◇月と桜
負けず嫌い(あかね視点)
桜月さま作
結構自分でも負けず嫌いな方だと思う…喧嘩もゲームも…そして恋も…
春休みも残すところ後一日だけとなったある日。
「本当に大丈夫なの?あかね…一人で留守番なんて…」
玄関先で心配そうな表情をするかすみお姉ちゃんに私は胸を張って言った。
「やだ、お姉ちゃんたら。もう、私も子供じゃないんだから。大丈夫よ。せっかくの観劇会じゃない。楽しんできて。」
先日私はお父さんと玄馬おじさんが不在のため、代わりに町内会で主催した『痴漢撃退法』の講習会に集った人達を指導した。そのお礼として観劇会のチケットを町内会長さんから3枚もらったのだった。そのお芝居は結構有名な舞台俳優が出ているらしくて、町内会長さん曰く、プラチナチケットだから絶対見ないと損をすると力説していたものだった。
そんなわけで、私はお芝居が好きなかすみお姉ちゃんとのどかおばさんに勧めてみた。なびきお姉ちゃんは無駄と言う言葉が一番嫌いと宣言するくらいだから、ついて行くことにしたみたいだけれど…
「大丈夫よかすみお姉ちゃん。あかねは一人になりたいのよ。ねえ。」
隣にいるなびきお姉ちゃんが私の顔を見て意味深に笑いながら言った。
「あら。なびきちゃんなんで…?」
「なんか…ずっと電話気になっているみたいだし…」
(もう、なびきお姉ちゃんったら。また余計なこと…本当に意地悪なんだからっ)
「ほらっ。遅れちゃうわよ!いってらっしゃいっ。」
私は顔が赤くなるのを悟られまいと皆の背中を強引に押して外に送り出した。
春の天気は本当に変わりやすい。さっきまで青空だったのに油断すると一時間後には雨なんてことが結構ある。
今日も午後になると午前中は結構良い天気だったのに、前線の影響かどんよりとした雲が垂れ込み、今にも雨が降りそうになってきた。急いで庭先の洗濯物を取りこんでいると、案の定ぽつりぽつりと来た。
(…乱馬どうしてるかな…)
本降りになってきた窓に叩きつけられる雨を見ながら、私は春休みに入ってから山篭りに行ったきり、予定の日程を過ぎても連絡をよこさない許婚を思い浮かべた。
きっと、この分だと山もどしゃ降りに違いない。今頃雨宿りでもしているのかな。それとも…
(電話くらいよこせばいいじゃない。人の気も知らないで…)
私はなにをするというわけでもなく横になって天井を見つめた。チッチと居間の柱時計が鳴る。いつもは騒がしいせいか気にならない音も妙に今日は大きく感じられた。
(やっぱり、騒がしい方が良いな…天道家は…。賑やかでどたばたしていないとなんか落ち着かない。いつからだろう。そう思うようになったのは…)
RRRR…
「あっ…電話…」
突然のベルの音にどきっと胸が鳴った。ばたばたと廊下に走り急いで受話器を取る。慌てたので思わず落しそうになるのを必死でくい止めた。
「はい。もしもし…天道ですが…」
「こちら、英会話教室の○○です…ただいま、無料キャンペ―ンを・…」
「間に合っています。」
そっけなく私は応対するとガチャンと受話器を置いた。
まったく、春はいろんな勧誘の電話がやたらと多い。朝から何件目だろう。いい加減うんざりしながら私は居間に戻り、放り出しっぱなしの読みかけの雑誌を開いた。毎月読むファッション雑誌。初夏に向けてこれから重宝しそうな可愛い服がずらりと紹介されて、いつもなら目が釘付けになるところだけれど、今日はうわの空。ついつい惰性でページをめくってしまう。
何をしても気が入らないな…つまんない。
しばらくするとまた電話がなった。
RRRR…
「はい。もしもし。天道ですが…えっ違います。」
はぁと溜息を吐くと私は受話器を置いた。
「もう。間違い電話なんか…しないでよ…」
受話器にあたってもどうしようもないのは、わかっているけれど…さっきから電話に一喜一憂する自分が情けなくなってくる。
(もう、馬鹿みたい。乱馬なんか知らない。)
私はふて腐れて居間にごろんと寝そべった。今日も電話はかかってこないのかもしれない。
「期待なんかしてやんないんだから!乱馬の馬鹿タレ!…」
軽く悪態をついて私はそのまま心地よい眠りに身を委ねることにした。起きていてもどーせすべて身に入らにない。そんな時は春の眠りに誘われるままに身を任せた方がまし。半ばヤケになりながら私は瞳を閉じた。
RRRRR…
どれくらい、眠りこけていたのだろう。私は遠くで鳴る電話の音を薄らいだ意識の中でぼんやりと聞いた気がした。
(ん…やっと乱馬が電話してきた…あっでも、私眠っているんだっけ…)
RRRRR…
(夢???…)
がばっと起きた。夢じゃない!
