよ」
「どういう意味だよ!?」
そう叫ぶそいつの声には、微かな動揺が見え隠れしていた。
「“てめえ”は“俺”がやるはずのねえ行動をしたんだよ!」
「なんだと・・・?」
その態度に、乱馬は女の姿をした自分が“早乙女乱馬”でない確信をますます深めた。
(コイツは絶対俺の一部じゃねえ!)
なぜなら―――



「“てめえ”が“俺”なら、あかねに本気で拳を向けれるワケがねえんだよ」
「!」
乱馬が静かに言い放った言葉に、夢魔の顔色が変わった。
「・・・どういう意味だよ?」
夢魔の表情からは、さきほどまでの余裕に溢れた憎憎しげな笑みが完全に消滅していた。
かすかに青ざめてさえいる。
「“てめえ”が“俺”だって言い張るんなら分かってるはずだぜ?」
乱馬はますます余裕の表情と口調で、夢魔へとどめの一言を放った。
「俺が好きな女相手に本気で拳を向けるような、腐った漢じゃねえってことくらい!!」
(ちょ、ちょっとそれって!)
乱馬自身は気づいていないようだが。
乱馬はあかねに拳を向けない。
好きな女相手に本気の拳をあげられるワケがない。
すなわち。
(告白も同然じゃない!)
乱馬の発言を理解した途端、あかねの顔は真っ赤になった。
出逢って以来初めて具体的に乱馬の口から出た、あかねに対する乱馬の想いだった。
(・・・って照れてる場合じゃない!)
あかねはあわてて首を振って頭の血を静めると、まだ幾分顔を赤らめたまま乱馬と夢魔のほうに向き直った。



「ちくちょう・・・」
夢魔が歯軋りした。
「まさか、まだ意識が残っていただなんて」
「ってことは、認めるんだな?」
乱馬の発言に夢魔が答えた。
「この状況だと認めざるを得ないわね」
そう言う夢魔の顔には、あの人を見下すような笑みが戻ってきていた。
「でも、あなた忘れてない?」
「何をだよ?」
乱馬が夢魔を睨みつけた。
夢魔は乱馬の視線をさらりとかわすと、あかねのほうに視線を向けた。
「仮にそこの女が無事だったとしても、もうあなたにとっての意味はないんじゃないの?」
「!」
乱馬の頬が引きつった。
あかねは夢魔が何を言いたいのか理解できなかった。
「る、るせえ!」
乱馬が顔を赤らめながら夢魔に噛み付いた。
「てめえにゃ関係ねえだろ!!」
「随分な言い草ねえ」
クスクスクス__
「夢魔、あんた何言ってるのよ!?」
あかねの叫びに夢魔は冷笑を深め、乱馬に言い放った。
「ほら、分かってもらえてない」
乱馬は唇を噛んでいた。
「結局あなたはその程度の存在なのよ。
 分かる?
 あなたは受け入れてもらえなかったのよ」
「うるせえ〜〜!!!」
乱馬が夢魔に殴りかかった。
夢魔の言っていることも、乱馬の怒りの原因も、やはりあかねは理解できないでいた。
怒りのままに繰り出すその拳は、夢魔にかすりはするものの、致命的な一撃を与えることは出来ないでいた。
夢魔のほうにも、あかねと対峙していたときほどの余裕は感じられない。
それでも、怒りで冷静さを失った乱馬の拳では、たとえ女の自身と全く同能力の相手でも確実な勝利をもぎ取ることは難しそうだった。


夢魔に攻撃を仕掛ける乱馬その表情から、先ほどまでの自信満々な余裕は消え去っていた。
あかねは、乱馬のその表情に見覚えがあった。
怒りの中に隠しきれない悲しみの交雑したその表情。
それは‘乱馬’が‘らんま’に詰め寄っていたときの表情、そのものだった。
(ってことは・・・)
今、夢魔が乱馬に言ったのは、乱馬の“心の闇”を刺激する言葉。
ふとあかねは、乱馬が横たわっていたときの夢魔とのやり取りを思い出した。

