◇花の雨 
  4.想玉

桜月さま作


(おかしい…こんなに近づいたのに)
 暗闇から抜け出し、人影を見た時からそれに向かって歩いたものの、遠目のせいでぼやけていると思った二人の姿が10メートル足らずの距離になったにもかかわらず朧にみえるのは気のせいではない。
 次の瞬間、あかねは声をかけてみようとして口を開いて固まった。
 良く見ると、二人の影が揺らめいていた。しかも、二人が着ている衣装はどう見ても現代のものではない。
(ゆっ幽霊???えええ―――!)
 そう言えば、旅館の女将さんが言ってたっけ。昔の悲恋が関係しているとか…
(えっ????何…ということは…)
 自分は死んでしまったのだろうか。しかも、良く見ると自分の体も揺らめいている!
 一瞬、あかねの脳裏に乱馬の笑顔が過った。なんでこんな時に笑顔なのよと恨みがましくその笑顔を胸の内で睨みつける。
このままでは心残りがいっぱいで死にきれない。
(喧嘩の仲直りもしてないのに…それだけじゃない。許婚という立場に甘えて自分の気持ちをはっきりと伝えていないし、乱馬の気持ちもなんとなくは察せられるもののはぐらかされたままだもの。)
 はっきり言って遣り残したことは山積み。未練なら山ほど。もし、本当にここが死後の世界だったら現世にもどって乱馬の前に化けて出てしまいそうな気分だ。
「くすくす」
 突然、笑い声が降ってきた。
「誰っ???」
「大丈夫。心配しないで…あかねは死んでないから…」
 叫んだ瞬間あかねの体を光の球体が包み込んだ。

「ここは…」
 光の球体の中であかねは空に浮いている。まるで陽だまり包まれているような心地だ。囚われたという概念はない。
 そんなあかねの思考に応えるかのように
「私は房子…」
柔らかな声があかねに語り掛けた。
「あなたが…もしかして旅館に伝わる姫君?」
「そう…あかねは私の想玉の中心にいる」
「私、藤の花の妖怪に襲われて…気がついたら暗闇の中にいて…」
「あの暗闇は私の想玉の一部の世界。悲哀の感情の世界からあかねは抜け出してきた。あのまま佇んでいればその感情の世界に飲み込まれていた。」
「あの…なんで私の名前を?」
「あかねが思念体だから…感情が読み取れてしまうから」
「じゃあ。さっきの私の思考を////」
読み取ったの?と問いただそうとしてあかねは俯いてしまった。へたに乱馬の事を考えない方がいいのかもしれない。さらに恥かしいことになりそうだった。それを察したかのように声は言った。
「ここは私の想玉の中心。想玉は愛しい人への想いでできた珠。だから喜怒哀楽それぞれの愛しい人への想いがいっぱい詰まっている。それの要がここ中心の思念。あかねは藤華に襲われて私の想玉の中へ思念体と化して閉じ込められた。」
「なぜ…」
「それは…」
 房姫の声が言いよどむ。悲哀を帯びているのは気のせいだろうか。
「あかねに藤華がなぜ人を襲うようになったか思念で伝えます…」
そう房姫が言ったのとあかねの脳裏に別の感情が流入するのが同時だった。

