◇時流想戯曲 三国志演義・呉
  第五 赤壁の巻 上

しょーすけさま作

十三、突然



孫策「………う〜ん。まいった。」

周喩「とんでもねえ効果だな。」
小喬「まさか力が0になる術だったなんてねえ…。」
孫策「武器はおろか、辞書の一冊も持てやしない…。」

先日、于吉と名乗る化け猫が襲来(?)してからというもの。東風兄の額には「賓」という…おそらく「貧」の書き間違いであろう文字が刻印され、それによって東風兄は力を封印されてしまったんだ。ベッドを出て歩けるようになったものの、荷物は持てない、椅子も引けない、辞書のような厚めの本も取り出せないという…そんな聞いたことのない状況に追いやられて、おれ達はただ立ち尽くしていた。

大喬「まあ…せっかく元気のつく料理を用意したのに。」
孫策「カッかすみサンッ!ごきげんヨー!」
小喬「おねーちゃんっ。」

東風兄に異常あり、という話は瞬く間に城内に広まっていた。君主という大事な身の上、誰もが心配するのは当然だろう。かすみさんもかすみさんなりに何か考えるところがあったみたいなんだけど…。

大喬「体力の問題じゃなかったのねぇ…。」
周喩「う、うん…。」
大喬「困ったことね。」
孫策「………ハイ。確かニ…。」

東風兄も会わせる顔がないのか、かすみさんを前に緊張(?)していながらも体裁わるそうな様子だ。
最初は冗談のように受け留めていた事実だが、だんだん本当に困ったことになってきた。いま戦いが起こっても、東風兄は出撃できねえわけだし…治す方法が見つかるまで、武器を取ることは出来ないんだ。
東風兄は自分の頬をパチン、パチンと叩き、正気に戻って話した。

孫策「…とりあえず本でさがしてみるよ。もしかしたら医学書に治し方が載ってるかも知れない。」
周喩「妖術なんだからオカルト本のがいんじゃねえの?」
孫策「…両方調べてみるよ。」
大喬「東風さん、私がお手伝いしますね。」
孫策「ェエエエッ!?ナンデまた………!」
大喬「だって、重い本を持つこともままならないんでしょう?」
小喬「おねーちゃん…」
孫策「ソ…ソれハ………」
周喩「よかったじゃねえか東風兄っ。」
孫策「あゥっ…」

かすみさんもなかなかナイスな気遣いで………はっ。いかん、東風兄が息切れを起こしている…そろそろ限界かっ?

孫策「………ナハハハハハハハハァァハーーーーー!!ワタシォ天気晴レーーー!さぁ行こう!ベティちゃん!」
周喩「ぉ、こら誰がベティちゃんだっ。」
孫策「そォれ!我が未来に向かって、出っっぱァーーーツ!!」
周喩「はなせっ!おれはベティちゃんじゃねえっ!おいっ!」

ぱしっ。

…あ、ほどけた。
そっか、東風兄には力がないんだよな…。

周喩「………。」
孫策「ぁ………ハハハ…。そーだよね。ベティちゃんじゃないよね…。うん。」
小喬「………。」
孫策「さ、先に書庫にいってます。まずは軽そうな本から読むので、かすみさんはみんなの分のお食事を作り終えたら来てください…それじゃあ…。」
大喬「はい…。」

知れた気じゃねーけど、つらいもんなんだろうな…真面目に対処しようと努力するところが東風兄らしいけど。おれならあの化け猫を探し出して治す方法を否が応でも吐かせるけどな………………でも猫か………厳しいな…。

小喬「なに考えごとしてんの乱馬?」
周喩「へ?いやぁ別に…。」

振り返りざまに、書庫へ向かう東風兄を見送った。
いつも凛として伸びていたはずの背筋が、今回ばかりはひん曲がっていた。
………なんとかして、治って欲しい。



 さて東風兄が復帰するまでの間、名目上は、君主の座は良牙こと孫権に渡ることになった。っつっても良牙はいま章安にいるわけで、結局はおれがここ建業から外を見張ってなきゃいけないわけだ。そいでもって良牙といえば、いままでは農村のじいさんばあさん相手しかしたことがなかったから、いざ君主の座を渡されても何をすればいいのか分からなかったらしい。おれに手紙をよこすや、「“とりあえず学ばねばならんことを教えてくれ”」ときた。おれは通信教育の先生かっつの。仕方がないんで仕事の内容や心構えを何通かに分けて書き、一日一通ずつ、良牙に送ることにしている。
そんなある日の夜。もうみんなぐっすり眠っている時間…いや、おれも寝てたってのに、ひとの眠りを邪魔する不穏分子が突如おれの部屋に現れた。

