◇闇夜の恋人達 (1)
砂くじらさま作


ヴァンパイアが忌まわしい存在だと最初に言ったのは、一体誰だったんだろう。
出来ることなら、あたしはそいつに一言文句を言ってやりたい。ヴァンパイアにも、神は生きる権利を平等にお与えになったんじゃないのか、と。
厭われて生まれし生き物などいないと、神はおっしゃった筈よ、と…



ヴァンパイア。人の生き血を啜って永い命を生き、人間から厭われ続け、迫害され続ける宿命を持った生き物。
ここに、そのヴァンパイアを狩ることを宿命づけられた美しい少女がいた。少女、名をあかねという。
流れるような緑なす長い黒髪を持ち、およそ争いごととは無縁そうな華奢な身体つき。しかし、その身体は幼い頃より鍛えられている。化粧などしなくても美しい顔立ちに、どんな闇夜でも彼女だけは光を放ちそうな白い肌をしていた。
―しかし、彼女の両手首には、ヴァンパイア・スレイヤーとなるべく宿命付けられた証の、どす黒い聖痕が浮き出ている。つい先日迎えた16の誕生日に、突然浮き出てきたものだった。
このしるしは、ヴァンパイアとして忌み嫌われる存在が、ごく近くに生きている、ということを示すしるし。そして、このしるしが浮き出た者は、その生涯をヴァンパイア狩りに捧げなければならない。極稀に、自分が狩るべきヴァンパイアを倒した時にはその痕は消え、スレイヤーであることから開放されるが、そんなことは殆ど無いと言っていい。
…それが、この国の掟であった。
自らの手首に刻まれし、この神々しくも禍々しいしるしをリストバンドで隠し、あかねはきゅ、と唇を噛んだ。
 「…あかね。そろそろ…出発よ。」
あかねの一つ上の姉、なびきがあかねに声をかける。
 「うん。…わかった。」
あかねは傍らの銀のナイフを手にとると、皆が待つ広場へと向かった。


広場には、新しいそして美しいスレイヤーの姿を一目見ようと、大勢の人々が詰め掛けていた。皆手にはたいまつを持ち、この聖なる仕事に向かおうとする少女の未来を祝福している。
 「あかねちゃん、さ…コレを。お守り代わりのクロスだよ」
あかねが密かに恋心を抱いていた東風神父からクロスを受け取ると、あかねはそれを首にかけた。金で出来ているそのクロスは、たいまつの炎を反射して、きらきらと輝いている。
 「あかね…まだ若いお前が、スレイヤーに選ばれるとは…」
あかねの父親の早雲が、そう言っておうぅと泣き崩れた。
 「…何処に行こうと、あかねはあたし達の可愛い妹、なんだからね…」
普段は気丈な姉のなびきが、珍しく涙ぐんでいる。スレイヤーとなりし者は、まず例外なく生涯をヴァンパイア狩りに捧げる為に、まず確実に故郷へは帰って来れない。スレイヤーになるという事は、家族と永遠の別れを迎えると言う事と、ほぼ同義なのだ。
 「…あかねちゃん。今のあなたにこんな事を言うのは、間違っているかもしれないけれど…」
姉のかすみも、目に涙を溜めながら言う。
 「…幸せに、なってね…スレイヤーである前に、あなたは一人の女の子、なんだから…」
 「…おねぇちゃん達…お父さん…神父様…」
あかねも目に涙を溜めていた。しかし、こぼれ落ちる前にぐい、と拭う。
 「―――あたし、行きます!」
そう強く言い放つと、あかねは手にしたナイフを自らの長い黒髪に当て、ざく、と髪を切り落とした。
それは、スレイヤーになるという、あかねの強い決心の現れ。
美しかった長い黒髪は地に落ち、集まった人々の間から、あぁ、という溜息が漏れた。
 「この村の外れにある黒い森を、ひたすら進め。その森の果てに、相当に武芸に秀でた男がいるという。まずはその男のもとへ向かい、自らの能力を高めるべし…と、水晶球は言っておる。幸運を祈っておるぞ、あかねよ…」
この村の女長老であるコロンが、重々しく告げた。
 「はい。…皆も、元気で…!」
 「美しきスレイヤーの未来に、幸多からんことを!」
 「そして、全てのヴァンパイアに死を!」
集まった人々はたいまつを掲げ、口々に叫んだ。あかねはその声を聞きながら、ゆっくりと村はずれの黒い森へと向かっていった。
 「…さよなら、みんな…」
村はずれで、あかねは人知れず悲しみの涙を流した。


