◆手を繋ごう
桜月さま作


 4月1日。エイプリルフール。世間では嘘を言っても差し支えのない日。
 今年のエイプリルフールは本当に嘘のような天気だった。
 4月だというのに低気圧の前線の影響で、夕方から東京にも雪がちらつき始めたのだ。
春の雪なので水分を多く含み、積もりはしないだろうが結構な寒さである。
 そんなどんよりとした空から、ちらちらと雪が舞い始めた夕方。
 トントン…トン。
 天道家の台所では、かすみの手によって包丁の軽やかな音が奏でられていた。
 鍋には早雲の大好きな煮物がコトコトと音を立て、テーブルには色とりどりのサラダ、和え物が所狭しと手際良く並べられる。
 玄馬でなくともこっそりと思わずつまみ食いしたくなるような数々の料理だ。
 天道家の食事は品数も揃っているが、普通の家庭より量が圧倒的に多い。大皿に盛り付
けられた量はまさに、壮観の一言。
それもそのはず、天道家は居候を含めて総勢八人。しかも、食欲旺盛な育ち盛りの少年と大食いのパンダを含むので、食事の量も半端じゃないのだ。

「あら、いけない」
 野菜を取り出そうとした時、はたとかすみは冷蔵庫に張りつけてあったチラシに気付いた。チラシには商店街春の特別セールの文字。先週かすみがチェックしておいたものだ。
 天道家の収入は、早雲の道場で生徒達相手に行われる稽古と玄馬がたまにする出稽古の謝礼だけなので、かすみはセールの時になるべく買いだめをして、家計を遣り繰りしてい
た。八人もの大所帯ともなれば、なかなか大変なのである。
(あかねちゃん達に頼もうかしら…)
 かすみは喧嘩をして、ふて腐れて学校から帰ってきた二人を思い浮かべた。
 仲が良いほど喧嘩するとはよく言ったものだとかすみは思う。心の底では、お互い想いあっているのに、それを表すことができない、「不器用」の言葉を地でいく二人なのだ。
 かすみはそんな二人を微笑ましく見ていた。
 きっと今頃、意固地な二人は仲直りするきっかけを探っているに違いない。

 一方、天道家の居間。
 あかねと乱馬はかすみの予想に違わず、お互い意固地になっていた。学校から帰ってき
てからというもの口もきかず、顔を背けたまま。
 顔をあわせたくないのなら、部屋に篭ればいいものを、そこは複雑な性格の二人。お互
い仲直りのきっかけを探っているのだった。

 (ったく。可愛くねぇヤキモチ妬きやがって。俺だって、好きで抱きつかれたんじゃねぇ。右京やシャンプー、小太刀達が勝手に追いかけてきただけじゃねぇか。おもいっきり殴りやがって。)

 (なによ。乱馬のやつ。そりゃ、私の可愛くないヤキモチってわかっているけど…
乱馬だって悪いんだから。鼻の下のばしちゃってさ。バカ。…)

 それぞれの思惑が交差する中、居間はどろどろと暗雲が立ち込め、近寄りがたい雰囲気である。
 「いやぁ〜。まいったね。玄馬君。」
 「ばふぉ。」
 早雲と玄馬は縁側で指し将棋をしながら遠巻きにして二人の様子をこそこそと見ていた。
触らぬ神に祟りなしといった心境か。いや、パンダの方は大きなタンコブができていると
ころを見れば、すでに息子に祟られたらしい…
 「あかねちゃーん。乱馬君。ちょっとお願い。」
 その時、台所からかすみの柔らかい声が居間まで響いた。
 渋々、乱馬とあかねはフンと顔をそむけあいながら、台所を覗く。
 「なぁに。お姉ちゃん。」
 「あかねちゃん。今日、商店街でセールなの。私、うっかりしていて。悪いんだけど、
二人でお買い物お願いできるかしら。」
 「えー。私だけで、行ってくる」
 あかねが膨れっ面で答えた。
 (なんでぃ。あかねのやつ可愛くねぇな…)
 「だめよ。量が多いんだから。それにもう、暗いでしょ。」
 かすみは駄々をこねる子供をあやすようにあかねに言い含めた。乱馬は黙って聴いてい
る。暗黙の了承というやつだろう。
 かすみは乱馬が暗闇の中、あかねを一人で買い物に出すなんてことはしないのを知っていた。この少年は妹を本当は心底大切に想っているのだ。言葉に表せなくても、目でわか
る。
 「お願いね。乱馬君。」
 かすみはにこにこ微笑むと乱馬に買い物籠とメモを渡した。