「…あなたが乱馬くんね。起きてちょうだい。…お〜い、起きろーーー」
周喩「っっっでぇい何なんだよ人が気持ちよくいい夢みてる時にっ!」

起き上がってみれば、そこには見覚えのない人間が一人。

周喩「誰だっ…?」

白いローブを身にまとったそいつは、右手の白い羽根扇をふわつかせながら答えた。

「諸葛亮。あざなは靡(なびき)だから、そっちで呼んでもらっていいわ。」

…聞いたことのある名だな。確か諸葛玄の息子、いや違うな…こりゃどう見ても女だ。そんで…あ!諸葛瑾(しょかつきん)の兄妹か!瑾は思いっきりおれの知り合いだ。

周喩「その格好、おめー軍師だな?」
諸葛亮「そーよ。漢室の末裔、劉備につかえる軍師。…まだなりたてだから、あんまりオシャレな格好できないけどね。」

劉備の…!

周喩「な、なにしに来やがった!まさかてめーも暗殺…」
諸葛亮「なにわけのわかんないこと言ってんのよ。折り入って話があるんだから、いい加減そのなるとパジャマ脱いで、服着替えてくれるっ?」

こ、こいつわっっ…人の寝床に出現したかと思いきやこの態度っ。許せんっ。

周喩「…なに見てんだよ。」
諸葛亮「何も見てないわよ?」
周喩「じゃああっち向いてろっ。そんなに男の裸が見てえかっ」
諸葛亮「あ〜はいはい。うっさいなぁ」

こんの…女心のカケラもねえな…だから世間で諸葛玄の「息子」とか言われてんのか?

周喩「…それで、話って何だよ?」

着替えおわったら部屋のロウソクに火をつけ、互いに座って話を始める。

諸葛亮「あんたの軍に協力させてもらいたいのよ。ウチの君主は頼りないもんだからさぁ…これを機にしばしの同盟を組ませてもらいたいわけ。」
周喩「ほぉ…で、何を協力するんだよ。」
諸葛亮「…知らないのね。呉の大軍の代表軍師ともあろうお方が。」
周喩「む…。」
諸葛亮「長江を渡って、曹操が攻めてくるのよ!あんたの問題じゃない!」
周喩「何………!」

むう、さすが北にいる人間は情報のまわる速度が違う…攻めてくるったって、まだ計画中の段階だろ?スパイでも送り込んで知ったのか?

周喩「…ちょっと待て、曹操は袁紹と対峙してるからそれどころじゃねえんじゃねーのか?」
諸葛亮「はぁ…いつのハナシよそれ。もうとっくに袁紹は曹操に敗れて、滅ぼされたわ!袁術も!」
周喩「うっそ!」

そーか…こっちは東風兄の貧力問題や良牙の後継ぎうんぬんでちょっとそれどころじゃなかったからな…やっぱ、情報捜索にもっと力入れねーとやばいな…。

諸葛亮「それで、曹操軍は手のつけられないぐらいに大きくなってしまったのよ!このままじゃどの地方も、奴らに呑み込まれてしまうわ!」
周喩「………それで協力して曹操の力を削ぐ、ってわけか。」

なんてことだ。勢力という勢力がことごとく消え、今や曹操に対抗できるのはおれ達と劉備しか残っていないとは…。
いつかはこうなるだろうとは思っていたが、予測していたよりはるかにはやい展開だ。
勢いやまぬ曹操軍を相手に…勝ち目はあるのか?