 また、あの笛の音が聞こえる…

 笛の音色に誘われるようにあかねは白濁とした意識に身を任せそこに映し出された始めた幻影を受け入れ始めた。


「悲しい音色…いつもの曲なのに…」
「……」
 笛の音色が止んで暫くの沈黙の後、桜重ねの唐衣を着た少女の問いに相手の直垂姿の武士は無言で答えた。ただ、横笛を手に悲しそうに少女を見つめる。
(言わなければならない…伝えたい。)
 少年の胸のうちにある強い想い。姫に出会えてよかったと。何度も言いたくても言えずにはぐらかしてきた言葉。自分と姫の未来はあると信じて疑わなかった頃。しかし、時代は急変したのだ。自分にはもう残された時間は無い。
 苦悩する心の内を反映するかのように少年は横笛をぎゅっと握り締めた。
 代わりにざざざっと強い風に煽られて草木が音を立てて揺らめき、若木の藤の木が若葉をしならせた。
「もうすぐ…この藤の木も…また花を咲かせてくれる。去年のように…藤華が輔盛さまと私のために…」
 少女は自分の腰まである豊な黒髪をそっとかきあげながら、その藤の木の花の膨らんだ蕾を愛しそうに撫でた。そしてゆっくりと武将を振り向いた。黒い大きな潤んだ瞳が輔盛と呼ばれた武将に向けられる。交わされる視線と視線。少女より一つ二つ年上の頃の少年はその瞳を切なげに黙って受けとめた。瞳の奥深くに揺らめく哀切の感情。それを少女は見逃さなかった。
(やっぱり…行ってしまう…)
 少女の胸に信じたくはなかった確信が動かしがたいものとなる。
 つい数年前までは栄耀栄華を欲しいままにしてきた平家一門。だが、今はその名残は何処にもなくなっていた。源氏の勢力が勢いを増してからというもの戦は負け続け、都落ちして乳母の故郷にいる姫にさえも戦の状況はかんばしくないと耳に入ってきていた。
 そして、最後の決戦のために壇ノ浦に兵が集っているという人づてに聞く噂も。
 どうか無事で…
 自分の許婚でもあり、想人である輔盛の身を案じて祈る日々。そんな時である。当の本人が数日前、房姫の前に何の前触れもなく突然現れたのは…


「ばあやっ。ばあやっ。本当に?」
「姫っ。房姫。そのように走られては…はしたない。」
「かまわぬ。そのようなこと」
 バタバタと廊下を走る音に続いて乳母が制止する声が辺りに響き渡った。本人はまさか自分の許婚にそのようなやりとりが筒抜けだとはよもや思ってもいないのだろう。
(くっくっ。相変わらずだな…)
 苦笑が思わず青年の顔から零れた。息せき切ってじゃじゃ馬な自分の許婚の房姫が出迎える時はいつもこうだ。
 そして少しふて腐れて顔を紅潮させながら自分に言うのだ。
「もう、房子のことなど忘れてしまったのかと思いました」と。意地っ張りで可愛い許婚の姫は。
(あの頃もそうだったな…)
 小さい頃から京の都で一緒に育った幼馴染。いつのまにかそれに「許婚」という立場が加わった。平家一門の出の自分と宮家の繋がりのある姫との関係。政治的趣が多大な影響を及ぼしているのを小さいながらも感じていた。いや、むしろ平家の方から強引に持った関係だった。それを知った当時、引け目を感じて輔盛が姫と遊ばなくなったことがあった。うしろめたさと自分に対する嫌悪感。姫がもしそれを知ったら…嫌われるかもしれないという恐れ。平家に対する人々の中傷。一緒にいて姫にも嫌な思いをさせたくなくて。自分から遠ざかった。
 しかし、姫は…あの時。
「輔盛様はずるい。約束を破るなんて卑怯です!」
 どこから屋敷に忍び込んだのか、手足にかすり傷をこさえて、庭で笛を吹いていた自分の目の前に現れ、なじったのだった。怒りで顔を真っ赤にして。
「卑怯とは聞き捨てならない!俺は…」
 自分は姫が…大切だから…の言葉を言いかけてはっとした。目の前には房姫が大きな瞳からぼろぼろと涙を流して
「房子が見つけた藤の花の木を一緒に今度見に行こうと言ってくれたのに…別に楽しみになんかしてなかったですけど…楽しみになんか…」
と唇を噛み締めて俯いていた。震える小さな肩はあまりに痛々しくて。輔盛の胸がズキンと音を立てて痛んだ。その気持ちがなんなのか。それを知るにはまだ、お互い幼すぎて。
 輔盛は近寄ってそっと手を伸ばし、姫の少し乱れた豊な髪を撫でた。ただ、姫に泣き止んで欲しくてひたすら髪を撫でることしか出来なかった。
「ごめん…」
「約束は破ってはダメです。ニ度と房子との約束は破らないで下さい。破ったら…泣きますから」
 そう言いながら姫は涙でぐしゃぐしゃになった顔で輔盛を見上げた。初めて房姫に対して「特別」を意識した瞬間だった。
 今思い出せば自分が恥かしくなるほど、泣き笑いの姫を見て輔盛はどんな表情をしていいのか困ったのを憶えている。そして姫が変わらず、自分を平家の一門の跡取の一人としてでなく、「輔盛」として真っ直ぐ見てくれていることを知って嬉しかったことも。もしかしたら、自分の方が、泣き笑いの表情だったのかもしれない。
 そして強く思った。この姫だけは大切に守り抜きたいと。流されるだけの自分でなく、姫を守っていけるだけの強さを身につけたいと。その気持ちは今も変わらない。
 決して姫との約束は破らないと自分自身に誓った日。小指と小指をしっかりと繋ぎあって交わした二人の大切な…約束。
「春夏秋冬。ずっと一緒にいよう」
(けれど…約束を破ろうとしてる…俺は)
 叶えることができると信じて疑わなかった日々。しかし、もう……これからは…
(ここだけは変わらないで欲しいな…例え俺がいなくなっても…)
 青年は胸の底にある悲痛な想いを押しこめるようにして近づいてきた足音に笑顔を向けるべく顔を上げた。
 せめて今は姫に悟られたくない。例え分かってしまうとしても。せめて少しの間だけ。くったくのない笑顔を見ることができるように。その笑顔に悲しみの陰りが宿らないように。自分はうまく隠すことができるだろうか。
「輔盛さまっ。」
 懐かしい許婚の声が輔盛の耳に響いた。
「ああ。姫。そのように…相変わらずなじゃじゃ馬ぶりを…」
 わざとおどけて見せる。
「ひどいっ。房子はじゃじゃ馬ではありませぬ。」
「そのように走っていても?」
「走ってなど…」
と否定しようとして姫はプイと横を向いた。自分の息が弾んでいるのに気付いたのだろう。ばつが悪くなったのか、
「それより輔盛さまは何の連絡もよこさないで…房子の手紙をちゃんと読んでるんですかっ?」
膨れっ面をして輔盛に問いただした。
「ああ。当たり前です。だからこうして…」
ひょいと房姫の顔に自分の顔を近づけて囁いた。
「姫の元へ戻ってきた。姫との約束は特別だから。約束を破って泣かれたら困る。」
 一瞬、輔盛の真摯な眼差しが房姫の瞳を捕らえた。
「しっ知らないっ////」
ばちん。
 輔盛の烏帽子が音を立ててずり落ちた。強烈な予想もしなかった一撃。こんな光景を家来が見たらどう思うだろう。まず、普段の輔盛との落差に驚愕してから今まで見てきた自分の主人像を塗り返るに違いない。それだけ取り繕ってきたのだから。自分の感情さえも。
「……」
「くすくす…」
「あはは…」
 明るい笑い声が同時に響いた。笑うのは何ヶ月ぶりだったか。
 輔盛は心の底から久し振りに笑った。



