◆鉱山に降る雪は
しょーすけさま作


T.Somewhere I Belong



とかくも鉱山に降る雪は

散はらはらと細かく舞い

この灰色の土砂の荒野に

白を有無なく載せていく



 …なんで俺がこぉんな寒い山脈で土木作業せにゃならんのかっ?
「修行」と銘打って、親父に推されて俺はとある鉱山にやって来た。
当の親父は家でパンダになってごろごろしてやがるんだが、とにかくそこで依頼された仕事の内容を聞いて、呆れた。
本当になにもない、こーも石ころと乾いた土ばかりで取り留めのないような所によくもまぁ鉱学研究所だかなんだかを建てようと思ったもんだ。まったく学者ってのは…。

「おい乱馬、ふてくされてねーで手伝えっ。」

白い息をはあはあと吐きながら、鉄筋を持ち運ぶ作業員たち。俺と、それから良牙もその一員だ。
良牙のやつは…ちょうどPスケとして天道家に居ついてたもんだから、親父の話を横で聞いて、急に風呂場にかけ込んで人に戻って、「おれも行かせてくれ!」ときた。それで俺と良牙の二人でここに来ることになったってわけ。
「良牙…おめーもよく真面目に働いてられるよなあ。」
「これがお前の親父さんの言ってた、修行だろ。」
ヘルメットを被って軍手をして、それで重い物運んでハイおつかれってかぁ?冗談じゃねえやいっ!それももう6日目だぜ?なのに建てる予定の研究所ってのが、これまただだっ広い代物だそうで、いっくら仕事しても完成形のひとつも見えてきやしない。土地は、それこそいくらでもあるからと、ショベルカーやらダンプカーやらが何台も構えて凸凹の地盤を平らにして使えるスペースを広げていってる。
「あのくそ親父、単に金が欲しくなっただけなんじゃねーだろーな…」
そういえば家を出る時、仕事の紹介をしてやったんだからもうけた金は半分よこせとか言ってたような。自分のポケットマネー欲しさに息子を働かせてんのか、あの親父は。

「こっち二人ほど要るんだけどー。」
「はいっ!今行きまーす!ほら乱馬っ。」
「…わーったよ。」

また今日もこんな調子で、終わりの見えてこない力仕事をして日が暮れる。
なんせ高い山の上だ。正午のいっときを除いて、ほぼ一日中、氷点下。雪はちょっとでも降れば、なかなか溶けずに残るらしい。
仕事をする野郎どもの詰所に戻る。せせこましいボロ屋で、部屋がいくつか。俺と良牙は相部屋となっている。
まかないは出るから食い物には困らない。
足りないのは、飯よりも修行としてのメニューだ。
「…なあ良牙、」
部屋の中で、一日使った筋肉をほぐすためストレッチをしながら俺は良牙に声をかけた。
「なんだ?」
「このまま仕事だけやって一日を過ごしてたんじゃあ、力はついても格闘の勘はニブる一方だぜ。そう思わねーか?」
良牙は、窓の外を見ている。曇った空に、荒れた灰色の地、雪がところどころに小さく積もり、鉄筋が何本も寄せ集めて置いてあったり、不恰好に刺さってたり。遠くの方にはクレーン車が並んで止まっている。なにも見たい風景じゃあるまいに。
「確かにな…ここは日常の風景とは離れた場所だ。何も考えてなかったら、そのまま流されちまうかも知れねえ。」
「…俺は修行をしに来たんだ。このまま筋トレだけやって還るなんて御免だぜ。」
「ほお…。」
「…いっちょ、やらねえか?」
俺はこぶしを良牙の方に突きだし、一戦交える誘いをやった。だが良牙は。
「…そのうちな。」
浮かない顔でお断りときた。
「なんだよ、せっかく誘ってやってんのに。」
「気分が乗らねえんだ。…いまは仕事をしっかりやる方が優先だ。」
っちぇ。のってくれると思ったんだけどな〜。

なんだかすべてがローペースだ。
ここでは仕事も、自分の修行も、思うようにぱっと進まない。
おもしろいことも特にねーなぁ。
この状況を、うまいことやり過ごすのが俺にとっての、人間としての修行にはなる…のか?そんな事マジメに考えるたちじゃねえから、よく分かりゃしねーけど。
良牙は静かになっちまうし、ほかにもガタイのいい奴は多いがどいつも格闘とは縁がなさそうだ。
はあ、寒い。山ん中の生活は慣れてるつもりだけど、やっぱ寒い。
どうすればいいかなぁ。

