◇metempsychoses(中編)
砂くじらさま作


ACT.4

ふわっ。
突然、頬に触れる、温かい感触。
誰かに、涙を、拭われている…?
 「まだお前って、泣き虫なのな…」
聞き違えることなんてない、聞き慣れた声。もう20年近く聞いていなかったけれど、忘れることのない声。
 「泣くなよ、もう…それ以上泣いたら、目ぇ溶けちまうぞっ」
髪を撫でる手は、大きくて、あったかくて、優しい。
 「へへ…23年ぶりのご対面…ってか?」
二十歳の頃くらいの乱馬が、あたしの目の前にいた。


驚いて、声にならない。涙も止まってしまった。
 「ん?どーした?俺が二十歳くれーの姿でいるのにびっくりか?」
ちょっと意地悪そうな顔。あの頃の乱馬が、良くあたしに見せた顔。
 「おめーも今二十歳ぐれーの姿でいるの、気付いてねぇか?ニッブいなぁ〜」
そういえば、そうだった。皺も全然無いし、背筋も伸びている。
 「死にゃー皆二十歳だってゆーじゃん。それだよ、それ。便利なモンだよなぁ。」
 「…ら…ん、ま…」
やっとあたしの口から出た、か細い声。愛しい人の名前。
 「…どう、して…?」
ただ疑問しか告げられなかった。でも乱馬は、わかってくれた。
 「…どうしても、また会いたかったんだ。あかねに。」
優しい笑顔。くらくらする。あの頃と同じ笑顔。
 「だから無理言って、あかねが来るまでここで待たせてもらったんだよ。
  …あ、そーだ。ごめん一旦止めてくんねぇー?」
乱馬が誰かに呼びかけると、スクリーンの映像は止まり、場内が明るくなった。
 「勿論何もしねぇでボーっとしてる訳にはいかねーからさ、色々と手伝いしてたんだ。フィルム入れ替えしたり明り消したり…おかげで、ここの管理人とすっかり仲良くなっちまった。
  今日此処、俺らの貸切にしてもらっちったい♪」
にこにこしながら乱馬はあたしを立たせ、あたしが座っていた椅子を片付け、どこからか二人掛けのソファを出してきた。
あたしは未だボーっとしている。乱馬にまた会えた嬉しさと、今ここで起こっていることを理解するのに必死なのと。

 「…おーし、準備完了ッ。あかね、此処来いよ、コ・コ。」
何時の間にか乱馬の手にはリモコンのようなもの。ソファの片側に座って、こっちに座れとぽんぽん叩いている。
 「な、何…するの?」
乱馬の隣に座りながら聞いてみた。
 「ん?二人で見んの。あかねの人生。」
まるでこれから、借りてきたビデオでも見るかのように答える乱馬。
ちょっと赤くなったあたしの肩を抱いて、乱馬は優しく囁いた。
 「…此処に来てから、いつも考えてた。あかねが危ない目にあってないか、泣いてないか…って。
  俺がいなくなってからのあかねを、俺、見てみてぇんだ。ダメ?」
真っ赤な目のあたしは、ちょっと微笑んで答えた。
 「…あんたって本当、独占欲強いのね…あんたが見てないあたしも、見ておきたいだなんて…」
 「るせっ。ホ、ホラ。はじめるぞ。再生…っと。」
ちょっと赤くなった乱馬がリモコンをいじると、また場内は暗くなり、スクリーンにあたしが映った。




<作者戯言(という名の言い訳)>
何処で切ればよいのやら。この先の段落が長いので、少々短いかも知れませんがここで切ってみます。
乱馬の言う「此処の管理人」とは誰なのか?!とゆー謎の答えは、作中には出しませんでした、結局。
教科書どおりの答えみたいな感じでは「神様」なんでしょうけど。でも作者、無神論者なので(笑)
因みに私の中では、乱馬は大体40代前半頃に死んでしまってるんだろーなぁとぼんやり考えてました。
で、その23年後だから大体60代の頃にあかねも死んでしまった、と。
ううん、この高齢化社会の中、二人共早死に…
つくづく鬼畜な作者。でも正直80歳のあかねは想像出来ないんです…!