 これが最後と思いきわめて過ごした数日はいいようもなく甘く切ないものだった。最初は手紙だけに留めて決戦の場へ赴こうか正直迷った。けれど、それは約束を違えるようで思い留まった。
(いや、結局俺は姫に会いたかっただけなのかもしれないな…想いを伝えたくて…)
 再会があれば別れがあるのは当然のこと。だが、今回は次の約束が永遠にできなくなるだけに辛くなるのは分っていたことだった。そして相手にも辛い想いをさせてしまうだろうことも。
 けれど後悔はない。でなければ…
 そのさきに続く言葉を輔盛は驚きを持って受け入れた。
(俺は震えている?)
 武士として、平家一門の跡取の一人として立派に最後を遂げる覚悟は出来ていたはずだった。そのための教育も受けてきたし、それが当たり前、誉れと思って疑いもしなかった。しかし、意に反して自分の笛を握る手が微かに震えている。
(死にたくない。)
 溢れそうな涙を必死に堪えて自分を見つめる姫の姿を見て、初めて自分の本音をつきつけられた気がした。愛しい人を得て初めて知る死への恐れ。
(そう、本当は死にたくなどないんだ。俺は。平家一門のためなんかに。なによりも、この姫と一緒に暮らして行きたい。)
 しかし、それを口にすることは許されない。例え、愛しい許婚の泣く姿を目の前にしたとしても。
 溢れ出してきた少女の涙を輔盛はまだ震えが収まらない指でそっと拭ってやった。だが、それは余計に房姫の涙を誘う結果となった。
「何時立つのですか?」
 姫の問いに
「今晩、姫と月を一緒に見たら…」
 輔盛は答えた。
 房姫はこくりと頷くと頬を包み込む震える手に自分の手を愛しそうそっと重ねた。