『じゃあ、結局この子の“闇”がなんだか、あなた理解できる?』

夢魔の問いに対するあかねの答えは・・・
(・・・誰も、本当の乱馬を受け入れてくれないかもしれないことへの恐怖)
とても自信を持って言い切れる答えではなかった。
下手に自分が口を挟んで、もし間違っていたら。
(夢魔にどんな揚げ足取られるか、分かったもんじゃないわ)
それでも現状のままでは、いくら乱馬とはいえ、夢魔を確実に仕留めることは不可能に近いものを感じた。
(なんとかしなくちゃ)
(でも・・・)
結論は全く見えてこなかった。
(どうすればいいのよ!?)
あかねは2つの考えの相克の間で、完全に手詰まりに陥っていた。
そのとき。

『頑張るんだよ、あかねちゃん』

どこからともなく聞き覚えのある声が、あかねの耳に聞こえたような気がした。
(東風先生!?)
辺りを見回してみても、東風先生らしい気配は全く感じられない。
それでも。
その声が聞こえた瞬間、あかねは先生に向かって言った自分の言葉を思い出していた。

『あたしはあたしで、したいと思うことをする。ただそれだけです』

(あたしのしたいと思うことをする・・・)
ふと、シャンプーの言葉があかねの頭に掠めた。

『乱馬助けられなかたら、わたしがお前殺す』

(分かってるわよ、シャンプー)
あかねの中で、迷いは消え去っていた。
考えることなんてない。
(あたしは乱馬を助けたいんだ)
そのためには、悩んでいたところで全く意味などなかった。
(ありがとう、東風先生)
大切なことを思い出させてくれた東風先生に、あかねは感謝をささげた。
そして。
(絶対に乱馬を助けるから、シャンプー)
あかねは静かに口を開いた。



「あたしじゃダメなの?」
夢魔に攻撃を続けていた乱馬の動きが止まった。
「・・・どういう意味だよ?」
乱馬が口を開いた。
「乱馬の“闇”が何かは分かんないわよ。
 でもね、あたしは乱馬の味方よ。
 たとえ強くなくたって、弱さがあったって、乱馬は乱馬よ。
 どれだけケンカしたって、絶対に乱馬のことを拒絶したりしない」
もし乱馬の“闇”に対する自分の見解が間違っていなかったら、これで少しは乱馬の心を助けられるはず。
そう考えてのあかねの言葉だった。
それ以上に、あかねの本心からの言葉でもあった。
乱馬は何も言わなかった。
いつの間にか、あかねのほうに向き直っていた。
(やっぱり間違っていたのかな・・・?)
あかねが不安に思い始めたそのとき。
乱馬がぽつりと言った。
「・・・東風先生はどうなんだよ?」
「なんで東風先生が出てくるのよ?」
「おめー、東風先生のことが好きなんだろうが。
 なのに俺にそんなこと言っていいのかよ?」
いや別におめーが誰が好きだろうとどうでもいいんだけどな、とかなんとか乱馬はごにょごにょ呟いている。
(やっぱり乱馬、東風先生とのこと勘違いしてる・・・)
乱馬の表層で見た事故の日の夢は、やはり乱馬のあの日の行動であり、認識であると考えて間違いなさそうだった。
「もしかして乱馬、事故の日のあたしと東風先生の会話、聞いてたの?」
途端乱馬はふいっと顔を背けた。
それでも、真っ赤になっている耳をあかねはしっかり確認できていた。
(やっぱり乱馬、ヤキモチ妬いてる・・・)
そう思うと嬉しかった。
本当は乱馬の本音を聞いてみたかった。
でも、追求したところで答えてくれないことは分かりきっていたので、あかねはあえて話を進めた。
「あれは乱馬とのケンカを東風先生に相談していただけ。
 もう東風先生が好きだったのは過去の話よ」
乱馬は依然そっぽを向いたままだった。
それでも、その醸し出す雰囲気がどことなく嬉しそうなように感じられた。
「あかね・・・」
乱馬が口を開いた。
その瞬間、あかねの首に何かが触れる感触が走った――