周喩「ここで戦えば、多くの血が流れる。それよりも、いったん降伏したとみせかけて、あとで計画を練ってどうにかした方が効率いいんじゃねーか?」
諸葛亮「へぇ、なかなかまともなこと言うじゃない。」
周喩「エラソーに…。」
諸葛亮「でもね、それじゃあひとつ聞くけど」
周喩「何だよ?」

諸葛亮「大喬・小喬の身柄を曹操にとられてもいいのっ?」

周喩「………どっ、どーいう事だそれっ!」
諸葛亮「もともと曹操の狙いはソコよ。江東の地よりも二喬!江東の地よりも二喬!って。」
周喩「そ、そりゃなー、二喬っていやあ天下に名高い二大美人っていうけどなー」
諸葛亮「ほっぺた赤くして言うんじゃないわよ」
周喩「とにかくっ!そんなろくでもねぇ理由、信用できるかっ!」
諸葛亮「…ふふん。やっぱり何も知らないんだぁ。」

くっそ〜何なんだこの余裕げな表情はっっ。なんであかねとかすみさんの話が出てくんだよこんなとこでっ。

諸葛亮「曹操ってねえ、けっっこう‘女ったらし’らしいわよ。」
周喩「…あんっ?」
諸葛亮「なんでも部下の嫁に手ェ出して、いっぺん死にかけたそうだしねぇ。有名な話よ?」
周喩「知るか。」
諸葛亮「とにかく、真剣に考えてみることね。ま、この国にとっちゃあ二喬を手放すだけで曹操との戦いを避けられるってんだから、その方が被害が少なくていいと思うけど」

ぬぬぬぅ…くっ、冗談きついぜ…畜生っ。

周喩「…あかねは、渡せねえ。もとい、これは呉の国の威信をかけた戦いだ。買ってやろうじゃねえか!」
諸葛亮「まぁ乱馬くん男らしい。」
周喩「でも皆の意見を聞いてからな。」
諸葛亮「意外と冷静なのね」
周喩「ったりめーだ。…それとなびき。曹操軍に勝つためだ、おめーにも存分にはたらいてもらうぜ。」
諸葛亮「もちろん。あたしの知人ともども、精一杯やらせていただくわ。」

言ったなこのやろ。どれだけの力量があるのか、じっくり見させてもらうからな。

諸葛亮「それじゃあたしは、どっか場所みつけて寝るから。正式に決定が出るまでしばらく厄介になるわよ。」
周喩「そ、そうか。」

って、まだ戦うとは決まってないんだけど…。おれは戦うべきだと思うが、他の軍師の意見も踏まえたうえで君主(つまり良牙)に決めてもらわねーとだからな。
明日はまた、大騒ぎになりそうだ。




十四、決戦は金曜日



 さて、いざ軍師ども、武将どもを集めて話をしてみれば、それはもう収集のつかない状態になってしまった。

程普「だぁぁぁかーーらっっ!!敵に下げる頭などないと言っているね!!」
軍師A「そこを折れなくてはいけないのです!余計な血を流さないためにっ!」
韓当「降伏しても助かるとは限りませんことよ!曹操のこと、目障りな者はすべて消していくに違いありませんわ!」
軍師B「ですから、目障りにならないように頭を下げるんですよ!それでチャンスを待つんです!」
陳武「敵に下げる頭はないだ。」
太史慈「俺も同意見だ。この国以外に仕える場所はないと思っている。」
軍師C「しかし、戦っても勝算はうすいんですよ!」
蒋欽「わたしと右京さまの養成している水軍が信用できなくてっ?」
甘寧「………………(そりゃ実績がねえだろう。)」

…おれ、まだ「曹操が袁紹に勝って、今度はこっちに攻めてくる。」の一言しか言ってないんだけど。
シャンプーらと軍師連中の口論は、いっこうに収まりそうにない。

周喩「…なぁ、どっちがいいと思う?」
魯粛「さぁなー。これをピンチととらえるかチャンスととらえるか、だよな。」
周喩「大介は?」
張昭「おれは、勝算が増えない限り反対だな。」

おれの両隣に居るのは、友人の魯粛、あざなは皓(ひろし)と張昭、あざな大介。どっちも軍師。
こっちでも意見対立かぁ、やっぱり簡単にはまとまりそうにないな。
とかなんとか考えていたら、なびきのヤローが目をこすりながら議室に入ってきた。朝頃は城の中で何かごそごそと動き回っていたかと思ったんだが…昼寝してたなこいつ………。

諸葛亮「あたしのこと話してくれた?」

すると回りは言い争いをやめ、一斉になびきの方に顔を向けた。いかにも「誰?」という感じで。

諸葛亮「…まだみたいね。」

なびきもその微妙な空気を察して、自分の口で、昨晩おれに話した内容を再度説明した。二喬うんぬんの話はしなかったが。

魯粛「劉備の軍が協力してくれるのか。」
張昭「へぇ。」
黄蓋「うむ、これで決まりであろう。我らに勝算はある!」
軍師A「…異議なし。」
軍師B「同じく。」
軍師C「賛成です。」

…あれっ!?
これもしかして、おれが最後まで説明してりゃ言い争うこともなかったんじゃねえか………?

