◇闇夜の恋人達 (2)
砂くじらさま作


家に着いてすぐに、乱馬はソファにどっかと腰を下ろした。
 「うーし。じゃ修行そのに…メシ作って風呂焚いてこーいっ!」
 「んなっ」
 「俺は本来夜型なんだ…昼間にこんな動いて、ちっと疲れちまった。俺は眠るから、メシが出来たら呼べよ。以上ッ!」
そう言うが早いか、乱馬はソファでぐーぐーと眠ってしまった。
 「…(…この男に、少しでもときめいてしまったあたしが馬鹿だったわ…)」
あかねは心底そう思いながら、台所へ向かった。…苦しげにうめき声を漏らす乱馬に、気付くこともなく。


トントントン、と響く包丁の音。ぐつぐつと煮える鍋の音。その音を目を閉じたままで聞くのは、一体何年振りだろう。
頭が割れるような頭痛も何とか治まり、乱馬は安らかな気分で惰眠を貪っていた。今ごろあのあかねという名の美しい少女は、ぶつくさ言いながらも台所に立って、俺のために料理を作っているのだろう――そう思うと、自然に顔がほころんで来る。

  ドカドカドカッ。
ぼぉん。

…なにやら、料理を作っているとは思えない音まで響いて来た。おいおい大丈夫か、と乱馬は少し心配になる。しかし、未だ狸寝入りを決め込むことにした。
 「…!」
乱馬の嗅覚が、人智を越えた壮絶な匂いをキャッチする。さすがに不安になった乱馬は、跳ね起きて台所へと向かった。

 ぼわん。

 「きゃーっきゃーっ!!」
台所を覗いた乱馬が見たものは、何故か火を吹く寸胴鍋。乱馬がとっさに蓋をかぶせ、何とか事なきを得た。
 「…お前、一体何つくろうとしてんだよ…」
 「ポトフよ、ポトフっ」
 「ポトフをフランベする必要は何処にもねぇっ。ラム酒入れやがったなお前ッ!!」
 「…だって、お料理したことないんだもんっ!作り方、あんまりよく知らないしっ」
脱力する乱馬。
 「…お前なぁ。イマドキ何処のお嬢サマだよ…」
 「…だって…」
無理も無い。あかねの3つ上の姉・かすみはかなりの料理上手で、母親がいないそこの家庭の台所を、幼い頃から取り仕切っていた。そして、あかねが料理をかすみから習おうとした矢先に、あかねにスレイヤーたる証の聖痕が浮き出てしまったのだ。
乱馬はあかねの言う「ポトフ」の味見をして(少し気が遠くなったが)出来る限り味を修正すると、横に転がっているジャガイモを拾い上げ、包丁の使い方からあかねに手取り足取り教えていった。
 「だからぁ、そのやり方じゃ実まで剥いちまうだろっ。包丁の刃に親指を添えるんだよっ」
 「えええっでもそれじゃ指切っちゃうじゃないっ!」
 「何にも添えねーで切る方が倍危険だっつの!あと、芽は取れよ芽は。毒あんだからなっ」
 「え?芽って何?」
 「あああ今お前が鍋の中に入れたのが芽だっ」



 「…あんたって、男の癖に妙に手馴れてんのねぇ…」
 「…まぁ、自炊するよーになって長いからな。俺、一人暮らしだし。マトモなモンが食いたきゃ、努力するしかねぇし」
 「へぇ。偉いんだぁ。ところで乱馬って、今いくつなの?あたしと同じくらい?あたし今、16なんだけど」
少し考え込んで、乱馬はあくまで真面目そうに答えた。
 「…ボク、みっちゅでちゅ〜」
 「もうっ!真面目に答えてよっ」
 「…じゃあ、4539歳」
 「ふざけるなっ!」

    がご。

フライパンが、見事に乱馬の後頭部にヒットした。



すったもんだの末になんとか夕食も済んだ。一人外にある風呂に入りながら、あかねはふぅと溜息をつく。何だか昨日から今日にかけていろいろなことがありすぎて、凄く疲れてしまった。
そっと自分の短くなった髪に手をやり、自分がヴァンパイア・スレイヤーというものになってしまったことを、しみじみと感じる。
手首の聖痕は、赤く火照った身体でもまだそれとわかる程にどす黒い。
キリストが全ての人類の罪を負う為に、十字架に磔にされた時の傷が、聖人と呼ばれる人たちの身体にあらわれたものだという聖痕。あかねの場合、それは両手首にあらわれた。
…ねぇ、キリスト様。あなたは人類みんなの為に、磔にされてしまったけれど…あなたは、それで幸せだったの?
神父様から貰ったクロスを眺めながら、あかねはまた涙をこぼした。