「あかね・・・」
乱馬は思わず呟いていた。
あかねの気持ちが東風先生に向いていない。
そのことをあかねの口から聞かされたとき、乱馬の中にどうしようもない喜びが生じた。
(もしかして、あかね、俺のこと・・・)
そう思った瞬間、先ほどまでの消沈が嘘のように、乱馬の中で自信が回復していった。
乱馬はあかねのほうに顔を向けた。
その瞬間。
「動かないで」
静かな、それでいて威圧的な声が乱馬の耳に飛び込んできた。
「!」
(しまったっ!)
あかねのとの会話に気を取られていた乱馬は、夢魔の存在を完全に忘れ去っていた。
それはあかねについても同様だったらしい。
夢魔の存在を思い出したそのときには。
夢魔の手が、あかねの首を背後から絞めにかかっていた。
あかねは苦しそうに顔を歪めている。
乱馬は思わず夢魔のほうに飛びかかろうとした。
途端、夢魔が不敵な顔で言い放った。
「動かないでって言ったでしょう?」
夢魔の顔には、憎憎しげなあの笑みが浮かんでいる。
「たとえこの姿でも、この女の首をへし折るのが容易い事くらい、あなたが一番分かってるわね?」
動けばあかねを絞め殺す。
夢魔からの卑劣な恫喝だった。
「てめえっ!この野郎!!」
乱馬は歯軋りした。
「あかねを放しやがれ!!あかねが何したってんだ!!!」
乱馬の叫びに夢魔が反応した。
「この女が何をしたって?」
あかねの首を押さえたまま、夢魔が憎悪の瞳であかねを見据えた。
「私の邪魔をしたんだよ!」
そう叫ぶ夢魔に、今までの相手を舐めきった冷静さは失われていた。
「あと一歩のところまで、貴様の心を追い詰めてたんだ!
 あとは貴様の心を喰い尽すところまで追い込んでいたのに、それをこの女・・・!!」
夢魔があかねの手に加えていた力を強めた。
あかねの苦しそうな表情がますます深まっていく。
「やめろっ!!」
乱馬は無意識のうちに叫んでいた。
キャハハハハ__
夢魔は哂いながら、あかねの首に加える力をますます強めていく。
夢魔の笑いは、先ほどまでの相手を見下した冷たい笑いではなくなっていた。
憎悪という感情のこめられた、夢魔の卑劣な本性が垣間見える笑いへと変化していた。
夢魔が哂いながら唐突に口を開いた。
「貴様はこの女に何をしてやった?」
「黙れっ!あかねを放せっっ!!」
夢魔が何を言いたいのか分からなかったが、それを気にする余裕は乱馬になかった。
夢魔の哂いに、狂気が含まれていく。
「クックックッ__喚きたいだけ喚くがいいさ!
 どれだけ喚いたところで、貴様はこの女を助けられないんだよ!!
 昔も今も、貴様がしていることは唯一つ!!」
夢魔の狂気が深まっていく。
あかねの表情はますます苦しげなものとなっていた。
夢魔が叫んだ。
「この女を危険に遭わせる、それだけなんだよ!!!」
「!」
(俺は、あかねを守れねえってのか!?)
乱馬は拳を握り締めた。
あかねを守れないかもしれない不安。
あかねを失うかもしれない恐怖。
それこそ、乱馬を捉えていた“闇”そのものだった。
「ちくしょおおお!!!」
乱馬は“闇”に押しつぶされそうになる自分を、夢魔に対する怒りでかろうじて押さえ込んだ。
乱馬が、迸る怒りのままに夢魔に飛びかかろうとした。
夢魔の手が、あかねの命を奪わんと最後の力を込めようとした。
そのとき。

「・・・違うわよ」

苦悶に顔を歪めたあかねの口から、吐息のような微かな声が零れでた。
乱馬と夢魔の動きが一瞬止まった。
先に動きを取り戻したのは、夢魔のほうだった。
「何が違うって!?ええ!!?」
夢魔があかねの首を揺さぶった。
苦しそうな呻き声をあげたあかねが、消え入りそうな言葉で声を発した。
「・・・乱馬は、あたしを、危険な目に、遭わしてるだけじゃ、ない」
「!」
夢魔の手から一瞬力が緩んだ。
あかねが更なる言葉を続けた。
「いつだって、あたしのことを、助けてくれた・・・呪泉洞のときも、事故のときも・・・」

(俺は、あかねを守れていたのか・・・?)
瞬間、乱馬とあかねの眼が合った。
あかねの眼が乱馬に訴えかけていた。
(嘘じゃないから)
あかねの想いが、その瞳を通じて乱馬の中に伝わってくる。
そんな気がした。
(乱馬はいつだって、あたしのことを助けてくれた)
(ホントか?俺はお前を守りきれていたのか?)
かすかにあかねが微笑んだような気がした。
(これからも、守ってくれるんでしょ・・・?)
乱馬の中から、次第に迷いが消えていった。
「あたりめーだろ」
そう軽く呟いた乱馬の中から、“闇”は完全に消滅していた。