「…はあ〜あ。なーんでこんな辺ピなところに、鉱学研究所なんぞを造ろうと思ったんだろうな。」
「、そりゃーここがでっかい鉱山だからだろ。」
「あ、そうか。」
前々からあった疑問を吐き出すようにしゃべってみたら、簡単なツッコミで返されちまった。こんな事もわからんかった俺って…なんか、カルチャーショックでも受けてるのかな?なんだかそんな気がする。
「ただここは確かに、他に何にもないところだ。ずっと山脈が続いているだけだから、不便っちゃあ不便だよな。迷ったら生きて帰れるかどうか…」
「そっちの心配してんのかよ…。」
「うるせえっ。おれにとっちゃ深刻な問題だ。」
さっきから窓の外ばっか見てると思ったら、そんな事を考えていたのか。
「…あかねさんに会いたい。」
そう、ぽつりと呟いた。
あかねに会う、とかゆーよりは安息の場所を求めるような感じだ。おうちに帰りたいって言ってるようなもんだと俺は思うんだが。
「俺も、あのくそ親父ひとりでいいから稽古の相手が欲しいもんだぜ。」
やる気の失せた良牙に皮肉を込めて言ってみたが、これの返事はかえってこなかった。




U.CRAWLING



 のろのろと進む日々は今日も続いている。昼方になって、ようやく「倉庫」のひとつが形になってきたようだ。鉄筋の骨組みの隙間に、コンクリートを流し込んで壁をつくっている。
「乱馬、水のありそうな場所を捜せだとよ。」
相変わらず生真面目に働いている良牙が、現場チーフから指令を受けてきた。
「水?何に使うんだ?」
「雪が積もってきてるから、溶かすんだと。」
なるほど、雪を溶かすのに水…か。でっかい暖房でもありゃあ便利なのにな。
「湖でもあるといいんだが…」
良牙がそう言って遠くを見渡す。しかし、少なくとも近くにはそんなもんがあった記憶はない。
「歩いて捜すしかねえな。…乱馬、はなれるんじゃねーぞ。」
「それは俺の台詞だっ。」
なんか、良牙のが上司っぽくなってきてるような…そりゃ程よく手ェ抜いてる俺と良牙とじゃあ仕事ぶりに差は出てくるだろーけどよ。(つっても俺だってけっこう頼りにはされてんだぞ)
ヘルメットを外し、俺と良牙は湖探しに出た。
吹いてくる風はゆるやかだが、それでも服を貫通するほど冷たく、ある意味身体は鍛えられる。
とはいえこうも寒い白い何もないじゃあ、だんだん気が滅入ってくる。
雪がいくらか強く降ってきた。視界がわるい。


「…なあ良牙、本っ当にこの先に湖があるんだろ〜な?」
「知るかっ!なくても見つかるまで捜すしかねえだろっ!」

作業現場を離れ、まっっすぐ進むことしばらく。まったく何も見えてこない。これこれこうすればいい、みたいな仕事じゃねーから、出来るという保障は正直ない。つまり、この辺りに水のある場所というもの自体があるという保障も、ない。
「何かこう、要領よく捜す方法はねーもんかなあ?」
ちょっと、思ったことを言ってみた。生きるうえでいいヒントになると思わねえか?こーゆー言葉を、口に出して言うのって。
「…そうか、ここは山だったんだったぁ!」
「な、なんだいきなり?」
ちょっとろれつの回らない言いまわしで、良牙が声をあげた。
「山ってことは、谷の方に行けば川があるかも知れねえっ。」
「あそっか。そーだよな。」
そーだそーだ。忘れてた。
ここで俺ら二人は向こうにかすかに見える別の山の方へ、向かうことにした。
目標が定まれば、歩く速さも自然とあがるってもんだ。

ここは灰色の山脈。
いま俺がしているのは、帰りたい時に帰れるような出かけ修行とも、あてのない旅とも違う。仕事を達成しなくてはいけない。俺にしてみれば、なんだか変な気分だ。
あかねは今頃、ぬくぬくとこたつにでも入ってんだろーな。そりゃ、それで普通だ。冬なんだから。
…なんだかますます、ここに来た意味がわからなくなってきた。

「絶っ対、親父の金稼ぎだ。」
ぼそぼそっとこぼしたが、良牙には聞こえていなかったようだ。
「おい見ろ、あれ!」
「ん?」
指をさして、遠くにある池らしきものを良牙は指摘した。
近づいてみると、思ったよりも大きく、湖というべきかなんとやらかなものだった。向こうの方がやや傾斜になっているようで、川がここからできていた。
「しっかし、」
「…完全に凍っとる。」
叩けばこんこんっと鳴りそうな氷面。まるでスケートリンクだ。
「よしっ。こういう時は、」
良牙はその氷の岸でかがんで、人差し指をつき立てた。
「爆砕点欠!」

バカッ

どばしゃぁ!