次の日から、あかねの修行の日々がはじまった。
乱馬の「仕事」の都合と、「ヴァンパイアは夜に活動するものだから、スレイヤーも夜型の方が良い」という乱馬の意見から、あかねと乱馬は昼過ぎに起き、朝食というより寧ろ昼食を食べてから、夕方まで日の射さぬ黒い森の中でみっちりと修行する。
そして日が落ちかかった頃に食料を牧場まで取りに行き、帰ってきてから夕食をとる。あたりがすっかり暗くなった頃、乱馬は「仕事」に出かけて行く。そして日が昇りそうな頃に家に帰り、風呂に入って寝る。その生活の繰り返しだ。
修行をはじめて一週間のうちは、あかねは乱馬の「仕事」が何であるかを知らなかった。まだ弱いからと、乱馬が「仕事」への同行を許さなかったからだ。一週間が経ち、自分の力がめきめきと強くなっていくのに自信をつけたあかねは、乱馬の「仕事」とやらに同行を願い出た。
乱馬は少し考え込み、にやっと笑って答えた。
 「…いいだろう。そろそろ、高くなってきた鼻っ柱を、一回折っておかねぇとな!」
あかねはそれを聞いて、ぷうっとふくれた。
 「何よ、あたしが未だ弱いとでも言いたいわけ?!」
 「あぁ。俺に言わせりゃお前は未だヒヨコ以下、だ」
 「なぁんですってぇ!?」
…一週間が経とうとも、この二人は喧嘩ともじゃれ合いともつかぬ小競り合いを繰り返していた。お互い憎からず想っているが故の、不器用な愛情表現…というものなのだろうか。
いつものように夕食をとり、二人は月が出た頃合を見計らって家を出た。月明かりだけが、頼りなく行く道を照らしている。
しかし、普段からあまり日の射さぬ黒い森の中で生活する乱馬にとって、こんな夜道は何でもないらしい。まるで昼間歩いているかのように、すたすたと歩いていく。一方あかねはまだ夜道に慣れておらず、足元が覚束ない。
 「ったく、仕方ねぇなぁ…ホレ。」
少し赤くなりながら、乱馬がぎくしゃくと自分の手を差し出した。
 「あ、…ありが…と…」
あかねも負けずに赤くなりながら、差し出された乱馬の手を握る。そのまま二人は、目的地に到着するまで無言でいた。



たどり着いたのは、普段食料を貰っている牧場。
「夜のパトロールをするかわりに、いつも食料を貰っているんだ」とあかねに説明する乱馬。
 「で、でも…牧場ってすっごい広いじゃない。それをアンタ…一人で?!」
 「まぁ夜は、ブタもウシも何もみんな飼育舎に入ってるからな…そんなに広くはないさ。精々、一辺2・3kmくれーだろ。」
それでも大したものである。あかねは改めて、乱馬という男の凄さに戦慄した。
そのパトロールすべき範囲の中心地点らへんに、乱馬とあかねは腰を下ろした。そこらに散らばる木を集め、焚き火をしようとした乱馬が、突然身を固くし、一点を見つめる。
 「…ちっ、もう来やがった。あかね、来い!」
そう言うが早いか走り出す乱馬。あかねは訳もわからず、乱馬について走るのが精一杯だった。
乱馬がやっと立ち止まった先にいたのは、コヨーテの群。15頭ぐらいだろうか。ぎらぎらと輝くその目に、あかねは恐怖を覚えた。
 「…とりあえず、自分の身は自分で守れよ…期待はしてねぇからなっ。行くぜ!」
そう言って乱馬は単身コヨーテの群の中へと躍り込んでいった。その途端に一頭、二頭と、乱馬目掛けて襲い掛かってくる。しかし、乱馬はそれらをいとも簡単になぎ払っていく。その顔は、まるで楽しくてたまらないとでも言っているかのよう。
 「(…凄い…あっという間に倒してく…!)」
あかねはその光景に目を奪われていた。それを見て取ったコヨーテの一頭が、あかねに突然狙いを定め、飛び掛ってきた。
 「きゃっ…?!」
 「あかねっ?!」

ぶちっ。

コヨーテは、あかねの胸元できらきらと輝くクロスを奪い取った。そのまま、夜の森へと消えていこうとする。
 「嫌っ、クロスが…!」
コヨーテを追おうとするあかねを、乱馬は腕を掴んで制止した。
 「馬鹿っ、深追いは危険だ!それに、森の中だとあいつらの方が圧倒的に有利なんだぞッ!」
 「でも、クロスが!大事なものなのに!」
乱馬は唇をぎり、と噛んだ。そして、
 「…ここで待ってろ!」
そう言い残し、森へと消えたコヨーテを追っていった。