 乱馬とあかねが商店街に行くと、セールのせいか、天候が悪いにもかかわらず通りは普段より活気に満ち溢れていた。さすがに特別セール。不景気を反映して少しでも安く買い
物をしようという人で賑わっている。行き交う人々も主婦から会社帰りのOL、サラリーマンとさまざまだ。
 「えーと。あとは八百屋ね」
 人ごみの中、あかねはメモを見ながら後ろにいる乱馬を振返った。
 「うわっ。あぶねぇ」
 危うく乱馬があかねにぶつかりそうになる。
 「ちょっと。乱馬。さっさと歩いてよね。まだまだ、いっぱい買うものあるんだから」
 「あんだと!おめぇこそ、人に荷物倍くらい持たせてよく言うな!」
 「当たり前じゃない。男でしょ。」
 「けっ。都合いい時だけ、か弱いふりすんじゃねぇよ」
 「なんですってー」
 商店街のアーケード通りのど真中で二人がまた、一触即発の状態になった時だ。
 「あんちゃん達、仲いいねぇ。仲がいいほど喧嘩するとは良く言ったもんだ。どうだい!今日は寒いから二人ですき焼きなんかにしたら。ねぎなんか安くしとくよ」
 八百屋の店主が威勢のいい声をかけた。
 その声でハッと我に返る乱馬とあかね。通りすがりの人達が、自分達に注目しているこ
とに初めて気付く。よく見ると、中には自分達を避けて通りすぎる人もいた。
 「やっ。やだ。私達別に…あっ長ねぎとしめじください。」
 あかねは慌てて顔を紅くしながら言った。人前でなりふり構わず乱馬と喧嘩したことが、今になって恥ずかしさを増してくる。
 そんなあかねの様子を見て微笑ましく思ったのか、八百屋の店主はこれまた顔を赤くしている乱馬に豪快に笑いながら言ってのけた。
 「毎度ありっ!あんちゃん幸せだねぇ。こんな可愛い彼女の手料理食えて。」
 「な゛っ」
 言葉につまる乱馬。どうやら、八百屋の店主は、あかねが恋人である乱馬に手料理をごちそうすると勘違いしてるみたいだった。
 「ちっ違…」 
一気にかぁと顔が熱くなる。乱馬は手足をバタバタさせながら否定しようとしたが、言いかけて言葉を飲み込んだ。
 (なっなんだ?あかねのやつ…)
 見ると隣には、頬を紅に染めたあかねの嬉しそうな笑顔が見えた。そして、
 「やだぁ。おじさんったら…」
バシンと八百屋の背中を叩くと
 「みかんとりんごも買っちゃおうかな…でも、値引きして」
なんて言ってる。
 喧嘩していた時のあかねとは打って変わって可愛い。
 (まぁ。いいか…)
 乱馬はムキになって否定する気も無くなり、黙って一緒に冷かされることにした。いささかくすぐったい気もするが…しょうがない。

(やっぱ、女ってわかんねぇよな…)
 乱馬は歩きながらチラッとあかねを見やった。
 隣を歩く許嫁は喧嘩腰だった時の不機嫌さは微塵も感じさせず、今はむしろ機嫌が良くなっている。それも、八百屋で買い物をしてからだ。
 八百屋でのやり取りが仲直りのきっかけになったことは乱馬にもわかっていた。
 いつもの仲直りの時と同じに、お互い「ごめん」の一言は無いにしろ、険悪な雰囲気も無くなり普通の会話ができるようになったからだ。
 意地っ張りな性格の二人の喧嘩終焉の合図。大抵、乱馬が喧嘩した後、折れてあかねに話しかけるのが常なのだが、今回はそれも珍しくあかねから話しかけてきたのだ。
 乱馬にはどーしてもわからない。
(あんなに冷かされて気恥ずかしい思いしたのによ。女って変な生き物だな…)
 極度の照れ屋の乱馬には、あかねの乙女心を理解するのはまだまだ当分先のようである。