「クィーーーーー!!」

崩した勢いでそのまま落ちてどーする…。
「おめ〜、風邪ひくぜこんな寒い時に。」
まーこんなこともあろうかと、魔法瓶にお湯を入れて持ち歩くのがもはや俺らの中では常套手段なんだけどよ。懐から取り出して、Pスケにかける。
「し、死ぬかと思った…。」
確かに、風邪をひく以前に心臓発作も起こしかねないところか。危ない危ない。
「このあほっ。しかもあんまり割れてねーじゃねえか。」
爆砕点欠で崩せたのは、ほんの人がハマれる程のスペースだけ。
「こりゃあ大技でぶっ飛ばすしかねえな〜。」
「大技か。乱馬、肩よこせっ。」
「だから俺もやるってのっ。」
まったく、良牙のやつも頼れるんだかそーでもないんだか。
体勢をたて直し、俺と良牙は横に並んで腰を低く構えた。
体の中に気をため、目前の氷面を見やる。
「…いくぜっ!」
「おう!」

「猛虎高飛車!!」
「獅子咆哮弾!!」

ドガガガガガガガガガガガガガガガガガガガッッッッ

「ひょおっ!派手に吹っ飛んだぜ!」
氷は見事に砕かれ、下からきれいな水が。
「よしっ。それじゃ戻ってこの場所を報告するか。」
「ああ。」
「乱馬、頼む。」
「ん?」
みっしょんこんぷりーつ、と喜んだはいいものの。
「おれはどうやってここまで来たか憶えてないぜ。」
…ぽんっと俺の肩に手を置く良牙。って、俺もあんまり憶えてねーぞ!?
しまった俺と良牙しかいないんだから、こーゆー時に俺がしっかりしなきゃいけねえんだったぁ。
帰れるかな…………

頭ん中真っ白の俺に、フォローを入れる良牙。
「と、とにかく歩き出さねーと。そうだ、雪もちょっと積もってきてるから、足跡をたどっていけば…」
「足跡……」
確かに、足跡が残っていればそれをたどって戻ることはできる。が、この雪の降り具合だ。
「ほとんど残ってねえぜ、足跡なんて。」
ほんの数メートル内ぐらいの範囲のがわずかに認識できるだけ。
仕方がないので、そのわずかに残った足跡のところから歩き出し、あとは勘で行くことになった。
もう仕事の心配をしている場合でもない。自分の生命の心配をするばかりだ。




V.NUMB



「…ったく、なんでこんな事してなきゃいけねえんだ。」
無意識に洩れる溜め息と愚痴。とにかく今のこの状況を脱出したい一心で歩いてるようなもんなんだが、ついに何処をどう行けば現場に戻れるのか、全くわからなくなってしまった。
はぁ… とまた溜め息が勝手に出てくる。
「…それ以上溜め息つくなっ!こっちまで疲れてくる。」
良牙のやつもイラチがたまってきてるようだ。
「だ〜ってよぉ、こんな何の得にもならんよーな事ばっかして、意味がねえってもんじゃねーか。」
こないだからずっと、このことばかり言ってる自分がいる。修行がしたい、修行がしたいと。
それが叶わないところに自分がいるんだというのに、それでもあきらめをつけることができないからだ。
「おまえまだそんなこと言って修行にこだわってんのか?」
「当ったり前だろーがっ。そのうちイイコトあるさ〜なんて言う気分にゃならんぜ?」
こんな場所で、心暖まるような言葉を吐こうってのは、ちと無理があると思うんだ。できやしねえ。この場所、自分が置かれた状況に、俺は気を許していないんだろう。よしんばこの仕事が無事終わったとして、俺は「いい仕事だったよ」な〜んて言うつもりはねえっ。
「そうか…。」
俺の言ったことが心にツンと引っ掛かったのか、良牙はあっちの方を向いて「そうか…。」の一言。なんでえちょっとは分かってくれるかと思ったのによ。
「…そろそろやめにしね〜か良牙。帰って九能やムースとやり合ってる方がまだいいって、つくづく思うぜ。」
「………………」
「おめーだってそうだろ?‘あかねさんに会いたい…’とか言ってぇ〜」
「ぐっ、きさま言わせておけば…」
「ぉ、やるかっ!?」
良牙が拳を握った。ようやく、俺の相手してくれる気になったみてーだな。うん、よかったよかった。