「電話っっ!!」
私は慌てて走り出して受話器を取った。まだ、寝惚けている目をこすりながら電話にでる。
「もしもしっ…天道です。」
期待感でついしゃべる口調が早くなって思わず舌が縺れそうになった。
「あっ。あかねか?」
聞きなれた声が受話器を通して私の耳に響いた。ここ数日、ずっと待っていた電話だった。久しぶりに聞く許婚の声。まだ、山のふもとにいるのだろう。心なしか電話の声が遠くに感じられる。
「乱馬?…」
(まったく…ずっと音沙汰無しで…人がどれだけ心配したと思ってんのよ。)
思わずじわりと涙が込み上げてきた。心底ほっとしたせいだろう。声の様子から乱馬の元気なくったくない笑顔がまぶたに浮かぶ。
「なんだ…お前泣いてんのかぁ?」
人の心配をよそに呑気な乱馬の声が受話器の向こうから届いた。
(いつも鈍感なくせになんでこういう時だけするどいのよ…)
「あんたねっ!今日何日だと思ってんのよ。春休みあと1日で終わりなのよ。3日も予定より過ぎてるじゃない。わかってんの?」
ついつい喧嘩腰の口調になってしまう。本当はもっと言いたい言葉があるのに…
「あ゛――――!わかってる。そう怒鳴るな。可愛くねえな。だから今日帰るって電話してんだろ…今ふもとの駅にいるから帰りは6時頃になるって伝えといてくれよな。あっ。電車がくるから。じゃあなっ」
「え゛っ!ちょっと!!乱馬っ」
Tu―Tu―Tu―
突然、一方的に電話は切られた。虚しく受話器から漏れる音を半ば呆然としながら私は見つめた。心配かけたなの一言も無ければ久しぶりだなの言葉も無い。そりゃ、乱馬が気の利いた言葉を言ってくれるなんて私も思っていないけど…でも、今の対応はないんじゃない?
「な゛っ!!乱馬の奴っっ!もう春休みの宿題なんか手伝ってやんないんだから!乱馬の馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿――――!!」
乱馬のあまりの対応に私は怒りを受話器にぶちまけながら、荒々しくそれを置き、ぜいぜいと息を吐いた。必死に気持ちを静めてみるけど心配と怒り、悔しさという気持ちがぐちゃぐちゃになって一気に押し寄せてくるのはどーしようもない。しかも今はそれをぶつける相手もいないときている。
(乱馬はあたしのことなんかこれっぽっちも考えてないわけ?)