あかねがコロンに言われた通りに、黒い森をひたすら進んで、もう何時間が経っただろうか。早朝に村を出てから昼になり、何時の間にか日が暮れ、今や満月はあかねの真上。いくらあかねが人より忍耐強く、体力的に秀でているといっても、休み休み歩くのにも限界がきていた。
 「…(もう…駄目…さすがに、どこかで眠らなきゃ…)」
重力に従順な瞼と戦いながらそう思った直後、あかねはぽつんと一つ寂しげに佇む家を見つけた。
 「…家?!」
明かりがついていないし、人の気配もしない。住人は今留守だということが、ありありとわかる。
近寄って、窓から中を覗いてみるが、やはり誰も居ないようだ。思い切ってドアに手をかけてみる。無用心なことに、鍵はかかっていなかった。
 「…お邪魔します…どなたか、いらっしゃいませんか?」
中に入りながら、あかねは恐る恐る声をかけてみた。全くの無音。何の反応も無い。
 「…誰も、いませんかぁ?」
十回目の呼びかけ。やはり、返答は無かった。
 「…(誰もいないんだったら、勝手にベッド、使っちゃってもいいよね…)」
そうあかねが思った刹那、あかねは強い力で腕を掴まれた。
 「お前、誰だか知らねぇが…俺の家の中に、勝手にあがりこんでんじゃねぇっ!」
強い張りのある男の声。あかねは身をよじり、その男の顔を見た。
開け放たれた扉から差し込む月の光に照らされた男の顔立ちは、とても整っていて、美しい。
固く、真一文字に結ばれた口。
すっ、と通った鼻筋。
意志の強さを物語る、きりっとした眉。
男には珍しい、みつあみのお下げ髪。
そして――人間のものとは思えない…
 「…(赤い、瞳…?!)」
あかねは、その瞳を見た途端に、意識を失った。
 「お、おいっ!」
うろたえる男の声を意識の底で聞きながら、あかねは美しく光る赤い瞳を、繰り返し繰り返し思い出していた。


 「…ん…」
さえずる鳥の声で、あかねは目を覚ました。何時の間にか自分はベッドの中にいて、ご丁寧に額には濡れタオルが乗っている。
 「…(…昨日の、あの男の人がやってくれたのかな…)」
青白く光る満月に、美しく映えた赤い瞳。一瞬だけだったが、その光景は残像のように目に焼き付いている。
思い出すだけで、胸の鼓動が高鳴るのを感じた。
 「…(…ん?胸?!)」

  ぐに。

傍らで椅子に座り、あかねの世話を焼いている途中で寝てしまったのであろう男の右手は、何故かしっかりとあかねの胸をつかんでいた。
 「…きっ…きっ…」
あかねの顔が見る間に紅潮していく。
 「きゃあぁあぁぁあぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっ!!!!」
どばちーん。
普段は静寂に包まれているこの黒い森に、その声と音は良く響き渡った。


 「…だから、それは不幸な事故だって言ってんだろーが…」
 「それでも失礼よ!初対面の女性の、む…ムネ掴むなんてっ!!」
 「無意識下の行動にまで、俺は責任とれねぇんだよ!」
頬に真っ赤な手形をつけた男とあかねは、先程から水掛け論的言い合いをしていた。
 「でも、一言ぐらいは謝んなさいよ!」
 「ほぉ。じゃお前の、昨晩の不法侵入とベッド占領も、勿論謝ってくれるんだろうな?」
そう言ってにやり、と笑う男の目は、昨晩のように赤くない。何の変哲もない、ありふれた、しかし強い光の宿るダーク・グレイの瞳だった。
 「う゛…」
 「…大体、お前何でこんなトコにいるんだよ?普通の女なら、まずこんなトコはうろかねぇし…」
 「…」
あかねは無言で自らのリストバンドを外し、腕を男に見せた。
 「…聖痕…?!」
男は途端に顔をしかめた。形の良い眉が歪む。
 「…ってことはお前…ヴァンパイア・スレイヤーか…」
一つ舌打ちをして、男は声を1オクターブ低くして呟いた。
 「…そうなの。昨日、村を出てきたばっかり。…この黒い森の果てにいるっていう、相当に武芸に秀でているという男に会って、修行を積む為にココに来たの。…あんた、その男…知らない?」
 「ふーん。…そうか。…」
男はしかめ面をやめ、少し考え込んで呟いた。
 「多分その男ってのは、俺のことだな」
 「えっ?!」
あかねは目をまるくして、思わず叫んだ。まじまじと男を見て、また叫ぶ。
 「えぇえええ〜〜〜〜〜〜っ?!」
あかねが一通り叫び終えると、男は顔をまたしかめ耳を塞いでいた。
 「…お前、つくづくやかましい奴だな…」
 「…あんた、本当に…強いワケ?」
 「おう。何なら、試してみるか?」
さらりと言い放つ男の顔は、何処か楽しげだ。あかねは何と無くカチン、ときた。
 「…お願いしようじゃない」