「往生しろっ!」

声を揚げて良牙はかかってきた。
このだだっ広いフィールドだ。いくらでも走り回りながら戦える。

俺と良牙はおおっぴらに跳びあがったりしながら、いつになく派手にやり合うことができた。

きっとうっぷんが溜まってたからだろーな。雪が目に入ってくるのも気にせず、良牙もまた我を忘れて俺と向かい合っていた。

いままで違和感のある空間だったのが、こうすることで違和感のないものになった。雪山の孤独感も仕事のプレッシャーも、かじかんだ指先といっしょで、もはや感覚がなくなっていた。

灰色の大地に、降り続ける雪。もう辺りはほとんど灰色より白で埋め尽くされてきて、そのでこぼこの地面を駆け回って俺たちは今戦っている。

良牙が爆砕点欠を撃てば、雪に覆われた地面が破裂して、灰色の固い土が顔を出す。

「どうした良牙ー!まーだ身体があったまってねえのかー?」
「なに余裕ヅラかましてやがるっ!おめーの技も切れ味が悪いじゃねーか!」

白い息が荒々しく立っている。実際、いい具合に心臓が高鳴って、寒い空気に押しやられないぐらいの気合は出ている。

「やはりきさまのような根性なしには、あかねさんは任せられん!」
「なんだとうっ!誰が根性なしだ誰がっ!」
「おれは帰ってあかねさんを幸せにしてやるから、きさまはこの鉱山で果てろっ!」
「よく言うぜこのやろ!仕事が優先じゃなかったのかー!?」
「なっ…仕事が終わったらの話だ!」
「ま〜たそんなこと言って〜。良牙くんの根性なしや〜い」
「それはお前だぁっ!」
「俺は根性なしじゃねえーっ!」

拳を交わしながら、なぜか口では根性あるなしの言い合いになってしまった。分かっちゃいるけどこれって子供のケンカだよなあ。

「東京まで飛んでいきゃあがれ!獅子咆哮弾!!」
「おわっと!?今のでけぇぞ!おめーストレス溜まってんじゃねえのか!」

勢いまかせで悪口雑言の飛ばし合い。そいでもってとっ掴み合いになる。

…どれだけ走り回っただろうか。夢中になっていたもんだから、なんと無事に元の建設現場に辿り着いていたことに、しばらく気が付かなかった。

「てめーそんなに帰りたきゃブタにして冷凍パックで郵送してやらーっ!」
「きさまこそとっとと帰って猫みたいにこたつで丸くなってろっ!」

ふたつめの倉庫がいくらか出来かかっていた所に、俺らはとっ組み合いしながら突っ込んでいった。

がらがらがらがらがらがらがらがらがらがらがらがら

「のわ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!?」

柱の溶接がまだだったのか、ぶつかった途端にどんどんと倉庫は崩れていき、ついに全崩壊してしまった。
「あれ、ここは…」
「現場か…。戻って来れたのかおれ達!」
崩れた鉄筋の中から顔を出し、周りを見回してようやくここが現場だということを認識した。

「お、おまえらなぁ………」
「あ、チーフ…。」
近寄ってきたチーフには、明らかに顔に怒りの相が出ていた。そりゃやばいわな、ここまで派手にやらかしちゃあ。ははは…。

「すんません!すんません!すんません!」
久々の猛虎落地勢。いわゆる土下座型ひら謝りである。本当に久々だなコレ…。
「それで、水のありそうな場所はっ?」
「あ、はい!確かに湖がありました!えっと…」
…あっちの方です、と良牙が指差した方向には、俺と良牙の争った跡がしっかりと。地面がボコボコに掘り返されている。おお、なかなかいい目印じゃねーか。
そしてその方向へと、放水ホースが装備された大型車が走っていった。タンクに水を蓄えて戻って来るんだろう。
この後、俺らは至極こき使われることとなった。仕事が一段落して終了となった頃には、俺も良牙も完っ全に体力を使い果たし、ばたんきゅーとなっていた。