ふつふつと涌き出るやり場のない気持ちが胸を苛む。けれどそんな混沌とした気持ちも、しばらくすると最後には言いようも無い切なさに変わった。
「心配していたのに…乱馬の馬鹿…」
聞こえるはずも無い電話に向かって私は溜息まじりにぽつりと小さく呟いた。
ボーン。ボーン。柱時計が鳴り、針が5時を指した。
「今頃、西武線に乗り換えてるのかな…」
まだ、外はかなり雨が降っている。変身体質の乱馬は雨が嫌いだ。少しでも濡れてしまうと女になってしまうから…。
(荷物大丈夫かな。女に変身しちゃうと大変だろうな・…力弱くなるし。)
「知らない。知らないんだから乱馬なんか…ずぶ濡れにでもなればいいでしょっ」
憎まれ口を叩きながら私は寝返りを打って窓に背を向けた。ザーザーという雨の音が私の背の向こうから耳に響く。外は雨。当分止みそうも無い。
「もう。なにやってんだろ・…私…」
駅のホームから漏れてくる電車到着の放送を聞きながら、私は溜息まじりに呟いた。
途中で洗面台の蛍光灯が切れそうなのを思い出して、近くのスーパーで買ったのを片手に改札の階段を見つめてみるけど、乱馬の姿はない。6時までにまだ20分ほど時間がある。
(これじゃ、まるで乱馬に1日中振り回されてるみたいじゃない…)
まだ時間があるのに階段の方へと目がいってしまう自分に悔しさを憶えながら私は2本の傘をギュッと握り締めた。
「あれっ?あかねちゃんじゃない…。」
そんな時突然声を掛けられた。小さい頃から聞きなれた優しい声。ふと声の方に顔を向けると優しい笑顔が飛びこんできた。
「東風先生…」
改札から出てきたのは東風先生だった。往診の帰りなのか診療バックを手に持っている。普段は診療所の診察で手一杯の東風先生だけど、高齢者の患者さんとか、治療に通うのが難しい人のために時折自分から診察に出かけたりする。今日も、その帰りのようだった。
「すごい雨だねえ。誰かさんのお迎えかな?」
いたずらっぽく私に聞いてくる東風先生に
「べっ別にそんなんじゃ…」
慌てて私は否定した。顔がかぁっと熱くなるのが自分でもわかる。
(これじゃ…まるでそうですっていってるようなもんじゃない…なんでこんなに顔にでちゃうんだろ)
私は居たたまれなくなって俯いてしまった。
「今朝あんなに天気よかったのにね…雨が降るとは思わなかったなあ。」
東風先生は私の照れがわかったのか、追求せずに困った表情で空を見上げた。どうやら、先生は傘を持っていないようだった。まだ、空は一面雨雲で覆われていて当分この雨もやみそうに無い。
私は手にした2本の傘に目をやった。1本は私の傘だから赤い小さめの傘。けれどもう1本は乱馬の紺色の傘で大きめのもの。これならきっと往診バックも濡れないに違いない。
「あの…よかったらこの傘使って下さい。私、うっかりしていて…お父さん明日帰ってくるはずだったんです。どうぞ…」
いい訳をしながら私は手にした紺色の傘を東風先生に差し出した。まさか、乱馬のために持ってきたとはさすがに言いづらい。
「いいの?じゃあ借りるから…明日返しにいくね。ありがとう・・」
東風先生はくすっと笑うと傘を受けとって去って行った。
(やっぱり、わかっちゃったかな…)
そう思って傘をさして去って行く背の高い後姿をじっと見つめた。
小さい頃から診療を受けるたびに慣れ親しんできた背中。それはいつしか気付くと淡い切ない思いを伴うものになっていた。叶わない想いと知りながら、苦しく切ない想いを抱えて見つめていた1年前。当時のそんな想いも今ではゆっくりと移ろう時間の中で見つめることができるようになっている。
すべては乱馬と出会ってから1年という歳月を経て変化した。自分を取り巻く環境も、そして自分自身も。
(私も…少しは成長したのか…な?)
そんな思いに浸っていた矢先、改札口からのざわついた足音に私は我に返った。気がつくと6時。そろそろ乱馬がくる頃。会社帰りのサラリーマンやOLが行き交う中、じっと目を凝らしてみる。
けれど荷物を背負ったおさげの少年の姿は見当たらなかった。
(次の電車かな…)
そう思った時だった。
「あかねっ!」
そう呼ばれてポンと肩を叩かれた。振り返ると久しぶりに見る許婚がいた。大きな荷物を背負って少し日に焼けている。修行の成果か、山篭りに旅立った時よりも、一段と逞しくなったように見えた。本当のこと言うとこの時私は一瞬乱馬に見惚れてしまったんだけど、ナルシストの乱馬には口が裂けても言えない。だって、「やっぱお前、俺に惚れこんでるんだろう」なんて言われるのがオチだから。
「なんだ…ぼーっとして。迎えに来てくれたのか?」
「べっ別に。洗面台の蛍光灯が切れたから…ついでよっ。ついで…」