力なく緩められていたあかねの掌が握り締められているのに、乱馬はふと気づいた。
乱馬も改めて拳を握り締めてみた。
握り締めたその手から、あかねの手のぬくもりが伝わってきたような気がした。
(あいつ、まさか・・・)
何となくあかねが何をしたいのか分かったような気がした。
あかねの眼に力が宿った。
「今回も、ね!」
そう叫ぶや否や、あかねは夢魔のわき腹にエルボーを放った。
夢魔の気が一瞬そちらに取られたときには、乱馬の拳が夢魔の顔にめり込んでいた。
夢魔の体が吹っ飛んだ。
それと同時に、夢魔から解放されたあかねの身体が舞い上がった。



「あかねっ!」
乱馬の一撃で吹っ飛ばされた夢魔を尻目に、乱馬はあかねを抱きかかえた。
「大丈夫かっ、あかねっっ!!」
あかねは苦しそうに咳き込みながら、それでも答えた。
「大丈夫、大丈夫だから・・・」
結局助けられちゃったな、その後に続いたあかねの小さな呟きが、乱馬の耳に届くことはなかった。
(良かった・・・)
途端、一気に張り詰めていた乱馬の気が緩んだ。
それと同時に、夢魔への怒りが乱馬の全身に巡りはじめる。
(あの野郎、あかねにまで手出しやがって・・・)
許さねえ!
そう思うと同時に夢魔のほうを振り返ると、夢魔もようやく乱馬の一撃から立ち上がっていた。
夢魔が乱馬とあかねのほうを睨みつけてきた。
「ちっくしょう・・・」
夢魔が呟いた。
「私の邪魔ばっかりしやがって・・・」
それと同時に、夢魔の体から強烈な冷たい邪気が迸り始めた。
あかねに飛竜昇天破を放とうとしたあの時の冷気だった。
「そこの女も、貴様も、絶対に許さない・・・」
夢魔の冷気はますます深まっていく。
「まとめて葬り去ってやる・・・」
「あかね、下がってろ」
尚も荒い息を繰り返すあかねに、乱馬は優しく声をかけた。
あかねが乱馬の傍から遠ざかるのを確認すると同時に、乱馬は夢魔を睨み返していった。
強大になり続ける夢魔の邪気に怯むことなく、乱馬は静かに口を開いた。
「覚悟、できてんだろうな?」
そう言うや否や、構えに入った乱馬の全身から一気に闘気が噴出した。
(あかねをこんな目にあわせやがって__ )
「ぜってえ許さねえからな」
乱馬と夢魔が、互いを目がけて跳躍したのは全く同時だった。



乱馬は必死だった。
予想以上の強さを誇る夢魔を確実に仕留めるために、乱馬がとりうる手段はそう多くはなかった。
“罠”に嵌める。
それが最も確実な手段だった。
そのことを気づかれないために、乱馬は必死で闘気を放ちながら拳を振るっていた。
夢魔は夢魔で、ますます冷気を深めながら攻撃を続けてきていた。
夢魔のその足が、徐々にある一定の“動き”をとりはじめた。
(かかった!)
“罠”に気づかれることがないように、かつ“罠”を確実なものにするために。
乱馬はひたすらに闘気を発しながら、がむしゃらを装って拳を振るい続けた。



(乱馬、がんばって)
息を完全に整えたあかねは、少しはなれたところから乱馬と夢魔の戦いの趨勢を見守っていた。
乱馬と夢魔の攻防は一進一退であるかのように、あかねは思えた。
夢魔は、完全に乱馬と五分以上に渡り合っていた。
らんまの能力と同等のはずの夢魔ならば、乱馬が優勢でも少しもおかしくないはずだった。
あかねには、単純ならんまのコピーではなく、夢魔が自身の戦闘能力をも振り絞っているように感じられた。
それでも。
(乱馬が負けるはずがない)
あかねはそう確信していた。
2人は、あかねですら目視するのがやっとな速さで攻撃を繰り返している。
戦いのさなか、あかねはふと夢魔の顔に微かな笑みを垣間見たような気がした。
その表情を見た瞬間、あかねの体に戦慄が走った。
2人の間には、両者が放つ冷たい邪気と熱い闘気が渦を巻いて交雑している。
(冷たい気と、熱い気・・・?)
瞬間、あかねは夢魔の狙いを察知した。
それは、かつて自分が仕掛けられかけた技。
乱馬はただひたすらに夢魔に攻撃を仕掛け続けている。
(まさか乱馬、気づいてない!?)
「乱馬、飛竜昇天破よっ!!」
あかねが叫んだのと、乱馬の身体が暗闇に舞い上がったのは同時だった・・・