 で、翌日。

「早乙女乱馬、響良牙、君ら2人はもう帰っていいぞ。」
「クビすかっ!?」
「いや、君らの保護者、早乙女玄馬さんからはもともとそーゆー契約で君らを雇うことにしていたんだ。」
「……?」
俺と良牙は顔を見合わせた。そんな事は親父の口からは聞いてないぞ。
とはいえ、俺らの出番はここまでのようだ。現場の作業を他の男どもに任せて、荷物をまとめた俺と良牙は始めに来た時のように、送迎の車に乗せられて山のふもとまで降りて行った。給料は手渡しでもらった。




W.IN THE END



 1週間ぶりにこの町に、そして天道家に帰ってきた。今まで寒い所にいた分、こっちの気温はやたらと暖かく感じた。
「ただいまー。」
戸を開けてそう口にした時、そこに真っ先に迎えてくれたのは、あかねだった。
「おかえり乱馬っ。…あれ、良牙くんは?」
「い、いやそれが…」
い、言えないっ。
あいつと土産を買いに山のふもとの町に出た時、またケンカの続きを始めてそのまま行方不明になっちまったなんてっ。
「そーだ、良牙のやつならあかりちゃんの所に行ったんだ。」
てきとーに思い付いたウソでごまかす。まあ…良牙ならどこではぐれたって大丈夫だろ。良牙なら。
「あ、そーよね。うん、良牙くんにはあかりさんがいるものね。」
ん、なんとかごまかせたのか?あかねのやつ妙にうんうんと納得してるけど。
「ほら、あがって荷物おいてきなさいよ。」
「あ、ああ。」

俺は靴を脱いで2階に上がり、自分の部屋の襖を開けた。
「…?」
勉強机(あんま使っちゃいねーけどよ)の上に、ひとつの20センチ四方くらいの白い箱が。
それを手に取って見て、あっと思わず声が洩れた。今日が何の日だったかも忘れていたんだ。

バレンタイン・デー。

2月14日、そういやそんな行事もあったっけと、今更思い起こす。
「…あかねのやつ……」
その箱には「乱馬へ」の文字が書かれた紙きれと、白い羽根が飾りで付けられてあった。
きれいだ。…市販のものを買ったのかな?
でも中身は、中身だけは、しっかり手作りのものだった。
細かい紙屑に包まれて、粘土細工を思わせるようなイビツな形をしたチョコレートが。たぶん、ハートの形にしたかったんだろうけど。
なんにせよ、間違いなく、これはあかねが作ったものだ。そんな感じがひしひしと伝わってくる。しばらく、ぼーっとそれを眺めていた。胸の鼓動がおさまらなかった。

…食べるの?これ。俺が?…う〜ん。ちょっと待て、一人で食べて一人で倒れても面白くない。あいつの前で食べよう。うん、それがいい。…とりあえず今は食べないでおこう。
これを食べるのは、今日一日の最後だ。

1階に下りて茶の間に入れば、そこには一家全員が集まっていた。あかねはそわそわしてる。他は皆楽しそうな顔を浮かべている。分かりやすい一家だ。
「…親父、ひとつ聞いていいか。」
「なんじゃ。」
「なんで俺はこの1週間、鉱山なんぞにトばされて仕事せにゃならんかったんだ?」
そう、これはとにかく聞きたかったことだ。親父が何のつもりで修行と称して俺だけあの場所に向かわせたのか。…「金が欲しかったからだ」なんて言った日にゃ、みの虫にして道場の真ん中に吊り下げてくれるっ。
「いやなに、あかね君が「準備」をしたいからと申し出てな。」

…へっ?

「あかねったらこの1週間ずっと台所貸し切って、何っ回もチョコレート作りやってたのよ。」
なびきのその一言に、周りが笑顔でこくこくとうなずく。
…ううっあかねの顔が見づらい。とにかく俺は親父に食ってかかることにした。
「つまり、俺は家から閉め出されてたってわけか?」
「人聞きの悪いことを言うでないっ。あかね君はお前にあれこれしているところを見られたくなかったから、ひとまず家の外に居てもらいたかったというだけのことじゃ。」
「だーったら、親父も一緒に出てきていつもみたいに山で修行でもすりゃよかったんじゃねえかっ!」
まあそーゆーことだ。俺がいちばん納得いかなかった点はそこだ。