諸葛亮「決まりね。それじゃあ乱馬くん、あなたの君主はいま章安に居るんでしょ?いまこの国の君主さんに一番信頼されてるのはあなたのようだから、あなたの口から説明して、決断をもらってきて。あと誰がリーダーをつとめるかについてはそちらに任せるわ。あたしらはあくまで助っ人だから。」
周喩「………………わかった。」

ちっ、それでおれが良牙のところへ行くわけか。それは別にいいが…なびきのやつ、やっぱり情報を得るのが早い。早すぎる。まるでおれ達のことも全部知ってるみたいな口ぶりだ。
奴は…危険だな………敵に回すと、必ず厄介なことになるだろう。なるたけ敵にしたくない人物というか…。



孫権「…そうか。そんな事になっていたのか。」
周喩「おれも、正直あせったぜ。けどこの時のために水軍まで作ったんだ。おれ達は十分に戦えるはずだ。」
孫権「…これは、えらいヤマ場だな。戦うからには、負けは許されねえぜ。」
周喩「ああ。…おれがやってみせらあ。」

章安に到着し、急いで事は報告した。良牙はおれの書いた教科書よろしく数巻の巻物を机に置き、立ち上がって窓の外を眺めた。
入ってくる光は不気味ともいえるくらいに眩しく、また、午後だったので影になる所はかえってどす黒く見えた。
ちょっとした争い、ではない。今回は全面的な戦いになる。北中国をおおかた平らげてしまった曹操は、もはやこの呉国か、劉備に狙いを定めるより他ないからだ。
それを承知のうえで、踏ん切りをつけたように、良牙はきり出した。

孫権「よし…それじゃあ、お前を今回の大都督に任命する!兄上は戦場に出られない、だから全軍の指揮をお前に任せるからな。おれは後方から武器と食糧を支援する。」
周喩「良牙…。」
孫権「頼むぜ乱馬。………………もし、しくじった時は…すぐにおれの所に戻ってこい。おれが、曹操と決戦をする………。」
周喩「…わかった。」

すべて決定した。
呉軍は劉備軍と手を結び、曹操軍に対抗する。曹操の勢いを阻止するため、呉の国の威信のため。
大都督(つまりキャプテンのような監督のようなもの)はこのおれ、そしてシャンプ−が副都督。
舞台は長江の水上、船での戦いとなる。こっちは特製の水軍つきだ。数より質ってやつだな。
もう後には戻れない。生きるか滅ぶか、ふたつにひとつだ。唐突に迫られた選択だが…やるしかないんだ。




諸葛瑾「………久しぶりだね。なびきさん。」
諸葛亮「あら、金之介さん。やっぱりここに居たのね。」
諸葛瑾「君を敵に回したくはない。これからは僕が使者となって、呉軍と劉備軍の橋渡しになるよ。」
諸葛亮「お願いするわ。私の目的は三国鼎立(ていりつ)…天下統一じゃないから。同等に肩を並べることができれば、それでいいのよ。」




 ほとんどトンボ帰りで、おれは建業に戻ってきた。帰った頃にはもう夜おそくだったが、曹操の軍がいまに攻めてこないかと、城の中は何処もざわついていた。良牙から指令を受けてきたおれは、再び議室に一同を集め、説明をした。そのあとシャンプーに、兵を集めて外の防備を固めるよう頼み、おれはまたなびきと話をすすめた。具体的な作戦を決めるためだ。

周喩「おれ達の兵には水上での戦いを教え込んである。真っ向勝負でもかまわないくらいだが、もっと効率のいい策が欲しいところだ。」
諸葛亮「そのことなら、もうだいたい考えてあるわよ。もう一人の方がうまくやってくれてると思うけど。」
周喩「あん?もう一人って?」