 その後、順調に乱馬とあかねは買い物をし、二人で協力しながら買い物を終える頃には自然に打ち解けていた。本人達は気付いていないが、かすみの策略が見事に当ったのだった。
 「あっいけない。」
 商店街のアーケードを抜けてしばらく歩き始めた頃、あかねが突然声をあげた。
 「なっなんだよ。」
 乱馬はビックリしてあかねを見た。
 「手袋落しちゃった…」
 「え゛っ…」
 「買い物する時、邪魔になるから外してたんだけど…」
 コートのポケットをもう一度あかねは見たが空だった。
 「ったく。ドジだなぁ…」
 「なっ。なによぉ…」
 小声であかねは反論するが、勢いがない。悔しいが、言われても仕方ないと思ったのだ
ろう。いつもなら反撃にでるところを眉を顰めるに留めている。
 「しょうがねぇな…あかね。お前ここで荷物見て待ってろ。俺、探してくるから」
 「えっでも…」言いよどむあかねに
 「お前が行くより、俺のほうが早い。それに、大事な手袋だろ」
 乱馬はそう言い残して、商店街へ向かって軽々と身を翻した。おさげを揺らしてあっという間に少年の後姿は暗闇に溶け込んで行く。
 あかねはそんな乱馬の後姿をじっと見つめていた。


 (乱馬遅いな…)
 腕時計を見ると、乱馬が去ってから15分。
 時間が経つにつれて、あかねに寒さと不安がふつふつと忍び寄る。しかし、暗闇から少年が戻ってくる気配はない。
 なかなか見つからないのかもしれない。何しろ、あかねにもどこで落したか見当がつかないのだ。
 冷たい夜風が容赦なく彼女に吹き付けられ、あかねはふるっと身体を震わせた。
 「寒い…」
 今頃、寒空の下で、一生懸命手袋を探し廻っているだろう少年の姿が、あかねの脳裏に浮かんだ。喧嘩しても、悪態ついても、根本では乱馬はあかねに対して優しいのだ。
 いつだって、困っている時は側にいて手を差し伸べてくれる。当たり前のように自分の隣にいてくれる乱馬。本当は当たり前のことじゃないはずだ。
 それなのに、自分は今日も右京達に可愛くないヤキモチを妬いた。右京達が素直に乱馬に気持ちを伝えたり甘えたりするのが羨ましくて…つい、心にもないことを言ってしまった。思っていることと反対のことを言ってしまうこと。それを人は嘘という。
 (私って嘘吐きなのかも…エイプリルフールか…)
 じゃあ逆にいつも吐いている嘘の反対…自分の素直な気持ちを伝えたら?…乱馬どんな反応するだろう…嘘と思って「騙されねぇぞ」なんて言うかな…やっぱり…
 そう思ってあかねははぁと深い溜息を一つ吐いた。