戦いのさなか、夢魔が不敵に頬を吊り上げると同時に、言い放った。
「私の勝ちよ!!」
それと同時に、乱馬ですら一瞬恐れを感じるほどの冷気が夢魔の身体からあふれ出た。
「乱馬、飛竜昇天破よっ!!」
あかねの叫び声が聞こえた。
夢魔が下から拳をひねりあげた。
(来たっ!)
乱馬がそう思うと同時に、乱馬の身体は中空に飛ばされた。
夢魔の顔には、狂気の笑みが貼りついている。
その勝ち誇った顔に向かって、乱馬は空中から言い放った。
「それはこっちの台詞だぜ!!」
乱馬の周りでは、乱馬自身の放ち続けた熱い闘気が、夢魔の冷気に押し出されて渦を巻いている。
その中心目がけて、乱馬は渾身のスクリューパンチを打ち落とした。
「喰らえっ!飛竜降臨弾!!」
それは、かつてハーブとの戦いで一度だけ使った、飛竜昇天破の応用技だった。
それこそ、乱馬が仕掛けた“罠”だった。
巨大な気の塊が猛烈な勢いで夢魔目がけて襲いかかっていく。
「そんな馬鹿な!」
夢魔の顔に恐怖の入り混じった驚愕が浮かんだ。
そのままの表情で、夢魔は乱馬の放った気の塊に押しつぶされていった。
ついに、夢魔が倒れふした。


漆黒の中、倒れこんでいた夢魔が呟いた。
「私が敗けるなんて・・・」
瞬間、夢魔の身体から閃光が溢れだした。
夢魔から放たれる光が暗闇を切り裂いていく。
あまりの眩さに、乱馬は思わず目を閉じていた。
「ちくしょおおおおおおおお!!!!!!」
夢魔の絶叫が聞こえた。
それが夢魔の断末魔であることが、どういうわけか乱馬ははっきり認識できた。
目をつぶっているにもかかわらず、乱馬の視界一面が完全に白一色で覆われていく―――


 ***


眼を開いた乱馬の視界に飛び込んできたのは、見慣れない白い天井だった。
(どこだよ、ここ?)
夢魔の姿も、あかねの姿も見当たらない。
「あかねっ!?」
乱馬はいつの間にやら横たわっていた身を起こすと同時に、無意識のうちに許婚の名前を叫んでいた。
左右を見渡した乱馬の視界に、どこかで見たような顔が飛び込んできた。
「眼が覚めたかい?乱馬クン」
「・・・東風先生?」
怪訝な表情を浮かべる乱馬に、東風先生が口を開いた。
「まずはここがだか分かるかな?」
言われて改めて周りを見渡してみると、やはりなにやら見覚えのある場所だった。
「・・・接骨院?」
それもどうやら、ベッドの上らしかった。
「ふむ、記憶の混在等も全く無し・・・と」
ますますワケが分からないといった表情の乱馬を無視して、先生は手に持ったカルテに何事か書き込んでいく。
「あ、あの、先生・・・?」
乱馬の声に先生がカルテを書く手を休めた。
「あ、ごめんごめん。まずは状況説明しなくちゃいけなかったね」
そう言って、東風先生は乱馬のほうに向き直った。