それにしてもこの、なびきとゆーのは手回りが早い。こっちはさあこれからだと意気込んでいるところなのに、向こうはその段階をいつの間に踏んでいったのか、もう既に策を練って実行しているという。なんだかな…。

諸葛亮「ウチの君主ってばさぁ、ちょっとした人に『伏龍・鳳雛どちらかを得れば天下を得ることができる』って言われたことがあるらしいんだけど、その伏龍ってのがあたしのことで、鳳雛ってのがホートーのことなのよォ、それが両方目の前にいたもんだから、どちらも捨てがたい!とか言っちゃって、結局二人とも劉備軍所属の軍師になってるってわけ。」
周喩「………で、そのホートーとかいうやつが別行動でうごいてるんだな?」
諸葛亮「そ。」

ホートー、とかいうのが何をしているのかが気にかかるが、そのことを尋ねると「言うまでもないから言わない」とはぐらかされた。言うまでもない…って、考えたらわかることだってのか?なびきのやつ、おれのこと試してやがるな…ふっ、ならばお望みどおり、おれの頭脳で見破ってやろうじゃねえか。

………………………………。
………………………………。
………………………………。
…わ………………わからん。

周喩「(駄目だぁっ!この女の話にはどーーーしてもついていけねぇっ!ぐっぞ〜どう対抗すりゃいいんだっ)」

この話題だけで一日過ごせるんじゃないかってくらい必死に悩むおれをよそに、なびきは呑気に寝てやがる。それでしばらくして、のそっと起き上がったかと思いきや、軽く腰をひねってぽきっぽきっといわせ、白羽根の扇をあおいでおれに呼びかけた。

諸葛亮「ヒントあげよっか?」
周喩「ん、なにおうっ!そんなもんなくったって…」
諸葛亮「外見た方がいいわよ。」

いらねっつってんのに言ってやがんの…くっ…この肩を並べられない的敗北感がイヤっっ。
もう外はとっくに明るい…夜は明けちまった。
ううう…どーすりゃこの女に勝てるってんだ…。

兵「周喩どの!!」
周喩「あんだよっ!こっちは取り込み中でえっ!」
兵「曹操の軍が布陣を終えた模様です!!は………はなしになりません!!」
周喩「何っ!?」

転がるようにとびこんできた物見係の兵士が一人…血の気が引いた表情、戦う前から戦意を喪失している。

諸葛亮「さ、あとはがんばってちょうだいね。」

言うとなびきはその場を立ち去った。
緊張感………いや、戦慄と呼ぶべき空気が走る中、なびきは、諸葛亮という名の劉備の軍師は、ひとり抜け出すように自らの主のところへ戻っていった。

長江の向こうを岸辺から見れば、それは一目瞭然だった。
力の差がありすぎる…いくら水軍を養成したからといって、この光景を見て、恐怖を覚えない者はいないだろう………見たこともない、水平線を横一線おおい尽くす船の大集団。右から左まで、見える限りは全て船。イナゴの大移動のようだといってもいい。船を人と見立てて、巨人の大軍が襲ってきたといってもいい。「(滅ぼされる………!)」そう決定したかのように、思えてしまう。

周喩「これが………曹操軍………」

怖くなった。それと同時に、なにかがおれをつき動かした。おれは焦るように城内へ戻り、何か使命のようなものを感じながらどこかへと向かっていた。途中に、自分があかねの居る場所へ向かっていることに気がついた。

周喩「あかねっ!!」
小喬「ら、乱馬っ…?」

起きて間もないあかねは、形相を変えたおれの様子をみて単純に驚いたようだった。
よかった、外の様子にはまだ気付いてない…。

周喩「あかね、絶対に城の外をのぞくなよ!いいなっ!」
小喬「どっ、…どーいうことなの?何があったの?」
周喩「わけは言えねえっ。ただ…おれが戻ってきて、いいと言うまで、絶っ対に外に出るなっ!城壁の屋上にも行くんじゃねえぞ!」
小喬「???何か見ちゃいけないものでも…?」
周喩「あ〜も捜索せんでいいからっ!いいな!」

必死になっているのが自分でもわかる。何か見ちゃいけないものが、あるんだ。こんな恐怖…あかねには与えたくねえっ。

小喬「………………………?」
周喩「返事はっ!?」
小喬「何があるってのよ…?」

………きっっ、聞き分けがねえっ!!

