◇燈籠流 ・ 6 『許婚』
凛子さま作


暫しの時間の後、とたとたと言う足音が聞こえる。

トントン・・・

「乱馬?起きて・・・る?」
恐る恐ると言って感じでふすまの戸が開いた。月の、白い光があかねを照らし出す。
「あかね?」
「乱馬・・・・・・。一緒に・・・寝ましょ?あのっ私の部屋の窓。閉まらなくてその・・・だから・・・」
素直に恐いって言えよな?など愚痴をこぼしながらも乱馬は布団を軽そうに抱え、あかねの後に続いた。


ガチャ・・・ッ

・・・正面の窓には、黄金に輝く満月が部屋の中を照らしていた。藍色の空に、雲ひとつ見受けられない。
月明かりに美しく佇むあかねの影。乱馬は一瞬息を呑んだ。・・・女神――。

「ね?窓、開きっぱなしなのよ。」
あかねは一つため息をつくと、乱馬の肩から布団を受け取り、カーテンもさっきの掃除で使っちゃったし。と言いながら、カーペットの床に布団を整えた。

朝日が昇れば別れが待っているなんて、頭の隅にも置いておきたくなかった。

「さ、寝ましょ?乱馬。」
「おっおう・・・」

時計の秒針が、少しずつ時を刻んでいく音だけが響いている。静かな月の光と、夜の落ち着いた風が二人を包み込んでいた。
その、藍色の空気はとてもやはらかく、静かで、暖かく感じられた。

「乱馬?おきてる?」
「ん?眠れねーのか?」
「違うの。あたし 乱馬に謝らないといけないの。」
あかねはゆっくり謝罪の言葉を述べていく。 この優しい空気の中で・・・

「あのね。お父さん達が“死んだ”あの日・・・逃げたかったの。とにかくあの現実から逃げたくて。」
“死んだ”・・・あの日から。ずっと言わなかった いえないと思っていた言葉は・・・すごく簡単に声になった。
この幾年で大人になった心が、それを可能にしたのかもしれない。
「それでね?何かに理由をつけて・・・一人になりたかったから・・・それで・・・あんたと居たら忘れられなくなるなんて言って・・・嘘だったわ。 嘘だったの。ごめんね。乱馬。一人になったって、一日も忘れた日はな
かったもの。それなら・・・さよならなんか、しなくてよかったわよね。」

それは、乱馬も同じことだったのかもしれない。ただ、言葉にしなかっただけで・・・。
「ああ。」
乱馬は後悔をしてもしきれなかった。なぜあの日、あかねを一人にしたのか。守ってやれるのは、自分しか
居なかったはずなのに・・・。

「あかね?」

そして、乱馬は覚悟を決めた。
「なあに?乱馬。」
「許婚・・・のことなんだけどよ・・・俺達・・・ ・・・っけ結婚・・・っしないか・・・っ?」

一瞬、時間がとまった。

「・・・・・・冗談が・・・すぎるわ。乱馬。冗談が・・・」

知っていた。冗談じゃないことくらい、知っていた。乱馬が本気なことくらい、わかった。
「そ・・・そうか・・・冗談が・・・すぎる・・・か。」
「ええ。そうよ・・・。」
あかねは止まらない心臓の音をきかれないように、天井から壁へ、体の向きを変え、そっと目を閉じた。


「っ・・・・・・あかね?よっく聞けよ・・・?今の・・・冗談なんかじゃ・・・って・・・『眠ってやがる。』」
乱馬は、短くため息をついて、月の光を浴びた・・・・


いつの間にか・・・朝日が顔を出している。時計は5:00を指していた。あかねはすやすやと寝息を立てている。
『冗談であんなこと言えるか。バカ野郎。』
数時間後には、別れが迫っている。

「おはよう・・・乱馬」
「ん?おう。」
台所で二人は鉢合わせる。
一人の空気に敏感になっている自分に、あかねは気がついた。結婚という言葉を聞かされたあと、暫らく眠れ
なかった。独りが苦しかったことが、次々に思い出されていく。 もう一度さよならは・・・嫌。

「あたし・・・もう帰るわ」
これがあかねの出した答えだった。

「あかね。朝めしは・・・」
「いい。仕度してくる。あたしは気にしないで、食べてて・・・いいのよ?」
もう少し側に居たら・・・帰れなくなってしまう。そんな思いが胸の中に渦巻く。もう・・・止められなかった。
「そうか・・・。」
乱馬は水を張ったなべを、火に掛けた。 ぐつぐつと泡をふきはじめたころ、あかねが下へ降りてきた。