「はあ!?一週間以上意識不明だったあ!!?」
東風先生の話を聞くや、乱馬は素っ頓狂な声をあげた。
その後も続く先生の話を要約するに、乱馬は交差点を飛び出したあかねをかばって、トラックにはねられたらしい。
それで一週間以上眠り続けていたそうだ。
(つーことは、今までのアレは全部夢だったてのか!?)
「やけにリアルな夢ばっか見るな、俺・・・」
思わず呟いていた。
「ん?なんか言ったかい?」
東風先生が聞き返してきた。
「いや、なんでもないです」
東風先生にそう言った途端、乱馬は大変な事実を認識していなかったことに気づいた。
「そういや、あかねは無事なのか!?」
「ああ。乱馬クンがかばったおかげで、ほぼ無傷の状態で助かってたんだよ」
良かった、と思うのと同時に。
(これも夢のまんまだな・・・)
そんな思いが乱馬の頭を掠めた。
ちょっと呼んできてあげるよ、そう言って東風先生は席を立った。
乱馬は、東風先生のその顔に、なんとなく楽しそうな笑みが浮かんでいるような気がした。



「やっとお目覚めね、乱馬」
部屋に入ってきたあかねの第一声がこれだった。
思わず乱馬は顔をしかめていた。
「なんだよ、命の恩人に向かって」
(感謝しろとは言わねーけど、心配してくれたって罰はあたんねーじゃねーか!?)
あかねはそんな乱馬の内心が分かっているかのように、クスリと笑った。
「そうね、助けてくれてありがとう」
(いろんなイミでね)
そのあかねの内心の声は、乱馬に届いていなかった。
まさかそんな素直に感謝されるとは思っていなかった乱馬は、思わず顔を赤らめていた。
あかねは乱馬の動揺も分かっているかのように、楽しそうにクスクス笑っている。
(き、気まずい__ )
乱馬はあかねのほうから顔を逸らした。
自分にとって居心地悪いことこの上ない場の空気を変えようと、乱馬はあわてて口を開いた。
「あー、まだ頭がぼーっとしてるぜ。随分変な夢見てたからな」
乱馬はその一言が自分にとって地雷であることを知らなかった。
「例えば、夢魔に追い詰められて自分を見失いかける夢、とか?」
「え゛・・・?」
乱馬は、思わずあかねのほうに振り返ってしまっていた。
あかねはますます楽しそうに微笑んでいる。
「ちょ、ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと待て。今何言った?」
「ん?乱馬が『俺が好きな女相手に本気で拳を向けるような、腐った漢じゃねえってことくらい分かってるはずだぜ!?』って夢魔相手に言い切った夢を見てたって話でしょ?」
確か、夢の中で自分はそんなことを口走っていたような気がする。
「まままままままさか夢じゃなかったとか?」
「ん?なにが?」
あかねは明らかに演技の入った怪訝な表情をうかべていた。
あの夢の中での自分は、とても格好が良いと言える代物ではなかったはずだ。
さすがの乱馬もそれくらいの自覚はあった。
それを、よりによってあかねに知られていただなんて・・・
「嘘だあああああああ!!!!」
思わず乱馬は叫んでいた。

真っ白になった頭が冷静に戻るにつれて、乱馬は先ほどのあかねの発言の中に含まれていたとんでもない言葉に気づいた。
(確か、あかねが言ってた『俺が好きな女相手に〜』ってやつの前に、俺は何か言っていたような・・・)
懸命に記憶の糸を辿ってみると・・・

『あかねに本気で拳を向けれるワケがねえんだよ!』

「違う違う違う違う違う違う違う違う違うちが〜〜〜〜う!!!」
自分のとんでもない失言に気づいた乱馬は、おもわず真っ赤になって絶叫していた。
あかねはそんな乱馬を心底楽しそうに眺めている。
「ごごごごごごご誤解だ!ああああれは、その、あの、えーと・・・」
最早乱馬は自分が何を言っているのか自分で理解できなくなっていた。
顔は既に真っ赤になっている。
そんな乱馬に、あかねは小さくため息をついた。
「しょうがないから、聞かなかったことにしといてあげるわよ」
「ホントか!?」
途端ホッとした顔になった乱馬に、あかねは再びため息をついていた。
それと同時に、ふと乱馬に意趣返しをしてやろうという考えが頭をもたげた。
「でも、絶対忘れてあげないから!」
一瞬にして乱馬の顔が再び真っ赤に戻った。