周喩「あかねっ!」
小喬「っ………」

思わず、荒い声をあげてしまった。
あかねの顔がいがんだ瞬間にしまった、と思ったけど…。

周喩「…ごめん、きつく言い過ぎた………このままじゃおめえ、本当に外のぞいちまいそうだからよ…。」
小喬「………見なけりゃいいのね?」

わるいことしたなと思ったあとに、彼女は理解を示してくれたようだった。

周喩「ああ…もうすぐ戦いが始まる。…怪我人が運ばれてきたら、よく看護してやってくれ。」
小喬「………分かったわよ。余計な心配してないで、しっかりやって来なさいよ。」
周喩「………………………」
小喬「乱馬…?」
周喩「………余計な心配でわるかったな。…ったく、こっちは必死なのに、かわいくねえっ。」
小喬「どういうことなの、いったい外でなにが………?」
周喩「聞いてどーすんだよ。おれが守るんだからおめーは大人しく守られてろっ。」
小喬「………………」

…まだワカラナイって顔してるな。ったく、こんなこと何度も言いたくねーのに。

周喩「いいか、おれは必ず戻ってくる。何があっても…国が滅ぶまで死ぬつもりはねえから、おめーはここで待ってろ。」
小喬「乱馬、まさか………」

ここまで話して、あかねはようやく事の深刻さを感じ取ったようだった。

周喩「…なんとか、勝つ方法を見つけ出す。朗報を持って帰ってくっから、大人しくしてな。」
小喬「うん………。あ、乱馬………」

部屋を去ろうと後ろを向いたが、袖を引っ張られて止められた。

小喬「約束して。本当に生きて帰ってくるって。」
周喩「………いや、約束するまでもねえ。おれを信じろ…!」
小喬「でも………ねぇちょっと!」
周喩「約束を信じてほしいわけじゃねえんだ。おれを信じてくれ…それがおれの力になる。」

最後にそれだけ言い残して、相手の反応も見ずに、今度こそ立ち去った。



赤壁の巻、2へつづく




作者さまより

注釈:

今回は三国志のハイライト、赤壁の戦いの前編でございました。金之介が中華服を着てるところ、想像できませんな…。

まず孫策亡き後に、跡継ぎとして孫権が選ばれ、その補佐役として周喩が任されたのは本当。ところで周喩は「外政」専門で、内政は張昭が補佐役として回っていました。あと章安に孫権・周泰を配置し、水軍の訓練をさせることにしましたが、これはわたくしの勝手なストーリー進行でございます…もともと水軍の指導が得意なのは周喩だったはず。

曹操女ったらし説は、本当にあるものです。部下の嫁と夜遊びをして、あげくその部下の親類に恨まれて夜襲をかけられ死にそうになったという場面は、曹操のシナリオにおいては一大事件だったものでして。北の美女・甄氏を息子の曹丕にとられた時もちょっといぢけてますし…(これ、正史抜粋。)それで二喬も狙ったのか…その真意こそはっきりしていませんが、「二喬を手にして余生を楽しく過ごす」的な詩を部下が呼んで曹操が喜んだ、という記述はあります。さらに諸葛亮がその話を持ち込んで、呉軍の中に単独で侵入して周喩の寝床に出現した、というのは演義に記されておるわけで。今回、けっこうフザけた展開に見えますが実は三国志に割と忠実なのです。

ところで周喩と小喬の純愛について。「二喬が狙われている」という諸葛亮の密告を聞いた周喩は、それをきっかけに完全にふっ切れて曹操軍との交戦を主張。反対派の張昭を振り切って孫権に決断を迫ったといいます。かたや、仁愛のカタマリで知られる劉備ですが、民や部下を大切にはするものの、妻だけは仁愛の対象外にされてしまっています(あんまり具体的にかくと劉備のイメージダウンになるんで伏せておきますが)。それが当時の中国の考え方だったんじゃろーか…と、現代人としては「?」が浮くところなのですが。ということは、周喩は時代の思想に反するほどにひたすら小喬を寵愛していたってことになるんですなコレ…。



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