あれから十分も経っただろうか。乱馬は、右腕に引っかき傷、左腕に噛み傷をこしらえて、クロスを片手に戻ってきた。
 「…乱馬…!」
 「…コレだろ…?ほら。」
クロスをぽん、と投げてよこす。
 「あ、ありがとう…消毒するから、座って。」
あかねは、乱馬がいない十分間の間に、牧場へひとっ走りして、手当てをするような道具を一式借りてきたのだ。

 「…っ!」
 「ご、ごめん乱馬!…痛かったよね…ごめん…」
消毒液を浸した脱脂綿を当てながら、あかねは何度も乱馬に詫びた。
 「…そんなに大事なモノなのか?この…クロス。」
乱馬は、何処となく力無い声であかねに尋ねる。
 「…うん。あのね…初恋の人に、貰ったクロスなの…」
あかねは、今まで誰にも打ち明けたことの無かった、自らの秘めた想いを、乱馬に切々と語り始めた。乱馬は、時々力無く頷いて、あかねの話にただ耳を傾けている。
 「…結局、神父様はかすみお姉ちゃんのことが好きだったから…だから、あたしの初恋も、あっけなく終わっちゃったんだけどね。…でも、そのことを知っても諦められないくらいに、好きな人、だったな…」
苦笑いして見せるあかね。乱馬はあかねを、焦点の合っていない目で見つめている。
…その時。乱馬の目が赤く、輝いたような気がした。
 「…乱…」

刹那、あかねは乱馬に正面から抱きしめられていた。あかねは、あまりに突然のことに声も出ない。
 「…ちょ、ちょっと…乱馬…?!」
どれくらい、そうしていたのだろうか。もしかしたらそんなに長くはない時間だったのかもしれない。乱馬は、ぼそっと呟いた。
 「…滑稽だな。」
 「…え?」
 「…頭痛ぇ。今日の仕事はコレで終わりだ。コヨーテは今しがた追い払ったし、もう今日は大丈夫だろう…帰るぞ…」
フラフラと帰り支度をはじめる乱馬。あかねはまだ、突然抱きしめられたショックが抜けない。
日が昇りかけ、すこし明るくなった帰り道。手を繋がないでも帰れるようになった帰り道で、二人は、行き以上に無言だった。



帰ったと同時に倒れるように眠りについた乱馬。あかねは、そんな乱馬を起こさないように気を使いながら、一人また風呂につかる。
ふぅ、と一息つくと、先程の光景が頭の中を回る。ぼん、と赤くなった。
 ――幸せになってね。スレイヤーである前に、あなたは一人の女の子なんだから…
村を去る前に、かすみに言われた一言が、その光景に重なる。
 「…あたしは…あたしはこのままで幸せ、じゃあ…みんなが幸せ、には、なれないんだよね…」
じゃぽん、と頭までお湯につかった。
 「あたしの幸せって、何なのかなぁ…」
ちぎれたクロスをそっと取り出し、あかねはいつまでもそれを見つめていた。



次の日。乱馬は、昨日あった事など忘れたかのように、いたって普通だった。何か変わったことといえば、修行の厳しさが昨日までよりも少し増した、というくらいか。
 「右のガードが甘いっ!もっと頭を使えっ!」
 「いいか、攻撃は最大の防御だ。だがしかし、攻撃する事によって相手にチャンスを与えてしまうということを忘れるなっ!」
まだ未熟だと言うことでまた乱馬のみに戻った仕事も、その三ヵ月後にはあかねも再び参加するようになっていた。
しかし、そう毎日のようにコヨーテや野犬・オオカミも襲ってくるわけではない。そんななにもない日は、二人で焚き火を囲んで、何かしら話をしていた。