私は「ついで」という言葉を強調して言った。
(絶対、待ってたなんて言わないんだから…あんなに心配させて)
「なんでえ。可愛くねえ。俺は久しぶりに会うからてっきり迎えに来てくれたのかと思ったのによ。」
「な゛っ!!なによっ。迎えに来て欲しかったらね。ちょっとは気を使いなさいよ。3日も予定より過ぎてんじゃない。」
「しょーがねえだろ。野良猫に飛びつかれて猫化しちまったんだから。」
久しぶりの再会はいつもの他愛ない乱馬との喧嘩で始まった。
子憎たらしい数々の聞き慣れた悪態とそれに対する私の言葉の応酬。本気でない喧嘩ということはお互い承知している。私達だけの特別なコミュニケーション方法。
喧嘩をして安心するなんて変かもしれないけれど…受けとめてくれる相手が乱馬だから安心して自分を曝け出せる。
(でも、やっぱりそれを言うのは負けるようで悔しい…かな…)
そんならちも無い事を考えながら私は雨の中を一緒に寄り添ってゆっくり歩いた。
小さな傘の下、乱馬を濡らさないためにそっと寄り添って歩くと、自然に乱馬の逞しい腕に肩先が微かに触れる。それだけで私の胸はトクントクンと脈打って、キュンと締め付けられるような感覚がこみ上げてきた。ここ数日間、どんなに欲しても感じることができなかったもの…それが今ここにある。
(やっと乱馬が側に帰ってきてくれたんだ…)
そんな想いが自然に溢れ出そうになって、ともすれば口を開いたら喋ってしまいそうで…私はキュッと唇を結んだ。
「あっあかね…」
突然それまで黙っていた乱馬の声で私は現実に引き戻された。気がつくともう天道家は目の前まで迫っていた。
「えっ?なっなに?」
私は自分の考えていたことに気恥ずかしい思いをしながら、乱馬を見やった。いつもより真剣な乱馬の顔。その以外に近い距離に胸がドキンと音を立てた。
「俺、さっきあかねと喧嘩して…やっとなんつうか…帰ってきたなあって…/////」
乱馬は赤面して視線をさ迷わせながら私に向かって言った。どうやら、乱馬なりの「ただいま」らしい。
(ちょっとずるいわよ…突然そんなこと言うなんて…そんなこと言ってもお帰りなさいなんて言ってあげないんだから…電話を一方的に切ったことまだ怒ってんだからね…ほんのちょっとだけど)
「え?どういう意味?…」
私はわざととぼけて聞き返した。ちょっと意地悪かな…と思うけどいいよねこれくらい。なんたって何日も待ちぼうけ食らわせられたんだし…私は乱馬に引けを取らないくらい負けず嫌いなんだからね。
「え゛っ。」
「?」私はわけがわからないといった感じを装って乱馬を見上げてやった。
「おっお前なぁ…わかんねえのかよ」
私の態度が乱馬の予想外だったらしい。あたふたと慌てる乱馬の様子を見て私は笑いを堪えながら言った。
「だってわからないものはしょーがないじゃない」
「・・……」
「乱馬はいつも私と喧嘩していたいわけ?」
「ばっ馬鹿。違う。だっだから…俺は…」
乱馬は指先をもじもじとさせた。困っているらしい。
(ちょっと意地悪しすぎちゃったかな…)
そう思った時、一呼吸置いてから乱馬はちょっぴり頬を染めて膨れっ面で私に言った。
「だから俺はっ!『ただいま』って言ったんだ!」
素直な言葉ですぐに言わないところが意地っ張りの乱馬らしい。そんなことわかっているよ…本当は。
(許してあげようかな…電話の時の敵は取ったし。)
首まで赤く染めながらそっぽを向いて拗ねてしまった乱馬を宥めるように私は言ってみた。
「乱馬…お帰りなさい…」
乱馬の肩がピクンと跳ねる。けれど、まだ私の方に顔を向けない。怒っちゃったかな。
(意地っ張り…)
私は胸の内で呟いてもう一度、天道家の玄関先まで来た時に、とびきりの笑顔で乱馬に向かって言った。
本当は誰よりも先に言いたかった言葉。いつも乱馬を一番で出迎えるのは私でいたいから…
「お帰り…乱馬(すごく会いたかったよ…)」
完
作者さまより
日常生活で何気なく使う言葉をテーマにした作品を書きたいなぁと思って書いた作品です。乱馬の「ただいま」に対してあかねの「お帰りなさい」。
あかねの恋心に伴う勝気な気持ちと誰よりも先にお帰りを言いたいという気持ちを「負けず嫌い」という言葉で表現してみたかったんですが…(泣
桜の作品です・・・
作品のタイトル「月と桜」は私がつけさせていただきました。
お互い、なかなか素直になれない心情が流れてきます。
付かず離れず・・・でも少しずつ進展している二人・・・
(一之瀬けいこ)
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