ACT.5

其処に映ったのは、乱馬の初七日が終わり、独りアルバムを開いて呆けているあたし。
お葬式の間中は忙しすぎて、ものを考える暇があまり無かったけれど、終わった後に悲しみはどっと押し寄せてきた。
未だ喪服で、目は赤く腫れ上がり髪はボサボサ。今見ると、ものすごい格好をしている。
アルバムの中の乱馬の写真を、ささくれ立った指先で撫でている。
 『乱…馬…』
魂が抜けたような声で、スクリーンの中のあたしが呟く。
 「…ん?」
乱馬が一時停止ボタンを押したらしい。画面が止まった。
 「…この左手に持ってるモン、もしかして…」
さすが乱馬。ちらっと映っただけのモノを見逃さなかった。
 「…うん。剃刀…」
 「…死ぬ気、だったのか…」
乱馬は悲しげにあたしを見つめた。
 「乱馬がいない世界で、独り生きていく理由は無い、って思ってたの。…でもね…」


一時停止が切れた。スクリーンの中のあたしは、左手の剃刀をじっと見つめている。
それを左手に持ち替えようとした時、ノックの音がした。画面のあたしはそれをさっと隠し、『どうぞ』と答える。
ドアの外に居たのは、未来だった。未来もまた、喪服である制服姿だった。
 『…お母さん。ちょっと、話したいことがあるの。いい?』
いつに無く真剣な顔をしている未来。あたしの傍へ来てぺたんと座り、あたしの目をじっと見た。
 『…なぁに?未来…』
無理やり笑顔を作って答えるあたし。
 『…お母さんが一番愛してるのは、あたしでも龍馬でも天馬でもなくて、お父さんだってことは知ってる。』
未来の目には涙が溜まっていた。溢れそうな涙を拭うこともせず、未来は続ける。
 『あたし達は…お父さんを愛してた。ううん、これからも愛してる。死んじゃったけど、これからもずっと…あたし達のお父さんは、たった一人』
未来の目から遂に、涙が一筋流れた。
 『でも…お母さんは、あたし達以上にお父さんを愛してた。あたし達にはわかんないくらい、凄く…悲しいと思う。』
未来の声のトーンがあがっていく。あたしは何時の間にか涙を流している。
 『でも、でも!あたし達には、お母さんが必要なの!お父さんと同じくらい、お母さんを愛してるの!』
普段は大人しい未来が、いつになく激昂していた。
 『だから…だから!お父さんと同じところに行かないでよ!これ以上、あたし達から大切な人、奪う権利なんかお母さんには無い筈よ…!』

泣き崩れる未来。あたしも泣いている。未来を、見つめて。
 『…ごめん、ごめんね…未来…』
そっと未来を抱きしめるあたし。
 『…お母さん、お父さんとの約束、破っちゃうところだった……ありがとう……』


 「…未来が、あかねを救ってくれたのか…」
乱馬が呟いた。
 「…ええ。あの子、凄い大物になるわ、きっと。」
少しはにかんで、あたしは答えた。


場面は変わって、道場で稽古に精を出す龍馬に、お茶を差し入れるあたし。
未来の一言が効いたあたしは、完全にとは言えないけれど落ち着きを取り戻しつつあった。
 『…なぁお袋。親父が俺くらいの頃、じーちゃんと戦って勝ってたって言ってたよなぁ?』
汗を拭きながら尋ねる龍馬。
 「…戦った、っつーより、単なる喧嘩だけどな…」
乱馬がぼそっと呟く。あたしはその当時の光景を思い出して、ちょっと笑った。
あたしがそうだ、と答えると、龍馬は天を仰いで呟いた。
 『…俺、とうとう親父に勝てねぇままだった…』
その話を聞いていたらしき天馬が、ぴょいっと道場に入って言った。
 『ずりぃよなぁ親父。勝ち逃げしちまったよ、天国に!』
ずり、とソファからずり落ちる乱馬。あたしのくすくす笑いは止まらない。
 『そうね。昔っからお父さん、負けず嫌いで逃げ足速かったものね。』
 「あかね…こんなこと言ってたのか、お前…」
じと〜っとした乱馬の視線。
 「でも、本当のことじゃない?」
 「……」
乱馬は言い返せない。バツが悪そうに、画面に向き直った。



つづく




作者さまより

中編:
ぼんやりと考えた設定では、乱馬は四十前半で交通事故死。あかねは六十後半で寿命を迎えた、という感じです。
二人共早死にですが、正直「シルバーならんま1/2」が想像出来ませんでした(爆)

魂の片割れとも言うべき半身を失った後は、おそらくその想いの強さ故に「死」に走るケースが多い…と思います。
が。世界中にその二人しかいないのならともかく、他にその人らを愛している人がいるのなら、安易に死を選ぶのは拙いと思います。
まぁ確かに、当人達にとっちゃ「死」を選んだ方がしあわせなのでしょうが。その他の人のしあわせまで含めて考えるなら、半身を失った身体を引きずってでも生きていくべきなのでしょう。

「父親殺し」というイニシエーションを、龍馬と天馬は出来ないままに、乱馬の「勝ち逃げ」となってしまいました。
其れは龍馬にも天馬にも、そして乱馬にも心のしこりとなって残り、息子二人にとって父親は「永遠に勝てない自分の目標」となって、いつまでも輝きつづける存在になることで
しょう。
…ファ、ファザコンとゆーヤツかな、これは(汗)


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