乱馬は自分からあまり多くを語らない。大抵はあかねが話を切り出し、乱馬がそれに応じて会話が成立する。
ある時あかねは、自分の両親の話をした。母親は早くに亡くなってしまったけれど、父親がやさしく、時に厳しく育ててくれていたこと。二人の姉が自分の母親のかわりをしてくれていたから、寂しくはなかったこと。スレイヤーとして村を出る日、皆が自分のために涙を流してくれたこと。
一頻り話し終えたあと、あかねは鼻をすすった。思い出して、少し涙ぐんでしまったのだろう。
 「…ね。今度は、乱馬の両親の話…聞かせて。」
 「…」
乱馬は急に黙りこくってしまった。
 「あっ、嫌なら…無理にとは言わないからっ」
あかねはあわててそう付け足す。
 「…親父は…馬鹿正直な奴だった。自分の信念を曲げることなく生きてるっつーか…。おふくろは…美しかったけれど、…先天的な病気、みたいなモンを抱えてる人、だった」
乱馬が静かに語りだす。
 「病気…?」
 「…その“病気”のせいで、おふくろは色々な奴から疎まれ、罵られ、石を投げられていた。親父はある日、おふくろを庇って、おふくろを守りながら…死んだ。笑って死んでたよ」
 「…」
 「…おふくろは、唯一自分を守ってくれる存在だった親父が死んでから、気が狂っちまった。最後まで自分の“病気”を呪って…でも、自分じゃ死ねなくて…自分から自分を嫌う奴等の前に飛び出て、散々罵られて、色々なことされて…殺された」
長い、沈黙。
乱馬がふとあかねを見ると、あかねはぼろぼろと涙をこぼしていた。
 「…あかね?」
 「…ひどいよね…そんなの、いくら…嫌いだからって、酷いよ…」
そんなあかねを見て、乱馬はがしがしと頭を掻いた。
 「…でも、さ。結局は、親父は愛するおふくろを守って死ねたわけだし、自分の信念に沿った結果そうなったんだ、後悔はしてねえだろ。おふくろは、死んで親父のところに行けたんだろうから、ある意味幸せな二人だったと、俺は思ってるけどな」
 「でも!死ななくても、幸せになる方法が、絶対あった筈よ!」
 「…だ、だからって…お前が泣くこと、ねーじゃねぇかよ…」
 「…そう、だよね…」
そう言ってあかねは、乱馬の傍に寄って、乱馬の腕にひし、としがみ付いた。乱馬は途端に赤くなる。
 「!」
 「…いちばん、いちばん辛かったのは…乱馬、だもんね…」
そんなあかねを見て、乱馬は赤い顔のまま、持っていたマグカップをあかねに差し出した。
 「…ホットミルク?」
 「…これから冷えっぞ。これでも飲んで、気合、入れとけ。…お、俺の為に…泣くことなんか、ないんだからなっ!」
あかねが泣きはらした目のまま一口口をつけると、ほんのり甘いやさしい味が広がり、心まで温まる気がした。
 「…ありがと、乱馬」

 

 「…なぁ」
またある日。乱馬が、突然あかねに話し掛けた。
 「…何?乱馬。」
 「何で人は、ヴァンパイアをこんなにも忌み嫌うんだろうな?」
今まで当然だと思っていた事に対する疑問に、あかねは戸惑いを覚えた。
 「…なんで?って、言われても…」
 「ヴァンパイアからすれば、あいつらが血を飲むことは、俺らが肉や魚を採って食うのと同じ感覚、だと思うんだ。俺らが肉や魚を食っても、誰にも咎められはしない。人間を食ってるわけじゃない…人間が、幾らでも作り出せる血を、飲んでるだけ、なんだ。俺らが牛乳を飲んでるのと似たようなモンだろ?…そう考えると、血を飲むってコトは、そんなに悪いコトじゃない気もするんだけどな…」
 「で、でも、ヴァンパイアに血を吸われた人は、ヴァンパイアになっちゃうじゃない?」
 「…自分の種を残したい、と考えるのは、この世の中の生き物全てが考えていること、だろう?種を残す行動それ自体に、罪は無い筈だ」
乱馬は握っていた石を遠くに放り投げて言った。
 「おかしいよな。神とやらは、必要とされてない生き物など居ないと言っているんだ。でもその反面…こうして、ただ生きているだけで憎み嫌い、必要としていない生き物が、確かに存在している」
乱馬はあかねの目をじっと見つめた。あかねは、ヴァンパイア・スレイヤーとしての自分に問い掛けられた気がして、目を逸らしたくなった。しかしその強い光を放つ瞳は、あかねを捉えて離してはくれない。
 「…だから俺は、神様なんて信じない」
ぱちん、と生乾きの木がはぜた。ゆらゆらと揺らめく炎は、何を考えているのかいつもより深い色をしていた乱馬の目に映りこんで、いつまでもゆらゆらと揺れ続けていた。



つづく




作者さまより

〈作者戯言。〉
ヴァンパイアとキリスト教絡みの話を書きつつ、実は長年バリバリの無神論者を通す作者です。ごめんなさい。
神話世界とかそれに関連する物語世界は、何処の世界のものも凄く大好きなんですけれどね。「好き」と「信じるか否か」は別でして。
そして乱馬推し大暴走中…年齢を聞いたら「僕みっちゅ♪」と答えた友人は実際に居ます。困ったものですね。
…で、続きます。多分次回最終回です。もうしばし、お付き合い下さいませ。

砂くじら 拝。


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