◇燈籠流 ・ 2 真実からの逃避
凛子さま作


畳には血液が拡がり、赤く染まっていた。皆、ピクリとも動かない。運命の悪戯。そう考える他なかった。
戸棚やテレビが倒れて、身動きすら封じていた。

「うそよ。嘘よね?乱馬」
もう何も見たくなかった。信じたくなかった。
乱馬は返す言葉もなく、この現実を受け入れる心の場所を探していた。
「っとにかく・・・っ道場に運ぶんだ。余震が来たら今度は家も危ねーかも知れねーからな・・・道場なら」

道場なら、落ちたり倒れたりする物もないから、安全だろうという乱馬の配慮だった。
それ以上は会話を交わさずに、乱馬はぐったりと動かなくなってしまった自分の家族を、いたわるように抱き上げ、しっかりと小脇に抱えた。
「行くぞ、あかね」
「あっ待って乱馬。」
涙でいっぱいになっていた目を拭って、あかねもなびきを抱き上げる。目で合図すると、二人は道場へ向かった。
一人になることを怖れていた。心が哀しみに飲み込まれてしまいそうだから。


もう目を覚ますことのない家族六人を、道場に寝かせた。しっかり整えられた身形と整列は、心づくしのものに違いはない。
「あたし。着替えてくるわ・・・」
無我夢中で抱きしめた接点に、少しだけ血が滲んでいた。あかねの傷でも、乱馬の傷でもない。
「お、おう。」
「ちゃんと見張ってなきゃダメよ?」
無理に笑った。見張っていなくてはならない理由なんて、あるわけがない。でも、もしかしたら、息をしてくれるかもしれないというたった一つの希望を、捨てるわけにはいかなかった。
「わ―ってるよ!」


・・・一人で居ると、考えることを頭が拒んでいるのが分かる。
空はまだ明るい。
道場に残った乱馬は、静かにあかねを待っていた。

――。だいぶ時間が過ぎたように思えた。それでもまだ空は明るい。
あかねの帰りが遅くて、待つことに飽きてしまった。


ほとんど壊れていない天道家を、ゆっくり見回しながら乱馬は二階へ上がった。

カチャッ
「あかね?」
「っ乱馬。」
あかねはこの家から出て行く決意をしたらしい。荷造りを半ば始めている。
「やっやだ。ノックくらいしなさいよね!これが終わったら行こうと思ってたんだから・・・まだ着替えてたら・・・どうするつもりだったのよ、バカ」
乱馬は頭を掻いて、一言「わりぃ」と謝った。あかねは小さく返事をすると、また鞄に詰め物を始めた。
「あかね。お前がこの家を出るなら・・・俺も出て行く」
「え?」
「俺ん家じゃねーしな。」
引き止める理由は、お互いにないはずだった。
「そう」
出来るだけ気にしないように、返事をした。それから乱馬は、暫らくあかねの部屋に居て、自分も山篭りの荷物をとりに、自室へ戻った。

一人の空間はとてもやはらかく、静かで冷ややかだった。
たった一人で居ると、さっきの惨劇が思い出されてならない。滅多に泣いたりしなかった乱馬の目にも、雫が込み上げていた。
「・・・っあのクソおやじっ・・・」
悲しみに勝とうなど無謀だということを悟ったきっかけが、全てを悟った後だなんて、解かりたくなかった。

台所へ寄って、道場へ戻ったら、あかねは乱馬を待ちかねていた。
一つの決意を胸に抱いて・・・。

「遅かったじゃない・・・」
「あ、ああ。」
「乱馬。コレ。」
あかねの手には、白い紙が握られていた。その何でもない紙切れには、何か重要な事柄が記されているように感じた。
「ん?」

“私たちは生きています。
  事情があってここを離れます。
                あかね”

「あんたも・・・書きなさいよ、名前・・・」
「おっおう」
乱馬は白い紙とペンを受け取ると、あかねの綺麗な字の下の余白に“乱馬”と走り書きをした。本当にここから去るという実感が正確になっていく。愛しい人を、守ることも求めることも出来なくなる。一度は祝言を許したほどの人が、傍らから消えるという事実が、痛かった。

それはとてもゆっくりと、いたわるような仕草で、あかねはかすみの手に、紙切れを握らせた。
「お姉ちゃん、ちゃんと、伝えておいてね。あたしたち、旅に出るから。」
まるで会話をするようなその言葉は、残された二人を悲しみの底から救う、唯一の方法だった。


ガラガラ・・・―ピシャ・・・
玄関の外で、二人は最後の別れを惜しんでいた。

「許婚、終わりにしましょう・・・。乱馬。お父さん達が決めたことですもの・・・いいでしょう?乱馬・・・」
あかねの口を突いて出た言葉は、静けさの中へ溶け込む様だった。
「あかねが・・・そうしたいなら・・・俺は構わねーが」
「じゃ、決まりね!」
空回りの笑顔は、二人の胸を締め付けた。
「っ・・・だって 乱馬といたらっ・・・今日のことを忘れられなくなっちゃう・・・覚えて居たくないわ!信じたくないもん!」
あかねの悲痛の叫びは、涙とともにとめどなく溢れてくる。
「わかったよ、だから泣くな あかね・・・」
暫しの沈黙は、別離の悲しさを大きくさせるものだった。
「さよならね、乱馬。もう会わないほうがいい」


二人は永遠の別れを誓った。一枚の置手紙を残して。

空は、まだ明るい・・・。




  to be continued・・・




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