「もう・・・行くわ。」
あかねは昨日着ていた服を着て、小さな荷物を背中に背負っていた。見たところ、物など何も入っていないように見える。
「お、おい待てあかね!やっぱ俺も行く。」
乱馬は慌ててコンロの火を消し、開いた戸越しにあかねを呼び止めた。


「今度はちゃんとカギ閉めていかなくちゃね」
二人は再び別れを迎えようとしていた。今度もまた玄関の前で、暫らく話(ことば)を交わす。
「おう。カギは・・・」
「乱馬が持っていて。ね?」
こんど微笑んだ顔は、さみしさにあふれているように思えた。
「わかった。」

乱馬はカギをポケットにねじ込んだ。門までの距離は長くも短くも感じる。ひたすらゆっくり、歩く。やはり別れはつらいものだった。
門の前まで来て、扉をしっかり閉じた。いつ来るか、いつ会えるか分からない我が家とのさよならを思いながら。
通りの真ん中で二人は背中あわせに向き直る。「さよなら」は言いたくない。悲しい顔を見せたくないから、そのまま足を一つずつ運んでいく。二人とも、同じ気持ちだから・・・。突然あかねが振り返り、

「またね!乱馬。」
高く手を上げて、乱馬を見送る。とびきりの元気で

“またね!”・・・・・・
乱馬は意を決した
「っあかね!きのうのこと・・・!結婚の・・・あの・・・その・・・本気だからな!」
「・・・・・・そんなこと、知ってるわ!」

二人は別々の家へ帰って行った。心は複雑を極めたまま・・・。その夕べの悲しみは、言葉には表しきれない苦しさだった。・・・独りという感情。


「おはよう。あかねちゃん朝ごはん、できてるから。」
「ありがとうございます。ここ終わったらいただきますわ。おばさま。」

昨日乱馬と会ったなんて嘘のように、あかねはここ幾年かずっと続けてきたいつもの朝を向えていた。白い着物に、赤いはかまを着て、竹ぼうきで石畳を掃く。
何もしないのは気が引けるので、神社の巫女を手伝っているのだ。
「いってきます!」
「いってらっしゃい。気を付けてね」
ランドセルを背負った元気な男の子が飛び出してきて、石段を駆け下りて。あかねはそれを見送った後、朝食をもらいに行く。
今日もその通りに・・・。

『あかねのやつ・・・日暮神社とか・・・言ってたな。良牙じゃあるまいし、俺が知らねーわけねーだろーが。』

「さてと。朝ごはんいただかなくちゃ」
あかねはほうきを持ち直し、本堂に体を向ける・・・と

「あかね。」
「!?・・・乱っ・・・乱馬っ!!」
石段を駆け上がってきたのか、少し息を切らしていた。
「どーしたの?!」
思わず駆け寄って事情を聞いた。
「・・・っ迎えに来てやったんじゃね―か・・・っ帰ろーぜ。天道道場に。」

あかねはその言葉に、返す言葉が見つからず涙が止まらなくなってしまった。次々とあふれてくる。あまりに突然
の出来事だった。自分の中で理解できるまでに、少し時間がかかったほどだった。

「バカっ・・・早乙女っ・・・でしょ?“早乙女道場”・・・っ」
ずっと待っていたのかもしれない。この人と、この言葉を。一緒に帰ろうという言葉を、ずっと待っていたのかもしれない。
「あか・・・ね?」
ふわりと甘い風が吹いて、あかねが乱馬の胸に飛び込んできた。
「帰・・・りましょ・・・ありがとう・・・迎えに来てくれて。嬉しい・・・。」
「「会いたかった」」
二人の声が重なる。驚いて、顔を見合わせ、笑いあった。やっと、独りにさいなまれる事はなくなったのだ。『会いたかった。毎日ずっと』二人には、言葉にしなくても理解できた。離れても、同じ気持ちを生きていたから。

「結婚しよう。あかね」
「ええ。乱馬」

つづく




作者さまより

燈籠流もいよいよ終盤だったりします。もう少し、この駄文にお付き合いくだされば光栄です。
次回最終回、年を越えぬように頑張りたいと思います。滝汗。


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