◇区役所
砂くじらさま作


区役所なんて前を通り過ぎたことが2・3回あるだけで、正直中に入ったことはない。
…いや、1回くらいはあったかな。何にせよ覚えちゃいねえ。
俺は今、その区役所に向かっている。
たった一枚の紙切れの為に。



いつもの川沿いの道。駅まで続く道。
なんとなく曲がった方が早く着くような気がして、俺は普段曲がらない道を曲がった。
ビンゴ。俺の視界に、ここらで一番高いビルである区役所が入る。


すれ違う人全てに、「ホントにいいの?」「後悔しないの?」と尋ねられているような気がする。
その度に俺は、後悔しない為に今こうして区役所に向かっているんだ、と心の中で答える。
そ、それにっ。こういうのはお互いがOKしてはじめて成立するモンなんだからなっ。俺の名を書いたそれをあかねにつきつけたところで、あいつが拒否したらはじめっからやり直しなわけだしっ。ていうか今すぐ、ってわけじゃねえ。単に今日は、確固たる自分の意思を証明するモンが欲しくて行くだけなんだからなっ。あかねの意思を俺はまだ確認してねえんだし、第一俺はまだ18になっちゃいねえし、まだ…!

…電信柱の前で顔を真っ赤にして立ち止まり、あさっての方向を向いて力説する俺をじろじろと眺める子供の視線に気付き、俺は足早にその場を離れた。
いかん、区役所にたどり着くまでにこんなに迷ってちゃ…俺はケジメもつけらんねえまま、「優柔不断男」の烙印をあかねに押され、今度こそ愛想をつかされてしまうかもしれない。
せめて、あかねにだけは、きちんと俺の本心をわかってもらわなくちゃなんねえ。
俺はこれから呪泉郷に行き、このふざけた体質を治すという大切なことをしなくちゃなんねえんだ。おそらく、長い間あかねと会えなくなるだろう。
それは1・2年で済めばまだ良いほうだ、とも思ってるくらいだからなっ。帰ってきたら、「待ちきれなかった」とか言って、あかねが誰か他の男と一緒にいたらマジでシャレにもなんねえ。笑い話で済ませられる程、俺のこの想いは軽いもんじゃねえっ!
だからこそ。俺の意思をはっきりと示せるモノが、今必要なんだ。



たった一枚の紙切れで、二人の人間の未来が決定してしまうなんて馬鹿げてるとは思うけど。
要は、心とか気持ちの問題なんだとは思うけど。あんな紙切れを使わなくたって、心は結ばれるもんなんだとは思うけど。
心なんていう、移ろいやすく壊れやすく見えないものをはっきりとさせるには、あの紙切れは必要なモンなのかなぁ、とか思ったりする。
そんな面倒臭いことなんかしないで、いっそのこと俺の頭をかち割って、俺が考えてることを全部あかねに見してやりてえな、とか。たまに思ったりする。
でもそんなことは出来ない。人間が人間である限り、完全にわかりあうことは絶対不可能だと誰かが言っていた。
「想い」を伝えることが難しいってこと、あいつに出会ってから俺は痛烈に感じている。
「伝える」ということを何よりも苦手とする俺だからこそ、今からしようとしていることは必要不可欠なことなんだ。と、俺は自分に言い聞かせる。

あいつは見えないものを全て信じない程、頭の固い奴ではない。寧ろ、見えないものに憧れ、そしてそれに恐怖を覚えているような感じがする。
心霊関係のTVを、よせばいいのによく見てるしなっ。
…でも、見えないもの、というのにやっぱり不安を感じるんだろう。

人間の気持ちというものが、実体化できたらどんなにいいだろう。
そしたら優柔不断な俺でも、きっとあかねを不安にさせないでいれるだろう。言葉に出せなくても、きっとあかねは笑ってくれるだろう。
でも、そんなことが出来るような機械を発明する博士を待つ暇は、俺には無い。


…ごめんな。色々考えたけど、今の俺にはこれが精一杯だ。
でも、いくら鈍感なお前でも…ここまでやればわかるだろ?

そう思いながら、俺は区役所の自動扉の前に立った。
無機質な音を立てて、そのドアは開いた。






たった一枚の紙切れを貰って。
ボールペンで、そこに自分の名を書いた。
俺自身が書ける欄は、全て埋めた。
普段書き慣れてる筈の自分の名前。それなのに、手が震えてしょうがなかった。
全てを書き終えた後、俺はその紙切れを見直した。一度、二度、三度。テストですら、見直しをしたことがないのに。
震える手でそれを丁寧に畳む。折り目がズレた。
大事に、落とさないように、ポケットにしまった。
空欄を、あかねが埋めてくれるんだろうか。そう思いながら、俺は区役所を出た。
ポケットに入っている一枚の紙切れの重さ。それを、ずっしりと自分の身に感じながら。


俺は今、どんな顔をしている?
あかねはこの紙を見て、どんな顔をする?
今まで俺が見てきた数々のあかねの表情を思い浮かべながら、俺は家へと帰る道を歩いていた。


それは、うららかな3月のある日。







作者さまより

〈作者戯言。〉
…核心的なところを突くような単語を使わないで書きましたが、果たしてこの紙切れが何なのか、乱馬が今から何をしようとしてるのか、わかっていただけましたでしょうか。どきどき。
ていうかその実態を知らない人間が書くな的小説かもしれませんけれど。でも実際に区役所行って確かめるのもどうかと思いまして。相手いないしなー(苦笑)
実はまたまたイメージふろむ山崎まさよしさんの歌、って小説です。この話が3月なのは勿論理由あるんですけど、なんとなく暖かい日差しが乱馬に射してるなぁ、程度に感じていただければそれでも充分です。
…ていうか、出来ない年齢でも貰えるんでしょうかその紙は。未成年でも貰うことだけは出来るのか?と、自分で自分にツッコミ。
とりあえず、そういうことにしておいてあげてください(爆)

砂くじら 拝。



 婚姻届は住んでいる市町村によって若干違うかとは思うんですが・・・と己のことを記憶の片隅から下ろしてくる。
 確か、本人が貰いに行かないとくれなかったはず。他の届と同じように、身分証明書を添えてもらったような、じゃなかったような。
うろ覚えなんですが、私は新婚旅行から帰国してから二人して旦那の実家の役所へ提出しにいきました。その場で貰ってその場で書き込みました。
 これから二人で人生を歩んでいくんだなあ・・・と感傷に浸ったような、そうでなかったような。
 結婚年齢に達していなかったら多分貰えないと思います。(自信ないですが・・・)
 特に未青年者は親の承諾がなかったら結婚できないという法律がありますから。(この辺りは両家の親たちが勝手に盛り上がっているので、乱馬とあかねの場合は大丈夫なのでしょうけれどネ♪)
(一之瀬けいこ)


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