 冴えた空気がよりいっそう夜空の三日月を美しくと儚さを際立たせていた。儚い月光が縁側に互いの温もりを確かめ合うように寄り添う二人をそっと映し出す。
 奏でられる笛の調べが悲しくも切なく幻想の世界を醸し出す二人の後姿に乳母はそっと袂で涙を拭った。
 小さい頃から二人を見守ってきた萩野にとってこれほど切ないことはなかった。どんなにこの二人の将来を楽しみにしてきただろう。静かな永遠の別れを刻んでいる二人。できればいま少し、その時を少しでも延ばしてやりたかった。が、それももう限界だった。輔盛の迎えが来てから、一刻以上時が過ぎている。

「蒼月…あの時の曲…」
「憶えていてくれたのですね…」
 輔盛の応えに房姫はこくりと頷いた。どうして忘れることができるだろうか。自分の愛しい人と初めて出会った日に吹いてくれた曲を。そして自分もたどたどしい琴で二人一緒に音を奏でて笑いあった。
「房子はこの曲大好きです。輔盛さまが一生懸命吹いてくれた曲ですから」
 見上げる顔が泣き顔にならなければいいと思いながら房姫は輔盛に微笑んだ。決し消えはしない胸に刻んである甘い音。
「たどたどしかったなあ。憶えたばかりで。でも誰かに聞いて欲しくて。けれど恥かしくて。」
「えっ。誰でもよかったんですか!聴いてくれるなら…輔盛さまは。」
 口を尖らせて膨れっ面をする房姫に輔盛は
「そうじゃない。あの時姫が一緒に音を奏でようといってくれたから。嬉しかったんだ俺は。弱気だったのが打ち砕かれた。姫の一言で。一歩前に踏み出すことができたんだ。」
そういいながら輔盛はそっと房姫に廻している肩の手に力を入れて引き寄せ、後ろから
抱きすくめた。
「輔盛様??////」
「俺は本当は臆病で気が弱い…これは出してはならない感情だと思っていた。けれど本質は変わってないんだ。戦は嫌いだ。人の命を奪うのも自分が死ぬのも恐い。敵にも俺と同じように愛しい人や家族がいる…武士には向いてない…俺は。平家一門の一角を率いるには俺には重すぎる。平家一門に生まれなければと思ったことは一度や二度じゃない。」
「……」
 初めて聴く輔盛の本音。聡明で武術も優れていると称えられてきた少年の隠された悲しみが痛いほど伝わってきて…房姫の瞳から大粒の涙が零れ落ちた。自分の家人や両親の前では平気なふりをするしかなかった。許されなかったのだ。そこには時代に翻弄される悲痛な少年の苦悩が存在する。
「けれど今は後悔はない。姫に出会えたから…姫を守るためになら嫌な戦にも行ける。」
 痛いほどの重荷と重圧はどれほどのものだったのだろう。月を見上げている輔盛の表情はあまりにも穏やかで…房姫の視界は零れ落ちる雫で遮られた。
「泣き虫だなあ…姫は。」
「いつも輔盛様が泣かすからです」
「そうだな…俺は姫を泣かせてばかりだ…」
 一瞬、悲しそうな表情をした輔盛はそう言うとそっと房姫の唇をふさいだ。
「必ず帰ってきてください。でないと泣きます。」
「それは困るな…それが一番困る。では姫にこれを持っていてもらいましょう。大切に預かっていてください。」
 つとめて輔盛はおどけながら姫に笛を渡した。帰ってくることが無理ならば自分の大切なものを姫に遺したい。
(もし、死んで後、魂が宿ることができるなら…)
 錦の袋に笛を入れ自分の想いとともに姫に渡す。それを房姫は両手で受け取った。万感の想いを秘めて暫くお互いみつめ合う。
 手放したくない。離れたくない。お互いの強い想いが繋がれた手を通して伝わる。だが、輔盛は未練を断ち切るかのように視線を逸らした。そっと手を離し、控えている老婆に言った。
「萩野…これから立つ。そう迎えに来たものに伝えてくれ…」
「はい…かしこまりました」



つづく




作者さまより

う〜ん長い話です。時代劇好きな桜月の影響が・・・出ているような。(笑



 RNR隊員でもある桜月さんは、残念ながら現在、闘病生活に入っておられます。病院への入退院が続いておられる由。
 そのため、この続きは気長にお待ちする事にいたしました。
 早くの復帰、お祈り申し上げます。
(一之瀬けいこ)


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