外に出た二人は、家から少し離れたところにある広場で対峙した。構えるあかねに対し、男はただ腕を組み、ニヤニヤと眺めているだけ。
 「…どうした?俺はいつでもいいぜ。打って来いよ」
余裕の笑みを浮かべる男。あかねとて、女とは言え武道の嗜みがある者。村の中では男女の区別無く、同い年なら誰よりも強かったあかねなのだ。
…こいつの自信、突き崩してやろーじゃない!
はぁっと一つ息を吐き、あかねは自らの気を高めていった。そして自分の気が極限まで高まったその時、だん、と大地を蹴って男に向かっていった。
 「やあぁああっ!」
ビッ、と拳が空を切る音。男は、すでに其処にはいなかった。
男は、あかねの真上に飛んでいた。それに気付いたあかねはすぐに真上へと蹴りをはなつ。が、これも虚しく空を切るだけだった。男は空中で器用に体制を変え、あかねの後ろをとる。
次の瞬間、男の片手はいとも簡単に、あかねの細い首筋を掴んでいた。
 「…で、首筋にかぷっとやられて、ハイお終い。」
男はあかねの首筋に口を寄せる。あかねが咄嗟に手でなぎ払おうとすると、その手首をもがっ、と掴まれた。
 「どうやら俺の下で、修行が必要なようだねぇ?」
男はあかねを掴んでいた手を離し、くすくすと笑いながら言う。あかねは顔を真っ赤にして、男を睨みつけていた。
 「“よろしくお願いします”はどーした?」
意地悪く笑う男。
 「…よ、よろしく…お願い…しますっ」
その言葉を聞くが早いか、男は大声で笑っていた。



再び家に戻ったあかねに、男はいきなり大きな籠をひとつ渡した。
 「…何?」
 「修行そのいち。近くの牧場まで行って、今日と明日のぶんのメシを貰いに行く。今日からお前の分も追加だからなぁ。足腰鍛えがてら、ついて来い。」
そう言って男は大きな籠をふたつ持ち、すたすたと歩き出す。
 「…だから、ついて来いよ。迷いてぇのか?」
あかねは憮然としながら男に続いた。



 「…ぜぇ、はぁ。ぜぇ、はぁ」
片道3kmはあろうかというその悪路に、5kgはあろうかという肉や野菜、その他諸々の食材。正直、あかねにはキツいものだった。しかし、あかねの前を行く男の顔は涼しい。しかも、あかねの2倍以上は食料を持っている。敵わない筈だ、とあかねは今さら心底実感する。
男が急に振り向き、あかねを見る。あかねはドキッとする。
 「どうした?キツいか?」
夕焼けに赤く染まる男の顔。月明かりに照らされた男の顔は美しいと思ったが、暖かな夕焼けに染まった男の顔には、何とも言えない雄々しさと気高さが漂う。
それを実感したからか、今自分の口から出かけた言葉を先に言われてしまったからか、あかねは顔を真っ赤にして返した。
 「…っ、平気だもん、コレくらい…!」
 「そっか、感心だなっ」
くる、とまた前を向き、男は歩き出した。しかし、何かを思い出したようにまた振り返る。心臓に悪い、とあかねは思った。
 「そういやさ、お前の名前…未だ聞いてなかったな。何てゆーんだ?」
 「…あかね…」
切れ切れの息を悟られないよう、必死に抑えながら、あかねは答えた。
 「あかね…あかねか。」
男はふっと、夕焼けの空を見上げる。
 「…この空の色と、同じ名前なんだな」
そう呟く男の瞳に夕焼けの赤が映りこむ。あかねはまた、あの昨晩の光景を思い出した。今度こそは原因がはっきりとわかる、胸の高鳴りを感じた。
 「俺は…乱馬。よろしくな、あかね」



つづく




作者さまより

〈作者戯言。〉
はじめてのパラレルもの。私自身にはそんな意識、全く無いんですけどね。私としては、「二次創作」をした時点でそれは全てパラレルだと思っていますので。
ヴァンパイアとヴァンパイア・スレイヤーのことについては、作者の聞きかじった知識とでっち上げより成り立っております。信用しないでください(苦笑)
とりあえず、本来の「聖痕」とスレイヤー云々は全く無関係です。聖痕が浮き出てもヴァンパイアとは全く関係無いですし。そもそも今ヴァンパイア・スレイヤーなる職業は無いと思いますし。
「聖痕」というと、数あまたの宗教画の影響から、「掌」に浮き出るものだと思う方が多いかもしれませんが(キリストが釘で打ち付けられた痕であるというアレですね)科学的に考えれば本来は「掌」ではなく「手首」に釘を打たれた、のだそうです。
この話を打っていて、つくづく自分の乱馬寄り乱あ好きを実感しました…なんだよこの乱馬の美しさを語る形容詞の多いこと(呆)
そしてお互い名乗りあうまで長っ!!とうとう一章使っちゃったよおい!
…作者自身ツッコミ入れてますが、未だ続きます…

砂くじら 拝(というか寧ろハイ)。


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