「愚か者がぁっ!ただの修行より金が入った方がいいであろうが。貴様の手に入れた金を、この際に有効に利用するつもりはないのかっ。」

「親父……」
…それってつまり、俺の方からバレンタインのお返しをするための、資金稼ぎをさせてたって事なのか。何も考えずに不満たれて働いてた俺って一体…。
「乱馬くん、分かってるよねえ?」
「お、おじさん…」
ことさら面白い顔をしているのは早雲おじさんだった。俺の両肩に手をついて、正面きって言い放った。
「行ってきなさいっ!バレンタインデート!」
「乱馬、行ってくるがよいっ!」
「よっ、おふたりさんっ。」
「素敵な話ねえ。」
「乱馬、いってらっしゃいな。」
「わしらは祝言の準備をしとくからな〜。」

帰ってくりゃこれだ。なんだかいつもの光景が、今日は暖かいものに思えた。
…って、「いつもの光景」どころじゃねえのかっ!バレンタインってことは、“あいつら”の争いが一層激しくなるわけで…
「あかね、今日はできるだけ遠くへ行くぞ…」
「えっ?」

俺はそいつの手を引いて、他の女性陣に見つからないように走り出したんだ。
確かに金ならある。遠くまで行って、それから………それから……帰ったらチョコを食べるんだっけな。
今、いい時間を過ごせている。なんだか仕事中にぶつくさ言ってた自分にちょっと、後悔した。あんなにボロクソに思うことなかったのになって。




一方、良牙は――――

「くっ、考えてみれば今日はバ・レ・ン・タ・イ・ン…一人で歩いている場合ではないというのに…乱馬のやつめ、いくら喧嘩の流れとはいえ、おれを置いてそのまま一人で東京に帰りやがって…」
土産の野沢菜漬けを片手に、焦った表情でとある街を彷徨っていた。
「一体ここは、何処なんだあーーーーー!!」

「良牙さま!」

「あ、あかりちゃんっ!?」
不意に後ろから声がして、振り返ると、ここにはいないと思っていた人がいて、驚いた。
迷える男を呼んだその声の主は、この男のガールフレンド。
「よかった…なかなか連絡がつかないものですからどうしたのかと…」
少女はかけ寄って、良牙の目の前まで来た。
「あ…あの……」
何かを言いかけて、視線を落とす。良牙の右手には、ひもでくくられた、野沢菜漬けの入った瓶が。
「あ、…どこか行ってらしたんですか?」
「あ、あぁ…山の方に、修行に。」
言葉に詰まりながら、返事を返す。
「ずいぶん遠い山まで行ってきたんですね…。」
「あ、そこでついでに、金が入ったんだ。」
「働いてたんですかっ?」
「いやぁ…金はついでにもらったよーなもんなんだけど。」
あくまで金目当てではないということを、野暮ったく強調する良牙。
「良牙さまは、修行熱心ですものね。」
少女は持っていた鞄から、ひとつの紅い箱を取り出し、男に言葉も出さぬまま手渡した。

「…どこか行こうか?」
「…はい。よろしくおねがいします…。」

そのまま二人は歩き出し、手をつないでゆるい坂を下りていった。








作者さまより

ふと、思い立って書いたモノです。(しかしよりによってこの時期に…)リンキンパーク聴きながら情景を思い描いていたんですが、最後の展開以外ははっきり言ってノンシュガーノンカロリー状態…意図的にそーしてます。過去&現在の自分、いろいろがここに出てくる乱馬・良牙に投影されてまして。その分、本当のらんまより面白くもなんともない(苦笑)。いいのです。自分のなかの、あんまり美しくもない部分を吐き出すことででき上がる作品もあるということで。暗いぜちくしょ〜っと気分を害された方おられましたら、謝罪申し上げます。m(_ _)m
悩んでも、寝て起きたら気分よくなりますから。強いて言うなら、どこか人のつよさみたいなものを描きたかったのかも知れません。


そうだ・・・バレンタイン・・・(滝汗)最近お見限りのバレンタイン小説…。

でも、人様のバレンタイン作品を読ませていただくのは楽しいもの。
鉱山でアルバイトって大変そうですね。
手作りチョコは幸せ者の証でしょうか?・・・我が家のどら息子、今年義理チョコでももらえるんでしょうか。娘は友チョコ作りに精出すそうで・・・。私はパス(ぉ
信州は雪が多そうですね。生駒は・・・降りますが積もらないです。戦前には生駒山にもスキー場があったそうですが(信じられないなあ・・・)
(一之瀬けいこ)


Copyright c Jyusendo 2000-2005. All rights reserved.