 一方、乱馬は20分ほど経って、やっとあかねのもとへ戻ってきた。一生懸命、走り回って探したのだろう。彼の頬はほんのり上気していた。吐き出す息が白く寒空に散る。
「あかね。探したんだけど…八百屋で片一方しか見つかんなかった。ごめんな。」
 乱馬はそう言って、ピンク色の手袋を片方だけ、あかねに差し出した。少し、汚れてしまっていたが、間違いなくあかねの手袋だ。
 乱馬はあかねがこの手袋を大事にしているのを知っていた。以前、学校で友人に何処で買ったのか尋ねられた時、嬉しそうに「かすみお姉ちゃんが編んでくれたの」と言っていたからだ。
 姉が自分のために好きな色を選んで、編んでくれたのが嬉しかったのだろう。優しいこの許婚は大切にいつも手にはめていた。
 だから乱馬は捜してやりたくて駆けずり回り、やっとの思いで八百屋の片隅にちょこんと落ちている二つの手袋を見つけたのだ。
「あっありがとう…」
 あかねは素直に礼を言って片一方だけの手袋を受け取った。左手にはめてみると柔らかい毛糸の温かさが伝わる。
 「温かい…」
 「片一方じゃ、どうしようもねぇけどな…」
 乱馬は歩きながら、あかねの手袋をしていない片方の手を見つめた。荷物を持ってない右手は、雪は止んだが冷たい風に吹かれて少し赤くなり始めている。あかねは、右手が悴
んできているのか、時折、息をかけて温めていた。
 (冷たそうだな…)
 乱馬はそう思って自分の荷物を持っていない左手をギュッと握り締めた。少しだけ、嘘を吐いた良心の呵責が乱馬の胸の内を襲う。両方とも渡していればあかねにこんな寒い思いをさせずに済んだのだ。
 けれど、今日はエイプリルフール。嘘を吐いても許される特別な日。これを利用しない手はない。
 (よっよし…さりげなく…手をだして…と。)
 乱馬はあかねに気付かれないように呼吸を整えた。心臓がバクバクと鳴り出すのを抑えて、ギシギシとあかねの手に自分の手を少しづつ近づける。
 (あかね。こっち見るんじゃねぇぞ…)
 祈るような面持ちで手を近づける。
 あと、もう少し。あと指3本の距離だ。
 ドキドキドキ。バクバクバク。全身の血が一気に逆流してるんじゃないかと思われるほ
どの胸の鼓動が乱馬を襲う。乱馬の耳にはもう自分の心臓の鼓動しか聞こえない。
 「また、右手分だけ、かすみお姉ちゃんに頼んで編んでもらうわ…」
 ちょっぴり元気無くあかねがそう言って乱馬を見るのと、手が繋がれたのが同時だった。
 (えっ?)
 ぼんっ。
 乱馬の顔が爆発したように赤くなった。
 ゆっくりと自分の手を見つめるあかね。右手が温かい感触に覆われている。見ると、乱馬の一回り大きい手が自分の手を握り締めて固まっていた。
 「きっ今日は寒いから…な。こうすっと少しは温かいだろ。」
 顔を真っ赤にしてそっぽを向きながら言う照れ屋の許婚。そんな乱馬を見てあかねはくすっと笑った。繋がれた手からほんのりとあかねに乱馬の暖かさが染み渡る。
 「うん……温かい。ありがとう…」
 あかねは乱馬の左手をそっと握り返しながらほんのり頬を染めて言った。たまにはいつも思っていることと反対の事を言っている分、エイプリールフールは素直になってもいいのかもしれない。
 「いつも側にいてくれてありがとう…乱馬」
そっと呟いてみる。
 あかねには乱馬に聞えたかどうかわからなかった。それほど、小さな呟き。
 けれど、繋ぎあった手がそれに答えるかのように、心なしかキュッと握られた事に、あかねは幸せな気分になったのだった。








作者さまより
 先日の3月31日。東京は珍しく雪が舞いました。あと一日で4月というのに…めちゃ
くちゃ寒くて、手袋を持って出かけなかったことをすごく後悔したんです!こんな経験は
初めてです。しかも桜が満開なのに雪が降っている!(結構幻想的で綺麗でした。)
 ちなみに私の住む練馬区は夕方ぼた雪で、バスの中でこの話を思いついて、勢いで夜、
書いてしまいました。どうしても乱馬とあかねが手を繋ぐシーンが好きで書きたかったん
です…



寒の戻り。花冷えの季節に溢れる暖かいストーリー・・・
素直になっても良いエイプリールフール・・・なんて素敵な風景なんでしょう。格闘馬鹿、恋愛馬鹿、四月馬鹿。
(一之瀬けいこ)

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