乱馬にとってある意味人生で最も気まずいともいえる沈黙を破ったのは、あかねのほうからだった。
「そう言えばさ・・・」
あかねは、今までずっと心のどこかで引っかかっていた問いを、乱馬にぶつけてみることにした。
「乱馬ってさ、あたしと居るの、どう思ってるの?」
悩んではいたが、一連のドタバタ騒動の中であかね自身も忘却しかけていた問いだった。
全てが解決した今、あかねの中に唯一残っているしこりといってもよかった。
今までのあかねだったら、とても口に出来た問いではない。
乱馬の気持ちを知ってしまったことが、あかねの態度に大きな余裕を生み出していた。

さすがの乱馬も、今更往生際悪くあがいてみたところで限りなく手遅れなのは自覚できた。
完全にあかねに気持ちがバレてしまったのは、いくら乱馬でも理解できた。
(どうもこうも、俺はお前と居るときが一番__ )
とはいえ。
持って生まれた性格もあり、まさか思ったとおりのことを素直に言えるはずもなく。
「・・・つまんねえと思ったことは、一度もねえよ」
小声でそう呟くのが、今の乱馬にとっての精一杯であった。

乱馬の消え入りそうな呟きを聞き取ったあかねは嬉しそうに笑った。
それと同時に悪戯心がわきあがってくる。
「もしかして乱馬はあたしのことが好きなのかな〜?」
乱馬にそう聞いてやってしまっていた。
ぼん!
これ以上真っ赤になりようがないくらい真っ赤になった乱馬。
あかねはますます面白そうに言葉を続ける。
「どうなの〜〜?」
「お、お、お、おめーはどうなんだよ?」
やっとのことで乱馬が捻り出した言葉がコレだった。
「あたし〜?あたしが乱馬のことどう想ってるかって?」
あかねはそう言うと、ほんのり頬を赤らめた。
「あたしは・・・」
あかねはいったん言葉を切った。
そして乱馬の額に自分の顔を近づけていった。


あかねが自分の額に唇を近づけてくる。
乱馬の頭に浮かんでいたのは、先日の良牙(=Pちゃん)とあかねの衝撃のシーンだった。
(まさか、あかねのヤツ・・・)
乱馬の胸は(本人は依然認めないであろうが)期待で一杯になっていた。


乱馬の額まであと数ミリにまで近づいていく――
ところであかねは顔を止めて、囁いた。
「ひ・み・つ」
(あんたが本当に、あたしに向かって気持ちを言ってくれるまではね!)
そう言ってあかねは満面の笑みを浮かべた。
その笑顔は、一点の切なさも含まれていない、あかねにとって一番の微笑だった。


さすがに照れくさくなって、あかねが乱馬の顔から遠ざけたそのとき。
「乱馬あ〜〜〜!ついに目覚めたあるか!!」
「乱馬く〜ん!よくぞあかねを助けてくれたねえ〜〜〜!!」
「男らしいわ〜〜、乱馬!」
「それでこそ我が息子よ!!」
その他諸々の声と共に、騒々しいことこの上ない一団が病室になだれこんできた。
あかねは思わず笑ってしまった。
(こういうのが、一番「あたし達」らしいのよね)
あかねはそっとその場を離れると、静かに部屋を出て行った。



乱馬は気づいていなかった。
いつの間にか、あかねが部屋から退出していたことも。
代わりに入ってきた一団が、反応のない乱馬を無視して宴会まがいのどんちゃん騒ぎを始めていたことも。
乱馬は全く気づいていなかった。
(か、かわいい・・・)
あかねの満面の微笑を見た瞬間、乱馬の全ての思考回路は完全にショートしてしまっていた・・・





ようやく我に返った乱馬が取れる行動は、1つしか残されていなかった。


「どちくしょおおおおおおおお〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!」
完全に場違いな絶叫が小乃接骨院の一室に響き渡った。





乱馬の絶叫が響き渡る中、少しだけ進展した2人の延長戦が再開されていった。
とある一方にとって、圧倒的に不利な展開で―――――――








 半年近く全掲載に時間がかかってどないすんねん?という突っ込み、平にご容赦を!
 いただいたときに、これは小出しに楽しめる・・・と勝手に思ったのがきっかけです。
 長編乱あは処女作だと申された、筒竹さまのこの力量。で、ラスト、あかねのキス寸止めで固まる乱馬の可愛さと、絶妙な二人の距離。
 是非、改めて、全話、じっくり読み返してくださいませ。
(一之瀬けいこ)
 

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